毎日が、始めの一歩!

日々の積み重ねが、大事な歴史……

第10回本部幹部会への池田先生のメッセージ

2022年08月28日 | 妙法

第10回本部幹部会への池田先生のメッセージ2022年8月28日

  • 報恩の大道に恐れなし 人間革命の地涌の舞を
友の幸福のため、世界の平和のため、我らは堂々と仏法を語り抜こう!――スピーチする池田先生(1993年4月の全国青年部幹部会、東京の創価国際友好会館〈当時〉で)
友の幸福のため、世界の平和のため、我らは堂々と仏法を語り抜こう!――スピーチする池田先生(1993年4月の全国青年部幹部会、東京の創価国際友好会館〈当時〉で)

 一、それは25年前、仏教源流の天地インドで、各界の識者を前に、私は21世紀を「ニュー・ヒューマニズムの世紀」へと展望する講演を行いました。〈1997年10月、ニューデリーのラジブ・ガンジー財団本部での講演〉

 その折、宗教が独善に陥らないためには、どうすればいいか。それには、「教育」という知性と普遍性の翼を持つことであると申し上げました。子どもたちを伸びやかに幸福へ導き、青年を聡明に育て、人と人を平和に結ぶことこそ、「人間のための宗教」の要件であると提起したのであります。

 うれしいことに、今、インドをはじめ全世界で、地涌の若人が生き生きと躍動し、新たな英知と希望の波また波を起こしてくれています。

池田先生がインドのラジブ・ガンジー現代問題研究所の招請で「『ニュー・ヒューマニズム』の世紀へ」と題して講演。“新たなる人間主義の世紀”への展望を語った(1997年10月、ニューデリーのラジブ・ガンジー財団本部で)
池田先生がインドのラジブ・ガンジー現代問題研究所の招請で「『ニュー・ヒューマニズム』の世紀へ」と題して講演。“新たなる人間主義の世紀”への展望を語った(1997年10月、ニューデリーのラジブ・ガンジー財団本部で)

 一、創価の父・牧口先生は、常々、「行き詰まったら原点に戻れ」と叫ばれました。今、人類が立ち返る原点は何か。それは、「生命」そのものでありましょう。

 この「生命」に本源的な智慧の光を当てている哲理が、法華経の肝要であり、日蓮仏法の真髄である「御義口伝」であります。

 戸田先生と師弟して、まさしく日蓮大聖人から直々に口伝を拝する覚悟で、一文一文、心肝に染め、実践してきた御書です。

 そして、私が学生部の英才たちと「御義口伝」の研鑽を開始して、この8月で60年となります。瞳も凜々しき受講生の心を受け継ぎ、今の学生部・青年部が真剣に「行学の二道」に励む姿が、誠に頼もしい。

御義口伝 「宝塔即ち一切衆生、一切衆生即ち南無妙法蓮華経の全体なり」
全員が知勇兼備のリーダーに!――求道の心を燃やし、いよいよ真剣に「行学の二道」を歩みゆくことを誓った青年たち(東京戸田記念講堂で)
全員が知勇兼備のリーダーに!――求道の心を燃やし、いよいよ真剣に「行学の二道」を歩みゆくことを誓った青年たち(東京戸田記念講堂で)

 「御義口伝」の「生命観」「生死観」「社会観」「宇宙観」が、どれほど深遠であり、どれほど壮大であるか。

 例えば、「妙法蓮華経を見れば、宝塔即ち一切衆生、一切衆生即ち南無妙法蓮華経の全体なり」(新1111・全797)と仰せであります。

 つまり、一人一人の生命の妙法蓮華経を見るならば、法華経で涌出した巨大にして荘厳なる宝塔は即ち一切衆生のことであり、一切衆生は即ち南無妙法蓮華経の全体なのである、と示されております。

 ゆえに、「今、日蓮等の類い、南無妙法蓮華経と唱え奉る」我らは、わが心は本来の仏なりと「歓喜の中の大歓喜」(新1097・全788)を漲らせ、人間尊敬の対話で、最極の生命尊厳の宝塔を「二人・三人・百人」と林立させていくのであります。

 そして、「千草万木(千差万別のあらゆる草木)も地涌の菩薩でないものはない」(新1047・全751、通解)と仰せのように、この大宇宙に遍満する、命を育む妙なる慈悲の力用を、我らの題目の響きで一段と強め、地球民族の幸福と平和へ、全てを生かしながら価値創造していくのであります。

創価の師弟は「哲学界の王者」 人間尊敬の対話を 慈悲の価値創造を

 一、確固たる精神の指標が求められてやまない現代にあって、誰もが人間革命し得る真の民衆仏法であり、人類の宿命を転換し得る真の世界宗教である「太陽の仏法」の極理を、創価の師弟は「哲学界の王者」の誇りも高く、いよいよ語り、いよいよ広めてまいりたい。

 この秋には、仏法入門の任用試験が行われます。

 私も多くの求道の友からの要請に応え、「大白蓮華」の11月号から、新たに「御義口伝」の要文の講義を開始したいと思っております(大拍手)。

 一、ここで、私の入信75周年を真心から祝賀してくれた全宝友に感謝を込めて、以前に書き留めた一書を披露させていただきます。

池田先生が揮毫した書「法恩 師恩」。本部幹部会の席上で紹介された
池田先生が揮毫した書「法恩 師恩」。本部幹部会の席上で紹介された

 「法恩」、そして「師恩」であります。

 あいがたき妙法に巡りあえた大恩は天空よりも高く、慈折広宣流布の師弟に生き抜ける大恩は大海よりも深い。そして、異体同心の同志と共に、この恩を知り、この恩に報いんとする一念には、何ものをも勝ち越える勇気と未来の友の道を開く力が尽きることなく湧いてくる。これが、わが不退の75星霜を貫く大確信であります。

 最後に「御義口伝」の一節を拝したい。「『心無所畏(心に畏るるところ無し)』とは、今、日蓮等の類い、南無妙法蓮華経と呼ばわるところの折伏なり」(新1066・全765)と。

 この恐れなき折伏精神、威風堂々の学会精神を燃え上がらせ、新時代の山本伸一たちを旗頭に、「人間革命」即「生命ルネサンス」の地涌の舞を誓い合って、メッセージとします。皆、健康第一であれ!(大拍手)


「葛飾総ブロック長」 日本一の幸せあふれるわが地域に

2022年08月25日 | 妙法

第20回 「葛飾総ブロック長」 日本一の幸せあふれるわが地域に2022年8月25日

  • 〈君も立て――若き日の挑戦に学ぶ〉
イラスト・間瀬健治
イラスト・間瀬健治
模範の地域建設への実践
一、「誓願の祈り」
二、「御書根本」
三、「異体同心の団結」
(「随筆 永遠なれ創価の大城」〈「行学の闘士」の誉れ〉から)
葛飾文化会館の開館記念勤行会で、同志を激励する池田先生(1977年4月24日)
葛飾文化会館の開館記念勤行会で、同志を激励する池田先生(1977年4月24日)
勤行・唱題の実践

 「夜、葛飾ブロックの会合に出席」「体当たりで指導」(『若き日の日記』)――1957年(昭和32年)9月25日、29歳の池田先生は日記にとどめた。
 この日、東京・葛飾区の亀有で、総ブロックの結成大会が開催された。葛飾の初代総ブロック長に就任した先生は、自らの誓いをこう語った。
 「私が葛飾に来たのは、ただ任命を受けたからではありません。私はこの葛飾に、全国に先駆けて、模範的なブロックをつくるために来ました」
 学会に、地域を基盤としたブロック制が敷かれたのは、55年(同30年)5月のことだった。新入会者が紹介者の組織に所属する「タテ線」に比べ、ブロックの連携は希薄で、毎週水曜日の「ブロックの日」は熱が入らない状況があった。ブロック組織の強化は課題となっていた。
 57年8月、ブロック強化を目的とした「夏季ブロック指導」が行われた。池田先生は、荒川区の最高責任者として指揮を執り、8日から14日の間で、二百数十世帯の弘教を成し遂げた。
 同月28日、本部幹部会が豊島公会堂(当時)で開催された。席上、従来のブロック制を改革し、東京23区に総ブロック制を設置することが発表される。新たな出発を開始する幹部会で、先生は「葛飾総ブロック長」の任命を受けた。
 総ブロック長の先生が、葛飾で呼び掛けたのは、信仰の基本である“勤行の実践”だった。結成大会で訴えた。
 「模範のブロックをつくるには、どうしたらよいか。まず、全会員が、しっかり勤行できるようにすることです」
 「宿業の転換といっても、人間革命といっても、その一切の源泉は、勤行・唱題にほかなりません」
 葛飾区の中には、先生が住んでいた大田区から2時間近くを要する地域もあった。青年部の室長として全国を東奔西走しながら、勇んで駆け付けた。

【「若き日の日記」1958年(昭和33年)4月29日から】
戦おう。師の偉大さを、世界に証明するために。
一直線に進むぞ。断じて戦うぞ。障魔の怒濤を乗り越えて。
池田総ブロック長が乗った自転車のレプリカ。先生は心で題目を唱えながら、葛飾中を激励に回った
池田総ブロック長が乗った自転車のレプリカ。先生は心で題目を唱えながら、葛飾中を激励に回った
水曜日の男 

 「自転車をかり、葛飾のブロックを回る」(『若き日の日記』、1957年10月30日)
 亀有、立石、金町、細田――池田先生は、時には自転車で、また時には同志のトラックに同乗し、訪問・激励や一対一の対話を重ねていった。
 先生は、「私は、皆さんにとっては、『水曜日の男』だね」と、ユーモアを込めて、葛飾の同志に語ったことがある。水曜日の「ブロックの日」を中心に、訪れることが多かったからである。
 葛飾の友にとって、水曜日は恩師の心を体現した池田先生から、広布の要諦を学ぶことができる絶好の機会だった。ある時、先生は葛飾のリーダーと共に個人指導に歩き、訪問・激励の心構えについて次のように語った。
 「もうこの人には二度と会えないかもしれません。ありったけの思いやりで、精いっぱい真心の指導・激励をしましょう。それが仏の使いです」
 「指導とは思い切り聞いてあげることです」
 先生は、“高みから教える”のではなく、“同じ目線”で同苦した。激励に当たって心肝に染めるべき御文として、「十法界明因果抄」の一節を拝した。
 「もし、自分が彼より立派であるという思いに耐え、乗り越えることができなければ、人を下に軽く見て、トンビのように高い所から人を見下げる行動をとってしまう」(新464・全430、趣意)
 自分が偉いと錯覚し、横柄な態度で会員に接することは、すでに仏法者ではないことを訴えたのである。
 また、励ましの“スピード”を重視した。ある時、悩みを抱えているメンバーの報告を聞くと、「よし、すぐ行こう」と、自転車に飛び乗った。後日、葛飾の同志が、そのメンバーの家を訪ねると、先生からの手紙が届いていた。皆、先生のこまやかな心配りに胸を熱くした。
 「思い切り聞く」「スピード」「心配り」――先生の慈愛の激励を通し、葛飾の同志は、“創価の励ましの魂”を身をもって学んだ。
 さらに、葛飾の友が、先生の姿から心に刻んだのは、誠実な振る舞いの大切さである。
 個人会場の近隣にある寿司屋から苦情が出たことがあった。会場に多くの同志が集い、騒がしく感じたのである。その報告を聞いた先生は、即座に店主のもとを訪ね、丁寧に事情を説明した。
 1958年(昭和33年)9月26日から27日にかけて、狩野川台風が日本を襲った。この台風によって、都内では30万戸以上が浸水の被害に遭った。葛飾でも多数の浸水家屋が出た。
 台風が近づいていた25日、先生は大阪事件の第8回公判に出廷。26日の帰路、台風で足止めに遭い、列車内で1泊する。27日、帰京すると、疲労の体を押して、葛飾へと向かったのである。

1972年2月13日、池田先生は「葛飾文化祭」に出席し、友と記念のカメラに納まった(都立水元公園内で)
1972年2月13日、池田先生は「葛飾文化祭」に出席し、友と記念のカメラに納まった(都立水元公園内で)
信心とは無疑曰信

 葛飾に到着した池田先生は、長靴に履き替えると、同志と共に中川の土手に足を運んだ。豪雨で足元が緩くなった土手沿いを見回り、土のうを積む人を見掛けると、ねぎらいの言葉を掛けた。
 先生には、学会員も会員でない人も、分け隔てはなかった。地域のために行動する人をたたえた。この行動こそ地域友好を開く要諦――葛飾の友は、先生の実践を模範とした。
 先生が葛飾で総ブロック長として指揮を執ったのは、1957年から59年(同34年)7月の約2年である。
 この間、戸田先生の生涯の願業である75万世帯の達成に向けて死力を尽くした。「3・16」の“広宣流布の記念式典”など、恩師の戦いの総仕上げの時にあって、先生が葛飾で強調したのは「師弟直結」である。
 「皆さんと戸田先生との間には、なんの隔たりもありません。皆さん方一人ひとりが、その精神においては、本来、先生と直結しているんです」
 池田先生の激励によって、葛飾の同志は、師匠・戸田先生に心を合わせ、自発能動の挑戦に奮い立っていった。
 58年(同33年)4月2日に恩師が逝去し、先生は同年6月から、総務として学会の舵取りを担った。
 激闘に次ぐ激闘の中、先生は葛飾に模範のブロック組織を築いていった。
 「葛飾のブロックに出席」「『佐渡御書』を講義」(同、58年5月28日)
 「夜、葛飾のブロックに出席」「『星落秋風五丈原』を歌いながら帰宅」(同、同年7月23日)
 59年7月に葛飾総ブロック長の役職を離れた後も、先生は葛飾の友を見守り続けた。その深い慈愛に包まれた葛飾は、地域広布の水かさを増し、60年(同35年)12月、3総ブロックへと発展した。
 先生は葛飾の青年たちに、大切な指針を残している。
 一つは、「無疑曰信」(疑い無きを信と曰う)。
 ある時、先生は男子部員に、「信心とは何ですか?」と質問した。「勝つことです」と答えるメンバーに、「間違いではないが」と前置きし、「信心とは無疑曰信です」と語った。
 もう一つは、扇子に揮毫した「断は確信に通ず」との言葉である。
 どんな困難が競い起こっても、広布の戦いをやり抜くとの決断。それこそが、自らの境涯を開き、人間革命を成し遂げる原動力である。
 今月、先生の葛飾総ブロック長就任から65周年の佳節を刻む。葛飾総ブロック結成大会で、先生は「この葛飾を、皆で力を合わせ、東京一、いな、日本一の、幸せあふれる地域に」と望んだ。その呼び掛けをわが誓願として、葛飾の同志は使命の天地を駆ける。
 葛飾は、先生が手作りで育んだ広布の天地――との誇りに燃えて。

中川に架かる「平和橋」を池田先生が撮影(2002年5月5日、葛飾区内で)。この日、先生は、平和橋のほど近くに立つ葛飾平和講堂を視察。全国模範の広布前進をたたえ、和歌を贈った――「葛飾も 東京一なり 堂々と 横綱 勝利の 歴史を飾れや」。本年は、総ブロック長就任65周年とともに、同講堂訪問20周年の佳節を刻む
中川に架かる「平和橋」を池田先生が撮影(2002年5月5日、葛飾区内で)。この日、先生は、平和橋のほど近くに立つ葛飾平和講堂を視察。全国模範の広布前進をたたえ、和歌を贈った――「葛飾も 東京一なり 堂々と 横綱 勝利の 歴史を飾れや」。本年は、総ブロック長就任65周年とともに、同講堂訪問20周年の佳節を刻む

池田先生の入信75周年 「8・24」

2022年08月24日 | 妙法

きょう池田先生の入信75周年 「8・24」を記念し全同志に和歌2022年8月24日

  • 広布史伝える新連載がスタート

 きょう8月24日、池田大作先生の入信75周年を迎えた。「8・24」は「聖教新聞創刊原点の日」であり、「壮年部の日」でもある。池田先生は恩師である第2代会長・戸田城聖先生と師弟不二の大闘争へ出発したこの日を記念し、全国・全世界の同志に3首の和歌を詠み贈った。

 1947年(昭和22年)8月24日、19歳の池田先生は戸田先生を生涯の師と定め、世界広宣流布という未到の大闘争を開始した。
 
 当時は占領下の混乱期。3年後の同日、事業の行き詰まりに直面した戸田先生は、学会の理事長を辞任する意向を発表した。この時、“これからは、新しい理事長が私の師匠になってしまうのですか”との池田先生の質問に戸田先生は答える。「苦労ばかりかけるけれども、君の師匠は、この私だよ」
 
 多額の負債を抱え、給料も遅配。多くの同志が戸田先生のもとを去っていった。その中で池田先生は一人、恩師を支え続けた。そして、一切を勝ち越え、51年5月3日、戸田先生の第2代会長就任の道を開いたのである。
 
 以来、池田先生は弘教の金字塔を築き、恩師の後を継いで平和・文化・教育の大道を世界に広げてきた。
 
 そして今、先生と心を一つにした全国・全世界の宝友の闘争によって、学会は世界宗教として192カ国・地域に広がる民衆の連帯へと発展を遂げた。
 
 先生は随筆につづっている。「八月二十四日! それは、創価の師弟が、偉大な『人間革命』の旅に出発する原点の日だ。決意新たに、広宣流布の戦いを奮い起こす日だ!」
 
 次なる勝利の峰へ、師と共に新たな慈折広布の飛躍の歴史をつづっていきたい。
 
 きょう24日から新連載「世界広布の源流 青年に語る創価の魂」がスタートします。(新連載はこちら
 
 第1回は「池田先生の入信75周年」をテーマに、原田会長が青年・未来部のリーダーに語ります。
 
 座談会は原田会長、長谷川理事長、池田主任副会長、谷川主任副会長が担当します。広宣流布大誓堂完成10周年の明2023年11月までの掲載予定。


〈池田先生の和歌〉
 師に捧ぐ
  七十五歳の
   入信日
  閻浮に妙法
   轟く誉れは
 
 民衆の
  座談の園を
   大地とし
  嵐に動かぬ
   正義の大樹と
 
 地涌の義を
  元初に誓いし
   君なれば
  二人・三人
   唱え伝えよ

 

希望の指針――池田先生の指導に学ぶ〉 新たな力2

2022年08月19日 | 妙法

希望の指針――池田先生の指導に学ぶ〉 新たな力2022年8月19日

  • 君が慈悲の行動者に! 人に光を贈る太陽に!

 連載「希望の指針――池田先生の指導に学ぶ」では、テーマごとに珠玉の指導・激励を掲載します。今回は飛躍を期し、挑戦を続ける“新たな力”の友へ贈った、励ましの言葉を紹介します。

共に動いて共に喜ぶ

 新会員の宝友を大切に育成していくために、私たちが先輩として心掛けたい点があります。それは、「共に」という一点です。
 
 「共に」という心と行動のなかに、日蓮仏法の真髄があります。師弟の本質も「共戦」にあるのです。御書には「喜とは自他共に喜ぶ事なり(中略)自他共に智慧と慈悲と有るを喜とは云うなり」(全761・新1061)と仰せです。
 
 自分一人だけの喜びにとどまりません。自他共に喜び、智慧と慈悲を発揮することが、最高の喜びになるのです。
 
 (『調和と希望の仏法』、89ページ)
 

幸福を「つかむ」信心

 幸福は、他の誰かから与えられるものではない。自分の意志や努力とは無関係に、いつか突然やって来るのを待つのでもない。究極は、各人が、自分自身で「つかむ」しかありません。必ず「つかむ」ことができる信心なのです。
 
 そして、三世に崩れざる真の幸福境涯を、自他共の胸中に築き上げていく。それが、創価学会の信心の実践です。
 
 (『創価学会永遠の五指針』、38ページ)
 

師弟とは弟子の共戦

 最初は“自分のための祈り”だったものが、そのまま“師と同じ誓願の祈り”へと発展していく。
 
 それは「師匠に守られる弟子」から、「師匠と共に戦う弟子」への一大転換劇ともいえるでしょう。
 
 これは、「超越的絶対者に救済を求める宗教」とは異なります。
 
 「万人が民衆救済の慈悲(慈しみと同苦の仏の生命)の行動者」になるというのが、仏教の根幹の原理なのです。
 
 「師弟」とは、目覚めた民衆の陣列を築く、師匠の「精神」と「行動」を共戦の弟子が継承していくことなのです。
 
 (『調和と希望の仏法』、24ページ)
 

一家和楽を築く直道

 私自身の体験の上からも、未入会の家族を持った方々の苦労は痛いほどわかります。
 
 だからこそ、信心のことで、感情的になって争ってはならないし、焦ってもならないと申し上げたい。
 
 御書に仰せの通り、誰か一人でも「仏になる道」を貫いて信心に励んでいくならば、それが家族への真の孝養の道となります。
 
 信心をしている一人が、どこまでも家族を愛し、大切にしていくことです。家族に希望の光を贈っていく光源へと、自分自身を磨き「人間革命」させていくことです。
 
 自身が「一家の太陽」となることが、一家和楽を築いていく直道にほかならないのです。
 
 (『創価学会永遠の五指針』、17ページ)
 

10万人の誓いの友が集った「常勝関西大躍進大会」(2022年5月、京セラドーム大阪で)。関西中から新しい活動者が参加。「新しい力」が躍動し、新時代の“金字塔”を打ち立てた
10万人の誓いの友が集った「常勝関西大躍進大会」(2022年5月、京セラドーム大阪で)。関西中から新しい活動者が参加。「新しい力」が躍動し、新時代の“金字塔”を打ち立てた

 
 時代は混迷を深めている。
 
 「新しい人材」を育て、
 
 「新しい力」すなわち「ニューパワー」を
 
 糾合したところが勝つ。
 
 『勝利の人間学』
 
 

現実に人を救えるか

 どんなに歴史や伝統があっても、現実に多くの人々を救う力がなければ、それは、“生きた宗教”とは言えません。
 
 現実に自他共の幸福を願い、周囲からの信頼を積み上げながら、人々の中へ、社会の中へ、わが信念と体験を生き生きと伝え広めていく「行動力」にこそ、「人間の宗教」の生命線があるのではないでしょうか。
 
 (『調和と希望の仏法』、32ページ)
 

御書は生命を輝かす

 たとえ難解に感じたとしても、広布の実践に励む中で、“分かろう”“分かりたい”と肉薄することによって、自身の境涯を開いていくことができるのです。
 
 一節でもいい、一行でもいい、日々、御書を拝することで、自身の生命を最高に輝かせていくことができるのです。
 
 たとえ絶望の淵に立たされても、御書を拝すれば、胸中に希望の太陽が昇ります。行き詰まった時にこそ御書を繙けば、何ものをも恐れぬ師子王の心を取り出すことができます。
 
 (『信仰の基本「信行学」』、75ページ)
 

すがる信仰ではない

 日蓮仏法は、何かにすがるような弱々しい信仰ではありません。
 
 不撓不屈の信念で希望を引き出すのが、日蓮仏法の祈りです。この仏の智慧と力の源泉が、南無妙法蓮華経の唱題行なのです。大生命力を引き出せるかどうかは、どこまでも信心によるのです。
 
 (『調和と希望の仏法』、71ページ)
 

「善縁」と繫がろう!

 忙しくて、なかなか会合に出られない時や、思うように題目があげられない時こそ、気後れしたり、遠慮したりしないで、同志と連絡を取り合っていくことである。
 
 少しでもつながっていこう! その心をもって、同志という善縁にふれていく中で、生命力が増す。ここに、何ものにも負けずに、成長と向上の青春を謳歌しゆく道がある。
 
 新入会の友のニューパワーで、広宣流布、すなわち世界の平和と人類の幸福へ、朗らかにニューウエーブを起こしてくれ給え!
 
 (『勝利の人間学』、203ページ)
 


師弟の出会いから75年 池田大作先生の写真と言葉「四季の励まし」

2022年08月14日 | 妙法

師弟の出会いから75年 池田大作先生の写真と言葉「四季の励まし」2022年8月14日

 【写真説明】高原は夏真っ盛り。かなたの浅間山も輝いて見える。2018年(平成30年)8月、池田大作先生が長野の地でカメラに収めた。
 65年前の8月、池田先生は恩師・戸田城聖先生との最後の夏を軽井沢で過ごした。浅間山の鬼押出しを訪れ、広布の展望を語り合った。この時、池田先生は師の真実をつづり、永遠に残そうと決意する。小説『人間革命』を執筆し、続編の『新・人間革命』はこの地で起稿し、この地で脱稿した。
 きょう14日は、池田先生と戸田先生の出会いから75年。世界広布の師弟旅は1947年(昭和22年)のこの日に始まった。報恩を胸に、人間革命の挑戦を開始しよう。
 

池田先生の言葉

 偉大な人物を師匠と仰ぎ、
 模範とする人生には、
 正義がある。前進がある。
 成長がある。充実がある。
 師弟に生きる人は、
 使命がわかる。
  
 師を持つことほど、
 大きな幸福はない。
 師と共に戦えることほど、
 気高い誉れはない。
 その師への感謝こそが、
 正しい人生を歩み続ける
 源泉なのである。
  
 恩を知る人生は美しい。
 私にとって、
 大恩ある師匠は、
 戸田先生である。
 寒風の日も、吹雪の時も、
 先生と二人で築いてきた
 学会だ。
 殉難の魂を、
 深き同志愛を、
 勝利の力を、
 平和への英知を、
 先生は私に
 打ち込んでくださった。
 真実の創価学会の姿は、
 先生と私の心の中にある。
  
 牧口先生にとって、
 戸田先生は、
 よき弟子であった。
 戸田先生にとって、
 私は、よき弟子であった。
 弟子によって、
 師匠の価値が決まる。
 師匠ではなく、
 弟子で決まる――
 御聖訓どおりの、
 創価の三代の師弟である。
  
 師弟は、
 物理的距離ではない。
 たとえ遠く離れていても、
 心は瞬時に伝わる。
 また、時代を超えて、
 生命と生命は響き合う。
 空間も、時間も、
 師弟を阻む
 壁にはならない。
 麗しき師弟の絆にこそ、
 人間としての
 勝利の栄冠が輝くのだ。
  
 創価の魂は、
 世界の民衆の
 崩れざる幸福と安穏を
 築かんと立ち上がった
 「師弟共戦の誓願」にある。
 広宣流布という
 永遠の大願に生きる、
 我らの「師弟の絆」も
 永遠なのだ。