イギリス/ストックポート日報 《England/ Daily Stockport》

イギリス北西部の歴史ある街、ストックポート Stockportから(ほぼ)日替わりでお送りする、イギリス生活のあれこれ。

珍しくがっかりの滞在先、長い名前のロイヤル・ウートン・バセット

2024年08月31日 05時09分34秒 | ロンドンとイングランド南部

先週末、夫の妹の結婚式に列席するため、イングランド南西部、ウィルツシャー Wiltshire のロイヤル・ウートン・バセットRoyal Wootton Bassett という小さな町に2泊しました。

結婚式は6㎞離れた、マームスベリー Malmsburry という古い美しい町の出張登記所で、深夜まで続いた豪勢なレセプション(披露宴)は、チぺナム Chippenham にある妹夫婦の驚きの大邸宅の裏庭にマーキー(大テント)を設営してとりおこなわれました。...長時間の夜間の屋外での祝宴で、帰宅後カゼを引いてずっと不調でした!(その話は別の機会に)

さて、ロイヤル・ウートン・バセットです。

夫の弟が、2人の娘とそれぞれの夫、もう1人の未婚の娘とその彼氏...のためにすでに4部屋おさえていた古いパブの上階に、私たち夫婦と娘の2部屋もとりました。大人数の弟ー家は翌朝、式の当日に到着しました。

観光地であろうがなかろうが、どこに滞在しても日常との違いを楽しめる私たち夫婦ですが...適当な町に適当な宿を取った私たちの、今回は非常にまれな「脱力失望滞在記録」です。

ロイヤル・ウートン・バセットの唯ーのランドマーク、タウンホール the Town Hall です。

高床式のチューダー建築(17世紀末の建築で、1889年の再建だそうです)、町の中には他に見るべきものは全くありません。2㎞ほど歩けば、義妹の結婚式のあった美しい中世の町に続く運河沿いの遊歩道があったようですが。

外装の工事中でした。現在は土曜日と水曜日に2時間だけ開館している郷土資料館 Town Museum だそうです。近くで見ると足場にかけた覆いの網目のしか見えませんが、むかいのショーウィンドーにはチューダー様式の外壁がきれいに写り込んでいます。(記念写真です)

滞在したホテルは17世紀から18世紀にかけて建築改装された由緒ある建物だそうですが人出が足りないらしく、いろいろ不具合でした。

B&Bなのに朝食は予約制、知らずに(ウェッブサイトに記載なし)1泊目は朝食の提供なし。予備のトイレットロールなし、使い果たして補充を2回たのんでも忘れられ、パブの夕食も完全予約制で先に注文、先払いというわずらわしさ。1日目はテーブルがいっぱいあいているにもかかわらず、私たちの到着前に夕食の予約受付終了...

客室の旧式なカギが不具合で助けを求めても「忙しくて誰も持ち場を離れられない」と耳を疑う対応...等。

少ない人数で回さざるを得ない、フレンドリーなスタッフが気の毒でした。客室は清潔で防音もバッチリ、滞在そのものは快適でした。

パブの終業後は、ー晩中あけてある(!)屋根の上を伝う非常出口から出入りしました(これはワクワク体験でした)

花盛りの植木がキレイにアレンジされて花壇に並び、それなりに古い建築物が並ぶ端正な短い通りを行ったり来たりして見つけたインド料理屋で到着日の夕食を食べました。

私たちはよく旅先でインド料理屋に入ります。

...水葬で知られるインドの聖なる河の名が店名でした。私は別に気になりませんが、夫は「死体を流す河」の店名にかなり引いていました。

メニューの最初のページに、貫禄ある経営者のインド系紳士と故エリザベスII世とのツーショット写真が載っていました。2011年に彼の地域への貢献活動を讃える陛下と面談の栄を得たということです。

注文した飲み物が来た後、食事の注文取りを30分近く忘れられていたという稀有な体験をしました。

(ちなみに英国のレストランー般では、日本と違い注文がきまってウェイターを呼ぶことはありません。ウェイターを黙って待つのが決まりです。席に着くなり渡されるメニューを見て、飲み物を即決注文、飲み物を持ってきた時に食事の注文をします。飲みながらゆっくり決めさせてもらうのもありです。メニューを閉じれば注文がきまったことに気がついて来てくれるはずです。メニューは必ず、持っていかれます)

さすがに夫が通りがかったウェイターを呼び止めて注文を聞いてくれるようにたのみました。そのウェイターは別の人(テーブルの担当者)を呼んできました。(高級ホテルじゃあるまいし...)

娘が注文したスタッフト・マッシュルームの前菜を私たちと分ける際、例によってベジタリアンで食材に気を付けている夫が、中身は何かとウェイトレスに聞きました。ちなみにインド料理屋でウェイトレス(女性)を見たのはこれが初めてです。彼女の答えは「知りません」。別のウェイターも「知りません」...!

「知りませんじゃ困る、厨房に行って聞いてきてくれませんか」と食い下がる夫に厨房で聞いてきた答えは「肉です」

「なんの肉?」「知りません」..にが笑いです。ベジタリアンの夫が食べなかったのはもちろん、私と娘も得体のしれない「肉(イヌ?ネコ?ネズミ?まさか)」を食べるのをやめました。味から、スパイスを利かせ蒸した羊肉のミンチと推察できました。

カレーはおいしかったです。このレストランの、8畳敷きぐらいの広大なスペースの隅に便器がポツンと置かれたシュールなトイレの視覚的なインパクトもいい思い出です。

クルマは町の公共駐車スペースとして機能する、ホテル裏の某大手スーパーマーケットの駐車場に停めました。駐車券売機ではカードがー時的に使えなくなっていたので、店内のタバコ売り場兼サービスカウンターで手持ちの紙幣を両替してほしいとていねいにたのむと断られました。「ニセ札横行のため、両替できない」という不可解な理由です。今までスーパーマーケットで駐車やトロリー(ショッピング・カート)のデポジットのために小銭が必要な時にサービスカウンターで両替をたのんだ際、断られたことはありません。(行き当たりばったりの店で何も買わずに両替だけをたのむようなあつかましいこととは違います)

手近なバナナをひと房買ってその同じカウンターで、支払いをしたらちゃんとその紙幣を受け取って、必要な小銭でお釣りがもらえました。ニセ札疑惑はどうしたのでしょう。

ロイヤル・ウートン・バセットの地元の人たちの気の利かない対応にはかなり疲れました。

地球を支える戦没兵士の手、でしょうか。個性的な戦没者慰霊モニュメントです。

第ー次大戦の従軍兵士の像とか十字架、六角形の塔などどこの町にもあるのと違って現代アートっぽいです!

宿の朝食を食べ損ねた朝は、コスタ・コーヒーでフレンチ・ブレックファーストを、出発の朝は宿で、ちゃんと予約したイングリッシュ・ブレックファーストを大人数の弟家族と食べられました。宿泊客は私たち(夫ー族)のみだったようです。

ロイヤル・ウートン・バセットが街の名前に「ロイヤル」の称号をつけることを王室から許されたのはごく最近、2011年のことだそうです。戦没兵士の棺がオックスフォードの病院から地元の基地へこの町を通って移送される際、勲章をつけた退役軍人が国旗を捧げ持ち、また1,000人を超えるー般市民が自主的に沿道に立って戦没者に敬意を表するという伝統があるのだそうです。

その行為に感謝の意を込めて王室がロイヤル称号を下賜したということです。

若い人がアフガニスタンやイラクなどの紛争地で命を落としたと聞けば胸がいたみます。でも、私は町民こぞっての表敬行為のプレッシャーは負担に感じて...にがてです。

タウン・ホールの向かいのカフェ(その名もズバリ、the TownHall Tea Room)のシンボルがタウン・ホールの外観です。

日本人にも人気のある、コッツウォルズのはずれです。

緑の深い田園地帯に囲まれていますが、周りには「はちみつ色」の石材で建てられた牧歌的な農村なんてひとつも見当たりませんでした。最寄りの比較的大きめの町は、スゥインドンSwindon。 

 

 

 

 

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ウィンチェスター大聖堂のちょっと変わった見逃せないスポット(観光案内)

2023年12月18日 05時47分51秒 | ロンドンとイングランド南部

イングランド南西部の古都、ウィンチェスタ ー Winchester の名所、ウィンチェスター大聖堂 Winchester Cathedral、続きです。

 

アーチの奥が、ノルマン時代(11世紀初頭!)の建築部分です。(前回の記事参照)

上の写真の、左側の壁の向こうが「プレスバティリーpresbytery (内陣奥の司教席)」という、普通なら大聖堂の一番奥あたりにあるはずの部分なのですが、長いのが自慢のウィンチェスター大聖堂はちょっと違って、まだ続きがあります。

プレスバティリーの先には「レトロクワイヤ retrochoir 」という、イングランドの他の大聖堂ではあまり見られないおまけの部分があります。ここ☟

とんがりアーチの向こうに見えているのがプレスバテリーの内側です。

ウィンチェスター大聖堂の守護聖人は、おなじみの使徒聖ペテロと聖パウロと...聖スイザン Saint Swithun(誰?)。今回、ガイデッド・ツアーに参加するまで知りませんでした。

聖スイザンは、アングロ・サクソン時代のウィンチェスター司教で、司教在任中に、橋の上で割れた卵を元通りにしたという「奇跡」のために中世のヨーロッパ中に名前が知られた聖人だそうです。

ウィンチェスター大聖堂が中世有数の巡礼目的地だったのは聖スイザンゆかりの地だったためです。

聖スイザン詣での巡礼者にワサワサとおしかけられた大聖堂はわざわざ13世紀に聖スイザンを祀るための聖域、レトロクワイヤを増築してしまったのです。建築様式はそう言うわけで当時最新の「アーリー・イングリッシュ・ゴシック様式 (初期イングリッシュ・ゴシック)early English」

徒歩で長い時間をかけて聖地をめぐる中世の巡礼者たちの動機は篤い信仰心だけではなく、「御利益」めあてもあったのでしょうね。奇跡をおこした聖人ゆかりの地に詣でると、病気の快癒など何か得することが期待できたようです。

863年、大聖堂建設前に亡くなったスイザンの遺体(の一部)は大聖堂内をめぐりめぐって13世紀に9枚の金ぴか聖画(20世紀末の製作)のかかっている壁の下におさまったそうです。

壁の真ん中に開いているアーチ型の穴は「聖なる穴 Holy Hole」と呼ばれているそうです(笑えました...バチアタリ)。献金すれば穴の中に這いずり込んで聖スイザンのすぐそばで願い事ができるという、中世の巡礼者たちにとって大人気のありがたいパワースポットだったそうです。前にお花が供えてありました。

 

現代工芸作家が制作したカラッポの聖櫃です。☟写真を撮るのを忘れたので、観光ウェッブサイトから勝手に借りた写真です。

もともとこの場所にあった礼拝の対象である聖スイザンのレリック(遺物)がおさめられたシュライン shrine (聖域)は17世紀の清教徒革命の時に、カトリックの偶像や聖人伝などが大っ嫌いな清教徒軍に壊されてなかみ(遺骨の一部)はもち去られてしまったそうです。宗教改革後のその時はすでに英国国教会の大聖堂になっていたので、もう巡礼たちの礼拝の対象ではなくなっていたんでしょうけど。

有名な(それにしてはバカバカしい...バチアタリなことを言いました)「タマゴの奇跡」のエピソードにちなんだ金のタマゴ形の4本のロウソク立ての土台にちょっとさわって「家内安全」祈願をしてきました。信仰心がなくて申し訳なかったのですが。

 

ノルマン様式のトランセプトを出たあたりから、通路に敷き詰められたタイルの模様がステキです。

モダンでとってもオシャレでしょう?

