夢幻泡影

「ゆめの世にかつもどろみて夢をまたかたるも夢よそれがまにまに」

春眠暁を覚えず  孟浩然 再び

2009年02月19日 07時13分31秒 |  漢詩を長崎弁で
二度寝の効果というのが今日のニュースにでているけど、たしかにあの二度寝しているときの、頭が完全に寝ていなくて周りの音や雰囲気がレース越しに伝わってくるような感覚って病みつきになるよね。
おまけに外が少し寒いのを感じているときのあの布団の中のぬくぬく感はなんともいえない幸福感がある。



ところで、このニュースの春眠暁を覚えずのところにリンクが貼ってあるので飛んでみたけど、ボクちゃんのページは見当たらなかった。漢詩を長崎弁でってカテゴリーには入れてあったはずだけど。今探してみたら、やっぱりあったよ。「春曉 孟浩然」 長崎弁の訳に加えて、ボクちゃんのパロディまでサービスしてたじゃんか。

半覚半睡 春おぼろ
鳥も鳴きかう夢の中
春の嵐の過ぎた朝
花の行方が気にかかる
       風車
        (大統領! 天才!!)

なんて、、、


ボクちゃん、やっぱり誰からも注目されないんだね、、、、
寝よ~






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石壁精舎還湖中作

2009年01月11日 21時12分27秒 |  漢詩を長崎弁で


出谷日尚蚤
入舟陽已微
林嶽斂瞑色
雲霞収夕霏

   谷を出でて日尚はやく
   舟に入りて陽已に微なり
   林嶽 瞑色を斂め
   雲霞 夕霏を収む

谷から出てきたときは、まだ朝だったけど
舟に乗り込んだときには、もう陽は陰ってきた
森や谷は暮れなして
雲や霞は夕焼けの光を吸い込んでしまった

   謝霊運の石壁精舎還湖中作(石壁精舎より湖中へ還る)の一部


この詩の本題は、最後にある

意適理無違
  私の心は満ち足りて、自然の法則にそむかず、無理がない

というところにあるのですけど、、、
はて、そこまで悟りを開けるには、私は何回人生をやり直さなければならないでしょうね。



朝、出かけてきたとばってん、
船に乗ったときにはもう夕暮れになっとった
森や谷は暮れてきて
雲や霞が光を吸いこんでしもうた

歸去來兮辭  陶淵明

2008年11月15日 21時24分23秒 |  漢詩を長崎弁で

歸去來兮 田園將蕪胡不歸
既自以心爲形役 奚惆悵而獨悲
。。。。


歸去來兮(かへりなん いざ)  
田園將(まさ)に蕪(あ)れなんとす
胡(なん)ぞ歸らざる
既に自ら心を以て 形の役(えき)と爲し  
奚(なん)ぞ 惆悵して 獨り悲しむ



はよ家に帰らんば 田んぼも畑も荒れてしまいよる
自分の気持ちを形のために犠牲にして 一人でめそめそしとってもいけんじゃろう
。。。。


陶淵明の有名な歸去來兮辭ですよね。
これは前文(序)があり、この詩自体も、ずいぶんと長い詩です。
形ばかりで実のない役人生活に無理に自分を合わせていることに絶望し、家に帰ろうと述べている詩。序にはその辺が述べられています。

そのうち、気力がありましたら、序と全文をご紹介したいですけど、今はここまで。




いすみ(岬)にはもう一月以上も来ていませんでした。
昨夜、こちらに来て、のんびりとベッドに横たわり、体だけでなく、心まで広くなるような気がします。東京の生活が陶淵明のような自分を無理に何かに合わせているということではないのですけど、やはり自然の中にいるという気分がなにか心をくつろがせるのでしょうね。




思いは遠く    古詩十九首 其の九 無名氏

2008年10月07日 11時57分02秒 |  漢詩を長崎弁で

庭に珍しか木があって
緑葉に綺麗か花を咲かせた
枝ば折って花を摘み
あん人ん所に送りたか
香りは胸や袖に溢れとる
ばってん、届けるにはあん人のおらすところはあんまり遠すぎるとよ
ほんとうは、花はどうでもよかと
あん人がずっとおらんけん、そげん風に思うだけちゃ

