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さて、昭和38年5月19日生まれの私、本日54歳になりました。
若い方には54歳というとどういうものかわからないかもしれませんが、日本相撲協会の八角理事長は私より一か月年下です。今場所初日、八角理事長に説明を受けられていた皇太子妃殿下は私より七か月年下です。そういう年です。昭和の半ばなら、そろそろ定年です。
幸いこの年まで大怪我も大病もなく、仕事も家庭も長続きしております。まずは順調な人生ではないかと思います。それはおそらく要所要所で頑張りが効くからで、なぜ頑張りが効くかというと身体が丈夫だからで、そういうきっかけで身体アプローチに興味を持ち手掛けることになりました。
そして悪口をいっぱい言われるようになりました。それに対抗していくうちに、ギョーカイの仕組みを知りました。支援を受け続けるとグレーの人が黒く染め上げられること、そして国(=共同体)も本人も保護者も望んでいない「縮小再生産」こそがギョーカイ存続方法であること。だからこそ「頑張らせてはいけません」「社会の理解ガー」が行き渡っていること、それを真に受けて人生を棒に振ってしまう人も多いこと、その仕組みに気づきました。
一方で身体アプローチは「当たり」でした。それまでの「大脳皮質だけに働きかける方法」では治らなかった人たちが「生まれつきだから治らない」と信じ込まされてきた人たちが、それでも一次障害を治していくのを見てきました。治るのに、社会の理解は必要ありませんでした。支援もちょっぴりしか必要ありませんでした。「改善するけど治りません」という摩訶不思議な言葉の裏に、どういう仕組みがあるかを知ることができました。
これまで十数年発達障害に関連する本を出してきました。そして自分の年齢を考えると、今の元気が続いたとしてもあと数年だろうなと思います。
ということは
書くべきことは書いておこうと思いました。幸い、今の花風社は売れている本がいっぱいあります。すなわち、売れなくても出すべき本を出せるだけの状況です。
というわけで書き下ろしを書いてます。
タイトルは
発達障害、治るが勝ち!
です。これは決定です。
サブタイトル(仮)は
自分で選んだ人生を歩みたいあなたへ
です。
発達障害は治った方がいい。
その理由の一つは
治れば
自律の度合いが高くなれば
一生を支援者の食い扶持として過ごす。そんな空しい人生を送らないですむからです。
自分の人生を人間として主体的に生きるか。
支援者の生活の糧のために縮小再生産の生き方を強いられ
支援者の固定資産として、支援者のために狭いケージの中に押し込められ、支援者が食む卵を産み続けるめんどりのような生き方を選ぶか。
どちらの生き方も自由です。
考えの違う人が連帯する必要はありません。
それぞれ別の選択肢があればいいのです。
そして花風社は、主体的に行きたい人のための選択肢を用意してきました。
でもね、私がやられるように
色々邪魔が入るでしょ、皆さん。
死んだふり系支援者から。
保護者・当事者仲間から。
治りたい、という気持ちを否定されたり
身体アプローチ、言葉以前のアプローチをトンデモ扱いされてエビデンスガーと言われたり。
頑張らせるのは残酷、と修行を否定されたり。
区分認定が重い方が得よ、と金銭上のおせっかいをしたり顔でされたり。
改善するけど治りませんと言われたり
二次障害ガーと言われたり。
そういうときにそういう人にどう対応すればいいか
その選択肢も、この本の中には示してあります。
そういうのに全部、言い返してあるからです。
なぜ私が言い返せるかと言うと、もって生まれた言語体力が喧嘩を売ってくる相手によって鍛えられたし
私が史上まれなる、「しがらみのない人生」を送ることに成功しているからです。
そう、これが若き日の私の理想で、私はどうやらそれをかなえたようなのです。
そのひとつのコツは、結果論ですけど、一度も公金に群がらなかったからかもしれません。
そして孤独を恐れなかったからかもしれません。
孤独を恐れないで済んだのは
身内の愛が空気のように基底充実を育んできたからかもしれません。
でも皆さんはしがらみをお持ちかもしれませんから
ていうか私よりはたいていの人が持っていると思いますから
私のように言い返さなくてもいいのです。
