5月21日付東京新聞の記事です。
(上の記事の抜粋です)
「城南大空襲」毒蝮三太夫さんが見た惨状
24日で76年 リモートで「案内」
東京南西部が焦土と化した「城南大空襲」から24日で76年。「ジジイ、ババア」の毒舌でおなじみのタレント毒蝮三太夫(どくまむしさんだゆう)さん(85)は9歳でこの空襲に遭い、猛火の中を逃げた体験を近著に記した。コロナ禍の今も、戦火の記憶を伝えようとするのはなぜか。オンライン通話で案内してもらい、かつて焼け野原となった街を歩いた。
東京・戸越 降りそそぐ爆撃 母と覚悟の避難
5月24日未明の「あの夜」。空襲警報で起こされ、防空頭巾をかぶって外に出た。B29爆撃機が搭乗員の顔が見えるほど低空を飛んで来た。「シャアアアア」。風を切って焼夷弾(しょういだん)が降ってくる。
次々に落とされ、消化が追いつかない。「直撃を受けて体の半分が溶けたようになった人も見た」
普段なら10分ほどの距離だが、火の中を逃げる母子にはとてつもなく遠く感じただろう。
消えない炎 熱風と煙…
「死んだ方がましだ」
毒蝮さんは途中で立ち止まり「かあちゃん、こんなに苦しいんなら、もう死んだほうがましだ」と叫んだという。ひささん(お母さん)は「ばか言ってんじゃない!死ぬために逃げてんじゃない。生きるために逃げるんだ」と言い、抱えていた木箱から水中めがねを出して毒蝮さんに渡した。「着けると目が楽になった。前もって箱に入れてたのかなあ」
拾った靴に少年の足首…
だが、空襲から一夜明けて毒蝮さんが目にしたのは、一面の焼け野原だった。逃げ遅れた人たちの死体もそこらじゅうにあった。
方角を頼りに自宅に戻る途中、少年用の靴が落ちていた。自分の靴が焦げていたので履き替えようと手に取ると、片方が重い。中に足首が入っていた。
「持ち主の少年は、爆風で飛ばされてしまったんだろう。俺は足首を取り出して靴を持ち帰った。怖いとか悲しいとか、そんな感覚は無かったよ。」ひささんも何も言わなかったという。「履いていた子に『息子が代わりに履いて生きていくのを許してください』と思っていたかもな」
トタン板でふたをしたままの防空壕(ぼうくうごう)も見つけた。ひささんが板を外し、座っていた5人ほどに「空襲、終わりましたよ」と呼びかけたが、返事がなかった。「目を開けたまま死んでいた。酸素が足りなくて窒息死したんじゃないか」
生死分けた少しの差
「あの日は、いた場所や逃げるタイミングのちょっとした差で命を落とした人がたくさんいた」
元気なうちは語り継ぐ
「空襲を体験した年寄りはどんどん少なくなり、生きてても話したくないって人もいる。ただ俺は、あの靴を履いていた子の命をもらったから、長生きできてるのかなと思う時がある。元気なうちは語り継いでいくつもりだよ」
(以上、東京新聞記事から)
なお、昨年出版された「たぬきババアとゴリおやじ」という本の中の「山の手を襲う大空襲」という章にもこの時の体験が書かれています。
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