イギリス/ストックポート日報 《England/ Daily Stockport》

イギリス北西部の歴史ある街、ストックポート Stockportから(ほぼ)日替わりでお送りする、イギリス生活のあれこれ。

マンチェスターの年の瀬、イベント後の寂莫感と大量消費社会の矛盾

2023年12月31日 06時53分48秒 | 英国の、生活のひとコマ

どんより曇った年の瀬の金曜日、マンチェスターに行きました。

クリスマス後、初めての外出です!久しぶりに会う友人と昼食をいっしょに食べました。

待ち合わせは、ピカディリー・ガーデンズ Piccadilly Gardens にあるカフェ。

…クリスマス前には「ウィンター・ガーデン Winter Garden 」なんてしゃれた呼び名をつけられてマンチェスターの冬の名物、マンチェスター・クリスマス・マーケット Mancester's Christmas Market のメイン会場としてにぎわっていたピカディリー・ガーデンズですが...

 

イベント終了後、「宴の後」と言った寂莫感がすごかったです。

クリスマス翌日にはじまる恒例の「ボクシングデイ・セール」で大勢の買い物客が繰り出すマンチェスターのショッピングエリアの表玄関であるピカディリー・ガーデンズ...もうちょっと見栄えに気を使えばいいのに!

 

 

寒い日でしたので、ピカディリー・ガーデンズそのものには人はそれほどいませんでしたが、待ち合わせのカフェは混んでいました。

 

コーヒーを買う人の列は比較的スイスイとすすむのですが、なにせ横に長くて奥行きが浅いこのカフェ、中で座れるテーブル席数が圧倒的に足りません。

市民の憩いの場、都会のオアシス、ピカディリー・ガーデンズに面した公園カフェですので、外に椅子を並べられる夏には大人気なのでしょうが、「少し遅れる」という連絡をくれた友人との待ち合わせにはちょっと不向きでした。

友人と連絡を取り合ってメインのショッピングセンター、アーンデール・センター内に待ち合わせ場所を変更。

 

さて、年が明けた2024年には創刊10周年を迎えるストックポート日報 です。

創刊当初から読んでくださっている皆様、ご記憶でしょうか、現代日本を代表する建築家の一人、安藤忠雄が設計を手掛けたこのピカディリー・ガーデンズに威圧感をもってそびえ続けた(通称)「マンチェスターの壁 Wmanchester Wall」を?

パンデミック明けにお伝えしたように、一部を残して取り壊されました。

ごらんのように、私たちが待ち合わせをしたカフェが入った店舗として機能している大きな部分の「壁」をこのまま残すようです。

上の写真の、トラムのプラットフォームから見える部分はやはりかなりの威圧感です。

安藤によるデザイン・コンセプトだという「都市の喧騒から緑のオアシスを遮蔽する」という目的はかなり達成されている感がありますが、いま改めて残されたこの部分見ると...「ジャマ、とにかくジャマ!」感がぬぐい切れません。(遮蔽しなくてもいいです)

 

かつてストックポート日報で、しつこく何回も記述したように、英国人は打ちっぱなしのコンクリート壁を嫌悪しています。

一般の英国人は「打ちっぱなし壁」に工事が取りやめになってそのままほったらかしの印象を持つようですし、ヨーロッパの暗い歴史の記憶である東西冷戦の象徴、「ベルリンの壁」を思い出させるとも言われています。

私は、どっしりした安定感や無機質な質感は、「マンチェスター市民の憎悪のまとになるほど悪くはない」と思っていたのですが...

大部分が取り払われた後、景観の向上、開放感の楽しさをあらためて感じました!

上の写真の、地面の敷石が不規則に並ぶ位置に、かつてフリー・スタンディングの打ちっぱなし壁が3枚並んで立っていました。

残すことにしたらしい部分の外側から見える、憎悪の的のコンクリート打ちっぱなし処理をどうするか...が今後の課題でしょうね。

取り壊し決定前には、樹木で隠す、コケで覆う、スロープ(丘陵)に埋め込んで芝生を植えるなどの案が出ていたようですが、この大きな壁面がそのまま残っているのは驚きです。

 

さて、カフェ内で座って待つことが難しいことがわかり(寒い日でしたから)、待ち合わせ場所を屋内に変更。

セール目当ての人でいっぱいの アーンデイル・ショッピングセンター(上の写真の右側)に向かいました。

 

予想通りのうんざりな混雑です。これも予想通り、ショッピングセンター内は暖房が効きすぎでした!

平日の午後ですが、クリスマスと新年(祝日は1月1日だけ)の間の年末の1週間、多くの人が有給休暇をとったはずです。出勤した人も、通常のオフィスはがらがらで、取引先の担当者が引継ぎもしないで休暇をとったりで仕事にならなかったんじゃないかと思います。

いっしょに食事をした友人も在宅勤務の日だったにもかかわらず、午後サボって(勝手に御用納めにして)でてきてくれました!

…それにしても、インフレだとか不況だとかクリスマスにプレゼントをもらえない恵まれない家庭の子供がいるとか、はたまた例年通りの「クリスマス借金」で年明けから生活が苦しくなる人の存在だとか、ニュースでさんざん景気の悪い話を聞くこの時期に、バーゲン目当てとは言え、この買い物客の数はどうしたことでしょうか。

収納スペースにも使えるお金にも限りがあるはずのたいていの人たちが、クリスマスを理由にたくさんのモノを買い、またクリスマス後にも買いたいものがある...正しいことだとは思えません。ひどくよけいなお世話ですが!

もともとほしい目当てのモノがあったならともかく、「バーゲンだから買った」商品が本当に必要だったためしはめったにありません。必要ではなかったものは腐りもせずに住居スペースのいくばくかを占領して居座り続けます...人生60年にしてやっと気が付き始めた真理です。

改めて大量消費社会の矛盾を感じた、にぎやかな年の瀬のショッピング街でした。

 

友人とは、バーガー・バーでアメリカ風のバーガーを食べました。

 

セールの喧騒とは少し距離を置いた、ヒップホップでおしゃれなエリア、ノーザン・クオーター Northen Quarter の静かな通りの外からもよく見えたバーガー・バーのカウンターの上の攻撃的な(とくに後半の)スローガンを…

…私は「いいから黙って人生をたのしめ」と訳しました。

よいお年をお迎えください。

 

ストックポート日報の執念深さに自分で呆れました。安藤忠雄デザインの「壁」にまつわる記事の、ほんの一部です。本当はもっともっとありますし、すべて読み返してはいないのですが、以前のピカディリー・ガーデンズの写真を興味深く見返しました。良かったら、時系列順にあけて読んでみてください。

マンチェスターのピカディリー・ガーデンズに異変(その後)

早朝のマンチェスター、朝の7時前

新国立競技場の建築家、安藤忠雄作「マンチェスターの壁」取り壊しの危機! 

明るい冬の朝日を浴びた評判の悪い「マンチェスターの壁」、見方によっては悪くない

夏のマンチェスター、分断の壁を背景にEU離脱抗議デモ

ピカディリー・ガーデンズ、噴水修理工事の開始、鎮魂の樹に集うハト、壁に関して動きなし

大人気!待ちに待ったピカディリー・ガーデンズの噴水の再開!評判の悪い安藤忠雄の壁はハトの憩いの場

壁 二題;バスルームのペンキ塗りとピカディリー・ガーデンズの打ちっぱなし壁

1年と4カ月ぶりのマンチェスター!!感無量!行けずにいたパンデミックのさなかに人知れず取りこわされていた「壁」

 

コメント (4)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

閉店後の店の外部が悲惨なことになっていた気の利いたクリスマス飾り

2023年12月29日 07時03分05秒 | 英国の、生活のひとコマ

クリスマスの前に近所の商店街で撮った、傑作クリスマス飾りの写真です。(12月21日の記事参照)

北極点(North Pole)と間違えて(?)美容院のガラス窓に突っ込んだサンタクロースとルードルフ(赤鼻のトナカイ)。

昨日(12月8日)通りかかったら美容院は閉まっていて...

