明日は大久保利通の命日。
彼もPresidentだったことにあまり異論はないと思う。
西郷の対極のようにいわれるが、このひとを動かしていたのも無私だったから、その血が流れている現職の総理大臣には大いに期待したいところだが、信長の子孫があのスケーターだとすると、期待は減ぜざるをえない。
が、今回は大久保については以前ほめたわけだからちょっと非難するつもりで書き始めている。
そこら中に書かれていることだが、たとえ「結果として」という但し書きがつくとしても「お上(官)意識」をつくった張本人といわれる部分だ。
官のはじめは太政官だった。
慶喜の大政奉還ののちに作られ、廃藩置県ののちに絶対権力になっていた。
が、彼らを官たらしめたのはいわゆる大宝律令以来の制度である位階にあった。
つまり天皇のご威光というハクを利用したに過ぎなかったのである。
次々に正三位などが与えられ、単なる地方武士の薩長出身者が中心となって官となっていった。
この不合理さを在郷の武士ほか西郷が嫌った。
が、有無をいわさず命令を上から下に落とすことしか考えない大久保の態度は変わらなかった。
むしろ取りつかれたように彼の遺言にあるような近代日本の青写真実現に向けて実行にうつした。
その点信長と大久保は似ている。
信長も前回触れた意味での「正しい」しか頭にない男で、その正しさについていかれるものだけが(理解できたかどうかは別問題)信長の手足となって使われ出世した。
ここで問いかけたいのはそもそもリーダーは必要なのかということだ。
本来人間は誰かのために働きたくなどないし、誰かの指示の下でも生きたくもないと思う。
そうしなければ生きられないと判断した連中がいてそれを選んだからということになる。
確かに個人およびその家族だけでは生きようがないのは確かで、農業をやるにしても自分が耕す土地が自分のものであると確保される必要があった。
そこで導き手が要ることになった。
が、問題は誰が官をやるかである。
導き手には、導かれるものにはないものがなければ、導き手ではいられないはずである。
どのように選ぶかが非常に難しい。
現在は学歴+αだが、本当によい指導者を選び得ているか不安でない方はいまい。
信長は、戦国大名としての競争で勝つための正しさを知っていたことと、その正しさがすぐにはわからないことによってそのカリスマを作ったように思う。
事実信長はそれに勝ちすすみ、彼をリーダーとして頂いた人間の判断は正しいかにみえた。
が、ここで全く異質なグループに出くわす。
リーダーはいらないという選択をしたグループである。
官やリーダー層を頂くということは自分の分け前や自由度が減るということであり、それならそれが嫌いという人間が徒党を組めばよい、と考えた連携網の中心が大坂本願寺である。
彼らはいってみれば「市民」連合であり、信長に関わらず誰かによる天下統一だけ阻止されればいいと思っていた。
彼らの動員した軍隊は、ざっと数万というから、かなり大きな大名クラスになるらしい。
が、ご存知の通り彼らは敗れた。
世界にいち早く登場したかもしれない市民社会の可能性が消えたのである。
その後は江戸にしても誰かについていく傾向が濃厚になったように思う。
大久保たちが本来新しい国を作るという場合、理想としたらそうした個人が個人として生きていく社会が望まれたはずであろう。
しかし実際問題そうはできなかった。
大久保たちはお上についていく日本人を決定付けたのである。
その後ろめたさか、大久保は自分の身分の正当性以外では、正しさを伝えうる理論で他を圧倒するほど明晰だった。
今本当の革命があるとしたら大久保がなしえなかったそのようなものではないだろうか。
国と地方の議論にしても、市民団体にしても、僕には、国にぶら下がるものにしかみえない。
彼もPresidentだったことにあまり異論はないと思う。
西郷の対極のようにいわれるが、このひとを動かしていたのも無私だったから、その血が流れている現職の総理大臣には大いに期待したいところだが、信長の子孫があのスケーターだとすると、期待は減ぜざるをえない。
が、今回は大久保については以前ほめたわけだからちょっと非難するつもりで書き始めている。
そこら中に書かれていることだが、たとえ「結果として」という但し書きがつくとしても「お上(官)意識」をつくった張本人といわれる部分だ。
官のはじめは太政官だった。
慶喜の大政奉還ののちに作られ、廃藩置県ののちに絶対権力になっていた。
が、彼らを官たらしめたのはいわゆる大宝律令以来の制度である位階にあった。
つまり天皇のご威光というハクを利用したに過ぎなかったのである。
次々に正三位などが与えられ、単なる地方武士の薩長出身者が中心となって官となっていった。
この不合理さを在郷の武士ほか西郷が嫌った。
が、有無をいわさず命令を上から下に落とすことしか考えない大久保の態度は変わらなかった。
むしろ取りつかれたように彼の遺言にあるような近代日本の青写真実現に向けて実行にうつした。
その点信長と大久保は似ている。
信長も前回触れた意味での「正しい」しか頭にない男で、その正しさについていかれるものだけが(理解できたかどうかは別問題)信長の手足となって使われ出世した。
ここで問いかけたいのはそもそもリーダーは必要なのかということだ。
本来人間は誰かのために働きたくなどないし、誰かの指示の下でも生きたくもないと思う。
そうしなければ生きられないと判断した連中がいてそれを選んだからということになる。
確かに個人およびその家族だけでは生きようがないのは確かで、農業をやるにしても自分が耕す土地が自分のものであると確保される必要があった。
そこで導き手が要ることになった。
が、問題は誰が官をやるかである。
導き手には、導かれるものにはないものがなければ、導き手ではいられないはずである。
どのように選ぶかが非常に難しい。
現在は学歴+αだが、本当によい指導者を選び得ているか不安でない方はいまい。
信長は、戦国大名としての競争で勝つための正しさを知っていたことと、その正しさがすぐにはわからないことによってそのカリスマを作ったように思う。
事実信長はそれに勝ちすすみ、彼をリーダーとして頂いた人間の判断は正しいかにみえた。
が、ここで全く異質なグループに出くわす。
リーダーはいらないという選択をしたグループである。
官やリーダー層を頂くということは自分の分け前や自由度が減るということであり、それならそれが嫌いという人間が徒党を組めばよい、と考えた連携網の中心が大坂本願寺である。
彼らはいってみれば「市民」連合であり、信長に関わらず誰かによる天下統一だけ阻止されればいいと思っていた。
彼らの動員した軍隊は、ざっと数万というから、かなり大きな大名クラスになるらしい。
が、ご存知の通り彼らは敗れた。
世界にいち早く登場したかもしれない市民社会の可能性が消えたのである。
その後は江戸にしても誰かについていく傾向が濃厚になったように思う。
大久保たちが本来新しい国を作るという場合、理想としたらそうした個人が個人として生きていく社会が望まれたはずであろう。
しかし実際問題そうはできなかった。
大久保たちはお上についていく日本人を決定付けたのである。
その後ろめたさか、大久保は自分の身分の正当性以外では、正しさを伝えうる理論で他を圧倒するほど明晰だった。
今本当の革命があるとしたら大久保がなしえなかったそのようなものではないだろうか。
国と地方の議論にしても、市民団体にしても、僕には、国にぶら下がるものにしかみえない。