治しやすいところから治す--発達障害への提言

花風社・浅見淳子のブログ
発達障害の人たちが
少しでもラクになる方法を考える場です。

五月場所初日・観戦記(その3 愛があるからこそ)

2017-05-15 14:06:29 | 日記



賜杯返還、優勝額除幕式、横綱土俵入り、と長年応援してきたのに体験してこなかったお祝い事をいっぺんに味わった幸せな私たち。「そういえば、取組あったね、忘れてた」っていう感じでした。
「しかも東の正横綱だから初日は結びだ」「わ~そういうことなんだね東の正横綱って」と盛り上がります。となりの茨城の乙女たちとも声を合わせて弟弟子の高安関を応援。快勝。高安関、あと九勝で大関です。

進行は順調でした。というか早めでした。皇太子殿下ご夫妻がお帰りになるところまでテレビに映さないといけないんだろうなあ、と思っていました。みたけうみ関がかくりう関を破り、座布団が舞います。私たちは投げませんでした。

そして、結び前土俵下に入ってきた稀勢の里。
かなり頑丈なテーピング。
やっぱり相当悪いのかな、と心配になりました。
そしてくるくる回る懸賞の行列を見て、これだと毎回相手も絶対勝つ気でくるだろうなと思いました。

そしてあの結果。
最初に出たのは「やっぱりね~」でした。今日はいいことが続き過ぎて、こういうところでがっかりさせてくれるのがきせ関の資質です(ブ)。今まで肝心なところで勝てなかった分を先場所の千秋楽で一気に取り戻し国民的ヒーローになってしまいましたが、ある意味変わっていない。それに・・・

「そういえば私は横綱昇進披露宴で嘉風と握手していただき応援していますとか言っちゃった」という私。「それだ!」と受けるお友だち。愛甲さんに至っては嘉風関と2ショット取って喜んでいました(とても優しい関取です)。「もしかしたら私たちが嘉風を応援しちゃった?」

でもいいや、というさばさばした雰囲気、「やっぱりね~」と受け止める余裕が私たちにはありました。これもようやく悲願を達成したあとだからこその余裕でしょうね。ある意味安心した。中の人が変わってなくて。これが稀勢の里だ! でもそれは、猿烏賊ギョーカイ方面が言う「ありのままを受け止める」では決してないのです。

自分たちのやっている無作為を「ありのままを受け止める」と美しく語り、治ってほしいという保護者、治りたい当事者を残酷なことを言っているように批判する卑怯なギョーカイの言論(吉川徹等)が本当に大嫌いでした。だってさ、愛があるからこそ治ってほしいんじゃないの? 少しでも自由な人生を送ってもらいたいから修行に励むんじゃないの? そういう頑張り屋の人たちを「障害受容がなってない」とけなして利権に走る支援者と負け惜しみの代弁をしてくれるからそれに乗っかって頑張る方面の保護者をけなす猿烏賊(そらパパ、ベム等)が本当に嫌いでした。
修行系の親御さんたちは、なんとか治ってほしいという親御さんたちは、子どもにより幸せな、自由な人生を望んでいるだけです。
その他人の決断に口を出さずにいられない。
それは自分の「つかみどころのない不安」を自分で解消できないから。
エビデンス以外によりどころがないから。目の前の子どもの反応よりエビデンスを重視するのは「究極の他人軸への依存」ですからね。

昨日みたいなところで負ける稀勢の里を私たちは応援します。でもずっと負けてほしいとは思わない。愚直で不器用でガチンコで、その稀勢の里がどう大横綱になっていくか、それを見守りたいのです。「肝心なところで負ける資質をありのままに受け止めたい」なんて決して思わない。

相撲の神様はなかなか勤勉で、苦労して横綱にしたあとすぐ、これまでにない大怪我という試練を与えました。私は南雲さんの言葉を思い出しました。「障害は個性じゃない。障害をどう乗り越えるかが個性」。そして私たちは、今度はそれを見守るのです。不器用で、愚直で、でもついに頂点に立った横綱が、どう大怪我を乗り越えていくのかを見守り応援するのです。

横綱昇進披露宴で、突然「ゆず」という人たちが来て「栄光の架け橋」という歌を歌いました。その歌詞が稀勢の里そのものだと、泣いていた人たちがいました。私もNHKのオリンピックテーマソングだとしか認識していなかったのだけれど、これって稀勢の里ソングだなあと思いました。

でも考えてみれば、アスリートなんて、ましてやオリンピアンなんてみんな「人には見せない泪」があったはずで、みんな「悔しくて眠れない夜」があったはずで、別に稀勢の里に限らず何かを頑張ってきた人なら経験することだと思いました。

そして南雲さんにしろちゅん平にしろ、何かを乗り越えてきた人はみんな共感するだろうと思いました。だからあの歌は南雲さんソングでありちゅん平ソングでもあると思いました。そしてもちろん私も。裁判・ギョーカイの死んだふり・猿烏賊・鳥烏賊・猫烏賊。そういうものを乗り越えてきました。そしてもちろん私だって夢の途中なのです。

それでも私実は、先日の横綱昇進披露で取った自分の写真にびっくりしました。
五年前の大関昇進のときに比べ、顔が穏やかになっているのです。
愛甲さんに見せたら「ほんとですね」と言われました。

おそらく「愛着障害というものがある」と知っただけで相当腑に落ちたと思うのです。
ああ、あのわけのわからん人たちはそれなんだ、と。
共感はしなくても理解はしたのだと思うのです。

理解したけど、でも「そうかかわいそうなんだ」とは思わないのです。
だってそう思うのって失礼だしね。対等な人間なんだから。
私が愛着障害を抱えた支援者たちに思うのは
愛着障害なのは構わないけど、プロなんだったら治してくれないかな、っていうことです。
じゃないと当事者が治らない。
花風社の本を読む気になる支援者の人たちだけにでも治してもらいたい。

そしてその中のおひとりが先日ご結婚なさったというご報告をくださった支援者の方だと思います。

愛甲さんが証明しているとおり
支援者は愛着障害を自ら乗り越えるとよりよい支援ができるようになるんだし。

皇太子ご夫妻のお見送りがあったせいでしょうか、国技館を出るのはいつもより時間がかかりました。
でも出てきてもまだ明るいのが五月場所。
国技館の敷地にはお社があります。

「お参りしていきます」
と私は言いました。
何度も何度もここで、「稀勢の里を横綱にしてください」とお願いしてきました。
その願いがついにかなえられたのだから、お礼をしなくては。

手水を使いお賽銭を投げ、礼、柏手。

ありがとうございました。

そして触れ太鼓の響く中、両国を後にしてきました。


五月場所初日・観戦記(その2 あんまりお相撲の話ではないです)

2017-05-15 09:31:05 | 日記
お弁当が済むと、お友だち親子は館内を見に行きました。桝席で二人になった私たちは、仕事の話をしました。「脳みそラクラクセラピー」のころから、愛甲さんは愛着障害を治すことが肝心なことを強調していました。そのとき私は「ふむふむ」と聞いていました。長沼先生も死んだふり祭り(自閉症協会全国大会ともいう)で愛着方面のPTSDに触れ、猿烏賊的保護者が食ってかかり、ギョーカイメジャーがおおよしよしをするという気持ち悪い場面も見たことがありました。どうやら親子の愛着って大事みたいなんだけどそれを言われることをギョーカイは嫌うこと、愛着関係が成り立ちにくい親子というものがいること、そしてたとえ愛情たっぷりの親に育てられても愛着障害が育つことはなんとなくわかっていました。そして神田橋先生のところにいって「胎児性の愛着障害」を摩訶不思議(ほめてます)な方法で治す人たちがどんどん元気になっていくのを見ていました。

