今日まで、飛び飛びに、「私が見てきたパリ」について、だらだらと紹介してきました。
ルーブルと、モンマルトル界隈の他に、観光名所は行かなかったのか?と疑問に思われた方もいるでしょう。
行きました!
・・・少なくとも写真ぐらいは撮りました。例えば・・・
ポン・ヌフ Pont Neuf。
セーヌ川の中州、シテ島 Île de la Cité のはしっこの細い部分をまたいでかけられている古い橋。
ポン・ヌフというのは、フランス語で「新しい橋」という意味だそうですが。
建った時に新しかったためでしょう。どの建造物も建った時は新しいはずですが・・・当時ポン・ヌフより古かった まわりの橋も全てが新しくかけなおされ、今ではパリで一番古い橋です。
1578年に建設が開始され、完成、開通されたのは1607年。
中世の名残の怖い顔がアーチの上に並びます。
ハクチョウたちの憩いの場。
ポン・ヌフからエッフェル塔 La tour Eiffel がみえました。
パリでいちばん有名な観光名所、エッフェル塔には行きませんでした。
地元のおじさんたちの釣りの名所がありました。
釣りのおじさんたちのお気に入りファッションは、迷彩柄のジャンパー。
森の中でのバードウォッチングなら納得ですが、セーヌの岸辺では目立ちまくっています。
どっちにしても、魚の警戒心を解くやくわりははたしていないような・・・
こうして、本題からずれていく・・・観光名所に戻ります。
シテ島にある、コンシェルジェリー Conciergerie。
入場料を払って、入りました!
行きたかったんです。
10世紀から、14世紀にかけて、王室の宮殿でした。
中世ムードたっぷりです。建物の大部分は、14世紀に建てられたそうです。
1370年に、王室が引っ越した後は、20世紀の初頭まで牢獄として使われていました。
半地下の大ホールは涼しくて快適。
シテ島界隈は、晴天の週末で ものすごい人出でしたが、観光名所のコンシェルジェリーはガラガラ。
このシブい史跡が、日本人の女性にものすごく人気があるんだそうです。なぜだかおわかりでしょうか。
(この時は日本人は私以外一人もいませんでした)
フランス革命末期の恐怖政治時代にギロチンで刑死した、ブルボン王朝最後の王妃マリー・アントワネットが囚人として2か月間収監されていたからです。
私たちの年齢の日本女性で、漫画、「ベルサイユのばら」を知らない人はいないのではないでしょうか。読んでいなくとも、ほとんどの人が話のあらすじぐらいは知っているはずです。
宝塚でもロングラン上演されましたね。
マリー・アントワネットは主要な登場人物の一人、彼女の悲劇の人生は少女だった頃の私たちの多くに強い印象を残しています。
多くの観光案内本や、観光ウェッブサイトには、再現されたマリー・アントワネットの独房の写真 が載っていて、非常に興味をそそります。
私が持ち歩いていた、ストックポートの図書館で借りてきた英語のポケット版観光案内にも、写真こそありませんでしたが 見どころとして ちゃんと記載がありました。
これ
↓
これ→ ←これ
芝居がかってますね。
(例によって、よそのブログから断りなしに勝手にお借りしました。)
実際に独房のあった場所は、現在マリー・アントワネット関係の資料展示室になっています。
蝋人形の再現独房は、実際とは違う場所に観光客の要望に応えて設置されたものだったようです。
でも、私はそれがどこだか、見つけられませんでした!
入場券売り場でもらった無料の館内案内のリーフレットにも記載がなかったし、もしかして、展示は、やめちゃったのでしょうか。
夫と息子と、義妹の家族と一緒に見学して回ったのですが、フランス革命の資料映像に夢中になった私を置いて、みな、いつの間にか別行動に・・・
4つの小グループに分かれた私たちの誰一人、「マリー・アントワネットの独房」を見ていません!
観光ブログ等に載っている、フランス革命時代 牢屋だった部分の写真には、ベッドに横たわった囚人のちゃちな蝋人形が写っていますが、私が行った時は、再現されたベッドと床のワラ以外なにもありませんでした。
ドアの内側が牢屋です。
どなたかご存知でしょうか。私が見落としたのでしょうか。
それともダサい蝋人形は史跡にふさわしくないとかで、すべて放擲されたとか?
