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たびたび神社

ライターあかりの神社ブログ

玉依姫命

2015-11-05 22:21:40 | 奈良・京都の神社

<下鴨神社 しもがもじんじゃ>

 

下鴨神社のご祭神は、

賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)と、

その娘である玉依姫命(たまよりひめのみこと)

という二柱の神様です。

玉依姫命は京都の北を支配していた

賀茂氏の一族の姫といわれており、

上賀茂神社のご祭神である

賀茂別雷大神の母神でもあります。

 

ちなみに「タマヨリ」という神名は、

「神霊の依り代・巫女」を意味する言葉で、

特定の神や人物を指すわけではありません。

様々な神話や古典に、時代や場所を越えて、

タマヨリヒメという名の神様が登場しているのも、

巫女の総称として使用されることが多いゆえ。

タマヨリヒメは大きく分けて、 賀茂神系と海神系とがあり、

下鴨神社は賀茂神系の代表的な神社です。


下鴨神社

2015-11-04 21:32:20 | 奈良・京都の神社

<下鴨神社 しもがもじんじゃ>

 

賀茂御祖神社(かもみおやじんじゃ)、

通称・下鴨神社(しもがもじんじゃ)は、

賀茂別雷神社(上賀茂神社)とともに、

賀茂氏の氏神を祀る神社であり、

両社を合わせて賀茂社とも呼ばれています。

 

最近では「高級マンション建設」の話題で、

世間の注目を浴びている下鴨神社ですが、

今年の4月に、上賀茂神社より

一足早く式年遷宮が執り行われ、

現在は美しく修復された社殿の前で、

参拝することができます。

 

同じ賀茂氏の氏神でも、こちらの下鴨神社は、

少々畏まった気風の上賀茂神社と比べると、

商売っ気たっぷりの大衆的な雰囲気の神社でして、

参道を取り囲むように広がる糺の森(ただすのもり)には、

いつも観光客や地元の方など、

多くの人たちの寛ぐ姿が見られます。


大田神社

2015-11-03 13:30:00 | 奈良・京都の神社

<大田神社 おおたじんじゃ>

 

上賀茂神社の東に、カキツバタの名所として知られる、

大田神社(おおたじんじゃ)があります。

今でこそ大田神社は、

上賀茂神社の摂社という形を取っていますが、

その起源は上賀茂神社よりも古く、

もともとは恩多社(おんたしゃ)と呼ばれていたそう。

賀茂氏が上賀茂神社を創建する以前から、

この地域に住んでいた人々がお祀りをしていた場所です。

 

私が初めて上賀茂神社を訪れたとき、

最寄りの駅から徒歩で神社へと向かう途中、

突如目の前に現れたのがこの大田神社でした。

神社巡りをしていますと、 どういうわけか目的の神社よりも先に、

その土地の氏神に辿りつくことがよくあります。

この大田神社にも、賀茂氏の傘下に入る前の、

古い信仰の記憶が眠っているのでしょう。


賀茂氏の秘事

2015-11-02 11:09:01 | 奈良・京都の神社

<藤木社 ふじのきのやしろ>

 

もともと京都は、奈良時代以前から、

秦氏(はたうじ)と賀茂氏(かもうじ)

という豪族の支配地域でした。

そのうちのひとつである賀茂氏の

氏神を祀っていたのが上賀茂神社で、

当時から神社の祭事に携わるのは、

賀茂氏の一族と決められていたそう。

賀茂氏の16の家系の中でも、

より位の高い神職に就いた家が、

賀茂七家(かもしちけ)と呼ばれました。

 

ちなみに賀茂氏というのは、

非常に結束力の強い一族でして、

16ある支流の中に断絶しそうな家系があれば、

一族の間で養子のやりとりをしながら、

現在に至るまで綿々と血脈を伝えているのだとか。

そして、何といってもすごいのは、

「天皇の守護」という古来からの重要なお役目を、

今なお賀茂氏の秘事として、

引き継いでいることなのですね。


社家

2015-11-01 10:52:07 | 奈良・京都の神社

<上賀茂社家町 かみがもしゃけまち>

 

上賀茂神社の門前には、「社家(しゃけ)」

と呼ばれる古い町並みが残っています。

このエリアは、老舗の漬物屋や古民家風の土産店など、

京都らしい風情を楽しめる観光スポットのひとつですが、

もともと社家というのは、

特定の神社の神職を世襲してきた家(氏族)のこと。

先祖代々、神主を務めていた家々が、

まとまった「町」として形を残しているのは、

全国でもこの上賀茂神社一帯だけだそうです。

 

上賀茂の社家町は、

目の前を流れる明神川沿いに土塀を巡らせ、

石橋を渡って門を入る造りになっており、

明神川の水を引き込んだ各々の家の神官は、

その水で「みそぎ」を行い、 上賀茂神社のお勤めをしていました。

明治維新以降、神職の世襲制が廃止され、

社家のほとんどは神職の仕事を離れたため、

現在上賀茂神社へ奉職をする方はたった1名だと聞きます。


陰陽道の聖地

2015-10-31 13:21:29 | 奈良・京都の神社

<上賀茂神社 かみがもじんじゃ>

 

