毎日が、始めの一歩!

日々の積み重ねが、大事な歴史……

〈池田先生と共に 希望・勝利の師弟旅〉

2021年08月31日 | 妙法

〈池田先生と共に 希望・勝利の師弟旅〉 仏法で人格の芯を固めよ2021年8月31日

 正義の青年は、もとより多事多難である。だからこそ、偉大な人格が鍛えられる。
 日蓮大聖人は、若き南条時光を繰り返し励まされた。「たがふ事あらば・いよいよ悦びとこそおもひて」(御書1542ページ)等と。
  
 思うようにいかないことがあればあるほど、いよいよ喜び勇んで剛胆に立ち向かうのだ。
 この勇気ある不退の信心を受け継いでいるのが、創価の青年たちである。
  
 ◇ ◆ ◇ 
  
 きょう8月31日は「学生部の日」。
 さらに、9月9日の「女子学生部の日」も間近である。
  
 感染症の拡大が続き、学業や生活や進路など万般にわたり、苦労が絶えないであろう。
 その中で、男女学生部の友はスクラム凜々しく「行学の二道」に励み、「立正安国」の対話を広げている。皆、智勇と福智の哲学者だ。
  
 イギリスの歴史学者・トインビー博士との懇談の折、21世紀の青年へ助言を求めると、一言、「忍耐強くあれ」と語られた。挑戦と応戦という視点から人類史を俯瞰されてきた博士の一つの結論である。
 今、大仏法の生命尊厳の哲理を掲げて、現代文明からの挑戦に忍耐強く応戦している君たちこそ、新たな地球文明の黎明を告げる旭日なりと、私は讃えたい。
  
 トインビー博士が、困難な時代のリーダーの要件に、
 一、洞察力
 一、節度
 一、度量
 一、持久力
 の4点を挙げられていたことも、思い起こされる。
 特に度量について博士は、苦しいことさえ楽しそうに耐え忍んで乗り越えていく達人芸のような力とされた。
  
 「御義口伝」には、「今日蓮等の類いの修行は妙法蓮華経を修行するに難来るを以て安楽と意得可きなり」(御書750ページ)と仰せである。
 大聖人が示された仏道修行の真髄を、生き生きと現実社会で展開しているのが、学会活動にほかならない。
  
 学生部出身者の中には、コロナ禍の今、命を救う最前線である医療に従事している友もいる。
 後継の若人たちも、地涌の使命の青春を思う存分、乱舞し、仏法で人格の芯を揺るぎなく固め、新時代の指導者群を築き上げていただきたい。
  
 ◇ ◆ ◇ 
  
 宝の未来部の鳳雛たちも、新学期である。
 一人ももれなく、健やかに、伸び伸びと安心して前進し、成長していけるように、これまで以上に、皆で題目を送り、応援していこう!
  
 創価家族の「教育力」で、いやまして希望の未来を創り開いていくのだ。


広宣流布とは、「獅子の道」である。何ものをも恐れぬ、「勇気の人」「正義の人」「信念の人」

2021年08月30日 | 妙法

〈新・人間革命と私〉 西大阪総県女性部長 津田宣子さん2021年8月30日

〈心に刻む珠玉の言葉〉

 広宣流布とは、「獅子の道」である。何ものをも恐れぬ、「勇気の人」「正義の人」「信念の人」でなければ、広布の峰を登攀することはできない。そして、「獅子の道」はまた、師の心をわが心とする、弟子のみが走破し得る「師子の道」でもある。〈第5巻「獅子」の章〉

〈時代背景〉

 1962年(昭和37年)1月24日、山本伸一は、自身が不当逮捕された大阪事件の判決公判のために関西へ。関西の男子部・女子部の会合に出席し、不退の信心を貫くよう訴える。翌25日に行われた公判では、大阪地方裁判所が「無罪」の判決を出す。伸一は善良な民衆を苦しめる権力の魔性との徹底した人権闘争を決意する。

仏法は勝負! 歴史開く対話を

 西大阪総県が誉れとする師弟の原点は、1985年(昭和60年)1月25日、池田先生が西大阪文化会館(現・住之江文化会館)を訪問してくださったことです。この時、先生は、23年前の同じ日に「大阪事件」の無罪判決を勝ち取った歴史を語られ、「仏法は勝負」との永遠の指針を贈ってくださいました。
 
 この日は1・25「西大阪の日」として、常勝の金字塔を打ち立てる誓いの日となっています。
 
 私自身、大阪事件の無罪判決の場面が描かれた「獅子」の章を読み返すたびに、どんな逆境に立たされようとも、民衆のため、師匠のため、正義のために「必ず勝つ」との決意を新たにしてきました。

 仏法は勝負――この大切さをかみ締めた体験があります。結婚当初、夫は学会活動に理解がなく、家事や育児、経済的な悩みも抱えていました。そうした悪戦苦闘の日々の中、夫が命に及ぶ事故に遭ったのです。
 
 長女が生後3カ月の頃で、過酷な宿命に押しつぶされそうになりましたが、同志の励まし、池田先生のご指導に勇気をもらいながら、「必ず夫婦で広布のお役に立ちます」との誓願の祈りを貫きました。すると夫の状態は奇跡的に回復。信心の功徳に触れた夫は活動に挑戦し始め、今は地区部長として奮闘しています。創価女子短期大学を卒業した2人の娘も、それぞれ使命の天地で活躍しており、感謝でいっぱいです。
 
 現在、コロナ禍の中で一人一人と会う機会が減った分、心を通わせる時間を増やそうと訴えています。多宝の先輩たちは「家でじっとしてるだけではあきませんな」と、元気に友人と電話などで対話されており、地域に信頼が広がっています。
 
 「仏法は勝負」との指針に生き抜こうと決め、皆で異体同心の団結を固めながら、勇気の対話で「全てに一番」の大勝利の歴史を必ず開く決意です。


幸福の地図を朗らかに

2021年08月29日 | 妙法

幸福の地図を朗らかに 池田大作先生の写真と言葉「四季の励まし」2021年8月29日

 【写真説明】白、ピンク、赤――。色鮮やかに咲き誇るコスモスの花が、秋の訪れを告げる。池田大作先生が昨年9月、都内で撮影した。
 コスモスは、可憐で繊細な姿からは想像できないほど、力強い生命力を秘めている。風や雨で倒されても、茎の途中から根を出し、たくましく起き上がる。
 御書には「地にたうれたる人は・かへりて地よりをく」(1586ページ)と。試練や逆境に打ち勝つ強靱な生命力を、わが胸中に湧き出していけるのが信心である。
 さあ、心を結ぶ語らいの秋へ! 希望の哲学を朗らかに語り抜き、わが地域から友情の花、信頼の花を爛漫と咲かせよう。
 

池田先生の言葉

 人間は、対話の中でこそ、
 真の人間に成長する。
 対話とは、
 相手から学ぶことである。
 そこには
 相手への尊敬がある。
 相手から学べば、
 自分も豊かになる。
 だから豊かな対話には
 喜びがある。幸福がある。
 平和がある。
 対話それ自体が、
 人間の勝利の証しなのだ。
  
 人間として
 爽やかな好感を
 広げていくことだ。
 そこから、対話がはずみ、
 友情が生まれ、
 仏縁が結ばれる。
 御本尊に
 「皆と仲良くできる自分、
 信頼される自分に
 成長させてください」と
 祈るのだ。
  
 困難であればあるほど、
 舞を舞うごとく、
 喜び勇んで進むのだ。
 民衆のために――
 この一点を
 忘れてはならない。
 人に尽くす人こそが
 真実の王者だ。
  
 広宣流布のために、
 動いた分、走った分、
 語った分、
 真の友情の道が開ける。
 自他共の
 幸福の地図が広がる。
 これ以上、充実した、
 悔いなき歴史はない。
 向かい風であっても、
 泥沼であっても、
 友と手を携え、前へ前へ
 進み抜いていけば、
 崩れざる「異体同心」の
 スクラムができあがる。
  
 対話には納得がある。
 信頼がある。知恵がある。
 生き生きとした対話は、
 民主主義の基盤である。
 対話で民衆を励まし、
 民衆の心と心を結べ!
 これが、
 広宣流布の不変の軌道だ。
  
 皆が力を出し切ろう!
 胸を張り、声も惜しまず、
 わが信念を語ろう!
 朗らかに伸び伸びと、
 笑みを湛えて、
 友情を結ぼう!


新・人間革命」学習のために 第30巻〈下〉

2021年08月28日 | 妙法

マイ・ヒューマン・レボリューション――小説「新・人間革命」学習のために 第30巻〈下〉=完2021年8月28日

 小説『新・人間革命』の山本伸一の激励・指導などを、巻ごとに紹介する「My Human Revolution(マイ・ヒューマン・レボリューション)」。最終回は第30巻〈下〉を掲載する。挿絵は内田健一郎。

悪戦苦闘をつき抜け「決勝点」へ

 <1981年(昭和56年)6月、アメリカを訪れた山本伸一は、詩人・ホイットマンの生家へ。そこには、ホイットマンの数々の遺品が展示されていた>
 
 詩集『草の葉』についてのエマソンの手紙もあった。形式を打破した、この革新的な詩は、当初、不評で、理解者は一握りの人たちにすぎなかった。そのなかでエマソンは、ホイットマンの詩に刮目し、絶讃したのである。
 
 先駆者の征路は、めざすものが革新的であればあるほど、険路であり、孤独である。過去に類例のないものを、人びとが理解するのは、容易ではないからだ。われらのめざす広宣流布も、立正安国も、人類史に例を見ない新しき宗教運動の展開である。一人ひとりに内在する無限の可能性を開く、人間革命を機軸とした、民衆による、民衆自身のための、時代、社会の創造である。ゆえに、それが正しい理解を得るには、長い歳月を要することはいうまでもない。広宣流布の前進は、粘り強く対話を重ね、自らの行動、生き方、人格をもって、仏法を教え示し、着実に共感の輪を広げていく、漸進的な歩みである。しかも、その行路には、無理解ゆえの非難、中傷、迫害、弾圧の、疾風怒濤が待ち受けていることを知らねばならない。
 
 ホイットマンは詠っている。
 
 「さあ、出発しよう! 悪戦苦闘をつき抜けて!
 
 決められた決勝点は取り消すことができないのだ」
 
 伸一にとってホイットマンは、青春時代から最も愛した詩人の一人であり、なかでも『草の葉』は座右の書であった。彼は、同書に収められた、この一節を信越の男子部員に贈り、広布の新しき開拓への出発を呼びかけたことを思い起こした。
 
 悪戦苦闘を経た魂は、金剛の輝きを放つ。
 
 (「暁鐘」の章、18~19ページ)

※ホイットマンの詩は富田砕花訳

功徳の随喜の広がりが広宣流布

 <81年11月、伸一は、四国研修道場で開催された「愛媛の日」を記念する幹部会に出席。法華経に説かれた「随喜」について語った>
 
 「『随喜』とは喜びです。私たちの立場でいえば、南無妙法蓮華経という最高の法を聴いて湧き起こる喜びであり、大歓喜です。
 
 大聖人は、随喜は即信心であり、信心は即随喜であると仰せになっている。
 
 この法によって、あらゆる苦悩を克服し、一生成仏を成し遂げ、自身の最高の幸福境涯を確立していくことができる。さらに、一切衆生を未来永劫にわたって、救済していくことができる――それを確信するならば、妙法に巡り合えたことに、汲めども尽きぬ感謝の思いが、大歓喜が湧き起こるのを禁じ得ないはずです。また、その歓喜と躍動の生命は、既に大幸福境涯といってよい。
 
 そして、随喜すれば、人びとに妙法を語らずにはいられなくなり、おのずから折伏・弘教の実践が始まる。それが、ますます大功徳を積んでいくことになる。この随喜の広がりが広宣流布です。また、弘教は、信心の随喜がもたらす、自然の振る舞いなんです。
 
 随喜は、真剣な唱題と、自ら勇んで広宣流布を担おうとする主体的、能動的な実践のなかで、湧き起こるものであることを、深く心に刻んでいただきたい」
 
 伸一は、創価学会は民衆の歓喜のスクラムであり、学会活動の原動力は一人ひとりの歓喜であることを確認しておきたかった。最後に彼は、「『信心とは随喜である』を合言葉に、共に喜びの大行進を開始していきましょう!」と呼びかけ、あいさつとした。
 
 (「勝ち鬨」の章、79~80ページ)

日蓮仏法の本義に適う宗教改革

 <90年(平成2年)12月、宗門は、創価の師弟を離間する「C作戦」を決行。広布を阻む魔性の姿が明らかになっていく>
 
 同志は、宗門の強権主義、権威主義が露骨になるなかで、大聖人の根本精神を復興させ、人間のための宗教革命を断行して、世界広布へ前進していかねばならないとの自覚を深くしていった。その目覚めた民衆の力が、新しき改革の波となり、大聖人の御精神に立ち返って、これまでの葬儀や戒名等への見直しも始まったのである。
 
 学会では、葬儀についても、大聖人の教えの本義のうえから、その形式や歴史的な経緯を探究し、僧を呼ばない同志葬、友人葬が行われていった。
 
 日蓮大聖人は仰せである。
 「されば過去の慈父尊霊は存生に南無妙法蓮華経と唱へしかば即身成仏の人なり」(御書1423ページ)
 
 「故聖霊は此の経の行者なれば即身成仏疑いなし」(同1506ページ)
 
 これらの御書は、成仏は、故人の生前の信心、唱題によって決せられることを示されている。僧が出席しない葬儀では、故人は成仏しないなどという考え方は、大聖人の御指導にはないのである。
 
 また、戒名(法名)についても、(中略)大聖人の時代には、死後戒名などなく、後代につくられた慣習を、宗門が受け入れたに過ぎない。戒名は、成仏とは、全く関係のないものだ。
 
 大聖人の仏法は、葬式仏教ではなく、一切衆生が三世にわたって、幸福な人生を生きるための宗教である。各地の学会の墓地公園は、そうした仏法の生命観、死生観のもと、皆、平等で、明るいつくりになっている。 
 (「誓願」の章、318~320ページ)

第二の「七つの鐘」を打ち鳴らせ

 <2001年(同13年)11月、「創価学会創立記念日」を祝賀する本部幹部会が開催。席上、伸一は青年たちに、後継のバトンを託す思いで語った>
 
 「広宣流布の前進にあっても、“本物の弟子”がいるかどうかが問題なんです!」
 
 広宣流布という大偉業は、一代で成し遂げることはできない。師から弟子へ、そのまた弟子へと続く継承があってこそ成就される。(中略)
 
 「私は、戸田先生が『水滸会』の会合の折、こう言われたことが忘れられない。
 
 『中核の青年がいれば、いな、一人の本物の弟子がいれば、広宣流布は断じてできる』
 
 その『一人』とは誰であったか。誰が戸田先生の教えのごとく、命がけで世界にこの仏法を弘めてきたか――私は“その一人こそ、自分であった”との誇りと自負をもっています。
 
 どうか、青年部の諸君は、峻厳なる『創価の三代の師弟の魂』を、断じて受け継いでいってもらいたい。その人こそ、『最終の勝利者』です。また、それこそが、創価学会が二十一世紀を勝ち抜いていく『根本の道』であり、広宣流布の大誓願を果たす道であり、世界平和創造の大道なんです。
 
 頼んだよ! 男子部、女子部、学生部! そして、世界中の青年の皆さん!」(中略)
 
 会場の後方には、初代会長・牧口常三郎と第二代会長・戸田城聖の肖像画が掲げられていた。二人が、微笑み、頷き、慈眼の光で包みながら、青年たちを、そして、同志を見守ってくれているように、伸一には思えた。
 
 彼は、胸の中で、青年たちに語りかけた。
 
 “さあ、共に出発しよう! 命ある限り戦おう! 第二の「七つの鐘」を高らかに打ち鳴らしながら、威風堂々と進むのだ”
 
 (「誓願」の章、434~436ページ)

闘魂燃ゆ「紅の歌」
日蓮大聖人が立宗宣言された地・清澄山から望む朝日(2013年、千葉で本社カメラマン撮影)
日蓮大聖人が立宗宣言された地・清澄山から望む朝日(2013年、千葉で本社カメラマン撮影)

 <山本伸一は、1981年(昭和56年)11月、男子部の要請を受け、新愛唱歌「紅の歌」の推敲を重ねる。彼は、曲が入ったカセットテープを聴きながら、歌詞の意味を嚙み締め、心で後継の青年たちに語り掛けた>
 
 「ああ紅の 朝明けて……」
 
 雲を破り、真っ赤な太陽が昇る。刻一刻、空は紅に染まり、新生の朝が訪れる。
 
 「紅」とは、わが胸中に燃える元初の太陽だ! 時代を開かんとする熱き闘魂だ! 若々しき生命力の輝きだ!
 
 おお、旭光のごとく、世界広布へと先駆ける、凜々しき創価の丈夫たちよ! 「生命の世紀」を告げる暁鐘は、今、音高く打ち鳴らされ、栄光の朝が到来したのだ。栄光とは、不撓不屈の挑戦がもたらす、幸と勝利の光彩である。
 
 青年よ、恐れるな! 「驕れる波浪」を、そして、一切の障魔を打ち砕いて、前へ、前へと進みゆくのだ。
 
 広宣流布は、正義と邪悪との戦いである。正義だからといって、必ずしも勝つとは限らない。悪が栄える場合もある。ゆえに仏法は勝負なのだ。地涌の使命に生き、仏法の正義の旗を掲げ持つわれらは、断じて負けてはならない。勝たねばならぬ責任がある。
 
 地涌の菩薩とは、われら創価の民衆群像である。苦悩する人びとを救おうと、あえて五濁悪世の末法に出現したのだ。辛酸と忍耐のなかで、たくましく自らを磨き上げ、人生の勝利劇を演じ、仏法の偉大なる功力を証明せんと、勇んでこの世に躍り出たのだ。
 
 宿命の嵐が、吹き荒れる時もある。苦悩なき人生はない。しかし、広宣流布の使命を果たすために、勇気を燃え上がらせて戦う時、希望の虹は懸かり、苦悩は歓喜へと変わる。
 
 人間は、臆病になり、挑戦をやめ、希望を捨て、あきらめの心をいだくことによって、自らを不幸にしていくのだ。
 
 われらは妙法という根源の法に則り、満々たる生命力をたたえ、一つ一つの課題を克服しながら広布に走る。
 
 ありのままの自分を輝かせ、自他共の幸福を築くために。あふれる歓喜を胸に、誇らかに「民衆の旗」を掲げ、民衆の勝ち鬨を高らかに轟かせゆくために。
 
 (「勝ち鬨」の章、89~90ページ)

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 聖教電子版の「世界広布の大道 小説『新・人間革命』に学ぶ」第30巻<下>「解説編」の池田博正主任副会長の紙上講座と動画を閲覧できます。

 第30巻<下>「解説編」はこちら


第8回「原水爆禁止宣言

2021年08月27日 | 妙法

第8回「原水爆禁止宣言」 一人一人の心に“平和の炎”を2021年8月27日

  • 〈君も立て――若き日の挑戦に学ぶ〉
イラスト・間瀬健治
イラスト・間瀬健治
【「若き日の日記」1957年(昭和32年)11月18日から】
先生の師恩は、山よりも高し。
海よりも深し。忘れじ、われは。
偉大なる師の歴史を世界に示さん。
「原水爆禁止宣言」を発表する第2代会長・戸田城聖先生(1957年9月8日、横浜で)。この歴史的な宣言が、学会の平和運動の原点となった
「原水爆禁止宣言」を発表する第2代会長・戸田城聖先生(1957年9月8日、横浜で)。この歴史的な宣言が、学会の平和運動の原点となった
原子爆弾だけは許せん

 「……核あるいは原子爆弾の実験禁止運動が、今、世界に起こっているが、私は、その奥に隠されているところの爪をもぎ取りたいと思う」
 1957年(昭和32年)9月8日、横浜・三ツ沢の競技場で行われた青年部の「若人の祭典」の席上、第2代会長・戸田城聖先生の烈々たる師子吼が轟いた。
 「それは、もし原水爆を、いずこの国であろうと、それが勝っても負けても、それを使用したものは、ことごとく死刑にすべきであるということを主張するものであります」
 この年、世界は東西冷戦下の“分断”の中にあった。「核抑止論」による軍拡によって、核実験が繰り返されていた。
 事態を憂慮した戸田先生は、青年への“遺訓の第一”として、「原水爆禁止宣言」を訴えたのである。
 戸田先生は、生命尊厳を第一義とする仏法者として、死刑制度には反対であった。それでも、あえて「死刑に」と叫んだのは、原水爆を保有し、使用したいという人間の“己心の魔性”を絶対悪と断じるためだった。
 戸田先生の核兵器なき世界への思いは、同宣言の前から一貫していた。
 56年(同31年)6月、福岡の八幡市(現・北九州市)では、「原爆などを使う人間は最大の悪人だ!」と叫んだ。宣言の2カ月前の7月、雑誌での対談でも、「原子爆弾だけは許せん。アメリカでも、ロシアでも、どっちであっても、そういうことは断じて許さん」と強く訴えている。
 「原水爆禁止宣言」から2カ月後、戸田先生は広島を訪れる予定だった。平和記念公園に立つ広島平和記念館(当時)での決起大会に出席するためである。
 しかし、戸田先生の体調をよく知っていた池田大作先生は、広島行きが恩師の命に関わるのではないかと案じた。「師のお身体、極度に衰弱」「おやつれ、甚だし」(『若き日の日記』、1957年11月19日)。
 戸田先生の広島への出発の前日、池田先生は恩師のもとに急行した。

戸田先生が「原水爆禁止宣言」の草稿を書いた手帳
戸田先生が「原水爆禁止宣言」の草稿を書いた手帳
被爆地・広島への思い

 「ご無理をなされば、お体にさわり、命にもかかわります。おやめください」
 1957年(昭和32年)11月19日、池田先生は、戸田先生に対し、広島行きをやめるよう懇願した。
 戸田先生は毅然と答えた。
 「そんなことができるものか。……そうじゃないか。仏のお使いとして、一度、決めたことがやめられるか。俺は、死んでも行くぞ」
 しかし、出発の日の朝、戸田先生は自宅で倒れてしまう。池田先生は、この時の真情を述べている。
 「先生の被爆地・広島への思いは、いかばかりであったろうか。核兵器という『サタン(悪魔)の爪』に破壊された広島へ、命と引きかえで出発する覚悟だった」「生命を賭して、広島行きを望まれた、あの師の気迫は、生涯、わが胸から消えることはない。いな、それが、私の行動の原点になった」
 同23日、戸田先生は、「原水爆禁止宣言」をテーマにした第5回の女子部総会に出席する予定だった。しかし、体調の悪化により参加できず、青年室長の池田先生が恩師の名代として出席した。
 総会には1万2千人が集い、原子力問題を論じる研究や、被爆した女子部員の体験などが発表された。池田先生は、「原水爆禁止宣言」の精神の継承を呼び掛けた。
 「日本の中でも創価学会、創価学会の中でも青年部員が、会長先生(戸田先生)の、この宣言を伝えていこうではありませんか」
 また、「原水爆禁止宣言」の発表から1年後の58年(同33年)9月26日、池田先生は本紙に、「火宅を出ずる道」と題する一文を寄せた。
 「原水爆の使用は、地球の自殺であり、人類の自殺を意味する」「その根本は、人生の目的、人生の幸福への、正しく強き理念を失った人の、末路の姿である」
 そこには、“恩師の平和の叫びを虚妄にしてはならない”との強い思いと、“戸田先生の遺訓が成就するまで、断じて戦い抜く”との池田先生の覚悟がつづられていた。

