毎日が、始めの一歩!

日々の積み重ねが、大事な歴史……

会う勇気が歴史を変える

2023年02月19日 | 妙法

会う勇気が歴史を変える 池田大作先生の写真と言葉「四季の励まし」2023年2月19日

 【写真説明】世界最長を誇る南米のアンデス山脈。白雪を冠した標高6000メートル級の高峰がどこまでも続く。1993年(平成5年)2月、池田大作先生が機中から撮影した。
 この平和旅で4度目のブラジル訪問を果たした先生は、コロンビア、アルゼンチン、パラグアイ、チリの4カ国を初訪問。今月で30周年を刻む。南米歴訪の折、先生は「人間としての振る舞いの中に、仏法は脈動し、信仰の実証が表れる」と語り、使命の地で信頼の輪を広げゆくよう友に呼びかけた。
 さあ、伝統の2月を走り抜き、広布後継の3月へ――。青空のような清々しい誓願をわが胸に、確信の語らいを広げよう。
 

池田先生の言葉

 人間は本来、等しく
 平和を希求している。
 その心を紡ぎ出すのは、
 美辞麗句や
 虚飾の言ではない。
 胸襟を開いた、
 誠実な人間性の
 発露としての、
 率直な対話である。
  
 友の幸福を祈り、
 社会の繁栄を願い、
 世界の平和に
 尽くしゆかんとする
 我らの心は、
 必ず相手の生命に伝わる。
 その祈りと
 真心からの対話こそが
 友の命を変え、
 真の友情と理解を生む。
  
 座していたのでは、
 事態は開けない。
 行動である。
 会って語り合う
 勇気こそが、
 歴史を変えていくのだ。
  
 大きく動けば、
 自分の境涯も大きくなる。
 友情も大きく広がる。
 大変な中で
 精魂を注いで
 戦った分だけ、
 大きな福徳が
 我が身を包む。
  
 正義を語るのに、
 遠慮など必要ない。
 スッキリと語る。
 ハッキリと訴える。
 相手がよくわかるように、
 心に入るように
 言葉を尽くすのだ。
  
 同じ言葉でも、
 発する人間の誠意で
 重みは変わる。
 いわんや友の幸福を
 願い続けた心が
 届かないはずはない。
  
 大きな大きな心で
 友情を育みゆくことだ。
 一つ一つの
 出会いを大切に、
 確信の対話を
 勇気凜々と
 広げゆくことだ。
 その全てが
 仏縁となって光る。
 ここに
 平和創造の道があり、
 幸福勝利の道がある。

 

アウストレジェジロ・デ・アタイデ

2023年02月12日 | 妙法

【ヒーローズ 逆境を勝ち越えた英雄たち】第28回 アウストレジェジロ・デ・アタイデ2023年2月12日

池田先生のブラジル文学アカデミー「在外会員」就任式。アタイデ氏㊥は“池田氏を迎えることは全会員、全国民の意思です”と(1993年2月12日、リオデジャネイロの同アカデミーで)
池田先生のブラジル文学アカデミー「在外会員」就任式。アタイデ氏㊥は“池田氏を迎えることは全会員、全国民の意思です”と(1993年2月12日、リオデジャネイロの同アカデミーで)
 
 
〈アウストレジェジロ・デ・アタイデ〉
未来は、ひとりでに、やってこない。
人間自身が切り開くものだ。
私たちは言葉を最大の武器として戦うのです。

 
 1993年2月12日、池田大作先生はブラジル文学アカデミーの「在外会員」に就任した。
 
 1897年に創立された同アカデミーは、ブラジル現代文法の研究や文学の発展に重要な役割を果たしてきた“南米最高峰の知性の殿堂”である。
 
 40人の国内会員と20人の在外会員は、いずれも終身制。「会員に選ばれるよりも大統領に当選する方が容易」と言われるほど、そのメンバーは厳選されている。
 
 現会員の推薦によって選考される在外会員には、レフ・トルストイ、エミール・ゾラなど、そうそうたる顔ぶれが名を連ねてきた。
 
 先生を東洋人初の在外会員に推したのは、同アカデミー総裁のアウストレジェジロ・デ・アタイデ氏。ジャーナリストとして正義のペンを振るい、幾多の苦難を乗り越えてきた“言論の獅子”だ。
 
