ひさかたの雨も降らぬか 蓮葉に
溜まれる水の 玉に似たる見む
万葉集 16-3837
久しぶりに雨でも降らんかな~
蓮の葉っぱの上の宝石のような水滴をみたいな

なんて、道東の知人のブログからはトリプル台風だ~って悲鳴が。7号、11号、9号って連続ですからね~
こちらも先日の台風で被害。その修復がやっと始まったばかりなのに、予報と違って今日も雨。明日も雨。明後日からは台風9号の影響が出そう。。。
雨、風続きの日々を過ごしています。
もう雨なんかいらんわ。

極楽とんぼ、、こんなありふれた言葉(って言っても、ありふれたと思うのは、私の世代ぐらいまででしょうね。今やもう古語、死語なのか)でも、ググってみるといろんな語源が言われているのですね。
もちろん極楽をふらふら飛んでいるというところは同じなんですけど、いやあれは昆虫のトンボではなくって、鈍坊から来た言葉だとかね。
あるいは、極楽から下を見下しているから、これはアカネだろうなんてのまで、、、意味あるのか不明ですけどね~
仕事をしている頃は、極楽とんぼの生活、そして性格、、、見果てぬ夢でしたけど、
どこから見ても、極楽とんぼの生活そのものになった今、時間の過ぎるのが遅すぎて、、、


知人のFBに同窓会の写真が出ておりました。
いや~ いまだに、同窓生が集まれるって羨まし、
私の同窓生たちは、あっちに行っちゃったか、お茶をひいてこっちに残っても夢の中の人ばかりですからね~
時の経つのは早いものです。
あれだけ時代の注目を集めたこの子たちだって、いまや散り果てて土に戻ってしまいました。

大昔、学校の時計塔にも”Tempus Fugit”(Time flies=光陰矢の如し)の文字が私たち学生を睨んでおりました。
でも、もういくら睨まれても怖くない。
だって、時は飛んで行ってしまいましたからね。今頃は銀河の端くらいを飛んでいるのじゃないかな。
はてさて、「階前梧葉已秋声」って言われても、それも困るんですよ。
だって、これから本格的な夏を迎えるのですからね~
少年易老学難成 何もしなくっても歳はとれるけど、やりたいことをやり遂げるのは難しいよ~
なこと、言われなくって今の自分を見れば一目瞭然。
一寸光陰不可軽 でもね~ 若いうちは、時間なんて無限にあるって思っていたし、
そう思っているから、そんなこと考えもしなかったしね~
未覚池糖春草夢 あれやる、これやるって夢ばかり見ているうちに
階前梧葉已秋声 気がついてみたら、もう周りは秋。人生の終わりにいるっちゃ。
偶成
朱熹(って、言われておりますけど、疑問も多いそうですよ)
120%理解しておりますよ。
でも、分かっちゃいるけど、止められないってのが人生ですよね~
ほんと、人間っちゃ弱いもんで、、、、、
でもでも、せめて錦を着て秋を飾りたいですけど、それまた見果てぬ夢か。

今朝、読者登録していただいた方が万葉集を引用していることに言及されていて、、、、
おいちゃん、すぐに天に昇っちゃった。。。。
あ~ぁ、ほんと、馬鹿と煙は、、、、あんな高さに昇っちゃったのを引き戻すの大変なんだから、
だってチビ太、肩の高さ40センチしかないんだし。