よかね~
こげん風にボクちゃんのことを想うてくれる人が一生に一人でもよかけん、おってくれれば人生、大往生ちゃね。
何? いつもの台詞と違うちゅうね?
いや~ こげんよか言霊に会たら、こっちも素直にならんといけんやろが。
ばってん、こげん相手に出会うことなんか「見果てぬ夢」ちゅうことは、もうず~~~~っと前からわかっちょるとよ。じゃけん、山ん中にあばら家を買うて一人でしょんぼりと僻んじょるとさ。賑やかか所じゃ余計に寂しかもんね。




庭中有奇樹  
葉發華滋  
攀條折其榮  
將以遺所思  
馨香盈懷袖  
路遠莫致之  
此物何足貴  
但感別經時  

庭中に奇樹有り
葉 華滋を發く
條を攀じて其の榮を折り
將に以て思ふ所に遺らんとす
馨香 懷袖に盈つれども
路遠くして之を致すなし
此の物何ぞ貴ぶに足らんや
但 別れて時を經たるに感ずるのみ


前も古詩十九首でしたね。あれは其の八、そしてこれは其の九。
詩経が紀元前1000年くらいから紀元前600年くらいの間のものをまとめたものにたいして、こちらはそれから700年ぐらい後にできたものというのは皆さんにはもうお分かりのことですよね。
詩経の直裁さに比べれば、読みやすいものになっています。ちょうど万葉集と古今集みたいな感じでしょうか。
五言の詩が発展してきたということも、読みやすさの理由かもしれません。


10月1日に「孔雀草  さて神様はもう出雲に着かれたのかな?」でアップした孔雀草。切花で求めていますけど、まだ元気に咲いてくれています。

将随秋草萎       古詩十九首の八  無名氏  少し追加あり

2008年10月07日 09時20分30秒 |  漢詩を長崎弁で

悲しかね~ あそこで香とる花
今、盛りと咲いちょるあん花も
盛りが過ぎても誰も手を触れんで
秋草のように枯れてしまいよる
ばってん、私のことを心から想うてくれとるとなら
それでん、私は待っとるばい


傷彼蘭花 
含英揚光輝
過時而不采 
將隨秋草萎
君亮執高節 
賤妾亦何為

   古詩十九首 其の八  
   無名氏

痛む 彼の恵蘭の花の
英を含みて光輝を揚ぐるを
時を過ごして採らずんば
将に秋草の萎むに随はんとす
君 亮に高節を執らば
賎妾 亦 何をか為さん

痛ましいのは 薫り高いあの花が
盛りとばかりに輝いていること
時を過ごしても手折らないでは
秋草と同じで、じきに萎んでしまう。
でも、あなたが本当に私のことを想ってくれてるのなら
それでも、私は待ちましょう。


この詩を載せるのは怖かとですよ
なんせMixiのマイミクさんたちをぐさっとやりかねん詩ですもんね
心優しか、ボクちゃんのするこっちゃなか。
じゃけん、どうしようかと思うとったとですけど、
考えてみたら、小野小町の

花の色はうつりにけりないたづらに
    わが身世にふるながめせしまに

はとっくに日記に載せとったとですよね。
でも、な~んも怖かことは起こらんかった。
みんな、必死であれはうちんことじゃなかもんって思うとったとでしょうね~
それに、こんご時世、丑三つ廻りなんちゃ流行らんもんね~ 
ねっ、ねっ、そげんでしょ。

とにかく、みなさん、ご苦労さんでした~
睡眠不足で大変だったでしょうね。



古詩十九首の其の八の最後の三段目
全文は

冉冉孤生竹 結根泰山阿
與君為新婚 莵絲附女蘿
莵絲生有時 夫婦會有宜
千里遠結婚 悠悠隔山陂
思君令人老 軒車來何遲
傷彼蘭花 含英揚光輝
過時而不采 將隨秋草萎
君亮執高節 賤妾亦何為



