夢職で 高貴高齢者の 叫び

          

こんな女に誰がした  *ボクの見た戦中戦後(11)

2013年09月27日 | ボクの見た戦中戦後

 進駐軍が悪いことをしても新聞に載らないと父が母に話していた。 小学生のボクには、どんな悪いことなのか想像がつかなかったが、後にその実態を知るようになった。 婦女への暴行である。 

 敗戦直後に日本政府は進駐軍相手に慰安施設を作り、新聞広告で慰安婦の募集をしていた。 この進駐軍相手の娼婦をパンパンと呼んでいた。

 どこの基地のことか忘れたが、アメリカの基地が出来たときに、パンパンが農家の一部屋を借りて住み、進駐軍相手に商売を始めたとのことであった。 間借りといっても、当時の農家はふすまや障子で仕切られているだけであり、雨戸を開けていれば家の中は丸見えである。

 日中、パンパンが進駐軍相手に行う行為を、小学生たちが隣の部屋や外から覗き見し、その様子を作文に書いていたという。 ボクは高校を卒業した頃、このことに関する記事を雑誌で読んで衝撃を受けた。

 パンパンは軽蔑のまなざしで見られ、バスに乗っても他の乗客から、降りろ、と怒鳴られることさえあるということも知った。

 昭和26・7年の頃のことである。 近所の娘の姿が見えなくなった。 家の者は娘がどこにいるのか他人へ知らせなかった。 村には娘が売られたのではないかと噂がたった。 

 あの頃、駅前のラジオ屋では流行歌のレコードをかけ、外付けのスピーカーで流していた。 ボクは歌詞を全部知ることはなかったが、繰り返し歌われるフレーズだけは覚えていた。

 “こんな女に誰がした”

   星の流れに