なんてことは言わないで、万葉集、万葉集。
茅(チガヤ)って結構万葉集にはポピュラーな題材だったんですね。
だって、どこにでもあるんだし。生えてくると、道路のアスファルトまで壊したりして、、、
だから、極悪非道トップ100選に選ばれちゃったくらい。(世界の侵略的外来種ワースト100 (IUCN, 2000) 選定種)なら、品種改良して砂漠に植えて温暖化防止に協力させればいいのにね~って思うのはチビ太くらいかな。
とにかく、万葉集のチガヤは(アサジ(浅茅)、チとか、チバナとか、ツバナとも呼ばれているそうですよ)どっちかというと物寂しいイメージを持っているんですね。これが一面に生えている状況ってのが物悲しい場所なんですかね。人手があるところなら、それでも刈り取られているけど、これが一面に生えているということは人でもない場所ってことなんでしょうね。
浅茅原 つばらつばらにもの思(も)へば
故(ふ)りにし郷し思はゆるかも
大伴旅人
万葉集 3-333
チビ太の話はこれで終わってっと、おいちゃんにバトンタッチ。
ちなみに、時代はずっと下がるけど、雨月物語の浅茅が宿はやっぱり千葉県なんですよ。
さりともと思ふ心にはかられて
世にもけふまでいける命か
妻の宮木が死に際に書き残した詩ですね。
それに対して勝四郎が詠んだ詩が
いにしへの真間の手児奈をかくばかり
恋てしあらん真間のてごなを
真間の手児奈ねぇ~
知人の紹介で茶道具のコレクターのところに行ったのですけど、お師匠さんに同道をお願いしたら、お茶碗の一つを見て、これはどっかで見たことがあるって言いだして、家に帰って調べてみて、20年近く前に真間のお寺でコレクターの方の道具を使ったどこかのお流の御家元のお茶会があって、その時に出されたお茶碗だったって、、、
遠州さんの展覧会では、後ろを歩いていたもう80は優に超えたようなちょっとお年を召された婦人が二人、「このお茶碗、御家元が7年前の初釜で使われたものかしら」「よく似ているけど、ちょっと違う感じがする」なんて話されていて。。。
私も、もう何十年も前の話だけど、すれ違った人から、胸に挿していた袱紗(2~3センチしか出てないはずなのに)「友湖さんのものですか?」って聞かれて腰を抜かしたことがあるんですよ。先先代のものだったんですけどね。
道を究めるって凄いことだって書いてましたかね~
この前の日記の
道の辺の荊の末に延ほ豆の
からまる君をはがれか行かむ
丈部鳥
万葉集 2-4352
も千葉県でしたよね。
千葉は東海道の終点だから、かってはもっと栄えていたんですよ、、、、かってはねぇ。
道の辺の荊(宇万良=うまら)の末(うれ)に 延(は)ほ豆の
からまる君を はがれか行かむ
丈部鳥(はせつかべのとり)
万葉集 2-4352
道の傍の荊(茨)の先に這う野豆のようにまつわりつくあなたを引きはがすように別れて行かなければ
使役人として徴用されて家族と別れて遠くへ行かなければならない気持ちが込められた詩ですね。
うまら、、、いばら(棘、茨、荊)
この詩の作者は、天羽部の上丁(かみつよほろ)と出ていますが、天羽は千葉の君津当たりの古い地名。(今でも千葉県立天羽高等学校なんてのがあります) お近くの町の方だったんですね。ちなみに丁(よほろ)は使役に駆り出される人のことです。

とにかく好きな女性のお墓まで押しかけて、そこに根を下ろしちゃったって言うのですからもの凄い執着心ですね。
今なら、ストーカー防止条例あたりで引っ張られるかもしれませんけど。昔はそれもありか、、、
でも、そのお相手、
玉の緒よ絶えなば絶えね
ながらへば 忍ぶることのよわりもぞする
小倉百人一首 (新古今集 恋一 1034)
なんて、思う人への気持ちを詠っておりますけど、、、、
その(お相手の)お相手、この葛さんじゃなくって、別の方じゃなかったかなんてゴシップが最近ちらほら、、、
(石丸晶子 式子内親王伝 面影びとは法然 (朝日文庫)
お墓は小さな五輪塔で般舟院陵(上京区今出川通千本東入ル北側)にあります。
我が家の玄関口でも、刈っても刈っても木を覆い、隣の電信柱を覆い、あげく電線まで長く伸びていくのがいます。嫌われ者のクズと同じくらいに旺盛ですよね。なんせ、下の方の幹を何十センチも切り取られても、相手から養分を吸い上げてすくすくと育っているんですから。ストーカーというより、紐ですな~ 動かないだけましですけど。

でも、スイカズラほど強くはないけど、これもいい匂いがします。予期してないときにふっとその香りが風に乗ってきたりすると、、、なかなかいいものですよ。
このブログの読者の方々、鳥が嫌いな人が多いみたい。
だから、そんな人がいないかどうか、よ~~~く周りを見渡して、、
いないよね

でもさ~ 私だってかの国の大詩人に「天空の吟遊詩人 大空の巡礼者よ」って称えられたこともある誇り高い身なんだけどね~
なんで、こんなにびくびくしなきゃいけないんだろう、、、
ETHEREAL minstrel! pilgrim of the sky!
Dost thou despise the earth where cares abound?
Or while the wings aspire, are heart and eye
Both with thy nest upon the dewy ground?
Thy nest which thou canst drop into at will,
Those quivering wings composed, that music still!
To the Skylark
William Wordsworth
まぁ、足腰弱って飛べなくなったのは事実だけど、、、、
もともとは古詩十九首の中の一つですね。
去者日以疎
來者日以親
、、、
去る者 日に以て疎く
来る者 日に以て親しむ

散歩コースの「河津桜」って呼ばれている小さな桜並木、11月ごろからポチポチと咲き続け、2月の終わりには満開になっておりましたが、今は葉桜。
トップの写真は、その遺影ですな~

そういえば、私の葬式用の写真も用意しなきゃ。
ちなみにトップの写真はオリンパスSP100EE
f=6.4 1/30 ISO 125
下の二枚は
オリンパスTG-3
f=3.2 1/640 ISO 100と
f=3.2 1/800 ISO 100