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「水滸会・華陽会〈上〉」 誓いを果たす人間が正義の勝利者

2022年10月28日 | 妙法

第22回 「水滸会・華陽会〈上〉」 誓いを果たす人間が正義の勝利者2022年10月28日

  • 〈君も立て――若き日の挑戦に学ぶ〉
イラスト・間瀬健治
イラスト・間瀬健治
【水滸会での指針】
一、覇道ではなく、王道の人たれ!
一、二百年後を見つめて進みゆけ!
一、同志が全世界に打って出て、全人類を結べ! 青年を連帯させよ!
(「随筆 人間世紀の光」〈桜花の誓い〉)から
2009年6月4日、池田先生は香峯子夫人と共に創価女子会館(現・創価池田華陽会館)を初訪問し、ピアノを奏でた。この日が「世界池田華陽会の日」として刻まれ、今、華陽姉妹の連帯は世界中に広がっている
2009年6月4日、池田先生は香峯子夫人と共に創価女子会館(現・創価池田華陽会館)を初訪問し、ピアノを奏でた。この日が「世界池田華陽会の日」として刻まれ、今、華陽姉妹の連帯は世界中に広がっている
◆地涌の女性の使命

 本年は、青年部の人材育成グループ「水滸会」「華陽会」が結成されてから70周年の節目を刻む。
 「華のように美しく、太陽のように誇り高くあれ」――戸田先生の願いを込め、女子部の「華陽会」が誕生したのは、1952年(昭和27年)10月21日のことであった。
 この日、東京・市ケ谷のレストランに、代表20人が集った。西洋料理を囲みながら、先生は華陽会のメンバーに一流のマナーを教えた。そして、こう語った。
 「法華経を信ずる以上、女人といえども『諸善男子』だ。『男女はきらうべからず』(新1791・全1360)です。誰とでも、堂々と議論できるようになりなさい」「いちばん大切なのは、教学です。みんなも教学を真剣に身につけなさい」
 恩師は、広布を進め、社会を変革していくためには、仏法を根幹とする女性リーダーの育成が不可欠だと考えていた。
 華陽会の発足の数年前、戸田先生は女性たちと共に、小説などをテキストに勉強会を開くようになった。『九十三年』『永遠の都』等の革命小説が、教材として選ばれた。
 華陽会の結成後は、月2回のリズムで、『二都物語』『人形の家』『若草物語』『ポンペイ最後の日』などの世界的な名作を、恩師のもとで学び合っていくようになる。
 戸田先生は読書の姿勢や読み方に加え、仏法の生命観に基づき、小説に登場する主人公の心を捉えていく大切さを教えた。「本に出てくる人物のことだけと思っているだろうが、それではいけない。皆の生命の中にも、この人々の生命と同じものがあるのだ」
 一回一回の薫陶を通して、華陽の乙女たちは、広布の中核を担うリーダーへ成長を遂げていった。恩師は華陽会で、“地涌の女性”の尊き使命を強く訴えている。
 「今、この時間に、いったい世界のどこに、民衆のために憂え、二十一世紀から末法万年尽未来際の世界を論じている女性がいるだろうか」「あなたたちは、久遠の約束のもとに、選ばれて、ここにいるのだ」

【「若き日の日記」1954年(昭和29年)10月13日から】
恐るるな。おじけるな。
そして己が信念と正義のため、突き進みゆけ。
青年らしく。学会の先駆者の如く。
華陽会の教材となった『ポンペイ最後の日』と『二都物語』。池田先生も、これらの著作を通しスピーチを行っている
華陽会の教材となった『ポンペイ最後の日』と『二都物語』。池田先生も、これらの著作を通しスピーチを行っている
◆宗教革命の鳳雛

