のんきなお菓子の話題を載せるつもりでした。
今日のストックポート日報。
今週の月曜深夜のマンチェスター・アリーナ での自爆テロ事件のことに触れないわけにはいきません。
一昨日、火曜日(事件の翌日)に用事でマンチェスターに行きました。
午後マンチェスターでお勤めしている友人に会ってお茶をのみ、夕方、写生の会に出席するため。
バスを降りたら目に入る、おなじみ、ピカディリー・ガーデンズ 。
晴天です。午後1時ごろ、時間差でお昼休みをとる人もいるはずです。のんびり。
噴水版で水浴びをするハトがたくさんいました。
カメラを向けたら1羽を残してみんなバサバサ飛んで逃げてしまいました。
大規模なテロ事件の翌日のこの静けさと通常と変わらないあかるさはなんとしたことでしょう・・・?
ああ、それでも、事件のあったマンチェスター・アリーナを含む、シティセンターの北端へ行く道はすべて封鎖です。
警察のバンがいっぱい。
もちろんどこに行っても警察官もいっぱい。
なんだか、マンチェスターが大勢の警官に守られてヨーロッパで一番安全な都市に見えてしまうのが不思議です。
もちろんそれは錯覚です。
昨日水曜日から非常警戒令が出て、新たなるテロに備えて、各都市に武装した兵士が配置されるじたいになっています。
いったいどうしてこんなことになってしまったのでしょうか。
多くの店やレストランが臨時休業していました。
自粛?と思っていたら、その日の朝、怪しげな手荷物が見つかり、また爆弾テロ!?と警告で一時おお騒ぎになったのだとか。
買い物客や店やレストランの従業員は全員避難させられ、ショッピングセンターは、午後再オープンしたものの、各店舗はほとんど翌日まで休業でした。
平常ではないのでした。
それに・・・
ものすごい数のテレビ取材陣が、マンチェスター大聖堂に続く一本の交通止めにした道路に集合していました。
この先は入れません。テープが張ってあります。
大聖堂前で何か公式発表でもあるのを待ってたんでしょうか。
ターバンを巻いたインド人レポーターとカメラマン、フランス語を話す取材チームも撮影準備に余念がありません。
野次馬も大勢携帯電話で取材風景を写真に撮っていました。(私もその一人です)
ITVのレポーターはすでにレポートを開始していました。ざわめきで、何を話しているのか全く聞こえませんでした。
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5月22日、午後10時半、マンチェスター・アリーナでの自爆テロ事件、日本でも報道されたことと思います。
実は、イギリスではその翌朝(23日、火曜日)一晩おくれで、知った人が多いと思います。
私は、当日、夜12時ごろ、日本に住んでいる友人から、フェースブック・メッセンジャーで連絡を受けて、事件を知った次第です!
日本は翌朝の9時ごろですね。続けて数人の日本にいる人がニュースを見て、安否を気遣うメッセージをくれました。
ベッドで本を読んでいた私、飛び起きてテレビをつけました。同じ情報、映像の繰り返しであまり事情がわからず、途中でテレビを消して、寝ました。
イギリスに住んでいる私たちが寝ている間に、デイタイムの日本にいる方たちのほうが情報に早く接していたのが皮肉です。
(そういえば、EU離脱の国民投票の結果も、一夜明けて知った私たちより、開票速報をリアルタイムで見ていた日本にいる人たちのほうが先に知っていましたっけ・・・)
無差別テロは卑怯です!
