毎日が、始めの一歩!

日々の積み重ねが、大事な歴史……

小説「新・人間革命」学習のために 「アフリカ・オセアニア編」 

2020年09月25日 | 妙法

マイ・ヒューマン・レボリューション――小説「新・人間革命」学習のために 「アフリカ・オセアニア編」   2020年9月25日

 

  • “後継のせい”高らかに 広布の決勝点へ!
「21世紀は、必ずアフリカの世紀になる」――師の構想を果たさんと後継の若人が陸続と誕生している(2018年6月、ガーナ会館で)
「21世紀は、必ずアフリカの世紀になる」――師の構想を果たさんと後継の若人が陸続と誕生している(2018年6月、ガーナ会館で)
 
“世界広布のトップランナー”の誇りを胸に前進するオセアニアの友(2019年10月、オーストラリア文化会館で)
“世界広布のトップランナー”の誇りを胸に前進するオセアニアの友(2019年10月、オーストラリア文化会館で)
 

 小説『新・人間革命』の山本伸一の激励・指導などを紹介する「My Human Revolution(マイ・ヒューマン・レボリューション)」。今回は「アフリカ・オセアニア」編を掲載する。次回は第18巻を10月9日付2面に掲載の予定。挿絵は内田健一郎。

 
ナイルの太陽に師の構想実現ちか

 〈1962年(昭和37年)2月、山本伸一は初めてアフリカの大地に立った。エジプトで博物館等を視察後、ホテルに戻ると、伸一宛てに日本から電報が届いていた〉

 伸一が自分の部屋で電報を開くと、ローマ字で打たれた「KOUSO NASI(控訴なし)……」の文字が目に飛び込んできた。

 一月二十五日、大阪事件の第一審の大阪地裁の判決で、伸一は無罪となったが、検察が控訴することが懸念されていたのだ。
 しかし、判決後十四日間の控訴期間内に、検察は控訴の手続きを取らなかったのである。

 あの検察の厳しい求刑を思うと、意外な感じもしたが、第一審の無罪判決を覆すことは困難であると判断し、やむなく控訴を断念したのであろう。

 これで大阪地裁の判決が最終の審判となったのである。
 伸一は、鉛のように、重くのしかかっていた心労が、霧が晴れるように消えていくのを覚えた。彼の顔に微笑が浮かんだ。

 窓際に立つと、真っ赤な大きな夕日が、ナイルの流れを深紅に染めて燃えていた。その太陽のなかに、恩師である戸田城聖の顔が浮かんだ。

 伸一は、恩師に心で語りかけた。
 “先生! 無罪は、最終的に確定いたしました。
 これで、先生の命であった創価学会に、傷をつけずにすみました。なんの憂いもなく、後継の若師子として、世界平和の大舞台に乱舞することができます。
 地上から「悲惨」の二字をなくすために、先生の広宣流布の構想は、必ずこの伸一が、すべて実現してまいります。
 先生の分身の、まことの弟子の戦いをご覧ください”

 その夜、伸一の部屋に同行のメンバーが集まり、皆で真剣に勤行・唱題した。
 それは、感謝の祈りであり、新しき広宣流布への旅立ちの、誓願の祈りでもあった。

 また、このエジプトだけでなく、伸一が初めて足を踏み入れた、未来の大陸アフリカに生きる人びとの、永遠の平和と幸福を祈っての唱題でもあった。

 (第6巻「遠路」の章、133~134ページ)
 

 

自発の心がちからかん引き出すげんせん

 〈75年(同50年)1月、グアムでの第1回「世界平和会議」で伸一は、ガーナにアフリカ初の会館の建設を提案する。前進の目標をもった友は、喜々として自ら建設作業に汗を流す〉

 作業は午前中が勝負であった。正午を過ぎると暑すぎて働くことができないからだ。一年の大半は、最高気温が三〇度を超えてしまうのだ。

 勇壮にドラムを打ち鳴らし、皆でリズムを取りながらの作業である。資材を担ぐメンバーの肩は腫れ、指先も痛んだ。

 しかし、皆、自分たちの手で、アフリカ初の会館を完成させるのだという誇りと使命に燃えていた。誰もが活気に満ち、喜びにあふれていた。

 指示されて始めた作業ではない。皆、自ら喜んで希望し、参加した会館建設である。
 自分から勇んで行動を起こそうとする自主性、自発性こそが、自らの力と歓喜を引き出す源泉となるのだ。(中略) 

 だが、順調に進むかに思われた会館建設に、思わぬ障害が待ち受けていた。クーデターなどが頻発したのである。
 政治の混乱は経済の混乱を招き、物価は高騰した。クーデターによって通貨自体が変わってしまうこともあった。
 マーケットからは、ほとんど商品が消え、物価高は際限なく進んだ。