 華陽会の発足から2カ月後の1952年(昭和27年)12月16日、男子部の「水滸会」が結成された。
 結成を誰よりも待ち望んでいた池田先生は、この日の日記につづっている。
 「『水滸伝』の序文を読み、(戸田)先生、水滸会の意義、使命、確信を述べられる。此の座に集いし数、三十八名なり。宗教革命、政治革命、社会革命を断行しゆく鳳雛である。皆、闘志満々たり。意気天をつく」
 水滸会は、恩師と愛弟子の“師弟の呼吸”のもとで誕生した。
 50年(同25年)8月24日、戸田先生は、経営する信用組合の破綻に直面し、理事長を辞任する意向を発表。同年秋ごろから、事業整理の間隙を縫って、池田先生をはじめとした青年数人と、小説を教材に会合を持つようになった。この薫陶は、51年(同26年)の戸田先生の第2代会長就任直後まで続いた。
 恩師は、広布の中核を担う後継者のさらなる育成のため、池田先生に青年を薫陶する組織や企画について一任。そうした中で、『水滸伝』を教材とする同会が発足をみたのである。
 結成に際し、戸田先生はメンバーに言明した。
 「社会に貢献する有能な社会人、妙法という偉大な哲学に目覚めた正真正銘の社会人に成長し、思う存分に活躍してもらいたい。これが、乱れきった末法における民衆救済の大道なんです」
 水滸会も、華陽会と同様、月2回のリズムで定例会が行われていった。
 しかし、結成翌年の53年(同28年)6月、水滸会の訓練が突然打ち切られることがあった。求道心を失ったメンバーの姿に、戸田先生が激怒したのである。
 恩師は語気を強めた。
 「誰が、水滸会をこんなにしてしまったのだ。君たち自身ではないか。あの青年だけの責任ではないはずだ」
 このままでは、水滸会の訓練が終わってしまう――誰よりも強い危機感を抱いたのは、池田先生だった。会の目的を見失ったメンバーが、師の心を知らず、惰性に陥ってしまったことを反省した。
 「(戸田)先生の怒りは、全部、吾人の責任と猛省」(『若き日の日記』、1953年6月16日)
 池田先生は唱題と思索を重ね、三つの誓いからなる宣誓文を戸田先生に提出する。そこには「御本尊に対する誓い」「師匠に対する誓い」「会員同志の誓い」がうたわれ、広布への不惜身命の決意が込められていた。「水滸の誓」である。
 そして、新たに人選された43人が、恩師の前でこの宣誓文に署名し、新生の「水滸会」がスタートを切った。同年7月21日のことであった。

「水滸会」の第2回野外研修に出席する戸田先生と池田先生(1955年6月、山梨で)
「水滸会」の第2回野外研修に出席する戸田先生と池田先生(1955年6月、山梨で)
◆左様にいたします

 水滸会のテキストは、『水滸伝』に始まり、『三国志』『モンテ・クリスト伯』『ロビンソン・クルーソー』『隊長ブーリバ』などを読み進めていった。
 華陽会、水滸会の薫陶は、新しいメンバーが加えられながら、56年(同31年)5月まで重ねられていく。
 小説を教材にした華陽会、水滸会であったが、いわゆる“読書会”ではなかった。恩師が強調したのは、「書を読め、書に読まれるな」ということである。
 どこまでも日蓮大聖人の哲学を深めることが目的だった。仏法を根幹とした考え方を小説を通して学んでいった。
 また小説は、学歴の有無に関係なく、共通して学ぶことができ、青年の生き方を示す格好の題材でもあった。
 54年(同29年)、水滸会で『モンテ・クリスト伯』を扱った時、戸田先生はこう力説している。
 「青年には信用が財産である。しかも、信用を得る根本は、約束を守るということである」「いったん引き受けた約束は、何を犠牲にしても絶対に守ることだ」 同年2月の定例会の前日、戸田先生が病で発作を起こしたことがあった。しかし、水滸会に命を懸けていた恩師は、体調不良を押して断行した。
 この日の日記に池田先生は記した。
 「(戸田)先生の、不死鳥の如き生命力を、いつも驚嘆しゆくは、吾れ一人に非ず」「昨日のことは、全くふれられず、悠々たる先生」(同、54年2月9日)
 恩師の思いに応えようと、池田先生も、死力を尽くして水滸会の企画に当たった。回ごとの担当責任者と共に、時代背景や議題にすべきことなどを調べあげて臨んだ。
 また定例会で要領を得ない質問が飛ぶと、池田先生は「こういうことをお聞きしたいんだろう」と“助け船”を出し、戸田先生が答えやすいよう心を配った。愛弟子の周到な準備と配慮があったことで、恩師は安心して、胸中の構想を青年たちに託すことができたのである。
 「六時、水滸会」「東洋広布の進め方、日本の広宣流布の仕上げ方等の、遺言にも似た、指導となる」(同、55年9月27日)
 戸田先生の語った内容とともに、参加者の頭に焼き付けられたのが、水滸会での池田先生の姿である。
 必ず戸田先生の正面に、池田先生は身を正して座った。そして恩師の語ったことに対して、「はい」「左様にいたします」と即座に応じた。
 愛弟子は、水滸会での恩師の指導を「知識」として受け止めていたのではなかった。弟子の「誓い」として深く心に刻んでいたのである。
 池田先生は、水滸会での薫陶を振り返りながら、こう述べている。
 「誓いを捨てた人生は、いかに自己正当化しようが悔恨の地獄であり敗北。若き日の誓いを果たし抜く人生は、晴れ晴れと永遠に輝く正義の勝利者なのだ」
 師弟の誓いを立て、その誓いを果たすために戦い抜く――池田先生が水滸会を通して示した姿こそ、青年部人材グループが継承する“不滅の魂”である。

