街道を歩く

旧街道を中心に歩く旅日記。歩行距離は、2021年11月以降は活動量計の表示にしたがっています。

301 北国街道11 中津幡→石動

2021年07月25日 22時58分31秒 | 街道を歩く
北国街道の11回目を歩きました。北国街道は、2017年8月11日に中山道との分岐点である鳥居本を出発して、以降
長浜→余呉→今庄→鯖江→福井→芦原温泉→加賀温泉→明峰→金沢→中津幡の順に歩きました。
ゴールは、中山道との合流点となる軽井沢の信濃追分です。今のところ、全27回を予定しています。
7月22日 中津幡10:25→石動16:45 28320歩、18.4km

10:28 JR七尾線・中津幡駅の南側の踏切を渡る。


11:45 山道に入ろうとしたところ、通行止めのため南側に迂回する。
迂回が終了する地点は工事中で、8月20日までクレイ系舗装を行っているとの表示板がありました。


13:20 倶利伽羅峠にある倶利迦羅不動寺。真言宗の寺で、弘仁2年(812年)空海により開山。
「倶利迦羅」はサンスクリット語で「福徳円満の黒い龍」を意味するとのことです。



13:27 境内にある食堂「風車」で倶利迦羅そばを食べる。450円。店主は愛想の良い方でした。
そばが緑色なのは、倶利伽羅の山で育つヤマゴボウの葉を練り込んでいるためとのことです。
寺とそばの「くりから」は「倶利羅」と書き、地名の方は「倶利羅」と書きます。


14:24 「源平倶利伽羅合戦」と「火牛の計」の説明看板。
源平倶利伽羅合戦(倶利伽羅峠の戦い)は、寿永2年5月11日(1183年6月2日)に源義仲軍と平維盛率いる平家軍
との間で戦われた合戦です。この戦いに大勝した源義仲は京に向けて進撃を開始し、7月に上洛を果たします。
『源平盛衰記』によると、義仲軍は数百頭の牛の角に松明をくくりつけて敵に放つ作戦をとったとされています。
これが「火牛の計」です。ただし、実際にこの作戦が使われたかどうかは疑問視されているようです
(カルタゴのハンニバルによる前例はある)。


14:30 倶利伽羅峠を越えて石川県津幡町から富山県小矢部市に入ります。
小矢部市側にある「新幹線観光ビュースポット」から見た北側の風景。
この場所に、北陸新幹線の小矢部市内通過時刻表が設置されています。


14:36 倶利伽羅峠のある砺波山の海抜表示のある看板。ここから山を下っていきます。


14:41 道の両側から雑草が繁茂しています。虫が飛び交うなか、草をかき分けて進む。


15:53 下山して小矢部市部に入ります。埴生護国八幡宮にある小矢部市の観光マップの一部。
小矢部市はメルヘンチックな公共建築が多く、「メルヘンおやべ」という名称の道の駅もあります。
北陸の町おこしでは、「宇宙の出島」を自称し、矢追純一氏を迎えてUFOで町おこしをした羽咋市を思い出します。


16:15 埴生護国八幡宮にある、日本最大の騎馬武者姿の源義仲像。
神社の本殿には、源義仲と巴御前が主役の大河ドラマ実現を祈願する大きな絵馬状のものが設置されていました。


16:48 あいの風とやま鉄道・石動駅付近の交差点まで歩き、石動駅より高岡駅に移動して駅前のホテルに宿泊。


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