イギリス/ストックポート日報 《England/ Daily Stockport》

イギリス北西部の歴史ある街、ストックポート Stockportから(ほぼ)日替わりでお送りする、イギリス生活のあれこれ。

歴史上の重要な舞台、ウィンチェスターには古い建物と、史蹟観光物件がいっぱい

2023年12月12日 06時01分54秒 | ロンドンとイングランド南部

南西部の古都、ウィンチェスター Winchester、前回の続きです。

ハンプシャーの「県庁」にあたるHampshire County Council の前にたつ、県のマスコット、ハンプシャー・ホッグ Hampshire Hog (ハンプシャーのブタ)です。行くたびにいっしょに記念撮影することにしています。ちなみに屋根の上のウェザーベイン weathervane (日本語で風見鶏)も「ブタ」です!

ウィンチェスターは、紀元後70年ごろ、古代ローマ人によって建設された古い町です。

イングランドが古代ローマ帝国の属州だった360年間(紀元後43年から407年)にローマ人によって作られた無数にある町の中でも、ウィンチェスターは特に重要な要塞の町だったようです。

町の中心を走るショッピング・ストリート、ハイストリートの始まりにあるウェストゲイト The Westgate、上階が小さな博物館になっている中世のゲートハウス(上階に居住スペースを有する門)です。☟

ウィンチェスターは古代ローマ時代から石壁で囲われた城塞都市だったのです。ゲートハウスは石壁の一部として組み込まれた建築物です。

何度も建て直された石壁の大部分は、18世紀に取り壊されたようです。

ゲートハウスも東西南北 + もう二つあったようですが、このウェストゲイトともうひとつ、キングスゲイト Kingsgate(☟の写真)を残して石壁の大部分とともに取り壊されちゃったようです。

残念。私は石壁に遮蔽された中世の町が大好きなものですから。

ウェストゲイトに話を戻します。

上階の博物館に入ってみたいと長年思っているのですが、なぜか機会を逃し続けています。入館料はたったの3ポンド、しかも1年間有効の、「入館パスポート」だそうです。

近頃、このシステムの史蹟アトラクションや博物館が多いようです。観光に行った先でたったの1回しか入場しないのに1年間有効の料金を払わされるのは割に合わない気がしますが3ポンドなら1回の入館でもじゅうぶんお得です。(史蹟保存のための寄付と思えば納得です)

12世紀(古代ローマ人が撤退した後)の建造、石壁が取り壊された後もしっかり残る中世の建築物!チューダー様式(16世紀)の天井画や、17世紀の債務者監獄がそのまま残っているそうです。見なきゃ!

...オンラインで、あるいは足を運んでの入館予約が必要なようです。

写真に撮ったウェストゲートの、反対側の窓からの坂下のハイストリートHigh Street を見下ろす眺望もなかなかステキそうです。

5日間も滞在させてもらった友人宅がすぐそばにあるため、町の中心地に出向くため、毎日ゲートをくぐりました。

 

ゲートの向こうに見えているのがショッピング街、ハイストリートです。

ウェストゲートをくぐって少し歩くと右側にある中世の薫り高いモニュメントは...

シティ・クロス City Cross、バタークロス Buttercross とも言います。14世紀の建造です!

英国の公認のマーケットが開かれる中世以来の市場町の中心でよく見かける、壁のないあずまや型の「バタークロス」と違って、聖母はじめ、カトリックの聖人像がごちゃごちゃと彫り付けてある宗教的でありがた~いデザインです。

通常のあずまや型のバタークロスと同様、土台の六角形の段々に商人がバターやチーズ、卵を並べて売っていたそうですがなんだかばちあたりな感じがしませんか。

17世紀の清教徒革命の内乱に巻き込まれたウィンチェスター(郊外が激戦地でした)のどまんなかにコテコテのカトリックの遺物を満載したモニュメントが残ったのは奇跡だと言われています。清教徒軍は手あたり次第「偶像」を破壊しまくったということですのに。

調べたら、19世紀末にかなり大掛かりな修復が施されていました。

 

バタークロスの前からウェストゲートに向かって振り返って見た写真です。

11月の終わりの立派なクリスマスツリー。

 

 

ハイ・ストリートの終わり、いくつかの道路が合流するラウンドアバウト(方向転換ロータリーのようなもの)の中央にドンとそびえたつのが...

 

郷土の偉人、そこらの名士とは偉人度の桁が違う、アルフレッド大王 Ælfred (Alfred) the Great(849?~899)の巨大な銅像。

英国史上、the Great (大王)の尊称で呼ばれるのはこのアルフレッドただ1人、しかもこれから先も彼以外のだれも the Great 呼びされることはないそうです。

何かをいいかげんに読んだか、誰かにいいかげんなことを聞いたのか....私はウィンチェスターに住んでいた33年前から、ほんの45分ほど前までイングランドを統ーしたのはこのアルフレッド大王だと思っていました。

調べたら違いました!古代ローマ人が大陸の民族大移動などの混乱でブリテン島支配を放擲したあと、部族国家を複数有し内乱続き(アングロサクソン七王国時代)だったイングランドを829年に統ーしたのはウェセックス王、エグバートだったそうです。アルフレッドのおじいさんです。

じゃあ、孫のアルフレッドの何がそんなに偉大だったのかと言うと..

統ー後も襲撃を繰り返すデーン人(バイキング)を撃退した、海事に長けたデーン人を海上で打ち負かし海軍組織の基礎を築いた、法律や税制を整えて法治国家の基礎を築いた、それまで読み書きできる人はいなかった(古)英語の表記法を確立、異教徒が多かったイングランドで多くの人をキリスト教に改宗させた...というイングランド人の自国のアイデンティティ上もっとも重要なことをいろいろ実現したのでした。

ウィンチェスターに住んでいた30年以上前に知っていればよかった...!

インターネットが発達した今は本当に便利です。キーワードで検索すれば瞬く間に何でも教えてくれるのですから。図書館に行ってぶ厚い英国史の本を最初から読んでいく、なんて仕事かレポート提出かでもないかぎりやりませんよね。

イングランド初の統ー国家成立によって、アングロサクソン七王国の一国だったウェセックスの首都、ウィンチェスターがイングランド史上最初の首都になりました。

 

バタークロスのそばで、お店に入ったマミーをダディといっしょに待っていたイングリッシュ・ブルドッグのデンズィくんです。

ウィンチェスターの歴史散策、次回に続きます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

コメント (3)
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