サンタクロースとルードルフの下半身が轢断されていました。

...5時ちょっと前、昨日、年末年始進行で美容院は休みだったのかもしれません。

12月25日(クリスマス)と26日(ボクシングデイ)、開けて1月1日(ニューイヤーズ・デイ)は公休日、それ以外の年末年始は通常運行の平日なのですが、多くの会社勤めの人は24日あたりから有休をとって、1月2日に出勤する人が多いのではないでしょうか。

この高級住宅街の中の商店街の30%ぐらいの店は休業でした。カフェやビストロはそれなりに賑わっている様子が外から見受けられましたが。仕事が休みで手持ちぶさたの近所の人たちがふらっと出てきて外食を楽しんだのでしょうか。

大規模なショッピング街はクリスマスの翌日、ボクシングデイから大掛かりなクリスマス後のセール(ボクシングディ・セール)が始まって大賑わいのはずでした。

コミュニティに直結した地元の商店街では値下げ目当てに繰り出す大勢の客足は期待できず、また従業員を大勢雇っているわけでもなく、休む時は休む!のでしょう。

1月1日からは、さらなる値下げが期待されるジャヌアリーセールが始まります。

クリスマスの飾りはエピファニーの日(公現祭=1月6日)に取り下ろすのが伝統です。

 

コメント (3)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

家族で過ごした静かなクリスマス、台所に響くヘタなオカリナのひびき

2023年12月23日 05時47分07秒 | 英国の、生活のひとコマ

メリー・クリスマス!

今日、12月26日はクリスマスの翌日、ボクシング・デイ Boxing Day です。クリスマスとセットの公休日ですが、近年はクリスマス後の大々的なセールの開始日として知られています。

 

昨日のクリスマスは夫と娘と3人、それにクリスマスもお正月も自分たちの誕生日すら意識にないどっちらけネコ2匹と過ごしました。

バルセロナに住んでいる息子は、今年のクリスマスはタイで過ごしています。数週間すごしたムイタイ(タイのキック・ボクシング)の合宿所を出て数日間滞在しているホテルが、欧米人の泊り客のために「クリスマス・パーティ」をしてくれたようです。送ってくれたビデオによると、ビュッフェ形式のディスコパーティ―の様相でした。

 

今年も「xx(息子)はクリスマスに来るの?」と何人もの人に聞かれました「来ない」というとみんなひどく気の毒がります。英国人の「クリスマスは家族がそろって過ごす」ことへのこだわりは驚くほど強いのです。...ふだんから国外に住んでいて会えない息子に「クリスマスに」会えないからと言って、べつにどうってことはない私です。

息子がいない今年は小さめのチキンをローストしました。

夫はベジタリアンですので、私と娘の2人にはかなりな量です。

 

「夫には今年は何を用意しようか」と悩む私の手間を省くために、夫が自分でチキンのフィレに食感を似せたマイクロ・プロテイン(キノコ類)製のベジタリアン用の出来合い食品を買ってきました。マクドナルドやKFC(ケンタッキー・フライド・チキン)でベジタリアン用のバーガーに使用している「ベジタリアン・チキン・パティ」と全く同じ味だったそうです。切り分ける前のチキンといっしょに写っています

チキンはもちろん大量に余りました。

今日のお昼はチキンと、チキンに詰めたスタッフィングを薄くスライスして重ね、グレイビーをかけてサンドウィッチにして食べるつもりです。残りの肉は冷凍します。そのうちカレーや炒め物に使うつもりです。

肉と脂が取り切れずに残った骨は弱火で煮て、スープ・ストックにします。昨日の夜、すでに3時間煮込んで火をとめています。今日ももうちょっと煮込んで冷凍します。最後の20分ほどいっしょにローストしたレモン、オレンジ、ローズマリー、チキンに詰めた小タマネギ、それと飾りつけにちりばめてみたザクロもいっしょに煮込んで複雑な味に仕上がるはずです(ワクワク)。余ったご飯でチャーハンを作る時などに重宝します。

...夫がベジタリアンでつくづくも残念です!

 

 

今年もたくさんのクリスマス・カードをもらいました。ここ数年、私たちからは一通も郵送していませんが、クリスマスから年末にかけて、1人ずつ個別にソーシャル・ネットワーキング・システムを使って時候の挨拶メッセージを送るつもりです。

 

さて、一番上の写真ですが...クリスマス・イブの日に郵送されてきたクリスマス・カードの封筒をみて、「あれ、気が付かなかった!!」。

切手の肖像が、見慣れた故エリザベスI世ではなく、新国王チャールズIII世に変わっている!

クリスマスの日の午後3時に恒例の「君主のお祝いメッセージタイム」がテレビで放送されます。今年はチャールズの、国王として初めてのクリスマス・メッセージです。

お父さんの、故エジンバラ公フィリップ殿下にそっくり!老けちゃってびっくりのチャールズ国王陛下...

全く聞いていない娘(スマートフォンに見入っています)とネコのティブです。

ちなみに床の上に置かれているのは、チャリティショップ、オックスファムで25ポンドで購入した中古のローイング・マシン(ボート漕ぎマシン)です。

 

この後、床にラッピングペーパーを盛大に散らかして、クリスマスプレゼントをあけました。

娘が私のためにアマゾンに注文してくれたという「レゴのサボテンキット」は残念、クリスマスまでに着きませんでした。

娘は私たちから現金、ティブとリヴィー(ティブの母ネコ)と庭のガマ(ガエル)から、髪飾り数種ソックスをもらいました。

夫は娘からの(本人が希望した)「ナポレオン軍の歩兵連隊プラモデル」、私から恒例の手編みのソックス2足、ネコたちから必要な(格安)衣類3点、庭のガマからウィットビーのアンモナイトの化石(eベイで購入)をもらいました。

私はクリスマス前にすでに半額になっていたナイロンのキルティングジャケットを夫にオンラインで注文してもらいました。ティブから恒例の箱入りチョコレート、リヴィーからも恒例の入浴剤をもらいました。いずれも毎年恒例、あるいは必要なものばかり。そして...

唯一の、じっさい驚きのサプライズ・プレゼントが...

庭のガマからのオカリナ

しばらく前に「オカリナをふいてみたい」と(夫に)言ったのをなぜか庭に棲む、しかもいま冬眠中のはずのガマが聞きつけてプレゼントしてくれたのです!

午後、料理の合間にオカリナに添付された指使い表をみて練習し「メリーさんのヒツジ」がふけるようになりました。

友人からも私たちそれぞれに気の利いた楽しいプレゼントをもらいました。

テレビで懐かしい映画数本をいずれも途中から見てけっこう楽しみました。

今日、ボクシング・デイは、そもそも「お屋敷の使用人のクリスマス」なのだそうです。

奥様に箱 box に入ったプレゼントをいただいて1日お暇をもらえる、「やぶ入り」のような日だったようです。お屋敷の雇い主一家はその日、前日に用意されたクリスマスのごちそうのあまりもので作った冷たい食事をしたそうです。

お屋敷に限らずごく普通の勤め人や商店主の家庭にも「使用人」がいたという、英国の第ー次世界大戦ごろまでの話です。

私のうちでも今日は(召使ではなく私が作った)サンドウィッチを食べるつもりです。

 

9月に今年最初に食べたクリスマスのお菓子、ミンスパイ mince pie の写真が出てきました。

ミンスパイはショートブレッドのどっしりしたパイ皮の中に干し果実とスパイスを甘酸っぱく煮込んだねちょねちょの餡が入ったパイです。

コメント (4)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

マンチェスターと地元で撮ったクリスマスの飾り

2023年12月21日 08時53分55秒 | 英国の、生活のひとコマ

マンチェスターに行った時に撮った、高級そうなレストラン入り口の門松(ふたご)状態のクリスマスツリー。

 

業務用の指定ゴミ箱がクリスマス配色でした。

 

ところ変わって、地元ブラモールの商店街の美容院のなかなか工夫のある窓飾りです。

窓ガラスを突き破ったサンタクロースとルードルフ(赤鼻のトナカイ)が下半身を外に突き出している飾りはたぶんこの美容院のオリジナルのアイデアではないと思うのですが...ウケました。

ここ数年、季節を問わず、ガラスの内側に専用の絵の具で絵を描くディスプレイがものすごく流行っています。絵心のあるお店の人が多いみたいですね。専門のマーカーペンなども売られていますし、プロのアーテイストもいるようですがこれは微妙に素人っぽいタッチです。

サンタクロースが住む北極点(North Pole)の道しるべに、「ハイライト」「カット&ブロウ」「ブロウ・ウェーブ」など美容院のサービス内容が書かれています。サンタクロースとルードルフは北極点と勘違いして美容院に突っ込んじゃったようです。

 

コメント (1)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今年も買ったフランス製の石鹸、マンチェスターのクリスマス・マーケットで

2023年12月20日 07時59分17秒 | マンチェスター

ウィンチェスター大聖堂の話はちょっと横においておいて...(終わっていませんっ!)

マンチェスター・クリスマス・マーケット Manchester's Christmas market で店を出しているフランス人の石鹸やさんから石鹸を10個買いました。

毎年、ここ12年間ほぼ1年分の石鹸を10個買い続けています。去年より値上がりして1個が5ポンド。10個買えばお得な30ポンド、たしか去年は25ポンドだったはずです。

高級店が並ぶショッピング街、king Street のいつも同じ区画に毎年、ずっと出店しているそうです。

夫の向こう側の若い女性に見おぼえが...と思ったらドラマで見かける実力派の女優さんでした!

マンチェスターのクリスマス・マーケット、今年で25周年目だそうです。

「連合王国で一番のクリスマス・マーケット Manchester-the best Christmas Market in the UK.」と、かなり強気なスローガンをプリントした楽しそうなバナー(横断幕)を町中で見かけました。

国中で開催している、冬の名物「クリスマス・マーケット」ですが、マンチェスターが「元祖」だと激しく主張しています。マンチェスターのシティセンター中に広がるマーケットエリアには今年は225店出店だそうで、規模だけは群を抜いています。

もともとは、堂々たる欧州最大規模(公認)のネオ・ゴシック建築の市庁舎がそびえたつ、このアルバート・スクエア Albert Square を中心に開催されていたのですが...

ごらんのように、白い覆いをかぶって市庁舎はおおがかりな修復工事中です。

板囲いの上に立つ控えめなクリスマスツリーと...

覆いをまとったとんがり屋根部分にのっかった電光「ベツレヘムの星」に注目です。

そういうわけで、去年と今年は本来の開催スポットを追われて町中に拠点を散りばめられたクリスマス・マーケットの出店です。

100を超えるバス路線の終着停留所に囲まれたマンチェスターの玄関口、ピカディリー・ガーデンズ Picaddily gardens はウィンター・ガーデン Winter Gardenと名付けられた飲食スポットになっていました。

 

 

例年アルバート・スクエアの中心に添えられていた、メルヘンチックなドイツ風の風車が今年(と去年)は雑然としたピカディリー・ガーデンズに移ってきているのがなんだかちょっとそぐわない感じです。

ドイツを中心としたヨーロッパのクリスマス・マーケットの模倣がマンチェスターのクリスマス・マーケットの人気の秘密です。「ジャーマン・マーケット」と呼ばれた最初の数年間は、まさに「ドイツ物産展」のような店ぞろえでした。

英国人にはなぜかグリム童話のようなヨーロッパ大陸のクリスマスに憧れがあるのです。

マンチェスターのクリスマス・マーケットに、ドイツのビール、グルーヴァイン(スパイスの入った暖かい甘いワイン)ジャーマンソーセージのホットドッグ、ストゥルーデル(長方形のアップルパイ)などなど...「ドイツに行かないと食べられない!」この時期限定の食べ物を目当てにたくさんの人がやってきたのです。

現在では上にあげたそのすべてが英国の多くのスーパーマーケットで手に入るのですが、それでも「マンチェスターのクリスマス・マーケットでグルーヴァインを飲む!」のを楽しみにしている人が大勢います。

ここ20年ほどの間は、他のヨーロッパ諸国のみならず、地元のビジネスも数多く出店していて、ドイツやヨーロッパの雰囲気にそれほどこだわってはいないようです。

 

それでも...

高級店(と場違いなマクドナルド)が並ぶショッピング街、セント・アンズ・スクエア Saint Ann's Square ☟と石鹸屋さんが店をだすキング・ストリートには、クリスマス・マーケット伝統のヨーロッパ物産が数多く並び、マンチェスターのクリスマス・マーケットならではの雰囲気です!

東欧の琥珀や...

 

スペインのパエリャ(ヴィーガンのパエリャまで!)

ドイツのソーセージ...

オーストリアのパンケーキ...

 

イタリアのチーズ。

 

英国代表、チェシャーのパイ!

...などを売る店が通りがかりに目につきました。

キング・ストリートの、ドイツのビールやグルーヴァインを飲ませるバーです。

アルバート・スクエアに本拠地があった2年前までは、毎年必ず同じドイツ人の一家からジャーマン・ソーセージのホットドッグを買って食べていたのですが...どこに移ったのか去年も今年も見かけません...

 

 

ドイツ人のソーセージ・バーは、他にもあります。

上の写真の店( 魔女の家 Witch House )の名物のベルリン味だという、カレー粉をトマトケチャップで溶いたソースにディップしたソーセージを数年前、試してみたことがあります。おいしかったのですが(家でマネしてみました...成功)...クリスマス・マーケットのジャーマンソーセージは「アルバートスクエアであのドイツ人一家から」ときめている私はここ2年間、ジャーマンソーセージのホットドッグは食べていません。

市庁舎の修復が終わり、本拠地がアルバートスクエアに戻ってくれば、あの人たちもまたドイツから来て店開きするでしょう。(そうだといいのですが)

1年にたった1度だけ来て10個石鹸を買う私たち夫婦のことをフランス人の石鹸屋さんはちゃんとおぼえていてくれ、「今年も来てくれたんだね、うれしいよ」と歓迎してくれます。

 

他に、フランスのクレップ(クレープ)、オランダのパンケーキ、ベルギーのワッフルなども「マンチェスターのクリスマスマーケットらしい」名物です。

 

写真写りがいいためか、マンチェスターのクリスマス・マーケットの写真としてよく使われる、この英国の駄菓子屋の屋号がすごいですね。

「お菓子の王国 Kingdom of Sweets」。

量り売りのこの駄菓子、日本へのお土産にいかがでしょうか。小分けしてご近所や職場でお配りするのにぴったりだと思います。(合成着色料もご愛嬌)

 

マンチェスターのクリスマス・マーケット、もちろん工芸品や装身具、家庭用の雑貨、ギフトウェアなど、食べ物以外の品ぞろえも充実しています。

 

雨が降って寒い日でした。

ところどころに飲食できる屋根のあるスペースが設けられています。

それでも外で食べるのは寒いです。

 

あまりウロウロせずに、石鹸だけ買った後、帰りの電車に乗る前に遅い昼食を食べたのは...

