毎日が、始めの一歩!

日々の積み重ねが、大事な歴史……

南アフリカの平和運動家マハトマ・ガンジーの令孫

2020年10月30日 | 妙法

創価大学生・女子短大生に贈られた南アフリカの平和運動家マハトマ・ガンジーの令孫 エラ・ガンジー博士のメッセージ(要旨)  2020年10月30日

 
若き皆さんは未来の平和建設者
人間主義に基づく一人の内面のへんかくこそ人類的問題ぐんの解決のかぎ
創価大学で開催された「ガンジー・キング・イケダ――平和建設の遺産」展(2002年9月、米モアハウス大学主催)。3人に通底する非暴力の精神を伝える展示は世界各地で開かれ、大きな反響を呼んだ
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 今月に行われた創価大学の第50回「創大祭」、創価女子短期大学の第36回「白鳥祭」に、南アフリカの平和運動家で、マハトマ・ガンジーの令孫であるエラ・ガンジー博士がメッセージを寄せた。それに先立つ本年3月、博士は両大学の卒業式にメッセージを贈った。しかし、新型コロナウイルスの影響で中止となったため、このほど加筆・修正し、改めて学生たちに届けた。ここでは、その要旨を紹介する。

 

 一、若き学生の皆さんが外の世界に踏み出すとき、そこに重要な問題があることを目の当たりにするでしょう。
 拡大する格差、失業、搾取、環境の劣化、不寛容、過激主義、怒り、暴力、大量破壊兵器の開発競争……これらは、人類が直面する問題の一部にすぎません。
 こうした問題に向き合ってきたのが、マハトマ・ガンジー、ネルソン・マンデラ博士(南アフリカの人権の闘士)、池田大作博士、マーチン・ルーサー・キング博士(アメリカ公民権運動の指導者)です。これらの人物は、それぞれの時代において、人類が直面する問題に対する重要な答えとして、「人間主義」を掲げました。
 結論を先に申し上げれば、全てが悲観的なことばかりではありません。私たちの眼前には社会の悲惨さが広がっていますが、一方で、人間主義に基づいた活動を、静かに、根気強く続けながら、小さくとも意味のある変化をもたらしている、何百万という人々が世界各地にいるのです。

 

「学び」とはしょうがい続くもの

 一、ガンジーの言葉に、こうあります。“人類の偉大さは、世界をつくり変える能力にあるわけではない。私たち自身をつくり変えられることにある”
 なぜ自身の変革が必要なのか。それは、考え方を変えることによって、自分の感情を上手にコントロールできるようになるからです。そうすると、私たちの行動や反応は変化し、周りにいる人々からも異なる反応を引き出すことができるようになります。こうして私たちが住む世界が変わっていくのです。
 さらに、自身の内面の変化は、それまで考えもつかなかった、また、できると感じてこなかった方法で行動を起こすことを可能にします。
 創価大学・短大で豊かな教育を受けてこられた皆さんは、ここに挙げた“問題に対処するために必要な能力”をすでに身に付けていると言えるでしょう。
 しかし教育は、大学を離れたら終わるものではありません。私たちは皆、広い世界を経験しながら学び続けるのです。学ぶこと、そして人生を変えていくことは、生涯、続いていくのです。

 

