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「城南大空襲」毒蝮三太夫さんが見た惨状(5月21日付東京新聞)

2021-05-21 13:14:59 | 報道

5月21日付東京新聞の記事です。

(上の記事の抜粋です)
「城南大空襲」毒蝮三太夫さんが見た惨状
24日で76年 リモートで「案内」

 東京南西部が焦土と化した「城南大空襲」から24日で76年。「ジジイ、ババア」の毒舌でおなじみのタレント毒蝮三太夫(どくまむしさんだゆう)さん(85)は9歳でこの空襲に遭い、猛火の中を逃げた体験を近著に記した。コロナ禍の今も、戦火の記憶を伝えようとするのはなぜか。オンライン通話で案内してもらい、かつて焼け野原となった街を歩いた。

東京・戸越 降りそそぐ爆撃 母と覚悟の避難

 5月24日未明の「あの夜」。空襲警報で起こされ、防空頭巾をかぶって外に出た。B29爆撃機が搭乗員の顔が見えるほど低空を飛んで来た。「シャアアアア」。風を切って焼夷弾(しょういだん)が降ってくる。
 次々に落とされ、消化が追いつかない。「直撃を受けて体の半分が溶けたようになった人も見た」
 普段なら10分ほどの距離だが、火の中を逃げる母子にはとてつもなく遠く感じただろう。

消えない炎 熱風と煙…
「死んだ方がましだ」

 毒蝮さんは途中で立ち止まり「かあちゃん、こんなに苦しいんなら、もう死んだほうがましだ」と叫んだという。ひささん(お母さん)は「ばか言ってんじゃない!死ぬために逃げてんじゃない。生きるために逃げるんだ」と言い、抱えていた木箱から水中めがねを出して毒蝮さんに渡した。「着けると目が楽になった。前もって箱に入れてたのかなあ」

拾った靴に少年の足首…

 だが、空襲から一夜明けて毒蝮さんが目にしたのは、一面の焼け野原だった。逃げ遅れた人たちの死体もそこらじゅうにあった。
 方角を頼りに自宅に戻る途中、少年用の靴が落ちていた。自分の靴が焦げていたので履き替えようと手に取ると、片方が重い。中に足首が入っていた。
 「持ち主の少年は、爆風で飛ばされてしまったんだろう。俺は足首を取り出して靴を持ち帰った。怖いとか悲しいとか、そんな感覚は無かったよ。」ひささんも何も言わなかったという。「履いていた子に『息子が代わりに履いて生きていくのを許してください』と思っていたかもな」
 トタン板でふたをしたままの防空壕(ぼうくうごう)も見つけた。ひささんが板を外し、座っていた5人ほどに「空襲、終わりましたよ」と呼びかけたが、返事がなかった。「目を開けたまま死んでいた。酸素が足りなくて窒息死したんじゃないか」

生死分けた少しの差

 「あの日は、いた場所や逃げるタイミングのちょっとした差で命を落とした人がたくさんいた」

元気なうちは語り継ぐ

 「空襲を体験した年寄りはどんどん少なくなり、生きてても話したくないって人もいる。ただ俺は、あの靴を履いていた子の命をもらったから、長生きできてるのかなと思う時がある。元気なうちは語り継いでいくつもりだよ」

(以上、東京新聞記事から)

なお、昨年出版された「たぬきババアとゴリおやじ」という本の中の「山の手を襲う大空襲」という章にもこの時の体験が書かれています。

 

 

 

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祖国へ募る思い:船橋市のミャンマー女性(報道)

2021-05-21 08:47:14 | ミャンマー

「47news」にこんな記事が紹介されています

緊迫する祖国へ募る思い「できること諦めない」 千葉のミャンマー人女性、バイト代で抗議活動を支援 | 47NEWS

迫する祖国へ募る思い「できること諦めない」

千葉のミャンマー人女性、バイト代で抗議活動を支援

(自宅の仏壇に食事を供える金子ティンギウィンさん。ミャンマーでは仏教徒が多数を占める)

 軍事クーデターが起き、市民が弾圧され緊迫するミャンマー情勢。遠く離れた日本に住むミャンマー人たちは抗議デモや支援の募金を続けている。「どんな小さなことでも、私にできることは諦めない」。日本人男性との結婚を期に来日した金子ティンギウィンさん(49)=千葉県在住=もその1人だ。祖国の現状に対する思いを聞いた。(共同通信=永井なずな)

 「自分の国でやって」

 最近、大手チェーンのラーメン店でアルバイトを始めたというティンギウィンさん。給料は抗議活動の資金に寄付すると決めている。「たくさんあるメニューを覚えるのが大変。でも頑張らないと」。昼時になればサラリーマンらでごった返す店で、注文取りや習いたてのレジ打ちを懸命にこなす。