 1948年に国連で採択された「世界人権宣言」。その起草にブラジル代表として尽力した後、59年に総裁に就いた。同宣言の起草者であるフランスのルネ・カサン博士は、ノーベル平和賞を受賞した際、“この名誉をアタイデ氏と分かち合いたい”と述べている。
 
 そのカサン博士を通じて、氏は先生の存在を知る。トインビー対談などの著作を読み込み、平和・教育思想に深く共感。先生のことを新聞のコラムにもつづった。
 

「世界人権宣言」が採択された第3回国連総会(48年12月10日、AFP=時事)。アタイデ氏はブラジル代表として宣言の起草に尽力した。今年は採択75年の節を刻む
「世界人権宣言」が採択された第3回国連総会(48年12月10日、AFP=時事)。アタイデ氏はブラジル代表として宣言の起草に尽力した。今年は採択75年の節を刻む

 
 先生と出会う前年の92年には、リオデジャネイロで開かれたブラジルSGI(創価学会インタナショナル)の文化祭に来賓として出席。先生の哲学が観念ではなく、事実として青年の中に脈打っていることを実感した氏は、“池田氏に会ってみたい”との思いを一段と強くする。そして、自身が総裁になって以来、初めて在外会員の推薦を出したのである。
 
 在外会員の就任式で氏は、先生をアカデミーの一員に迎える喜びを次のように表現した。
 
 「未来は、ひとりでに、やってくるものではありません。人間自身が切り開くものです。その人間の一人が、池田大作氏です」
 
 「当アカデミーは、これまで常に『人間の尊厳』について追求してきました。池田氏の人格の偉大さは、その歩みにふさわしい」
 
 「私たちの時代の『美しきもの』とは、人間に対する『信頼』『信仰』によって培われるものです。そして、未来は、私たちの手によって築かれるものなのです」
 
 就任式に先立つ会見では、先生にこう呼びかけている。
 
 「共通の『未来』へ、ともに手を携えて進もうではありませんか」「崇高なる『言葉』を最大の武器として、戦いましょう」と。
 
 “地球の反対側”で実現した式典から、きょうはちょうど30年である。
 

〈アウストレジェジロ・デ・アタイデ〉
どうすれば皆が自由に人間らしく
暮らせるかを考え、努力する――
そうした人々の連帯が平和を築く。

 
 アタイデ氏は1898年9月、ブラジル北東部のペルナンブコ州に生まれた。
 
 聖職者の道を志し、10歳で神学校に入学。以降8年間、寄宿生活を送った。成績は常に最優秀で、多くの言語や、あらゆる学問を学び、豊富な知識を身に付けた。
 
 弁論の才能にも優れていた。ある時、学校で自由主義をたたえるスピーチを行うと、演壇から降ろされ、校長である司祭に「神父は政治活動をしないものだ」と叱責された。“自分の意見を言うことが、なぜ悪いのか”――聖職者という進路に疑問を強めた氏は、最終的に神学校の退学を決断する。
 
 校長に別れを告げに行くと、思いもかけない言葉をかけられた。“君はジャーナリストに生まれついており、演説者としての天賦の才能をもっている”。これが氏の人生を決定づける指針となった。
 
 その後、法科大学(現在のリオデジャネイロ連邦大学)へ進み、1921年に学位を取得。“国の発展のために尽くしたい”という夢を抱き、新聞記者としての歩みを開始する。
 
 だがそれは、いばらの道だった。30、40年代、自国の独裁政権を真っ向から批判し、3度の投獄、3年間の国外追放。それでも「民衆運動を破壊する勢力に抵抗するもっとも有効な手段は、“言論”である」との信念を貫き通し、正義の論陣を張り続けた。
 
 第2次世界大戦後は「世界人権宣言」の草案作成に尽力。文化的・民族的背景の異なる各国の意見がぶつかり合う中、氏は永遠に人々の人権を保障する宣言となるよう最後まで議論を尽くした。そして48年、第3回国連総会での採択を実現させたのである。
 
 同宣言の精神を現実化していくために必要な努力は何か。
 
 かつて氏は、本紙のインタビューで、こう答えている。「平和というものは、一人の人間の力によってつくられるものではありません。一人一人がそれぞれの立場で、どうすれば人々が自由を享受し人間らしく平和に暮らしていくことができるかを考え、実現のための努力を払っていく――そうした人々のネットワークのなかに確たる平和が築かれると思います」と。
 