青年に伝えたい「3つの指針」

 一、“誰もが健全で幸せな生活を送る”という私たちの目標を達成するために必要な「三つの指針」をお伝えしたいと思います。
 一つ目は、「自分を批判的に見て、それを習慣とする」ということです。
 計画を成功に導くためには、常に評価を行い、そこで得た知見を基に、新しい計画を実施しなければなりません。それは人生においても同様です。
 私たちは常に、自己を批判的に見つめながら自分自身を評価し、自分の内面で必要な調整や変更を行っていかなければなりません。そうしないと、成長は止まってしまいます。
 私たちは誰でも間違いを犯しますが、当惑する感情を抑え、間違いを認め、新しい目標を設定するには、決断力、勇気、誠実さが求められます。こうした教訓は、誰かに教えられるのではなく、私たち自身が自己管理をしながら学んでいくものなのです。
 一、二つ目は「中心的価値を『私』から『私たちと宇宙』へと変える」ということです。
 私は、現在の世界的混乱は、自己中心的な考え方が中核にあると捉えています。私たちは、自分たちの行動が他人や地球環境や動物に与える影響について憂慮することなく、より安易な生活を選択することによって、いくつかの大事な問題を、ないがしろにしてしまっているのです。
 私たち全員が、中心的価値を「私」から「私たちと宇宙」へと変えていけば、世界に大きなインパクトを与えるでしょう。
 現代は、科学技術の発展によって人々の距離が離れていることは問題ではなくなりました。
 私たちは、太陽、星、空気、水など周囲のあらゆるもの、そして、新型コロナウイルスや、人類の生存を脅かすかもしれない未知のものに心を配っていかなければなりません。
 遠いブラジルの熱帯雨林を焼き払ってしまうような人類の行動が、他の人々の生活、そして環境や世界全般にどのような影響を及ぼすのか。こうした問題は、私たち全員がすぐに取り組んでいかなければなりません。ゆえに、自分たちの行動と、その行動が他の人々や世界に与える影響とを結び付けて考えていくことが、人々の関心を喚起させるのです。
 一、最後にお伝えしたいことは「自己をコントロールする」ということです。
 目まぐるしく、全てが緊急で走り回らなければならず、時間がお金に換算される世界――こうした世界は人々の心と体に悪影響を与えています。
 この世界から抜け出せないとき、私たちは怒りっぽくなり、ねたみっぽくなり、傲慢になることを、私は自身の経験を通して知っています。対立や紛争はここから生まれ、その大きな渦に人類は飲み込まれてしまうかもしれません。
 私たちが、こうした“負の感情”をコントロールできるようになれば、幸福、充足感、自尊心を獲得するきっかけとなります。そして、そうなれば、平和はより容易に達成することができるでしょう。

 
どんなに困難でも交流と対話を

 一、どんなに困難な状況であったとしても、交流や議論をもっと盛んにすれば、平和は訪れます。私たちは、壁をつくることをやめなければなりません。今日の世界は、性別、人種、宗教などの違いが強調され、私たちは、「我ら」と「彼ら」という壁をつくり、壁の向こう側の人々のことを知ろうとしません。
 キング博士は、“私たちは、どこに向かっていくのか――「混乱」か「結合」か”と問い掛けました。
 今、皆さんは、選択ができます。必要な行動を取るかどうか、自分で決めることができます。
 私は、こう思うのです。皆さんには知識という武器があり、それを使って社会を建設することができます。皆さんこそ、この国とこの世界の未来のリーダーなのです、と。
 アフリカには「ウブントゥ(Ubuntu)」という言葉があります。これは「あなたがいて、私がいる」、あるいは「人間同士の絆」「人間に必要なもの」「互いを慈しみ合うこと」という意味です。
 皆さんの大学も、こうした哲学に基づいてつくられたと確信しています。
 一、池田博士の深淵な哲学を紹介して結びとしたいと思います。
 池田博士は、世界中の紛争、気候変動と人類の存続という問題、核兵器拡散の危険性に対して、“何よりも最初に、人間一人一人の生命、生活、そして尊厳がさらされている脅威に注目しなければならない”と語られています。
 また、“この世界とは、何をおいても人々が共に生きていく場所なのだ”との信条を示されました。
 私が特に感銘を受けたのは、1975年1月26日、グアムでのSGIが発足した会議のエピソードです。
 博士は、会場にあった参加者署名簿の国籍欄に次のように記されたのです。
 「世界」――と。
 何という先見性でしょうか!
 ありがとうございました。


説「新・人間革命」に学ぶ 第24巻 解説編 池田主任副会長の紙上講座  2020年10月28日

2020年10月28日 | 妙法

小説「新・人間革命」に学ぶ 第24巻 解説編 池田主任副会長の紙上講座  2020年10月28日

  • 連載〈世界広布の大道〉
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イラスト・間瀬健治
イラスト・間瀬健治

 今回の「世界広布の大道 小説『新・人間革命』に学ぶ」は第24巻の「解説編」。池田博正主任副会長の紙上講座とともに、同巻につづられた珠玉の名言を紹介する。

 
紙上講座 池田主任副会長
1
4:39
 
ポイント
①「冥の照覧」の確信
①「みょうしょうらん」の確信
②人間のための宗教
②人間のための宗教
③「地区」強化の要点
③「地区」強化のようてん

 現在、女子部・白蓮グループが、「セレブレイト(祝賀)期間」(11月18日まで)として、励ましの輪を拡大しています。
  
 池田先生は各地で開催されているオンラインの集いにメッセージを寄せられ、「最高に福運あふれる白蓮のいのちで、何があっても朗らかに前へ前へと進み、友情を広げ、『新・人間革命の世紀』を照らしていってください」と万感の思いを述べられました。
  
