イギリス/ストックポート日報 《England/ Daily Stockport》

イギリス北西部の歴史ある街、ストックポート Stockportから(ほぼ)日替わりでお送りする、イギリス生活のあれこれ。

ストックポートの原風景、ヴァィアダクト・・・上を電車が頻繁に行き来し、下には車が寿司詰め

2017年09月29日 23時16分07秒 | ストックポートとその周辺

ストックポート日報の原点、ストックポートといえば、おなじみのストックポート・ヴァィアダクト Stockport Viaduct



マンチェスターとストックポートをむすぶ鉄道の線路が上を走っています。
ストックポート駅は、かなり高い場所にあります。
プラットフォームは崖っぷちからせり出すような位置にあり、ヴァィアダクトと直結しています。

谷間にあたるストックポートのタウンセンターの一部をまたぐ形でかけられた、「鉄道橋」です。

完成が1841年。
イギリス連合王国(イギリス、スコットランド、ウェールズ、北アイルランド)内でもっとも大きなレンガ建築です。

ヨーロッパ最大の鉄道橋、世界で2番目に大きな鉄道橋でもあります。
完成当時は世界最大のレンガ建築だったそうですが、数年以内に同じ建築家の設計による、もっと大きな鉄道橋がインドで完成、順位転落したそうです。

「最大」の決め手は、高さや長さや幅ではなくて、レンガの数。千百万個以上、中までぎっしり詰まっています。

全長・536メートル。
全景写真はなかなか撮れません。

せいぜいこれ・・・


高さは33・85メートル。

どこから見ても絵になります。

下を流れていまるのはマージ―河 River Mersey。


27あるアーチの下には、工場があったり・・・


名物パブ、クラウン・イン Crown Inn があったりします。


柵で囲った空き地もありますが、アーチの下の有効利用で一番多いのが、駐車場。


それと、道路も、もちろんたくさん下を通っています。


ヴァィアダクトに沿って、ガス・ストリート Gas Street というへんてこりんな名前のすごく短い道路があります。


(gas はガス漏れ のガスです)

ごらんのように公的な道路名の標識までかかっていますが、ヴァィアダクトのアーチ一つ分の幅よりちょっと長いぐらいの・・・


アーチの下のスペースを利用した貸し駐車場に入るためだけの道。

一日4ポンドは格安です!
今、ちょっと調べました。ストックポート駅前のパーキング場は4時間以上24時間未満、15ポンド50ペンス徴収しています。

大繁盛も納得!金網の柵内に入り切れなくて、ガス・ストリートに路上駐車されています。

・・・公道ではないようですよ。
なぜかというと、ガス・ストリートの終わりはこんなになっています!


このとめ方!何か法律に触れないんでしょうか。


今まで、この下の道路を車で通るたびに、「ふちギリギリにとめてある車がずるずる落ちてきたらどうしよう」とビクビクしていました。
(駐車技術、すごいです)

今回はじめてガス・ストリートから歩いて入って一日4ポンドの貸し駐車場営業の実態を確認しました。
ぼろもうけ。

駅はもちろん、ヴァィアダクトのてっぺんの高さにあります。
車をここにとめて、33・85メートル上の駅まで歩くのは、交通量の多い通りをいくつか横切って急な坂を歩いて登らなければならず、けっこうめんどくさそうです。


工場の敷地内の木が紅葉を始めています。


(現在、ほとんどの古い工場は空き家か、倉庫スペースとして賃貸されています)

通勤ラッシュの始まる夕暮れ・・・日が少しずつ短くなってきています。




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ジャム・ローリー・ポーリー・・・イギリスの学校給食の定番、レトロなお菓子、手作り失敗!

2017年09月28日 09時00分00秒 | 英国のお菓子とデザート
見出しをみて「ぎょっ」とされた方があるかもしれません。

お料理の失敗写真を載せるブログが存在しようとは!

ストックポート日報 はお料理ブログではありません。なんでも載せます!

このぶざまな物体は、一体何か。


答え;オーブンに長く入れすぎてこげたジャム・ローリー・ポーリー。

黒ずんだ部分は 炭化したラズベリー・ジャム。

ジャム・ローリー・ポーリー jam roly poly


上の写真は、スーパーマーケット、セインズベリーのレシピ・ウェッブサイトから勝手に借りたお手本写真です。
ジャム・ローリー・ポーリーは、ストックポート日報 のお菓子カテゴリーではおなじみの、スエット suet を使ったお菓子です。

スエットというのは、牛の内臓を包む、硬い脂肪だそうです。加熱するとトロンと溶けます。
お菓子やお料理をしっとりもっちりさせる、イギリスではおなじみの食材です。

といっても、私は実物を見たことがありません。
今、使っている人がいるのでしょうか。



↑例によって、よそのウェッブサイトから勝手に借りたスエットの写真です。
ちょっと気持ち悪いですね。昔は、家庭での手作りロウソクを作る材料でもあったそうですし、あまり口に入れたくないような・・・

あ、調べたら、スーパーで売っていました。使われているようですね。

乾燥したものが、レトロな箱入りで売られていて便利です。


このATORAは、乾燥スエットの老舗です。

夫がベジタリアンなので、植物性の「ベジタブル・スエット」を使いました。
もちろん伝統的なビーフ・スエットを先行して販売していますが、今では健康を意識してか、「ベジタブル・スエット」のほうがうれているそうですよ。



食品とは思えないケミカルな見た目のペレット・・・ヤシ油とひまわりの種油が主原料です。

ジャム・ローリー・ポーリー、とてもイギリスらしいお菓子です。

1950年代から80年代にかけて、学校給食の定番だったため、ある年齢以上のイギリス人には、とても懐かしいお菓子でもあるそうです。

15歳の息子もたまに、学校のディナー・ホールで見かけるそうです。
食べ物の種類がとても豊富な現代と違って、夫が学校に通っていた50年前、出される頻度はけた違いに多かったことでしょう。

ちなみに、イギリスの学校給食は日本と違って、今も昔もトレイをもってカウンターをめぐり、好きなものをとって回るカフェテリア形式です。

ジャム・ローリー・ポーリーは断トツ人気の選択デザートだったそうです。

しっとりケーキで、べたべた甘ったるしい、ラズベリ―ジャムをクルクルまいたこどもっぽいお菓子。

私の初めて挑戦した失敗作は、外側がばりばり。


・・・・・・・・・・・・・・・・

負け惜しみではありません!

熱いカスタード・クリーム(お湯で溶くインスタント)をかけたら、けっこう美味しかったです!


中はやわらかかったんですから!

ピンぼけではなく、レンズが曇ったために紗のかかった間抜けな写真が撮れました。


死人の腕 dead man's arm という不気味な別名があるそうです。
もちろん形状からついた名前です。切断すると血液が滴るところも腕らしいですね。

ところで、このイギリスで独自に食べられ続けている国民食、なぜか、日本で大人気なようです。
ウィッキぺーディアの多言語版には英語と日本語があるのみ!

同じくイギリスの、しかも地方限定消費されてきたヨークシャ―・バーキンの日本での謎の大人気、と違って、理由が推測できてしまいました・・・!

↓↓参考までに、以前ヨークシャ―・バーキンに関して書いた記事のリンクです。

イギリス北部の地名を冠した、ご当地以外ではあまり知られていないはずの、お菓子2種



↑ビアトリクス・ポッターによる絵本、「ひげのサムエルのおはなし The Tale of Samuek Whiskers」にでてくる、「ネコまきだんご roly poly pudding」。

日本で大人気の「ピーター・ラビット シリーズ」の登場するこの挿話から 知名度が 上がったと考えられるのですが、どうでしょう。

イギリスといえば、ピーターラビット、湖水地方・・・をイメージする日本女性が多いのはなぜ?
なぜピーター・ラビットが日本人にこれほど人気があるのか、イギリスに住んでいる私にはちょっと理解できません。

ええっと、これを読んで下さっている、ピーター・ラビットが本当に好きな方、ごめんなさい。
私には後ろ脚で直立して 衣服を着せられた 動物の挿絵が かわいい とは 思えないのですが。

それはともかく、上の挿絵で、ネズミ夫婦が 子ネコのサムエル君を巻いて 作ろうとしている ローリーポーリープディングは、ジャム・ローリー・ポーリーとおなじものです。

ちなみに「プディング」と呼ばれているものは、オーブンで焼くかわりに、蒸したバージョンであることが多いようです。しっとり、むっちり、の質感のはずです。

蒸した ジャム・ローリー・ポーリーには 「シャツの袖プディング shirt-sleeve pudding 」の別名があります。

昔は巻いたたドウを、切りとった古いシャツの袖に突っ込んで蒸したからだそうですが、シャツの袖から出てくるところがもう一つの別名「死人の腕」を連想させてやっぱり不気味ですね。



私の失敗作に話を戻します。

ジェイミー・オリバーのレシピを見て作りました。


ジェイミー・オリバーのレシピのきれいな写真がウェッブサイトに載っていたのを借りちゃいました。↑

書いてある通り、200℃(高めです)で30分焼いたつもりなのですが・・・何か間違いがあったようです。
・・・原因究明は、あきらめよう。


スーパーマーケット、セインズベリーのレシピ・ウェッブサイト(上のお手本写真参照)には、ケーキ作り用の紙とアルミフォイルで二重にゆるく包んで、両端をきっちり折り込んで、 170℃で1時間焼くように指示してあります。

なるほど、包めば 蒸し焼き状態・・・温度や時間にそれほど神経質にならなくても色が濃く表面が硬くなる心配はあまりなさそうです。

次回はこの二重の小包メソッドを試してみます。
レシピは、次回挑戦して成功した際にご紹介します。


だいぶ前にスーパーで買った、一人分ずつ切ってかわいらしくアレンジした市販品のジャム・ローリー・ポーリー。


ドウが生のまま販売されています。
やはり、食べる前に、20分オーブンで加熱します。





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おなじみの、家庭で簡単に作れるデザート、アップル・クランブル・・・高級市販品を半額で買って食べてみた

2017年09月25日 00時10分43秒 | 英国のお菓子とデザート

久しぶりに、イギリスのデザート。

ずいぶん前にご紹介した、アップル・クランブル apple crunble、再び登場。

前回は、学校の調理の授業(food tech)で習ってきたおさらいに、息子が作ってくれたものでした。
↓リンクを貼りましたので見てください↓

おそらくは、イギリスでもっともポピュラーな家庭デザート、アップル・クランブル


今回は、スーパーの半額セールで買いました。賞味期限は当日まで。


なんと、正価が4ポンド!ポンド安の現在、606円もします。

酸味が強く、巨大な調理用のブラムリーアップル Bramley apple に加えて、甘くてジューシーな、デザートアップル(そのまま生を食べるリンゴ)、ギャーラ Gara と、ゴールデン・デリシャス Golden Delocious が使われているということです。

調理用のブラムリー・アップル(上記の記事から)


庶民的なスーパーマーケット、アスダ Asda の自社ブランドで高級感を打ち出した展開の、Extra Special レンジの商品です。

さて、味の違いは・・・?

リンゴはすでに調理済みです。
箱から出して、アルミのトレイのまま160℃の低温で、20分、オーブンで焼きます。

スプーンですくい取って・・・


私一人、こってり甘い、ソルテッド・キャラメルとチョコレートフレーバーのコーニッシュ・アイスクリームを添えて食べました。


夫と息子は、脂肪分ゼロの、フロマージュ・フレィ fromage freis を添えて食べました。

日本で「フロマージュフレ」といえば、チーズケーキのようなお菓子を指すようですが、イギリスでは、フランス起源のトロンとした、ヨーグルトのような口当たりの、白いクリーム・チーズのことです。

夫がコレストロールを気にする我が家では、近ごろ、暖かい食後のデザート(イギリスでは、プディングといいます)には いつもこの脂肪分ゼロのフロマージュ・フレィを添えています。

家庭で作ったものよりも、ふわふわサクサク、クランブルの口当たりがいいようです。
・・・「私のうちで作ったものよりも」と言いなおした方がいいかもしれません・・・


高級(?)食材を使った意味があるのか?クランブルの甘さが濃いせいか、はっきり言って、味の違いは判りませんでした。

まあ、半額の2ポンドしか払っていない私たちは苦情も言えませんが、3~4人分用の半調理済みの焼き菓子が4ポンドは高いです!

つくり方

中味;575グラムのリンゴの角切りに大さじ2杯の砂糖(できれば茶色いグラニュー糖)をまんべんなくまぶし、オーブン皿に敷き詰める

クランブル;小麦粉175グラムと120グラムの砂糖と120グラムの細かく切った冷たいバターをボロボロになるまで手でよく混ぜる。

クランブルをリンゴの上に平たく伸ばして(つぶさないように!)、オーブンに入れ、190℃で35分から40分焼く。

以上、簡単でしょう?
あついカスタード・クリームを添えて、焼きたてを食べるのがイギリス流。

今回食べた、高級市販品も、息子が学校で習ってきたのも、私がよく作るのも(ルバーブで作った例↓記事のリンクを貼りました。見てくださいね)シナモンいりで、クランブルにオーツが混ぜてある、おしゃれな現代バリエーションです。

イギリス伝統の、茎野菜を使った甘ーいデザート、ルバーブ・クランブル



上に載せたのが、戦争中に考案された「基本レシピ」

戦争中、配給制になった小麦粉を使う量が少なくて、手順もぐっと簡単なクランブルがパイに代わって食べられはじめたのだそうです。

それから70年以上たって、食生活は非常に豊かになった今でも、イギリスの家庭の定番プディングとして、大人気。

びんぼったらしい起源のお菓子なのに、Extra Special はないでしょう!?

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ストックポート日報の原点、マーケット・プレイスの古いパブ・・・イギリスらしい話題です

2017年09月24日 09時00分00秒 | ストックポートとその周辺
真夏のパリからイギリスに戻って、ずいぶんたちます。

帰ったとたん、涼しいイギリスの9月でほっとしていたところです。
ストックポート日報を休刊していたこの1週間ですっかり秋。紅葉はまだですが、セーターの必要な気温です。

ご無沙汰していました。

久しぶりにイギリスらしい話題をお届けします。

ストックポートのパブ!
マーケット・プレイス Market Place の坂の下にある、名物パブ、アーデン・アームス Arden Arms


ストックポートのタウンセンターにある、ロビンソンズ醸造所 Robinsons Brewry、傘下のパブです。

内部が、昔風なのです!




このパブ、19世紀の初めに建てられて以来、200年以上の間、外観も内部もほとんど変わっていないそうです。
第二級保存指定建築。







ここ10年ほどの間に、おしゃれでモダンに改装するパブが増えてきています。

柄入りの壁紙、たばこのやにが染みついた飴色の腰板、暗い色のじゅうたん、真鍮の馬具飾りやジャグなどの飾りでおなじみの、イギリスの「古き良き時代」風のパブが次々と消えてゆきます。

このアーデン・アームスはそれらの暗い色調の伝統パブとも違います。
もっと以前のサッパリした19世紀初期のリージェンシー風のオリジナルの内装を基調に、ダイニング・エリアの額絵はなぜかフランス19世紀末頃の石板ずり風ポスターで、レトロモダンな趣味も付け加えられています。


エール(イギリス特有のビール)の種類の多さ、料理、サービスなどの評判も良く、数々の賞をとっているストックポートのタウンセンターでは最も有名なパブのひとつです。

伝統的なロースト料理のおしゃれな盛り付け、手作りのデザートが評判ですが、お値段は、ちょっと高めかもしれません。

お手頃なサンドウィッチを食べました。


ストックポートをはじめ、グレーター・マンチェスター各地の伝統的なパブに醸造したてのアルミの樽入りエールを卸しているロビンソンズ醸造所について書いた、ずいぶん前の記事も読んでみてください。
リンクを下に貼りました。↓

ストックポートのまちなかの大規模なビール醸造所、馬までいる

しばらくは、パブやお菓子など、「イギリスらしい話題」を心がけるつもりです!
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パリの古い建物にも、動物がいっぱい棲んでいる! パリ、その8(番外編)

2017年09月16日 09時00分00秒 | ヨーロッパ
古い建物に棲む動物をさがすカテゴリー、パリ編です。

実は、とてつもなく たくさんありました!パリには古い建物がとてつもなく たくさんありますから.。

ライオンは、英王室の紋章にも登場する、イギリスのナショナル・マスコットです。
ストックポート日報古い建物に棲む動物をさがすカテゴリーでも、もう おなじみですね。
パリでも とても たくさん見かけました。

ナポレオン王朝風ドアノッカー。


口にくわえているのはヘビ。

同じ時代のものでしょうか、パリのいろいろな地域で同じデザインのものをたくさん見かけました。
豪華絢爛。イギリスでも(そしてなぜか日本でも!)よく見かけるのですが、顔面の表現がこんなに凝っているのは見たことがありません。

滞在した、義理の妹のアパルトマンのあるエリアの最寄 地下鉄駅、ヴィクトル・ユーゴー駅 Le Métro Victor Hugo の入り口そばにある、カフェ上階の飾り・・・


イギリスでも見たことのない正面直立のライオン像。


写真を拡大してみて気がつきました。お辞儀の姿勢で「両手」をおへその位置にそろえて立っているように下からは見えたのですが、違います。前に垂れているのは、アカンサスの葉で作ったフェストゥ―ン(花綱)飾りみたいですね・・・前脚でないことは確かです。

翼まではえているし、ギリシャ神話がらみ のテーマなのかもしれません。

去年イギリスから引っ越してきたイギリス人の甥が「なんでこんなもの撮るの、珍しくないじゃん!?」と言いました。
いえ、珍しいです。少なくともイギリスでは見ません!そう言って甥を納得させました。

パリの街並みには、ギリシャ神話がらみ(?)と思われる、建物の装飾がよく似合います。実際、とてもたくさん見かけました。

たとえば、これ。



シテ島 Île de la Cité で見かけた、古代ギリシャ風イルカ。

きれいに修復され続けている、世界遺産指定地域の古いアパルトマンの水樋。


ルーブル美術館 Musée du Louvre の、古代ローマの彫刻が窓際にずらっと陳列されている回廊風の展示室の柱の柱頭。


「コリント様式( ごちゃごちゃした葉っぱ飾りが特徴 ) 」かな、と思ったら、オスヤギに、サボテン!! マツの葉にマツボックリ、とルーブルのオリジナル作でした!