陰陽道・陰陽師という言葉聞いて、

多くの人が思い浮かべるのは、

かの有名な安倍晴明でしょう。

数年前に、映画や小説の主人公として脚光を浴び、

陰陽師ブームを巻き起こしたのは記憶に新しいところ。

陰陽師のパワーにあやかるため、

晴明ゆかりの神社を訪れる人は後を絶たず、

中には自らを陰陽師と称し、

怪しげな術?を施す人もいます。

 

実は上賀茂神社というところは、

陰陽道と関わりの深い場所でして、

平安時代に朝廷で活躍した「陰陽師」の一族が、

こちらの上賀茂神社の神を氏神とし、

祭祀を執り行っていた賀茂氏なのです。

後に晴明の師匠となった賀茂忠行や、

古くは奈良時代の学者・吉備真備、

修験道の開祖である役小角なども、

賀茂一族の出身だといわれています。


陰陽思想の影響

2015-10-30 13:18:42 | 奈良・京都の神社

<上賀茂神社 かみがもじんじゃ>

 

上賀茂神社の二の鳥居をくぐると目に入るのが、

美しい円錐形に整えられたふたつの「立砂(たてずな)」です。

 

立砂は上賀茂神社のご神体である

神山を模して作られたもので、

神社が創建される以前は、

この立砂を依り代として祭事を行っていたそう。

鬼門や裏鬼門に砂をまき清める習慣や、

お清めなどに使う盛り塩の元にもなりました。

 

ちなみに、ふたつの立砂のてっぺんには、

各々2本と3本の松葉が差し込まれており、

2本の松葉は(陰・女性)を、

3本の松葉は(陽・男性)を あらわしているのだとか。

このような祭祀方法は、

上賀茂神社の祭祀を取り仕切った

賀茂一族独自のものと云われております。

 

上賀茂神社という神社は、

陰陽思想の影響を色濃く受け、

今なお実践中の場所なのですね。


不自然な配置

2015-10-29 13:16:17 | 奈良・京都の神社

<上賀茂神社 かみがもじんじゃ>

 

上賀茂神社を訪れてまず感じるのは、

二の鳥居から突如折れ曲がる参道と、

境内にある建物の配置の不自然さです。

本殿に向かう参道の両脇には、

まるで参拝者を拒むかのように、

様々な建造物が行く手を阻み、

参拝者は右に左にと迂回しながら、

楼門をくぐらなければなりません。

 

さらに、本殿前にたどりついても、

通常参拝客が手を合わせるのは、

神様がおられる本殿から外れた場所。

いくら背後の神山を拝む形とはいえ、

これだけ脇を固められてしまうと、

さすがに違和感を覚えるものです。

ちなみに上賀茂神社を象徴する立砂も、

神山の正面ではなく、鬼門の方角にある、

摂社片岡社のほうを向いて設置されています。


水と矢と術

2015-10-28 13:12:51 | 奈良・京都の神社

<上賀茂神社 かみがもじんじゃ>

 

上賀茂神社のご祭神である賀茂別雷大神は、

母・玉依姫命(たまよりひめのみこと)が、

境内を流れる御手洗川に流れてきた白羽の矢を手に取り、

床に置いたところ懐妊したとされる神様です。

 玉依姫命の父親は、

賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)という神様で、

賀茂氏の始祖にあたるといわれています。


この話を聞いて思い出すのは、

奈良の大神神社に伝わるいくつかの伝承です。

同じ玉依の名を持つ大物主の妻

活玉依毘売(いくたまよりびめ)はやはり一晩で懐妊し、

また、勢夜陀多良比売(せやだたらひめ)は、

同じ「矢」の仲介により神と結ばれました。

 

古い神社に残る言い伝えには、

「水」「矢」そして「蛇」が頻繁に登場しますが、

逆にいえばこのような伝承を持つ神社ほど、

深い歴史と多くの謎を秘めた場所でもあります。

上賀茂神社には、他の神社にはない「術」が、

あちこちに仕掛けられているようです。


雷の神

2015-10-27 13:07:34 | 奈良・京都の神社

<上賀茂神社 かみがもじんじゃ>

 

上賀茂神社(賀茂別雷神社)は、

下鴨神社(賀茂御祖神社)と共に、

賀茂氏(かもうじ)の氏神を祀る神社であり、

5月に行われる葵祭(賀茂祭)で知られています。

 

上賀茂神社に祀られているのは、

賀茂別雷大神(かもわけいかづちのおおかみ)という、

その名の通り雷(神鳴り)を司る神様。

「別雷」には若い雷という意味もあるそうです。

 

神事に使われる御幣(ごへい)の形からもわかるように、

古来より日本人は、雷を「神の意思」としてとらえてきました。

豪雨に伴う稲光や噴煙の中で光る稲妻を目にした瞬間、

人は無意識に神の力と自然への畏怖を抱くのです。


奉納

2015-10-26 13:04:15 | 奈良・京都の神社

<上賀茂神社 かみがもじんじゃ>

 