ピカディリー・ガーデンズのウィンター・ガーデンに面した博多ラーメンレストラン、ショーリュー(昇龍)の...

ガンソ・トンコツ・ラーメンです。

ベジタリアン用のラーメンのスープははただの「ダシのきいていないお味噌汁」なので、夫はいつもカボチャのフライがのった「カツゥ・カレー」を注文します。暖房のきいた暖かい屋内でアツアツのラーメンを食べて汗だくになりました。

 

 

コメント (2)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ウィンチェスター大聖堂のちょっと変わった見逃せないスポット(観光案内)

2023年12月18日 05時47分51秒 | ロンドンとイングランド南部

イングランド南西部の古都、ウィンチェスタ ー Winchester の名所、ウィンチェスター大聖堂 Winchester Cathedral、続きです。

 

アーチの奥が、ノルマン時代(11世紀初頭!)の建築部分です。(前回の記事参照)

上の写真の、左側の壁の向こうが「プレスバティリーpresbytery (内陣奥の司教席)」という、普通なら大聖堂の一番奥あたりにあるはずの部分なのですが、長いのが自慢のウィンチェスター大聖堂はちょっと違って、まだ続きがあります。

プレスバティリーの先には「レトロクワイヤ retrochoir 」という、イングランドの他の大聖堂ではあまり見られないおまけの部分があります。ここ☟

とんがりアーチの向こうに見えているのがプレスバテリーの内側です。

ウィンチェスター大聖堂の守護聖人は、おなじみの使徒聖ペテロと聖パウロと...聖スイザン Saint Swithun(誰?)。今回、ガイデッド・ツアーに参加するまで知りませんでした。

聖スイザンは、アングロ・サクソン時代のウィンチェスター司教で、司教在任中に、橋の上で割れた卵を元通りにしたという「奇跡」のために中世のヨーロッパ中に名前が知られた聖人だそうです。

ウィンチェスター大聖堂が中世有数の巡礼目的地だったのは聖スイザンゆかりの地だったためです。

聖スイザン詣での巡礼者にワサワサとおしかけられた大聖堂はわざわざ13世紀に聖スイザンを祀るための聖域、レトロクワイヤを増築してしまったのです。建築様式はそう言うわけで当時最新の「アーリー・イングリッシュ・ゴシック様式 (初期イングリッシュ・ゴシック)early English」

徒歩で長い時間をかけて聖地をめぐる中世の巡礼者たちの動機は篤い信仰心だけではなく、「御利益」めあてもあったのでしょうね。奇跡をおこした聖人ゆかりの地に詣でると、病気の快癒など何か得することが期待できたようです。

863年、大聖堂建設前に亡くなったスイザンの遺体(の一部)は大聖堂内をめぐりめぐって13世紀に9枚の金ぴか聖画(20世紀末の製作)のかかっている壁の下におさまったそうです。

壁の真ん中に開いているアーチ型の穴は「聖なる穴 Holy Hole」と呼ばれているそうです(笑えました...バチアタリ)。献金すれば穴の中に這いずり込んで聖スイザンのすぐそばで願い事ができるという、中世の巡礼者たちにとって大人気のありがたいパワースポットだったそうです。前にお花が供えてありました。

 

現代工芸作家が制作したカラッポの聖櫃です。☟写真を撮るのを忘れたので、観光ウェッブサイトから勝手に借りた写真です。

もともとこの場所にあった礼拝の対象である聖スイザンのレリック(遺物)がおさめられたシュライン shrine (聖域)は17世紀の清教徒革命の時に、カトリックの偶像や聖人伝などが大っ嫌いな清教徒軍に壊されてなかみ(遺骨の一部)はもち去られてしまったそうです。宗教改革後のその時はすでに英国国教会の大聖堂になっていたので、もう巡礼たちの礼拝の対象ではなくなっていたんでしょうけど。

有名な(それにしてはバカバカしい...バチアタリなことを言いました)「タマゴの奇跡」のエピソードにちなんだ金のタマゴ形の4本のロウソク立ての土台にちょっとさわって「家内安全」祈願をしてきました。信仰心がなくて申し訳なかったのですが。

 

ノルマン様式のトランセプトを出たあたりから、通路に敷き詰められたタイルの模様がステキです。

モダンでとってもオシャレでしょう?

マンチェスターでテキスタイルデザインを学んでいた頃、このタイルの模様をスケッチしたことがあります。

「伝統文様を模写して研究する」という課題のためです。ウィンチェスターから、マンチェスターに移った後も友人を訪ねてたびたびウィンチェスターに戻ってきていました。(大聖堂が入場無料だった時です)

 

ガイトさんによれば、通路のタイルは1963年に完成した複製だとか(私が生まれた年です)。

 

聖スイザンの聖域のあたりのタイル☟は、13世紀のオリジナルだそうです!大聖堂のウェッブサイトには「ハイヒールは脱いで拝観してください」と書かれていました。

 

もうひとつ、ウィンチェスター大聖堂で見逃せない私のおススメスポットは...

トランセプト北側 (入り口から見て左側)North trancept に入り口のある...

クリプト cript (地下室)」!

盛夏の数週間以外、いつも雨水がたまっていて神秘的な雰囲気です。照明効果も秀逸です。

現在は見学デッキが設けられていて、いつでも見られます。

30年以上前はたしか水の引いた夏のあいだだけ、予約制でガイド付きのツアーに参加しないと見られなかったはずです。あ、というかその頃はトランセプトの大掛かりな修復期間中でしたので、入り口付近は立ち入り禁止だったかもしれません。

一番初めに建設が始まった、大聖堂に現存する最古の部分だそうです。

1079年建造のノルマン時代のクリプトに、Sound II という思わせぶりなタイトルがついたなぞの現代彫刻像が膝まで水に浸かって立っています。宗教的な思索にふけっているのかもしれませんが...まっぱだかなのが怪しげです。

ガイドさんによれば学校から見学に来た子供たちに「スマートフォンを見ている像」と言うと大ウケだそうです。実際は両手にためた水を見つめているそうですが、見学デッキからは遠すぎて見えません。

見学コースを案内してくれた人とは別の、クリプト専門のガイドさんです。ガイドなしでも入れます。

水が引く夏にはガイド付きでクリプトを順路に沿って歩くツアーもあるそうです。

見学デッキの後ろの壁には調節バルブのついた太い鉄の管がのびていました。ガイドさんに「これは水量を調節するパイプ?」とマヌケな質問をした私に「違う、水量は調節できないよ。これは堂内のセントラルヒーティングシステムだ」と教えてくれました。

そう言えば、大聖堂内はびっくりするほど暖かかったです!

以前(入場料をとる前)はもっとずっと寒かったような...?たしかに12ポンドの入場料をとられて寒かったら怒りたくなったかもしれませんが...外が寒かったので重ね着をしてきた暑がりの私には暖房が効きすぎでしたっ!

 

 

 

 

 

 

コメント (6)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

入場料を払った価値はあり、建築史の見本帖ウィンチェスター大聖堂

2023年12月16日 23時09分57秒 | ロンドンとイングランド南部

イングランド南西部の古都、ウィンチェスタ ー Winchester の名所、ウィンチェスター大聖堂 Winchester Cathedral、続きです。

12ポンドの入場料を払って二十数年ぶりに入りました。(前回の記事参照)

「年間パスポート」でもある入場券といっしょに手渡された案内リーフレットを手に1人で見学してまわるつもりでしたが、ちょうど無料ガイデッド・ツアーが出発するところだったので、参加することにしました。

少人数グループで、充実した内容のツアーでした。

32年前にも参加したガイデッド・ツアーです。内容は、ほぼ同じだったように記憶しています。

英語力も知識も向上している今、いちおう分かったつもりだった当時よりもずっときちんと説明が頭に入ったことが嬉しい驚きでした!