 建設用の鉄筋も三倍から五倍ぐらいに跳ね上がった。需要の高いセメントは特に高値で取引され、値段がないに等しかった。ドアの取っ手一つ手に入れるのも大変であった。

 資材は決定的に不足していた。しかし、メンバーは、必ず幸福と平和の法城となる会館を建てるのだと真剣であった。
 強き決意は、困難をはねのける。
 皆がなんとか工夫して資材が集まると、また、作業に取りかかるのだ。

 その繰り返しのなかで、遂に一九八三年(昭和五十八年)の年末、アフリカ初の会館となるガーナ会館が完成をみるのである。

 (第21巻「SGI」の章、87~89ページ)
 

 
学会の「たましいの独立」に世界はかっさい

 〈91年(平成3年)11月、東京の創価国際友好会館で、アフリカ外交団26カ国の総意として、伸一に「教育・文化・人道貢献賞」が贈られた。この日は学会に宗門からの「破門通告書」が届いた日でもあった〉

 外交団を代表してあいさつした団長のガーナ大使は、伸一並びにSGIの世界平和への実績として、アパルトヘイト撤廃への貢献をはじめ、創価大学や民音などを通してのアフリカと日本の教育・文化交流などをあげた。
 そして、SGIは人類の理想を共有する“世界市民の集い”であると述べ、力を込めた。
 「私どもは、“共通の理想”を実現しゆくパートナーとして、SGIを選んだことが正しいと確信します」(中略)

 長い間、圧迫、差別などに苦しめられ、多くの困難と戦ってきたアフリカ大陸の歴史。そのなかで培われた鋭い眼による評価に対して、伸一は身の引き締まる思いがした。(中略)

 「教育の道」「文化の道」「人道の道」――これらの道が開けてこそ、真実の仏法の精神も広く世界に脈動していく。仏法の精神である人間主義、平和主義は、あらゆる壁を超えて、「人」と「人」を結んでいく。その実現をめざすなかに、仏法者の正しき実践がある。(中略)

 “人権の勝利”へ、新しい時代の幕が、この日、厳然と開いたのである。各国大使の心こもる祝福は、堂々と「魂の独立」を果たした創価の未来に寄せる、喝采と期待でもあった。

 (第30巻<下>「誓願」の章、324~327ページ)
 

 

真の幸福は使命に生きく人生に

 〈64年(昭和39年)5月、オーストラリアを訪れた伸一は、オーストラリア国立大学に留学していた日本人の青年と再会し支部長に任命する〉

 「首都のキャンベラには、私だけですが、オーストラリア全体では、私がつかんでいるだけで、五、六人おります。このほかにも、おそらく、まだ何人かは、いるのではないかと思います」

 伸一は、その一人ひとりの状況を尋ねたあと、力強い声で語った。
 「人数は少ないが、オーストラリアに支部をつくろう」(中略)

 「支部長でも、地区部長でも、すべて、原理は一緒だよ。
 一人ひとりを、自分以上の人材に育て上げていけばよい。そして、同志を着実に増やしていくことだ。心配しなくて大丈夫だよ。
 それから、支部名だが、オーストラリア支部ではなく、メルボルン支部にしようと思う。今後、オーストラリアも、広宣流布が進めば、各地に支部がつくられていくんだから、国名を支部名にするのはよそう」

 未来の大発展を想定しての、支部の名に、同行のメンバーは、伸一の大確信と決意を感じ取った。(中略)

 「君の深い任務は、この国の広宣流布にある。それが地涌の菩薩としての、根本の使命だ。(中略)
 人間として、何が偉いのか。何が尊いのか――社会的な立場や経済力にばかり目がいき、その基準がわからなくなってしまっているのが、現代の社会です。
 仏法は、その根本的な価値を教えている。それが、広宣流布に生きることです。
 人を救い、人を幸福にしていく作業に励んでいくなかにこそ、人間としての最大の輝きがある。
 なんのための人生かを見失えば、社会的に、どんなに成功したとしても、本当の充実も、幸福もない。これを忘れてはならない」

 (第9巻「新時代」の章、73~75ページ)


「地球革命への挑戦」フランス語版 フランスのアルマッタン社から発刊

2020年09月24日 | 妙法

「地球革命への挑戦」フランス語版 フランスのアルマッタン社から発刊  2020年9月24日

  • 環境学者ヴァイツゼッカー博士と池田先生の対談集
発刊された“ヴァイツゼッカー対談”のフランス語版
発刊された“ヴァイツゼッカー対談”のフランス語版
 

 世界的環境学者であるエルンスト・U・フォン・ヴァイツゼッカー博士と池田大作先生の対談集『地球革命への挑戦――人間と環境を語る』のフランス語版(フランス語版タイトルは『我々の価値を知る』)が、フランス・アルマッタン社から発刊された。英語、ドイツ語、イタリア語、中国語(繁体字)に続き、海外5言語目の出版となる。
 