たくさんあった柱頭が全部違うデザイン!という手の込み方。クマや雄牛もありました。ライオンは・・・あったかな?

たしか、シュリ―館だったと思います。
いつか戻る機会があったら、じっくり見てみたいです。


植物園のそばで見かけた、雄牛の頭の並ぶ、「モニュメント」。



これは、地上に出ている地下鉄の駅の柱に見かけた、星座十二宮、のようです。


水瓶座、魚座、牡羊座、牡牛座の4星座しか見えませんが、ほかの柱を見て回ったら、4つずつ他の8つの星座のシンボルが見られたかもしれません。


植物園の中にある、付属の動物園のネコ科の動物館、「入口」


アールデコ調の素晴らしい浮彫が上に取り付けられています。

題材が、「原住民に捕獲された ヒョウかチーターかなにか」であるところに疑問もありますが・・・

内部。


ぐるっと回っておしまいには「出口」があります。

1920年代の終わりから、30年代にかけて建てられたと思われる、美しいアール・デコ様式の建物です。
内部の檻の中には動物はいませんでした。

動物たちは外の囲いに出て、暑さでだれていました。

180種類の動物が1,200匹いる、というこの植物園付属動物園 Ménagerie du Jardin des Plantes は、小ぢんまりした、親しみやすいつくりです。

1793年、フランス革命の際、王室や貴族からエキゾチックな動物を没収して 一般公開し始めたのが起源という、世界で2番目に古い動物園だそうです。

ゾウもキリンもライオンもゴリラもトラもいない、小規模な動物園です。
19世紀から20世紀の初頭に建てられた獣舎がほとんどすべて使われている、景観の美しく整った動物園です。
といっても、檻の向こうの狭いコンクリート床に動物が押し込められている伝統的な動物園と違って、広めの屋外運動施設が新設された、近代的な動物園でもあります。

植物園の、動物園がそばにあるのとは反対側の門を出たところにあった、噴水の彫刻。


これもギリシャ神話由来だと勝手に解釈します。

遠くてよく見えないのですが、女神とライオンの足下には、ワニやオットセイ(?)の他に、得体のしれない怪物たちの姿が彫刻されています。

下の部分が、ヘビかトカゲかよくわからない爬虫類の口から水が流れ出す仕掛けになっています。


イギリスの古い建物にもよく見られる、伝説上の怪物も実にたくさん、見かけました!




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パリにも!隠れた顔がある パリ、その9(番外編)

2017年09月15日 09時00分00秒 | ヨーロッパ
さがせば何処にでも顔はあるカテゴリーのパリ編です。

庭園の垣根越しに、自然史博物館の建物の一部がのぞいています。
 


気温が35℃の暑い日に行った、小規模な動物園 Ménagerie, le zoo du Jardin des Plante がある、植物園 Jardin des Plantes で。

ナマズの顔。


モンマルトルの丘をおりて、地下鉄の駅を探す途中に、夫が「笑い顔の浮彫だ!写真を撮れ」と言ったので、写真を撮りました。


ええ、これのどこが?と思ったのですが、なるほど、撮った写真を見ると納得です。


どうでしょう?

シーサー



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パリその7; やっぱり行った観光地、まぼろしのマリー・アントワネットの独房と凱旋門、他

2017年09月14日 09時00分00秒 | ヨーロッパ

今日まで、飛び飛びに、「私が見てきたパリ」について、だらだらと紹介してきました。

ルーブルと、モンマルトル界隈の他に、観光名所は行かなかったのか?と疑問に思われた方もいるでしょう。
行きました! 
・・・少なくとも写真ぐらいは撮りました。例えば・・・

ポン・ヌフ Pont Neuf


セーヌ川の中州、シテ島 Île de la Cité のはしっこの細い部分をまたいでかけられている古い橋。
ポン・ヌフというのは、フランス語で「新しい橋」という意味だそうですが。
建った時に新しかったためでしょう。どの建造物も建った時は新しいはずですが・・・当時ポン・ヌフより古かった まわりの橋も全てが新しくかけなおされ、今ではパリで一番古い橋です。

1578年に建設が開始され、完成、開通されたのは1607年。

中世の名残の怖い顔がアーチの上に並びます。




ハクチョウたちの憩いの場。


ポン・ヌフからエッフェル塔 La tour Eiffel がみえました。


パリでいちばん有名な観光名所、エッフェル塔には行きませんでした。

地元のおじさんたちの釣りの名所がありました。


釣りのおじさんたちのお気に入りファッションは、迷彩柄のジャンパー。




森の中でのバードウォッチングなら納得ですが、セーヌの岸辺では目立ちまくっています。

どっちにしても、魚の警戒心を解くやくわりははたしていないような・・・


こうして、本題からずれていく・・・観光名所に戻ります。


シテ島にある、コンシェルジェリー Conciergerie



入場料を払って、入りました!



行きたかったんです。

10世紀から、14世紀にかけて、王室の宮殿でした。
中世ムードたっぷりです。建物の大部分は、14世紀に建てられたそうです。

1370年に、王室が引っ越した後は、20世紀の初頭まで牢獄として使われていました。

半地下の大ホールは涼しくて快適。



シテ島界隈は、晴天の週末で ものすごい人出でしたが、観光名所のコンシェルジェリーはガラガラ。

このシブい史跡が、日本人の女性にものすごく人気があるんだそうです。なぜだかおわかりでしょうか。
(この時は日本人は私以外一人もいませんでした)

フランス革命末期の恐怖政治時代にギロチンで刑死した、ブルボン王朝最後の王妃マリー・アントワネットが囚人として2か月間収監されていたからです。

私たちの年齢の日本女性で、漫画、「ベルサイユのばら」を知らない人はいないのではないでしょうか。読んでいなくとも、ほとんどの人が話のあらすじぐらいは知っているはずです。
宝塚でもロングラン上演されましたね。

マリー・アントワネットは主要な登場人物の一人、彼女の悲劇の人生は少女だった頃の私たちの多くに強い印象を残しています。

多くの観光案内本や、観光ウェッブサイトには、再現されたマリー・アントワネットの独房の写真 が載っていて、非常に興味をそそります。

私が持ち歩いていた、ストックポートの図書館で借りてきた英語のポケット版観光案内にも、写真こそありませんでしたが 見どころとして ちゃんと記載がありました。

                       これ
                       ↓        
これ→    ←これ

芝居がかってますね。

(例によって、よそのブログから断りなしに勝手にお借りしました。)

実際に独房のあった場所は、現在マリー・アントワネット関係の資料展示室になっています。

蝋人形の再現独房は、実際とは違う場所に観光客の要望に応えて設置されたものだったようです。

でも、私はそれがどこだか、見つけられませんでした!
入場券売り場でもらった無料の館内案内のリーフレットにも記載がなかったし、もしかして、展示は、やめちゃったのでしょうか。

夫と息子と、義妹の家族と一緒に見学して回ったのですが、フランス革命の資料映像に夢中になった私を置いて、みな、いつの間にか別行動に・・・

4つの小グループに分かれた私たちの誰一人、「マリー・アントワネットの独房」を見ていません!

観光ブログ等に載っている、フランス革命時代 牢屋だった部分の写真には、ベッドに横たわった囚人のちゃちな蝋人形が写っていますが、私が行った時は、再現されたベッドと床のワラ以外なにもありませんでした。

ドアの内側が牢屋です。


どなたかご存知でしょうか。私が見落としたのでしょうか。
それともダサい蝋人形は史跡にふさわしくないとかで、すべて放擲されたとか?
実際と違う場所に設けられた、根拠の乏しい独房内再現シーンも取り払われている可能性、ありですね。

階段の下の看守の控室の再現はなかなか、うまくできています。


きもちわるい看守の蝋人形などがあったらぶち壊しだったかもしれません。

人間の髪の毛らしいものがかごに詰まってるし、はさみまで置いてあるのは、学芸員が詩心を発揮した演出かもしれません。
ギロチンにかける前に囚人の毛を刈り取ったという史実の再現・・・じゃあ、テーブルの上に置いてあるブタの貯金箱はなんでしょうか?(ランタンの横)

どなたか知っている方、教えてください。


前を通っただけの、パリのノートル・ダム大聖堂 Cathédrale Notre-Dame de Paris




12年前に入ったことがあります。もう一度機会があれば戻ってみたいと思っていました。

今回は、人がとても多かったことと、あまり、というかぜんぜん古い建物や史跡に興味がなく、特に宗教建築に拒絶反応を示す少年2人を連れて堂内の見学はまず、無理。

1163年に建設が開始され、最終的に竣工したのは1345年。
世界中の建築史学者が、「世界最高のゴシック建築」とたたえる、中世宗教建築の珠玉の傑作。



実は私、大好きなんです。中世の宗教建築、目がくらみそうなくらい好きです!

