お茶の師匠曰く
「庭は枯れ果てた時が一番美しい」
ふんふん、これが日本人の美意識なのでしょうか。
春の若葉のしなやかさ、生まれたての命の持つ美
夏の陽を跳ね返す、したたかさ、剛健な力の美
秋の飾り立てた優雅さ
それぞれに美しいのだけど、日本人ってどこかそれでは満足しないところがあるのでしょうか。
自分の目、心で補い、作り上げる美しさ、そんなものを上と考えるところはないでしょうか。
しばしば書いていますよね。
煌々と光る満月
それよりも、それに雲がかかる、あるいは霞で朧ににじむ月。
そんなのがベターと考えることはありませんか、、、
ただの真ん丸よりも、ちょっと欠けているのを愛でる。
完璧主義者の日本人がなぜって思いますけど、
もしかしたら、不完全主義者のほうがより真実に近い?
もちろん雲のかかる前の月は、完璧以上に完全じゃなきゃ日本人は満足しないのかもしれませんけど、、
以前にも書いたことがありますね。
確か東京のお茶室の庭の話でしたっけ、
綺麗に掃除して、そこへ数枚の枯葉をちりばめる。
もっといえば、侘び寂のお茶だって、このライン上のことなのですよね。
意図してちょっとだけ足りないものを残す。ほんらいは完璧、満点なのにわざと汚点を残す。
そこから、自分の心で完全な物をイメージするのが好きな人種、文化。
なんとなく、日本人ってそんな部分も持っているのじゃないかなって、、、
庭は枯れ果てた時、その庭が若葉、あるいは紅葉で飾られた時をイメージして楽しむ。完全な物を見せられるよりも、そのほうがより楽しい。
師匠の言葉はそんな意味なんですね。