「平和への発信を全世界が期待している。今、広島、中国は大いなる『希望の天地』として輝こうとしている」――第3回中国総会(第66回本部幹部会)に出席した池田先生は、広島そして中国の深い使命に言及した(1993年5月26日、広島池田平和記念会館で)
「平和への発信を全世界が期待している。今、広島、中国は大いなる『希望の天地』として輝こうとしている」――第3回中国総会(第66回本部幹部会)に出席した池田先生は、広島そして中国の深い使命に言及した(1993年5月26日、広島池田平和記念会館で)
「火宅を出ずる道」

 池田先生が記した「火宅を出ずる道」には、「三界は安きこと無し 猶火宅の如し」(法華経191ページ)が引用されている。
 法華経の「三車火宅の譬え」は、長者の家が火事になり、さまざまな方便を駆使して、子どもたちを助け出すたとえ話である。燃え盛る家(火宅)は、煩悩の炎に包まれた現実の世界(三界)をたとえている。
 池田先生は、核兵器という「未曽有の脅威に覆われた“火宅”から抜け出す道を共に進まねばならない」との強い願いを込めた。
 いかにして人類を“火宅”から助け出すことができるのか――池田先生は、恩師亡き後も、“遺訓の第一”を生命に刻み、日本中、世界中を駆け巡った。多くの対談集でも、核廃絶の信条を訴え抜いた。それに呼応した青年部は、反戦出版、核廃絶1千万署名等、草の根の平和運動を展開していった。
 「ニューヨークは暑いよ」「みんな元気で! 無事故で行ってらっしゃい。祈っています」――1982年(昭和57年)5月、広島と長崎から集った被爆者・被爆2世との懇談で、池田先生は温かく語り掛けた。米ニューヨークの国連本部で開催される国連軍縮特別総会に際し、学会が派遣するメンバーだった。
 彼らは訪問先で、「被爆証言を聞くNGOの集い」や「反核討論集会」などを実施。この期間、被爆者たちと語らったハーバード大学のモンゴメリー博士は、彼らが未来を志向し平和を訴える姿に衝撃を受けた――“池田会長を慕う被爆者が、憎悪を超えて、人類の融合のために戦っている”。被爆者たちは、その姿を通し、師匠から教わった仏法の生命哲学への共感を広げたのである。
 池田先生の平和行動の偉大さは、一人一人の心に生命尊厳の平和の明かりをともし続けてきたことにある。心の中に“平和の砦”が築かれていってこそ、真の平和がある。
 池田先生は呼び掛けた。「恩師の遺訓のまま我らは弛まず進む。それは『元品の無明』を破って『元品の法性』を開き、民衆一人一人の心に平和の砦を築く地涌の挑戦である。『生命尊厳』を地球社会の柱に打ち立てゆく精神闘争だ」

平和原点の地・長崎を訪問し、優美な大村湾にカメラを向ける池田先生(1982年5月、諫早文化会館で)
平和原点の地・長崎を訪問し、優美な大村湾にカメラを向ける池田先生(1982年5月、諫早文化会館で)