以前も書いたが、今年の読書のテーマのひとつがドストエフスキー。現在19巻目で、日記を読んでいる(あと7巻残ってる)。
まだドストエフスキー全体について感想を述べるのは早い(わからないことがたくさんある)が、ひとつ面白い指摘があった。
上位概念によって下位区分の枠を取り払う魔術の怖さである。
19世紀後半、フランスで、宗教を媒介にした連合があった。
普仏戦争後のフランスは、圧倒的多数を占める共和派に対抗する政党がいくつかあった。
共和派は、いわゆる第3身分を基盤に置くが、はっきりいってこの階級はいつもそうであるように実際にはどんなに鋭敏な意見を持つものがそのなかからあらわれても凡庸で保守的な集団としてしか機能しない。
こうした不動だが実はただの小市民集団に対して、その残りの野党たちは一本化するために教皇派を軸にした。
野党それぞれの目的や理念は全く異なるのにである。
もちろんこういう政治上の処置はよくある。
日本の最初もそうだった。7世紀、隋、唐の成立によって倭が日本になったあと、高句麗、新羅、百済それぞれからの移民が群雄割拠していた。そこでそれらを日本という本当にひとつの国にするために上位概念「中国」が使われた(だから秦氏も始皇帝の子孫などといった)。
当時の中国は、東アジアだけでなく、世界最大都市の魅惑的な力すべてで、日本にとって上位概念として君臨し、日本に闇雲に文物を輸入させ、その量の多さは、中国人にさえ把捉できない密教の継承者空海を出したことからもわかる。
話を元に戻そう。
ドストエフスキーによると、ヨーロッパには伝統的にそうした上位概念の最高峰として、ローマ帝国があり、その力の方向性にはふたつのベクトルがあった。
軍事と宗教がそれで、どちらでも構わないから、世界をひとつにしようとした。なんで宗教と軍事力が?と問いたくなるかもしれないが、「カトリック」は「普遍」の意で、「普遍」である環境こそが重要ということらしい。
そして政治的な理由でしかない上位概念の魔力の怖さを、ユリウス暦だと僕と誕生日が同じのドストエフスキーが指摘する。
「突然誰かの上からやってくる決定的な影響をこうむると、とてもつもない、非常に不幸な決断力を発揮することがある。それも決断力があるというよりは、まさにその正反対によるものである。主要なものは、比較考量ではなく、衝動である」
ドストエフスキーがこれをフランスにあてはめるところにまず違和感を感じると思う。なぜならフランス革命で意味されたLiberty は宗教からの自由であるはずだし、また、ロシアが正教を国教としていた事実も思い出されるかもしれない。
しかしそれらの疑問は置いておいて彼の言を追いたい。
重要なことは、上位概念が下位区分の矛盾を解消すべくひねりだされた理を持っていないということである。そして上位概念は、衝動を生むというより強制する力しかもたない。
J'y suis et J'y reste 式な図式である。
それをフランスが採用したとなると、フランスの軍事力がカトリックに与えられることになり、ドイツは歴史上みられる性質からも自明なように(とドストエフスキーはいう)、ローマカトリックの2ベクトルのうち、軍事力を押さえ込む必要に直面する。
そうなればドイツはロシアとの連合を模索しなければならなくなると時事時評を展開し、更にロシアこそがヨーロッパをひとつにする許容力があるという。
問題はその根拠である。
察するに同じく19巻にあるプーシキン論にその回答があるように思われる。よくいわれるように、ドストエフスキーは、プーシキンの後継者を自認している(その中継点にゴーゴリがいる)。そして彼らをつなぐ筋目が「近代」である。
ここでの「近代」とは、庶民が自らの生活を基盤に銭勘定することだが、それを最初に表わしたのがプーシキンだというのだ。
例にオネーギンが挙がっているが、核心となるのは、オネーギンの求婚を断られる理由で、自分の幸福のために他人の幸福をないがしろにしない、女性像である。
つまり上位概念ではなく、下位区分に広がっていくことで、事態の解決を目指す、ils y sont et ils y resteというわけである。