もう一度大聖堂を訪ねるためだけにでもパリに行きたいです。



パリで一番有名な観光スポットは、エッフェル塔。
じゃあ、二番目はなんでしょうか?

パリといえば、1;エッフェル塔、2;凱旋門 Arc de triomphe de l'Étoile です。


エッフェル塔は逃しましたが(あまり惜しくないです)凱旋門は、義妹のアパルトマンのすぐそばです。

行かずに済ませるわけにはいかず(私一人の判断、息子と甥とは 別行動、一駅手前のシャルル・ド・ゴール・エトワール Charles de Gaulle - Étoile 駅で降りて、夫と2人、見に行きました。

シャルル・ド・ゴール広場 Place Charles-de-Gaulle. から放射状に道路がひろがる真ん中にドカンと位置する、なかなか立派な建物です。

4つの「足」の部分に勇壮な軍神を中心としたドラマチックな彫刻がごちゃごちゃした感じで彫り込まれています。


ほかにも、ロマン派ふうの大げさな身振り手振りの戦闘シーンの浮彫がいっぱい。

ナポレオンの戦勝記念のモニュメントです。
フランス軍の戦没兵士を祀る廟でもあり、日本でいえば靖国神社のようなものかもしれません。


で、はっきり言って「これだけ?」
いえ、リッパでしたが。



地下鉄の駅から、道路に出ずに地下道を通って、凱旋門の屋上に登る入口に行けるようになっています。
地上に出る前に見た入場待ちの行列に並ぶ観光客のほとんどは中国人でした。

不思議なことに日本人は見かけませんでした。
階段をあがれば、すぐ凱旋門の下!



交通量の多いシャルル・ド・ゴール広場では道を横切ることはできません。

また、地下道にもどって、妹のアパルトマンのある地区に続くヴィクトル・ユーゴー通りそばに出る階段をあがりました。


凱旋門から見える、有名なシャンゼリーゼ通りには行きませんでした!

凱旋門の中央から延びる、幅が広く交通量の特に多い 大商業通り、写真で見るときれいです。

一度だけ歩いてみたという妹による「オックスフォード・ストリートにもっと人を増やして歩きにくくした場所」という表現を信用すると、行く気がぜんぜん起こらない場所です。

話のネタに行ってみてもよかったのですが。

実際、行ったことのある方で、「素敵だった、楽しかった、美しかった!」とおっしゃる方がいたら、本当にごめんなさい。行ったこともないのにこんなことを言って。

私も妹も人がいっぱいいるところが大嫌いなんです。ロンドンの目抜き通り、オックスフォード・ストリートも大嫌いです。






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パリその6; パリのストリート・アート

2017年09月12日 09時00分00秒 | ヨーロッパ
パリのストリート・アート。

例えば、モンマルトル Montmartre の丘の周辺。

19世紀の末には芸術家たちが集まったコミューン、今は賑やかな観光地です。
↓9月8日の記事のリンクを貼りました。見てください。

パリ、その4、観光地、モンマルトルはパリを歩いた気分を満喫できるアートとキッチュの混成地!

似顔絵かきや、自分の作品を屋外で展示して売るアーティストでにぎわう観光名所、テルトル広場 Place du Tertre に面した、高級画廊、その裏口の写真です。


外壁の落書きを放置している鷹揚さ。
現代美術の展示をしている、個人経営の画廊です。

アクリルで型どりした、しわくちゃの実物大ジーンズのオブジェや、つぶした空き缶でモザイク表現したマイケル・ジャクソンの肖像画など、テアトル広場の観光客向け俗物アートに抵抗するかのようなオリジナルなコンセプトの展示でした。

ストリート・アートに通じるセンスがありました。
外壁の落書きにも理解がある?


画廊のすぐ前、下の道路に続く急な坂。


横の壁が、上手いの下手なの混在の、寄せ書きふう落書き発表会の場になっています。

特に注目したのが、石膏で型どりしたデスマスク風、「立体顔面オブジェの集合」


地下鉄の、ラマルク・コーランクール駅 Le Métro Lamarck-Caulaincourt。




モンマルトルの坂の下にあります。・・・・みえますか?
入り口上にくっついていたデスマスク風、「立体顔面オブジェの単体」


同じアーティストによる作品と思われます。

芸術家のコミューンの伝統を誇る、モンマルトル界隈の観光化というか、俗物化(・・・それはそれで、観光客として楽しめるのですが)に対する無名の若いアーティストたちによる、無言の抵抗…と、ロマンチックに解釈することもできるかもしれません。
少なくとも、茶化し半分、注目を集めたい気分も少しあると思うんです。ゲリラ的に自然発生した彼らの「制作発表」テルトル広場で売られている、パリの名所風景や、お花やネコなど観光客のお土産用の絵よりもずうっと興味深く、見ごたえがありました。

でも、観光地なのに、いいんでしょうか、落書き・・・?


とにかく、とてもたくさん見かけました。なかなか茶目っ気のある、センスのいい落書きが多かったんです。
ほんの一例・・・です。

ハンガーが壁の外にかかっているのは・・・?



映画「アメリ」に登場する、コリニョン食料品店の店頭シーンの撮影に使われた店、Au Marché de la Butte の向かいに見かけた謎の生物の絵。


遠くて見にくいですね。

ほかにも、モンマルトル界隈には、人体に動物の顔、爬虫類に犬の顔を付けた謎の生物の想像力あふれる落書きが多数見られました。

モンマルトル周辺の衝動的な落書きと違って、組織的に、手間をかけて制作された、一連の 小さなモザイク作品も見かけました。



セーヌ川の中州、シテ島 Île de la Cité で見かけた、古い通り名を挟むこの上のペアはいったい何でしょう?

パリじゅう、いたるところに数限りなく刻印された、現代社会のアイコン的イメージ。

シテ島をまたぐ、パリでいちばん古い橋、ポン・ヌフ Pont Neuf。




セーヌ河岸一帯は世界遺産指定地域です。ポン・ヌフも対象物件。
いいのか・・・?




これは、ピクセルが細かいですね。


私たちが滞在した、夫の妹のアパルトマンのすぐそば、中庭に噴水のある豪華なホテルの外壁に取り付けられていました。
ほかと違って、あまり高くない位置にあったので よく見たら、どうやらセメントで陶器のタイルが張り付けてあるようです。

ほんとうに、いいのか・・・?

建物の持ち主や、観光局(文化遺産保存協会?)に断ってとりつけられたとは思えないのですが・・・
ほかにもものすごく、たくさんありましたよ。

パリは、すべてが文化遺産のような街並みです。

マンチェスターのような、プロのアーティストに町が依頼して描かせた、落書き風、ミューラル(壁画)のような大作は見かけませんでした。
パリにはそういえば、マンチェスターではおなじみの、取り壊された古い建物の隣のむき出しのレンガ壁、閉店して久しい、空き店舗のとじられたままのシャッターが並ぶ景気の悪い通り、などというものがないからかもしれません。


パリ市内と空港を結ぶ在来線の線路沿いのレンガ壁には途切れることなく、独自の書体の「タギング」が見られました。

世界中どこの都市でも見られる、主張や名前などをスプレーで殴り書きした、若者たちのうっ憤のはけ口、景観破壊行為です。

昔(私が高校生だった頃です!今でもありますか)、暴走族が「XX参上!」と書き残していった、日本のナワバリ主張行為に通じるかもしれません。

ストリートアートは、明らかにそれとは一線を画しています。


ストリート・アートではありませんが、モンマルトルのアート小物?屋のショーウィンドウで見かけた、石膏の、エジプシャン・キャットのおきもの。


このポーズは、何?
この店は、観光地のただなかにあって、夏季休暇閉店していました!