深い緑に囲まれ、清流をたたえる東京・奥多摩(1984年5月、池田先生撮影)。54年9月、同地にある氷川のキャンプ場で、戸田先生のもと、「水滸会」の第1回野外研修が行われた。池田先生は当時を思い起こしながら、「青年よ、最極の尊き広宣流布の全責任を担い、戦え! 断じて創価大勝の永遠の道を切り開け!」とつづっている
深い緑に囲まれ、清流をたたえる東京・奥多摩(1984年5月、池田先生撮影)。54年9月、同地にある氷川のキャンプ場で、戸田先生のもと、「水滸会」の第1回野外研修が行われた。池田先生は当時を思い起こしながら、「青年よ、最極の尊き広宣流布の全責任を担い、戦え! 断じて創価大勝の永遠の道を切り開け!」とつづっている

任用試験に向けて㊦2

2022年10月27日 | 妙法

希望の指針――池田先生の指導に学ぶ〉 任用試験に向けて㊦2022年10月27日

  • 地道な活動に本当の勝利が

 連載「希望の指針――池田先生の指導に学ぶ」では、テーマごとに珠玉の指導・激励を掲載します。今回は「教学部任用試験(仏法入門)」の出題範囲である、「教学入門」「世界広布と創価学会」について、先生の言葉を紹介します。(㊤は9月28日付、㊥は10月4日付)

【教学入門】
自転と公転のように

 人を救うということは、自分自身の宿命転換に通ずるということであります。人の生命に妙法を涌現させていく戦いをしていくことが、自分自身の生命の扉を開いていくわけであります。これは、あたかも地球が自転と公転を同時にしながら、己の厳しき軌道を運行している姿にも似ております。公転は広宣流布、一生成仏は自転とも考えられます。
  
 (『池田大作全集』第24巻、433ページ)
  

現実に「結果」を示す

 どんなに立派なことを言っても、またすばらしい話を聞いたとしても、自分自身が現実に「満足」と「勝利」の実証を示さねば、意味がない。観念論、抽象論になってしまう。それでは、仏法ではない。実像の人生でもない。
  
 ご家庭でも、ご主人が「明日は一緒に勤行するよ」と口先ばかりで約束しても、空手形では、文証があって現証がないようなものである。だから奥さんに叱られる。やはり「結果」が大事である。
  
 (『池田大作全集』第74巻、487ページ)
  

何事も「最初が肝心」

 何事も「最初が肝心」であり、「基本が大事」である。
  
 スポーツなどでも、最初は基本動作を何度も繰り返し、徹底して体に覚え込ませることから始める。
  
 基本をいい加減にして、一流になった選手は一人もいないだろう。
  
 いわんや、信心は、永遠の幸福への大道である。当然、基本を正しく身につけることは絶対に不可欠である。
  
 その信心の基本が、「信・行・学」の実践だ。
  
 (『池田大作全集』第132巻、460ページ)
  

人々にもまれてこそ

 十界互具であるから、人間界にも、じつにさまざまな人がいる。その中で、もまれていってこそ大指導者になれるのである。相撲でも横綱になるには、いろんな力士と対戦しなければならない。それと同じである。
  
 「いちばん地道な活動が、いちばん大事な戦」と決めて戦うことである。そこに、本当の勝利が生まれる。「地道」に徹し、「地道」を粘り強く繰り返しているところが強い。この方程式を忘れないでいただきたい。
  
 (『池田大作全集』第89巻、311ページ)
  

この一句に全てある

 大聖人が万人の成仏を実現する根源の仏種として説き明かされた「南無妙法蓮華経」の一句には、仏が説いたあらゆる教えが含まれます。その一句を信受することにより、万人に本来具わる仏界の生命を開き現し、生死の苦悩と悲哀を常楽我浄へと大転換させゆくことができるのです。
  
 (『勝利の経典「御書」に学ぶ』第11巻、111ページ)
  

「凡夫即極」の勝利劇

 大聖人は、一人の凡夫として一身に大難を受けられながら、法華経の経文を身で読まれ、仏の金言が真実であることを証明されました。
  
 大聖人の御生涯そのものが、「凡夫即極」を示された宗教革命の偉大な勝利劇であられたのです。
  
 そして、この大聖人に連なって立ち上がり、妙法を唱え弘める門下もまた「凡夫即極」の実践者となることは、御聖訓に照らして絶対に間違いありません。
  
 (『御書と師弟』第1巻、48ページ)
  

苦難は信心試すため

 「今まで」どうだったかではない。大切なのは、「これから」どうかである。今まで以上に、強盛な信心を奮い起こすことだ。その人を、ありとあらゆる諸天善神が、必ず守っていく。「三類の強敵」が現れるのも、「三障四魔」が競い起こるのも、ありとあらゆる苦難は、自分自身の信心を試しているのである。すべて、仏界の生命を開いていくために必要なことなのだ。
  
 ゆえに、いちだんと信心を強めていけば、絶対に乗り越えていける。勝っていける。強盛な信心があるかぎり、乗り越えられない苦難はない。
  
 (『池田大作全集』第99巻、71ページ)
  

牧口先生、戸田先生の胸像を見つめる池田先生(1992年1月、神奈川・横浜平和講堂で)。先生は語っている。「私は、仏法を破壊する三類の強敵に対して面と向かって戦ってきた。勇気!――これが学会精神だ。三代の師弟の勇気によって、今日の大発展の礎がつくられたのである」と
牧口先生、戸田先生の胸像を見つめる池田先生(1992年1月、神奈川・横浜平和講堂で)。先生は語っている。「私は、仏法を破壊する三類の強敵に対して面と向かって戦ってきた。勇気!――これが学会精神だ。三代の師弟の勇気によって、今日の大発展の礎がつくられたのである」と
【世界広布と創価学会】
仏法をわかりやすく

 現代の人々に、この日蓮大聖人の仏法を“よりわかりやすく”“より平明に”説こうと、努力に努力を重ねてきたのが学会の歴史である。戸田先生も本当に苦心されていた。
  
 この苦労があったればこそ、人々の心をとらえ、ここまで広がった。「広宣流布」の道ができあがったのである。
  
 むずかしいまま言うのは簡単である。しかし、それだけでは、より多くの人々の間に仏法を広げ、幸福に導くことはできない。このことをリーダーは忘れてはならない。
  
(『池田大作全集』第75巻、437ページ)
  

「正しい信仰の世界」

 宗教は本来、人に安心をあたえるものである。そこへ行けば、ほっとする。楽しい。希望がわく。心が明るく軽くなる。これが、真の信仰の集いである。それが「人間のための宗教」である。
  
 反対に、人に気をつかわせ、神経をつかわせ、疲れに疲れさせるのは、その一点だけでも、正しい信仰の世界ではない。“宗教のために人間がいる”のか。“人間のために宗教がある”のか。私どもは断じて「人間のため」が正しいと思う。
  
(『池田大作全集』第79巻、411ページ)


談論風発 対話は楽し

2022年10月26日 | 妙法

随筆「人間革命」光あれ〉池田大作 談論風発 対話は楽し2022年10月26日

  • 「励ましの言葉」から幸福と平和を拡大
秋の日差しの下、色あざやかなコスモスを中心に、明るい花々の園が広がる。まるで創価の友の朗らかな笑顔の輪のように。誘われて、チョウも花の輪の中に(池田先生撮影。今月、都内で)
秋の日差しの下、色あざやかなコスモスを中心に、明るい花々の園が広がる。まるで創価の友の朗らかな笑顔の輪のように。誘われて、チョウも花の輪の中に(池田先生撮影。今月、都内で)

 我らの広宣流布は、「平和の文化」の創造である。その一環として、各国・各地で多彩な展示を行っている。
 「世界の書籍展」も初開催より満二十年。明日(二十七日)から始まる読書週間に呼応して、まもなく、恩師・戸田先生と縁の深き東京・中野区で開かれる。
 先生のもとで、世界の名著・名作を師弟して学び合った日々が蘇る。
 『三国志』を教材にして、「青年ならば、諸葛孔明のごとく頭を使え! 智慧を出せ! 民衆のために勝ちまくれ」と、厳しくも温かく励ましてくださった声が忘れられない。
 その諸葛孔明は、“真の人士が互いに深い知己となる交友とは、四季を通して変わらず、衰えないようなものであり、順境と逆境を経るほどに、ますます強固になる”という意味の言葉を残している。
 孔明が劉備と結んだ生涯にわたる“水魚の交わり”が、まさにそうであった。
 戸田先生は、よく「折伏すれば信用が残る」と語られていた。友の幸福を本気で祈り願っての対話は、一時の感情を超えて、真の友情を育んでいくのだとの、固い確信であった。

広布の旗を掲げ

 「日蓮が慈悲曠大ならば、南無妙法蓮華経は万年の外未来までもなが(流)るべし」(新261・全329)
 広宣流布大誓堂に設置された「誓願の碑」に記した「報恩抄」の一節である。
 末法万年尽未来際へ放たれた、この御本仏の誓願に連なり、慈折広布の旗、大法弘通の旗を掲げ、地涌の使命に立ち上がったのが、我ら創価学会である。
 七十五年前(一九四七年)の十月、戸田先生は当時の機関紙「価値創造」に「折伏」について執筆された。
 いまだ戦後の混乱と荒廃の只中であった。
 恩師は「立正安国論」で指摘された「三災」、つまり「穀貴」(飢饉等による穀物・物価の高騰)、「兵革」(戦乱)、そして「疫病」(感染症の流行)に苦しむ庶民を深く思いやられつつ、青年に呼び掛けた。
 ――妙法受持の功徳は、万人一様に生命力を旺盛にする。ゆえに、折伏行によって受持の人びとを充満させていくのだ。そこに、経済、文化、芸術等に最高度の能力を発揮し、国土を再建させる道が開かれる、と――。
 この年に入信した十九歳の私も命に刻んだ。師弟不二の若人たちの折伏また折伏の挑戦は、地涌の菩薩を澎湃と涌出させ、その社会への展開が「驚異的な戦後の復興」に絶大なる貢献を果たしたのである。
 この創価学会の足跡を、「経済分野における日本国民の物質的成功に匹敵する精神的偉業」と賞讃してくださったのが、他でもない二十世紀を代表する歴史家・トインビー博士である。