マンチェスターでテキスタイルデザインを学んでいた頃、このタイルの模様をスケッチしたことがあります。

「伝統文様を模写して研究する」という課題のためです。ウィンチェスターから、マンチェスターに移った後も友人を訪ねてたびたびウィンチェスターに戻ってきていました。(大聖堂が入場無料だった時です)

 

ガイトさんによれば、通路のタイルは1963年に完成した複製だとか(私が生まれた年です)。

 

聖スイザンの聖域のあたりのタイル☟は、13世紀のオリジナルだそうです!大聖堂のウェッブサイトには「ハイヒールは脱いで拝観してください」と書かれていました。

 

もうひとつ、ウィンチェスター大聖堂で見逃せない私のおススメスポットは...

トランセプト北側 (入り口から見て左側)North trancept に入り口のある...

クリプト cript (地下室)」!

盛夏の数週間以外、いつも雨水がたまっていて神秘的な雰囲気です。照明効果も秀逸です。

現在は見学デッキが設けられていて、いつでも見られます。

30年以上前はたしか水の引いた夏のあいだだけ、予約制でガイド付きのツアーに参加しないと見られなかったはずです。あ、というかその頃はトランセプトの大掛かりな修復期間中でしたので、入り口付近は立ち入り禁止だったかもしれません。

一番初めに建設が始まった、大聖堂に現存する最古の部分だそうです。

1079年建造のノルマン時代のクリプトに、Sound II という思わせぶりなタイトルがついたなぞの現代彫刻像が膝まで水に浸かって立っています。宗教的な思索にふけっているのかもしれませんが...まっぱだかなのが怪しげです。

ガイドさんによれば学校から見学に来た子供たちに「スマートフォンを見ている像」と言うと大ウケだそうです。実際は両手にためた水を見つめているそうですが、見学デッキからは遠すぎて見えません。

見学コースを案内してくれた人とは別の、クリプト専門のガイドさんです。ガイドなしでも入れます。

水が引く夏にはガイド付きでクリプトを順路に沿って歩くツアーもあるそうです。

見学デッキの後ろの壁には調節バルブのついた太い鉄の管がのびていました。ガイドさんに「これは水量を調節するパイプ?」とマヌケな質問をした私に「違う、水量は調節できないよ。これは堂内のセントラルヒーティングシステムだ」と教えてくれました。

そう言えば、大聖堂内はびっくりするほど暖かかったです!

以前(入場料をとる前)はもっとずっと寒かったような...?たしかに12ポンドの入場料をとられて寒かったら怒りたくなったかもしれませんが...外が寒かったので重ね着をしてきた暑がりの私には暖房が効きすぎでしたっ!

 

 

 

 

 

 

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入場料を払った価値はあり、建築史の見本帖ウィンチェスター大聖堂

2023年12月16日 23時09分57秒 | ロンドンとイングランド南部

イングランド南西部の古都、ウィンチェスタ ー Winchester の名所、ウィンチェスター大聖堂 Winchester Cathedral、続きです。

12ポンドの入場料を払って二十数年ぶりに入りました。(前回の記事参照)

「年間パスポート」でもある入場券といっしょに手渡された案内リーフレットを手に1人で見学してまわるつもりでしたが、ちょうど無料ガイデッド・ツアーが出発するところだったので、参加することにしました。

少人数グループで、充実した内容のツアーでした。

32年前にも参加したガイデッド・ツアーです。内容は、ほぼ同じだったように記憶しています。

英語力も知識も向上している今、いちおう分かったつもりだった当時よりもずっときちんと説明が頭に入ったことが嬉しい驚きでした!

大聖堂の建築が始まったのは1079年、ノルマン時代です。

征服者のノルマン人は、イングランドでキリスト教の布教が始まったアングロ・サクソン時代のものすごくたくさんの教会を取り壊して、自分たちのヨーロッパ大陸式のやり方(ロマネスク)でいちいち建て直したそうです。

(ノルマン様式は、そのヨーロッパ大陸式の建築様式のイングランドでの呼び名です)

イングランド独自の建築様式であるアングロ・サクソンの教会がほとんど現存していないのは、ノルマン人の この「こだわり」のせいだそうです。まあ、ノルマン様式の建築もあまり残ってはいませんが。古いですから!ボロッちくなってきたら、新式の様式で建て直したくなるのはいつの時代も同じですね。

 

入口を入ってズッドーンと見渡せる長い長いネイブ(身廊)部分は14世紀の改築です。

 

当時のウィンチェスター司教のウィリアム・オブ・ウィカム(通称)という人の発案で、当時ヨーロッパ中ではやりの「垂直様式 perpendicular(後期ゴシック)」に建て替えられました。

正面入り口です☟

 

大聖堂の付属施設(創設当時)で、リシ・スナク首相の出身校、ウィンチェスター・カレッジ Winchester College を創設したのもこの人だそうです。

ウィリアム・オブ・ウィカムのお墓です。

チャントリー chantry (廟?)という墓室におさまった石棺に彫刻された本人の遺体の枕元の天使と、足元のマンガのキャラクターようなずんぐりむっくり修道僧がかわいいでしょう?

 

「史蹟アトラクション」のように入場料をとるウィンチェスター大聖堂、もちろん英国国教会の「司教の座」を有するちゃんと現役の宗教施設です。

見学中、数時間おきのお祈りの時間になりました。もちろん無視してもぜんぜんかまわないのでしょうが、ガイドさんが座るように促したので、5分ぐらい堂内アナウンスで流れてくる「主の祈り」を黙とうして聞くはめになりました。

クラシック・コンサートでもあったのでしょう。ミュージシャンがリハーサルをしていました。

そうそう、30年ほど前(入場料をとる前)はネイブに並ぶ礼拝用の椅子は全て伝統的な造り付けでした。

今回行った時は、不要な時は重ねて別の場所に収容できる集会用の木の椅子が並んでいました。ウィンチェスター大聖堂、お前もか?!

このごろ宗教施設ではおなじみの、椅子を片付けて広大なスペースをイベント等に(もちろん有料で)貸し出せるシステムにしたようです。史跡の修復保存にかかる費用は莫大でしょうから。

繊細で優美な垂直様式はとにかく荘厳!

 

アングロ・サクソン時代の建築物がほとんど残っていない現在、イングランド最古の(現存する)建築様式、ノルマン様式の建築物はすっごく貴重です!

ネイブから両側に直角に伸びている「南北トランセプト(袖廊)」が、1,079年に建造されたノルマン様式そのままに残っています。

上の全景写真の、右側、横に長く伸びているのがネイブです。トランセプトというのは真ん中よりちょっと左寄りの三角屋根の3層に分かれ突き出した部分です。

 

トランセプトの内部です。

ノルマン様式はどこもかしこも素朴でどっしりしているでしょう?

天井も平べったい板張りで単純な連続模様が描かれていて...ネイブの凝ったファンボウルティング fan vaulting という扇のように広がる筋状の天井装飾と大違い。

静謐で重厚...悪く言えば粗削り。

そう言えば、説明がなかった(あるいは聞きのがしたのか?)このキリスト像はなんだろう?十字架がない、あ、ハダカではない!

たぶん、現代アーティストの作品だと思うのですが、調べられませんでした。よく古い宗教建築で見かける、とってつけたように飾ってある宗教モチーフの現代アートって「ジャマ」(個人的感想)なことが多いのですが、これは素朴なタッチがけっこうサマになっていました。

ノルマン時代の壁にはどっしり厚みがあります。

建築技術があまり進んでいなかったので重い天井を支えるのにしっかりした壁が不可欠だったからだそうです。

壁の厚さを利用してアーチの内側を二重、三重の層に装飾するのも特徴です。

ところで、私がウィンチェスターに住んでいた32年前も、マンチェスターに移った後、何回か友人を訪ねてウィンチェスターに戻ってきた時も、とにかく大聖堂の入場が無料だった25年ぐらい前までいつ行ってもこのあたりは修復中でした!足場が組まれていて通り抜けられなかったはずです。この部分を見たのはこれが初めてでしたから!

ついに見た、11世紀のノルマン建築!感慨無量です。

段差が多い場所です。車いすの見学者が行き来できるようにちゃんと完備された車いす用のリフトが使われるところも見られました。

 

ノルマン時代のトランセプト見学を終え、「レトロクワイヤ retrochoir 」という、イングランドの大聖堂にはめったにない「おまけ」の部分(こっち側)に入るところです。

このレトロクワイヤというのは、1200年代の「アーリー・イングリッシュ・ゴシック様式 (初期イングリッシュ・ゴシック)early English」 の改装で...ややこしい...!扇の天井のネイブ部分(1420年頃完成)より時代が上がります。

大聖堂の心臓部(交差部)である「チャンセル chancel /クワイア choir(内陣)」ももちろん見学しました。

長くなるので...次回に続きます。

 

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ウィンチェスターといえば大聖堂、史蹟保護資金獲得のため高額入場料もやむなしか

2023年12月15日 08時37分35秒 | ロンドンとイングランド南部

イングランド南西部の古都、ウィンチェスター Winchester、続きです。

ウィンチェスターといえば、有名な ウィンチェスター大聖堂 Winchester Cathedral

1079年に建立されて以来、巡礼の目的地として中世の頃には大盛況だったウィンチェスター。

現在でも重要な史跡遺産で、もちろん大切な観光資源でもあります。

 

今回、11月末に訪ねた時、大聖堂の境内ではクリスマス・マーケット Winchester Christmasmarket が開かれていました。

日暮れ後、クリスマス気分を盛り上げるためか、正面が赤くライトアップされていました。火事みたい。あるいは暗がりであごの下に懐中電灯の光を当てた「怖い顔」を思い出させる不気味な演出です。

正面向かいの小さな広場の戦没者慰霊塔です。(その背後にもマーケットの小店が並びます)赤いライトアップは戦没者に捧げる赤いポピーと関係がある?...いや、絶対ないです!