 ヴァイツゼッカー博士は、ドイツ・カッセル大学学長、国連科学技術センター所長、ヨーロッパ環境政策研究所所長などを歴任。2012年から18年まで、世界的なシンクタンク「ローマクラブ」の共同会長を務め、現在は名誉共同会長である。多くの著作があり、中でも『ファクター4』(共著)、『ファクター5』(同)は資源・エネルギー消費の抑制と経済発展を両立させる可能性を示し、世界的な注目を浴びた。

 

ヴァイツゼッカー博士と池田先生が、初の出会いを喜び合う(2010年3月、創価大学で)
ヴァイツゼッカー博士と池田先生が、初の出会いを喜び合う(2010年3月、創価大学で)
ヴァイツゼッカー博士と池田先生が、初の出会いを喜び合う(2010年3月、創価大学で)
調和の未来へ人間の生き方を問い直す
調和の未来へ人間の生き方を問い直す

 博士と池田先生は、10年に創価大学で初の出会いを結んだ。以来、書簡などを通じて重ねた語らいが、対談集として結実した。
 
 本書は全8章からなり、「戦争と核兵器のない世界を」「低炭素・循環型社会への転換」「環境倫理を育む教育の力」「人間の幸福を第一とする経済」など多岐にわたるテーマのもと、持続可能な世界の在り方を探る。
 
 「真に豊かな社会」について語り合った部分では、池田先生が「環境問題の根本的な解決のためには、これまでの人間社会の営みや人間の生き方そのものを、あらためて見つめ直していくことが重要」と強調。環境破壊や大量消費の底流に、人間の欲望の肥大化があると指摘し、物質的、経済的な豊かさだけでは人生の充足を感じられないと述べる。
 
 ヴァイツゼッカー博士はこの見方に賛同しつつ、「浪費に重きを置いた生き方をしなくても幸福は得られるのだということを、人々にわかってもらう必要がある」と応じ、幸福を生み出す要因として、社会的な連帯を結んだり、共同して文化活動に取り組んだりするといった充実した経験を挙げている。
 
 地球の未来と人類の平和を守るために、私たちはどう生きるべきか――世界の諸課題の本質的な解決に迫るヒントが、ちりばめられた一書である。


世界を照らす太陽の仏法」に学ぶ〉第8回 健康長寿の信心〈下〉 高柳婦人部総合長

2020年09月19日 | 妙法

〈紙上教学研さん 「世界を照らす太陽の仏法」に学ぶ〉第8回 健康長寿の信心〈下〉 高柳婦人部総合長 2020年9月19日

 「紙上教学研さん『世界を照らす太陽の仏法』に学ぶ」の第8回は、前回(5日付)に続き、「健康長寿の信心」について、高柳婦人部総合長と共に学びます。(第9回は10月3日付に掲載の予定。池田先生の講義は『創価学会 永遠の五指針』から引用)

 

 健康の四モットー
  
 ①張りのある勤行
 ②無理と無駄のない生活
 ③献身の行動
 ④教養のある食生活

 

1 「心のたから」は絶対にこわれない

 池田先生は、御書を通して「心の財」を積む生き方について教えられています。
  
  
 【御文】
 蔵の財よりも身の財すぐれたり身の財より心の財第一なり、此の御文を御覧あらんよりは心の財をつませ給うべし(崇峻天皇御書、御書1173ページ15行目~16行目)
  
  
 【現代語訳】
 蔵に蓄える財宝よりも、身の財がすぐれ、身の財よりも、心に積んだ財が第一である。この手紙をご覧になってから以後は、心の財を積んでいくべきである。
  
  
 ■ 池田先生の講義
 両親や家族が、認知症や寝たきりとなる場合もあるかもしれません。しかし、決して悲観したり、不安に思ったりする必要はありません。妙法とともに生きてきた人は、すでに三世永遠の生命の勝利者です。
 広布の活動ができなくなっても、長年の信仰によって培われてきた「心の財」は、決して失われません。絶対に壊れません。ひとたび「心の財」を築いた人生は、それ自体、無窮の価値を刻んでいます。
 そして、永遠の「仏界の生死」の軌道に入っているがゆえに、妙法に照らされて本有の病のまま、本有の老いの姿のままで、今も毎日、「心の財」を積んでいるのです。
  
