![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/50/8b/8638cb4e2ab05e95d560d6df5fa7eecd.jpg)
お盆が終わり、倉庫と印刷所が開きました。
まず手配するのは「治ってますか? 発達障害」の増刷。
この夏も南雲さんの活躍はすごいです。全国あちこちで講演。
昨日は淡路島に講演に行って灰谷さんと初対面。ツーショットがFBに載ってて、暑苦しいやらいかがわしいやら(ほめてます)、見ててうれしくなりました。
当事者系の講演て、率直に言って、下火になってるでしょ。
その仕組みとしてはたとえば
去年当事者を呼んでその内面を知った人たちが、今度は対応法を知りたくなるんですね。理解が進むからこそ、今度は治し方が知りたくなるの。それが普通の感覚ですよ。
そんなわけで「今度は誰か治す人」というリクエストを受け栗本さんを推薦したり。
「じゃあ浅見さんもご一緒に」ということで公開かわいがりを10月に愛知でやりますよ。
もうすぐそれも告知出しますね。
灰谷さんは全国飛び回ってるし。
そこでまた本が売れるし。
暑苦しいお兄さんやいかがわしいおっさん(ほめてます)が活躍してくれるので
私は地味にガリガリ君をかじりながら、次の本をせっせと作っているのですよ。
こうやって流れは当事者講演→治す人講演
に移ってきたなあというのが私の観ている景色ですが
ギョーカイの飛び道具になってる「生きづらさを商売にしている人」はやはり仕事先細りでしょうね。
なぜならギョーカイそのものが縮んでいっているから。
当事者保護者の中にも当然、「社会に理解ばかり求めていても生きやすくなんかなんないんじゃない?」っていうことに気づく人が増え
その人たちの受け皿になる情報もきちんと用意されているからです。花風社もその一端を担ってます。
こうやって「当事者の声を聴こう」という流れが先細っている中で
南雲さんは需要が多いなと思います。それはそうでしょう。当事者性だけを売り物にしているのではないし、ギョーカイではなく社会と向き合っている。先日も横浜の先生たちの集まりに呼ばれた帰り、地味に本を作っている私のもとに新潟土産を持って寄ってくれました。(ブ)な会話を重ねながら二人で立派な酔っ払いになって楽しい時間を過ごしましたよ。
なんだっけ。
そうそう。当事者講演先細りだけど南雲さんにはオファーがいっぱい来ている話。
それとね、「当事者の内面を伝える」ことがフルタイムの職業として成り立っているのはなんといっても東田直樹さんですね。
南雲さんと東田さん。オファーが多いこのお二人。共通点といえば、ギョーカイ寄りじゃないことです。ていうかはっきり言うと、ギョーカイ系の仕事はしていないよねあまり。
東田さんなんて日本が誇る自閉っ子系世界的作家ですよね今や。それがさ、自閉症協会とかJDDとか全然騒がないでしょ。ていうか、「無視している」感じですよね。彼らはね、気に食わないんです。自閉っ子が活躍するのは気に食わないんです。自分たちの支援していない人が活躍されると、おまんまのくいっぱぐれになりますからね。だから無視するんです。いないことにするんです。でもさ天才説とか唱えるでしょ? でもね、よく見てください。彼らが天才としてもてはやすのは
・外人
・死人
のどちらかなんです。それ以外の人が活躍するとね、伝家の宝刀「偽者扱い」が始まるんです。
なんてことは常々考えていたんですけど
どうやらギョーカイ中のギョーカイ
2016.08.08第57回日本児童青年精神医学会総会 教育セッション <当事者との対話>「東田直樹氏+山登敬之先生」
という講演に東田氏が登壇するという話を私は、吉川徹のこんなツイートで知りました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/50/26/20b7631a9ed16f368c4f7979d848fc1c.jpg)
そして
「吉川徹、相変わらず鬼畜だな」
と思いました。
(吉川は私の発言をかつてめちゃくちゃに切り貼りして好きなように使っていたから、私もそうさせてもらいますね)
吉川がここでほめたたえている学会の対応はこれ。
私のFBFのおひとりはこれを読んで
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「なんという社会性の障害。
よくもこれだけ人を侮辱することを公然と書けるもんだ」
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と言っていましたが、本当です。
これを「東田氏に無礼だ」と思わない感覚は人としておかしい。
その「人としておかしい」人たちが発達障害医療のてっぺんにいるのなら
彼らに発達障害者を生きやすくする方法が見つけられないのは当然だと思いますね。
この学会の対応につき、私のFBFから寄せられたコメントを紹介させていただきます。
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「心がとっても痛いです」
=====
「理事会決定を読んで、あほか、と思ってしまった次第。アメリカに居て、英語が話せない人は、考えももっていない、コミュニケ―ションもできないと短絡的に考えていることと同じレベル。
自分たちが納得できない、分からないことは、全て否定。本当に本当に困ったちゃんです」
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この二つのコメントは保護者の方から。重度のお子さんをまっとうに育てていると内面が豊かなのはわかるし、それを代弁する方法を手にした東田さんを偽者扱いなどしないのですよ。
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「あの学会の人たちは、彼を見ても触っても理解しないでしょうね。
治らないから、児童青年精神医学会には社会の理解が必要ですね」
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これは支援の手を離れた当事者の方から。なぜ支援の手を離れたか。それは支援者にあまりにも社会性がないからです。堂々とこの文章を載せる学会。それを喜ぶ吉川徹。どっちも鬼畜です。誰もさあ、鬼畜の世話になりたいとは思わないでしょ。
次のコメントは教育現場から。
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そもそもこのような議論は、東田さんに依頼をかける前にされるべきことのような気がするのですが。