 「厳護」の章は、「白蓮グループ」をはじめ、男子部人材グループ「創価班」「牙城会」のメンバーにとって、任務の意義やグループの精神を深めるための重要な章です。
  
 各グループの結成の歴史は異なります。しかし、根本精神は共通しています。「『冥の照覧』を確信して、仏道修行に励むこと」(146ページ)です。
  
 そのことは、清掃に励む白蓮グループの姿を見て、山本伸一が詠んだ「かみくずを ひろいし姿に 仏あり」(142ページ)との句にも端的に示されています。誰が見ていなくとも、広布への無私の献身を貫く――その心に、功徳・福運が積まれていきます。
  
 今月1日、日本の白蓮グループとブラジルの「セレジェイラ(桜)グループ」のオンライン懇談会が開催され、「厳護」の章に記された「冥の照覧」の精神、「自発の心」を学び合いました。「冥の照覧」の精神は、世界の青年部にも受け継がれています。
  
 また、「灯台」の章では、「社会部」「団地部」「農村部(現・農漁光部)」の友の奮闘が描かれています。
  
 三つの部は、1973年(昭和48年)10月に誕生しています。この時、学会は翌74年(同49年)の年間テーマを「社会の年」と掲げました。当時、中東戦争によって石油価格が急上昇し、世界は不況に覆われつつありました。また、異常気象による、深刻な食糧不足にも脅かされていました。
  
 こうした状況の中で、創価の同志は、「社会のテーマに、真っ向から挑み、活路を開き、人びとを勇気づけていくことこそ、仏法者の使命」(291ページ)との誇りを胸に、職場や地域で信頼の輪を大きく広げていきました。
  
 仏法を社会に開いていくことは、私たちの使命です。その根本こそ、一人一人の「人間革命」なのです。

“世界のすべての母たちをたたえたい”――創価世界女性会館にある「母」の歌碑の前で、「母」と“大楠公”をピアノ演奏する池田先生。香峯子夫人が笑顔で見守る(2016年6月25日、東京・信濃町で)
“世界のすべての母たちをたたえたい”――創価世界女性会館にある「母」の歌碑の前で、「母」と“大楠公”をピアノ演奏する池田先生。香峯子夫人が笑顔で見守る(2016年6月25日、東京・信濃町で)
 
創価の教学運動

 「厳護」の章に、教学は「民衆の日々の生活に根差し、行動の規範」(164ページ)となるものであり、「人生の確信、信念となり、困難や試練を克服する力」(同)とあります。
  
 伸一は、教学運動の潮流をさらに広げようと、77年(同52年)を「教学の年」とすることを提案します。仏法の法理を世界に展開するためには、“人間のための宗教”という視座に立ち、教学上の一つ一つの事柄を捉え直す必要性を感じていたのです。
  
 同年1月15日、伸一は大阪で開催された教学部大会で、「仏教史観を語る」と題して記念講演を行います。この中で、「現代において創価学会は、在家、出家の両方に通ずる役割を果たしている」(188ページ)、「寺院の本義からするならば、学会の会館、研修所もまた、『現代における寺院』というべき」(191ページ)と語ります。
  
 ところが、宗門の僧たちは、この講演を宗門批判と捉え、あろうことか、学会攻撃の材料としました。(第27巻「正義」の章参照)
  
 この背景について、佐藤優氏は、週刊誌「AERA」(10月12日号)の「池田大作研究」で論じています。「1977年に入ると日蓮正宗の宗門僧が創価学会に対する攻撃を始めた。多くの諍いが生じたが、その背景には、僧侶が『上』、一般信徒は『下』とする宗門の宗教観と、そのようなヒエラルキーを認めない民衆宗教である創価学会の基本的価値観の対立があった」。そして、「創価学会が世界宗教として展開するために宗門との訣別は不可欠だった」と結論付けています。
  
 学会が世界宗教として飛翔できたのは、「人間のための宗教」という視座に立ち返り、“生きた教学”を現代に蘇らせたからにほかなりません。
  
 今、世界の教学運動は同時進行です。「大白蓮華」に連載されている池田先生の御書講義「世界を照らす太陽の仏法」は、世界中で学習され、SGIの前進の原動力となっています。仏法の哲理が、「創価学会員という市井の人びとのなかに、確固たる哲学、思想として、生き生きと脈打っている」(164ページ)のです。
  
