DREAM/ING 111

私の中の「ま、いいか」なブラック&ホワイトホール

ゼロリスク社会

2008-10-11 | NEWS/TREND
【眼光紙背】コンニャクゼリーと安全安心
コンニャクゼリーを問題視する人たちは、「何かを食べる」ということが、決してゼロリスクではないという現実を完全に無視してしまっている。
餅やご飯といった、私たちが普段当たり前に口にするもので窒息事故が起きる。それが現実である以上は、そのリスクを私たちは当然のように受け入れなければならない。
自動車事故があるからといって、外に行かないということができないように、私たちはリスクがあると知りながらも、食べ物を食べずにはいられないのだ。そうしたなかで、不慮の事故が起きて、人が死ぬことがある。それは人間の命が有限である以上、避けられない現実である。
そうした現実を「子供が口にするものは、ゼロリスクであるべきだ」という議論は、あっさりと無視してしまう。


大切な命が1つ失われた、という事実は非常に重いものですし、
起ってはならない事故ですが、個人的には、この記事の主旨に同感します。
(野田聖子消費者行政担当相のパフォーマンス云々は別として。)
もちろん、できれば低リスクにこしたことはないとは思いますし、
この記事の、いろいろな問題は「マイノリティー排除」が発端だというトーン
&メーカー保護トーンには全面的には同意しかねる部分もありますが・・・



以前記事にもしていますし、ある方のブログでコメントもさせていただきましたが
私は2-3歳の時に、ノー●ルの黒飴をのどに詰め、窒息しかかったことがあります。
多分、あとから親に情報補正されているとは思いますが
たしか外から家に大声をあげて駆け込んだ時に起った事件で
その時、居間でTVを見ていた母が慌てて飛んできたこと、
さかさまにされてどんどん叩かれたこと(←これってかえって危ないらしい;
それでも取れず、近所の小児科に母親におんぶされて駆け込んだこと・・・
ものすごく苦しく怖かったことをけっこう鮮明に記憶しています。

その後数年は、飴は必ず母親が噛み砕いて小さな形状にしてからしか
食べさせてくれなかったと思います。
なにより、私自身、黒飴はトラウマになりましたし、
かなり長い間、すべての飴がダメでした。
で、今なお、キャンディーは小さめのものを選ぶ傾向にありますし
少しでも「あ、大きいな」と思ったら早めに噛み砕きます。

我が家の飴対策は上記のように行われましたが、子ども時代って、
早く遊びたくて慌てて食べる&ついほうばっちゃうことが
多いうえ、ロクにかまずに飲み込もうとするので、
記事にもあげられている、のどをつめる筆頭のおもちだけでなく
牛肉、うどん、ゆでたまご・・・
そういうごくごく普通に食卓にあがるものでも
のどをつまらせることはあると思います(てか、私は詰まらせました;)

こうしたマイナス体験って、リスクの予測と回避含めて
多くは親自身の体験と学習と自己責任、に落とし込まれる(べき)
&生活の(知恵的体験)情報として
親から子どもへ伝えられ蓄積されていく(べき)ものなんじゃないのかな、と。

熱いものはヤケドするかもしれない
火は引火するかもしれない
カッターや包丁は指を切るかもしれない
食器は割れるかもしれない
腐ったものを食べるとお腹を壊すだけで済まないかもしれない
池は落ちるかもしれないし、海やプールは溺れるかもしれない
・・・

危険なものを全ての人間の生活から完全に排除することはできない。
だからこそこどもには「危険」と同時に「気をつける」ということを
教えていかなければならない。
まだ理解・判断できない幼少期はそれは親の役目である。
手をかける、気をつける、目を離さない、
=日々の中でのそうした配慮の積み重ねこそが
「しつけ」であり「学び」なのだとも思うわけで(・・・えらそうなことはいえませんが;;)。
それが保護者としての大人の役割の基本なのでは?

そういう当然のことを、今一度押さえなければならない時代なのかな、と
考えさせられる事件です。


形は国が決める? こんにゃくゼリー 自民、議員立法へ 消費者行政迷走(産経新聞) - goo ニュース
コメント (8)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

遊びましょ(20世紀少年風味で)

2008-10-11 | 日記/備忘録/独り言/その他
究極プリミティブな素朴さに魅かれたり、
ゴージャスで派手できらびやかなものに目を奪われたり
下品以上な過剰装飾に埋没したり
ミニマム以下の空虚なほどのなにもなさに救われたり
カラー輪ゴムの緑と紫に感動したり
たこ焼きの舟型に一点ついたコールタールのようなソースに見入ったり
蔦に侵食されたマンションの黒い血管が張り巡らされたような一室
ヤバイほど古びた手洗いのアンティークな鏡の縁取り
ぴかぴかに磨かれたウインドウの片隅におかれたモップ
最新のモードが飾られた“超高級”ブランドブティックのレジ裏
小さなパン屋さんでもらった独創的な手書きイラストのスタンプカード
密度濃い輸入CDショップのアートなJKがみっしりと並ぶ陳列棚
送られてきた封筒の切手とスタンプのコンビネーション
文字とことば
モデルの顔が一斉にこっちを凝視する雑誌コーナー
死んだ魚がキラキラと照明を受けて並ぶお魚屋さん
手書きのうんちくカードが増えていく食品売場
99円、100円で買える「かわいい」アクセサリー
スタッフが端正なマネキンのように見える輸入車ディーラー
手がすいつくスペイン製カーフのバッグ
白と黒の対比がおもしろいリボンパスタ
なんだかヤバそうなパッケージにはいったチョコレート
DONNA DI NOTTE(夜の貴婦人)
手がすいつく陶磁器のお皿
思いがけない鮮やかさを顔に落とす雨傘とそれをもつ上品な老婦人
ゲームに熱中している各年代の人々がなにかのデモのように並ぶ車両
座席の足元の大きなカゴからのぞく黒い猫の銀色の毛並み
誘惑ドを増す線路脇の屋台系飲食店の湯気





・・・いろんな線をたぐりよせて「好き」と「嫌い」のわたしレシピができあがる。

若い頃、それはそれはいっぱいの線をよくばって抱え込んでた。

最近はだんだん持ちきれなくなって持ちやすいものが残って

それがこだわりになったり執着になったり

それも悪くない・・・でも

冒険できる余地はまだまだ持っていたいと思ふ。





ネットの神様、どうぞお手伝いくださいませ。


※リアルライフでのあれこれがちょっと落ち着いてきたので
 少しだけ欲がでてきたかも。
 生きてくって、欲望とどうつきあうか、ただそれだけ、という気もする。
 ・・・秋の雨、続きますね。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする