治しやすいところから治す--発達障害への提言

花風社・浅見淳子のブログ
発達障害の人たちが
少しでもラクになる方法を考える場です。

ギョーカイ最大の発明品

2017-05-04 13:35:42 | 日記




さて、連休中はゆるいネタで~とか思っていたのですが、昨日またすごく大きな気づきを読者のメールからいただきました。

「二次障害で不登校になり~」とさらりと書かれていたので「それって一次障害では?」とお返事して、さらにやりとりに発展したのです。


私は何度も「早期診断・早期介入」+「生涯にわたる支援」で得をするのはギョーカイだけだと指摘してきました。


ではものすごく重い人はどうでしょうか?
ものすごく重い人にはたしかに、「早期診断・早期介入」して「生涯にわたる支援」が必要です。ただギョーカイの市場拡大運動にのっかって、その対象の人数を広げるといろいろな意味で本当に必要な人が押し出されますから、ギョーカイの謳う「早期診断・早期介入+生涯にわたる支援」で得をするのは結局はギョーカイだけです。重い人も損します。軽い人はもちろん損します。

私が読者の方に「不登校は二次障害ではなく一次障害では?」と指摘したのは
過敏性や周囲からの違和感で不登校になるのなら、それは明らかに二次障害ではなく一次障害だからです。
けれどもギョーカイは「不登校は二次障害」という決まり文句を駆使しなければならなかった。
それを真に受けて、自分でも「二次障害だった」と思うようになり、人に説明するのにもその言葉を使う。

ならばなぜ私が「一次障害では?」と質問するか。
一次障害と考えた方が手が打てるからです。
なのになぜギョーカイは二次障害と言い続けるのか。
二次障害ならすべてを周囲のせいにできるからです。
そして自分たちの「早期診断・早期介入」によって未来の不登校が減らせると行政及び保護者にセールストークできるからです。

だったら支援が拡充された今、発達障害児の不登校はなくなったんですかね?
そうでもないようですし、ギョーカイ人だって「学校なんて行かなくていい」の人もたくさんいますよね。


たしかに早く特性がわかった方がいいこともあります。
たとえば
「人間脳を育てる」P13のポーズを就学前にクリアしておけば、それだけでも不登校のリスクは減ります。

でも診断がついて、不登校を周囲のせいにしてもらって
いわば大手を振って不登校になる人も多いようです。不登校に理由が与えられるのですね。学校にいけないのは、理解しない周囲のせい。ギョーカイは不登校にお墨付きをくれる。だから「診断があれば不登校は回避できた」は間違いです。診断があったとしても、「人間脳を育てる」P13のポーズが就学前にできなければ学校が耐えがたくなるかもしれません。できるために修行が必要で、修行がなければ不登校になるかもしれません。そしてギョーカイは修行を推奨しません。なぜ修行を推奨しないか。ここでまた「二次障害」が出てきます。二次障害は修行しなくていいかっこうの口実を与えています。



ギョーカイの決まり文句は、思考停止をもたらします。
私も思考停止をしてきたから、自信をもって言えるのです。
私が真に受けてきた決まり文句のひとつが「二次障害にならないように」です。
私もかつてはギョーカイの分ける一次障害と二次障害をやすやすと受け入れていました。

最初にそれが違うと指摘してくれたのは、実はニキさんです。
ニキさんは怖がりです。不安の強い人です。私はそれを、二次障害だと思っていました。
けれどもそうではない、と珍しくニキさんが食い下がったことがあったのです。ニキさんは基本省エネだから食い下がるなんて珍しいと思ったのでよく覚えているのです。ニキさんにとって不安は一次障害であり、そして身を守るすべでもあったので不安症であることに全く否定的でもなかったのだと思います。恐怖麻痺反射やなんかについて知った今、どういうことかなぞが解けました。

その次は実はYTが間接的に教えてくれました。
彼があれをやったとき、多くの人が「二次障害だから」と言いました。それは「自閉症のその本性として犯罪志向はないのだ」と主張するためでもあり、また「迫害されてきた」と主張するためでもありました。けれども私はいじめた覚えはありません。いまだに面識がないのですからいじめることはできません。私はただ普通に赤心をもって活動していただけです。第一、あの犯行をもたらしたのが二次障害なら治せばいいではないですか。一次障害は生まれつきだから治らないけど、二次障害は治せるんでしょ?

ところが治せないんです。
ギョーカイには二次障害も治せないんです。
治せないからこそ、とても恐れるのかもしれません。

内山医師は治せませんでした。
一次障害は治らない、二次障害は治ると言いながら、ギョーカイは二次障害をものすごく怖がります。それは二次障害も実は治せないからだとこの件で知りました。

そして神田橋先生に会いました。
先生と話をしながら、先生は凡人である私に合わせて一次障害二次障害と言葉を使い分けているけれども、先生にとってはどっちも同じではないのかと言う気がしました。どっちも治すからです。

思えば「二次障害」はギョーカイに都合のいい言葉です。
これを避けようと呼びかけ修行を回避できるし、治せなくても自分たちのせいではなく社会のせいにできるからです。

二次障害のなまはげに怯え、道を外した人がどれだけ多いことか。
生涯にわたる支援を受け続けている人の在り方と、支援を自分で断ち切った人の在り方をみたらよくわかると思います。

私は今のところ「二次障害はない」と断言する気にはまだなれません。
でも一次障害と二次障害の分け方は、ギョーカイ方式を採用しないことにしました。
ギョーカイは仕事をしない言い訳を、二次障害にかぶせているような気がしてならないからです。

そして従来二次障害と考えられてきた多くのことは一次障害に思えるし
一次障害も治るのがわかったからです。