広布の道を、師と共に、同志と共に(2004年、八王子市の東京牧口記念会館で)
広布の道を、師と共に、同志と共に(2004年、八王子市の東京牧口記念会館で)
苦闘も思い出に

 折伏は「難事中の難事」である。私も若き日に、思うように語れなかったり、真剣に語っても相手が聞く耳を持たなかったりしたことが、何度あったことか。試行錯誤の連続であった。
 送った手紙が、そのまま送り返されたことも、約束の場所に友人が現れず、待ち続けたこともあった。
 だが私の心には、広布の拡大で、戸田先生に喜んでもらうのだとの闘魂が赤々と燃えていた。師への報恩と感謝こそが前進の原動力となったのである。
 ――若いのだ。相手が聞かなくても、卑屈になるな。胸を張り、自信満々と語れ。
 「青年よ、何といわれても進め。折伏だ。大聖人の弟子らしく。戸田先生の門下らしく」と日記に記した。
 そうした苦闘の中で実らせた一つ一つの弘教は、まさしく「今生人界の思い出」(新519・全467)と輝いている。
 折伏は、すぐに実る時もあれば、なかなか実らない時もある。しかし、仏法を語り、種を蒔くこと自体が尊い下種の実践である。
 勤行で読誦する自我偈には「速成就仏身」(速やかに仏身を成就す)とある。
 仏が常に、全ての衆生を「仏の境涯」に導くことを念じ、法を語り続けていることを説いた経文である。
 「御義口伝」には、この経文は不軽品の「皆当作仏」(皆当に作仏すべし)と同じ意義であると示されている(新1069・全767)。
 私たちは朝に夕に、御本仏のお心に直結して万人の成仏を祈り、折伏への不退の決意で、「地涌の菩薩」としての使命を生命に染め抜いてきた。だからこそ、世界中に人華のスクラム、宝塔の連帯が広がったのだ。

真心と確信こそ

 日蓮大聖人は「声を聞いて心を知る。色法が心法を顕すなり」(新663・全469)と、声を聞かせることにより、真心が伝わると仰せである。
 日夜、自他共の幸福のため、尊き汗を流しゆく創価家族から発せられる言葉こそ、仏の慈悲の声なのだ。
 先師・牧口先生は教えてくださった。
 「折伏は慈悲である。『彼がために悪を除くは、即ち是れ彼が親なり』との金言のように、抜苦与楽の真心で折伏するのである」と。
 戸田先生も断言された。
 「“ああ、この人は気の毒だ”と思う心から、じゅんじゅんと御本尊様のありがたいことを教えてやればいいのです。理屈などはいりません」
 我らには「祈りとしてかなわざるなし」の御本尊がある。悲哀の人生を希望に変え、宿命を使命に変え、絶望を前進の勇気に変える妙法がある。「友の喜び友の歎き一つなり」(新1267・全934)という同志の励まし合いがある。
 信仰の歓喜を胸に、友に幸せになってもらいたいという情熱と、絶対に幸せになれるとの確信を、朗らかに誠実に伝えていけばいいのだ。ありのままに、自分らしく伝えていくことだ。

真実は人を結ぶ

 「真実は人間を一つに結び、結合させる力を持っている」――これは“欧州統合の父”として、国境を超えた連帯の創出へ尽力したクーデンホーフ=カレルギー伯爵の信念である。
 母君の祖国に来日された伯爵と初めてお会いしたのは、五十五年前(一九六七年)の十月であった。
 伯爵は語っておられた。
 「創価学会による日本における仏教の復興は、世界的な物質主義に対する、日本からの回答であると思います。宗教史上、新たな時代を開くものとなるでしょう」と。鋭き慧眼は、創価の人間革命に、「世界宗教」の未来を見出していた。
 伯爵と私は、三年後(一九七〇年)の十月にも、四度、計十数時間の対話を重ねた。その内容は『文明・西と東』として出版され、今、八十点に及ぶ世界の知性との対談集の第一号となった。
 「戸田大学」の卒業生として、私は国家指導者とも、市井の一市民とも、少年少女とも、どんな立場や信条の人とも、同じ人間として語り合い、心を結んできた。人びととの胸襟を開いた対話によって、「人間主義の宗教」「人間のための宗教」の本質を、明快に示してきたのである。
 世界のあちこちに分断や対立の悲鳴が聞こえる現代にあって、「生命」という普遍の大地に根ざし、人びとを結ぶ言論の光が、今ほど待望される時はない。

