夢幻泡影

「ゆめの世にかつもどろみて夢をまたかたるも夢よそれがまにまに」

今日の天声人語

2009年09月28日 09時33分44秒 | 日記


今日の朝日新聞の天声人語は、薄を活けることから書き出して、私も何度か使った去来の「君が手も混じるなるべし、、、、」の句が続いていました。
プロの小説家や俳人などの綺麗だけど、それだけ? みたいな文章ではない、文字で何かを伝える仕事をしてきた人のさらさらとした書き方、こんな書き方こそ、私の日記のお手本なのですけど、どうも私には、人にお金や協力を願う文章しか書いてこなかったので、このような文章を綴るということが難しいみたいですね。


ところで、薄。
私もだいぶ前に薄を挿していますけど、薄は難しい。
いえ、挿すことではなくて、私の場合は写真がいつも一緒なので、その写真が難しいのです。
薄はすっと高く飾りたいし、そうすると左右の空間にいらないものが入り込みすぎてしまう。
スタジオのように何も置かないバックを作るのは、日常生活の中のメモという私の撮り方ではありませんので、私はやらないことにしています。
もう少し薄が野原を飾るようになれば、自然の中での薄を撮れるのでしょうけど。
天声人語では仲秋の名月と薄になっていますけど、満月でなくとも、月明かりと薄、待ち遠しいですね。


昨日は移動日。いすみから東京へ戻ってまいりました。
途中の山側では薄の花穂がどうなっているのか気になって、上総中野を抜けてまいりました。
山は多少秋らしくなってきたかなと思わせるような木々や草原の緑の変化がありますけど、薄はまだ。薄らしくなるにはもう少しかかりそうですね。


ところで天声人語では、薄を花瓶に投げ込んだって書いてありました。
私も「活ける」って言葉はなかなか使えません。
活花もできないで、活けるなんておこがましいって思ってしまうのですね、
(もっとも、お花にも投げ込みは一つの技なのでしょうけど、私が花を投げ込んだて書いたら、文字通りの、がちゃがちゃなんです)
だから私の場合は、花を挿すであったり、投げ込むになってしまうので、この書き手の方の気持ちがなんとなく分かるような気がして、思わず共感を覚えてしまいました。


昨日のルートでは上総中野駅前を通ります。小湊鉄道といすみ鉄道の終点になる駅ですね。この駅では小湊鉄道といすみ鉄道の両方の列車が見られました。
どちらか一方の列車でもなかなか見ることができないので、ラッキーだったのかな。



木更津までの、秋の色を匂わせてきた山道を走りながら、まだだいぶ間がある紅葉を思うのもまたいすみにいる付加的な特権ですね。
海を楽しみ、山を楽しむ、、、、風景だけでなく、味覚ででも、、、、、




ところで、東京に戻りまして、さっそくベランダを覗きました。
シルバーウィークの少し前からいすみに行き、途中戻る予定が、そのまま居続けておりましたので、やや二週間のご無沙汰。
でも、皆元気にしていてくれました。
行く前に、水挿しから土に戻した紫陽花や、ゼラニューム、三つ葉などは土と合って葉っぱを伸ばしてきています。
バラも、バレリーナやパレードが満開。
ゼラニュームやノボタンもはつらつとしています。
万両は、そろそろ赤い色をつけてくれるのでしょうか。
なかでも予想外の喜びはハイビスカス。花を満開にし、蕾もたくさん。



親はなくても子は育つのですね、、、、

昨夜は水をやりながら、ありがとうって口ずさんでおりました。



今日は敢えてトップの写真をお休みにします。
以前の薄を「挿した」ものをご覧くださればありがたいです。