Kaettekita 私が思う あのこと このことReturn(Get Back Part2)

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アンチ・反尾崎豊論、オザキの生き様と、その指向性、社会への害悪性と無責任さと…だが、音楽家としての資質・貢献度も非常に大きい

2024年02月17日 09時07分30秒 | クラシック洋楽日本邦楽演歌雅楽江戸明治大正昭和平成令和現代歌謡伝統音楽集
 私は、尾崎豊、尾崎の、音楽電子ダウンロード版、CDのレンタルなどで、彼の楽曲を所有しているが、その音楽は、今にして思えば、余りに陳腐だと思う。
 「十五の夜」では、「覚えたてのタバコ」やら、「盗んだバイクで走りだす」等々、散々ぱら、不良の行為を賛美讃嘆して、もう、尾崎は自分の独特の世界観を作り上げている。それらは、「ザ・不良」の親玉、尾崎の一応の誕生であったのだろう。
 しかし、いつまでも、反逆者精神、不良を演ずる姿勢が支持されるはずもない。その後は、自身でも、それらが必ずマンネリ化、種が尽き果てる事は、彼の音楽人生でも、判っていた、判らされた偽らざる事実であろう。
 そうして、私は、あの日、栃木県の仮の宿、住まいで彼の訃報をテレビで知る事になるが、あの時の事は、鮮明に私の脳裏に残っている。
 それが、ある人々には、彼は自殺を試みたのだ、との説も出たが、私も或る意味、それが全くウソ、信ぴょう性が無かった話だとは言えない気がする。  
 古来から、芥川竜之介以来、本、物書きでも、おそらくは、芥川にしろ、太宰治にしろ、川端康成、三島由紀夫等々、文学者の自死は数多いが、私は、うちの母が、母と東京都立戸山高校の学生時代の女子学生の友達が語っていたのが、芥川は、絶対に、小説の種が尽きて、だから自殺したんだ、と言っていたんだよ、と母は私にはしょっちゅう言って聞かされたので、文学者など、なるものではない、との教育、一般常識のようなものを、私は子供の時から一貫して受けて育った。大学も、文学部などに入るなど、とんでもないと。
 とにかく、文学者には自死が多い。それが、うちの母が言う、文学者の「文学崩れ」の最たる、最も悲惨な結末、最期なのであろう。
 尾崎豊の場合は、文学者と言うよりも、音楽家、作曲のみならず、作詞もしているから、微妙な立ち位置だが、作詞家というのも、文学的な要素は多分に含んでいる。現代の文学者と言っても差し支えないだろう。
 うちに来ていたヘルパーさんで、尾崎豊の楽曲をPCで掛けていた時、つい話題に上ったのが、この人の一挙手一投足が、それはそれは、必死過ぎて、張り詰めた雰囲気のままそのヘルパーさんの思い出に残っていて、あれじゃあ、続かないよ。必死に生き過ぎて、張り詰めた糸がとうとう切れたのが、あの死だったのだろう、と言っていた。
 とにかく、尾崎は、学校は、現代では優秀なエスカレーター進学校、青山学院高等部三年生に在学中の、卒業が出来るのは当然の、春三月を待たずに、勿体なくも、退学を申し出て、ドロップアウトをしてしまった。
 これなども、私は、自身に不良としての箔をつける為の、今後の芸能界で生きて行く為の策略、野望野心、格好だけ付けた、偽装の不良、演技、ポーズにしか見えずに、これらの行為は、実際に高校を止む無く中退せざるを得なかった者達への、冒涜行為とも言える。
 それに、今ではそんな事はないし、そんな事をしたら当時も今も法的にも例え青少年でも訴えられるが、その頃流行った、「卒業」という楽曲では、「夜の校舎窓ガラス壊して回った」の歌詞に当時の中高生たちが非常に異常に興奮して反応し、同じように真似をして、学校の窓ガラスを割る行為が全国的に広まり、社会問題となった。
 それに対して尾崎は、この時、反省の弁を繰り返し、決してあの歌は、反社会性を訴えた歌ではないんだと弁明したが、私などは、それは詭弁に過ぎないと思える。
 とにかく、紙数も尽きて来たので、これ位にしたいが、尾崎の歌を聴いていると、その作為性、わざとらしさ、本人だけが何か大仰に盛り上がり、自己陶酔に至り、恍惚の絶頂にいる自分に又酔い痴れる、という悪循環で、その時限りの、芸能界に入るのも、自身の不良性をアピール、訴えたが、三十歳の中年期を目前にして、人生に恐れをなした、一、音楽作曲家、シンガーソングライターの悲劇としか私には思えない。
 彼の論理は、不良性では一貫して来たが、それと、自身が人生の中盤期、社会の中堅、管理を担う年頃を迎えるに当たり、整合性が取れなくなって来た。
 そこで、自死なのか、自死に見せかけた本当の事故死だったのか、或いは、やけのやんぱちで、確か酒も入っていたのか、もうどうにでもなれ、との心境なのか、とにかく突然死で彼は亡くなったのだった。
 もう今となっては、当時に戻れないので、どうともとっても差し支えないのだろうが、私は、彼の音楽を聞くたびに、尻の青い、文学青年も顔を真っ赤にせざるを得ない、どうしようもない、背徳者然とした、彼の残した楽曲群の、この世に残った遺産物を思う時、何とも悲しく時には怒りをも持ちたくなるような、彼の音楽の無責任さへのやり切れない感覚を懐くのだ。
 
 まあ、我々昭和・平成時代を生き抜いて来た、そして令和の今を生きる者にとっては、尾崎豊は、非常に懐かしい音楽楽曲、アイテムではあるんだけれども、この、今まで述べて来た事とは矛盾するが、あの、昭和時代、平成時代の日々は、尾崎を聞くにつけて、今の時代の如くの、タイムスリップして、私など思いを惑わせ得て、心が懐かしいあの日に帰ってゆけるのも、尾崎のこの世に於ける貢献の一つであろうとは今は思う。
 尾崎は永遠である。
以上。よしなに。wainai


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