でも私がはっきりと愛着障害の害を知ったのは、去年の三月に父を亡くしてからなのです。やっとわかったのです。発達障害が治ることを妨げていた大きなもののひとつは愛着障害である、と。しかも当事者や保護者の問題ではないのです。支援者の中の愛着障害こそが、発達障害は治らないという思い込みにつながっていたのだと。

それまで私は
・なるべくたくさんの人が
・なるべく長い間
・なるべく重い障害に
とどまってくれる方が儲かる福祉の集金システムこそが支援者の死んだふりを生んでいるのだと思っていました。でもお金だけではない、と愛甲さんは折に触れ教えてくれました。そうじゃなく、人をケアする仕事につきたい人というのは愛着のヌケを持っていることが多い。それは神田橋先生の本にも書いてありますね。そしてその人たちはずっと頼られていたいから、ずっと頼られていることが自分たちのヌケを埋める治療だから、治って自分を頼らなくなってしまう人がいると困る。だから藤家さんみたいな人は最初「受動型の典型」とか萌えておきながら元気になると偽者呼ばわりする。それは負け惜しみなのだということがやっとわかったのです。そしてギョーカイ内外の各種猫烏賊ビジネスを行うボス猫烏賊たちも、愛着のヌケを抱えていたことが針立ててみてわかったのです。針立てて・・・っていうのはわかる人にはわかりますね。

でも愛着のヌケ自体は悪いことではないし、埋められます。問題はそれを埋めるとき、弱い他者を必要とする人たちがいることです。そこに巻き込まれると、治らないのです。

私は長い間ギョーカイの「死んだふり」を弾劾してきました。「人間脳を育てる」を作り恐怖麻痺反射について知ったことで、「死んだふり」ではなく「生まれてなかった」んだということを知りました。ギョーカイの取っている戦略が、胎児の戦略であることを知りました。そして支援者たちが一般社会をあれほど恐れ、なんとかそこに出すまいとして様々なストーリー(なまはげ)をでっちあげるのはたんに金銭的な目的だけではなく、彼らが心底一般社会を怖がり死んだふりする面もあるのだと思いました。企業就労しているこよりさんのところに、作業所が青田刈りに来るそうです。いずれくじけるだろうからそうしたら利用したらいい、と。実に余計なお世話ですが、グレーのお子たちが学ぶ学校の入学式に顔を出す空気の読めない就労支援者等もいるようです。営業にもほどがあります。この人たちは商売のやり方が卑しい、と思いますが、一方で彼らが本当に世の中は怖いと思っているのかもしれないし、そういう営業を「いざとなれば居場所がある」と安心する怖がりの保護者たちもいるのかもしれません。

猿烏賊鳥烏賊猫烏賊エビデンスガー。すべて私にとっては「ありえない恐怖感」を持ったフユカイな人たちでした。その人たちが勝手に恐怖感を感じていてくれたら別にいいんですけど、こっちは持ちようのない恐怖感をごり押ししてくるのが嫌でギョーカイが大っ嫌いでした。そして父が亡くなったときたくさんの人、中でも瀧澤久美子さんや南雲さんのように私が感性を信頼している人たちに「浅見さんは愛情を受けて育ってきたといつも思ってきた」と言われ、あーそうだったのかと思ったのです。神田橋先生のお言葉を引用するのなら「浅見さんのタフネスは基底の充実です。十全の状態は自覚のないものです」。そのとおり、自覚がなかったのです。

そうか愛着のヌケだったのか。だから変な恐怖感を感じそれを振り回してきたのか。自分は基底の充実だったからその恐怖感を共有していなかったのか。ヌケのある人はかわいそうだな

と思ったのは一瞬で

その次の思ったのは

じゃあ愛着障害治せばいいじゃん

だったのです。

そして作ったのですね。「愛着障害は治りますか?」を。

このあたり、今やっている仕事に非常に大事なところなんですけど、のど元過ぎると・・・の体質の私は忘れかけているのです。でも言語化するにはフレッシュにしなければいけないので、愛甲さんにそのプロセスを手伝っていただきました。国技館の桝席で。

