Kaettekita 私が思う あのこと このことReturn(Get Back Part2)

進取究明。日々の雑感を気ままに綴る私なりに思い考え行い実践する不定期の記録。写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ。

変わるもの、変わらないもの、変えようがないもの

2023年06月24日 16時05分52秒 | 『福祉』『介護』病院・障碍者・高齢者福祉。母の優しさ。借金ローン返済地獄解決篇
 長文、失礼致します。 

 私は、自身の性格を変えよう、変えよう、とばかり躍起になっている所が、近々、見受けられた。
 しかし、これは、不可能だと、思い至った。
 私の主治医の、女医先生は、○○さん(私)のキャラ(性格・人格)、私は好きなんだけどな、と仰った。
 或る、我がお寺の近くに住む、高齢女性で、若く見えて、おかっぱで髪も黒々とした方に、私は本当は○○さん(私の事)と一緒のバスが良かった(その日はバス二台で総本山へと向かった)○○さんと隣の席になりたかった、とまで言って下さった方まで存在する。
 私は、自己の、性格・人格改造に取り組み、何とか、人に好かれよう、人様の誤解を受けずに、人様から、万人受けするような、立派な人になりたい、そう心掛けて生きて来た。
 しかし、それは、無茶な、土台、無理である事共が、如実に、自明の理として、想像の域から、確信へと変わって行った。
 人の性格は変わらない。短所を詰めて、長所を伸ばす事位なら、いとも簡単に出来得る。しかし、この、性格・人格というものは、変え得ることは出来兼ねる、出来得ない、全くの無理難題だと、思い知り、思い至った。
 これまで、私が辿って来た、人生行路は、無理が祟り、自身を自罰主義で、自分を罰して、若しかしたら、その分、人様へも、自分以上に、他人様へもかなり厳しい目で、他をも律して、見て来たのかも知れない。
 これを、こんな悲しい性(さが)、悲劇は、今日を最後に、止めたいと思う。人生、残り少なくて、今、性格・人格改造が、無理・難題であり、非常に困難、困苦を極める事が判っただけでも、良かったと思う。
 これからは、聖徳太子の、十七条憲法にもある、「和を以て貴しとなす」の教えの下、同調せず、協調して、協調路線で、人当たりがよいと、言われるように、人様にも、慈悲を持って、決して冷たく当たらず、自分にも、なるべく優しく、接していけたら、と思っている。
 今までの、性格・人格まで変え得る、と思って来たのは、人間に対する、不遜、否定、慢心、増上慢、増長した心が為した、悪い心がそう為させていたのだと、思い至った。
 自分の良い所は伸ばして、悪い所は縮める、それは堅持する。しかし、性格・人格改造など、出来もしない事を、理想に謳ったって、損をして、自分が性格まで破壊破綻させてされて、自分が苦しむだけである。土台、無理を承知で、反省の名の下に、無理を自身に課していたのだ。
 だから、長所短所の問題と、自身の性格・人格の問題は切り離して、次元が全く違う問題として、自分に厳しく、人に優しく、をこれまで通り堅持するが、しかし、自分にすこしは、休める時、安楽の時、優しさを持ち寄る時すらも、持って来ても良い気がする。
 以前、我が家に来ていた看護士さんで、○○さん(私)の様な、自罰主義で、考えてばかりの時間が、一日中続いたんでは、これは、心の休まる時など、何にもない。だから、なーんにも考えずに、自分の、空白の、真っ白な時間を持っても良いのではないのか?一日中、疲れませんか?考えてばかりや、自分を責めてばかりで、自分が可哀想じゃないですか?と訊かれた事があった。
 その通り。私は、自身を律している積りが、自罰主義、厳罰主義。己に鞭を当て過ぎて、体も心も休まらず、これまで、自らを、ボロボロにして捨て置いて来たのだ。これが、心身共に、良い結果を生む筈など無かったのだ。
 時には、外を覗いて、自然の様子を伺い知り、見たりする。気分を代えたり、世の中の事に触れて、大自然とも会話をして、その間は、考えなど及ばずに、自由闊達な心で、子供の頃のように純真・純粋・無心になって、散歩してみる、散歩に出かける、とか。色々、自己の生活改善プログラムというか、やり方がある筈なのだ。それが、自分の、心身共に、守り得る、肥やし、栄養ともなり得るのだ。
 季節の移り変わりも判らないで、ただ、時間だけ過ぎて、オマケに、自分を責めてばかりでは、気が滅入り、自暴自棄になったとしても、おかしくはない。今は心が平静に保たれていたとしても、それではいつかは自爆、暴走する。
 変わるもの、変わらないもの、変えようがないもの。今、自分にとって、この三点の、心の整理が必要なのかも知れない。
 
 今、改めて、八方美人では、ダメなのかも知れない。私を好きになってくれる、私を素のままで、好んで下さる人がいるならば、素直に、それに従い、去る者は追わずであり、元々、私とは、合わない人だったのだ、と、諦めて、悲しいけれど、こうやって、このまま、これからの人生を生きてゆく他はない。

 この私だって、死力を尽くして、それらトラブった関係者達と、関係改善を図り、試みた結果が、今の偽らざる、私なのであるから。もう、つらいよ。悲しくて、やり切れないよ。心が、壊れて、ガラスのように、粉々になって砕けてしまいそうだよ。心が、魂が、痛いよ。

 もう、悲しい思いは、決して、私自身は、したくは決してない。

以上。よしなに。wainai

※編集後記、この記事への反論文
 このリンクの、文章群を、私めは、最近、今年の八月下旬現在書きました。この、六月時点とは、打って変わって、自身の心境の変化を、どうか一読し、私が如何にして、こう、考え方が変わったのかを、とくとご覧になり、お読み頂きたい、と思います。リンクをたどって、この、青字をクリックすれば、今の時点で、比較的最新記事へとたどり着きます。性格は、変わる、変わり得る、との、自覚に至った経緯、その、今までの、意固地だった自分への反省が載って居ります。
以上。



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