夢幻泡影

「ゆめの世にかつもどろみて夢をまたかたるも夢よそれがまにまに」

多摩川雑感  リードと自由を我らにについての一考察

2010年06月22日 16時10分35秒 |   ボクとおいちゃんと ときどきおねえ


おいちゃんのところに来てから、東京にいるときには必ず一日2回、多摩川を散歩しております。
おいちゃんのメタボ腹と、高血圧がちょっと気になるので、一宿一飯の義理を果たそうというボクちゃんの健気な心意気でございます。

ところで、おいちゃんは多摩川までは必ずリードを付けて行きます。
多摩川でも、人がいるとリードはそのまま。
ボクちゃん、自由に走れないのでございます。

でも、今朝もそうでしたけど、誰もいないときにはリードを外してくれます。
そんで、ボクちゃん、ば~~~~っと走って行きたいのですけど、、、、
なんとなく不安。
おいちゃんが見えなくなるとちょっと怖いのです。
これはどうしようもないんですね。



地面にあるいろいろな情報がとてもよく分かるし、必要なんです。どんな子が、いつここを通ったか、元気なのか、何でもよく分かる。それに分からなければボクちゃんたちには困ることがたくさん出てくるのですよ。
可哀想なおいちゃんたちにはそれが分からないんですけどね。

だから、その情報をもっと欲しい。もっと広範囲に調べたい。それには自由に動けなければならない。
自由を我らに、しからずんば死を、、、ほんとうはそうなんですけどね~、
でも不自由もまた、愉しからずやなのですよ。

リードがついているときにはボクちゃん、あっちへふらふら、こっちへふらふら、おいちゃんが見ていてくれるのが分かっているから、安心していられるのです。
おいちゃんは黙ってボクちゃんのやりたいようにしてくれる。

もちろん、叱られることも、教育的指導ってこともあります。
特に、人や車や自転車とすれ違うときには、この指導がよく出てきます。
でも、ボクちゃんはおいちゃんがボクちゃんのためにそうしていることが分かっているから立腹しないのでございますよ。

リードがなければ、もっともっと遠くまで気ままに走ったりできるはずなのですけどね、、、
おいちゃんが、ボクちゃんのほうを見ないでどっかへ歩いて行こうとしていると、もう不安で不安で。
岬でも、リードはついていないけど、おいちゃんが出てくるドアの前から離れなれないんです。
おいちゃんがドアを開けて出てきたときに、すぐに駆けつけられなきゃね。
やっぱり、ボクちゃんにはお釈迦様の手の中ぐらいの自由がちょうどいいのかもしれない。

ボクちゃん、歳の割りには、苦労してきたから、70にならなくっても、則を越えないのですね~
何事にも何がしかの則がなければ、
無作為な自由は、アナーキーではございませんか。
ねぇ、そこの若い人。



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2 コメント

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気をつけるんだよ (イオレス)
2010-06-22 23:11:38
昨今。
多摩川の土手道もカワッペリの道もブンブン自転車を吹っ飛ばして自分だけ良い気分に浸っている方がいます。
チビ太君。
気をつけてね...オイちゃん、ってお伝え下さいね。
チビ太君もだよ♪

あの細い道、2列になってグループで走るのがいました。...無神経、って顔に書いてありましたよ。
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チビ太は (赤い風車)
2010-06-23 05:42:12
あまり車や自転車のいないところで育ったのでしょうか、ほとんど気にしないのです。
国道(といっても岬でしたが)を車の直前を横断したりしたことが2度ほど。私の車は分かっているのでしょうか、家に留守番させておくと、帰ってきたときには、車のまん前に走りこんできます。
今、交通安全を教授中です。
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