「治りっこないわよ」「頑張らせてはだめ」「二次障害ガー」「重い方が得」などと言われて不愉快になったときに、心の中で繰り返すだけでラクになる、っていうかすっきりするフレーズをたくさん書いておきます。
あるいは言い返す代わりに
そっとこの本をプレゼントしてもいいかもしれませんね(と営業する)。
とにかく
すっきりした読後感になるでしょう。
では、今日は、お誕生日をお祝いしてきます。
若い方には54歳というとどういうものかわからないかもしれませんが、日本相撲協会の八角理事長は私より一か月年下です。今場所初日、八角理事長に説明を受けられていた皇太子妃殿下は私より七か月年下です。そういう年です。昭和の半ばなら、そろそろ定年です。
幸いこの年まで大怪我も大病もなく、仕事も家庭も長続きしております。まずは順調な人生ではないかと思います。それはおそらく要所要所で頑張りが効くからで、なぜ頑張りが効くかというと身体が丈夫だからで、そういうきっかけで身体アプローチに興味を持ち手掛けることになりました。
そして悪口をいっぱい言われるようになりました。それに対抗していくうちに、ギョーカイの仕組みを知りました。支援を受け続けるとグレーの人が黒く染め上げられること、そして国(=共同体)も本人も保護者も望んでいない「縮小再生産」こそがギョーカイ存続方法であること。だからこそ「頑張らせてはいけません」「社会の理解ガー」が行き渡っていること、それを真に受けて人生を棒に振ってしまう人も多いこと、その仕組みに気づきました。
一方で身体アプローチは「当たり」でした。それまでの「大脳皮質だけに働きかける方法」では治らなかった人たちが「生まれつきだから治らない」と信じ込まされてきた人たちが、それでも一次障害を治していくのを見てきました。治るのに、社会の理解は必要ありませんでした。支援もちょっぴりしか必要ありませんでした。「改善するけど治りません」という摩訶不思議な言葉の裏に、どういう仕組みがあるかを知ることができました。
これまで十数年発達障害に関連する本を出してきました。そして自分の年齢を考えると、今の元気が続いたとしてもあと数年だろうなと思います。
ということは
書くべきことは書いておこうと思いました。幸い、今の花風社は売れている本がいっぱいあります。すなわち、売れなくても出すべき本を出せるだけの状況です。
というわけで書き下ろしを書いてます。
タイトルは
発達障害、治るが勝ち!
です。これは決定です。
サブタイトル(仮)は
自分で選んだ人生を歩みたいあなたへ
です。
発達障害は治った方がいい。
その理由の一つは
治れば
自律の度合いが高くなれば
一生を支援者の食い扶持として過ごす。そんな空しい人生を送らないですむからです。
自分の人生を人間として主体的に生きるか。
支援者の生活の糧のために縮小再生産の生き方を強いられ
支援者の固定資産として、支援者のために狭いケージの中に押し込められ、支援者が食む卵を産み続けるめんどりのような生き方を選ぶか。
どちらの生き方も自由です。
考えの違う人が連帯する必要はありません。
それぞれ別の選択肢があればいいのです。
そして花風社は、主体的に行きたい人のための選択肢を用意してきました。
でもね、私がやられるように
色々邪魔が入るでしょ、皆さん。
死んだふり系支援者から。
保護者・当事者仲間から。
治りたい、という気持ちを否定されたり
身体アプローチ、言葉以前のアプローチをトンデモ扱いされてエビデンスガーと言われたり。
頑張らせるのは残酷、と修行を否定されたり。
区分認定が重い方が得よ、と金銭上のおせっかいをしたり顔でされたり。
改善するけど治りませんと言われたり
二次障害ガーと言われたり。
そういうときにそういう人にどう対応すればいいか
その選択肢も、この本の中には示してあります。
そういうのに全部、言い返してあるからです。
なぜ私が言い返せるかと言うと、もって生まれた言語体力が喧嘩を売ってくる相手によって鍛えられたし
私が史上まれなる、「しがらみのない人生」を送ることに成功しているからです。
そう、これが若き日の私の理想で、私はどうやらそれをかなえたようなのです。
そのひとつのコツは、結果論ですけど、一度も公金に群がらなかったからかもしれません。
そして孤独を恐れなかったからかもしれません。
孤独を恐れないで済んだのは
身内の愛が空気のように基底充実を育んできたからかもしれません。
でも皆さんはしがらみをお持ちかもしれませんから
ていうか私よりはたいていの人が持っていると思いますから
私のように言い返さなくてもいいのです。