フランスの、高圧電流に注意を呼び掛ける警告標識。


イギリスのに負けず劣らず、怖い!わかりやすい!
服を着ているところにも 注目です。


比較用:イギリスの標準版、高圧電流警告表示。


もう死んじゃってますね。


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パリその5; なぜ そんな写真を撮る!?と非難を浴びた写真数点・・・私は興味深いと思ったのですが・・・

2017年09月11日 23時07分41秒 | ヨーロッパ
もと、ガス灯であったと思われる、古い街灯。シテ島で。


交通信号がくっついています。
その下に歩行者に横断を促す箱型の信号があります。
その下のかわいいのは、自転車、モーターバイク用(?)…止まる位置の、目の高さにあります。
あ、そうそう、フランスは、イギリス、日本と違って右側運転なのでした。
道を渡る時つい、習慣で右側ばっかり見てしまいます。

イギリスには、こんな多機能(しかもローテク)街灯はありません。日本には…ありそうですね。


パリ北駅 Gare du Nord の外にあった、インスタレーション・芸術作品。


帰国して調べました。
Leandro Erlich 作 Maison Fond (家の土台?)地球温暖化の影響で一階が溶けちゃったんだそうです。2階も危ない。


パリのアパルトマンの大きな窓に取り付けられた、すりガラス。


防犯用、安全対策用。
一階なので、模様入りのすりガラスで プライバシーを守る機能もありそうです。
風雅な竹の柄でした。(浴衣の柄みたいですね)内側にはわざわざ竹が植えられた植木鉢がおいてありました。


シテ島のおしゃれな商店街の上階のアパルトマンの窓に並んだ、コニファー(もみの木の一種)の半分やけくそ、美的な配置。


緑の元気な植木と、枯らしちゃった茶色いのがバランスよく交互に並べてあります。


セーヌ河岸の悲しい立ち木。


目がたくさん、恨みがましい目、泣きぬれた目・・・中でもひときわ大きな目からは涙が大きく一筋流れています。


曲がった家。


シテ島には窓等が、地面や屋根の線と並行でない家がとてもたくさんありました。

窓モドキも多数。




イギリスのバースなどの整然とした都市計画に基づいて建てられた端正な住宅群とは違って、いびつでユニークな形の古い建物がごちゃごちゃ並ぶ、シテ島界隈では、窓モドキ、目立ちません。

天下の悪法、窓税は イギリスだけではなく、フランスでも施行されていたのです!

詳しくは、バースの窓モドキについて書いた以前の記事をお読みください。リンクを下に貼りました。↓

窓もどき!天下の悪法、窓税が作り出したへんてこりんな建物の数々  バース  10


移動は、ほとんど地下鉄で。ロンドン、東京と同じで、路線さえ把握すれば、行先のすぐそばまの駅まで確実に迷わずにつれてってくれます。

のってすぐの場所にある、いっぺんにたくさんの人が摑まることのできる鉄棒。


ここで団子状、というか、腕がデイジーの花弁のように伸びて人が かたまっちゃうと、奥へ入って席を探す人の邪魔になるんです。
パリでは混乱も不満も起きてないようなので、まあ いいんでしょう。

駅のホーム内の巨大なポスター。


金の額に縁どられ豪華絢爛。




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パリその4; 観光地、モンマルトルはパリを歩いた気分を満喫できるアートとキッチュの混成地!

2017年09月08日 09時00分00秒 | ヨーロッパ
パリ旅行記、今日で4回目です。

8月の第3月曜日は、バンク・ホリデー bank holiday、イギリスの公休日でした。

フランスは、平日運行ですが、イギリス大使館勤めの夫の妹はイギリス運行でお休みで、私たちのパリ観光に同行してくれました。

私が選んだ、お上りさん定番ルート、モンマルトル Montmartre めぐり!

出発点の、ムーラン・ルージュ Moulin Rouge


メトロ(地下鉄)のBlanche 駅のすぐそばの赤い風車!
1889年にオープンした、世界一有名なキャバレー!

画家、ロートレックも通いつめてインスピレーションを得たというパリの名所!

ネオンに輝く看板と風車が夜空に映える、夜景写真がパリの観光ポスターなどでおなじみですが・・・

白日の下、そばで見るとけばけばしくて・・・安っぽいですね。
アメリカ人の団体観光客は、道を渡って、反対側から全景の写真を撮っていました。

昼間はしまっている、切符売り場上面をかざる、1920年代ふうの壁画が魅力的でした。


ストックポートの図書館で借りてきた、持って歩くのが照れくさいポケット版「パリ観光案内」本のおすすめ、モンマルトル散策コースを歩きます。

イギリスでも大人気だった、フランス映画「アメリ Le Fabouleux Destin d' Amelie Poulain 英語題 Amelie」の撮影に使われたスポットが集中的に点在する地域でもあります。

アメリ関連のめぼしい物件は観光案内本のおすすめコースでもカバーされています。

実は私はこの映画が大好きで、何回も見ているので、興味津々、ミーハー精神まる出しでした。

パリに住む義理の妹は、「アメリ―」が大嫌いなんだそうです。
「甘ったるしくて、恥ずかしくて正視に堪えない。美しい映像で理想化されたパリ生活の描写にうんざりしているパリの住人もいる」と言っていました。

目から、ウロコです。
現地の人にはそれなりの言い分があるのでしょう。

パリに住んでいない私は客観的に評価することができます。表現がきめ細やかな、良い映画です。

映画を見ていない方、ごめんなさい。



「パリ観光案内」の、「ウエイトレス、アメリ―の勤務先、カフェ・デ・デュ・ムーラン Café des Deux Moulins 」の解説を読み上げていたら夫が「のどが渇いたから、コーヒーを飲む」と宣言。入っちゃいました。

イギリスで出版された観光案内にのっているぐらいの観光名所のはずですが、客筋は意外なことに常連と観光客の割合が半々程度。


私たち 大人3人はエスプレッソのお湯割り(アメリカ―ノ)コーヒー、うちの息子はクレープ、甥はホットチョコレートを注文しました。

アールデコ調の装飾が丁寧に保存されています。



夫が写真を撮ってやるというので記念撮影までしちゃいました。


アメリカ人団体観光客のガイドが、店の外で映画に関する案内を述べているのが中まで聞こえてきます。


デュ・ムーランのある、Rue Lepic という通り の急な坂を上がる途中で、19世紀の風車を発見。


ガイド本によれば、18世紀から19世紀までこのあたり一帯、製粉業が盛んで、風車がいっぱいあったんだそうです。現在残っているのはたったの二つ。
もう一つは、見つかりませんでした。

映画、アメリ―の舞台になったカフェ、世界的に有名なキャバレーの「ムーラン(風車)」という名前はここから由来しています。

さて、モンマルトルの丘のてっぺん近く、ものすごい規模の観光地ぶり、俗物ぶりの写真を撮らなかったのが悔やまれます!

ここら辺・・・


上は「窓モドキ」にひかれて撮った写真です。
お土産物屋がいっぱい!!
観光客もいっぱい!これがまさかの、呼び込みまで!

大賑わいのテルトル広場、Place du Tertre(ピカソの住んだアパートがあったはずですが、どれかわかりませんでした)では、似顔絵かきが画架を立てて軒並み店開きしていました。話に聞いていた通りです。

モンマルトルの芸術家のコミューンといえば、ユトリロ、ピカソ、デュフィ、ロートレックなど世紀末、20世紀の画壇を代表する大画伯たちが青年時代研鑽を積んだ、アーティスト志望者の夢の天地!みたいなイメージがあったのですが・・・

ざっと見たところ、似顔絵かきや、自作の油絵や水彩の作品(パリの風景画多し)を並べて売っている「アーティスト」たちの多くは中年あるいは初老の男女、ほぼ全員、英語がペラペラなのも興ざめです。
作風は・・・あ、みんなプロです。下手ではないのですが・・・私が学生だったバブルの頃の東京、銀座あたりで、ガイジンが道に並べて売っていた みな同じ画風に見えた油絵みたいなセンスの作品が多かったように思います。

あるいは、うまいのか下手なのか判別のつかない抽象画。

一人ひとりのポートフォーリオを丁寧に見たわけでは、ありません。
もしかしたら、個性あふれる掘り出し物の才能を見落としたかもしれません!

しかし、あの、今や観光のメッカであるモンマルトルの丘の上で画家をやっていると俗物風にさらされて才能のある画家まで画家としての格を下げるのではないかと心配になります。

モンマルトルの丘のてっぺん、サクレ・クール Sacré-Cœur


白亜のバジリカ大寺院、見栄えがします。
モンマルトルの華。

すごい人だかりです。

私が入りたそうな物件だと、夫も妹も予測していたようですが、実はあまりお呼びじゃないんです。

1875年に設計施工開始、完成は1919年。
ニセ中世建築にはあまり興味がわきません。
並ばなくていいのならちょっと入ってみてもよかったのですが。並ぶのと、人がいっぱいの建物に入るのはかなり躊躇します。

暑かったし。

夫も妹も、これが20世紀の建築だとは信じないので、また「パリ観光案内」本の登場です。読み上げて納得させました。


冷房の効いたモダン画廊で一息ついて、坂を下る。



パリじゅう、ダリの顔写真アップのポスターがいっぱい貼られていました。



ダリの展覧会はモンマルトルの丘の上の美術館でやっていたのでした。
シュールレアリズムの巨匠、ダリもモンマルトルに持って来られると通俗イメージに転落。

この界隈の、美術史を売り物にした観光化があまりにもすごかったので・・・

観光化されたアートのメッカには興ざめですが、いたるところに、ゲリラ的発生と思われる控えめ自己主張をしているストリート・アートが見られたのは、儲けものでした!