 その源流には、「仏法を、時代の要請に応えた『希望の哲学』として、現代社会に復権させなくてはならない」(205ページ)との、師匠の並々ならぬ闘争があったことを、決して忘れてはなりません。

 

幹部同士の団結

 今月18日、香川・小豆島のサンフラワー地区(小豆島圏)のオンライン座談会に参加しました。
  
 初のオンラインでの開催でしたが、これまで参加できなかった方も集うことができ、歓喜あふれる座談会となりました。この大成功の陰には、地区部長・地区婦人部長が、担当幹部と連携を取り合い、感染防止に留意しながら、地区内をくまなく訪問激励に回った奮闘がありました。
  
 「人間教育」の章では、77年(同52年)の活動方針の一つが「大ブロック(現在の地区)」の強化であり、伸一自らが大ブロックに光を当て、リーダーを激励していく場面が描かれています。
  
 伸一は、大ブロック強化の最も重要な点として、「(担当で入る)幹部同士の団結」(211ページ)を挙げます。さらに、「幹部が力を合わせて、一人ひとりを徹底して励ますんです」(同)、「皆さんに声をかけ、悩みに耳を傾け、勇気づけ、元気づけ、抱きかかえるようにして励ましていただきたい」(212ページ)、「“会長だったら、どうするか。どういう思いで、どう励ますか”を考え、私をしのぐような激励をしてください」(同)と、何度も「励まし」を強調しています。
  
 ここに示されているように、「地区の強化」といっても、どこまでも「一人への励まし」に尽きます。「人間の心こそが、すべての原動力」(213ページ)だからです。
  
 「大白蓮華」10月号の巻頭言で、池田先生は「一隅を 照らす宝光の 励ましは 地涌のいのちを 未来の果てまで」と詠まれました。
  
 今月から、「励まし週間」も再開しました。一人一人が真心の励ましに徹し、わが「誓願の地区」から希望の光を放ってまいりましょう。

 

緑輝く山形県の田園風景(1987年7月、池田先生撮影)。「灯台」の章には、山本伸一が74年9月、同県・東根市の果樹園を訪れ、農業に従事する友と懇談する模様が描かれている
緑輝く山形県の田園風景(1987年7月、池田先生撮影)。「灯台」の章には、山本伸一が74年9月、同県・東根市の果樹園を訪れ、農業に従事する友と懇談する模様が描かれている
 
名言集
●平和の原点
 

 わが子を愛し、慈しむ母の心には、敵も味方もない。それは、人間愛と平和の原点である。(「母の詩」の章、47ページ)

 
●訓練の大切さ

 頭で理解し、わかっていることと、実際にできることとは違う。災害の時なども、知識はあっても、いざとなると、体がすくんで動けなくなるケースが少なくない。訓練を繰り返し、習熟していってこそ、教えられたことが、実際に行えるようになるのだ。訓練とは、体で、生命で習得していくことである。(「厳護」の章、157ページ)

 
●座談会

 座談会は、創価学会の大地である。この大地がよく耕され、肥沃になってこそ、木々も生い茂り、花も咲き、果実も実るのだ。(「人間教育」の章、202ページ)

 
●人間教育の場

 創価学会は、自分を磨き高め、真の人間の生き方と、社会建設の道を教える、人間教育の場である。(「人間教育」の章、210ページ)

 
●創価の使命

 あきらめと無気力の闇に包まれた時代の閉塞を破るのは、人間の英知と信念の光彩だ。一人ひとりが、あの地、この地で、蘇生の光を送る灯台となって、社会の航路を照らし出すのだ。そこに、創価学会の使命がある。(「灯台」の章、374ページ) 


勝利の峰へ勇気の歩みを

2020年10月25日 | 妙法

勝利の峰へ勇気の歩みを 池田大作先生の写真と言葉「四季の励まし」 2020年10月25日

 【写真説明】夕焼けに赤く染まる空。厚い雲の向こうから、あかね色に輝く秀峰が姿を現した。世界最高峰のエベレストをはじめ、8000メートル級の山々が連なるヒマラヤ山脈。1995年(平成7年)11月3日、池田大作先生が、ネパールの首都カトマンズ郊外からカメラに収めた。
 3日前の10月31日、池田先生は同国を初訪問。間もなく25周年の佳節を迎える。先生は訪問中、要請を受け、名門・国立トリブバン大学で記念講演。変動する社会の中で、ヒマラヤのごとく悠然たる「不動の自己」を築く重要性を語った。
 挑戦の積み重ねが、嵐に揺るがぬ不動の自己を築く。いよいよ学会創立90周年の「11・18」。わが勝利の峰へ、勇気の心で前進しよう。

