街道を歩く

旧街道を中心に歩く旅日記。歩行距離は、2021年11月以降は活動量計の表示にしたがっています。

中山道(岐阜~坂祝)

2017年04月02日 07時24分40秒 | 街道を歩く
昨日、中山道を岐阜から坂祝(さかほぎ)まで歩きました。

JR岐阜駅から前回到達地点へ向かいます。



加納宿の途中より出発。



加納宿は加納城の城下町でした。関ヶ原の戦いのあと岐阜城は破却され、新たに加納城が築城されて地名も岐阜から加納に改められました。



名鉄茶所駅付近の踏切を渡る。



明治18年の道標。反対側には「左 西京」と刻まれています。



大正天皇が行幸の際、日陰で休息したという松がある八幡宮。神社名の下に「文部大臣 鳩山一郎」と刻まれています。
文相だったのは犬養毅内閣、齋藤実内閣(1931-34)の時です。



八幡宮の近くにある、慶長9年(1604年)に作られた細畑の一里塚。



名鉄切通駅近くの伊豆神社の隣にある馬頭観世音菩薩。
説明看板によると、「交通安全・赤ちゃんの夜泣き封じに霊験あらたか!!とか(古老談)」とのこと。



各務原市に入ります。東海北陸自動車道をくぐる。



間(あい)の宿である新加納立場(たてば)。加納宿と鵜沼宿の間隔が長い(約17km)ため、小休所として発展しました。
鵜沼宿の観光ボランティアの方の話によると、鵜沼宿の整備状況を見た地元の人たちが新加納も整備すべきと考え、
最近になって舗装をベージュにしたり道標を設置したりしたとのこと。



各務原市民公園の手前にある新境川を渡る。



市民公園では「桜まつり」が開催されていました。この場所は、1982年までは岐阜大学農学部でした。



公園の隣の那加交番にある「ナッシー」。那加地区内での事件・交通事故が皆無(=なし)の願いが込められているとのこと。



各務原市役所。



桜まつりの山車(?)。



名鉄三柿野駅付近で川崎重工岐阜工場の敷地内を走る名鉄各務原線をまたぐ。



沿道にあるJR各務ヶ原駅。各務ヶ原と書いて「かがみがはら」と読みますが、市の名称は「各務原」であり「かかみがはら」と読みます。
余談ながら、岐阜県立各務原高校は「かかみはら」と読み、地元でもさまざまな読み方が使われているようです。



JR高山本線をまたぐ。



鵜沼羽場(はば)町の羽場公園内にある津島神社。付設されている農村舞台「皆楽座」は市指定重要有形民俗文化財です。



同じく鵜沼羽場にある衣裳塚古墳(県指定遺跡)。
墳丘は直径52m、高さ7mで、元は前方後円墳でしたが前方部分が削られて後円部分が残ったと考えられています。



鵜沼宿に入ります。二ノ宮神社のある高台より中心部を臨む。



円憤の上に鎮座し、石垣に横穴式石室を残す二ノ宮神社。



鵜沼宿を抜けて坂を上がり、車道を外れて公園・日本ラインうぬまの森に入ります。
日本ラインとは、ドイツのライン川に見立てた木曽川の別称。



公園内にある石畳の道を進む。このあたりは昭和以降「うとう峠」といいます。
気味が悪いという意味合いでの「疎い」から来ていると言われています。



公園内の道を下ると高山本線をくぐるトンネルがあるのでくぐり、地上へ上がる。



加茂郡坂祝町に入ります。高山本線と並行する国道21号線を進む。



国道を少し外れた観音坂にある岩屋観音より、国道と木曽川を臨む。



国道に戻って進む。



「取組」交差点。木曽川の対岸にある桃太郎神社が地名の由来で、桃太郎が鬼退治に取り組んだことから来ているとのこと。
昨日はここまでとしました。



JR坂祝駅より帰宅。

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