Kaettekita 私が思う あのこと このことReturn(Get Back Part2)

進取究明。日々の雑感を気ままに綴る私なりに思い考え行い実践する不定期の記録。写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ。

歌会・郡山短歌研究会「群山」その1。二〇二四、R6年9・7(土)AM十時、於:大槻公民館

2024年09月07日 14時56分40秒 | 短歌・和歌・作歌、歌会。歌を作る、短歌を味わう。表現する。批評する。俳句鑑賞
 歌作、作歌活動、歌をつむぎ歌う事は、作ろうと思って作るんじゃない。言いたい事、自分が一番いいたい事を言う。「衝迫(しょうはく)」=斎藤茂吉。

詠歎(感動を表現)
一、詠歎の助詞 は、な、かな、も、や、ね、を(かなし
二、詠歎の助動詞 かり(悲しかりけり
三、詠歎的余剰を含み得る らむ、べし、より、よ、に、か、ふ、つつ
 
動詞の終止形止め〇
   連体形止め
   已然形止め
意味 ~なあ、~だなあ、~のことだなあ

最初は私の歌。

去年(こぞ)の夏カルガモ一家我が寺に巣を作りてしやがては去りぬ

「去年の夏」=これは必要。「カルガモ一家」=必要。作りて
「し」は強調。(「やがては」=いずれ去る「やがて」は「去年の夏」がなければ成り立つ。)
(生徒さん)「やがては」の所がなんかないのかなあ。
もうちょっと、違う言葉がないのかなあと。
「カルガモ一家の状況」
(男性生徒さん)その後はどうなったのか?
私。このカモたちは、夜中の内に一斉にいなくなった。ネコに襲われそうな時は、母ガモが一生懸命になって追い払っていた。そして、忽然と姿を一夜にして消えた事から、近くの、小山田橋という橋がある川(「小山田川」だか「亀田川」だかサッパリ判らぬが)に行って、親子で巣立って行ったものと思われる。
 (先生)短歌は状況を言うと説明的になるので×。「具体的に」(説明的じゃなく)。しかし、「固有名詞」「地名」等は、これは短歌においては有力な武器、道具となり得る。積極的に使って下さい。
作り方を変えた方が良い。親ガモがネコに襲われそうになる、それを守った親ガモ。そこをクローズアップして、もう一段掘り下げてみては?
 この歌の、この内容の、これでは、ただの「報告書」=状況説明に過ぎない。

(先生の私への励まし)最初から短歌の歌詠みが出来る人はいない。数多く作らないといけない。

(生徒さん作)
団塊の朋(とも)が逝く夏別の知らせや礼服あはず新調をす
(先生)意味としては分かりやすい。
(生徒さん)「別の知らせや」がいらないのでは。
(生徒さん)「別」とは別れの「別」なのではないのか。
(私)この歌の前半は別れを歌っている。そして後半は服が太って来て合わないおかしみ、ユーモアでまとめている。これはこれで、二つの歌意が混ざっているようだが、そうではなく、同時に、ドイツの哲学者、ヘーゲルの如くの、反、合、反、と、止揚、アウフヘーベンしていて、私はこうした作りの歌は結構好きだ。
(先生)上の句の下の句と、どっちが言いたいか?
(作者の生徒さん)人が、友が、どんどん亡くなってゆくのが言いたいが、女房にも夫婦で洋服が合わない、ユニークさを出したかった。

ここで、先生の今日の私の質問の話
NHK短歌講座の「作歌のヒント」レビューに、ついて、ああいうアマゾンなんかの書評、レビューは玉石混交。
平安・鎌倉の時は、貴族文化、公家文化。あいさつ程度の歌・作歌。

正岡子規(以降)の作歌態度、作風、姿勢は、全生命を懸けたぶっつけた歌。

(生徒さん作)
桐の花高きにありて見下すか見守り咲くか風とささやく

「桐」=高嶺の花。高貴。「桐」の位の高さ。豊臣秀吉の家紋。皇室の家紋。戦国時代に秀吉が乱発し、価値が下がったが、今でも高貴。この場にいる生徒さんにも、先祖を辿れば、秀吉に繋がり、家紋も五三の桐、五七の桐、などがあるという。
ちなみに、我が家の家紋は下がり藤、である。そして母から伝説的に聞かされたのは、我が家は平氏、平家の末裔であり、その、壇ノ浦の戦いで源氏に敗戦後に、落人(おちうど)、落ち武者となって、山口県から、はるばる、鹿児島県の奄美大島まで落ち延びたと言われている。これは余談です、ハイ。

とにかく、話を戻すと、この歌は、高い位置に咲く花と高貴さとの、「二重構造」の二つの意味を持った歌。
「風とささやく」=擬人化。短歌としては、「擬人化」すると意味が失われる。結社にも色々あるが、「群山」は「写生」が第一。
読者に任せる。読者は同じ歌を読んだ時の、その人の心の中を自分で感じ取る。「ささやく」では、「結論」になってしまう。
「見下す」=これも、みくだす(「桐」の権威)、か、みおろす(あたたかみ)自然な感じが…。(作者)「みおろす」かな。
(先生手直し)
桐の花高きにありて見下(おろ)すか見守り咲くか風に揺れつつ

(先生)短歌は単純なのが良い。
(生徒さん)桐の花が頑張って、というのか、五月の中で。
(私)桐の花って見た事が無い。そもそも、桐の木ってみた事が無い。キリの下駄は履いて持っていて、今でもうちにあるけれども。
 (先生・皆さん一同)今の若い人は、言われても判らないですよ。
(この前、前回の八月の歌会でも、私は幼稚的な質問「ほたるぶくろ」ってなんですか、とやってしまい、それの説明に先生は時間を取って教えて下さった。しかし、その時電子辞書が手元になくて、今、今日、植物だったと知った次第。生徒さんも花の色は、桐も蛍袋も同じ色、紫色、というので、桐は今日は、電子辞書で調べて現場で分かったが、蛍袋は、帰って来て今日分かった。よく見る花だと思った。雑草と間違えそうな。しかし、桐が何とも言えない不可思議さがある)

(生徒さん作)
公務なきけふは終日(しゅうじつ)晴れ予報汗流しつつ庭の手入れす
(私)「終日」は「しゅうじつ」なのか「ひねもす」なのか。釈然としません。昔それこそ、貴族か何かの歌に「ひねもすのたりのたりかな」といった歌がありましたね。
(生徒さん)これは「しゅうじつ」と読みます。「ひねもす」ではありません。
(先生)「群山」の「扇畑先生」=「土屋文明」がアララギ派の直接の愛弟子、継承者。その直系の、扇畑先生が、仰るには。
わかりやすい字でいいんだ!わざと、難しい字は使うな!感動を出すんだ!
「谿(たに)」「たに」にもこんな字もあるが、「谷」でいいじゃないか!

「公務なき」(先生)具体的な方が良い。
自分の感情の中心がどこに行くのか。
(生徒さん)解放感があったので…。昨日までに、昨日作った歌。うれしくて。
(先生)「公務なき(今日)」と最後に持って来た方が良い。
自分の生活の中からモノ事を見てゆく。忙しい中で、やっと時間を見つけて、
そのハツラツさを表現出来たらいいなあ。
(以下、次の歌の歌評へと続く。乞うご期待!)
以上。よしなに。wainai



最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。