〈アタイデ氏を語る池田先生〉
いかなる世界であれ、最後まで
戦い続けた人が勝つ。その原動力は
不屈の「決意」「責任感」である。
「私は世界一、幸福だ」と誇れる
勝利の人生であっていただきたい。

 
 生涯で書いたコラムは5万本。テレビに20年、ラジオには30年にわたって毎週出演するなど、90歳を過ぎても休まず働き続けた氏。
 
 「大事なのは、自分の決意の深さである。自分が決めた仕事を最後まで果たすことである」。そう述べた氏の“戦う精神”を伝えつつ、池田先生は創価の友に訴えた。
 
 「いかなる世界であれ、最後まで戦い続けた人が『最後の勝利』を手にする。その原動力は、不屈の『決意』『責任感』であると、氏は結論されている。皆さまもまた、最後の最後に『私は世界一、幸福だ』『わが家は世界一、幸福だ』と誇れる勝利の人生であっていただきたい」(1991年12月14日、第20回婦人部幹部会、江戸川・葛飾・足立文化音楽祭でのスピーチ)
 

リオデジャネイロに到着した池田先生を、熱烈に歓迎するアタイデ氏㊧(1993年2月9日、ガレオン国際空港〈当時〉で)。この日の感動を氏は「人類の運命の行方を決める一人、池田大作氏を迎えることができた」と、現地の新聞につづった
リオデジャネイロに到着した池田先生を、熱烈に歓迎するアタイデ氏㊧(1993年2月9日、ガレオン国際空港〈当時〉で)。この日の感動を氏は「人類の運命の行方を決める一人、池田大作氏を迎えることができた」と、現地の新聞につづった

 
 1993年2月9日、アタイデ氏はリオデジャネイロの空港にいた。ブラジル文学アカデミーの在外会員就任式などに出席する池田先生を出迎えるためである。
 
 氏は先生が着く2時間も前から貴賓室で待機していた。
 
 当時、94歳。体調を気遣う周囲の声もあったが、氏は「私は、94年間も池田会長を待っていたのです。1時間や2時間は何でもありません」と。やがて先生を乗せた旅客機が到着し、待望の瞬間が訪れる。
 
 「池田会長は、この世紀を決定づけた人です。戦いましょう! 力を合わせて、人類の歴史を変えましょう!」と呼びかける氏に、「総裁は同志です。友人です。総裁こそ、世界の“宝”の方です」と応じる先生。
 
 氏は恩師・戸田城聖先生とほぼ同年代である。喜びの出会いの直後、池田先生は「戸田先生が迎えてくださったような気がした」と感慨を込めて語った。
 

リオデジャネイロの中心街に立つブラジル文学アカデミー。1897年に創立され、ブラジルの文学や芸術の発展に寄与してきた。旧館には会員・在外会員の著作が保管されている
リオデジャネイロの中心街に立つブラジル文学アカデミー。1897年に創立され、ブラジルの文学や芸術の発展に寄与してきた。旧館には会員・在外会員の著作が保管されている

 
 2日後の2月11日、氏の母校・リオデジャネイロ連邦大学から先生に「名誉博士号」が贈られた。
 
 この日は、恩師の生誕93周年。小説『人間革命』全12巻の新聞連載が完結し、先生は「あとがき」を記した。
 
 先生との出会いから7カ月後、氏は94年の生涯を閉じる。亡くなる直前まで書簡やインタビューを通じて先生との対談集の作成に取り組み、2人の語らいは『21世紀の人権を語る』として結実した。発刊は95年2月11日。戸田先生の生誕95周年であった。
 
 対談集の「はじめに」に池田先生はつづった。
 
 「仏法者には、仏法の哲理を根本とした、社会への実践を通して、精神性に裏打ちされた『未来社会』を招来する使命と責務があると言ってよい。ゆえに、私は一人の仏教者として、人類の幸福のために生涯を捧げた、戸田会長の弟子としての使命の道を、アタイデ総裁とともに歩んでいきたい」
 
 希望の「未来社会」を勝ち開く――永遠に変わらぬ、我ら創価が進むべき使命の道である。
 

【引用・参考】『21世紀の人権を語る』(潮出版社、『池田大作全集』第104巻所収)、池田大作著『私の世界交友録』(読売新聞社、同全集第122巻所収)、同著『大道を歩む 私の人生記録Ⅲ』(毎日新聞社、同全集第127巻所収)ほか
 