 ―◆―
  
 わが家は1953年(昭和28年)、東京・大田区で母が入会しました。最愛の母親と兄を戦争で亡くした母は、近所の方から折伏され、即座に入会を決意。大好きな教学を深め、折伏に奔走しました。しかし、父は信心に大反対。私は未来部の時から一家和楽を祈り続けました。
 そうした中、女子部時代に、父が胃がんで倒れたのです。“これから親孝行しようと思っていたのに……”と、行き場のない後悔が押し寄せてきました。
 懸命に題目を唱え、闘病を支える中で、父は自分の信心を鍛えてくれる善知識なのだと実感。思い切り学会活動に励めるのも、父が社会で頑張ってくれたからだと、感謝が込み上げてきました。
 その父も病気を転機に勤行・唱題を実践し、心から学会と池田先生に感謝して、寿命を延ばし安らかに旅立ちました。
 大切な家族を失う悲しさも味わいましたが、“親子、夫婦は三世の宿縁”との先生の指導を生命に刻み、前へ前へと進んでくることができました。入会前は病弱だった母が今も長寿であり、私たち後継の家族も厳然と守られていることに、父も「心の財」を積んでいたことを深く確信する日々です。

「私は、永遠に皆さんのことを忘れない。ともに戦った同志を断じて忘れない」――ブラジルの功労の婦人部員を最大にたたえ、香峯子夫人とともに励ます池田先生(2004年8月、長野で) 
「私は、永遠に皆さんのことを忘れない。ともに戦った同志を断じて忘れない」――ブラジルの功労の婦人部員を最大にたたえ、香峯子夫人とともに励ます池田先生(2004年8月、長野で) 
 
2 かいは人生支えるせいぎょう

 多くの人々が直面する「介護」についても、先生は、義母が亡くなるまで献身的な看病を続けた富木常忍夫人を励まされた御文を拝して、語られています。
  
  
 ■ 池田先生の講義
 誰もが迎える「老い」という現実を受け入れ、いかなる人生の総仕上げを、共に迎えていくのか――。介護は、人生の最終章を支える「聖業」といえるでしょう。それゆえ、介護をする一人一人の「生命観」や「人間観」が大事になるのではないでしょうか。
 学会には、長年にわたって介護を経験してこられた同志が大勢います。必ずや大聖人が富木常忍夫人と同じように賞讃してくださる方々です。こうした慈愛深く経験豊かな先輩たちが、各地にあって、多くの後輩たちと智慧を分かち合ってくれています。学会員の地道で誠実な体験が、今後の超高齢社会への先駆の模範となっているのです。
 介護の切実な現場では、葛藤や不安に苛まれ、苦しみにもがくことも多いに違いありません。思うようにいかないことがあっても、自分を責めたり、無理をせず、賢く自分らしく工夫をお願いします。どんな苦労も絶対に無駄にはなりません。
  
 ―◆―
  
 大学教員として活躍している副白ゆり長のOさんは長年、要介護5のお母さんと2人暮らし。コロナ禍で在宅勤務となり、お母さんの介護を支援してくださる女性と対話する機会が増えました。
 日頃からお母さんを慈しんで接するOさんの姿に感動していたその方は、自身の悩みを打ち明け、自ら進んで8月24日に入会されたのです。
 社会で奮闘するOさんは、時間との戦いの日々。だからこそ、介護に携わってくださる方々が家族のように思え、幸せを祈り続けてきました。入会された方は「これまで誰かに心配され、ましてや祈ってもらうことなどなかった。信じられないほどうれしい」と語っています。
 Oさんのお母さんはかつて、難病の発症を機に入会。娘として“一日でも長く生きてほしい”と願う半面、声も失った寝たきりのお母さんを、かえって苦しめるのではと思うこともありました。今回、「この時のためだったんだね」と話し掛けると、今までほとんど反応のなかったお母さんが、声を上げて泣かれたそうです。Oさんは、宿命を使命に変えたお母さんと共に「希望」という功徳を頂いた、と喜びを語っています。
 介護は、介護する相手の人生を共に生きること。介護する人も、される人も、この尊い聖業をどう充実したものにできるか。「一人も不幸にしない」との強い慈愛と温かな励ましは、学会活動の中で培ってきた真骨頂ではないでしょうか。

 

凜と咲き誇る白ゆり。池田先生は「勝利と栄光の紋章」「創価の正義を満天下に示す、婦人部の旗印」と(2008年6月、池田先生撮影)
凜と咲き誇る白ゆり。池田先生は「勝利と栄光の紋章」「創価の正義を満天下に示す、婦人部の旗印」と(2008年6月、池田先生撮影)
 
3 いよいよわかわかしく!