大聖堂の建築が始まったのは1079年、ノルマン時代です。

征服者のノルマン人は、イングランドでキリスト教の布教が始まったアングロ・サクソン時代のものすごくたくさんの教会を取り壊して、自分たちのヨーロッパ大陸式のやり方(ロマネスク)でいちいち建て直したそうです。

(ノルマン様式は、そのヨーロッパ大陸式の建築様式のイングランドでの呼び名です)

イングランド独自の建築様式であるアングロ・サクソンの教会がほとんど現存していないのは、ノルマン人の この「こだわり」のせいだそうです。まあ、ノルマン様式の建築もあまり残ってはいませんが。古いですから!ボロッちくなってきたら、新式の様式で建て直したくなるのはいつの時代も同じですね。

 

入口を入ってズッドーンと見渡せる長い長いネイブ(身廊)部分は14世紀の改築です。

 

当時のウィンチェスター司教のウィリアム・オブ・ウィカム(通称)という人の発案で、当時ヨーロッパ中ではやりの「垂直様式 perpendicular(後期ゴシック)」に建て替えられました。

正面入り口です☟

 

大聖堂の付属施設(創設当時)で、リシ・スナク首相の出身校、ウィンチェスター・カレッジ Winchester College を創設したのもこの人だそうです。

ウィリアム・オブ・ウィカムのお墓です。

チャントリー chantry (廟?)という墓室におさまった石棺に彫刻された本人の遺体の枕元の天使と、足元のマンガのキャラクターようなずんぐりむっくり修道僧がかわいいでしょう?

 

「史蹟アトラクション」のように入場料をとるウィンチェスター大聖堂、もちろん英国国教会の「司教の座」を有するちゃんと現役の宗教施設です。

見学中、数時間おきのお祈りの時間になりました。もちろん無視してもぜんぜんかまわないのでしょうが、ガイドさんが座るように促したので、5分ぐらい堂内アナウンスで流れてくる「主の祈り」を黙とうして聞くはめになりました。

クラシック・コンサートでもあったのでしょう。ミュージシャンがリハーサルをしていました。

そうそう、30年ほど前(入場料をとる前)はネイブに並ぶ礼拝用の椅子は全て伝統的な造り付けでした。

今回行った時は、不要な時は重ねて別の場所に収容できる集会用の木の椅子が並んでいました。ウィンチェスター大聖堂、お前もか?!

このごろ宗教施設ではおなじみの、椅子を片付けて広大なスペースをイベント等に(もちろん有料で)貸し出せるシステムにしたようです。史跡の修復保存にかかる費用は莫大でしょうから。

繊細で優美な垂直様式はとにかく荘厳!

 

アングロ・サクソン時代の建築物がほとんど残っていない現在、イングランド最古の(現存する)建築様式、ノルマン様式の建築物はすっごく貴重です!

ネイブから両側に直角に伸びている「南北トランセプト(袖廊)」が、1,079年に建造されたノルマン様式そのままに残っています。

上の全景写真の、右側、横に長く伸びているのがネイブです。トランセプトというのは真ん中よりちょっと左寄りの三角屋根の3層に分かれ突き出した部分です。

 

トランセプトの内部です。

ノルマン様式はどこもかしこも素朴でどっしりしているでしょう?

天井も平べったい板張りで単純な連続模様が描かれていて...ネイブの凝ったファンボウルティング fan vaulting という扇のように広がる筋状の天井装飾と大違い。

静謐で重厚...悪く言えば粗削り。

そう言えば、説明がなかった(あるいは聞きのがしたのか?)このキリスト像はなんだろう?十字架がない、あ、ハダカではない!

たぶん、現代アーティストの作品だと思うのですが、調べられませんでした。よく古い宗教建築で見かける、とってつけたように飾ってある宗教モチーフの現代アートって「ジャマ」(個人的感想)なことが多いのですが、これは素朴なタッチがけっこうサマになっていました。

ノルマン時代の壁にはどっしり厚みがあります。

建築技術があまり進んでいなかったので重い天井を支えるのにしっかりした壁が不可欠だったからだそうです。

壁の厚さを利用してアーチの内側を二重、三重の層に装飾するのも特徴です。

ところで、私がウィンチェスターに住んでいた32年前も、マンチェスターに移った後、何回か友人を訪ねてウィンチェスターに戻ってきた時も、とにかく大聖堂の入場が無料だった25年ぐらい前までいつ行ってもこのあたりは修復中でした!足場が組まれていて通り抜けられなかったはずです。この部分を見たのはこれが初めてでしたから!

ついに見た、11世紀のノルマン建築!感慨無量です。

段差が多い場所です。車いすの見学者が行き来できるようにちゃんと完備された車いす用のリフトが使われるところも見られました。

 

ノルマン時代のトランセプト見学を終え、「レトロクワイヤ retrochoir 」という、イングランドの大聖堂にはめったにない「おまけ」の部分(こっち側)に入るところです。

このレトロクワイヤというのは、1200年代の「アーリー・イングリッシュ・ゴシック様式 (初期イングリッシュ・ゴシック)early English」 の改装で...ややこしい...!扇の天井のネイブ部分(1420年頃完成)より時代が上がります。

大聖堂の心臓部(交差部)である「チャンセル chancel /クワイア choir(内陣)」ももちろん見学しました。

長くなるので...次回に続きます。

 

コメント (6)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ウィンチェスターといえば大聖堂、史蹟保護資金獲得のため高額入場料もやむなしか

2023年12月15日 08時37分35秒 | ロンドンとイングランド南部

イングランド南西部の古都、ウィンチェスター Winchester、続きです。

ウィンチェスターといえば、有名な ウィンチェスター大聖堂 Winchester Cathedral

1079年に建立されて以来、巡礼の目的地として中世の頃には大盛況だったウィンチェスター。

現在でも重要な史跡遺産で、もちろん大切な観光資源でもあります。

 

今回、11月末に訪ねた時、大聖堂の境内ではクリスマス・マーケット Winchester Christmasmarket が開かれていました。

日暮れ後、クリスマス気分を盛り上げるためか、正面が赤くライトアップされていました。火事みたい。あるいは暗がりであごの下に懐中電灯の光を当てた「怖い顔」を思い出させる不気味な演出です。

正面向かいの小さな広場の戦没者慰霊塔です。(その背後にもマーケットの小店が並びます)赤いライトアップは戦没者に捧げる赤いポピーと関係がある?...いや、絶対ないです!

 

(追悼のシンボル、赤いポピーのリースが青空のもと鮮やかな日中の戦没者慰霊塔です)

 

正面を右がわのバトリス(横壁からのびている支え)の間に並んだ小店はスタンダードな白く灯ったライトアップでけっこういい雰囲気でした。

大聖堂の境内いっぱいに広がり歴史的なバックグラウンドを背景に見た目はステキなクリスマス・マーケット、欲しいと思うものを何ひとつ見つけられませんでした。

英国の、大陸ヨーロッパのクリスマスへのロマンチックな憧れを体現したマンチェスターの超大な規模の、「元祖クリスマス・マーケット」はもともと「ジャーマン・マーケット」とよばれていたドイツ物産展のような品ぞろえでした。今でこそ、ドイツ臭はかなり薄まっていますが、ヨーロッパ各地の食べ物や生活必需品など、ヨーロッパの非日常的な雰囲気にのまれてついつい何か買ってしまいたくなるものです。

...それに比べるとウィンチェスターのクリスマス・マーケットは...地元作家の工芸品や個人輸入した飾り物や装身具などプレゼント需要に特化した(お値段もかなり高めの)の品ぞろえでクリスマス・マーケットだからこそ、これを買わなきゃ!という高揚感はありません。なんだか地元の零細ビジネスを応援するためのイベントのように(私には)見えました。

以上は個人的な感想です。

 

大聖堂正面に店開きしていたミュールド・ワイン(薬草が入った甘いワイン)とチューロ(スペインのドーナツ)を売る金ぴか愛国調屋台です。王室の紋章モチーフ、ユニオンフラッグ、ネルソン提督、エリザベスII世女王、ビクトリア女王の肖像...でもなぜ?