 

池田先生の言葉

 大変な困難の時ほど、
 「勇気」が光となる。
 希望を
 失いそうになった時こそ、
 「勇気」が
 行く手を照らす。
 人生で最も大切なものは、
 勇気である。
  
 いざという時に、
 勇気を出せる人が、
 人間として一番尊い。
 勇気こそ
 仏法の真髄である。
 人間の真髄である。
 勇気は、
 勝つための原動力である。
  
 勇気は、
 自分の外に
 あるのではない。
 自分の胸中にある。
 勇気は、
 特別な人だけが
 もっているのではない。
 誰でも平等にもっている。
  
 大切なのは、常に自身を
 変革していくことだ。
 私たちでいえば
 「人間革命」である。
 自らを常に新たにし、
 成長させていくのが、
 我らの信仰である。
 そのための最高の方法が、
 唱題であり、
 学会活動である。
  
 小さなことでもよい。
 具体的に
 明確に祈りながら、
 新しい何かに
 チャレンジして
 いくことだ。
 一日に一人でもよい。
 真心込めて声を掛け、
 励まし、
 仏縁を結んでいくことだ。
  
 いつでも、どこでも、
 私の胸には、悠然たる
 エベレストの如き、
 世界最高の師匠がいる。
 ゆえに、弟子である私も、
 永遠に挑戦をやめない。
 最高峰を仰いで
 人生を登はんする人に、
 停滞はない。
 後退も、敗北も、
 絶対にない。
 最後は必ず、
 勝利の眺望を
 楽しむことができる。
 ここに「師弟」の道がある。


小説「新・人間革命」学習のために 第19巻

2020年10月23日 | 妙法

マイ・ヒューマン・レボリューション――小説「新・人間革命」学習のために 第19巻 2020年10月23日

 小説『新・人間革命』の山本伸一の激励・指導などを紹介する「My Human Revolution(マイ・ヒューマン・レボリューション)」。今回は第19巻を掲載する。次回の第20巻は11月6日付2面の予定。挿絵は内田健一郎。

 
学会のこんぽん精神はの心

 <1974年(昭和49年)2月、山本伸一は「平和への波動」をテーマに行われた沖縄広布20周年記念総会に出席。創価の運動の根本をなすものは何かについて講演する>
 
 「それは一言すれば、どこまでも相手のことを思いやる『利他』の一念です。この利他の心を人びとの胸中に打ち立てることこそ、平和建設のポイントとなります」(中略)
 
 創価学会は、民衆の心に「利他」という生き方の柱を打ち立ててきた。
 
 メンバーの多くは、病苦や経済苦、家庭不和など、苦悩の解決を願って信心を始めた。いわば、自らの救済を求めての入会といえる。
 
 しかし、御書に「我もいたし人をも教化候へ」(1361ページ)と仰せのように、日蓮仏法は「自分も信心に励み、人にも仏法を教えよ」と説く。つまり、人びとの幸福を願い、広宣流布に生きてこそ、わが幸福が築かれるというのである。そこには、「自行」と「化他」の融合がある。自分自身の煩悩が、広宣流布という最極の菩薩行を推進する活力源となるのだ。
 
 そして、その「利他」の実践によって、「利己」に凝り固まり、汲々としていた、小さな生命の殻が破られ、自らの境涯が大きく開かれていくのである。まさに、この「利他」の一念こそ、「境涯革命」「人間革命」を成し遂げる、生命の回転軸なのである。
 
 友の幸せを祈り、懸命に弘教に走る同志の胸中には、歓喜が込み上げ、勇気がうねり、希望が広がっている。病苦や経済苦などの、さまざまな悩みを抱えながらも、あたかも波乗りを楽しむかのように、悠々と乗り越えていくことができる。
 
 信心の本当の大功徳とは、この「境涯革命」「人間革命」である。自分の境涯が変わるから、依正不二の原理で、環境も変化し、一切の問題が解決できるのである。
 
 

真実の歴史を伝え残す使命

 <2月、伸一は、沖縄の名護会館で中学・高校生らと懇談。戦争体験者の証言集出版を提案する>
 
 「今、戦争の記憶が、社会から忘れ去られようとしている。だからこそ諸君には、二十一世紀のために、お父さん、お母さんたちの戦争の苦しみを、厳然と伝え残すべき使命と責任と義務があります」(中略)
 
 「戦争を引き起こした権力の魔性を打ち砕こうと、広宣流布を決意し、敗戦直前の焼け野原に一人立たれたのが、第二代会長の戸田先生です。
 
 先生は、それまで、師である初代会長の牧口先生と共に、軍部政府の弾圧で投獄されていた。牧口先生は獄死するが、弟子の戸田先生は生きて牢獄を出た。そして、“牧口先生の志を受け継いで、平和社会を創ろう。それが先生の敵を討つことだ!”と深く心に誓います。
 
 その二年後、私は十九歳で戸田先生とお会いし、信心を始めました。戦時中は軍部政府の弾圧と戦い、さらに、人類の幸福と平和を築くために生涯を捧げようとされている先生の生き方に、私は感動しました。先生の弟子となれたことに、無上の誇りと喜びを感じていました。そして、先生と共に戦うなかで、私は“この先生の伝記を必ず書こう。後世に真実を伝え残そう”と決意しました。
 
 その時に、最初の章のタイトルは“黎明”にしようと、密かに決めていました。この構想が、後に小説『人間革命』となって結実したんです。戦争も、歳月がたてば真実が忘れられ、歴史のなかに埋もれてしまう。書き残さなければ、真実は伝わらない」
 
 (「虹の舞」の章、100~101ページ)

 

「人格」のしょくはつが人間をはぐく

 <3月、伸一は中米の国立パナマ大学を訪れ、同大学総長と会談。総長が、教授と学生の理想の関係として、ソクラテスとプラトンの師弟関係をあげると、伸一は答えた>
 
 「全く同感です。ソクラテスは青年との対話に終始していますが、決して権威的な態度で、高みからものを言うのではなく、どこまでも青年を尊重し、対等の立場で接しています。一方、プラトンはソクラテスを師として敬愛し、全幅の信頼と尊敬を寄せております。この互いの尊敬のうえに成り立つのが、本来の師弟という人間関係なんです。
 
 その魂の結合があってこそ、真の触発があり、学問の深化もあるといえます。単に断片的な知識を得るだけならば、書物があれば、師はなくてもよいかもしれません。しかし、人生の真理を探究する、また、人間を育むという作業は、人格を通してのみ行われるものです。ゆえに教育には、『師弟』が不可欠であると思います」
 
 総長は、何度も頷きながら、伸一の話に真剣に耳を傾けていた。
 
 「私は、戸田城聖先生という師匠から、万般の学問を教わりました。先生は最高の思想家であり、優れた数学者でもありました。それはそれは、厳しい師匠でしたが、この師に学んだことが、私の最高の誇りです。
 
 戸田先生は、既に十六年前に亡くなっておりますが、私は今でも、日に何度となく、師と心で対話しています。一つ一つの問題に対して、先生ならどうされるかを常に考えています。また、自分の行動や決断をご覧になったら、先生は喜ばれるか、悲しまれるか、日々、自分に問いかけております。
 
 師をもつということは、自分の生き方の規範をもつことであり、それは教育の根幹をなすものであると思います」
 
 伸一は、戸田の弟子として師を語る時、最も誇りに燃え、歓喜があふれた。それが真の弟子の心である。
 
 (「凱歌」の章、124~126ページ)

 
師は「じっせんの人」と共にあり

 <4月、北米を訪問中の伸一は、サンタモニカのアメリカ本部で、戸田城聖の十七回忌法要を挙行。恩師への思いを語る>
 
 「私はいつ、どこの地にあっても、戸田先生のご指導が、あの師子吼の姿が、瞬時も脳裏から離れたことはありません。
 
 そして、常に“先生が今の私をご覧になったら、なんと言われるか”“先生ならば、どうされるか”と自分に問い続け、師の遺志を受け継いで広宣流布に邁進してまいりました」(中略)
 
 「戸田先生を知らない皆さんは、先生のことを、もっと、もっと、知りたいと思われていることでありましょう。しかし、先生と何度もお会いし、指導、激励を受けながら、広宣流布のために本気になって戦おうともせず、退転していった人もおります。
 
 先生を知るとは、先生の信心を学び、実践することです。その人の心にこそ、戸田先生がいらっしゃるんです。平和を願い、広宣流布に邁進する、生命の脈動のあるところに、戸田先生の生命が通うのであります。
 
 私たちは、ともどもに広宣流布の大指導者たる戸田先生の弟子として、この四月二日を人生と信仰と広布への意義ある跳躍の日と定めて、前進していくことを誓い合おうではありませんか!」
 
 法華経には「在在諸仏土 常与師俱生(在在の諸仏の土に 常に師と俱に生ず)」(法華経317ページ)とある。
 
 師の心をわが心として広布の庭で戦う人は、常に師と共にある。
 
 (「陽光」の章、226~227ページ)
 

 

海外での初の大学講演
池田大作先生はカリフォルニア大学ロサンゼルス校で「21世紀への提言」と題する歴史的な講演を行った(1974年4月)
池田大作先生はカリフォルニア大学ロサンゼルス校で「21世紀への提言」と題する歴史的な講演を行った(1974年4月)
 

 <1974年(昭和49年)4月1日、山本伸一はアメリカのUCLA(カリフォルニア大学ロサンゼルス校)で記念講演する。その講演は、海外の大学・学術機関での最初の講演となった>
 
 彼は、仏法では人生を、生老病死など苦しみの集積であると説いていることを語り、「ではなぜ、人は人生に苦しみを感ずるのか」を論じていった。
 
 
 ──それは、万物万象は「無常」であるにもかかわらず、「常住不変」であると思い、そこに執着し、煩悩のとりこになっているからであると、仏法では説いている。
 
 現代文明も、この「無常」なるものへの執着、煩悩の充足をバネに発展してきた。その結果、人類は便利さや快適さなどを手にしたものの、環境破壊や核戦争の脅威に怯え、滅亡の淵に自らを追い込んできたといえよう。
 
 一部の仏教では、苦悩を離れるには、煩悩を断つ以外にないと教えてきた。では、人間は煩悩を断つことができるのだろうか。生ある限り、生きることに執着し、愛を大切にし、利を求めようとするのは、人間の自然な感情である。仏法の真髄の教えは、煩悩を断って、執着を離れることを説いたものではない。
 
 無常の現象に目を奪われ、欲望に翻弄され、煩悩に責められているというのは、自己自身の小さな我、すなわち「小我」にとらわれている状態である。真実の仏法は、煩悩や執着の働きを生み出す生命の奥に、また、無常の現実の奥に、それらを統合、律動させている常住不変の法があると説いているのである。
 
 そして、この普遍的真理を悟り、そのうえに立って、無常の現象を包み込んでいく生き方、つまり「大我」に生きることを教えているのだ。この「大我」とは、生命のさまざまな動きを発現させていく宇宙の根源的な力であり、「法」である。(中略)
 
 さらに彼は、「大我」に生きるということは、「小我」を捨てることではなく、「小我」をコントロールし、人間の幸福のために生かすことであると述べた。
 
 もし「小我」を驀進する列車とするなら、「大我」は、その軌道と考えることもできよう。軌道を踏み外せば、暴走し、転覆してしまうが、「大我」という確かな軌道を進めば、崩れざる幸福を実現することができるのだ。
 
 (「陽光」の章、216~219ページ)
 

 
 

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 聖教電子版の「世界広布の大道 小説『新・人間革命』に学ぶ」第19巻「解説編」の池田博正主任副会長の紙上講座と動画を閲覧できます。

 第19巻「解説編」はこちら


小説「新・人間革命」に学ぶ 第24巻 御書編

2020年10月21日 | 妙法

小説「新・人間革命」に学ぶ 第24巻 御書編  2020年10月21日

  • 連載〈世界広布の大道〉
絵・間瀬健治
 
絵・間瀬健治

 今回の「世界広布の大道 小説『新・人間革命』に学ぶ」は第24巻の「御書編」。小説で引用された御書、コラム「ここにフォーカス」と併せて、識者の声を紹介する。挿絵は内田健一郎。

 

生も歓喜、死もまた歓喜
 
【御文】

 いきてをはしき時は生の仏・今は死の仏・生死ともに仏なり、即身成仏と申す大事の法門これなり(御書1504ページ、上野殿後家尼御返事)

 
【通解】

 生きておられた時は生の仏。今は死の仏。生死ともに仏なのです。即身成仏という重要な法門は、このことです。

 

【小説の場面から】
 

 <1976年(昭和51年)、山本伸一は、母・幸の見舞いに訪れ、御書を拝して語る>
 
 母は、病床に伏しながら、「うん、うん」と、目を輝かせて頷き、伸一の話を聴いていた。それは、伸一が母のために行う、最初で最後の講義であった。
 
 伸一は、母は危篤状態を脱したとはいえ、余命いくばくもないと感じていた。ゆえに、彼は、この機会に、仏法で説く死生観を、語っておきたかったのである。(中略)
 
 「広宣流布に戦い抜いた人は、生きている時は『生の仏』であり、どんな苦難があっても、それに負けることのない、大歓喜の日々を送ることができる。そして、死して後もまた、『死の仏』となる――それが、即身成仏という大法門なんです。
 
 ゆえに、生も歓喜であり、死もまた、歓喜なんです。永遠の生命を、歓喜のなかに生きていくことができるんです。万物を金色に染める、荘厳な夕日のように、最後まで、題目を唱え抜いて、わが生命を輝かせていってください」
 
 仏の使いとして生きた創価の母たちは、三世永遠に、勝利と幸福の太陽と共にあるのだ。伸一が語り終えると、母は、彼の差し出した手を、ぎゅっと握り締めた。(中略)
 
 翌日、母は、家族に語った。
 
 「私は、悔しい思いも、辛い思いもした。でも、私は勝った。社会に貢献するような、そういう子どもが欲しかった。そして、自分の子どものなかから、そういう人間が出た。だから私は、嬉しいんだ」
 
(「母の詩」の章、58~60ページ) 

 

広布の原理は「一人立つ」
 
【御文】

 日蓮一人はじめは南無妙法蓮華経と唱へしが、二人・三人・百人と次第に唱へつたふるなり……(御書1360ページ、諸法実相抄)

 

【通解】

 はじめは日蓮一人が南無妙法蓮華経と唱えたが、二人・三人・百人と次第に唱え伝えてきたのである……。

 

【小説の場面から】
 

 <1977年(昭和52年)1月5日、聖教新聞紙上に山本伸一の「諸法実相抄」講義の第3回が掲載された>
 
 「いつの時代にあっても、絶対に変わらない広宣流布の根本原理が、『一人立つ』ということです。大聖人も、そして牧口先生も、戸田先生も、決然と一人立たれた。(中略)
 
 『一人立つ』とは、具体的に言えば、自分の家庭や地域など、自身が関わっている一切の世界で、妙法の広宣流布の全責任をもっていくことです。私たちは、一人ひとりが、家族、親戚、友人等々、他の誰とも代わることのできない自分だけの人間関係をもっています。妙法のうえから見れば、そこが使命の本国土であり、その人たちこそが、自身の眷属となります。(中略)
 
 ゆえに、『一人立つ』という原理が大事になります。御本仏・日蓮大聖人の御使いとして、自分は今、ここにいるのだと自覚することです。
 
 そして、おのおのの世界にあって、立ち上がっていくのが、地涌の菩薩です。そのなかにのみ、広宣流布があることを忘れないでください」
 
 最も身近なところで、仏法を弘めていくというのは、地味で、それでいて最も厳しい戦いといえる。
 
 自分のすべてを見られているだけに、見栄も、はったりも、通用しない。誠実に、真面目に、粘り強く、大情熱をもって行動し、実証を示しながら、精進を重ねていく以外にない。しかし、そこにこそ、真の仏道修行があるのだ。
 
(「厳護」の章、177~178ページ)
 

 

ここにフォーカス 人間のネットワーク

 「母の詩」の章が、聖教新聞紙上で連載された2010年(平成22年)は、新語・流行語大賞のトップ10に「イクメン」が選ばれた年です。
 
 一方で、胸を締め付けられるような児童虐待のニュースも相次ぎ、子育てを支える社会の構築へ、関心が高まっていました。
 
 同章では、「子育て支援や虐待の防止のためには、行政などの取り組みも必要不可欠である。しかし、より重要なことは、地域社会の中に、共に子どもを守り、若い母親を励まそうとする、人間のネットワークがあるかどうかではないだろうか」との指摘がなされています。
 
 “縁する全ての人を幸福に”との「太陽の心」で、創価の母たちは、あの友、この友に励ましを送ってきました。その温かな声掛けが、子育てや仕事などで悩むヤング白ゆり世代を、どれほど勇気づけてきたことでしょう。
 
 婦人部指導集『幸福の花束Ⅲ』の「発刊に寄せて」で、池田先生は、「幸福の春を創り広げ」ゆく創価の女性をたたえ、ヤング白ゆりの年代を、「『青春』に続く『創春』の時代」と意義づけています。
 
 ライフスタイルや価値観が多様化する現代社会。その中で、地域に幸福の種をまく創価の女性の連帯は、「社会の希望」と光り輝いています。