 

(追悼のシンボル、赤いポピーのリースが青空のもと鮮やかな日中の戦没者慰霊塔です)

 

正面を右がわのバトリス(横壁からのびている支え)の間に並んだ小店はスタンダードな白く灯ったライトアップでけっこういい雰囲気でした。

大聖堂の境内いっぱいに広がり歴史的なバックグラウンドを背景に見た目はステキなクリスマス・マーケット、欲しいと思うものを何ひとつ見つけられませんでした。

英国の、大陸ヨーロッパのクリスマスへのロマンチックな憧れを体現したマンチェスターの超大な規模の、「元祖クリスマス・マーケット」はもともと「ジャーマン・マーケット」とよばれていたドイツ物産展のような品ぞろえでした。今でこそ、ドイツ臭はかなり薄まっていますが、ヨーロッパ各地の食べ物や生活必需品など、ヨーロッパの非日常的な雰囲気にのまれてついつい何か買ってしまいたくなるものです。

...それに比べるとウィンチェスターのクリスマス・マーケットは...地元作家の工芸品や個人輸入した飾り物や装身具などプレゼント需要に特化した(お値段もかなり高めの)の品ぞろえでクリスマス・マーケットだからこそ、これを買わなきゃ!という高揚感はありません。なんだか地元の零細ビジネスを応援するためのイベントのように(私には)見えました。

以上は個人的な感想です。

 

大聖堂正面に店開きしていたミュールド・ワイン(薬草が入った甘いワイン)とチューロ(スペインのドーナツ)を売る金ぴか愛国調屋台です。王室の紋章モチーフ、ユニオンフラッグ、ネルソン提督、エリザベスII世女王、ビクトリア女王の肖像...でもなぜ?

12月の週末は、クリスマス・マーケット目当てに観光バスが何台も乗り付け、身動きできなくなるほど人でいっぱいになる(友人談)、そうなので評判はいいようです。9年前に訪れた時にもマーケット開催中でした。当時まだ2回目ということでしたので、新しい催しのようです。

 

本題に戻ります。ウィンチェスター大聖堂はアングロ・サクソン時代(アルフレッド大王の頃)の小さな僧院が起源だそうです。

(写真を見て気が付きました。明るい昼間からもう赤いライトアップの灯がともっています。なぜ?!)

その後規模が拡大し大聖堂に発展、建造が始まったのがノルマン時代の1079年。それ以後、1532年まで増築、建て替えがつづき、中世の建築様式がごちゃ混ぜのとても興味深い建築物です。

1079年建造の一番古い部分が現存します!!

右側の正面入り口から長ーく延びるネイブ nave (身廊)と交差する三角形の南北トランセプト North and South transept (袖廊)と、その上の四角い塔がノルマン時代のオリジナルです!...それと地下のクリプト cript ...他の部分は12世紀から15世紀にかけての、 前後期ゴシック様式による新改築です(それでも古い!)。...後述します。

ヨーロッパで一番長いネイブを持つ宗教建築だそうです!礼拝をとりおこなうチャンセル(内陣)のさらに後ろにもダラダラと延びる長い長ーい一直線が異例なレイアウトのウィンチェスター大聖堂。

今回、べらぼうに高い入場料(12ポンド)を払って入場しました。

12ポンド(2,164円)はここでも1年間何回でも入場できる「年間パスポート」料金です。他のオプションはなし。1回しか入場しない観光客が年間料金を払わされるのはやっぱり割に合わない気がします。

家に泊めてくれた友人は用事があったので別行動、私1人で大聖堂見学をして...よくないことなんでしょうけど...「年間パスポート」チケットは現地に住む友人にあげてきました。私は友人を訪ねて、1年以内にもしかしたらもう1回ぐらい行く機会があるかもしれません。その時はそのチケットを借りるかもしれません ... 高額の入場料はあくまでも貴重な「史蹟遺産」保護のための寄付金であるはずです。友人間のみみっちいチケットの貸し借りはやっぱりよくないのかもしれません。(まあ、いいか...チケットに名前を書かされたわけではなし)

大聖堂の敷地内でのナマグサな商業活動(クリスマス・マーケット)も、そういえば維持費、修復費のための財源確保手段なのでしょう。

留学最初の1年を過ごし、マンチェスターに移ってからここ30年ほどの間に、10回は訪れているウィンチェスターですが、入場料をとるようになってからたぶん20年以上、大聖堂には入っていません。今回、本当に久しぶりでした。

信者ではない私ですが、いつでも誰にでも開放されるべき祈りの場である大聖堂に入るのに入場料をとることに疑問を持っていました。

ウィンチェスターに住んでいた短期間の間、入場無料だった大聖堂にたびたび入ってただボーっと座っていたものです。

今、思えば素晴らしい経験でした。...その当時から20年間ほど、ウィンチェスター大聖堂はいつ行っても外壁のどこかを足場で囲われ、見苦しい覆いをかけられて修復中だったのです。

大聖堂の堂々たる外観を覆いなしではじめて見た9年前、修復にさぞお金がかかったことだろうことをおぼろげながら理解できました。。やっぱり仕方ない、12ポンドの入場料...(1年間有効ですし)

 

ウィンチェスターの通りで見かけたかわいい家です。

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歴史上の重要な舞台、ウィンチェスターには古い建物と、史蹟観光物件がいっぱい

2023年12月12日 06時01分54秒 | ロンドンとイングランド南部

南西部の古都、ウィンチェスター Winchester、前回の続きです。

ハンプシャーの「県庁」にあたるHampshire County Council の前にたつ、県のマスコット、ハンプシャー・ホッグ Hampshire Hog (ハンプシャーのブタ)です。行くたびにいっしょに記念撮影することにしています。ちなみに屋根の上のウェザーベイン weathervane (日本語で風見鶏)も「ブタ」です!

ウィンチェスターは、紀元後70年ごろ、古代ローマ人によって建設された古い町です。

イングランドが古代ローマ帝国の属州だった360年間(紀元後43年から407年)にローマ人によって作られた無数にある町の中でも、ウィンチェスターは特に重要な要塞の町だったようです。

町の中心を走るショッピング・ストリート、ハイストリートの始まりにあるウェストゲイト The Westgate、上階が小さな博物館になっている中世のゲートハウス(上階に居住スペースを有する門)です。☟

ウィンチェスターは古代ローマ時代から石壁で囲われた城塞都市だったのです。ゲートハウスは石壁の一部として組み込まれた建築物です。

何度も建て直された石壁の大部分は、18世紀に取り壊されたようです。

ゲートハウスも東西南北 + もう二つあったようですが、このウェストゲイトともうひとつ、キングスゲイト Kingsgate(☟の写真)を残して石壁の大部分とともに取り壊されちゃったようです。

残念。私は石壁に遮蔽された中世の町が大好きなものですから。

ウェストゲイトに話を戻します。

上階の博物館に入ってみたいと長年思っているのですが、なぜか機会を逃し続けています。入館料はたったの3ポンド、しかも1年間有効の、「入館パスポート」だそうです。

近頃、このシステムの史蹟アトラクションや博物館が多いようです。観光に行った先でたったの1回しか入場しないのに1年間有効の料金を払わされるのは割に合わない気がしますが3ポンドなら1回の入館でもじゅうぶんお得です。(史蹟保存のための寄付と思えば納得です)

12世紀(古代ローマ人が撤退した後)の建造、石壁が取り壊された後もしっかり残る中世の建築物!チューダー様式(16世紀)の天井画や、17世紀の債務者監獄がそのまま残っているそうです。見なきゃ!

...オンラインで、あるいは足を運んでの入館予約が必要なようです。

写真に撮ったウェストゲートの、反対側の窓からの坂下のハイストリートHigh Street を見下ろす眺望もなかなかステキそうです。

5日間も滞在させてもらった友人宅がすぐそばにあるため、町の中心地に出向くため、毎日ゲートをくぐりました。

 

ゲートの向こうに見えているのがショッピング街、ハイストリートです。

ウェストゲートをくぐって少し歩くと右側にある中世の薫り高いモニュメントは...

シティ・クロス City Cross、バタークロス Buttercross とも言います。14世紀の建造です!

英国の公認のマーケットが開かれる中世以来の市場町の中心でよく見かける、壁のないあずまや型の「バタークロス」と違って、聖母はじめ、カトリックの聖人像がごちゃごちゃと彫り付けてある宗教的でありがた~いデザインです。

通常のあずまや型のバタークロスと同様、土台の六角形の段々に商人がバターやチーズ、卵を並べて売っていたそうですがなんだかばちあたりな感じがしませんか。

17世紀の清教徒革命の内乱に巻き込まれたウィンチェスター(郊外が激戦地でした)のどまんなかにコテコテのカトリックの遺物を満載したモニュメントが残ったのは奇跡だと言われています。清教徒軍は手あたり次第「偶像」を破壊しまくったということですのに。

調べたら、19世紀末にかなり大掛かりな修復が施されていました。

 

バタークロスの前からウェストゲートに向かって振り返って見た写真です。

11月の終わりの立派なクリスマスツリー。

 

 

ハイ・ストリートの終わり、いくつかの道路が合流するラウンドアバウト(方向転換ロータリーのようなもの)の中央にドンとそびえたつのが...

 

郷土の偉人、そこらの名士とは偉人度の桁が違う、アルフレッド大王 Ælfred (Alfred) the Great(849?~899)の巨大な銅像。

英国史上、the Great (大王)の尊称で呼ばれるのはこのアルフレッドただ1人、しかもこれから先も彼以外のだれも the Great 呼びされることはないそうです。

何かをいいかげんに読んだか、誰かにいいかげんなことを聞いたのか....私はウィンチェスターに住んでいた33年前から、ほんの45分ほど前までイングランドを統ーしたのはこのアルフレッド大王だと思っていました。

調べたら違いました!古代ローマ人が大陸の民族大移動などの混乱でブリテン島支配を放擲したあと、部族国家を複数有し内乱続き(アングロサクソン七王国時代)だったイングランドを829年に統ーしたのはウェセックス王、エグバートだったそうです。アルフレッドのおじいさんです。

じゃあ、孫のアルフレッドの何がそんなに偉大だったのかと言うと..

統ー後も襲撃を繰り返すデーン人(バイキング)を撃退した、海事に長けたデーン人を海上で打ち負かし海軍組織の基礎を築いた、法律や税制を整えて法治国家の基礎を築いた、それまで読み書きできる人はいなかった(古)英語の表記法を確立、異教徒が多かったイングランドで多くの人をキリスト教に改宗させた...というイングランド人の自国のアイデンティティ上もっとも重要なことをいろいろ実現したのでした。

ウィンチェスターに住んでいた30年以上前に知っていればよかった...!

