
(うざったそうな奴め)
以前のブログではおすすめ投稿で碧巌録のことを書いていたけど、積読ばかりじゃ仕方がないと、また手にしてみた。
その序(方回の序)には
所謂第一義 焉用言句
真理というのは言葉では伝えられない。
って言葉がしゃらっと書いてある。
う~~~~む。
唸ってしまう。本当にお坊さんの論理の持って来かたや、筋道の立て方には脱帽してしまう。
そういえば従容録の世尊陞座(せそんしんぞ)も第一則でしたよね。
挙(こ)す。世尊、一日陞座す
文殊、白槌(びゃくつい)して云(いわ)く、諦観法王法(たいかんほうおうほう)、法王法如是(ほうおうほうにょぜ)。
世尊、便(すなわ)ち下座(あざ)す。
拈華微笑 (ねんげみしょう)もまったくこれと同じ仕組み。
西洋流なら、この本を読んだだけじゃ疑問は解消しませんよなんて論理立てはありえないだろうと思う。
西洋風に染まりすぎた僕ちゃんは、これを見て役に立たないのなら、もう少し暇になってからって早速退散しました。
でも日本の伝統文化、禅について知ろうとすれば、必須の本であることは間違いない。棺おけに入って暇をもてあましたら、じっくりとね。
じゃ、今は必要ないかって、いやいや。
ちょうど別な日記で、その必要なわけをレスっていました。
友人から
>
冬は八百万の神々とともに魑魅魍魎の跋扈する季節.太陽の生命力が弱まりあの世の蓋が開くと,漆黒の静寂を切り裂いて死霊達の叫びがきこえる.赤い風車さんの写真を拡大して子細に調べれば雲の合間から地上を見おろす彼らの姿が見えるに違いない.やがて灯火を掲げた異形のものたちが戸口に立ち,おののく人々は供物を捧げる.
オランダやフランドルの各地では,聖マルチヌスの祭日に手作りのランタンを持った子供たちがグループを作って家から家をまわり,戸口で歌を歌って,キャンデーなどをもらって帰るという風習があります.12月5日のシンタクラース祭に次ぐ重要な(子供の)お祭り.フランドル西部ではこの2つのお祭りはごっちゃになっている.
「収穫が終わると、砂糖大根でつくった死者の頭が練り歩きはじめる。魂が、夜、自由に動きまわる権利をもつ季節が始まる。(メシャン,「サンタクロース:伝説の誕生」(原書房,1991,p.130)」
/>
ってレスが来たので、
今は神様は出雲にご出張中。
余計に魑魅魍魎が跋扈しているでしょう。(IMEって便利ね、バッコなんて絶対に書けないもの。
>おののく人々
私はこの時期、神頼みが効かないので、次善の策で仏様にすがろうとありがたい禅籍を紐解いて、睡眠導入剤として使っています。
どうやっても歯が立たないんだもん。
シント・マルテン(この表記でよかったのかな?)ね、キリストさんが難を逃れて秋田にたどり着いたそうで、あっちの方でやっているなまはげはこれの日本バージョンかな?
シント・ニコラースだって、オランダバージョンは船から来るし、馬に乗っているし、中近東の人だから雪橇に乗ることはないよね。
なんてブツブツいいながらも、今年犯した罪を数えて、私には来年があるのかどうか心配しています。
今、鬼の声がしなかった???
ね、「眠られぬ夜のために」
神様がいないこの時期、恐れおののくこの小さな魂を休ませるための、最良の睡眠導入剤!
![]() | 碧巌録〈上〉岩波書店このアイテムの詳細を見る |
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます