喧嘩両成敗<本澤二郎の「日本の風景」(4389)

<ロシアのウクライナ軍事侵攻の原因は明白だが>

 喧嘩を売ったロシアのプーチンと喧嘩を買ったウクライナのゼレンスキー!その被害は、後者が圧倒している。女子供の命が奪われている。誰もがウクライナを支持している、支持したがっている。これで決着つくのか?

 

 いずれ決着つくのであろうが、その後はどうか。喧嘩は収まるのだろうか。収まらない。永遠?に続くだろう。子孫へと引きずっていくだろう。喧嘩両成敗という、古来の倫理観は、今回の争いにも当てはまるのではないか。

 

 近く一方の当事者の言い分だけを聞こうとする、日本の政府と議会である。双方の代表を登場させる好機を、政府も議会も逸しているのではなかろうか。

 安直過ぎないか。せっかちで、おっちょこちょいの日本人の気質は、やくざの手口のようで大歓迎とはいいがたい。モスクワでは、新たな怒りと不満の芽が芽生えるに違いない。

 

<ソ連崩壊は米国との核軍拡レース=NATOの東方拡大>

 旧ソ連時代は、モスクワもキエフも同じソ連圏を代表していた。キエフは軍需産業と穀物生産地として、ソ連の中枢を占めていた。双方の歯車は一体で、亀裂が生じる余地などなかったろう。

 

 ソ連の弱点は、核軍拡にあった。アメリカの核に対抗して、核軍拡に集中した。そのおかげで核保有は、アメリカを優に超えた。しかし、そのための経済的負担は、ものすごいものだった。結果、ソ連経済が立ち行かなくなり、崩壊してしまう。アメリカとの核軍拡競争に敗れてしまった。

 

 ソ連崩壊の教訓を、ヒロシマ・ナガサキと続くフクシマの教訓を学ぼうとしない日本の保守・右翼政権同様に、ロシアのプーチンは学ぼうとしなかった。歴史を知らない、歴史を学ばない国と国民は、再び同じ愚を犯すだろう。

 

 日本国民は、両手を胸に当てなくても、よく分かるはずである。たとえ学校で教えなくても、自習さえすれば理解できるだろう。しかし、戦争犯罪者の岸信介が、米国諜報機関の奴隷に変身して、日本の政界に君臨すると、戦前回帰の潮流が生じた。それが孫の時代になって、自公3分の2体制下、改憲軍拡の嵐が常態化している。ロシアを笑えない。

 

 他方、ワシントンの死の商人も負けじとロシア包囲網を構築して、遂にはロシアの隣国・ウクライナにまで手を伸ばした。プーチンの怒りを爆発させたのだ。そして、今回の軍事行動となった。

 ややケネディ大統領時代の、キューバ危機を連想させる事態である。この時はソ連のフルシチョフが作戦を変更して、核戦争を避けることが出来た。今回はどうなるか。まだまだ油断大敵である。

 

<中立ウクライナを許さなかったワシントンの大攻勢>

 既にワシントンからの「サイは投げられていた」のであろう。

 こともあろうにウクライナのゼレンスキーは、隣国の核大国に反撃したのである。これは驚きである。NATOのワシにとことん教育されていたのだ。

 「熊とワシの争いの緩衝役・中立国が、ウクライナの平和と安全を確保すると考えていた大方の予想を裏切って、ゼレンスキーは目には目を、歯には歯をと立ち上がった」のだ。

 

 案の定、ワシントンから武器弾薬がウクライナと周辺国に運ばれていた。ウクライナの兵士が、武器をもってロシア軍に立ち向かっているのである。「ワシントンとの密約のもとで、ウクライナは引くに引けない戦争へとのめり込んでしまった。そこで大きな悲劇が起きている。

 

<堪忍の緒が切れたプーチンの暴走と受けて立ったゼレンスキーの責任大>

 ゼレンスキーが善で、プーチンが悪か、と簡単に言い切れるものか。無理だろう。両者に、それぞれの理屈が存在する。片方がすべて正しいと決めつけるのは、公正な判断とは言えない。

 

 はっきりといえることは、軍事行動を決断し、実行したプーチンの責任は重大である。21世紀の砲艦外交は許されない。同時に、一般の市民、特に女子供を盾にしたようなゼレンスキーもまた、重い責任がある。

 

<貪欲な人間ばかりの世界帝国から抜け出せない人類は哀れ>

 つくづく実感させられる。人間という動物の残虐さ・貪欲さである。引き下がる、妥協するという、当たり前の価値観を共有できない獰猛さに辟易するばかりだ。

 

 この世に、人間を指導する神仏などいないことを嘆くしかないのか。ロシア正教やローマから、何も聞こえてはこない。絶望の二字を食い止める救世主は、人間性のある人間しかいない。これ以上の共食いと共倒れを見たくない!

2022年3月19日記(東芝製品不買運動の会代表・政治評論家・日本記者クラブ会員)