夏草が背高く伸びる季節だ。
連日の蒸し暑さに早くもバテ気味である。
このまま夏本番を迎えられるかなと
などと情けないため息をつきながら今日も働く。
どこまで続くぬかるみぞ・・・
連日の蒸し暑さに早くもバテ気味である。
このまま夏本番を迎えられるかなと
などと情けないため息をつきながら今日も働く。
どこまで続くぬかるみぞ・・・
大阪に住む親戚の叔父が亡くなった。
三日ほど前に弟からの連絡メールを貰っていながら
まったく気づかず呆れられる始末である。
うーん、俺はいったい何をしているんだろう、と思ってしまう。
単なる親戚ではなく恩人とも言ってもいい人である。
亡くなった母親の弟にあたる人で
目の見えない母に代わって何かにつけて気配りをしてくれる
とにかく義理人情に篤い叔父だった。
京都の学生時代は金がなくなると決まって叔父宅を訪ね
ご馳走をたらふく食った上に小遣いまで貰った。
最終の京阪電車に揺られながら
感謝で涙が出そうになったことが何度あったことか・・・
大阪時代も証券会社勤務の叔父の仕事終わりを待って
北浜や京橋で夜遅くまで飲んだものだった。
身内だけに「ひいきの引き倒し」といったところがあって
とにかく私の番組を欠かさず見てくれていて徹底して褒めてくれた。
叔父のほめ殺しがどれほど励ましだったことか・・・
東京に出てからはそれをいいことにめったに会うこともなく
不義理に不義理を重ねて来てしまった。
年賀状の「いつも楽しみに見てるよ」の文面が忘れられない。
今さら詫びても仕方がないけれど
今はひたすら不義理を詫びるしかないのである。
三日ほど前に弟からの連絡メールを貰っていながら
まったく気づかず呆れられる始末である。
うーん、俺はいったい何をしているんだろう、と思ってしまう。
単なる親戚ではなく恩人とも言ってもいい人である。
亡くなった母親の弟にあたる人で
目の見えない母に代わって何かにつけて気配りをしてくれる
とにかく義理人情に篤い叔父だった。
京都の学生時代は金がなくなると決まって叔父宅を訪ね
ご馳走をたらふく食った上に小遣いまで貰った。
最終の京阪電車に揺られながら
感謝で涙が出そうになったことが何度あったことか・・・
大阪時代も証券会社勤務の叔父の仕事終わりを待って
北浜や京橋で夜遅くまで飲んだものだった。
身内だけに「ひいきの引き倒し」といったところがあって
とにかく私の番組を欠かさず見てくれていて徹底して褒めてくれた。
叔父のほめ殺しがどれほど励ましだったことか・・・
東京に出てからはそれをいいことにめったに会うこともなく
不義理に不義理を重ねて来てしまった。
年賀状の「いつも楽しみに見てるよ」の文面が忘れられない。
今さら詫びても仕方がないけれど
今はひたすら不義理を詫びるしかないのである。
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