まだドストエフスキー全体について感想を述べるのは早い(わからないことがたくさんある)が、ひとつ面白い指摘があった。
上位概念によって下位区分の枠を取り払う魔術の怖さである。
19世紀後半、フランスで、宗教を媒介にした連合があった。
普仏戦争後のフランスは、圧倒的多数を占める共和派に対抗する政党がいくつかあった。
共和派は、いわゆる第3身分を基盤に置くが、はっきりいってこの階級はいつもそうであるように実際にはどんなに鋭敏な意見を持つものがそのなかからあらわれても凡庸で保守的な集団としてしか機能しない。
こうした不動だが実はただの小市民集団に対して、その残りの野党たちは一本化するために教皇派を軸にした。
野党それぞれの目的や理念は全く異なるのにである。
もちろんこういう政治上の処置はよくある。
日本の最初もそうだった。7世紀、隋、唐の成立によって倭が日本になったあと、高句麗、新羅、百済それぞれからの移民が群雄割拠していた。そこでそれらを日本という本当にひとつの国にするために上位概念「中国」が使われた(だから秦氏も始皇帝の子孫などといった)。
当時の中国は、東アジアだけでなく、世界最大都市の魅惑的な力すべてで、日本にとって上位概念として君臨し、日本に闇雲に文物を輸入させ、その量の多さは、中国人にさえ把捉できない密教の継承者空海を出したことからもわかる。
話を元に戻そう。
ドストエフスキーによると、ヨーロッパには伝統的にそうした上位概念の最高峰として、ローマ帝国があり、その力の方向性にはふたつのベクトルがあった。
軍事と宗教がそれで、どちらでも構わないから、世界をひとつにしようとした。なんで宗教と軍事力が?と問いたくなるかもしれないが、「カトリック」は「普遍」の意で、「普遍」である環境こそが重要ということらしい。
そして政治的な理由でしかない上位概念の魔力の怖さを、ユリウス暦だと僕と誕生日が同じのドストエフスキーが指摘する。
「突然誰かの上からやってくる決定的な影響をこうむると、とてもつもない、非常に不幸な決断力を発揮することがある。それも決断力があるというよりは、まさにその正反対によるものである。主要なものは、比較考量ではなく、衝動である」
ドストエフスキーがこれをフランスにあてはめるところにまず違和感を感じると思う。なぜならフランス革命で意味されたLiberty は宗教からの自由であるはずだし、また、ロシアが正教を国教としていた事実も思い出されるかもしれない。
しかしそれらの疑問は置いておいて彼の言を追いたい。
重要なことは、上位概念が下位区分の矛盾を解消すべくひねりだされた理を持っていないということである。そして上位概念は、衝動を生むというより強制する力しかもたない。
J'y suis et J'y reste 式な図式である。
それをフランスが採用したとなると、フランスの軍事力がカトリックに与えられることになり、ドイツは歴史上みられる性質からも自明なように(とドストエフスキーはいう)、ローマカトリックの2ベクトルのうち、軍事力を押さえ込む必要に直面する。
そうなればドイツはロシアとの連合を模索しなければならなくなると時事時評を展開し、更にロシアこそがヨーロッパをひとつにする許容力があるという。
問題はその根拠である。
察するに同じく19巻にあるプーシキン論にその回答があるように思われる。よくいわれるように、ドストエフスキーは、プーシキンの後継者を自認している(その中継点にゴーゴリがいる)。そして彼らをつなぐ筋目が「近代」である。
ここでの「近代」とは、庶民が自らの生活を基盤に銭勘定することだが、それを最初に表わしたのがプーシキンだというのだ。
例にオネーギンが挙がっているが、核心となるのは、オネーギンの求婚を断られる理由で、自分の幸福のために他人の幸福をないがしろにしない、女性像である。
つまり上位概念ではなく、下位区分に広がっていくことで、事態の解決を目指す、ils y sont et ils y resteというわけである。