書籍「ヒーローズ」が好評発売中

 連載の一部をまとめた書籍『ヒーローズ』が好評発売中。ネルソン・マンデラ、ローザ・パークス、諸葛孔明、高杉晋作など12人を収録している。潮出版社刊。1540円(税込み)。全国の書店で購入・注文できます。聖教ブックストアのウェブサイトでも受け付け中。コンビニ通販サイト「セブンネットショッピング」「HMV&BOOKS online」での注文、受け取りも可能です。
 


【小説「人間革命」連載完結30周年】世界の青年を照らす希望の光源

2023年02月11日 | 妙法

【小説「人間革命」連載完結30周年】世界の青年を照らす希望の光源2023年2月11日

ブラジルの名門リオデジャネイロ連邦大学から、池田先生への名誉博士号授与式。マクラン総長(左から2人目)から学位記が手渡された(1993年2月11日、同大学で)
ブラジルの名門リオデジャネイロ連邦大学から、池田先生への名誉博士号授与式。マクラン総長(左から2人目)から学位記が手渡された(1993年2月11日、同大学で)
〈ブラジルSGI リビア・エンドウ女子部長〉
励まし広げ、人類融合の大海原を

 小説『人間革命』の連載が完結した1993年(平成5年)2月11日、リオデジャネイロ連邦大学から池田先生に対して「名誉博士号」が贈られました。
 池田先生は謝辞の中で、戸田先生の「地球民族主義」に言及。リオは「『大いなる普遍性』への『希望の港』」と語りました。さらに、「皆さまとともに、人類融合の大海原へ、船出しゆく決心であります」と呼びかけてくださいました。
 ブラジルの地に、永遠不滅の師弟の魂魄がとどめられてから30年――平和と友情に彩られた“人類融合の大海原”を広げようと、ブラジル青年部は、小説『人間革命』『新・人間革命』を心に刻みながら、対話・拡大に取り組んでいます。
 女子部では、教学などを研さんする「法華経の華」大学校を活発化。毎月、全土で開催される大学校の小単位の集いで、『新・人間革命』を学び合っています。
 『人間革命』『新・人間革命』を糧に、信仰の原点をつかんだ体験は、枚挙にいとまがありません。
 当初、活動に消極的だった、ブラジル北東部に住むあるメンバーは、「法華経の華」大学校で『新・人間革命』に触れて発心し、自主的に研さんに励むようになりました。「教学にも挑戦し、引っ込み思案を乗り越えたい」と、さらなる決意を燃やしています。
 最愛の祖父を亡くした、ブラジル南部の鼓笛隊員は、『新・人間革命』第14巻「使命」の章が心の支えに。そこには、祖母との別離の苦しみを克服する鼓笛隊員のドラマが描かれています。同章をひもとき、彼女は、鼓笛隊の誇りで再起することができました。
 『人間革命』第1巻「終戦前後」の章には、戸田先生が戦後の混乱期にあって、広布の時を待つのか、時を創るのか、自問自答する場面があります。
 その際、「一人の新たなる真の同志をつくる。それから一人、また一人とつくっていく。これが取りも直さず、時を創ることになる」と決心されます。
 危機の時代に直面し、ブラジルだけでなく、世界は混沌としています。『人間革命』『新・人間革命』にちりばめられた知恵を現実化し、一人に励ましを送る実践に、広布の未来を開く大道があります。
 「2・11」から「3・16」65周年へ、ブラジル女子部は、師匠の心をわが心とし、一対一の語らいを広げながら、幸福・勝利の花を咲かせてまいります。

〈梁島英明男子部長〉
広布を誓う「新時代の山本伸一」に
昨年10月、巣鴨の東京戸田記念講堂で行われた全国男子部幹部会。池田先生は「新時代の山本伸一よ、不二の力で勝ちまくれ!」とメッセージを寄せた。席上、20歳当時の先生が入信1年目の思いをつづった言葉が紹介された
昨年10月、巣鴨の東京戸田記念講堂で行われた全国男子部幹部会。池田先生は「新時代の山本伸一よ、不二の力で勝ちまくれ!」とメッセージを寄せた。席上、20歳当時の先生が入信1年目の思いをつづった言葉が紹介された