 妙法を持つ人は“生涯青春”――先生は御書を通し、語られています。
  
  
 【御文】
 三十三のやくは転じて三十三のさいはひとならせ給うべし、七難即滅・七福即生とは是なり、年は・わかうなり福はかさなり候べし(四条金吾殿女房御返事、御書1135ページ14行目~15行目)
  
  
 【現代語訳】
 三十三歳の厄は転じて、三十三の福となるであろう。七難が即ち滅し、七福が即ち生ずるというのはこれである。年は若返り、福は重なるであろう。
  
  
 ■ 池田先生の講義
 日蓮仏法は常に「今日から明日へ」と快活に前進し続ける宗教です。何歳になっても「自他共の幸福」のために情熱を燃え上がらせ、挑戦の気概を持つ人は、信心の年輪を重ねるほど、いよいよ若々しくなる。
 ◇ 
 自身の使命を自覚し、自らの一念を「月月・日日に」刷新しながら、新たな挑戦を続けていく。
 そこには「向上」「前進」の息吹があり、生命の躍動があります。その人こそ、人間としての偉大な勝利者です。
  
 ―◆―
  
 今年の春から、今まで当たり前と思っていた日常の一つ一つが、いかに貴重なことだったかを思い知らされています。その中でも「祈り、研さんに励み、信心の原点に立ち返れた」「足元の家庭や、健康を見直すことができた」「先生への報恩感謝で満ちあふれた」等、うれしい報告を頂きます。
 先生が今、「新しい価値創造」を示してくださる中、青年部が先駆を切って、まさに新しい道を切り開いてくれています。オンラインで世界を結ぶ、歴史的な「世界青年部総会」(今月27日)も間近です。
 会議やセミナー、激励と、オンラインでもできることがあります。青年部に学ぼうと、パソコンを買い求め挑戦する多宝会の方。またスマホを使えるようになった大先輩に続けと、励ましの連帯が広がったとの話題も。全国の友人とLINEでつながり、激励の声を届けている人もいます。
 一方で、長く団地地域で地区婦人部長を務めてきた多宝会の方は、昨年に続き本年7月、隣人を折伏。日頃から内外問わず近隣の方々を大切にされ、手作りのマスクをたくさんお配りし、喜ばれているそうです。
 声を掛け、人と会い、語り合う中で心がつながり、絆が強まります。そこにこそ、元気・勇気・希望の源泉があり、戦う心が燃え、前へ進めます。
 人と人との絆が希薄になりがちな現代。地域のネットワークの大切さが求められています。
 励ましは万の力。生きる力を強めゆく善の連帯を広げていきましょう。

 
4 健康長寿の人生のポイント

 最後に先生は、かつて提案された「健康の4モットー」(別掲)を再確認されています。
  
  
 ■ 池田先生の講義
 根本は基本を守ることです。暴飲暴食、睡眠不足、過労などが続けば、どこかに支障をきたし、病にかかったり、事故を起こしたりしかねません。だからこそ、さまざまに智慧を出して、価値的な生活をすることです。
 仏法は道理です。信心は即生活です。
 なるべく早く寝て、質の高い睡眠を心がけ、疲れをためないことです。規則正しい生活を送り、さわやかで張りのある勤行を実践する。
 その中で生命力を満々とたたえてこそ、職場や地域で貢献していく行動ができます。
  
 ―◆―
  
 仏法は道理、信心即生活だからこそ、日々、張りのある勤行をし、食生活にも気をつけるなど価値的な生活を送り、福徳を積んでいきたいと思います。
 今、思いもかけず病床に伏している方も、家庭や経済、愛するお子さんの切実な悩みに直面している方もいらっしゃるでしょう。誰しも順風満帆な人生でありたいと望みますが、悩みのない人など一人もいません。
 私が一番苦しいと思ったのは7年前のこと。すぐに先輩に指導を受けました。
 「策や方法ではない。信心だ。ともかく題目だ!」――八方ふさがりにみえる状況にも「希望はある!」との大確信の激励に、心が軽くなり、祈る一念が変わったのです。
 奥さまがヤング・ミセス(当時)に語られた“ピンチはチャンス”との指針や、悩める友と共に先生にお会いした際に語られた、“先生の弟子だという自覚があれば、どんなことも乗り越えていける”との師の慈言が生命によみがえり、自分のこととして捉えられました。
 師弟の底力こそ学会の魂であり、人生勝利の哲学であると身をもって実感した時、苦境を切り開くことができたのです。
 池田先生が、戸田先生の弟子として戦い抜かれて、どんな大難の嵐も勝ち越えて築かれた学会創立90周年。いかなる病苦や試練があろうとも、創立100周年へ先生と共に出発できる幸せと責任を自覚し、池田門下生として誓いの前進を開始していきましょう。
  
  
 ■ 池田先生の講義
 信心に「定年」はありません。仏典では、人間は「百二十歳まで生きられる」とまで説いています。
 張り切って学会活動に励むことが、最高の健康長寿の人生を歩むことになる。今日も広布のために、今、自分のできる戦いを起こし、前進していくのが、色心共に真実の健康長寿の要諦です。