改めて記事にしてみたいと思います。

ユトリロが描いて有名になったピンクの家。


その向かい、19世紀の終わりに芸術家たちが集まったというキャバレー(歌と踊りが楽しめる居酒屋)ラパン・アジル Lapin Agile 


建物の外に、かわいいうさぎの看板がかかっていたので、写真に撮ったのですが 光が反射して、うまく写りませんでした。
観光ウェッブサイトから勝手に借りて転写します。



お鍋ではねているラパン・アジル lapin agile(ぴょんぴょんうさぎ)

「パリ観光案内」本、読み上げタイムです。
常連客のアンドレ・ジルという画家がダジャレで描いた、ラパン・ア・ジル lapin a Gill(ジルのうさぎ)がぴょんぴょんはねている油絵がこの店の名前の由来だそうです。

店内に飾られていた、ジルのオリジナルの油絵は盗まれて消失。現在かかっている看板絵は、20世紀になって同じ趣向で描かれた、復刻だそうです。


モンマルトルは坂の町、階段が多いんです。








またまた、映画を見ていない方、ごめんなさい。

「アメリ―の住むアパートの一階にある」という設定になっている、コリニョン食料品店の、店先のロケに使われたオウ・マルシェ・ドゥ・ラ・ビュット Au Marche de la Butte 。 


屋号の上に Maison Collignon (コリニョンの家)という看板も出ています。

お店の人は撮影に使われたのがよっぽどうれしかったのに違いありません。
横のガラス窓にぎっしりと撮影中のスナップ写真や、映画に関する新聞記事の切り抜きが張り付けてありました。



カフェ・デ・デュ・ムーラン の前を再びとおって、モンマルトルのふもとの、ムーラン・ルージュのある通りに降りてきました。

この通り、Boulevard de Clichy はセックス・ショップがずらあっと並ぶエッチな商店街として知られています。


それにしても、何十とある店すべての店名が、わかりやすい英語です。直接的すぎませんか。
フランス語でひねりのきいた、扇情的なあるいはお下劣な店名は思いつかなかったのでしょうか。

フランスのこの業界ではわかりやすい英語店名に、客をそそる何かしらの効果が期待されているのかもしれません。
日本でフランス語の店名が高級感をかもしだす効果を期待されているように・・・(?)

芸術のメッカ、というよりは、猥雑でキッチュで・・・パリの町なかを歩いた!という実感がたっぷりの楽しい一日でした。

イギリスに帰国してから、夫が「アメリ」を見てみたい、と言いだしたので、DVDを引っ張り出してきていっしょに見ました。
「センティメンタルな」映画は勘弁してほしい といつも言っている夫も、初めて見た後に、良い映画だと評価しました。


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パリその3; パリ市民の憩いの場、明るい公園、ブローニュの森の暗いかげ

2017年09月03日 20時46分13秒 | ヨーロッパ
ブローニュの森 Bois de Boulogne 、パリの観光名所ではないかもしれませんが、名前は日本人にもよく知られているはずです。。



凱旋門から歩いて20分ぐらいの町はずれに、広大な森の東の端が位置します。

いくつもの小さな公園、子供遊園地、バラ園、有名なロンシャン競馬場、レストラン、カフェ、劇場、ボート池、スポーツ施設を有する、846キロ㎡の、広大な植林地の集合体です。

ルイ・ヴィトン財団現代美術館 Foundation Louis Vuitton も、この公園内にあります。

Bois (ボワ)は林のことです。木の密度が低く、多くが植林だということなので、「ブローニュの林」と呼んだ方が正しいのかもしれません。

でも日本人には、「森」のほうがロマンチックに響きますね。

公園内を道路と バスの路線が通っています。

街歩きを一休みの日曜に、子供たちをアパルトマンにおいて、散策してみました。




イギリスでは見かけない、屋外のバナナの木、しかもかわいいバナナがなっています!




私たちが滞在した、夫の妹の家から徒歩約10分。

妹は ほぼ毎週末、公園をジョギングするそうです。


子供たちを乗せる、異常なほどおとなしいポニーたち。


ポニーを貸し出している持ち主ではなく、親が、子供を乗せたポニーを引いて歩いてました。


ブローニュの森に関する、ダークな話題です。

その1;
ブローニュの森は、昔から男娼が跋扈するエリアとして非常に有名なのだそうです!英語のガイドブックにも ちゃんとそう書いてあります。
近年は東欧から出稼ぎの若い女性やとんでもなく太った女性やものすごい厚化粧のおばさん娼婦もかなりたくさんいるそうで、いろいろな需要にこたえているようです。

街なかで営業するには仲間と仕事場であるアパートを借りたり、いろいろ、物入りなのだそうです。
その点、森での営業は身一つで始められて気軽そうですが、巡回しているピンプ(元締め)にボディーガードを頼まなくてはならずピンハネがあるのだそうです。

妹も、朝のジョギング中にそれほど深くない森の中での接客を森の外からなんどか目撃しているそうです。

フランスでは、売春は違法ではなく、買春が違法なのだとか。よくわかりません。取り締まりは難しいそうです。

さすがに日中、しかも天気の良い日曜日にそれらの人たちを見かけることはありませんでしたが、道に迷って(!)公園エリアを外れた場所をうろうろしている時、道路沿いにずらっと並んで座っている、超ミニスカートの若い女性を数人見かけました。

あ、あれが?と興奮したのですが、夫に言わせれば、客引き中の売春婦は絶対に座らない、とのこと・・・

休憩中だったのかもしれません。


その2;
パリ人肉(食)事件、おぼえていますか。(年がばれますね)ブローニュの森に関する情報を日本語でグーグル検索していたら、見つけました。

1981年、パリに留学中の日本人学生がオランダ人女子学生を殺害し、死体の肉を食べたというおぞましい事件です。
犯人は解体した死体をどこかの公園に捨てたところを逮捕された、というおぼろげな事件についての記憶がありました。

その公園というのが「ブローニュの森」だそうです!

死体の詰まったトランク2個を池に捨てようとしていたところ、地元の人に見とがめられ、トランクを置いて立ち去ったそうです。

不審に思った人たちがあけてみて、ばらばら死体を発見。

まだ明るい真夏の夜8時、トランク2個を重そうに下げた小柄な東洋人の姿は散策中のたくさんの人に目撃されていて、翌日逮捕されたそうです。


とにかく、広くて、天気の良い(暑い!気温は30℃)日曜の午前中、2時間ほど散歩したのはパリの町よりの、森の東端のみ。
人口の小川沿いに東端部に点在する小さな公園いくつかを回りました。


よく手入れされた花壇がとてもきれい。


ジョギングする人がとてもたくさんいました。
グループで走る人を多く見かけたのは、仲良し同士、励ましあってモチベーションを上げるとともに安全のため、でもあると思います。

人がいっぱいの天気の良い日曜の午後の、森の外側、公園部分にはもちろん何の危険もありませんが、ウィークディの朝、夕、出勤前、帰宅後の一人ジョギングはこわそうです。

普段から誘い合って走りに来る仲間かもしれません。

妹は、ピンプらしい人に鉢合わせして怖い思いをすること数回、木の濃く茂る場所は避けて走っているようです。
でも、道路に出てしまってはせっかくの膝の衝撃を和らげる、小枝や木の葉の散るやわらかい土の林道ランニングの意味がなくなります。

暴行、強奪などの危険があるというわけではありませんが、この市民の憩いの公園、市民ランナーお気に入りのフィールド・ランニングコースが、ドラッグ、売春、変態セックスなど退廃、無法行為の牙城であることを忘れてはなりません!




パリ人肉事件の日本人元留学生は不起訴、無罪になって、フランスの精神病院に入院、2年後、人知れず強制送還され、日本の精神病院に移送され、数年で退院したらしいというのは、日本にいたころからきいていました。

その後、すっかり忘れていましたが、ついでにグーグルして、ショッキングな事実を知りました。

退院後、小説や犯罪学の論文や、人肉食を扱った漫画まで書いたりワイドショーや、生活に困ってアダルトビデオに出演したり、絵を描いて展覧会を開いたり、ちょっとした有名人になっていたのですね。

人知れずひっそり生活しているのだろうと思っていたのに。

普通、殺人行為がマスコミで面白おかしく取り上げられることは絶対ないはずなのに、事件の猟奇性のために、必要以上の注目を浴びていたようです。

生活苦、「無罪」になったというものの、世間の注目から逃れられなかったという本人の事情等を考慮しても、人肉食というおぞましい過去を売り物にしてマスコミに登場し続けていた行為に納得できません。

殺人者本人の、人肉食をテーマにした漫画の執筆、出版が実現するなど、国際的に問題になってもおかしくないかもしれません。
若い女性、それも外国人留学生が殺されるという、国際的にも衝撃的な事件だったはずです。

遺族が彼の動向を身近に目にすることができる日本の人が被害者だったなら、こんな現象は起きていないはずです。

この事件の被害者の家族がまだオランダにいるでしょう?!