初会見から3年後、再会した“欧州統合の父”クーデンホーフ=カレルギー伯爵と、人類の明日を展望する対話を。伯爵は、創価学会の運動に仏教のルネサンスを見ていた(1970年10月、信濃町の創価文化会館で)
初会見から3年後、再会した“欧州統合の父”クーデンホーフ=カレルギー伯爵と、人類の明日を展望する対話を。伯爵は、創価学会の運動に仏教のルネサンスを見ていた(1970年10月、信濃町の創価文化会館で)
黄金の共戦譜を

 大聖人は、「大悪は大善の来るべき瑞相なり。一閻浮提う(打)ちみだ(乱)すならば、『閻浮提内、広令流布(閻浮提の内に、広く流布せしむ)』は、よも疑い候わじ」(新1969・全1467)と宣言なされた。
 混迷の世界情勢や長引くコロナ禍など、乱世の様相を深める社会にあっても、いな、だからこそ、我らは抜苦与楽の「勇気」即「慈悲」で、他者をも幸福の直道に導かんとする仏法対話を、わが使命の天地で、地道に着実に広げていきたい。
 ことに、愛する従藍而青の青年たちが、各地で開かれる「SOKAユースフェスタ」を一つの決勝点とし、教学部任用試験(仏法入門)の研鑽とともに、広布拡大に勇んで挑んでくれている。頼もしい限りだ。
 不二の若師子・男子部! 広布の花と輝く“華陽姉妹”! 希望の太陽・ヤング白ゆり世代! そして、先駆の知性・学生部!
 創価の未来は、若き人材が育ちゆくところから洋々と開かれる。この若き熱と力から、社会の安穏も、世界の平和も限りなく広がっていくに違いない。
 アメリカ・ルネサンスの思想家エマソンは、「諸君は善良なもの高尚なもののすべてを伝え、運ぶ人となるべきである」と言った。
 それには人格、人間性が大事である。そして、いかなる「言葉の力」「対話力」を持つかが勝負となる。
 広宣流布の戦いは、言論戦である。言葉で戦うのだ。邪悪を打ち破る正義の言葉、苦難に打ち勝つ力を贈る智慧と励ましの言葉で――。
 恩師は言われた。
 「創価学会は、地球上で最も尊厳な生命を守り、どれだけの人に妙法を受持せしめ、幸せにしたかということを数えるのである」
 この生命尊厳の哲理を、一人また一人へと広げ、全世界を強く、明るく照らしゆく幸福と平和の大行進を、一緒に開始しよう!
 談論風発、快活な対話はなんと楽しいことか!
 共々に誉れの使命を果たし抜く、「語らいの黄金の共戦譜」を、にぎやかに綴りゆこうではないか!
  
 (随時、掲載いたします)       

 〈引用文献〉孔明の言葉は中林史朗著『諸葛孔明語録』(明徳出版社)参照。クーデンホーフ=カレルギーの最初の言葉は『倫理と超倫理』鹿島守之助訳(鹿島研究所出版会)から引用。エマソンは『エマソン選集4 個人と社会』原島善衛訳(日本教文社)。


人を育てるロマンと喜び

2022年10月23日 | 妙法

人を育てるロマンと喜び 池田大作先生の写真と言葉「四季の励まし」2022年10月23日

 【写真説明】眼前に紺碧の大河が広がる。「エジプトはナイルの賜物」――歴史家ヘロドトスの言葉を思わずにいられない。世界最長6695キロのこの川は肥沃な土壌をもたらし、古代文明を生み出してきた。1992年(平成4年)6月、池田大作先生はエジプトへ2度目の訪問。ナイルと、両岸に広がるカイロの町並みをカメラに収めた。
 大河の水はいつもそこにあるように見えて、一時として流れを止めない。水は常に新しく、海を目指して進み、野を潤す。世界広宣流布もまた、常に新しい決意で、新しい人材を育て続けることで、大河へと広がり、人類を人間共和の連帯で満たしていく。
 

池田先生の言葉

 人を育てることは、
 自分も
 大きくなることである。
 人に教えることは、
 自分も
 賢くなることである。
  
 「法」といっても所詮、
 弘めるのは「人」である。
 ゆえに
 人を育てることこそ、
 究極の「陰徳」と
 いってよい。
 その「陽報」は、
 まさに計り知れないのだ。
  
 初めて会合に
 来てくれた友がいる。
 悩みを抱えて、
 真剣に題目を
 唱え始めた友がいる。
 勇気を奮って
 対話に挑戦した友がいる。
 目立たなくとも、
 黙々と動いてくれる
 友がいる……。
 皆、どれほど尊い
 使命の方々か! 
 誰もが、大切な
 広布の人材なのだ!
  