ここのところ大和詩が多かったのですけど、頼んでいた漢詩をよむのシリーズの
「詩経から魏まで」と「魏晋南北朝・隋」が届きました。
唐詩選の前段にも入っているものもありますので、すでにご紹介したものもありますけど、これから少しづつ古い詩が増えるかもしれませんね。
まあ、このブログの人気、アクセスがますます減っていくことは確実になりましたね。

秋明菊。以前「秋明菊(貴船菊)  Anemone hupehensis var. japonica」でご紹介したものと同じ株です。あの日記は9月19日でしたけど、まだ蕾をたくさんつけていて、これからもたのしまさせてくれます。
でも、白花の秋明菊には派手さはありませんが、この赤紫の花は結構派手な花。なのにそのあでやかさの影になんとなく寂しいような感じを受けるのは私だけでしょうか。
重ね着の薄絹の下の色、染められた色に隠された先染め、先織りの糸の色、ただの赤、ただの緑ではない何かを感じさせる深み。
日本的なものってよく言いがちですけど、BMWの深い茶色や、グッチの赤、果てはこの間まで私を悩まして、最後には軽自動車と取り替えられたファンム・ファタールのマセラッティの鼠色。表面の色がどうということではなくて、目には触れないその下塗りが価値を決めていく。
作品もそうですよね、表面の形や色ではなくて、、、

なんてことは言わないでおきましょう。
派手やかさの中に寂しさ、直線的なもののなかに見え隠れする柔らかな暖かさ、そんな女性にはほろっとしますね。
秋明菊ちゃんも、ボクちゃんのところにくれば、帰ってこない恋人を待つ悲哀はなかったのにね~


漢詩をよむ漢詩の来た道/『詩経』から魏まで (NHKシリーズ NHKカルチャーアワー)
宇野 直人
日本放送出版協会

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陶淵明 挽歌詩

2008年09月16日 21時27分37秒 |  漢詩を長崎弁で


先日の十三夜の日記に李白の詩を頂きました。
お返しに陶淵明の挽歌詩の一の一部と今日の月を;

有生必有死
早終非命促
昨暮同爲人
今旦在鬼録
・・・・・
但恨在世時
飮酒不得足

生有れば 必ず死有り
早終は 命の促さるるに非ず
昨暮 同(とも)に 人爲(た)りしに
今旦 鬼録に在り
・・・・・
但だ恨むらくは 在世の時
飮酒足るを得ず

命あれば、死がある
若くして死ぬのも天命
昨日、一緒にいた人が
今日は、もう天国におる
・・・・・
よかたい、ばってん一つだけ残念かことは
命あるときに、もう要らんちゅうほど酒ば飲みたかった





蝉噪林逾静  蝉もなかんで煩か  いすみ市飯縄寺の蓮

2008年08月04日 11時44分17秒 |  漢詩を長崎弁で


艅艎何泛泛  
空水共悠悠  
陰霞生遠岫  
陽景逐廻流  
蝉噪林逾静  
鳥鳴山更幽  
此地動帰念  
長年悲倦遊  
  入若耶溪
  王籍  

艅艎(よこう) 何ぞ泛泛(はんはん)たる
空水 共に悠悠
陰霞 遠岫に生じ
陽景 廻流を逐う
蝉噪ぎて 林逾々静かに
鳥鳴きて 山更に幽なり
此の地 帰念を動かし
長年 倦遊を悲しむ


綺麗か船が水面にゆらりゆらり
空も水も ゆったり

遠くの山には黒雲がかかって
川には陽射しが水の流れを追っている

蝉の声が林の静かさを際立たせ
鳥が鳴くと山の幽玄さがます

ここにおると田舎が恋しうなる
果てしない長旅の憂さが身に沁みて悲しか


芭蕉の奥の細道の立石寺の「閑さや岩にしみ入るせみの声」の原典ですね。
奥の細道には「、、、山上の堂にのぼる。岩に巌を重ねて山とし、松柏年旧り、土石老いて苔なめらかに、岩上の院々扉を閉ぢて物の音きこえず。岸をめぐり、岩を這うて仏閣を拝し、佳景寂寞として心すみ行くのみ覚ゆ」とあります。