パリともブローニュの森とも全然関係ないことですが、気になったので書かせてもらいました。


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パリその2; 美術愛好家の夢の場所、ルーブル美術館は観光名所

2017年09月02日 09時00分00秒 | ヨーロッパ
昨日の続きです。
先週、パリに6日滞在しました。

パリ観光の定番、ルーブル美術館 Musee du Louvre を訪ねました。

パリに着いた翌日、朝から雨が降ったりやんだり、屋内でのアクティビティにぴったりの どんよりした お天気です。

セーヌ川沿いに少し歩いて、ルーブル宮の壮大な建物が見えてきました。






中庭に入って、有名なガラスのピラミッド前の、長い長い列に加わります。




くねくね折れる行列の先はピラミッドの中に入っていますが、何のための行列かわかりませんでした。
切符売り場が混んでいるのか!?

雨の中を40分ほど並んで、ピラミッド内に入って、判明!



持ち物検査でした!

空港にあるような、荷物のX線検査機(?)を操作する係員は、たったの1人!!

手荷物が透視機の検査を受けている間に、金属探知機で身体検査もうけます。その係員もたったの一人!

荷物を受け取ったら、がら~んとした空間のガラスのピラミッド内でぶらぶらすることを許さないつもりなのか、数人の係員が地階の大ホールに降りるように エスカレーターのほうへ誘導しています。

世界的に物騒なこの時期、国際的な観光地でのセキュリティー対策は重要です。が、しかし・・・なんという段取りの悪さ!

傘なしで小雨の中、40分も外で待たされて、ぷりぷり!だだっ広いピラミッド内部で行列させるわけにはいかなかったのか!?

いやいや、観光シーズンのこの時期、手荷物検査機を3~4台ぐらいは用意して、もっとテキパキ入場をすすめるべきです。
空港仕様の器械なんかつかわず、職員数人が手分けして、マニュアルで手荷物をチェックすることも可能なはずでは?

いやはや失望、パリで最も高名な観光地の無能ぶり。

地下の大ホールは、それなりの込み具合でしたが、たくさんある券売機で入場券は、並ばずに買えました。
案内所、売店、トイレ、レストラン、入場券売り場などがある地下の大ホール には自由にはいれます。(手荷物検査で並ばされるけど・・・)

買ったチケットは、大ホールから延びる、各館共通で、何度でも出入りに使えます。

12歳の甥(夫の妹の息子)と、15歳のうちの息子は、18歳以下なので、入場料が無料でした。観光地なのに、さすが文化大国、フランス!

国防省所属でパリの英国大使館駐在になって1年たつ夫の妹と、イギリスからついてきたそのパートナーも甥もルーブルに行ったことがないそうです。

甥と息子は「裸の大理石像なんて見たくない・・・」とルーブル行きを渋っていたのですが、無理やり連れてきました。

モナリザは知っていても、レオナルド・ダ・ヴィンチもルネッサンスも知らないなんて・・・イギリスの学校教育の貧しさ!

甥の通う、パリの外交官の子弟のためのインターナショナル・スクールでは、ルーブルでの美術鑑賞会なんてやらないのかな?
・・・今のところ、そういう活動はないそうです。地元なのに・・・

妹も、妹のパートナーも混むところはごめんだといっています。

世界最大規模の美術館ルーブルに、その気になれば毎日でも無料で入場できる地元パリの少年少女をほとんど見かけませんてした。夏休みなのに。

観光地化があまりにも進み、地元住人には敬遠対象?
手荷物検査行列、混雑など、煩わしいことがいっぱい。気持ちはわかります。

とりあえず、リシュリュー館に行ってみました。

中庭の屋外空間に屋根のかかった、フランスの17,18世紀のアカデミックな彫刻展示がおしゃれで、作品鑑賞より雰囲気を堪能。


上階から。




たくさんの中国人観光客が、いちいち彫刻と並んで記念撮影をしているのを苦笑して見ていた私ですが この作品は気に入ったので、一緒に並んで撮ってもらいました。


ヤギの睾丸が正面を向いているので。
息子はもちろん恥ずかしいと怒りました。

私の好みで通りがかりに入った、フランス中世の宗教建築物の付属装飾展示部門。





素朴で力強くて、私こういうの、大好きです。



中世らしくて気に入ったグロい木彫り。


嫌がる息子に同じポーズをつけさせて一緒に写真を撮りました。

がらっがら。
この部門のほとんどの展示物の解説はフランス語のみ。国際観光スポットのルーブル、やる気あるのか?

こんな場所を見学する外国人観光客などいない、とたかをくくっているのでしょうか。

日本人の年配男性がプロ仕様のすごいカメラで小走りに展示場内をめぐり、ほとんど作品を見もせずに、片っ端から写真を撮りまくって疾風のように全室駆け抜けていきましたよ。

ルーブル全館を制覇するつもりだけど時間がないので写真に撮って、後でゆっくり写真で鑑賞するつもりなのかしら・・・?


次はこれも私の好みで北部ヨーロッパ17世紀。
フランス中世の宗教建築物の付属装飾展示ほど景気が悪くはありませんでしたが、けっこう空いていて、快適に鑑賞できました。

うちの息子の唯一のお気に入り作品。作家名も作品名も忘れましたが、17世紀のブラジル、サンパウロの河岸風景にとってつけたような、カピバラ。



さてと、館内の軽食堂でぼったくりランチを食べた後、うんざりしている少年2人(息子と甥)の美術鑑賞の目を開かせる目的もあって、本命の、イタリア・ルネッサンス展示部に向かいます。

デノン館の階段踊り場にある、ニケ像、本物が見られて、感激です。


日本の私の出身校(美大です)のマスコットキャラクターでした。

なんとなく、ここらあたりから、「ルーブルは国際観光地である」実感がしてきました。どこからともなく、人がわさわさと群れ集まってモナ・リザ室を目指す動きがみられます。

長い廊下ギャラリーに私の好きな初期ルネッサンスの名品がずらあっとかかっています。


だけど、この混み方!

「おっぱいが出てる!」と夫が息子と甥にささやいた聖母子像。


「目つきが悪い!」と息子たちにウけたイコン。


「人間ロケット、壁抜け!」と夫にウケた聖人伝。


とにかくすごい人で、暑くて・・・実はこの時点でかなり疲れていました。こんな鑑賞の仕方でいいのか・・・?というようなルーブル訪問。
ところどころ茶化しをいれながらぐずる少年2人を引き連れて3時間半。美術の神髄を見た!というより、観光客気分で気楽に美術作品を堪能できました。

ただ、私も混んでる場所は苦手です。暑いのはもっとイヤ。

で、かんじんのモナリザ。


並んで、そばによって見なかったのかって?

見ませんでした!
見るなら、落ち着いてちゃんと見たいです。

ルーブルに来てモナリザを見て帰らなかったって?

小雨が降ったりやんだりの屋外で朝、40分待つのはあまり苦にならないのですが、人がいっぱいの暑苦しい一酸化炭素が充満した小部屋で、疲れてきた午後に40分並ぶのは、めまいがするほどの嫌悪感を催します。

イギリスに帰国した翌日、ボランティア先で、60代の女性にこの話をしました。

彼女は、実はバルセローナで、炎天下に2時間並ぶと聞いて、有名なサグラダ・ファミーリア教会に入場するのをあっさりあきらめた、という私と全く同じ経験をしています。

(私がバルセローナに行った時は、確か3時間行列と言われました)

「バルセローナ/ルーブルに行って、サグラダ・ファミーリア教会/モナ・リザを見ずに帰るなんて一生後悔する」と思う人は確かにたくさんいるでしょう。でもサグラダ・ファミーリア教会/モナ・リザ以外にもバルセローナ/ルーブルには見るべきところがたくさんある。それを堪能して帰ったのだから後悔はしない・・・というのが私たち共通の意見です。

その人も私も、実はただ億劫なだけかもしれません。

「サグラダ・ファミーリア教会/モナ・リザを見るために世界中から集まったすごい数の人」を見た記憶が、なぜか旅の思い出として残っています。
「それでよし」と思える私たちは旅を気楽に楽しめる、得な性分なのかもしれない、と意見が一致しました。

バルセローナはともかく、パリに住む義妹のいる私はもう一回ぐらい願わくば今度は観光シーズンではない時期にルーブルを訪れる機会があるかもしれません。

その時は、ぜひ・・・。




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酷暑のパリに行って帰ってきました;その1 涼しいイギリスでつづる旅の思い出  