昨日のうちに、犠牲者全員の身元が判明、昨日の時点で12人の氏名が公表されています。
犠牲者の多くはテ―ィンエイジャー、8歳の子供もいます。
コンサートを楽しんだ子供たちを迎えに来た親たちもいます。
爆撃犯の身元も明かされました。
日本でもこれらの情報はしっかり伝わっていることと思います。
イギリスではマンチェスターの人たちの、隣人を助け合う、勇気ある行動を紹介する報道が、ジャーナリズムでも、ソーシャルネットワークでも注目を集めているのですが、はたして日本でどこまで知られているのでしょうか。
親とはぐれたり、あるいは迎えに来てもらえなかったりして孤立した未成年者、交通機関の不通で立ち往生する観客に多くの地元のホテルや民家が無料の宿を、約20台のタクシーが無料の送迎を提供しました。非番の医療関係者が深夜に自発的に出勤して無給で救命措置を施しました。
23日に、数千人の市民が集まって自発的に行われた、市庁舎前のアルバート・スクエアでの追悼集会では実に多くの市民が「I
♡ Manchester」のカードを掲げて、自分はマンキューニアン(マンチェスターっ子)であるとテレビカメラに向けて表明していました。
「マンチェスターでテロの犠牲になった子供たちは我々マンキューニアンの子供であり、兄弟姉妹である。」とその死を悼む人たちがテレビの取材に向けて答えていました。
3月の、ウェストミンスター橋でのテロ事件の時は、議会がターゲットだったことから、テロは自由と民主主義への挑戦、それに屈するな!と、イギリス国旗、ユニオン・ジャックを掲げての意思表示が目立ちました。
暴力を振りかざし、恐怖で自分の主張を通そうとするテロリストたちに、おびえたところを見せては絶対にいけないはずです。
そう思って私は、「自由と民主主義」を掲げてフェイスブックなどのソーシャルメディアを通して、テロに立ち向かう連帯を表明するポストにシェアも「いいね!」もツイートもしませんでした。
テロは、絶対に許せません。「自由と民主主義」も守り抜くべきです!
ただ・・・反応を起こすと、テロリストの思うつぼ、「動揺してるぞ、やった意義あり」と思わせるのがくやしくて・・・個人的には何も表明しない派、でした。
今回は別です。
マンキューニアンの多くは、今回のテロの対象が国家や自由や民主主義といった抽象的なものではなく、マンチェスターと「マンチェスター魂」であると思っているみたいです。
何とも、単純で感傷的で感情的な・・・・!
とは言え・・・
グレーター・マンチェスターに25年住んでいる私の感情にも
ぐっと来るんです。
フェイスブックに「I
♡ Manchester」のポストが投稿されると、「いいね!」を押して連帯を表明しています。
マンチェスター知事、アンディ・バーナム(労働党)の「見たか、テロリスト!?我々はもっと強くなるぞ」発言も私たちを勇気づけます。
21年前の、暫定アイルランド共和国軍 Provisional Irish Republican Army (IRA)によるマンチェスター爆撃事件はあまり海外で話題にならなかったように記憶しています。
ものすごい被害だったのですが、何せ奇跡的に死んだ人がいなかった!ためと、IRAのターゲットが連合王国のみだったためもあるでしょう。
その時も Com'on Manchester,you can do it!のスローガンのもとに連帯感を強めてみごと、町を復興させました。
私を含め、多くの人がその時のことを思って感慨にふけりました。
その時は今ほど怒りを感じる人が少なかったように思います。
自分たちがマンキューニアンであるという自覚を強くする人が多かったのが共通しています。
今回特に、人種、信仰はもちろんマンチェスターで生まれたかどうかは関係なく、マンキューニアンであるという連帯感が広がっているようです。
去年の記事のリンクです。その場に居合わせた私の体験談です。↓読んでみてください。
マンチェスター爆撃20年周年・・・よく復興したものです。
今回は大勢、罪のない人がなくなっています。
子供や若い人をターゲットにした卑劣きわまる犯罪です。
コンサート会場を狙うなんて!!
うちのしたの息子の仲良しのお友達のいとこがコンサートに行ったそうです。(無事だそうです)
上の息子のガールフレンドは、行きたかったけどチケットが取れなかったそうです。
娘にねだられたという親にも会いました。
娘のいない私はアリアーナ・グランデがマンチェスターでコンサートをやるなんてことも知らなかったのですが周りでは注目のイベントだったらしい。
はじめて、イスラム過激派によるテロがこんなに身近なところまで来ていることを実感しました。
爆発するだけではなく、中にぎっしり詰めた釘やボルトがさく裂するという、恐ろしい新案爆弾を製造したのは、自爆した実行犯のイスラム過激派の若者ではないそうです。
爆弾を手作りする能力のあるテロリスト仲間が予備の爆弾を抱えて国内に潜伏しているということです。
非常警戒態勢が発令されています。
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