作家・林芙美子が求められるまま
色紙などに好んで書いたのがこの短い詩である。
女性を花にたとえ、楽しく若い時代は短く
苦しいときが多かった自らの人生をふりかえったものである。
このフレーズはあまりにも有名だが
正確に言うとこんな詩である。
風も吹くなり 雲も光るなり
生きてゐる幸福は 波間の鴎のごとく漂渺とたゞよひ
生きてゐる幸福は あなたも知ってゐる 私もよく知ってゐる
花のいのちはみじかくて 苦しきことのみ多かれど
風も吹くなり 雲も光るなり。
悲しいけれど前向きな詩である。
生きているからこそ花の命を嘆くこともできるのである。
新宿中井の林芙美子記念館。
貧乏のどん底にあえぎながら文学と格闘し
生涯に幾度となく引っ越しを繰り返して来た彼女が
唯一、定住した地がこの自宅である。
代表作「放浪記」の冒頭には
私は宿命的に放浪者である・・という文章がある。
私は古里を持たない・・という一説もある。
そんな林芙美子が漂白の人生に終止符をうって住んだのが
亡くなるまでの10年間をすごしたこの自宅である。
手水鉢が設けられたつくばい。
伝統的な日本家屋で実に落ち着いたたたずまいである。
古里を持たないと言いながら
この自宅がよほど気に入ったようである。
庭に面した南向きの書斎。
一緒に住んでいた家人〈画家〉にも
決して触らせないほど書斎は神聖な場所だった。
多作で知られる彼女はここでも書いて書いて書きまくった。
風呂場を公開している記念館というのは
ちょっとめずらしいかも知れない。
湯船でくつろぐ林芙美子の姿はいささか想像しがたいが
小説の構想を練ることもあったのだろうか。
台所にも生活感があふれていた。
彼女は食いしん坊で料理も好きだった言う。
ちょっと驚いた。
木製のコインロッカーである。
百円玉が返却式になっているのもうれしい。
そんなことに感心しているのは私だけであった。
邸内で採れたザクロやドングリが並べられていた。
でっかいのはカリンの実だろうか。
どなたが館長さんか知らないが味のある演出である。
林芙美子というのは小説家としては
実に毀誉褒貶が激しくて嫌いな人も多いと聞くが
貧乏を豪快に笑い飛ばしながら
呆れるほど人に迷惑をかけて生き抜いた立派な一生だと思う。