治しやすいところから治す--発達障害への提言

花風社・浅見淳子のブログ
発達障害の人たちが
少しでもラクになる方法を考える場です。

木っ端ギョーカイ人

2017-05-21 09:06:45 | 日記
昨日画伯に「発達障害、治るが勝ち!」のアートワークについて相談しました。どんなラフが上がってくるか楽しみです(とプレッシャーをかける)。結婚式と披露宴を二週間後に控えた新婚の絵描きさんに対してひどいことしてますかね私。

肝心の中身の方は、まったく手を付けない日もあります。でも手を付ける日は余裕で100枚行く感じです。どうもそういう生まれ方をするようですこの本は。

昨日も朝からだだっと仕事して、十両が始まるころからテレビをつけてちらちら見ながら仕事。そして幕内になったらぱたんとPCを閉じてお相撲に専念。稀勢の里の勝ちを見届けたあとはジム→温泉→エビスバーへの黄金コースです。そして今朝早く起きてスマホで昨日書いた個所をチェックしました。

朝から大笑いしました。

この本、積年のあれこれから発しているわけで、最初はなんだか息詰まるような感じだったんです。「もっと深呼吸しろよ私」と自分に言いたいような文章が続き、いったん全部消したりしました。私はせっかく暴言力を授かって生まれたので、神田橋先生のように上手にイヤミが言えるようになりたいな~と思っているのですが、まだまだ青いですね。あまりに自分が深呼吸必要な感じだから、だから全く書かない日を設ける感じですよ。

そして書く日はだだっと書くので、意外と早くできそうですが、そのあとが時間かかりそうです。他人にちゃんとチェックしてもらわないと危険な本です、これは。

これまでの本の中でも「ギョーカイ」という言葉は使ったことあります。『自閉症者の犯罪を防ぐための提言』でも使っているし『治ってますか? 発達障害』でも私の発言としては使っています(南雲さんは使っていません。南雲さんは私がギョーカイと言う言葉で指す範囲の人々を別の表現使っていらっしゃいます)。そして「治るが勝ち!」の中でも「ギョーカイ人」という言葉は使います。

「猿烏賊」は使いません。ちょっとハイコンテクストすぎるし。「ギョーカイ」ならまだ「業界」から転じたとわかるけど「猿烏賊」はわけわかりませんもんね。

じゃあ「猿烏賊」に触れていないかというと、触れまくっています。猿烏賊、ギョーカイ、死んだふり、愛着障害。こんなもんが治るのを阻んでいるのを見つけた十数年の成果なわけだから。猿烏賊は因数分解して書いてあります。「エビデンスと心中する人たち」みたいに。心中するのは勝手だけどさ、無理心中は犯罪だよ、っていうことで。

中でも「これはやばいかな」と自分でも思う表現は「木っ端ギョーカイ人」です。さすがにどうかと思う。なぜならこの人たち、基本的に悪気はないからです。ただ自分の頭で考える癖がついていないだけなのね。

ギョーカイメジャー(あ、この言葉も使ってないや)は確信的に「一生治りません」と言います。だから岩永先生はギョーカイ内村八分を恐れて主催者に頼まれても「自閉症児の脳を育てる」という題の講演ができなかったわけです。花風社に至っては自閉症児の脳どころか人間脳を育ててしまっているのですけどねはははははは。

ギョーカイメジャーに対し木っ端ギョーカイ人は、実は発達障害が治るかどうかなんて考えたことはないのです。でもえらい先生たちが「治らない」というからそれをオウム返ししているだけなのです。バカと言えばバカですが、その人が当たり前の人類愛を持っている場合には、ここから崩していくこともできるのです。ギョーカイに染まっていないと「治ったらいいなあ」って思うのが自然な人類愛だからです。

木っ端ギョーカイ人と交わした会話を現行の原稿には書いてます。というか私は色々な場所で様々な木っ端ギョーカイ人たちとこういう会話を交わしているのです。これ、没になるかもしれませんから前後の地の分も一緒にここに転載しておきますね。

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 でもギョーカイの全員が悪人ではないのだ。先ほどは名だたるギョーカイ人たちの言い訳と保身の画策っぷりを思い出して書いてみたが、そこまで確信犯ではない木っ端ギョーカイ人もいる。その人たちの多くは「発達障害は治らない」と信念を持っているわけではない。大物ギョーカイ人たちが「生まれつきだから一生治らない」というものだから、なんとなくその言葉をオウム返ししているだけなのだ。だってさ、えらい人が言うから信じるし、その辺えらい人に合わせておいた方が無難だからだ。支援者自身はね。
 問題なのはこういう木っ端系の人も世間との橋渡しを担っていて、「一生治りません、配慮を」を外の世界に伝えてしまい、そのせいで損をしているのは発達障害のある人、その家族かもしれない、ということである。ハンセン氏病の歴史を見てほしい。差別がなくなってきたのは人々の人権意識が高まったから、だけではない。感染しないことがわかったこと、そして実際に治るようになったこともまた大きい。だから「一生治らないわけではない」ことこそ、社会に知っておいてもらった方がいいのである。
 だから私はこういう「確固たる信念はないみたいだけど罪の意識もなく『生まれつきだから治らない』と言いふらしてしまっている人」と会う機会があると、揺さぶりをかけておくことにしている。

浅見「生まれつきだから一生治らない、とは私は思っていないんですよ実は」
木っ端「そうなのですか? でも生まれつきの脳障害でしょ?」
浅見「脳障害、っていうのがもう変わってきているんだけどね~。でもね、じゃあ『生まれつき』っていつから? いつ始まると思います? いつからが生まれつきだと思います?」
木っ端「……ええと…… お母さんの中からおぎゃあと出てきたとき?」
浅見「じゃあ、お母さんのおなかの中ではどうだったの? 『生まれつき』は始まってなかったの?」
木っ端「う~ん」
浅見「お母さんのおなかの中では胎児だったでしょ。その前は受精卵だったでしょ。その前は精子と卵子だったでしょ? じゃあ生まれつきってどこから始まったの? 精子のときから発達障害の精子だったの?」
木っ端「う~ん」

「生まれつきだから一生治らない」となんとなくオウム返ししている人も、実はその根拠は薄いのである。えらい先生がそう言っている。実際治った人を見たことがない。たいていその程度のものだ。だから「身体アプローチやっている人はなんだか一次障害治ってるよ」と話すと、意外と話を聞いてくれる(こともある)。そして「脳機能障害」というよりも「神経発達障害」という定義の方が新しいことも意外と知られていないので、教えてあげるといいかもしれない。

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さてここはチェックを潜り抜けることができるでしょうかね。
皆さん出来上がりをお楽しみに。

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1 コメント

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ここにきてアンケート回答の補足をする必要があると思いました。 (朔亥未己)
2017-05-21 11:42:53
先日のアンケート、発達障害者支援センターが役に立ったかたたないか、で、私は括弧付きで役に立ったと答えました。

新刊の原稿になるであろう会話文を読ませていただいて、思い出したことがあります。

わたしは、わたしの担当医、担当支援員、ハローワークの窓口担当者の発達障害者観については、全く信用していなかったということです。

アインシュタインやエジソン系の台詞が出てきても、私はそれ系の会話をスルーして仕組みだけ利用しようとしていました。

何故かというと、私は私の好きなことをして食べていこうとした20代に、仕事をむきあって壁にぶつかって、その壁がどういうものなのか理解できなくて病ん

だという経緯がありました。アートやデザインに関する分野でです。

社会が何の努力もしないアインシュタインやエジソンや無名のアーティストを生み出すことに貢献するために労力をかけるということは有りえない、ということ

は肌身で理解していましたので、彼らの言葉は恐らく研修や講演会等で吹き込まれたであろうセールストークであろうとは判断していたのです。

でも、彼らはその職業に就いた人々として無能ではありませんでした。私が行きたいと望む方向で利用できる仕組みについては医師として、センターの職員

として、ハローワークの窓口として、一般的なやり方で利用者を適切な方向につないでくれました。

彼らは、発達障害の支援者として私を助けてくれたわけではなかったのでした。
その職業に就いた職業人として、助けを求めてきた人間を助けようとしてくれただけだったのです。

もし、発達障害者支援センターがなくても、援助の仕組みが残るのなら、
センターは要らないかもしれません。
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