私は「佳景寂寞」どころか、大都会、東京に戻りました。
蝉は鳴いていない。
工場と、家の建前の音が聞こえてきます。
後ろは川、舟はありますけど、カヌークラブの練習とかで、必死にあめんぼう見たいに走り回っています。


違った意味で、岬が恋しくなる。

前回はいすみ市環境と文化のさとセンター の蓮をアップしましたけど、今回のはいすみ市和泉の飯縄寺(いずなじ)のものをアップしておきます。




尽日無人看微雨  杜牧  今日も雨たい

2008年05月30日 22時18分40秒 |  漢詩を長崎弁で
       

菱透浮萍緑錦池   
夏鶯千囀弄薔薇   
尽日無人看微雨   
鴛鴦相対浴紅衣   

   杜牧
   斉安郡後池絶句

菱は浮萍を透す 緑錦の池
夏鶯千囀して 薔薇を弄す
尽日人無く 微雨を看れば
鴛鴦相対して 紅衣に浴す

緑の錦を織ったような池に浮かぶ菱の花
鶯がバラの花を見ながら歌っちょる
一日中、誰も来んけん、黙ってそぼ降る雨を見ちょるとよ
おしどりの夫婦が、じっと見つめあいながら、赤い蓮の池に浮かんじょる

岬には菱や蓮の浮かんだ池はありすぎるほどたくさんあります。
鶯は早朝から喧しく鳴き叫んでいます。
初夏のバラは今が一番美しいとき。
あっちの家、こっちの庭で咲き乱れています。
誰も来ないのも、詩のとおり。
今日は、一日雨でした。
おしどりは最近見ないけど、蓮の花はもう満開。

考えてみれば、杜牧の詠う夢のような五月の雨の日は、この岬の風景そのもの。
今日は初夏の雨を満喫しました。


追記
ばってん、天気予報では明日も雨。
三日も降られては、刃物は要らぬになってしまう。
だんだん心配になってきた。











葉上秋光白露寒    郡中則事  羊士諤

2007年12月23日 19時15分03秒 |  漢詩を長崎弁で

以前漢詩を長崎弁でというので、いすみ市の蓮池を紹介しています。

>>
郡中則事
  羊士諤

紅衣落盡暗香殘
葉上秋光白露寒
越女含情已無限
莫教長袖倚闌干



紅衣落ち尽して暗香残れ
葉上秋光白露寒し
越女情を含むことすでに限りなし
長袖をして闌干に倚らしむるなかれ

赤か着物を着た蓮の花 花びらは落ちてしまい、香りも失せた
葉っぱには秋の冷たい光が白露を光らせているだけ
あん美人さんは遠い国から来て、胸の中にはやるせかな思いで一杯やろうね
一人で長か袖を欄干によらせちゃいけんとよ

でも、この詩にはこちらの写真がもっとふさわしいのではないでしょうか。
いすみ市とんぼ沼(とんぼの沼)
改訂版です。


早冬 いすみ市  つらぬきとめぬ玉ぞ散りける

2007年12月14日 13時34分45秒 |  漢詩を長崎弁で
「早冬」なんて言葉ないとおっしゃる貴方。私のブログの10月24日を見てください。かの白居易大先生もこの言葉を使ってらっしゃるではありませんか。

十月江南天氣好   
可憐冬景似春華  

南国は十月でも天気がよか
冬ばってん、春のようによか天気

こちら、いすみ市では12月も中旬なのにまだ晩秋から早冬の風景です。



今朝の白鳥騒ぎのおまけをここにアップしておきます。
お題は??? そうですね~
「時は冬、朝7時、片丘に露満ちて」
なんか違うし、長すぎる?
なら止めときましょう。
ボクちゃん、素直だから。



今朝のとんぼ沼からすればだいぶ霧も晴れてはきましたけど、



ボクちゃんの大好きなエノコログサも、露にまみれて
まさに、

白露に風の吹きしく秋の野は
  つらぬきとめぬ玉ぞ散りける
      文屋 朝康

ですね。



なに、色がないって文句を言うのですか?
そんな色情狂の方はこちらではをどうぞ。