【一滴】 偶然のような縁を「偶然で済ませない」と決めた対話が、人を救った。2021年8月20日
![“人のために灯をともしてあげれば、自分の前も明るくなる”との御書の一節をかみしめる川瀬芳子さん㊧と、題目の力を感じている斉藤初江さん](https://shimen.seikyoonline.com/image/S01/20210820/843A63ECFDAC0D9F0FCF8C5DDA3E1692/EF801E30AB302FA523E128F1A177AD7DD54F2D1FBE761E3D965DECF22F7EE3E3_L.jpg)
今回は、北海道北西部の留萌市から。川瀬芳子さん=支部女性部長=は2019年12月、斉藤初江さん=女性部員=を入会に導きました。それは、「縁」を大事にする人たちがつないだ、対話のリレーのような歩みだったといいます。(記事=金田陽介)
![](https://shimen.seikyoonline.com/image/S01/20210820/843A63ECFDAC0D9F0FCF8C5DDA3E1692/5C7A69EE62BFE2EE0E2B7C42B64726EBD54F2D1FBE761E3D965DECF22F7EE3E3_L.jpg)
「創価学会って、どんなところだと感じますか?」
この取材の終わりごろ、斉藤初江さんに聞いた。
「そうですね……」
斉藤さんは少し考えて、語ってくれた。
「人に声を掛ける団体、だと思います」
「誰かを見掛けた時、普通なら何となく通り過ぎそうなところでも、学会員の皆さんは一言、声を掛けようとするでしょう?」
「そうやって、自分から交流をつくろうとする方が多いですよね」
もちろん、声の掛け方やタイミングなどについて、配慮を尽くすことは大前提だろう。その上で、地域の学会員の「ちょっとした声掛け」は、斉藤さんの人生を変えたのだという。
![斉藤初江さん](https://shimen.seikyoonline.com/image/S01/20210820/843A63ECFDAC0D9F0FCF8C5DDA3E1692/5E9362A9A4D9E9AC43BD9C14FF1FB139D54F2D1FBE761E3D965DECF22F7EE3E3_L.jpg)
斉藤さんは“ママ友”の高橋雅恵さんを通じて創価学会のことを知った。斉藤さんの次男と、高橋さんの長男が、小学校の同級生だった。
明るい服装が好きな斉藤さん、はっきりした性格の高橋さんも、「まーちゃん」「はっちゃん」と呼び合う仲になった。二人とも飲食関連の仕事をしていたこともあり、子どもが成長してからも付き合いは続いた。
今から約5年半前の冬、斉藤さんは、不慮の事故で次男を亡くした。それから、高橋さんが、何かと自宅を訪ねてくるようになった。自暴自棄になりかけている自分を、気にしてくれていることは伝わってきた。だが斉藤さんはその頃のことを、よく覚えていない。
ある日、自宅に来た高橋さんが、切り出した。
「来月、創価学会の座談会で、私が体験発表をするから、来てほしいの」
当時、高橋さんは、子宮がんの進行と闘っていた。自身の真情や闘病の決意を発表するのだという。
斉藤さんは、創価学会に入る気など全くなかった。だが、高橋さんの誘いは、なぜか断れなかった。「自分も大変なのに私に寄り添おうとしてくれている、高橋さんの真心が伝わってきましたから。私も、“ずっと家にいるのも良くないかも”という気持ちがあったんですね」
![川瀬芳子さん](https://shimen.seikyoonline.com/image/S01/20210820/843A63ECFDAC0D9F0FCF8C5DDA3E1692/984B56FDFDD9FAA79897378646F9D0F1D54F2D1FBE761E3D965DECF22F7EE3E3_L.jpg)
ブロック座談会の当日は大雨が降っていた。会場の個人宅には、20人ほどが集まっていた。
会場の後方に座った斉藤初江さん。座談会の細かい内容は記憶していない。ただ、高橋雅恵さんが自らの病状をありのままに語り、「私は負けません!」と言い切ったまなざしが、脳裏に深く焼き付いた。
当時、支部婦人部長だった川瀬芳子さんも、座談会の場にいた。その日を機に、川瀬さんは高橋さんに同行し、斉藤さん宅を訪問するようになった。
2016年の春先、病状が進んだ高橋さんは、留萌から100キロほど離れた、札幌市内の病院で、治療を受けることになる。メンバーや友達と会えない。だが、それならばと、高橋さんは病床から手紙を送り始めた。
「お元気ですか? いつもお題目送っていますヨ♡神田さんは元気かなあ? 藤野さんは地区に慣れたかなあ? 関本のお母さん、元気あまってムリしてないかなあ? 祈っています。病人の私に負けないでくださいヨ!! 私は負けてません。どんな事が次から次へと出てきても負けない!!」(川瀬さん宛ての手紙につづられていた、地区の皆へのメッセージ)
斉藤さんにも、毎月のように手紙が届いた。
「来週中に一度退院し、留萌へ戻る予定です。帰ったら一緒に勤行しましょうね。連絡します」
「新聞の体験談、送るから読んでネ♡」(手紙と共に、聖教新聞の切り抜きが同封されていた)
ある時は「初江さん、一緒にこの信心やろうよ!! 私を信じてついて来て!!」と、率直な思いがそのままつづられていた。
手紙は、高橋さんが治療の手を尽くして闘い抜き、同年9月に人生を全うするまで、届き続けた。
![高橋さんが送り続けてくれた手紙を、斉藤さんは宝物にしている](https://shimen.seikyoonline.com/image/S01/20210820/843A63ECFDAC0D9F0FCF8C5DDA3E1692/6BFA9386EDF7B8DCA60E65C96FBA0EEBD54F2D1FBE761E3D965DECF22F7EE3E3_L.jpg)
その後、高橋さんを介してつながっていた川瀬さんと斉藤さんの交流は、数カ月の間が空いた。
川瀬さんは、その間に、祈りながら考えていた。
「斉藤さんとの出会いを子どもたちがつくってくれたの」――高橋さんはよく語っていた。
その高橋さんが、今度は斉藤さんと自分を引き合わせてくれた。それは、偶然のようで、偶然ではない縁なのだと、感じずにはいられない。偶然では終わらせたくない、とも思った。
「私も、改めて斉藤さんと友達になりたいなと思いました。それに、高橋さんの対話の思いを受け継ぐ、と言ったらおかしいかもしれませんが、そうしたいとも思ったんです」
「どんな友情も、最初は知らない者同士の出会いである」「勇気をもって、挨拶する、会う、語る、縁を結ぶ――この日常の誠実な振る舞いのなかにこそ、わが生命の宇宙を伸びやかに開発しゆく人間革命もあるのだ」(『池田大作全集』第134巻所収)
川瀬さんは、斉藤さんに「久しぶりにお会いしませんか」とメールを送った。
![留萌市は日本一の“カズノコのまち”として知られ、夕日の名所でもある](https://shimen.seikyoonline.com/image/S01/20210820/843A63ECFDAC0D9F0FCF8C5DDA3E1692/929E28D2AE9A560BCB3CD72C0E4A7EB1D54F2D1FBE761E3D965DECF22F7EE3E3_L.jpg)
そのメールに、斉藤さんは同意の返信をした。
「私は負けません」――高橋さんが自らの姿で教えてくれた生き方を、川瀬さんもまた同じくしているというのが、何度か会って抱いた印象だった。そういう人と友達になれるのは、うれしいことだと思えた。
二人は、時間を見つけては、一緒に食事に行ったりしながら、交流を深めた。斉藤さんは小売店に勤めており、川瀬さんは看護師である。それぞれに仕事の苦労があり、日常のいろんな思いを話せるのも、ストレス解消になった。
「芳子さん、今日もおつかれさま」
「初江さん、いま何してますか?」
仕事が終わった後に、何げないメールやLINEを交わせる相手がいるのは、楽しかった。
斉藤さんは、川瀬さんと一緒に、学会の留萌会館で勤行するようにもなった。会館に行くと、居合わせたメンバーがいつも、声を掛けてくれる。
「よく来てくださって」
「いい天気ですね」
特別な言葉ではない。だが、斉藤さんにとってそうした声掛けは、どこにでも当たり前にあるものではなかった。きっと、この人たちは、私だけではなくて、周囲の誰に対しても、親愛の心を込めた言葉を送っているのだろうと思えた。「声を掛けてくださる人が、会館に行くたび増えていく気もして(笑い)」
![地区の皆のちょっとした声掛けが、斉藤初江さん(右から2人目)に大きな安心と勇気を送ってきた](https://shimen.seikyoonline.com/image/S01/20210820/843A63ECFDAC0D9F0FCF8C5DDA3E1692/8EE90E787A8D383E0943BE06B3A136BCD54F2D1FBE761E3D965DECF22F7EE3E3_L.jpg)
いつだったか、川瀬さんが真剣な表情で言ってくれた言葉が、斉藤さんの心に残っていた。
「初江さんは、一人じゃないですよ」
その通りだと思えた。
高橋さんは、すべてを投げ出しかけていた自分に、誰よりも早く声を掛け、寄り添ってくれた。川瀬さんも、細い「縁」の糸を太くしながら、伴走してくれている。会館で出会う皆の、何げない一言一言にも、二人と同じ真心を感じる。
「一人じゃないですよ」
それは、ただ言葉だけのものではなかった。皆が、その言葉を、行動をもって示してくれていた。
いつからか、斉藤さんは笑うことが増えている自分に気付いた。もともと好きな、赤や緑の明るい色の洋服を、また着るようになっていた。
一緒に信心しませんか、と川瀬さんに言われた時、斉藤さんは、自分にとってそれが自然なことであるように思えた。
何か明確な“決め手”があったわけではない。ただ、皆が、まるでバトンをつなぐように、自分を幸せの方向へ導いてくれていることを感じたのだ。
2019年12月、斉藤さんは、学会員になった。
![留萌支部の塚田敬子さん](https://shimen.seikyoonline.com/image/S01/20210820/843A63ECFDAC0D9F0FCF8C5DDA3E1692/8FB6AA1D5FADC4591558AB957F5D6D53D54F2D1FBE761E3D965DECF22F7EE3E3_L.jpg)
![留萌支部の川瀬和枝さん](https://shimen.seikyoonline.com/image/S01/20210820/843A63ECFDAC0D9F0FCF8C5DDA3E1692/7B787615E399E48B3A2A050A35357245D54F2D1FBE761E3D965DECF22F7EE3E3_L.jpg)
![留萌支部の関本禮子さん](https://shimen.seikyoonline.com/image/S01/20210820/843A63ECFDAC0D9F0FCF8C5DDA3E1692/F36910D3DA23BE7F33C8AE349F4A9C60D54F2D1FBE761E3D965DECF22F7EE3E3_L.jpg)
直後の、20年2月――。
コロナ禍のため、全国で対面の会合などを自粛せざるを得なくなった。
だが、冬の厳しい地吹雪の中で鍛えられてきた留萌の組織。メンバーや友人に思うように会いに行けない状況に対しては、経験が豊富である。コロナの状況に応じて、手紙でもメールでも、工夫しながら励ましを広げてきた。
「私は、まだ“見習い”みたいな状態ですが、なかなか学会活動できないのは残念」と斉藤さんは笑う。「でも川瀬さんたちが、私の店に、よく顔を見に来てくれて。自分も、そうやって、人に励ましの言葉を送っていける人になりたいですね」
だが、はっきりと感じている、自分の変化もある。「私は負けません」――少しずつだけど、そう口にできるようになってきた。勝利の生き方を教えてくれた高橋さんや、川瀬さん、地区の皆さんには、まだまだ及ばないけれど。
「力あらば一文一句なりともかたらせ給うべし」(御書1361ページ)
創価学会は「声を掛ける団体」「対話の団体」だ。観念や、評論ではない。周囲に励ましの声を掛け、縁を結び広げる。そうした「行動」によって、互いの命に新たな活力を湧きいだしていく。それが、学会活動の実像だ。
偶然のような縁を、偶然のままでは済ませない――世界各地のメンバーが今、その思いで、対話の一歩を踏み出している。
一滴――新しい日々の始まり。
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