GOVAP便り

プノンペンからモンドルキリに、その前はTAY NINH省--AN GING省--HCM市GO VAP

洗濯物

2008-09-16 02:59:57 | 天気
日本に帰った時などは洗濯物の乾きの遅さが気になり、サイゴンの気温の高さに慣れてしまったせいなのだろう、などと思っていたわけですが、引っ越してきたこの小さなボロ家では洗濯物の乾きが悪く、熱帯気候とは言え、家の立地条件、陽当たりや風通し具合で随分と違うようです。

昨日の日曜日は久しぶりにスッキリと晴れて気温も上がり、タオルケットやシーツを洗濯しました。5時間ほど外に干したというのに出掛ける前の昼過ぎになっても生乾き。weekdayは狭い家の中に干したままで、吊るす場所がなくなるとアイロンを掛けてから仕舞うという面倒を繰り返しています。

一年中同じ夏物の衣料を身に着けてるせいと汗と埃のため洗濯頻度が高いために生地の傷みも思いの外早いように感じます。下着を擦り切れるまで身に着けたのもベトナム生活をはじめてからのことだと思います。

下着を買うお金もない、ということではありませんが、何しろ最初に湿疹になったのがベトナムで買った下着のせいでしたからその恐怖が頭を離れません。スーパーに行けば、タントゥアン輸出加工区で作っているグンゼの下着を買えますが、上半身用のみでトランクス、ブリーフは置いてありませんでした。

そもそもトランクスは売られてなく、ブリーフは日本で売られている形状とは少々異なり、それが何故だかハンガーに剥き出しで吊るされています。COOP MARTもBigーCも同様に。

先日、ベットからシーツを剥がそうと引っ張ると見事に生地が裂けてしまいました。10年ほど前ベトナムでは綿のシーツが見つからず日本から持って来た3枚の一つです。毎週一度洗濯するとして520週÷3=173回も洗濯した計算ですが、中央部は生地がだいぶ薄くなっていました。

それでも周りは十分使えそうなので、ちょうど擦り切れたクッション・カバーをこの布で縫いました。足踏みミシンは使えないまま引越しの際に売り払ったばかりなので手縫い。針に糸を通すのに一苦労しつつ子供の頃に祖母に糸通しを頼まれたことを思い出しました。老眼鏡の上から白黒テレビの歌舞伎中継を見ながら縫い物をしている祖母の姿が鮮明に蘇りました。

クッション・カバーの出来に我ながら満足し、ついでに枕カバーも縫うことに。すると次に映画「ヒットラーの偽札」の「清潔なベッド」のシーンを思い出しました。当時のヨーロッパの綿製品は何処の国の綿花が使われていたのでしょうか。そう言えば、最近ベトナム政府が綿花栽培を強化するとの記事もありました。綿製品の生産原価を下げるために原料綿の輸入を減らすためだとか。綿花畑を見たことがまだありません。知ってるのはCCRのCotton Fieldsのメロディーぐらいです。