インターネットが発達した今は本当に便利です。キーワードで検索すれば瞬く間に何でも教えてくれるのですから。図書館に行ってぶ厚い英国史の本を最初から読んでいく、なんて仕事かレポート提出かでもないかぎりやりませんよね。

イングランド初の統ー国家成立によって、アングロサクソン七王国の一国だったウェセックスの首都、ウィンチェスターがイングランド史上最初の首都になりました。

 

バタークロスのそばで、お店に入ったマミーをダディといっしょに待っていたイングリッシュ・ブルドッグのデンズィくんです。

ウィンチェスターの歴史散策、次回に続きます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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思い入れの深い町、南西部の古都、ウィンチェスター

2023年12月10日 05時35分09秒 | ロンドンとイングランド南部

11月21日から(ずいぶん前ですね)英国南西部の美しい古都、ウィンチェスター Winchester に旅行しました。

4泊5日、日本人の友人との旧交を温めるための「お泊り交歓会」でしたので、夫は同行しませんでした。

ウィンチェスターは、私にとって特別に思い入れのある町です。1991年から1992年にかけて、3年間の留学生活の最初の1年をウィンチェスターにある「アートスクール」で過ごしました。(大学の学士過程;英国の大学は通常3年制です)

 

ウィンチェスターに住んでいたその友人とは、その時以来の長い付き合いです。

事情があって転学し、2年生から編入したポリテクニック(現在では廃号された、産業工科大学と和訳されている学士過程)のあるマンチェスターにうつったあとも、休暇中に何度かウィンチェスターに戻りその人の家に滞在させてもらいました。

...友人の事情で泊めてもらうのが難しくなったり、そうそうパンデミックも挟まりましたし...しばらく足が遠のいていたウィンチェスターです。友人の身のまわりも落ち着いて、泊めてもらうことができた今回は実に2014年以来、9年ぶりの訪問です。

 

街並みは本当に30年前と変わっていません。さすがは古い街並みをていねいに保存してきた英国屈指の史蹟観光地だけあります!

街並みも町にとっては観光資源、「飯のタネ」だけありますね。

国内屈指の「観光地」としての歴史は11世紀ごろまでさかのぼれます!!

ウィンチェスター大聖堂 Winchester Cathedral が1079年に建立されて以来、カンタベリー大聖堂とならぶ英国南部のありがた~い巡礼目的地として多くの人を惹きつけてきたそうですから。

 

 

後述しますが大聖堂の他、めぼしい中世建築がいくつかと、とてもとてもたくさんの17世紀から20世紀初頭にかけての雑多な様式の民家や店舗がぎっしり並ぶ、古い街並み好きにはこたえられない魅力的な場所なのです!

それにくらべて、そのあと2年の学生生活をすごした北西部の工業都市マンチェスターの、特に中心部のここ30年間の街並みの変わりようと言ったら...目を見張るようです。

みっともないコンクリート造りの中途半端にモダンな建築物とラクガキだらけの空き家がならぶ、不況のどん底だった1990年代のマンチェスターを初めて見た時はひどく気落ちしたものでした。ウィンチェスターとの見た目の落差が大きすぎて。

それでも活気のある大都市での学生生活はとても楽しいものでした!...英国現代史に残る大事件、IRAによる「マンチェスター爆撃」で町の中心地が破壊されたこともあり、復興を機に今ではスッキリ、モダンな都市計画が完了しています。

以来、マンチェスター(シティ・オブ・マンチェスター)と、グレーター・マンチェスターの「バロウ」のひとつであるストックポートに定住して30年以上たちます。

いつも、いつまでも美しいウィンチェスターは、私のちょっとした故郷のような場所なのです。

 

 

 …と言っても、ウィンチェスターも、店やカフェ、レストランなど商業施設の入れ替わりの激しさは他の街と変わりません。オンラインショッピングにおされて、小売店が苦戦しているのは世界中すべての先進国に共通していることですよね。

それでもウィンチェスターでは観光地ならではの、個人経営のこぎれいなギフトショップが健闘しているようでした。

 

30年以上前、留学時代を過ごしたウィンチェスターには新学期が始まる秋に来て、夏前には転居したものですから、日が暮れるのが早い、暗くて寒い冬の印象ばかりが強く残っています。

現在は高額な拝観料をとるウィンチェスター大聖堂には、当時は無料で入れました。地元の信者や中世の巡礼者が気楽に立ち寄って神様との対話ができる静かな信仰の場所だったわけですね。

騒々しくも、ものがなしい鐘の音にも心がザワザワする旅情を感じたものでした。

見るものがすべて珍しく楽しく、一度もホームシックにかからずにすごせました。

 

歴史のある古い町で英国滞在の最初の1年近くを過ごせたことは、私の、結果的に永住することになった英国に対する思い入れに大きな影響を与えたことは間違いありません。

次回から、大聖堂など見どころをちょこっとご紹介します。(建築の話をダラダラ続けないよう、気をつけます)

 

 

 

 

 

 

 

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ケントの古くて美しい街、ロチェスターのはずみで入った郷土史博物館

2023年01月29日 07時00分00秒 | ロンドンとイングランド南部

イングランド南東部、ケントの小さな(もと)シティ、ロチェスター Rochester のかなり偏った観光案内ふたたび、です。

最初の記事のリンクです☟

小さい街なのに大聖堂まであるロチェスター、有名な観光地カンタベリーのすぐ近く

 

 

私たちは午後いっぱい、その名もハイ・ストリート High Street という「目抜き通り」を散策するのがメインのお散歩観光を楽しみました。

道々、たくさんあったチャリティ・ショップのいくつかに入ってみましたが何も買わず、グリーティング・カードの専門店で結婚祝いのカードを買いました。

翌日結婚する夫の姪とその婚約者にあてたお祝いの小切手をはさんで結婚式に持参するためです。

 

 

私たちが立ち寄った観光名所は二つあります。

ひとつはロチェスター・ギルドホール・ミュージアム Rochester Guildhall Museum入場無料の郷土史博物館です。二つめは、ロチェスター大聖堂 Rochester Cathedral。

ミドウェイ河にかかるロチェスター橋 Rochester bridge を渡り、ハイストリートを歩きだしてすぐに「トイレに行きたい」と夫が言い出しました。

まず私が、すぐ左側にあった博物館の立派な外観におっと小さく歓声を上げたのですが、「トイレを使わせてもらおう」そそくさと中に入った夫に続いて私も入館、写真を撮るのを失念しました。

(自分で撮った写真しか載せないと自分できめたルールに)違反しているのは承知ですが...観光案内サイトから写真を勝手に借りました!!

1697年の建造だそうです。

トイレを借りに入っただけの私たちもちょっと見学していくことにしました。他には誰も見学者はいませんでした。

まず、トイレのそばの実物大ブタの貯金箱!

展示物ではなく来館者に善意の寄付を募るための募金箱です。巨大なブタの貯金箱の背中には(大き目の小銭が入る標準サイズの)お金を入れる小さな小さな穴がありました。。

現金の持ち合わせがなく残念です。大きなお腹の空洞にチャリンと小銭を落とし込んでみたかったのですが。いつもクレジットカードのみを携帯して行動しています。

夫を待つ間、ブタと顔を寄せ合ってセルフィーをいくつか撮りました。

観光地にありがちな歴史的遺物を所狭しと並べた素朴な入館無料の郷土史博物館のようでしたが、案内表示に私の注意をひく展示場を見つけました。

「上の階にあるらしいハルク hulk 体験展示がちょっと見たい」という私に夫が付き合ってくれました。

「ハルクってなんだか知ってるのか」と聞く夫に「知ってる!」と胸を張って答えた私は実は去年の春ごろだったかな、BBCによってテレビドラマ化された「大いなる遺産」(また出た!)の再放送をひとりで見たのです。

赤いじゅうたんが敷かれた大階段を上がって見上げた階段ホールの天井の漆喰装飾が見事でした。

 

「ハルク展示」は階段を上がり切って左の部屋なのですが、すぐ目の前のこのギルドホール・チェンバーにまず入ってみました。

議事室だったようです。

私たちが足を踏み入れたとたん、センサーで感知したシャンデリアの電灯がパッとつき荘厳なバロック音楽の小節がエンドレスで流れ始めました。私たちが立ち去った後に電灯が消え音楽は止まりました。電気代節約式のショボいおもてなしにちょっと苦笑しました。

このチェンバーは結婚式用に貸し出されているようです。登記所挙式については参考までに前回の記事をお読みください、リンクを貼りました☟

ディケンズゆかりの地に泊りがけで行った結婚式の式次第

 

チェンバーを出て「ハルク体験展示室」に入ってみて驚きました。「無料の郷土史博物館」らしからぬなかなか凝った演出だったのです。

もう一回だけルール違反です。写真を撮らなかったものですから、博物館のウェッブサイトから写真を借りました。

ハルクとは、「監獄船」のことです。

私が撮ったのはこういうバカバカしい「鏡セルフィー」ばかりです。(少し暗く加工しました)

甲板の上と...

 

警護に当たる兵士の詰め所です。

展示場は巨大な鏡を上手に利用して奥行きがグーンとあるように見える効果を演出していました。

 

階段を下りると「船底」に降りたような雰囲気の展示場があり、監獄船生活を物語る遺物の展示が見られるようになっていました。

いえ、まあ、けっこうチャチな作りだったのですが、「見せよう!」という意気込みが感動モノでした。

作りものくささが「ディズニーランドみたいね」とほほ笑ましく思えました。

ロチェスターゆかりの、英国文学史に名を残す19世紀の偉大な小説家、チャールズ・ディケンズの代表作のひとつ「大いなる遺産」の冒頭部分の...「大いなる遺産」を読んでいない方、ごめんなさい...

両親と兄弟のお墓の前で物思いにふけっている主人公ピップの前に現れたマグウィッチは、ミドウェイ河に停泊する「ハルク」を脱走してきたのです。

19世紀の中ごろにマグウィッチが脱走してきた「ハルク」は、徒刑囚をオーストラリアに搬送する「囚人護送船」だったようですね。

 

この展示の「ハルク」はそれより前の19世紀初頭、ナポレオン戦争時に捕獲したフランス軍の捕虜を監禁するための「収監施設」です。

戦争中の捕虜収容施設なので待遇は劣悪、ギュウギュウ詰めで衛生状態も悪く、大半の捕虜はチフスや赤痢などで亡くなったそうです。

この展示の解説には、ご丁寧にもフランス語が併記されていました。他の展示の解説は英語だけなのに。博物館を訪れたフランス人の観光客に、同胞がこの町で虐待された事実を学んで帰ってもらいたいようですね。

数隻あった「ハルク」が停泊していたのは街の中心地からは離れた河口のそばだったようです。

 

以下は、私たちが滞在したホテルの道を隔てたすぐ前で撮ったミドウェイ河の写真です。

 

ところで、前回の記事に書いた、夫の姪の結婚式がとりおこなわれた道路に街灯がまったくない(ド)田舎町のクーリング Cooling という町には熱心なディケンズファンなら知らぬ人はいないと言われる有名な「聖地」があります。

 

 

私は知りませんでした。花嫁の父(夫の弟)によるスピーチのマクラの「ディケンズご当地ウンチク」で知りました。

「大いなる遺産」の冒頭部分、ピップが脱走してきたマグウィッチから食べ物をせがまれる墓地のある古い教会が、結婚式場のすぐそばにあるのです。タクシーで通った時「Saint James's Church 」の標識を見ました。

 

