治しやすいところから治す--発達障害への提言

花風社・浅見淳子のブログ
発達障害の人たちが
少しでもラクになる方法を考える場です。

飛び道具の賞味期限

2017-05-22 08:38:15 | 日記
ギョーカイが啓発になっていると思うものが実は逆効果になっている、というのはよくあることである。ギョーカイ的にはね。でも「社会の理解」は進むのである。「四十男がクマのぬいぐるみ? できればかかわりたくないな~」というのも理解が進むっていうことだからね。

「こんなにつらいんです。だから理解を」はそういう両面を持ってるので、当事者保護者としては得するか損するかわからないのである。あれに困っているんです、これに困っているんですと訴えると「そうかそんなに困っているのか。じゃあかかわらないようにしよう」ということもある。理解が広がってしまったから世の中で余計嫌われる、ということもありうる。

確実に得をするのはスキルがなくても、スキルを磨く気がなくても、「理解が~」と言って社会に責任を転嫁する発言を仲間内でぐるぐる回していれば支援者を名乗れる人たちである。そしてつらさを訴える当事者はその人たちの飛び道具。どうやら飛び道具にも賞味期限があるなあ、というのが十数年経つと見えてくる。

十数年前、就労支援セミナーがあった(今もあるだろう)。今でもギョーカイの重鎮に座っている先生がルサンチマン系飛び道具を各種揃え、世間への恨みつらみをぶちまけさせるという企業の人が聞いていたら雇いたくなくなるような逆効果セミナーであった。でもまあ、当事者保護者の身内がほとんどだったようだからそれほど被害は広がらなかったかもしれない。

重鎮はまだ重鎮のようだが(もっとも私はギョーカイ事情に詳しくないのでよく知らない)、飛び道具の人たちはどこかへ霧散した。見事なポイ捨てである。私からは見えないところに消えて、どこかで地道に働いてくれていたらいいなあ、と思う。

飛び道具として延命を図ると、治らなくなる。そして基本的にはギョーカイの固定資産となった各種支援業者の利用者と同じで、ケージの中で卵を産むめんどりの生を強いられる。
支援者の飛び道具として講演をたくさんこなしながら、汚部屋を維持してテレビにさらすのを見て、私が思ったのは「私はこの家では暮らせないわ」ということである。
当事者性を換金してなおかつめんどりに堕さないためには技術を磨く必要がある。それができない人は容易にポイ捨てされるね。
それを目撃した十数年でもあった。

テレビを見てこんな親子の会話があったらしい。

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今息子と一緒に見てるけど「でもこれって治るよねえ?」って言ってるよ?(笑)
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私が岩永先生の面倒みているバリバリ感覚過敏の、ついでに言うとニキさんのことを大嫌いな当事者をみたとき、岩永先生に言ったのと同じセリフ。「あれって治りますよね?」と言った。客席からちゅん平さんとみてて「あれは治らないわけがない」と言っていたところだったから。岩永先生はアルカイックスマイルを浮かべた。

まあともかくこれからは

小さいころから修行してきて、自分で「治った」と自覚のある子たちが増えていく。
その子たちが語りだすのに、十数年はかからないと私は思っている。
でもそれは花風社の飛び道具になってほしいというわけでもなく、当事者性を売り物にしてほしいということでもない。
できれば発達障害とは関係のないところ薄いところで資質を開花していてくれたらうれしい。
そして、悩んでいる仲間がいたら「僕は治ったよ」と教えてあげてほしい。
治った人がいるのはね、希望だから。
希望に思わない人もいるけど、思う人もいっぱいいるんだ。