12月の週末は、クリスマス・マーケット目当てに観光バスが何台も乗り付け、身動きできなくなるほど人でいっぱいになる(友人談)、そうなので評判はいいようです。9年前に訪れた時にもマーケット開催中でした。当時まだ2回目ということでしたので、新しい催しのようです。

 

本題に戻ります。ウィンチェスター大聖堂はアングロ・サクソン時代(アルフレッド大王の頃)の小さな僧院が起源だそうです。

(写真を見て気が付きました。明るい昼間からもう赤いライトアップの灯がともっています。なぜ?!)

その後規模が拡大し大聖堂に発展、建造が始まったのがノルマン時代の1079年。それ以後、1532年まで増築、建て替えがつづき、中世の建築様式がごちゃ混ぜのとても興味深い建築物です。

1079年建造の一番古い部分が現存します!!

右側の正面入り口から長ーく延びるネイブ nave (身廊)と交差する三角形の南北トランセプト North and South transept (袖廊)と、その上の四角い塔がノルマン時代のオリジナルです!...それと地下のクリプト cript ...他の部分は12世紀から15世紀にかけての、 前後期ゴシック様式による新改築です(それでも古い!)。...後述します。

ヨーロッパで一番長いネイブを持つ宗教建築だそうです!礼拝をとりおこなうチャンセル(内陣)のさらに後ろにもダラダラと延びる長い長ーい一直線が異例なレイアウトのウィンチェスター大聖堂。

今回、べらぼうに高い入場料(12ポンド)を払って入場しました。

12ポンド(2,164円)はここでも1年間何回でも入場できる「年間パスポート」料金です。他のオプションはなし。1回しか入場しない観光客が年間料金を払わされるのはやっぱり割に合わない気がします。

家に泊めてくれた友人は用事があったので別行動、私1人で大聖堂見学をして...よくないことなんでしょうけど...「年間パスポート」チケットは現地に住む友人にあげてきました。私は友人を訪ねて、1年以内にもしかしたらもう1回ぐらい行く機会があるかもしれません。その時はそのチケットを借りるかもしれません ... 高額の入場料はあくまでも貴重な「史蹟遺産」保護のための寄付金であるはずです。友人間のみみっちいチケットの貸し借りはやっぱりよくないのかもしれません。(まあ、いいか...チケットに名前を書かされたわけではなし)

大聖堂の敷地内でのナマグサな商業活動(クリスマス・マーケット)も、そういえば維持費、修復費のための財源確保手段なのでしょう。

留学最初の1年を過ごし、マンチェスターに移ってからここ30年ほどの間に、10回は訪れているウィンチェスターですが、入場料をとるようになってからたぶん20年以上、大聖堂には入っていません。今回、本当に久しぶりでした。

信者ではない私ですが、いつでも誰にでも開放されるべき祈りの場である大聖堂に入るのに入場料をとることに疑問を持っていました。

ウィンチェスターに住んでいた短期間の間、入場無料だった大聖堂にたびたび入ってただボーっと座っていたものです。

今、思えば素晴らしい経験でした。...その当時から20年間ほど、ウィンチェスター大聖堂はいつ行っても外壁のどこかを足場で囲われ、見苦しい覆いをかけられて修復中だったのです。

大聖堂の堂々たる外観を覆いなしではじめて見た9年前、修復にさぞお金がかかったことだろうことをおぼろげながら理解できました。。やっぱり仕方ない、12ポンドの入場料...(1年間有効ですし)

 

ウィンチェスターの通りで見かけたかわいい家です。

コメント (2)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

歴史上の重要な舞台、ウィンチェスターには古い建物と、史蹟観光物件がいっぱい

2023年12月12日 06時01分54秒 | ロンドンとイングランド南部

南西部の古都、ウィンチェスター Winchester、前回の続きです。

ハンプシャーの「県庁」にあたるHampshire County Council の前にたつ、県のマスコット、ハンプシャー・ホッグ Hampshire Hog (ハンプシャーのブタ)です。行くたびにいっしょに記念撮影することにしています。ちなみに屋根の上のウェザーベイン weathervane (日本語で風見鶏)も「ブタ」です!

ウィンチェスターは、紀元後70年ごろ、古代ローマ人によって建設された古い町です。

イングランドが古代ローマ帝国の属州だった360年間(紀元後43年から407年)にローマ人によって作られた無数にある町の中でも、ウィンチェスターは特に重要な要塞の町だったようです。

町の中心を走るショッピング・ストリート、ハイストリートの始まりにあるウェストゲイト The Westgate、上階が小さな博物館になっている中世のゲートハウス(上階に居住スペースを有する門)です。☟

ウィンチェスターは古代ローマ時代から石壁で囲われた城塞都市だったのです。ゲートハウスは石壁の一部として組み込まれた建築物です。

何度も建て直された石壁の大部分は、18世紀に取り壊されたようです。

ゲートハウスも東西南北 + もう二つあったようですが、このウェストゲイトともうひとつ、キングスゲイト Kingsgate(☟の写真)を残して石壁の大部分とともに取り壊されちゃったようです。

残念。私は石壁に遮蔽された中世の町が大好きなものですから。

ウェストゲイトに話を戻します。

上階の博物館に入ってみたいと長年思っているのですが、なぜか機会を逃し続けています。入館料はたったの3ポンド、しかも1年間有効の、「入館パスポート」だそうです。

近頃、このシステムの史蹟アトラクションや博物館が多いようです。観光に行った先でたったの1回しか入場しないのに1年間有効の料金を払わされるのは割に合わない気がしますが3ポンドなら1回の入館でもじゅうぶんお得です。(史蹟保存のための寄付と思えば納得です)

12世紀(古代ローマ人が撤退した後)の建造、石壁が取り壊された後もしっかり残る中世の建築物!チューダー様式(16世紀)の天井画や、17世紀の債務者監獄がそのまま残っているそうです。見なきゃ!

...オンラインで、あるいは足を運んでの入館予約が必要なようです。

写真に撮ったウェストゲートの、反対側の窓からの坂下のハイストリートHigh Street を見下ろす眺望もなかなかステキそうです。

5日間も滞在させてもらった友人宅がすぐそばにあるため、町の中心地に出向くため、毎日ゲートをくぐりました。

 

ゲートの向こうに見えているのがショッピング街、ハイストリートです。

ウェストゲートをくぐって少し歩くと右側にある中世の薫り高いモニュメントは...

シティ・クロス City Cross、バタークロス Buttercross とも言います。14世紀の建造です!