といっても...描写がよく似ていて近辺で生まれ育ったたディケンズが実際よく立ち寄ったというだけだそうですが。

架空の物語の場所設定をこじつけるのって無理がありますよね。結局は「観光材料として使える!」ってことでしょうか。

と言っても、お土産物屋やらウンチク表示看板やらの「人を呼び込み一儲け」をたくらむ企ては一切ないそうです。

マグウィッチが日中隠れていた「暗い沼地」は実在します。結婚式場のそばのその教会からはかなり離れているのでやっぱり無理っぽいのですが。

 

満ち引きのある不思議なミドウェイ河の、水が引いた河原です。

何となく沼地を連想しませんか。

水の引いた泥地の上に廃棄されたような大型のこキタナイ小型船舶がいくつも河の真ん中あたりに見えている光景は異様でした。ホテルの部屋の窓から見えた、輝く水面と逆光で浮かび上がるボロ船と対岸の丘のシルエットがとても美しかったです。

 

 

 

 

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大聖堂がある小さな街ロチェスター(カンタベリーのすぐ近く)

2023年01月24日 07時00分00秒 | ロンドンとイングランド南部

先週の木曜日から週末の日曜日にかけて、イングランド南東部の美しく、古く、そしてびっくりするほど小さい街、ロチェスター Rochester に行ってきました。

 

ロチェスター行きの目的は夫の姪の結婚式に参列するためです。

3泊したホテルはメドウェイ河 River Medwey の川岸にあります。

 

ロチェスターは対岸の、ずうっと左側です。

川岸を少し歩いて川から離れ、住宅街の中を40分ほどロチェスターの町まで歩きました。

 

名物建築らしいロチェスター橋 Rochester Bridge にはライオンや雄ヒツジの頭部など物々しい紋章飾りでこてこてと飾られ、いかにも古い街に入る期待を盛り上げる堂々とした作りなのですが、意外にも新しく1909年の建造でした。

川沿いの古城と尖塔のある大聖堂のシルエットが向こう岸に、見えています

 

渡り切ったこちら側は、もうロチェスター。

 

下調べをせず、行ってみたら幅の狭いハイ・ストリート High Street (目抜き通り) の両側に、建築様式や年代がバラバラで統一感の全くない古い建物がぎっちりとたて込む古い建物好きの私には目もくらむような光景が眼前に展開していました。眼福。

...といっても、見てまわるところは素晴らしい街並みのこのハイ・ストリートと、(川を渡ったロチェスター・ブリッジ Rochester Bridge を背にして)ハイストリートの右がわに位置する、古城 Rochester Castle と、大聖堂 Rochester Cathedral ぐらいでしょうか。

どちらも規模が小さくて、町を見下ろす小高い丘の上や放牧地に囲まれたヨーロッパの古い街らしいセッティングではなく、たて込んだ町の中にあるのがけっこう意外です。

 

 

ハイストリートというだけあって、両側はすべて商店や飲食店でした。観光地の目抜き通りにふさわしい景観の美しい商店街は1kmほどつづき、その先の交通量の多い道路と交わるあたりからはあまりぱっとしない普通の通りが始まっていました。

とてもたくさんあったチャリティ・ショップ以外はほぼすべてが個人経営の商店でした。アンティーク・ショップ、カフェ、パブ、レストランに、地元の人が利用する食料品店や、手芸材料店がありました。

お土産物屋さんの類がそう言えば、ありませんでした。

土産物を物色したいのであれば、ギルド・ホール・ミュージアム The Guildhall Museum と、ツーリスト・インフォメーション Visiter Information Center にこの地のゆかりの偉人である小説家、チャールズ・ディケンズの肖像入りのグッズなどが手に入ります。どちらもハイストリートの目につく建築物です。

 

近隣で生まれ育ったディケンズゆかりの建物がいくつも残っています。

作品の舞台としてインスピレーションを与えた、1590年にたてられたイーストゲート・ハウス Eastgate House (☟)はディケンズ関係の博物館になっています。

私はディケンズの有名な作品に限っていくつか日本語訳で読んでいます。

特にストーリー仕立てがしっかりしていて共感を持った「大いなる遺産 Great Expectations」に登場する、主人公ピップの自称後見人のパンブルチェックさんの(というふれこみの)店がありました。17世紀の白黒ハーフチェンバーのとても興味深い建物だったのですが、写真を(なぜか!)撮りませんでした。

ハイストリートの右側にはやはり、ミス・ハビシャムとエステラが住んでいた「サティス館」のイメージの元になった Restration House という邸宅もあります。外から見てみるのを忘れました!写真を見るとレンガ造りの堂々としたエリザベス朝建築で、ケバケバと豪華で薄気味悪いサティス館とはイメージが違う!...「大いなる遺産」を読んでいない方、ごめんなさい。

Great Expectations (大いなる遺産)の苦しいシャレの屋号(☟)。

他にもディケンズ作品がらみの店名をいくつか見かけました。

 

イーストゲイト・ハウスの中庭にどこかから移築されてきた、ディケンズが組み立てキットを取り寄せてたてさせたというスイスの牧歌的な山小屋 Swiss Chalait です。

 

あら、まあ、私が撮った大聖堂の外観写真はこれだけです。

今回は、観光資料になりそうなめぼしい建物の写真をあまりとりませんでした。

 

こんなに小さい街ですのに大聖堂があるために中世いらい800年以上、堂々と「シティCity 」をなのってきました。

英国では「シティ」という称号は通例、大聖堂を有する町のみに与えられます。町の規模とは関係ありません。

以前、発刊直後のストックポート日報 にダラダラと長い連載記事をのせたイーリー Ely や、私が1年間住んだこともある古都、ウィンチェスター Winchester も町の規模はストックポートなんかよりもずうっと小さいのにも関わらず、「シティ・オブ・イーリー City of Ely」 、「シティ・オブ・ウィンチェスター City of Wichester 」などと威風堂々たる名前で呼ばれるのは、いずれも大聖堂があるためなのです。

ちなみに大聖堂のないわが町、ストックポートはおそらく郡か何かに相当する、「バロウ・オブ・ストックポート Borough of Stockport」といいます。

そしてこの、イーリーよりもずっとずっと小さいロチェスターですが...残念、1998年に近隣の町と統合され行政区分が改められた際に、「シティ・オブ...」の称号は失って、ただの「タウン」になってしまったそうです。

 

そうは言っても、地元の人たち気持ちの上ではまだやっぱり「シティ」なんでしょうね、バス停の表示や交通標識には「シティ・センター行き」とか「シティ・センターまで何マイル」と書かれていました。

 

英国国教会の総本山、国際的な観光地でもあるカンタベリー大聖堂 Cantubery Cathedral までたったの50kmちょっと、中世の頃にはカンタベリー巡礼の途中のありがたい立ち寄りスポットだったようです。

 

小ぢんまりした大聖堂は驚きの12世紀、ノルマン建築でした。もちろん、入ってみました(入場無料の宗教施設です)。

同じくノルマン時代のほぼ廃墟の古城は、少し時間も押していましたし、コートを着ないで出てきた暑がりの私もさすがに午後の夕暮れ前は肌寒く感じ見学を見送りました。

 

ハイストリートの左側に位置する、駅前広場からタクシーを拾ってホテルに帰りました。

 

タクシー乗り場から、夕暮れの風景を撮りました。

ハイストリートを裏側から見たところです。

大聖堂など、もうちょっとロチェスターについて書くことがありそうです。

 

 

 

 

 

 

 

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ロンドン紳士御用達、ダンディ・ファッションのメッカで見かけた19世紀のファッションアイコンの数奇な生涯

2021年05月26日 05時55分59秒 | ロンドンとイングランド南部
先週の金曜日にロンドンに行った時の写真です。

ジェミン・ストリート Jemyn Street にたつボー・ブラメル Beau brummell の像です。


ピカディリー・サーカス  Pccadily Circus(有名な観光スポット、エロス像のある小さな広場のある交差点)からのびる目抜き通りのひとつ、ピカディリー Piccadilly (通りの名)を少し行ったり来たりウロウロしました。
日本大使館の予約時間までの時間つぶしです。

ピカディリーには日本大使館の他、ロイヤル・アカデミー美術館、フォトナム&メイソン、グリーンパーク、リッツ(ホテル)、があります。
もっと先に行くとバッキンガム宮殿もあります
(そういえば、イギリスに30年住んで、何度かロンドンに足を運んでいる私ですが、バッキンガム宮殿に行ったことがありません!)

繁華なピカディリーの瀟洒なリージェンシー建築のアーケードの中に入ってみました。


狭い通路の両側に並ぶ、小さいけど古く格式のある店はすべて、紳士向きのアクセサリ―や身だしなみを整えるための用品店ばかり...

帽子や傘、ステッキ、髭剃り用品、古い勲章、パジャマとガウン専門店、床屋さんまでありました。

シルクのスカーフで顔を包まれてスパイダーマンみたいだったマネキンの並ぶ礼服店を最後に出たところが.....


ボー・ブラメルの銅像のあるジェミン・ストリートです。



上の写真はジェミンストリートからピカディリー・アーケードを振り返ってみたところです。

銅像の台座には彼のフルネーム George Bryan ''Beau'' Brummell と、彼が残した有名な格言らしい
To be truly elegant, one should not be noticed 真にエレガントであるためには目立たないことである」が刻まれていました。

19世紀初頭のリージェンシー時代にしゃれた着こなしで一世を風靡して社交界で大評判をとった「ダンディ dandy」です。

ダンディは日本の翻訳文学などでは「シャレ者」や「伊達男」と訳されることが多いのではないでしょうか。
今の言葉で言えば、ファッション・アイコンですね。

ボー( Beau=イケメン)という恥ずかしい名前に聞き覚えがありました。
ずい分前に見た服飾史に関する教養ウンチク番組でちょこっと取り上げられていました。

ボー・ブラメルという通名で知られているようです。
教養ウンチク番組で見た内容はほとんど忘れていたのでグーグル検索してみました。

ボーはイートン・カレッジ時代のあだ名で、卒業後も自称していたようです(いい度胸です)
ちなみにイートン・カレッジの後輩、ジョンソン首相の通名「ボリス」もジャーナリスト時代に筆名として使い始めて定着した学校時代のあだ名です。

ブラメルは当時の男性ファッションに多大な影響を与えたことで後世に名を残しています。
それにしても、インスタグラムもない時代にどういう経緯で彼のダンディぶりがそんなに知られるようになったのか気になるところです。

かたくて高めのカラーにふわっと結んだタイ、ぴちぴちのズボンなどなど当時の代表的なスタイルはすべて彼の考案だそうです。
ジェーン・オースティン原作の文芸ドラマや映画に出てくる紳士はすべて肖像画に描かれた彼の服装と全く同じスタイルでキメています。

軍人として輝かしいキャリアが期待されていたそうですが、文化が不毛でダサい産業都市(当時)だったマンチェスターに赴任するのが嫌で軍籍を離れたそうです。
イヤなやつですね。

その後ロンドンの社交界でプロのファッション・アイコンとして生活する道を選びました。
親の財産を食いつぶしただけのようですが。


ピカディリー・アーケードの反対側の出入り口のあるジェミン・ストリートはピカディリーの「裏通り」にあたる細めの通りです。
やはりずらっとロンドン紳士御用達の紳士服やアクセサリー専門店が並んでいました。





カフリンク専門店、メガネ、時計、ネクタイなどなど。
いずれも敷居が高そうです。

この通りで見かけた19世紀の定番だった彩色が再現してあるコーニスの天童くんたち。



グーグル検索で見つけたブラメルがとてもたくさん残した格言、警句の中から多くの人が語り継ぐべきとイチ押ししている名言をもうふたつ。(私の意訳です)

Fasihons come and go; bad taste is timless.
流行は移り変わる。しかし趣味の悪さは不変である。

If people turn to look at you on the street, you are not well dressed.
道で人々が振り返ってあなたのことを見るならばあなたの着こなしは失敗である。

いいことを言っているでしょう?