賀茂社(上賀茂神社・下鴨神社)の式年遷宮は、

21年に1度行われています。

21年に1度という中途半端な期間に関しては、

諸説あるようですが、聞いたところによれば、

20年に1度遷宮が行われれる伊勢神宮に配慮して、

21年にしたのだとか…。

 

ただ、春日大社などと同様、社殿のほとんどが

国宝や重要文化財に指定されているため、

お社自体を建て替えるのではなく、

屋根の檜皮葺(ひわだぶき)の葺き替えや、

建具・金具の補修、漆喰壁の塗り替えなど、

痛んだところの修繕が主なようです。

 

4年くらい前に上賀茂神社を訪れた折、

屋根の葺き替えに使う檜皮を奉納したのですが、

新しくなった上賀茂神社のお社のどこかに、

あのときの檜皮が使われているのかと想像すると、

とても不思議な気持ちになります。

日本にとって大切な神社が守られるということは、

国と私たちの生活が守られるということなのですね。


上賀茂神社

2015-10-25 13:00:20 | 奈良・京都の神社

<上賀茂神社 かみがもじんじゃ>

 

伊勢神宮の式年遷宮と前後するかのように、

出雲大社をはじめ、春日大社や塩釜神社など、

全国各地の神社で社殿を建て替えたり、

修繕したりする行事が行われています。

 

先日15日に、式年遷宮を終えた上賀茂神社

(正式名称:賀茂別雷神社)もそのひとつで、

今回は遷宮後の本殿を拝観するために、

夜間参拝に出かけてまいりました。

 

京都駅から市バスに揺られて約1時間。

木々が色づきはじめた加茂川沿いの土手の向こうに、

ご神体である神山が見えてきます。

あたりが暗くなってからも大勢の参拝客が、

お参りの列を作っていました。


氷と殯

2015-06-23 11:28:28 | 奈良・京都の神社

<奈良氷室神社 ならひむろじんじゃ>

 

氷といいますと現在は、

「暑さをしのぐ食べ物」という認識が一般的ですが、

古代では、崩御された天皇などを葬る前に行われる

「殯(もがり)」という儀式に使用されていました。

もがりというのは、遺体を長期間安置する習わしのことで、

氷を使って遺体が腐らないようにしていたそうです。

 

また古くは、お正月の元旦に宮廷において、

氷様奏(ひのためしのそう)という行事が行われ、

前年の12月に作られた氷室の氷の厚みで、

その年の農作物の吉凶を占ったのだとか。

私たちが普段、何気なく接している「氷」は、

宗教的な役目を持つ「呪術具」でもあったのですね。


奈良氷室神社

2015-06-22 11:25:44 | 奈良・京都の神社

<奈良氷室神社 ならひむろじんじゃ>

 

毎年5月1日に行われる献氷祭(氷のお祭り)や、

見事な枝垂れ桜で知られる奈良氷室神社は、

その名の通り「氷」と深い所縁のある場所です。

由緒によりますと、平城京の遷都にともない、

御蓋山(みかさやま)の山麓に氷室を作り、

祠を建て闘鶏大神を祀ったのが始まりだそう。

もともと春日大社が創建されるまでは、

氷室神社がこのあたり一帯を

所有していたという話も聞きます。

 

最近では、年に一度の献氷祭だけでなく、

月に一度の氷献灯(氷の器を飾るお祭り)や、

夏のひむろしらゆき祭(かき氷のお祭り)など、

様々なイベントを企画されているとのこと。

また、南都流舞楽の中心地でもあり、

ご本殿前にある立派な舞殿も見どころです。

お賽銭箱近くの機械に100円を入れると、

境内いっぱいに雅楽の音が流れるので、

興味のある方はぜひどうぞ。


古く新しい信仰の形

2015-06-21 11:22:35 | 奈良・京都の神社

<春日大社 かすがたいしゃ>

 

春日大社の特色としてあげられるのは、

日々のご神事の中に「祖霊信仰」が、

取り入れられている点だと思います。

先祖供養という言葉を聞きますと、

お寺の管轄というイメージがありますが、

もともと先祖供養は神道から派生したもの。

仏教のように、直に先祖を拝むのではなく、

「神様を通じて」先祖の冥福を願うのが、

春日大社独特の先祖供養なのだそうです。

 

参道にズラリと並ぶ石燈籠には、

祖先の冥福を意味する言葉が刻まれており、

また、社務所に申し出れば私たち一般人でも、

祖先祭をお願いすることができます。

春日大社が藤原氏の氏神神社となる前は、

御蓋山に先祖の冥福を祈るという、

古い神道の形が残っていたのでしょう。

神様だけでなく祖先を敬う気持ちを持つことは、

現代に生きる日本人が取り戻さなければならない、

古く新しい信仰の形なのかもしれません。