英国の公認のマーケットが開かれる中世以来の市場町の中心でよく見かける、壁のないあずまや型の「バタークロス」と違って、聖母はじめ、カトリックの聖人像がごちゃごちゃと彫り付けてある宗教的でありがた~いデザインです。

通常のあずまや型のバタークロスと同様、土台の六角形の段々に商人がバターやチーズ、卵を並べて売っていたそうですがなんだかばちあたりな感じがしませんか。

17世紀の清教徒革命の内乱に巻き込まれたウィンチェスター(郊外が激戦地でした)のどまんなかにコテコテのカトリックの遺物を満載したモニュメントが残ったのは奇跡だと言われています。清教徒軍は手あたり次第「偶像」を破壊しまくったということですのに。

調べたら、19世紀末にかなり大掛かりな修復が施されていました。

 

バタークロスの前からウェストゲートに向かって振り返って見た写真です。

11月の終わりの立派なクリスマスツリー。

 

 

ハイ・ストリートの終わり、いくつかの道路が合流するラウンドアバウト(方向転換ロータリーのようなもの)の中央にドンとそびえたつのが...

 

郷土の偉人、そこらの名士とは偉人度の桁が違う、アルフレッド大王 Ælfred (Alfred) the Great(849?~899)の巨大な銅像。

英国史上、the Great (大王)の尊称で呼ばれるのはこのアルフレッドただ1人、しかもこれから先も彼以外のだれも the Great 呼びされることはないそうです。

何かをいいかげんに読んだか、誰かにいいかげんなことを聞いたのか....私はウィンチェスターに住んでいた33年前から、ほんの45分ほど前までイングランドを統ーしたのはこのアルフレッド大王だと思っていました。

調べたら違いました!古代ローマ人が大陸の民族大移動などの混乱でブリテン島支配を放擲したあと、部族国家を複数有し内乱続き(アングロサクソン七王国時代)だったイングランドを829年に統ーしたのはウェセックス王、エグバートだったそうです。アルフレッドのおじいさんです。

じゃあ、孫のアルフレッドの何がそんなに偉大だったのかと言うと..

統ー後も襲撃を繰り返すデーン人(バイキング)を撃退した、海事に長けたデーン人を海上で打ち負かし海軍組織の基礎を築いた、法律や税制を整えて法治国家の基礎を築いた、それまで読み書きできる人はいなかった(古)英語の表記法を確立、異教徒が多かったイングランドで多くの人をキリスト教に改宗させた...というイングランド人の自国のアイデンティティ上もっとも重要なことをいろいろ実現したのでした。

ウィンチェスターに住んでいた30年以上前に知っていればよかった...!

インターネットが発達した今は本当に便利です。キーワードで検索すれば瞬く間に何でも教えてくれるのですから。図書館に行ってぶ厚い英国史の本を最初から読んでいく、なんて仕事かレポート提出かでもないかぎりやりませんよね。

イングランド初の統ー国家成立によって、アングロサクソン七王国の一国だったウェセックスの首都、ウィンチェスターがイングランド史上最初の首都になりました。

 

バタークロスのそばで、お店に入ったマミーをダディといっしょに待っていたイングリッシュ・ブルドッグのデンズィくんです。

ウィンチェスターの歴史散策、次回に続きます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

コメント (3)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

思い入れの深い町、南西部の古都、ウィンチェスター

2023年12月10日 05時35分09秒 | ロンドンとイングランド南部

11月21日から(ずいぶん前ですね)英国南西部の美しい古都、ウィンチェスター Winchester に旅行しました。

4泊5日、日本人の友人との旧交を温めるための「お泊り交歓会」でしたので、夫は同行しませんでした。

ウィンチェスターは、私にとって特別に思い入れのある町です。1991年から1992年にかけて、3年間の留学生活の最初の1年をウィンチェスターにある「アートスクール」で過ごしました。(大学の学士過程;英国の大学は通常3年制です)

 

ウィンチェスターに住んでいたその友人とは、その時以来の長い付き合いです。

事情があって転学し、2年生から編入したポリテクニック(現在では廃号された、産業工科大学と和訳されている学士過程)のあるマンチェスターにうつったあとも、休暇中に何度かウィンチェスターに戻りその人の家に滞在させてもらいました。

...友人の事情で泊めてもらうのが難しくなったり、そうそうパンデミックも挟まりましたし...しばらく足が遠のいていたウィンチェスターです。友人の身のまわりも落ち着いて、泊めてもらうことができた今回は実に2014年以来、9年ぶりの訪問です。

 

街並みは本当に30年前と変わっていません。さすがは古い街並みをていねいに保存してきた英国屈指の史蹟観光地だけあります!

街並みも町にとっては観光資源、「飯のタネ」だけありますね。

国内屈指の「観光地」としての歴史は11世紀ごろまでさかのぼれます!!

ウィンチェスター大聖堂 Winchester Cathedral が1079年に建立されて以来、カンタベリー大聖堂とならぶ英国南部のありがた~い巡礼目的地として多くの人を惹きつけてきたそうですから。

 

 

後述しますが大聖堂の他、めぼしい中世建築がいくつかと、とてもとてもたくさんの17世紀から20世紀初頭にかけての雑多な様式の民家や店舗がぎっしり並ぶ、古い街並み好きにはこたえられない魅力的な場所なのです!

それにくらべて、そのあと2年の学生生活をすごした北西部の工業都市マンチェスターの、特に中心部のここ30年間の街並みの変わりようと言ったら...目を見張るようです。

みっともないコンクリート造りの中途半端にモダンな建築物とラクガキだらけの空き家がならぶ、不況のどん底だった1990年代のマンチェスターを初めて見た時はひどく気落ちしたものでした。ウィンチェスターとの見た目の落差が大きすぎて。

それでも活気のある大都市での学生生活はとても楽しいものでした!...英国現代史に残る大事件、IRAによる「マンチェスター爆撃」で町の中心地が破壊されたこともあり、復興を機に今ではスッキリ、モダンな都市計画が完了しています。

以来、マンチェスター(シティ・オブ・マンチェスター)と、グレーター・マンチェスターの「バロウ」のひとつであるストックポートに定住して30年以上たちます。

いつも、いつまでも美しいウィンチェスターは、私のちょっとした故郷のような場所なのです。

 

 

 …と言っても、ウィンチェスターも、店やカフェ、レストランなど商業施設の入れ替わりの激しさは他の街と変わりません。オンラインショッピングにおされて、小売店が苦戦しているのは世界中すべての先進国に共通していることですよね。

それでもウィンチェスターでは観光地ならではの、個人経営のこぎれいなギフトショップが健闘しているようでした。

 

30年以上前、留学時代を過ごしたウィンチェスターには新学期が始まる秋に来て、夏前には転居したものですから、日が暮れるのが早い、暗くて寒い冬の印象ばかりが強く残っています。

現在は高額な拝観料をとるウィンチェスター大聖堂には、当時は無料で入れました。地元の信者や中世の巡礼者が気楽に立ち寄って神様との対話ができる静かな信仰の場所だったわけですね。

騒々しくも、ものがなしい鐘の音にも心がザワザワする旅情を感じたものでした。

見るものがすべて珍しく楽しく、一度もホームシックにかからずにすごせました。

 

歴史のある古い町で英国滞在の最初の1年近くを過ごせたことは、私の、結果的に永住することになった英国に対する思い入れに大きな影響を与えたことは間違いありません。

次回から、大聖堂など見どころをちょこっとご紹介します。(建築の話をダラダラ続けないよう、気をつけます)

 

 

 

 

 

 

 

コメント (1)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

パンデミック終了後に感染か...コロナウィルス蔓延の思い出をたぐるクリスマス前のここ数日

2023年12月06日 05時51分00秒 | 英国の、生活のひとコマ

ごぶさたしていました。最後に記事を更新したのが...あらまあ、11月17日、20日ぶりですね!

いつの間にか2023年も終盤、クリスマスの準備にうかれストレスをためる人も多数の英国です。...忙しくしていました。

...といっても11月の後半に英国南部の美しい古都、ウィンチェスターに住む日本人の友人宅に4泊も滞在しましたが...

