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どうしても被害妄想にしか私には思えないことに「普通を強要される」というのがある。修行否定派の大きな理由でもある。修行によって普通を強要される。差別だ~というのである。
修行は普通になるためではなく自分になるためなのだがまあ、被害妄想の人たちを説き伏せる気はないのでほっておく。被害妄想は説き伏せず、勝手に遠巻きに見させておく。そしてこっちを攻撃してきたらなぎ倒す。それが十数年かけて私が体得した私流卑屈マインドとの接し方である。
南雲明彦さんは「普通になりたいという子どもの希望を否定してはいけない」と言う。
その通りだと思う。
南雲さんが言う「普通になりたい」子どもたちとは、普通の子のように学びたい子どもたちであり、その気持ちを南雲さんは共有してきた。そして修行してきた。それは不便さを取り除くための修行であり、南雲さんや子どもたちがより生を充実させるための修行であり、他の誰かになるためではない。
私は「10年目の自閉っ子、こういう風にできてます!」に
「普通は目指さなくてもいい、幸せを目指してください」というキャッチフレーズを書いた。
ニキさんは言った。「それは浅見さんの意見であって私はちょっと違う」と。
ニキさんは「普通を目指す」ことを悪いことだと思っていないそうである。
そしてニキさんの書いたものを読むと、おそらくニキさんの言う「普通」とは、「悪目立ちしない」ということだと思う。悪目立ちしないことのメリットは、空気でいられること。空気でいられることは平穏を好むニキさんにとって大切なことだろうと思う。
一方で私は、そういうキャッチコピーを書いてしまうくらい、普通を強制されるのが大嫌いな人である。
そしてここでいう「普通」とはなんというか、「決まり文句の世界」じゃないかな。それは私の人生においてこれまで、主として「ガールズトーク」として現れてきたんだが。
たとえば今だと海の王子の話をえんえんとするとか、芸能情報とか、まっぴらごめんである。ファミレスで夫の悪口とか、まっぴらごめんである。一日は短い。ましてや本場所中は四時にはテレビの前にいなくてはならないのだ。ガールズトークの暇はない。
そしてギョーカイにかかるとその決まり文句が
・社会の理解ガー
・一次障害は治りません。
・二次障害には社会の理解
・改善するけど治りません
みたいなあれ。あれの強制が大嫌いである。
発達障害者は発達して発達障害はスペクトラムでじゃあどうして改善するけど治らないのか言ってみろと、という感じである。発達障害者が発達して発達障害がスペクトラムなら改善していくうちに治ってしまう人はいるはずだ。結局発達も促せないから治らないって言ってるだけじゃないかギョーカイは。じゃあ潔くはっきいりと認めろ。
・発達障害者は発達します。でも僕らは発達促せません。
が本当のところでしょうが。
だがギョーカイはそれを認めない。それを認めると金が入ってこなくなるから。
そしてその「普通」を私に押し付けてくる人を私はなぎ倒すので、「普通を強制される」という主観的な被害者意識はあまり持っていない。
そして皆さんが見てわかるとおり、ギョーカイの普通に従わなくても生きていける。
ということは「普通」なんて強制されたってはねつけて自分の道を行けばいいのである。
なので「普通を押し付けられる」とかフンフン嘆いている人の気持ちはわからない。
わからない以上下す決断は「ただの言い訳だろ」なのである。
発達障害の特性は努力でどうにもならないもの、かもしれない。
でもそれは、努力が全く無駄だというわけではなく、実りにくいというだけ。
そして実りにくいことが努力をしない言い訳にはならない。
おまけに
努力が実りにくい特性があるのなら、実りやすいところを早いところ見つけて、そこに努力すればいいだけの話なのである。
私たちにとっては感覚過敏は治るのが当たり前なので、あらためてこの二冊を紹介しておく。
この十年の間に何が起きたか知ってほしい。
この二人は当事者としては有名な部類だろう。でも二人とも、飛び道具にはならなかった。自分の人生を生きている。
私はそういう当事者が好みのようである。ギョーカイの飛び道具に興味はない。餌をもらいギョーカイのために卵を産み続けるだけの生。そんなケージの中のめんどりに興味はないのだ。
そして改めて「普通」という観点でこの本を読んで気づいたこと。
この十年の間にニキさん藤家さんの二人は自分らしくなり、だからこそある意味「普通」に近づいた。社会で悪目立ちしなくなった。
そして私はギョーカイでの普通から逸脱していった。そしてそれは社会人としては正しいことだった。
なぜなら
ギョーカイが言う「もっと支援を」はクマしか通らない山奥の道の建設だからである。
そんなことに加担したら国賊だ。
私は国賊にはなりたくない。
だから「治るが勝ち!」と言い続けることにします。