 皆の成長を願い、
 胸襟を開いて
 語り合うことだ。
 一人一人に心を配り、
 足を運ぶことだ。
 その祈りと
 行動があるところ、
 どんな心の扉も、
 必ず開かれていく。
  
 まず共に実践である。
 人のために、
 祈り、動き、語る。
 この菩薩行の中で、
 言い知れぬ充実と
 歓喜を味わい、
 確信をつかみとる。
 これが、人材を育てる
 学会の誉れの伝統である。
  
 一回の出会いでも、
 一言の激励でも、
 それが種となって、
 多くの実を結ぶ。
 心も躍る、
 その結実を見守りながら、
 さらに明日へ
 希望の種を蒔いていく――
 これが、
 地道でありながら
 ロマンに満ちた
 学会の庭の手づくりの
 人間教育である。


1969年(昭和44年)「建設の年」

2022年10月19日 | 妙法

〈栄光の共戦譜〉第10回 1969年(昭和44年)「建設の年」2022年10月19日

正義の言論を高らかに!

 池田先生の第3代会長就任60周年を記念して発刊された年譜『栄光の共戦譜』には、黄金の“師弟の足跡”がとどめられている。本連載では、年譜を1年ごとに追いながら、現在の広布の活動に通じる“学会の原点”を確認していく。第10回は、「建設の年」と銘打たれた1969年(昭和44年)を掲載する。

「2・5」井上靖と初会談
「8・17」文芸部結成の日
池田先生との会談の席上、井上靖氏は「日本文化に貢献するためにも、ぜひ」と、連載対談の実現を強く望んだ(1975年3月4日、東京・信濃町で)
池田先生との会談の席上、井上靖氏は「日本文化に貢献するためにも、ぜひ」と、連載対談の実現を強く望んだ(1975年3月4日、東京・信濃町で)

 小林秀雄氏や加藤周一氏、有吉佐和子氏など、日本を代表する文人たちとも語り合ってきた池田先生が、文学界の巨匠である井上靖氏と都内で会談を行ったのは、1969年(昭和44年)2月5日のことだった。以前から、氏は先生の思想に関心を持っていた。氏が編集し、前年12月に出版された書籍にも、先生の言葉の抜粋が名言集として収録されていた。先生も、井上文学の読者だった。
 69年11月末ごろから、“言論問題”が起こり、学会への批判は激しさを増した。氏が理事長を務める日本文芸家協会でも、学会に抗議声明を出すべきだという声が上がった。そんな中、氏は月刊誌「潮」の編集長に、こう述べた。
 「あれほど深く文学を理解し、また、ご自身でも筆を執られる先生が、『言論の自由』とか、民主主義の基本となることに対して、間違ったとらえ方をされるはずがない」「協会として特定の人びとを排斥するような、そんな声明を出すなど、少なくとも私が理事長をしている限り、するつもりはないし、させません」
 学会を深く理解する氏の叫びだった。
 氏は「作家に志がなくなった」と、文学界の憂慮を先生に吐露したことがある。
 先生も、文学の衰退を憂い、仏法を基調にした新しい文学の興隆の必要性を感じていた。そうした中、69年8月17日に発足したのが文芸部だった。先生は結成式で「情熱の訴えが、人の心を揺さぶる」と語り、自らもペンを執り続けた。
 言論問題が起きた同年は、創価の文芸の流れが生まれる黎明の年ともなった。
 先生と氏は、75年(同50年)春から、手紙での語らいに取り組んだ。「故郷」「師弟」等、幅広いテーマについて論じ合った。この往復書簡は『四季の雁書』(潮出版社)として発刊されている。

「7・26」鼓笛隊の初の海外演奏
「満点の演技でした!」「お父さん、お母さんによろしくね」――鼓笛隊一人一人に励ましを送る池田先生(2002年11月17日、東京・八王子市の創価大学で)
「満点の演技でした!」「お父さん、お母さんによろしくね」――鼓笛隊一人一人に励ましを送る池田先生(2002年11月17日、東京・八王子市の創価大学で)

 「“友よ、世界は一つ” 鼓笛隊の熱演に絶賛の嵐」――富士鼓笛隊初となる海外演奏を報じる聖教新聞の見出しだ。
 1969年(昭和44年)7月26日(現地時間)、米国ロサンゼルスで開催された全米総会に、富士鼓笛隊が出席。終了後に開かれた「日米友好の夕べ」で、アメリカ鼓笛隊と共に演奏した。
 翌日には、全米総会を記念する“日米鼓笛隊パレード”が晴れやかに行われ、サンタモニカ市を走るオーシャン大通りを行進。パレードは市が全面的に支援し、協力した。
 沿道の5万人の観衆や近隣の建物からは大歓声と拍手が響き、「サンタモニカで、これほど見事なパレードを見たのは初めて」などと感嘆の声が寄せられた。
 日本にいる池田先生は、その模様を聞くと、「学会の鼓笛隊は、世界一だもの。全会員の誇りだね」と、感慨深く語った。
 鼓笛隊の結成は56年(同31年)7月22日。先生が、私財を投じて楽器を用意した。当時、楽器の未経験者も多い中、何度も練習会場に激励に訪れ、「今に、世界の友と演奏する時が、必ずくるよ」と希望の灯をともしたのが、先生だった。
 69年の鼓笛隊の初の海外演奏は、師の願いを実現する一大イベントとなった。師匠の手作りで発展を遂げた鼓笛隊は、その後も海外での出演を重ね、平和と友情の調べを奏でてきた。
 本年は、2002年(平成14年)11月17日、先生が出席して開催された歴史的な「音楽隊・鼓笛隊合同演奏会」から20周年の佳節を刻む。この日、先生は演奏が終わると真っすぐ舞台へと向かい、出演者を激励。そして、万感の和歌を贈った――。「華麗なる/世界一なる/鼓笛隊/優雅な乙女の/音律 天まで」