 
さらなる研さんのために

 本連載で学ぶ講義「世界を照らす太陽の仏法」は、『創価学会 永遠の五指針』に収められています。本社刊。713円(税込み)。全国の書店で発売中。聖教ブックストアへの電話でも注文できます(0120-983-563、平日9時~17時)。コンビニ通販サイト「セブンネットショッピング」「HMV&BOOKS online」での注文、受け取りも可能。電子書籍でも好評発売中。


小説「新・人間革命」学習のために 「アジア編」

2020年09月18日 | 妙法

マイ・ヒューマン・レボリューション――小説「新・人間革命」学習のために 「アジア編」  2020年9月18日

  • 雲の井に 月こそ見んと 願いてし アジアの民に 日をぞ送らん
インド・ガンジス川のほとりに立つ池田先生。「雲の井に 月こそ見んと 願いてし アジアの民に 日をぞ送らん」と詠んだ恩師・戸田城聖先生の東洋広布への思いを胸に、アジアを駆けた(1979年2月)
インド・ガンジス川のほとりに立つ池田先生。「雲の井に 月こそ見んと 願いてし アジアの民に 日をぞ送らん」と詠んだ恩師・戸田城聖先生の東洋広布への思いを胸に、アジアを駆けた(1979年2月)
 

 小説『新・人間革命』の山本伸一の激励・指導などを紹介する「My Human Revolution(マイ・ヒューマン・レボリューション)」。今回は「アジア」編を掲載する。次回は「アフリカ・オセアニア」編を25日付2面に掲載の予定。挿絵は内田健一郎。

 

社会への貢献が仏法の正義を証明
 

 <1976年(昭和51年)5月、韓国に、SGI韓国仏教会の前身である“仏教会”が発足。社会貢献への歩みが開始される>
 
 御書には「智者とは世間の法より外に仏法を行ず、世間の治世の法を能く能く心へて候を智者とは申すなり」(御書1466ページ)と仰せである。つまり、社会を大事にして、社会のために貢献し、活躍していくことが仏法であり、その人が「智者」であるというのである。
 
 韓国の同志は、この日蓮仏法の、また、創価学会の「真実」と「正義」を、なんとしても証明していかなければならないと思った。誤解が誤解のままであれば、「真実」は葬り去られてしまう。誤解を放置しておくことは、「正義」の死を意味する。
 
 “私たちが実際に何をなし、どれだけ社会に貢献できるかだ。その行動のなかに、学会の正しさを証明する道がある”
 
 こう考えたメンバーは、各地域で、自主的に、また、地道に、社会貢献の歩みを開始していったのである。(中略)
 
 社会奉仕の諸活動に勇んで参画し、田植えや刈り入れを手伝う「農村助け合い運動」や、自然保護運動に取り組んでいった。
 
 さらに、一九九〇年代に入ると、メンバーは、大規模な「国土大清掃運動」を展開していったのである。
 
 このほか、教育や福祉にも光をあて、学校への「良書贈呈運動」や、社会的に恵まれない人びとへの奉仕活動も進められた。
 
 仏法の人間主義に基づく韓国の“仏教会”のこうした地道な努力は、着実に信頼の輪を韓国社会に広げていった。
 
 (第8巻「激流」の章、367~369ページ)
 


 

「幸福の花園」は自身の胸中にある
 

 <63年(同38年)1月、香港支部大会で婦人部の陳鮑美蘭は山本伸一に出会う。戦争に翻弄され、広東省や台湾を転々とし、香港にやってきた彼女に伸一は語る>
 
 「幸福への決め手は、何があっても、負けることのない精神の強さ、価値を創造していく智慧、そして、喜びと希望にあふれた、豊かな心をつくり上げていくことにあります」
 
 そして、(中略)「香港を幸福の花園に」と呼びかけたのである。
 
 美蘭はハッとした。彼女は、どこに行けば幸福になれるのかを考え続けてきた。
 
 しかし、生まれた日本をはじめ、台湾にも、広東にも、安住の地はなかった。
 
 伸一の話は、その幸福がどこにあるかを、明確に示していた。
 
 “幸福は、私自身のなかにあるのだ! どんな逆境にも負けない強い心を、価値を創造していける豊かな心をつくる以外にない。
 
 そして、皆が自分を変え、人間革命していくならば、社会の平和を実現することができる。
 
 必ず、この仏法をもって、香港を幸福の花園にしよう”(中略)
 
 美蘭は、メンバーのために、日本での講習会をはじめ、さまざまな機会に通訳として奮闘した。さらに、香港の機関紙「黎明聖報」の発刊が決まると、御書や学会の指導の翻訳を引き受けてきたのである。
 
 彼女は、しみじみと思うのであった。
 
 “激動の歴史に弄ばれてきたように思える自分の人生も、決して無駄ではなかった。
 
 日本語を学び、戦争の恐ろしさを体験してきた私には、香港の人びとの平和と幸福のために、大聖人の仏法を伝える使命がある。
 
 私の半生は、そのためにあったのだ”
 
 (第18巻「飛躍」の章、390~391ページ)

 

一人一人が「広布の大河」の一滴に
 

 <79年(同54年)2月、全インドから集った約40人のメンバーに伸一は訴えた>
 
 「十八年前、初めてインドを訪問した折のことが、昨日のように思われます。その時は、誰一人、メンバーであるインドの方とお会いすることはなかった。
 
 しかし、私は思いました。強く決意しました。
 
 “仏教が誕生した意義あるインドに、地涌の菩薩が出現しないわけがない。また、必ず出現させなければならない!”
 
 以来、インドの地に、数多の同志が誕生することを、日々、真剣に祈ってまいりました。そして、今日ここに、広宣流布の使命に生きようとする約四十人の代表が、喜々として集われた。まさに大聖人が仰せの『地涌の義』です。これほど嬉しいことはありません。皆さん方は、地涌の同志であり、宿縁深い“兄弟”であり、“姉妹”であるとの自覚で、インドの人びとのために、どこまでも仲良く、共に成長していっていただきたい。今や世界の数多くの国に、創価の友がおります。(中略)
 
 その世界の同志は、仏教発祥のインドに注目し、貴国の未来に期待を寄せ、心から声援を送っております。あの雄大にして悠久なるガンジス川の流れも、一滴の水から始まる。同じように皆さんは、インド広布の大河をつくる、源流の一滴、一滴となる方々です。洋々たる未来を信じて前進していっていただきたい。二十年、三十年、五十年後をめざして、広布のガンジスの流れを開いていこうではありませんか!」(中略)
 
 ガンジスの一滴に――それは、インドの同志の誓いとなり、合言葉となっていった。
 
 (第29巻「源流」の章、388~390ページ)

 
永遠なる広布開く師弟の共戦

 <2000年(平成12年)11月、シンガポールとオーストラリアの合同最高会議に出席した伸一は、シンガポールが「獅子の都」を意味することから、仏法で説く「師子」について述べる>
 
 「仏法では、仏を『師子』と呼び、仏の説法を『師子吼』という。大聖人は、『師子』には『師弟』の意義があると説かれている。
 
 仏という師匠と共に生き抜くならば、弟子すなわち衆生もまた、師匠と同じ偉大な境涯になれるのを教えたのが法華経なんです」
 
 一般的にも、師弟の関係は、高き精神性をもつ、人間だけがつくりえる特権といえる。
 
 芸術の世界にも、教育の世界にも、職人の技の世界にも、自らを高めゆかんとするところには、必ず師弟の世界がある。
 
 伸一は、青年たちに力説した。
 
 「『人生の師』をもつことは、『生き方の規範』をもつことであり、なかでも、師弟が共に、人類の幸福と平和の大理想に生き抜く姿ほど、すばらしい世界はありません。この師弟不二の共戦こそが、広宣流布を永遠ならしめる生命線です。そして、広布の流れを、末法万年を潤す大河にするかどうかは、すべて後継の弟子によって決まります。
 
 戸田先生は、よく言われていた。『伸一がいれば、心配ない!』『君がいれば、安心だ!』と。私も今、師子の道を歩む皆さんがいれば、世界広布は盤石である、安心であると、強く確信しています」(中略)
 
 「勇気は、誰でも平等にもっています。勇気は、幸福という無尽蔵の宝の扉を開くカギです。(中略)
 
 どうか皆さんは、勇気を取り出し、胸中の臆病を打ち破ってください。そこに人生を勝利する要因があります」
 
 (第30巻<下>「誓願」の章、421~423ページ)


新・人間革命」に学ぶ 第23巻 御書編 

2020年09月16日 | 妙法

小説「新・人間革命」に学ぶ 第23巻 御書編 2020年9月16日

  • 連載〈世界広布の大道〉
絵・間瀬健治
絵・間瀬健治
 

 今回の「世界広布の大道 小説『新・人間革命』に学ぶ」は第23巻の「御書編」。小説で引用された御書、コラム「ここにフォーカス」と併せて、識者の声を紹介する。挿絵は内田健一郎。

 

三世永遠の幸福境涯開く
 
【御文】
 

 先臨終の事を習うて後に他事を習うべし(御書1404ページ、妙法尼御前御返事)

 

【通解】
 

 まず臨終のことを習って、後に他のことを習うべきである。

 

【小説の場面から】
 

 <1976年(昭和51年)7月、山本伸一は、女子部の代表に、「生老病死」の問題について語る>
  
 「いかなる人間も、死を回避することはできない。(中略)トインビー博士も、対談した折に、しみじみと、こう語っていました。
  
 ――人間は、皆、死んでいく。生死という冷厳な事実を突き付けられる。しかし、社交界で遊んだり、それ以外のことを考えたりして、その事実を直視せずに、ごまかそうとしている。だから、私は、日本の仏法指導者であるあなたと、仏法を語り合いたかった。教えてもらいたかった。
  
 死という問題の根本的な解決がなければ、正しい人生観、価値観の確立もないし、本当の意味の、人生の幸福もありません」(中略)
  
 「その死の問題を、根本的に解決したのが、日蓮大聖人の仏法です。
  
 広宣流布に生き抜くならば、この世で崩れざる幸福境涯を開くだけでなく、三世永遠に、歓喜の生命の大道を歩み抜いていくことができるんです。(中略)
  
 広宣流布のための人生であると心を定め、強盛に信心に励んでいくならば、わが生命が大宇宙の根本法たる妙法と合致し、あらゆる苦悩を悠々と乗り越えていくことができるんです。信心に励んでいる生命の大地には、福運の地下水が流れていく。大風や日照りの日があっても、やがては、その生命の大地は豊かに潤い、幸の実りをもたらします」
  
(「敢闘」の章、291~292ページ)
  
  


  

題目は苦難克服の原動力
 
【御文】

 南無妙法蓮華経と唱うるより外の遊楽なきなり(御書1143ページ、四条金吾殿御返事)

 

【通解】

 

 南無妙法蓮華経と唱える以外にゆうらくはない。

【小説の場面から】
 

 <76年(同51年)8月24日、山本伸一は、九州総合研修所近くの二総ブロック合同の代表者勤行会へ。信心根本に歩む大切さを訴える>
  
 「法華経には、『現世安穏、後生善処』(現世安穏にして、後に善処に生ず)とあります。しかし、広宣流布の道には、さまざまな難が競い起こってきます。また、人生は、宿命との戦いともいえます。
  
 現世安穏というのは、なんの波風もない、順風満帆の人生を生きるということではありません。怒濤のように諸難や試練があっても、勇敢に、一歩も引かずに戦い、悠々とそれを乗り越えていける境涯をいいます。
  
 何があろうが、堂々と、人生に勝利していける姿が、現世安穏ということなんです。途中は、いかに波瀾万丈でも、それを勝ち越え、晩年に、しみじみと、わが人生は現世安穏なりと、実感していくことが大事です。そのためには、どんなことがあっても、一生涯、学会から、御本尊から離れず、題目を唱え抜いて、勇んで、広宣流布に生き抜いていくことです。(中略)
  
 たとえ、どんなに苦しい時も、御本尊への信を奮い起こし、“絶対に負けるものか!”と、唱題し抜いていくんです。そうすれば、苦難に立ち向かう勇気が湧きます。生命が躍動し、歓喜が込み上げてきます。そこから、すべての状況が開かれていくんです。
  
 題目、題目、題目です。誰も見ていなくとも、日々、懸命に祈り抜いていく――それが、一切の原動力です」
  
(「敢闘」の章、365~366ページ)
  
  

 
  
  

ここにフォーカス 恩師記念室の淵源

 「敢闘」の章に、恩師記念室の設置の淵源が詳細につづられています。
  
 1953年(昭和28年)、学会本部が東京・千代田区の西神田から、新宿区の信濃町に移転。この折、恩師・戸田先生は会長室よりも立派な一室を「牧口先生のための部屋」とし、「牧口記念室」と定め、先師の写真を大切に飾りました。
  
 「学会を永遠ならしめるために、師匠の魂魄を永遠にとどめる場所をつくらねばならない」――この戸田先生の構想を継ぎ、各地に初代・第2代会長の遺品等を展示した記念室の設置を提案したのが、池田先生でした。
  
 先生はそれまでにも、未来を見据え、戸田先生の映像を動画として残すことを考え、重要な行事を映画フィルムに収めることを推進。戸田先生の逝去後には、恩師の講義などのレコード製作を進めます。「すべては、師匠の真実の姿を永遠に残し、その精神を、誤りなく伝えたい」との「一念から発したもの」でした。
  
 2010年(平成22年)5月3日、総本部に「創価学会恩師記念会館」が誕生。「世界平和の日」50周年に当たる同年10月2日には、池田先生が初めて訪問し、牧口先生、戸田先生の崇高な生涯を偲んで、勤行・唱題しました。
  
 日々、心に師をいだき、“師ならばどうするか”を考え、行動する――ここに、弟子の証しがあるのです。