2017年09月01日 09時00分00秒 | ヨーロッパ
先週、パリに行ってきました。


夫と、15歳の下の息子と3人で、外交官としてパリに駐在する夫の妹の官舎に6泊しました。
凱旋門のそばの、築170年ほどたつ瀟洒なアパルトマンです。


最初と最後の各一日は、移動日、滞在は実質5日でした。

パリに行く、と言ったら、まわりのイギリス人にうらやましがられました。

パリのシャルル・ドゴール空港までマンチェスター空港から、飛行機で約1時間半。
ストックポートの私の家から空港までタクシーで15分弱。

ロンドンやエジンバラに行く電車代よりも安い航空券をとることも可能です。

たしかに親せきの家に滞在できる私たちはラッキーですが、イギリスの地方都市、マンチェスターに住むたいていのイギリス人にとって、パリに行くのは決してぜいたくな大旅行ではありません。

テロ対策の持ち物検査は世界中すべての空港同様、厳しいのですが、EU市民であるイギリス人は入国審査も簡単で、国内移動と変わらない手軽さです。

にもかかわらず、「あこがれのパリ」に行ったことのある人が周りにあまり、いません。
行こうと思ったらいつでも行けると先送りしているのかもしれません。
イギリス人が休暇をとって手軽に行く海外といえば、夏 ものすごく暑くて、海辺で寝そべることができる、スペイン、ポルトガル、ギリシャのような地中海沿岸がおなじみです。

それらの国では概して言えばフランスより英語が通用しますし、物価も安いらしいのです。


パリもじゅうぶん暑かったです。
35℃ の日が一日、それ以外の日も、雨の一日を除いて、連日30℃超。



植物園 Jardin des Plantes では、酷暑の午後、「打ち水」をしていました。
子供だけではなく大人も(私も含む)水のかかる通路をわざわざ通って涼をとっていました。

水の吹出口のそばを通ればびしょぬれになりますが、離れたところでは細かいしぶきを浴びて一瞬体温がさっと引く快感です。
濡れずに通るのは不可能…


イギリスでは、屋外の飲料用の水道を見かけません。
パリには、公園や広場などにけっこうありました。

私が見たのはすべて、蛇口が下向きでコップや手で受けて飲むようになっていました。
日本でよく見かける、上下に向きがかえられる蛇口や上に噴き上げる水飲み施設があれば、直接口で受けられるのに・・・



口からじょろじょろ細く水をたらし続けるアール・ヌーボー風顔面飲料水供給設備で私は、飲み終わったミネラル・ウォーターのプラスチックのボトルを満たしました。

私のあとに来たこの親子は、買ったイチゴを一つ一つ洗っていました。



パリに行ったことがある人もない人も皆、口をそろえて、「8月のパリにはフランス人はいないよ!」と言います。
フランス人の一斉バカンス習慣は イギリス人の揶揄の的のようです。

「8月のパリにフランス人はいない」は、まったくの誇張です。
通勤ラッシュや、地元スーパーやコンビニ、バーやカフェに集う大勢のパリ在住のフランス人を目にしました。

でも、たしかにものすごくたくさんの個人商店が夏季休暇で店を臨時休業していました。
なるほど、こういうことだったのか・・・と納得。

一年の間で最大の観光シーズン、世界中から大挙して観光客がやってくる稼ぎ時のこの時期に、3週間も休業しちゃうのが欲がないというか・・・しまっていたのは、クリーニング屋、メガネ屋、寝具屋、介護用品屋等々、あまり観光客の需要のなさそうな業種がほとんどでしたが。

多くのパン屋や肉屋やチーズ屋も夏季休暇をとっていました。
う~ん、客がスーパーやコンビニに流れるのも納得です。

ちなみに、妹の住む高級住宅地の住人は朝食の焼きたてパンは、毎朝コンビニに買いに行くんだそうです。


そういえば、予想に反して、日本人をあまり見ませんでしたよ。

もちろん中国人の多いのは予想通りです。
空港の案内は フランス語、英語、中国語の3ヶ国語で表示されていました。
どうなってるの?

中国からヨーロッパに旅行するのは、時間もお金もうんとかかるし、言葉も不自由だし、日本人がヨーロッパに旅行するのと同じぐらい大変だと思うのですが。

イギリス南西部の観光地、バースのように「全観光客の半分が中国人?」というほどの率ではありませんでしたが、有名な観光スポットには、必ず、たくさんの中国人がかたまって観光していました。

ルーブル美術館で。


中国人を狙って撮ったわけでは決してありません!

妹の家から徒歩5分、ビクトル・ユーゴー広場  Place Victor Hugo で、中国人のTVクルーが、ドラマのロケをしていました!


噴水の向こうの高級店の並ぶ通りを抜けると、凱旋門のあるシャルル・ド・ゴール広場 Place Charle-de-Gaulle です。


アフリカから来た移民をとてもたくさん見かけました。
イギリスでよく見かける黒人より肌色が濃く、多くの中年以上の女性は色鮮やかな民族衣装を着ていました。
若い人も、男性もパリの街並みに溶け込んでいるとは言えない派手目の好みの極彩色ファッションだったり、同じ人種どうしかたまっていたり・・・イギリスと、移民風俗も違うらしい・・・

もちろん、大多数のエスニック・マイノリティ(非白人)は「普通の服装」で、完全にフランス社会に溶け込んでいるように見えました。
そういう人たちのことは、「移民」とは、もう言いません。

移民がお出かけ着を買うらしい(?妹談)パリ北駅 Gare de Nord そばの、ラメ入りドレス、カラフルタキシードを売る洋品店が何十も並ぶ通りで数人見かけた、焼きトウモロコシ売り。


ショッピングカートを押して歩道を売り歩いていました。
金属製のバケツに炭をおこして上に渡した網の上で茎付きのトウモロコシを焙っていました!

お客はすべてお友達みたいでした。
その場で食べながらおしゃべりしていきます。

空港から乗った、パリ市内ゆきの在来線から乗り換える予定の地下鉄が事故で止まったので、予定外に外に出て歩いた場所がこの通り(Bouleverd de Magenta)。
タキシード屋が軒を連ねる道いっぱいのパリのアフリカ人とショッピングカートのトウモロコシ売りのいる光景、パリに来て最初に見た外の通りです。忘れられません。


現在、ヨーロッパ中で肩身の狭い思いをしているらしいイスラム教徒のコミュニティーとも全く異なる「パリのアフリカ人」たち。害のない人たちのようですが、一般のフランス人に彼らの存在がどう映るのか気になるところです。

トウモロコシ、おいしそうでしたが、妹によれば、保健衛生法徹底無視営業、だとのこと・・・買っちゃだめとくぎを刺されました。
さすがに買って食べる気はしません。(ほかの場所では見かけませんでした)

カエルの脚は食べました。


シテ島の観光地レストランで。

やわらかく煮た鳥のささみみたいな食感でした。
濃いガーリックバターソースがかかっていて、肉の味そのものはよくわかりませんでした。
おいしかったのは確かですが、くどかったので、この半分の量で、パンをもう一カゴほしいぐらいでした。

細かく切って叩き潰した完熟トマトと和えるアイデアは秀逸です。肉や魚料理で真似てみるつもりです。


近所のスーパーで、フランス菓子が冷蔵庫にぎっしり並んで売られていました。格安です!




帰国の前日、家の近所の高級パテシェの「お召し上がりカウンター」でナシの砂糖漬けの薄切りとピスタチオを裏ごししたクリームの乗った緑のタルトをたべました。

おいしかったのですが、とても高かったです。

本当は、もっとお手頃な「町のケーキ屋さん」で色々食べてみたかったのですが夫の妹一家とのわいわい合流滞在で、そう勝手なこともできず、念願のフランスでケーキ!の希望がかなったのは、帰国前日。
息子と甥を先に家に帰して、夫と2人別行動をとりました。

実は撮った写真の数もいつもの旅行に比べれば少なめです。
中国人のテレビロケと焼きトウモロコシ売りの写真を撮った時は息子に怒られました!(ダメ?)

スーパーで売られているトマトの種類が多くてびっくり。




地下鉄の通路で野菜のはかり売りをしていたアラブ人のおじさんから一個だけ買ったサボテンの実。


スーパーでもコンビニでも売られています。
ジュクジュクしたゼリー状の果肉は甘くておいしいのですが、タネが多くてめちゃくちゃ厄介でした。

私が買って、夕食のサラダに添えたのですが、初めてたべた妹一家は、もういらない、と言っています。

あああ、長くなった!

今日の記事は「パリ滞在概論」のはずだったのですが・・・!

楽しかったです!

イギリスにも、日本にもないものをじっくり見てきたつもりです。





明日からテーマごとに小出しにしてお伝えします。

パリだらだら観光。


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コメント (5)
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