 

ひさしぶりの投稿再開の話題は…コービッド(COVID 19、コロナウィルスによる感染症)です。

写真は、12月らしい霜の降りた庭、クリスマス前のスーパーマーケット、私の家のクリスマスツリー飾りと、私が編んだクリスマス・ジャンパー(セーター)に...ネコのティブ...(母ネコ、リヴィーも写っています。探してみてくださいね)

もう2週間ぐらいカゼをひいています。ウィンチェスター滞在の終わりごろにひき込んだようです。

症状はもっぱらのどの痛みから始まった咳。長びくわりには、発熱や頭痛がありません。

ひき始めて数日後、コービッドを疑いました。今はカゼだと確信しています。今シーズン、カゼで同じ症状の人が多いらしいですから。(長びくのが気にかかりますが)

 

チャリティ・ショップ、オックスファム OXFAMには、カゼをひいてからすでに2回ボランティアでお手伝いに行きました。前日にマネージャーに相談したら予想どおり「それ、もしかしてコービッドでは?」と聞かれました。

「検査をしていないのでわからない。それでもよかったらマスクをしてお手伝いに行くけどどうしましょう?」と聞いてみたら、人手が足りないらしく「あなたさえよければ、どうぞ来てください」という返事でした。

「ワクチン接種が完了した今、コービッドにかかっても死なない」という安心感がいきわたっているようです。

現在、医療現場やケア関係の仕事の人、特定の疾患を有する人以外は検査にお金がかかる英国で、コービッドの検査を自主的にする人がいるのでしょうか。実際のところ、かかっても気にしないという人がほとんどだと思います。

パンデミック後期には大量に常備していた「ラトラル・フローテスト」という無料簡易検査キットも、今では使い切った家がほとんどでしょう。私も少なくとも8回は自分で検査しました(全て結果は陰性判定でした)。

ただ、今でももちろんコロナ・ウィルスは絶滅してはいません。

11月25日までの2週間に、3,835人も陽性判定を受けていますし、同時期に299人も亡くなっています(今、調べました)!感染者の実数はもっともっと多いのではないでしょうか。

 

しかも、風邪がこれだけ蔓延しているというのに、マスクをしている人も皆無です。2021年 7月19日 に、公共の場所や屋内での「フェイス・カヴァリング(マスク、シールド、スカーフ)」の着用義務が撤廃されて以来、瞬く間にマスクの習慣は廃れました。

英国人のみならず欧米人が一生に一度だけ、マスクを着用したあのパンデミック中の数ヶ月はいったい何だったのでしょう。

マンチェスターの書店で販売されていた、価格の90%引きの美術館ブランドの布マスクを大量にお土産に買い込んで、「水際対策」なる入国制限が緩和された日本に2021年の夏に帰国しました。

猛暑の中、周囲の日本人に同調してマスクをして過ごした日本に滞在中の3カ月は不思議な体験でした。

ボランティアで店番をした二日とも、マスクをしてレジの奥に静かに座っていましたが...マスクをして、メガネをかけた目だけをさらして気配を消して過ごした数時間は...実に快適でした。

意外でした。日本に滞在中、感染拡大防止策としてそれほど効果が期待されないことがすでに国際的に認識されていた無意味なマスクをして過ごすことにあれほど激しく(心の中で)抵抗したことがウソのような安ど感...

パンデミックは終焉したものの、数年にわたるマスク生活に慣れ切ってしまって、マスクなしで外出するのが心もとないという日本人が多いと聞いて驚いたものですが、今はじめて「覆面」の心地よさがほんの少しわかったような気がします。

日中の咳はほぼ止まったため、ボランティアに行ったのですがマスクは...まあ、気休めですね。風邪のウィルスの拡散は少しは防げたはず、「パンデミック終焉後の真夏の日本の全員マスク」よりは意味があったはずです。

昨日のタブロイド紙すべての第一面に広告写真を掲載させた、ドイツ資本の安売りスーパーマーケット、アルディAldi のあっぱれなクリスマス商戦、グラフィック版です☟

「マスクをした異様な風体の人」が店番をしていても不審がられなかったのは、国をあげてマスク着用義務を伴うパンデミックを経験したからでしょう。それまでは、英国社会でマスクをして人前に出るのが異常なふるまいと思う人もけっこういたものです。

2022年の春ごろ、1ポンド99ペンス(368円)で購入した、正価が29ポンド(5,365円!)もするサクランボ柄のイタリアのファッションブランドのかわいいマスクは日本で重宝したお気に入りでした。

英国に帰って来てから出番がなかったそのマスクを再活用するチャンスでした!

先週のボランティアで、話のはずむ同年配の女性に会いました。

その人は「自分もマスクをして、2m のソーシャル・ディスタンシングをとって会話してもかまわないか」と聞いてきました。もちろんぜんぜん、かまいません!

その週末にヨークシャーに住む高齢のお母さんと会うためコービッドの感染は徹底的に避けたいということでした。

その人は、パンデミックの頃に客に無料で手渡すため店に常備していた使い捨てマスクをして、両手を広げた距離をとって、自前のマスクをした私と雑談にふけりました。

懐かしい~!

ソーシャル・ディスタンシング!手を消毒したり、握手の代りに肘と肘をゴッツンしたり...あの頃のビクビクぶりを思い出しました。

ちなみに、彼女の80代のお母さんは、お友達と出かけたり教会でコーヒーモーニング(お茶会)を催したり、社交を楽しむアクティブな人のようです。

まあ、私からうつらなかったとしても、(私はコービッド感染者ではないはずですが!)ぜったいにどこかで感染者と接触しているはずです。

高齢者に私がかかった咳が続くやっかいな風邪がうつったらどっちにしてもやっかいです。マスクとソーシャルディスタンシングは無駄ではなかったはずですね。

 

 

さて、10月にはじまった、コービッド・インクワイアリィ Covid Inquiry という、コービッド19に関する当時の政府や公的機関の対応、政策など、すべてに関しての関係者への聞き取り調査が続いています。

 

昨日は、前々無能嘘つき首相、ボリス・ジョンソンが質問攻めにあっていました。

うちの夫は、まるでサッカーの国際試合のように、大物登場、ボリスのつるし上げ生中継をこころまちにしていて、じっさい終日楽しんだようです。

この聞き取り調査の意義は非常に重要です。

当時の政府の無能ぶりを改めて国民に認識せしめるのみならず、もしまた疫病によるパンデミックが発生したらどうすればいいか、過去の(大)失敗から学ぶべきことが明確に見えてきます。

コービッドのこれほどまでの蔓延が誰にも予測がつかなかったことは考慮しても....英国のコービッド死22万人強は、避けられたはずだと判明しています。

経済重視のためロックダウンの開始を遅らせすぎたことも大きな要因だったことを関係者が認めています。

ボリスに先立ち公開質問を受けた政府機関の要人たちによる、ボリスの無責任/無神経発言(死ぬべき高齢者が死んじゃっても致し方ない、国民の関心を死者数からそらせるための話題を持ってこい!ロックダウンをまたやるぐらいなら死体を積み上げた方がマシだ等々)が、すでに明らかになっています。

昨日の聞き取りでは、「職場でお互いを非難し合うのは向上しあうために良い」と言うようなことを質問に答えて言っていたボリス無能ジョンソン元首相...とんでもない人がとんでもない時に国家元首だった、とんでもない国でした...パンデミックとブレクシットの時の英国は...!

 

ストックポート日報 はそもそも「イギリス観光ブログ」に分類されているのでした。

英国有数の歴史ある観光地、「地球の歩き方」にまで載っているウィンチェスターの写真を次回から少しずつ、お目にかけます。「地球の歩き方」よりも有用な情報を心してお届けします。

 

 

 

 

 

 

 

コメント (2)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする