誰しも、価値観のかけ離れた他人がとる行動というのは謎で、それを見たときにあれこれ理論づけて納得しようとするのだと思います。
そしてギョーカイに関して私はそれをやっている。独断と偏見を振り回しているわけですが、それを支持する人もまた多いわけです。どうしてかというと説得力があるから。説得力を生んでいるものは私の言語能力ではありません。皆さんがギョーカイに一度は期待し失望したその失望感が、私の独断と偏見に説得力を与えているのです。
先日の記事にいただいた発芽玄米さんのコメントを貼らせていただきますね。
=====
ザ・とっちゃんぼうや! (発芽玄米)
2017-05-15 04:35:31
はじめまして。
いつもは、浅見さんのツイッターやブログを拝見しているだけですが・・・
こちらの記事、私の経験とほとんど同じで、思わず笑ってしまいました。
私も「とっちゃんぼうや」と命名してます!
息子の件で一瞬だけ関わってしまった、支援センターの所長です。
「件数」だけ増やしたい、来る者は拒まず、来た者は全て真っ黒にする。
あちこちの勉強会やらで講師をしたり、いろんな団体で“長”の付く役職に就いては、それを自身のセールストークにして、ふんぞり返ってました。
でもその実態は、地元の社会福祉法人の一職員にすぎません。
私の居住地はかなりの僻地で閉鎖的な田舎です。地域一帯の市町村が、この社会福祉法人に一括して障害者関連の支援事業を委託しているため、この法人が地元で困って悩んでいる親子を食い物にして、甘い汁を吸い取っている状態です。
まさに「無駄な公共事業」。
その「とっちゃんぼうや」のお陰で、子どもが良くなりました!と喜んでいる保護者が多数いるのですが、実態を聴いてみると、うまい具合に支援施設を利用させられているだけの様子です。
最近の流行は、
中高生に「放課後デイ」を利用させ、小さい子たちの面倒を見させる→人気者のお兄さんになる→本人は頼られてうれしい→小さい子たちは指導者よりもお兄さんの言うことをよく聞く→指導者(スタッフ)は仕事がラクになる→そして、中高生の親は放課後デイの利用者(つまりお金を払っている側)なのに、「うちの子は、放課後デイのお手伝いをしに行って、いきいきしている。」と大喜び。
→卒業後は就労支援に通い続けるも、なかなか就職できずに月日は流れる。
・・・いいように利用されていることに当事者側が気づいていない。
これからも楽しい記事、ためになる記事、よろしくお願いします。
もちろん、花風社の書籍も楽しみにしています。
=====
この場合は私がセンター職員を見て抱いた「とっちゃんぼうや」という表現にぴんときてくださった発達障害者支援センター体験が、発芽玄米さんにあったわけですね。
福祉の世界は
・なるべくたくさんの人が
・なるべく長い間
・なるべく重い障害に
とどまってくれるのが利益につながるから、そりゃああちらはそうします。
でも中には、上手に必要な時だけ利用してより自由な生き方につなげているという人もいる。
私はそれを提言しているわけです。
そして私の提言にどれだけ頭に来ても、ギョーカイが何も言ってこない、私の首を取りに来ないことを私はよく知っているのです。
なぜなら彼らの資質は「死んだふり」だから。
ギョーカイ人の「死んだふり」という資質に私はかつて被害を受けました。皆さんも現在進行形で被害を受けているでしょう。
でも私は、その「死んだふり」を活かして、お伝えすべきということを皆さんにはっきりお伝えしているのです。
☆
そしてギョーカイに関して私はそれをやっている。独断と偏見を振り回しているわけですが、それを支持する人もまた多いわけです。どうしてかというと説得力があるから。説得力を生んでいるものは私の言語能力ではありません。皆さんがギョーカイに一度は期待し失望したその失望感が、私の独断と偏見に説得力を与えているのです。
先日の記事にいただいた発芽玄米さんのコメントを貼らせていただきますね。
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ザ・とっちゃんぼうや! (発芽玄米)
2017-05-15 04:35:31
はじめまして。
いつもは、浅見さんのツイッターやブログを拝見しているだけですが・・・
こちらの記事、私の経験とほとんど同じで、思わず笑ってしまいました。
私も「とっちゃんぼうや」と命名してます!
息子の件で一瞬だけ関わってしまった、支援センターの所長です。
「件数」だけ増やしたい、来る者は拒まず、来た者は全て真っ黒にする。
あちこちの勉強会やらで講師をしたり、いろんな団体で“長”の付く役職に就いては、それを自身のセールストークにして、ふんぞり返ってました。
でもその実態は、地元の社会福祉法人の一職員にすぎません。
私の居住地はかなりの僻地で閉鎖的な田舎です。地域一帯の市町村が、この社会福祉法人に一括して障害者関連の支援事業を委託しているため、この法人が地元で困って悩んでいる親子を食い物にして、甘い汁を吸い取っている状態です。
まさに「無駄な公共事業」。
その「とっちゃんぼうや」のお陰で、子どもが良くなりました!と喜んでいる保護者が多数いるのですが、実態を聴いてみると、うまい具合に支援施設を利用させられているだけの様子です。
最近の流行は、
中高生に「放課後デイ」を利用させ、小さい子たちの面倒を見させる→人気者のお兄さんになる→本人は頼られてうれしい→小さい子たちは指導者よりもお兄さんの言うことをよく聞く→指導者(スタッフ)は仕事がラクになる→そして、中高生の親は放課後デイの利用者(つまりお金を払っている側)なのに、「うちの子は、放課後デイのお手伝いをしに行って、いきいきしている。」と大喜び。
→卒業後は就労支援に通い続けるも、なかなか就職できずに月日は流れる。
・・・いいように利用されていることに当事者側が気づいていない。
これからも楽しい記事、ためになる記事、よろしくお願いします。
もちろん、花風社の書籍も楽しみにしています。
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この場合は私がセンター職員を見て抱いた「とっちゃんぼうや」という表現にぴんときてくださった発達障害者支援センター体験が、発芽玄米さんにあったわけですね。
福祉の世界は
・なるべくたくさんの人が
・なるべく長い間
・なるべく重い障害に
とどまってくれるのが利益につながるから、そりゃああちらはそうします。
でも中には、上手に必要な時だけ利用してより自由な生き方につなげているという人もいる。
私はそれを提言しているわけです。
そして私の提言にどれだけ頭に来ても、ギョーカイが何も言ってこない、私の首を取りに来ないことを私はよく知っているのです。
なぜなら彼らの資質は「死んだふり」だから。
ギョーカイ人の「死んだふり」という資質に私はかつて被害を受けました。皆さんも現在進行形で被害を受けているでしょう。
でも私は、その「死んだふり」を活かして、お伝えすべきということを皆さんにはっきりお伝えしているのです。
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