ブラメルの銅像はロンドン紳士が身なりを整えるのに必要なグッズが何でもそろいそうなこの通りの偶像的存在みたいですね。
彼の身なりに関する名言から多くを学ぶべき人たちが行き来するエリアです。

ブラメルのその後;
19世紀の初頭には想像もつかないドエライ金額なはずの 65,000ポンドをかけ事や遊興で使い果たしたあと、借金の取り立てから逃れるためパリに移り住み、最後は慈善の養老院で亡くなったそうです。

彼の最後からも多くの人が学ぶべきことが絶対にある!

ずば抜けて美男子というわけではありません。


どこにでもいそうな やさ男ですね。











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用事があってまた行った、ロックダウンの規制緩和が進むイギリスの首都、ロンドン!観光客はいないはず活気が戻る週末の幕開け

2021年05月23日 08時02分39秒 | ロンドンとイングランド南部
金曜日に撮った写真です。

テムズ川にかかるロンドン名物、タワー・ブリッジ Tower Bridge。


このパンデミックのさなか、再び日帰りで!首都、ロンドンに行って帰ってきました。

タワー・ブリッジをちょっとかわった構図で撮りました。



前回(先月)果たせなかった日本大使館での重要な用事を片付けるためです。
前回と同じロンドン通勤圏に住む日本人の友人がわざわざ出てきて会ってくれました。

日本国外で初めて見た!唯一の2020東京オリンピックポスターです。


予約制で1人ずつしか入れない日本大使館の待合室にかかっていました。(向かいには2020東京パラリンピックのポスターも飾ってありました)

遠距離の急を要するわけではない旅行はひかえるべきこの時期に1カ月に1度友達に会いに上京しているみたいな状況が心苦しいのですが、そう、大使館に行ったのです!

前回(先月)の日帰りロンドン上京記事のリンクです☟☟

用事はキャンセル、それでも行ったパンデミック下のロンドンは中国人にかぎらず観光客のいない私の知らない別世界

5月17日のロックダウン解除第三段階を経て、日常が戻ってきた首都ロンドンです。

地下鉄の細長い通路に前回はあまり見かけなかった企業広告ポスターが戻ってきました。


Welcome は再開したロンドンを歓迎する言葉のようです。


ショーウィンドウや、カフェのメニュー用の黒板にも Welcome back London という言葉を見つけました。

数はまだ少なかったでしょうか、おなじみの興行ポスターです。


ロンドンに来た!というワクワクする気分を盛り上げる、劇場の演し物ポスターも復活です!

映画館、劇場、コンサートホールなど屋内の文化・娯楽施設も先週の月曜日から実に1年ぶりの再会です!
入場者数の制限や観客の検温などがあるらしく完全に通常通りの上演、上映が許されているわけではないようです。

日本大使館近くで待ち合わせをした友人と、近くにあるロイヤル・アカデミー美術館 Royal Academy of Arts に無料で入館できる常設展を見に入りました。


美術館、博物館も再開です。

世界をリードする金融街、シティCity にある評判のうどん屋さんで早めの夕食を食べました。

近代的なガラス張りのビルがたくさん並ぶシティで見かけた「薄っぺらい」ビル。


意味不明の「アオミドロ」現代アート。


通常ならばビシッとスーツを着込んだ金融マン、金融ウーマンでシティがあふれかえる退社時刻前後だったのですが、さすが!ほぼ100%リモート・ワークが浸透している業種です。
街はガラガラ...。

私たちともう一組しか食事をしている人がいなかったガラガラだったうどん屋の店員さんによれば、夜半にかけてナイトライフを楽しむ人たちでいっぱいになることが予想されるようでした。

霧雨が降り風がふきつけるなか、食後にテムズ川沿いを歩いてロンドンブリッジ駅に向かいました。

連合王国で一番高いビル、シャード。


川向うのビル群...


20年ほど前にチャールズ皇太子がぼろくそにけなした有名な弾丸型のビル、通称「Gherkin (ピクルス用のキュウリ)」がいつの間にかへんちきりん度を競い合う独創的な近代ビルに囲まれてしまって全く目立たなくなっています。

友人に付き合ってもらってタワー・ブリッジや川向うのロンドン塔を背景に、「お上りさんセルフィー」を何枚も撮りました。
(大はしゃぎです)

...と言っても腕をせいいっぱい伸ばしても観光物件と2人の顔をバランスよくフレームにとおさめるのは至難の業です。
どちらかの顔や観光物件の一部が必ず欠けて写るのも楽しみのうちなのですが。

そう言えば、「セルフィースティック」を取り付けたスマートフォンでつぎつぎと段取りよくセルフィーを撮影しているどう見ても観光客といった風情の中国人を数人見かけました。
どこかロンドン以外の場所に住んでいる帰国しなかった留学生か、仕事をしている人たちが観光に来ているんでしょうね。

友人とは別々の地下鉄に乗るために分かれた、ロンドンブリッジ駅そばのパブです。


7時頃になると、どこもかしこもナイトライフに繰り出す地元の人でいっぱい!
そう言えば金曜日、ロックダウンの規制緩和第3段階が始まって初めての週末の始まりの夕暮れでした。

そうか、ロックダウンは地元では事実上もう終わったんだな、(観光客がいないだけで)と実感...

このパブの写真を撮った理由はこの「重そう」な女神像。


軒を支える裸の男性像がイギリスの古い建築物にくっついているのをよく見かけるのですが、片方おっぱいを露出した女性像というのが目を引きました。
ビクトリア時代の建物の慣例らしく、鮮やかな彩色が補修再現されているのにも注目です。
(乳首と足の爪が赤く塗られていました)

マンチェスターに向かう電車に乗るためにユーストン駅につきました。

そこで待ち構えていた衝撃の事実!


ほぼすべての列車がキャンセルか大幅な遅れで、ものすごい数の人がコンコースで途方に暮れていました。



信号事故だそうです。
帰省だか週末旅行をするつもりだかで大きなスーツケースを携えたのもーのすごーい数の乗客でいっぱい。
子供連れもドイツ人も国籍不明の東欧人も中国人もいました。



パブには行けても、まだ旅行はしてはいけないことになっているパンデミック下のイギリスです。
いえ、いけないんだかそれとももういいのだか、何だかよくわかりません。
とにかく、ロンドンをほっつき歩いてセルフィーなど撮っていた私に人を批判する資格はありませんが。

気の緩んだロンドンで一日過ごした後、最後の3時間を過ごした過密状態のターミナル駅でとつぜん思い出したのは「インド変異種」!!
ロンドンでも感染拡大しつつあるのでした。


とりあえず、2時間遅れで動き出したノロノロ列車に乗ることができました。
全席指定の座席の予約はキャンセルになっていたので、ゆったりとしたファーストクラスに勝手に座って予定していたより3時間以上遅れて日付のかわったころに帰宅できました。













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窓もどき!天下の悪法、窓税が作り出したへんてこりんな建物の数々  バース  10

2017年07月30日 09時00分00秒 | ロンドンとイングランド南部
バース Bath に限らず、イギリスの古い町に行かれたことのある方は、お気づきかもしれません。

古い建築物の「ふさがれた」窓が実に多いのです。


イギリスでは昔、窓の数に応じて税金を毎年徴収されたらしいのです。
天下の悪法「窓税 Window Tax」です。
たくさんのイギリス人が知っている事実です。

帰宅してから、調べました。

1696年、国王ウィリアム三世の時代の議会で制定されたこの法律で、1851年に廃止されるまで155年間も施行され続けたそうです。
.....あれ、私が何人かのイギリス人に聞いた話と違う!

たいていの物知りのイギリス人は「ナポレオン戦争(あるいはクリミア戦争)の戦費ねん出のために窓に課税されることになったため、多くの窓がふさがれた」と思っているらしいのですが、どうやらかんちがいしているみたいですよ。

だって、多くのイギリスの古い町に残っている、「窓がふさがれたあと」のある古い建築物は 窓税が制定された1696年より後に建てられていますから。

バースでたくさん見かけた、この現象はどう説明する?


極端な例。


うちの夫は、「これらは窓税とは関係なさそうだぞ」と決めつけました。

そばによって、いくつかよく見てみましたが夫の言う通り、税金逃れのために後からふさがれたわけではなく、最初からわざわざ開いてない窓を外壁につけて、建てたみたいなのです。

たしかにプライバシーとか、壁際に家具を配置するうえで厄介だとかいろいろと大きな窓がいっぱいあったら困ることがありそうです。

でも、のっぺらぼうの外壁は見栄えがわるい(?)ので、美観を考慮してわざわざ開いてない窓「窓もどき」を配置したのだろう、ということに(勝手に)結論付けました。

でもやっぱり、ヘン....ほんとうにそうでしょうか?納得いきません。

調べて納得!

バースの「謎の窓もどき症候群」は、やっぱり その時代の「窓税逃れの好例」だそうです!
ただし、ふさいだのではなく最初から、窓の少ない建物をわざわざたてたみたいですよ。(みみっちい)



窓もどきを探せ!


もちろん、後からふさがれた窓もあるかもしれません。

( 奥に見えているのは、ホーバーン・ミュージアム The Holburn Museum )


ホーバーン・ミュージアムについて書いた記事のリンクを貼りました。↓最初に投稿した時と写真が少し変わっています。
いっぺん読んで下さった方も、ぜひ見てくださいな。

ルネッサンス風の橋のこちらとあちら側、無料で入れる美術館2軒  バース3





BTPの看板がでているこの角ビルは、紅茶の美味しかったカフェ、ボストン・ティー・パーティBoston Tea Party です。


記事のリンクを貼りました。↓
バースで朝食、紅茶がおいしい環境にやさしいカフェ・レストラン・・・バース 6 番外編


課税の対象だったのは、窓が一戸当たり10個以上ある家だけだったそうです。
窓の数が増えるたびに窓1個当たりの税率が上がっていきます。

だから本来は裕福な人々から徴税し、小さな家に住む貧しい人々には課税されない民主的な課税法...のはずだったのです。

しかし実際は、窓税のせいで都市の貧民街などの通気が悪く採光が全くない窓無しの小さな居住スペースに押し込められたたくさんの貧民が健康を害して、長いこと社会問題になっていたそうです。

多くのごうつくばり大家が窓税を払いたくないばかりに、もとからあった窓までふさいじゃったから、らしいのです。

1851年に窓税が廃止された後、窓のあるべき位置(窓もどき)の壁を抜いて後から窓を穿つのはそれほど難しそうにも思えないのですが、あまり実行されていないようですね。

これは、後からふさいだように見えます。


たしかにこのたてものは古そうでした!バースでいちばん古い家 The Oldest House in Bath のすぐそばです。

窓税制定前に建てられたのかもしれません。

バースでいちばん古い家に関しては、前回の記事を読んで下さい。リンクを下に貼りました。↓

興味深い建物が多い、やっぱりバースは古い町!  バース  9

バースの代表的ジョージアン建築、サーカス The Circus の「窓もどき」も見てください。写真を増やしました。
記事のリンクを貼りました↓

250年以上前の都市計画!第一級保存指定建築に今も普通に人が住む、世界遺産都市バース・・・その7



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興味深い建物が多い、やっぱりバースは古い町!  バース  9

2017年07月28日 09時00分00秒 | ロンドンとイングランド南部

いい加減、飽きてきた読者の方もいるかもしれません。今日で9日目、バース Bath
私が、あくまで個人的に 面白いと思った建物の紹介です。

建物は別に面白くないかもしれませんが・・・Royal Mineral Water Hospital for Rheumatic Diseases (王立鉱水リューマチ病院?)。


タウンセンターにある、病院です。



驚いたことに、今でもNHS(国家保健省)が所有する、リューマチ治療の病院として機能しているんです。

16世紀ごろからバースの鉱水は、リューマチに効くと信じられていたそうです。
1597年から、リューマチ患者は鉱水を無料で飲めるようになったので、全国からリューマチ患者が続々とやってきて、バースはイギリスのリューマチ治療の本拠地になったということです。

1739年、リュ―マチ医療の最先端技術を誇る病院としてオープンしました。

バース・アビィ Bath Abbey、ローマン・バス The Roman Bathes のそばにある、バースでいちばん古い家 The Oldest House in Bath


サリー・ラン・イーティング・ハウス Sally Lunn Eating House という名物レストランになっています。

「サリー・ラン・バン Sally Lunn bun 」という、フランスのブリオッシュに似た、バース名物の丸いパンを考案した、サリー・ランという少女が住んでいた家だそうです。(そんな人、知らない・・・1680年にフランスから亡命してきたユグノー教徒だそうです)



バース・アビィのそばにある、古い店舗ビル。


うちの夫がすごく気に入ったというので写真を撮ったのですが、どうってこと、ないですね。
ただ、スカラップ(貝殻)のカナペィ(ひさし)がぜんぜんイギリス風じゃないんです。
フランスのロココ風、でしょうか、それにしてもこのひさし、取ってつけたような感じですね。

写真を引き伸ばしてみて気が付きました。雨どいに1705と刻印してあります。310年以上もたっている建物です。


上の写真の建物の、反対側です。


私は面白いと思ったのですがどうでしょうか。夫は「なんでそんなものの写真を撮る?」と不思議がっていました。

プルトニ―橋のある景色のいい側から見たら立派な角ビル、横に回ったら、簡素なしょぼいつくり、しかも高さまで端折ってあります。

横も観光客の行き来が多い、ショッピング街なんですけどね。

町はずれの教会。


外に、クレーレーストーリー(大聖堂内部の中二階みたいな細い通路)のようなものが飾りにつけてあります。




夫が意外に素直に収まって写真に写ってくれた、謎のアーチ。


もと、塀にあいた出入り口だったのかと思ったのですが、アーチの内側も、外壁と同じ石が積んであって、ふさがれたようには見えません。
この塀の内側に何があるのかも、分かりません。



イギリスらしくない、北欧風の家。(家かな?)




途中でちょん切れたらしい、ジョージアン様式のタウンハウスの切り口。


窓の開けられ方がみょうに不規則です。

下にあるのは、街並みと調和のとれたバース・ストーン色の公衆便所(古そうな建物です)。

タウンハウスの裏側がややこしくて興味深いです。


タウンハウスの裏庭の塀と思しき石垣塀のドアに郵便受けがあります。


塀の内側に家があって、人がすんでいる????




2日目、夕ご飯を食べたパブ、サラセンズ・ヘッド Sarasen's Head 。


創業が1713年、バースで現存するいちばん古いパブだそうです。戸口にそう書いてあります。


このたてものの完成も同じ年です。建物前面に刻印がありました。



天井の低い内側。


漆喰の模様が興味深い。




不思議なつくりのパブです!
内部で、建物の外壁らしきものがくりぬいてあって、後ろのもう少し新しそうな建物とつないでありました。


反対側にぬけたところ。


隣の、「Yの字道(二叉路)」の分岐点にある教会は、St. Michael's Without Church という、へんてこりんな名前です。

St. Michael's Without の背後で二叉路をつなぐように伸びるこのパブ、同じ名前のパブがあっちの道とこっちの道に二軒あるように見えます。


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   雑多な街並み・・・それでも魅力的な古い街、世界遺産バース 8

2017年07月27日 09時00分00秒 | ロンドンとイングランド南部
バース Barth の連載、8回目。

世界遺産のバースの街並み、18世紀、ジョージアン建築について書いた昨日の記事を読み返して下さいな。リンクを下に貼りました。↓
250年以上前の都市計画!第一級保存指定建築に今も普通に人が住む、世界遺産都市バース・・・その7


今日は気楽に、インフォーマルな、統一感のない雑多な建物がならぶ街並みの写真を並べてみます。

バース・ストーンでできた黄色っぽい連続店舗。


建物の統一性はけっこう保たれていますね。同じ石材が使ってあるからかもしれません。
段々になっているのは坂の途中だから・・・。

バースは坂の町です。



バースはショッピング天国です。
駅の向かいのショッピングモール、ローマン・バス全やバース・アビィのある、観光の中心地にかけて、全国展開のチェーン店がほとんど揃っています。

ショッピング・モールを出ると、店の建物のバラエティにちょっとびっくりです。

中流階級の人たちが住んだジョージアン様式のタウンハウスは、均整の取れた統一感を今でも見事に保っていますが、なぜか、お店の作りは雑多です。

建築年代も様式も高さも建材もまちまち。

250年まえから、20世紀初めごろまでの150年間ぐらいのあいだに取り壊されたり、建て直されたり、増改築されたり無秩序なんですが、素敵です。

古いから、絵になるんですよね。











イギリス中、戦災で、古い建物が破壊されたあと、機能的でモダンなスタイルで再建されるのは時代の流れ、致し方ないことです。
でも1960年代、70年代に「機能的でない、維持費がかかる」という理由で、傷んですらいない古い建物が次々と取り壊され再建されたのは、ほんとに意味のない惜しいことだったと多くの人の意見が一致しています。
私の住むストックポートは、古い街ですが、数多くの中途半端なモダン建築が現在、薄汚く残っていて、町の美観を著しく損ねています。

18世紀の都市計画と保養地としての名声を誇るバースや、例えば中世の大聖堂が残るような他の観光地では、町全体で残す努力をしてきたところが観光資源としての街並み保存の成功のカギだったんですね。

バースが世界遺産に指定されたのは1987年。
それ以来、建築に関する規制がもうけられ、建築物の外観を変えることが基本的にできなくなっているはずです。

20世紀初頭ごろ?まで150年間の魅力的な無秩序がそのまま保存されているなんて、いいですね。





ローマン・バスのそば、商店街の裏どおりにひっそりと建つ、映画館。




「プルトニー・ブリッジ Pulteney Bridge 」の橋の上の写真が、実は、ありました!
遠くから撮ったのを拡大したものですが・・・


「青マルに斜め矢印」がさし示しているショーウィンドゥに注目。

 *「青マルに斜め矢印」は、交通標識で、右折する際とるべきルートを示しています。

坂の上のホテルへの行き返りに3日間毎日見た謎のショーウィンドゥ。


「営業中」は犬が寝ています。

「閉店後」はシャッターが下りて、犬の寝床を含むショーウィンドゥの陳列品が残されます。


この店の業種は、何?



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250年以上前の都市計画!第一級保存指定建築に今も普通に人が住む、世界遺産都市バース・・・その7

2017年07月26日 09時00分00秒 | ロンドンとイングランド南部
バース Bath、今日で7回目です。

バースといえば、古い町並み。

18世紀に、鉱泉の湧くイギリス有数の保養地として栄えました。
今も残る整然とした都市計画は、その当時整ったものです。

18世紀イギリス建築様式を代表する、ジョージアン様式の、連続住宅がとてもたくさん残っています。
その代表は、ロイヤル・クレセント Royal Crescent

ロイヤル・クレセントについて書いた7月22日の記事のリンクを貼りました。 ↓
知られざる、三日月の裏側写真!ジョージア様式の住宅の最高傑作、ロイヤル・クレセント  バース  5


バースの観光名物、熱気球から撮ったらしい、空撮写真、観光ウェッブサイトから勝手に借りました。


上の方に見える、ロイヤル・クレセントに続く、円形をかたちづくる建築物群は、ザ・サーカス The Circus

こんな建物が、三つ等間隔で並んで、正円をかたちづくっています。


バウムクーヘンを3等分に切って、切り口からさらに薄く削いで取り除いた状態にたとえていいのでは?

第一級保存指定建築、1768年完成です。

バースのジョージアン様式の都市計画の起点となったプロジェクトだそうです。
設計者のジョン・ウッド〈父〉John Wood the Elder は、ストーンヘンジをイメージして!設計したそうです。直径が同じ!

どの道からはいっても、目の前に反対側の建物のちょうど真ん中が来るように円を3分割した均整な設計なんですが、まんなかの丸い庭園のポプラの木3本がじゃまですね。

まんなかには、もともと湧水が溜まる給水設備があったそうですが、1800年に取り壊され、ポプラが植樹されました。
元気に立派に育っています。

いろいろな、古代ギリシャ様式と、当時流行のパラディアン様式が、イギリス人が「すごい、リッパ!」と思うような絶妙なバランスでまぜこんである建物正面。


よく見たら、なんだかゴテゴテしていますね。


ドングリのフィニアル(突起飾り)がかわいい。

フリーズには525もの、産業や学問、芸術を表す寓意がずらああっと彫り付けてあります。


お金を数えるサル?


もしかしたら、お金を捨てるサルかもしれません。

バームクーヘンの、切り口部分。


窓がふさがれている…というより、どうやら もともと窓を作るつもりもないのに「窓枠まがい」を設置したみたいです。
「窓枠まがい」の中の石材は主要な建材と同じ!
ふさがれたわけではないようです。この件に関しては、日を追ってまたいずれ・・・


ジョン・ウッド〈父〉が建築開始直後に亡くなったあとはジョン・ウッド〈息子〉 John Wood the Younger が父の設計を引き継いで、サーカスを完成させました。
サーカスから延びる道のひとつの先にある、ロイヤル・クレセントの設計を手掛けたのも〈息子〉です。

サーカスを出たところ。


ロイヤル・クレセントの下の公園脇に、町の中心に通じる、細い砂利道があります。
一部、サーカスの裏庭の外側に沿っていました。


目立たずひっそり一般公開している、ジョージアン様式の庭園 the Georgian Garden がありました。


入場無料、管理する人もいない戸が開きっぱなしの公開庭園。

静かな裏道ですが、ロイヤル・クレセントに向かう観光客がけっこう通ります。
だれも小規模な公開庭園の入り口に気が付きません。

19世紀の初めに芝刈り機が発明されるまで、中流家庭の庭はみんな、砂利を敷き詰め、刈り込んだボクサス・ツリーをちょんちょん、と配置したセミフォーマルな無機質なデザインだったようです。




右側の、このピンクの花は雑草だと思います!


当時の庭を再現するために、ハニーサックルや、ジェラニウム、バラ各種もすべて、当時栽培されていた品種が注意深く選んである、ということです。

色とりどりのイギリス固有の花が雑然と咲き乱れる コテージ・ガーデン cottage garden(日本ではイングリッシュガーデンといいますね)の魅力が都市の住人に紹介されるのは、まだまだ先、19世紀の終わりごろです。


バースは坂の町。
坂の途中に並ぶ、ジョージアン様式の連続住宅の段違いの処理も興味深いです。










すべて、一般の人が住む住宅です。
多くは、多数のフラットに分割されて、多世帯住宅に改装されているようです。

サーカスやロイヤル・クレセント、サーカスに通じる通りに残る、ウッド父子の傑作住宅群と違って、必ずしも整然と統一感をもって建てられた、あるいは保存されたというものばかりではないようです。

建ってから長年のうちに少しずつ、住みやすいように住人が手を加えていったところもあるはずです。
それもまた、人が住む建物を見る味わいのひとつですよね。

世界遺産に指定後は、建物の外観を変えることは基本的に許されていないようです。

坂のてっぺん近くの絶景タウンハウス。


ジョージアン様式のタウンハウスには、湾曲している「クレセント」型が多い。


ホーバーン・ミュージアムから、プルトニー橋の方角を見たところ



ジョージアン様式の連続住宅の特徴の一つ「半地下」




半地下といっても、完全に地下ですよね。道路からぐっと下がった掘り抜きの地下です。

特にこの写真を撮った、ホーバーン・ミュージアム前の通りの高級そうな通りの建物の地下は、一階とは別の世帯になっていて、下に降りる階段(古い)と玄関が取り付けられている物件が多かったです。

様式ごちゃごちゃの味のある街並みの写真も撮りました。
次回にお見せします。


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知られざる、三日月の裏側写真!ジョージア様式の住宅の最高傑作、ロイヤル・クレセント  バース  5

2017年07月22日 09時00分00秒 | ロンドンとイングランド南部
今日で5回目、バース Bath の話題、

バースといえば、18世紀、ジョージアン様式の連続住宅がならぶ整然とした都市計画。

都市計画の最初に着手された建築プロジェクトが、ロイヤル・クレセント  The Royal Crescent。観光名所です。


ジョージア様式の住宅の最高傑作、第一級保存指定住宅。
イギリスのみならず、ヨーロッパの建築史上もたいへん貴重な歴史的建造物です。




1774年に完成してから、外観はほとんど変わっていないというから、驚きです。

クレセント(三日月、半円)型に優雅に湾曲して伸びる、約150メートルの連続住宅。
地上4階 + 半地下の5階だて住宅が、No2 から No29 までの28軒、左右対称の、両端 No1 と No30は、うしろに張り出した増築部分付きの、豪華版。










イオニア式の柱をちょうどまんなか、No16だけ、2本セットでファサードに立てて、偉そうです。


ポイントになる大きな窓もありますね。


No1は、復元家具や小物をいれ一般公開している、18世紀の生活史博物館、No 1 Royal Crescent


10分おきぐらいにやってきて、大きな樫の木の下あたりに止まる、乗り降り自由の 赤い観覧バス からたくさんの観光客がドカッと降りて、写真を撮って見物して回ります。


博物館はすごく混んでいて、入場料も高く、入りませんでした。

それにしても、この保存指定建築、現在も人が住んでいる 一般住宅でもあるんです。

自分のうちが観光名所!どんな気分なんだろう?


クレセント前の公園は、熱気球の祭典、バース・バルーン・フェスティバルなるイベントが開催される名所だそうです。

観光シーズン中は、毎朝、毎夕 観光客を載せた気球が上がっています。


ウェッブサイトで調べてみました。
バルーン・フライトの料金は、一人 99ポンドから270ポンドまで。
270ポンド(3万9千円)払えば貸し切りで、時間内で好きなところに飛ばしてもらえるそうです。

ロイヤル・クレセントの住人のプライバシーはどうなってるんだ。

こんな景色が見下ろせます。


99ポンド払って気球に乗って撮ったのかって?
まさか!上の写真は、例によって観光ウェッブサイトから断りも入れずに勝手に借りました。
絵葉書にもなっているよく知られたイメージです。

表側が、統一感と均整のあるすっきりした外観なのに、プライベートな裏側が いやにごちゃごちゃ個性を発揮していませんか。


一休みに腰を下ろしたヴィクトリア・パーク Victoria Park の芝生の上で、夫が昼寝中に、私は一人でNo1 ロイヤル・クレセントから 後ろをぐるうっと 歩いて回ってみることにしました。

No1 ロイヤル・クレセント。





裏に回ります。


No2、3、4… と反対側の端、No30に向かって歩きます。

ロイヤル・クレセント各戸の裏庭の終わりに、住人が好き勝手な車庫か何かを増築しているようです。
ロイヤル・クレセントの建物が見えません。

あ、見えた。




最後は、No30 ロイヤル・クレセント。




右側に、反対側の端、No1 ロイヤル・クレセントが見えています。↑



玄関脇に、ドアベルが3つ縦に並んでいるのが見えるでしょう?


どうやらこの一戸は、3軒のフラットに分割されて複数世帯が居住しているようですよ。

No30 正面に回ります。









まんなか、No 16 は、高級ホテルになっていました。
ドアマンが正面に立ち、泊り客が次々と出たり入ったりするので 写真は撮りませんでした。

泊り客はすべて中国人でした。

改装中の一軒、空き家のようです。写真を撮りました。


この 個人所有の年代物住宅専門の 補修改築請負業者、バース市内で手広くやっているようです。
空飛ぶブタが車体にプリントされたバンがたくさん 私たちが滞在したホテルのそばにもずっと停まっていました。
ちょっと宣伝。

同時にいくつもの物件を請け負っているようです。

何故、トレードマークが、空飛ぶブタ?

街の建築物の ほとんどすべてが 年代物 のバースでは 需要の絶えない産業だと思います。

それにしても・・・建築史上の貴重な資料であり、観光資源でも あるロイヤル・クレセント。
管理、維持が本当に大変そう!もちろん自治体とかの援助も期待できそうですが、所有者はよっぽどのお金持ち・・・!?

実は、ほとんどの家は、バースの多くの他のタウン・ハウス(4階建て、半地下つきのジョージア様式の棟割り連続住宅)と同様に、いくつものフラットに分割されて賃貸、あるいは買い上げされているようです。
玄関わきのドア・ベルの数で判別できます。

ウェッブサイトで調べました!!

一例;いちばん上の階(召使の住んだ屋根裏階、天井が低く傾斜しているはずです)の3寝室フラットのお家賃が月額1650ポンド(24万3千100円)。

賃貸ビジネスでもしないと、維持していけないのかもしれません。
外観の維持に関しては厳しい規制がありますが、内部の改装は比較的自由みたいです。


ついでです。イギリス建築 トリヴィア。

上の、気球が上がっている写真、そのほか、ロイヤル・クレセントの遠景写真を スクロールして見てくださいな。

芝生の広場に 段差があるのが、分かりますか。

上の部分が、一般の人が立ち入り禁止の、ロイヤル・クレセント地所の半円の芝生。

人が座り込んでいる 下の部分が市の公園、ヴィクトリア・パークの一部。

この、土地を分割する段差式の壁のことを ハーハ・ウォール ha-ha wall といいます。どこが、笑うほどおかしいのかって?
ハーハ―というのは 笑い声ではなく、何か発見した時に いたずらっぽく言う英語の感嘆詞、「ハ、ハ~?(語尾上げ)」からきているそうです。

19世紀の初めに芝刈り機が発明されるまで、草の丈を短く保つのに放牧していた ヤギやヒツジが 屋敷の敷地内に入ってこないように設けた、柵の代わりです。
柵と違って、見えませんし、見下ろせば、広大な緑の田園風景が、自分の家の庭とつながっているように見えるという仕掛け。

田園風景の中を歩いていたら、足元に段差発見、「ハ、ハ~?」とびっくり。(危ないですね)

ここのは、あがろうと思ったらよじ登れる高さですが、壁の下になだらかに落ち込む溝がほってあって、落差が大きいのが よくあるタイプの ハーハ・ウォールだそうです。
ヒツジも牧童も上がれません。


18世紀の、都市に住む中産階級以上のヨーロッパ人は 田園生活に熱狂的にあこがれていたんだそうです。

坂の途中にあって、広大な芝生の原っぱが見下ろせるこのロイヤル・クレセントは、あこがれの「都会で田舎生活 The country in the city 」を体現した、「先駆け的建築プロジェクト」だったのだそうです。

ハーハ・ウォールはこのころ、たくさんのお屋敷の庭園に設けられていたそうですが、現存するものはあまりありません。


私たちがバースに到着した日は、しとしと、雨降りでした。
それでも、いっぱい、観光客!




傘をさしているのは、ほぼ全員が中国人です。

今、イギリス中の観光地のどこに行っても必ず見かける中国人観光客・・・もちろんバースにも とてもたくさんいました。

それでも、私たちが通りかかった連日、ロイヤルクレセントでの中国人観光客の密度は特筆ものでした。
ロイヤル・クレセントは、世界中に名高い観光名所ですが、特に中国人にとって、絶対見逃せない、観光スポットなのでしょうか。



急な坂を上がったところにあるホテルに2泊した私たちは、実に何度もロイヤル・クレセントを通って町の中心にいき帰りしました。

天気に恵まれた滞在2日目、無料美術館のはしごをして、ホテルに帰る途中で立ち寄ったヴィクトリア・パークで、一休み。

中国人カップル3組に 携帯電話で写真を撮ってと頼まれました。

みな、礼儀正しい 感じのいい人達でしたよ。

いったんホテルに戻って、シャワーを浴びて 一休みした後、夕食のために、また街に戻りました。


ロイヤル・クレセントの横を通るのが お決まりのコース。



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