「12・21」烈風の和歌山指導
天空をかけるがごとき気迫の指揮(1969年12月21日、和歌山県立体育館で)。和歌山の同志はこの姿を生命に焼き付け、勝利の道を切り開いてきた
天空をかけるがごとき気迫の指揮(1969年12月21日、和歌山県立体育館で)。和歌山の同志はこの姿を生命に焼き付け、勝利の道を切り開いてきた

 新大阪に向かう新幹線の車中、池田先生はシートに身を委ねていた。1969年(昭和44年)12月20日、高熱と咳に苦しむ中、体調不良を押して、この年7度目となる関西指導を決行。1年ぶりとなる和歌山訪問も予定されていた。
 先生は、同年5月の本部総会で、明70年(同45年)5月3日までの目標として、会員750万世帯の達成を掲げた。五体をなげうつ覚悟で全国各地を激励に走り抜く中、疲労が重なり、12月半ばに体調を崩してしまったのである。
 大阪に到着した日の夜、東京から香峯子夫人も駆け付けた。医師からは「急性気管支肺炎」との診断。
 しかし、先生は「必ず行きます」と和歌山の友に約束していた。広宣流布にまい進する友を励まそうと心に強く決めていた。翌21日、医師に同行してもらい、先生は和歌山へと向かった。
 和歌山県立体育館で開催された幹部会に先生が姿を現すと、会場は「先生!」と大歓声に包まれた。
 先生は冒頭、「シュプレヒコールをやろう!」と呼びかけた。「和歌山は戦うぞ!」「和歌山は、断じて勝利するぞ!」と、力強い先生の声に続いて、決意みなぎる参加者の声が響く。そして、先生は24分にわたって指導し、“創価の民衆運動こそが社会に活力を与える”と訴えた。
 「よーし、やるぞ!」――先生は、同志が喜ぶならと、最後に武田節の指揮を執った。命を削っての師の舞に、同志は胸を熱くした。皆が「断じて勝ちます!」と固く誓った。
 師匠の不惜身命の激励は、和歌山の不滅の原点である。当時の模様をつづった小説『新・人間革命』14巻「烈風」の章の連載から20周年を刻む明年へ、和歌山の同志は、“常勝の誓い”に燃える。

◆年表◆
1969年

 〈1月1日〉
 聖教新聞に詩「建設の譜」を発表
  
 〈2月5日〉
 作家の井上靖氏と会談(東京)
 後に交わされた往復書簡は『四季の雁書』として刊行
  
 〈2月15日〉
 沖縄指導(~18日)
  
 〈2月23日〉
 第1回婦人部総会(東京)
  
 〈3月16日〉
 第1回広宣流布大願成就勤行会。第1回壮年部総会(東京)
  
 〈5月3日〉
 第32回本部総会で750万世帯の目標を発表。
 開学を目指す創価大学に「人間教育の最高学府たれ」
 「新しき大文化建設の揺籃たれ」
 「人類の平和を守るフォートレス(要塞)たれ」との建学の精神を示す(東京)
  
 〈6月6日〉
 女子部の看護師グループの結成式にあたり、「白樺グループ」との名称を贈る(東京)
  
 〈6月20日〉
 聖教新聞に連載中の小説「人間革命」(第5巻)で「日中平和友好条約」の早期締結を主張
  
 〈7月17日〉
 創価学園の第2回栄光祭で“2001年に世界に輝く存在となって集おう”と目標を示す(東京)
  
 〈7月26日〉
 富士鼓笛隊を第6回全米総会に派遣
 〈鼓笛隊の初の海外演奏〉
  
 〈8月15日〉
 第2回高等部総会(東京)
 西暦2000年の再会を提案
 〈後日、この総会参加者で「2000年会」を結成〉
  
 〈8月17日〉
 文芸部結成式(静岡)
  
 〈9月7日〉
 生命の尊厳、人間性の回復を掲げた民衆のための美術展、第1回第三文明展を鑑賞(東京)
  
 〈9月――〉
 イギリスの歴史学者アーノルド・J・トインビー博士から会談を望む手紙が届く
  
 〈10月30日〉
 福島総合本部幹部会
  
 〈12月20日〉
 関西・中部指導(~23日。大阪、和歌山、奈良、三重)
 最悪の体調のなか訪問を決行し、和歌山では「武田節」を舞う(21日)