夢幻泡影

「ゆめの世にかつもどろみて夢をまたかたるも夢よそれがまにまに」

郷愁

2005年12月15日 23時29分58秒 |  あなたの鼓動、華
私の育った家は高台にあり、家の中から遠くの山まで見渡せた。家の下は当時は畑が続いていて、その中に家が点在していた。

土地柄なのか、昔はどこでもそうだったのか、近所の子供が家の敷地で遊んでいても誰も文句を言う人はいなかった。家も平地の家は極めてオープン。道路と家の敷地の境界なんてどこにあるのか誰にも判らない。石垣で区切られていても、それが非常に高い石垣ではない場合は殆ど仕切りの生垣などもなく、ただ地面のレベルがそこなので、土盛りしているというような感じで、閉鎖的なものではなかった。
そんな家ではその家の人とであっても、おやつを振舞われるというようなこともない代わりに、どこで遊んでいても変な目で見られることもなかった。まるでその辺の猫が紛れ込んでいるというような感じだったろう。

ただ子供心にこの家は入っては駄目というような家があり、それは四方を生垣や、高い石垣で仕切られた家。なんとなくその家の結界の意図を感じて、出入り口がどんなに開放的に見えても、そのような家には足を踏み入れなかった。

今でも不思議なのは、裏山の木や花はあまりにも雑多すぎて覚え切れなかったけど、家の前に広がる遊び場になっている家の庭に植えられている木の名前や、木の実がいつなって、食べられるのかどうか、そして好きな花がいつ、どこに咲いているのか全部知っていたこと。祖母や母に教えてもらったわけではない。いったい誰がいつ教えてくれたのか、ほんとうに記憶にないのだ。

椎の木のことはこの前に書いた。山茶花の大木。家にはない薮椿の大きな木。枇杷の木、蜜柑の木、、、、

そして気に入った木や花は、挿し木をしたり、種を取ってきて植えたりしていたけど、そんなこともいったい誰が私に教えたのだろう。


今そんな環境が無性に懐かしい。郷愁を感じている。
でも今そこへ行けば普通の田舎の町が広がっているのを見るだけだろうし、私が当時と同じくらいの年の子供であっても、排他的な人の目を感じるだけだろう。