実際と違う場所に設けられた、根拠の乏しい独房内再現シーンも取り払われている可能性、ありですね。
階段の下の看守の控室の再現はなかなか、うまくできています。
きもちわるい看守の蝋人形などがあったらぶち壊しだったかもしれません。
人間の髪の毛らしいものがかごに詰まってるし、はさみまで置いてあるのは、学芸員が詩心を発揮した演出かもしれません。
ギロチンにかける前に囚人の毛を刈り取ったという史実の再現・・・じゃあ、テーブルの上に置いてあるブタの貯金箱はなんでしょうか?(ランタンの横)
どなたか知っている方、教えてください。
前を通っただけの、パリのノートル・ダム大聖堂 Cathédrale Notre-Dame de Paris
12年前に入ったことがあります。もう一度機会があれば戻ってみたいと思っていました。
今回は、人がとても多かったことと、あまり、というかぜんぜん古い建物や史跡に興味がなく、特に宗教建築に拒絶反応を示す少年2人を連れて堂内の見学はまず、無理。
1163年に建設が開始され、最終的に竣工したのは1345年。
世界中の建築史学者が、「世界最高のゴシック建築」とたたえる、中世宗教建築の珠玉の傑作。
実は私、大好きなんです。中世の宗教建築、目がくらみそうなくらい好きです!
もう一度大聖堂を訪ねるためだけにでもパリに行きたいです。
パリで一番有名な観光スポットは、エッフェル塔。
じゃあ、二番目はなんでしょうか?
パリといえば、1;エッフェル塔、2;凱旋門 Arc de triomphe de l'Étoile です。
エッフェル塔は逃しましたが(あまり惜しくないです)凱旋門は、義妹のアパルトマンのすぐそばです。
行かずに済ませるわけにはいかず(私一人の判断、息子と甥とは 別行動、一駅手前のシャルル・ド・ゴール・エトワール Charles de Gaulle - Étoile 駅で降りて、夫と2人、見に行きました。
シャルル・ド・ゴール広場 Place Charles-de-Gaulle. から放射状に道路がひろがる真ん中にドカンと位置する、なかなか立派な建物です。
4つの「足」の部分に勇壮な軍神を中心としたドラマチックな彫刻がごちゃごちゃした感じで彫り込まれています。
ほかにも、ロマン派ふうの大げさな身振り手振りの戦闘シーンの浮彫がいっぱい。
ナポレオンの戦勝記念のモニュメントです。
フランス軍の戦没兵士を祀る廟でもあり、日本でいえば靖国神社のようなものかもしれません。
で、はっきり言って「これだけ?」
いえ、リッパでしたが。
地下鉄の駅から、道路に出ずに地下道を通って、凱旋門の屋上に登る入口に行けるようになっています。
地上に出る前に見た入場待ちの行列に並ぶ観光客のほとんどは中国人でした。
不思議なことに日本人は見かけませんでした。
階段をあがれば、すぐ凱旋門の下!
交通量の多いシャルル・ド・ゴール広場では道を横切ることはできません。
また、地下道にもどって、妹のアパルトマンのある地区に続くヴィクトル・ユーゴー通りそばに出る階段をあがりました。
凱旋門から見える、有名なシャンゼリーゼ通りには行きませんでした!
凱旋門の中央から延びる、幅が広く交通量の特に多い 大商業通り、写真で見るときれいです。
一度だけ歩いてみたという妹による「オックスフォード・ストリートにもっと人を増やして歩きにくくした場所」という表現を信用すると、行く気がぜんぜん起こらない場所です。
話のネタに行ってみてもよかったのですが。
実際、行ったことのある方で、「素敵だった、楽しかった、美しかった!」とおっしゃる方がいたら、本当にごめんなさい。行ったこともないのにこんなことを言って。
私も妹も人がいっぱいいるところが大嫌いなんです。ロンドンの目抜き通り、オックスフォード・ストリートも大嫌いです。
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