そんなこんなで話している間にも取組はどんどん進んでいき、十両からは観戦が中心になりました。お友だち親子も戻ってきて、隣の桝席にいる茨城からの乙女たちともお話ししました。ひよっこな感じで楽しかったです。

そして協会ご挨拶。東の正横綱の稀勢の里関は真ん中に陣取ります。「あるべき姿だ」とお友だちは言いました。本当です。



賜杯返還の儀式。そして優勝額の除幕式。あまり写真は撮りませんでした。目に焼き付けておこうと思いました。大関稀勢の里(一月場所)と太刀を持ち綱を締めた横綱稀勢の里(三月場所)の二枚の優勝額が除幕されました。今日はお相撲よりこれがメインイベントです。





さて土俵入り。「ところで東の正横綱は初日、一番最初かしら一番後かしら」とお友だちが言いました。「どっちかだろうね。今まで気にしたことなかった」と。横綱土俵入りなんて今まではトイレ休憩だと思っていたのです。

きのねが東から聞こえてきます。「ということは最初だ」。
そして純白の綱を巻いた稀勢の里が現れると、管内から怒涛のように声が上がりました。
お友だちのお母様は「立派だ」と言いました。
私は涙が止まりませんでした。
この姿をみたかった。そのために何年待ったことか。何度だめだと思ったことか。でも信じ続けてよかったよ。

続く


五月場所初日・観戦記(その1)

2017-05-15 07:20:31 | 日記


五月場所初日に四人マスが取れたとき、三人で座ろうと思いました。母が足を伸ばせるほうが楽だから、一人分余分に負担して親孝行しようと思ったのですね。ところが当日の朝、母から電話が。風邪を引いたからやめておくというのです。早朝、もう開いている店でイチゴとアイスクリームを買って見に行くと、つらそうでした。

すぐに稀勢の里母仲間にメール。その方がさらにお母さまを誘い、愛甲さんと私、お友だち親子、と四人での国技館となりました。

初日に切符がとれたとき、すごいなと思いました。二場所連続優勝したあとの初日ですから、賜杯返還や優勝額の除幕式など、稀勢の里関連の儀式がたくさんあります。今場所の初日はお得です。

両国駅で愛甲さん、お友だち親子と待ち合わせして国技館へ。ひよの山が場外に出張っています。見事なせりあがりを見せてくれました。





入場するといつもはない手荷物検査。金属探知機まで。ひよの山が場外に押し出されていたわけがわかりました。いつもは色々おいてある正面玄関に絨毯らしきもの、の上に養生。どうやらやんごとなき方がお見えになるようです。

まずはLINE企画のクリアファイルに並びました。だってこんなに魅力的なものなのです(一番上の写真)。愛甲さんはLINEに急きょ入ろうとしましたが、すでにクーポン画面を持っていないと並んではいけないと高飛車でした。並んでからクーポン画面を出すのはだめで、クーポン画面を出さないと並ばせない。大相撲人気を反映して人が押し寄せ、相撲協会が雇った女性警備員はパニックを起こしていました。まあともかく私は並んで無事もらいました。

席に行くと愛甲さんとお友だち親子がすでにお弁当を広げていました。私も稀勢の里弁当を買いに行きました。内容はいつも通りですが(そして私はこのお弁当が味も大好きなのです)写真は綱を巻いたバージョンに変わっていました。



南雲さんがさんざん探してくれたジャポニカ学習帳、ついにここではお目にかかりました。愛甲さんが二冊買っていたので、一冊私にくださいました。



私は横綱キティちゃんの根付を二つ買いました。一つはこよりさんにあげるのです。実はこの横綱キティ雲竜型で、白鵬が横綱になったとき絶対不知火型も出ると思ったのです。でもサンリオはそこまでオタクではなかったようで、不知火型がそろわなかったのが残念だったのでした。でも稀勢の里が雲竜型の横綱になった今、もう一個新しいのを買おうと思いました。


続く