ただ、医者でもない私が思うことは、医者だからこそ、できるだけ多くの情報を得て、エビデンスの有無ではなく、ただひたすら、それが目の前の患者を治すことにつながるかどうか、日々学び続けてほしいと思います。
ここまでの上から目線というか、究極に偏った考えしか持てない医師に、血の通った、一人ひとりみな違って生きている人間を、治すことはできないのかもなあ、と思いました。
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これに対する私のレスはこうです。
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それなのです。
彼らは絶対治さない。
人間扱いしていないのですから。
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別の保護者。
やはり重度のお子さんのお母さま。
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酷すぎて言葉になりません。
もう、医療には何も期待したくないです。
ただ、これをポジティブにとらえるなら
偽者だと思われるくらい
東田さんが治ったということ
そして、自閉症スペクトラムの人の内面の豊かさが実はあるのだということ
そこが証明されたようなものだから
私は子どもの可能性をさらに感じます。
それくらい、東田さんは発達したのだと思いました。
東田さんが辞退されて
ある意味良かったと思います。
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そうなのですよね。私はこの学会の無礼千万な文章を吉川が嬉しそうにリンクしているのを見たときにとっさに、東田さんはどうなさるだろうと思っていました。結果として辞退されたこと、立派だと思いました。主体性が育っていらっしゃると思いました。
うちの著者なら当然私は辞退を促します。決めるのは本人ですが。
たとえば藤家さんを呼びたい人がいて、そのあと藤家さんが本物かどうか学会内で議論が巻き起こる。その結果「藤家さんを本物と暫定的に認めてあげたので、登壇してもらうことにした」と学会のHPで発表する。そうしたら藤家さんはどう思うでしょう。侮辱に思いますよね。それでもハイパーりちぎだから嫌悪感を抑えて登壇しなければいけないと思い込んでいたら私は「そんな無礼な人たちのところ行かなくていいと思う」と言うと思います。藤家さんに置き換えたらわかりやすいでしょ?
それを東田さんに置き換えて理解しようとしない理由は二つしか考えられない。
・重度の人を侮っている
・学会全体に社会性の障害がある
のどっちかです。
あとは、実際に東田さん親子とお食事をした経験のある方からの貴重なコメントです。
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一緒に食事をしたとき、お母さんが談笑しているのを見た直樹さんが「楽しい」と言っていました。
家族間では掌に文字を書いて意思の疎通ができますが、周りの人にわかりやすいように手書きの文字盤を使って会話をしてくれています。
文字が書けるようになるまでの努力も
普通小学校に五年間一緒に通ったことも
簡単なことではなかったはずです。
そういう親子(家族)の軌跡を知ろうともしないで
勝手に決めつけておいて講演させてやろう。
どこまで世間とズレているのでしょう。
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この「世間とのズレ」ね。
だから医療は発達障害を治せないんです。
なぜなら発達障害が治るっていうことは、社会の中に居場所を得るっていうことだから。
かろうじて医師免許があるから居場所を確保している人たちに発達障害が治せるわけがない。
そしてこういう人たちは
生きづらいだろうなと思います。
医師免許があったからかろうじて生きていけるけど
ないとどんなにこの世はつらいだろうなと思っているかも。
でもそれは、社会が厳しいせいではないのです。
彼らに人間らしい思いやりがないから人に嫌われるだけです。
私たちは
もっと広い社会に目を向けて生きていきましょう。
恥知らずにも、ほどがある。
ことわられるのは、当然です。
だから、こんなにも失礼なことが平気でできるのでしょう。
でも、人として見られていないのは、彼らの方かもしれませんね。
だって、彼らが東田さんにした行為が「人でなし」なのですから。
東田さんが「辞退」という自己選択をされたことが、私達の目指すべき姿だと思いました。
見ているから出てくる言動ですね。
読んでいてこちらの気分が悪くなってきます。
こんな考えの人たちが、先生と言われ崇められ...
エビデンス、エビデンスとエビデンスばかり
集めて治さないなら、コレクターと一緒ですよね。
全く腹立たしいです。
傀儡とモルモット以外、この手の連中は求めていないことがよく理解できる記事でした。
それにしても、
「鬼畜共」から「ニセモノ認定されること」は、
治った基準の一つとして非常に優れていると思います。
マイナスを2回かけたらプラスになるのですから。
しかもなぜかこの状況を謎の斜め上の精神勝利をかまして「内輪褒め」とか言ってますね。意味が分かりません。心の中では「まずい」って分かってるんだけどものすごく小心者だから自分が今回の問題に直接関わっている風でもないのになぜか他から叩かれるのをけん制する意味で書いてるのかなあと思ってもみたりしましたが正直よく分かりません。単におばかさんなだけでしょうか。
おそらくこの学会全体も、吉川と同じように、あの文書をぬけぬけと東田さんの目のとどくところに置くことが、いかにその他の者も傷つけるかを想像できなかったのだと思います。
昨日はここもお客が多かったですから、きっと普段はここを見ない関係者もお出ましでしょう。その人たちにどうぞ、保護者からノーを突きつけてください。観ている皆さんも、この場をどんどん利用してくださいね。
この鬼畜たちが育った時期にはポケモンGOはなかったでしょうから、きっと夏になると虫取りに励んだでしょう。そして殺してピン止めして分類して悦に入る。それを人間に対してもやっているんですね。私は昭和大学烏山病院の有名な先生が当事者のことを「あたり」と「はずれ」に分けていてびっくりしたことがあります。こういう病院にはかかりたくないもんだなと思いました。
たしかに!
鬼畜から偽者認定されてこそ、生きやすさを獲得できますね。