「治りっこないわよ」「頑張らせてはだめ」「二次障害ガー」「重い方が得」などと言われて不愉快になったときに、心の中で繰り返すだけでラクになる、っていうかすっきりするフレーズをたくさん書いておきます。
あるいは言い返す代わりに
そっとこの本をプレゼントしてもいいかもしれませんね(と営業する)。
とにかく
すっきりした読後感になるでしょう。
では、今日は、お誕生日をお祝いしてきます。
いつも浅見さんのブログ読みながら、
自分の気持ちを言葉で整理してもらってる気持ちになります。でも中にはすごく攻撃的な記事があったり、しかし時にはこんなにまっとうで真っ直ぐに育った方はいないなとも感じたり…。
そんな浅見さんに会ってみたいなという好奇心と治ったニキさんと藤家さんのお話を聞きたくなり、岡山の講演申し込みました。
今回のブログ記事を読んだだけでもすっきりしたので、新刊絶対買います。
そして、
「発達障害、治るが勝ち!」
力強い後押しをしてくださるようなタイトルに歓喜です。
うちはほとんどギョーカイと関わりなく子育てしてきましたが、
それゆえに自分がとってきた道が正しかったのか不安を持ちながら進んできました。
花風社さんとの出会いがあってから、私は他のどの出版物より、
心の頼みにしてきたなぁと今振り返っています。
前向きに生きようとする発達障害の人を尊重しているのが伝わってくるからです。
ギョーカイ人が出す書物は小難しく、支援してやろうというどこか上から目線で、
読んでいると卑屈になったものですが、
花風社さんの本は活力と希望を感じさせるものでした。
どれだけ拠り所にしてきたかわかりません。
ほんとうにたくさんの本を出してくださって感謝です。
我が子の調子は良いです。おかげさまです。
歩む道のりは少しずつですが、少々のことではへこたれないです。
ありがとうございます。
浅見さんのお誕生日心からお祝い申し上げます。
(同い年かと思ってましたが私の方が一つ年上だったようです。余談ですが…笑)
5/19にちなんで
(5+1)×9=54
おめでとうございます✿◔‿◔✿
家にいるけど不登校じゃないからね〜
僕は友達に 「大地のアスペルガーはだいぶ治ったんじゃないか。」と、言われて嬉しかった。
悪い物は改善させる。
治るものなら治った方がイイ。
痛い所や辛い所は、どんなに立派な人に見てもらって説明されるだけでは楽になるどころか、何にも変わらない。
と、僕は思っています。
ダンスを習い始めました。ジャンルはHOUSE。
華麗なステップが踏めるようになったら、モテモテになるかもしれません。(笑笑)
私もしがらみのある人間ではありますが、それでも言いたいことはあります。
幼少時より現在に至るまで、私は話すことが苦手です。ですが、何とか文章を書くことは出来ます。
中学まで勉強は面白くなかったものの、高校では変人枠の先生がいて授業はわりと楽しかったです。この時も、まだ昭和でした。職員室の先生の机にパソコンもなく、質問引っ提げてよく出かけたものです。話が脱線しましたけれど、新刊は必ず買いますので、引き続きよろしくお願いいたします。
お誕生日、おめでとうございます。
これからも素敵な本、よろしくお願い申し上げます。
爽やかな、気持ちがいい気候のときに浅見さんは外に出てこられたのですね。湿気もない爽やかな5月は浅見さんらしいなぁ、と思うことです。
そして、自分の誕生日に読者が喜ぶプレゼント。新刊の発表ありがとうございます。本当に、治るが勝ち!ですよね。治るための道を選ばず、うじうじしているのが本人なら本人のケツ蹴っ飛ばして目を覚まさせたいですね。本人は治りたいのに、それを食い扶持にするため邪魔する支援者や
我が子の邪魔する保護者にも退場して欲しいですね。新刊がまた、待ち遠しいです。楽しみにしてます。
私も、花風社さん、浅見さんに出会ってから、発達障害に対する考え方や姿勢が変わりました。
修行をすれば治っていくのだと、前向きになれたことが嬉しいです。
どうもありがとうございます。
実は、本を読むことがあまり得意ではないのですが、少しずつ理解しながら読みすすめています。
新刊もとても楽しみにしています♪
誕生日おめでとうございます。
私が読んできた40冊の本は手元に無いのでうろ覚えなのですが「大脳皮質だけに働きかける」内容だったのだと思います。変えて下さったのは浅見さんの出される花風社の本だったのだと思っています。
新刊楽しみにしています!