 予定が合えば東京都内で開かれるデモやビラ配りに出掛ける。「『自分の国でやって』と言われることもある。一緒に活動する若い子には、こうした反応に傷ついてしまう人も少なくない」。ティンギウィンさん自身はつらくないのか。「外国人が声を上げることに、いろいろな受け止めがあることは仕方ない。悲しい気持ちにはなるが、なるべく相手の立場になって理解するように心掛けている」

(ミャンマーの親族や友人からスマートフォンに届くメッセージを確認するティンギウィンさん)

 プラカードが収まる大きな手提げには、お茶とおにぎりも欠かさない。「休憩を取るのがもったいない。1人でも多くの人に関心を持ってほしいから」。現地と連絡を取り、寄せられた動画や写真の撮影場所や日時を確認した上で、SNS(会員制交流サイト)による発信も続けている。今後は、地元の千葉県内でもビラ配りなどの活動を始めるつもりだ。

 ▽非国民

 1972年、ヤンゴンに生まれた。5人きょうだいの次女で、教育熱心な家庭に育った。民主化運動がうねりをあげた88年、高校生でデモに参加した。政情不安で休校が続き、自宅で過ごすしかなかった時、書棚で見つけた日本の本が面白く、日本語の勉強を始めた。大学卒業後、語学を生かしてホテルに就職し、その後日本大使館に勤務。仕事を通じて知り合った日本人と交際を始めた。

 当時、ミャンマーでは外国人との結婚は「非国民」とされた。周囲が反対する中、味方してくれたのは国家公務員の父親だった。父親は農業技術者で省庁の幹部だったが、娘の結婚を認めたことで出世の道を絶たれた。近所から嫌がらせも受け、挙式は公にしなかった。出国時の飛行機は、夫と離れた座席を予約した。「結婚で国を出る女性が、軍の支持者に空港で捕まって連れ戻されることがあった。無事に離陸した時はほっとした」

(自宅の玄関前で「パダウ」の花を持つティンギウィンさん)

 2002年秋に来日。数カ月後、父親が事故で急逝したが、日本に戻れなくなる恐れから帰国を諦めた。「自由な行動を許されず、父に別れを言えなかった。思い出すと今も悲しい」。英国人男性との結婚を理由に政治から長年排除されてきたアウン・サン・スー・チー氏は自らと重なる。

 その後息子が誕生。地元の国際文化大使に就き、学校訪問やイベントにも関わってきた。持ち前の明るく人なつっこい性格。息子の学校のPTA活動に積極的に参加し、友達も増えた。漢字の多い保護者向け配布物の解読など苦労も多かったが、夫がサポートしてくれた。国際結婚がミャンマーでも珍しくなくなった近年は帰国しやすくなり、年に1度の帰省が一家の幸せな時間だった。

 ▽欠かさぬ読経(どきょう)

 今年2月、突然のクーデターで日常が一変した。現地のきょうだいや友人から「家の前に軍人がいる」「発砲音が続く」「身内が拘束された」といった電話やメッセージが昼夜を問わず届く。犠牲者を思うと眠れず、呼吸が浅くなった。「このままでは命を落とす人がどんどん増えていく。一刻も早く軍は市民への攻撃をやめてほしい」

 いつまで続くか分からない緊迫した情勢に、新型コロナウイルスの影響も重なり、次回の帰省のめどはまったく立たない。仏教徒のティンギウィンさんは、自宅の仏壇に毎日向き合い、読経を欠かさない。「最近は読経中でも静かな気持ちを保つのが難しい。だけど、現地の人たちはもっとつらい思いをしている」

 記者が取材で訪ねた4月中旬は、ミャンマーの正月休暇に当たる。自宅玄関には新年を祝う生花が生けられ、その中に、黄色く咲いた造花が紛れていた。この季節だけ咲く「パダウ」と呼ばれる植物で、ミャンマーで親しまれている美しい花だ。「日本での桜みたいな、ミャンマーの人にとって特別な存在」。日本では見かけないため、帰省時に買った造花を大切に飾っている。「愛する国を軍に奪われたくない。自由を求める人たちの声は、誰も止めることができない」

(自作の手提げを見せるティンギウィンさん)

 最近は得意な手芸を生かし、ミャンマー産の布地で手提げやポーチを作って知り合いに販売している。売り上げを抗議活動の資金に寄付する。購入など問い合わせ先は、ティンギウィンさんのメールアドレス。k.theingiwynn@ezweb.ne.jp
(以上「news47」の記事より)

ティンギウィンさんを紹介した記事、ほかにもあります。

金子ティンギウィンさん(ミャンマー) Part1 | My Eyes Tokyo

金子ティンギウィンさん(ミャンマー)Part2 | My Eyes Tokyo

 

 

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