 私にとって小説『人間革命』は、「人生の師匠」を定めるきっかけとなった原点の書です。
 18歳の時、“人生をいかに生きるべきか。師匠とはいかなる存在なのか”と考えていた中で、『人間革命』を読みました。
 第2巻「地涌」の章で、山本伸一は、恩師・戸田城聖先生と出会います。小説を開いたことで、私は「山本伸一」と出会うことができました。戦後社会の混乱の中で、師匠を求め続けていく、自分と同世代の伸一の姿に、胸を熱くしました。
 出会いには「対面の出会い」もあれば、書物などを通した「胸中の出会い」もあることを実感しました。
 『新・人間革命』には、「師弟とは、形式ではない。常に心に師があってこそ、本当の師弟である。心に師がいてこそ、人間としての『自律』があり、また、真の『自立』があるのだ」(第22巻「新世紀」の章)とあります。
 「心の師」への日々の誓いこそ、広布に生きる青年の原動力です。
 「我、新時代の山本伸一なり!」との男子部スローガンは、“不二の弟子”であろうとする誓いそのものです。
 中部男子部では、昨年12月から『人間革命』を毎月1巻ずつ研さんしています。広宣流布大誓堂完成10周年の11月に、全12巻が終了する予定です。
 小説を学ぶ中で、“自分が山本伸一だ!”との自覚に立ち上がったメンバーは、「広宣流布が“自分事”になった」と真の主体者に成長しています。
 戸田先生が宣言したように、創価学会は「宗教界の王者」です。そして今、池田先生の闘争によって、学会は日本最大の民衆組織となり、社会の柱として、厳然とそびえ立っています。
 広布が進めば障魔も激しくなります。男子部が先頭に立ち、破邪顕正の言論を力強く展開していきます。
 社会や世界が危機に直面する今だからこそ、希望のビジョンを描き、導く、新しい価値を生み出すことが創価の青年の使命です。
 『人間革命』『新・人間革命』で示された師の指針は、「不変」かつ「普遍」です。そこには、汲めども尽きぬ知恵の源泉があります。それを引き出す根幹こそ、「山本伸一」としての自覚です。
 “出でよ、幾万、幾十万の山本伸一よ!”との師の呼びかけに呼応し、私たち男子部は、総立ちになっていきます。

〈映画・劇画化〉
映画「続・人間革命」の撮影現場を訪問し、出演者・スタッフをねぎらう池田先生(1975年10月、東京・世田谷区で)
映画「続・人間革命」の撮影現場を訪問し、出演者・スタッフをねぎらう池田先生(1975年10月、東京・世田谷区で)

 50年前の1973年(昭和48年)9月、東宝映像とシナノ企画の共同製作で、小説を原作とした映画「人間革命」がロードショー公開された。
 脚本は、「七人の侍」などを手掛けた橋本忍氏が担当。初代会長・牧口先生と第2代会長・戸田先生の出会いや、獄中の悟達、戦後の創価学会の再建などが描かれた。観客動員は500万人を数え、日本映画の興行収入の記録を塗りかえる大ヒットとなった。
 76年(同51年)6月に公開された映画「続・人間革命」(製作=シナノ企画、東宝映像)では、戸田先生と山本伸一の出会いや、戸田先生の第2代会長就任などが映像化された。
 前作を超える爆発的なヒットとなり、この年、日本映画で第1位の興行収入を記録している。
 製作に際し、池田先生は、多忙な合間を縫って、撮影現場に足を運び、出演者やスタッフをねぎらった。映画「続・人間革命」で、山本伸一役を演じた俳優・歌手のあおい輝彦さんは、先生の激励によって、「映画に対する闘志が湧いてきた」と振り返っている。
 また、劇画『人間革命』(劇画・石井いさみ、脚本・渡あきら)は、88年(同63年)7月から本紙で掲載がスタート。2002年(平成14年)12月まで、14年5カ月にわたる長期連載となった。
 20年(令和2年)4月、小説第2版に基づいて再編集された劇画『人間革命』第2版が、聖教電子版で配信を開始。現在、毎週水曜日に配信されている。

〈小説の章名と掲載年月〉

※第11巻は、1980年(昭和55年)11月20日まで掲載された後、1991年(平成3年)5月3日、同巻の「大阪」の章から再開された


気候変動対策を共に

2023年02月06日 | 妙法

気候変動対策を共に――西アフリカのトーゴで森林再生プロジェクト2023年2月6日

  • 創価学会とITTO、REFACOFが共同推進
3:52

 気候変動の影響を強く受けている西アフリカのトーゴ共和国で、創価学会は、国際熱帯木材機関(ITTO)、「コミュニティ森林経営のためのアフリカ女性ネットワーク(REFACOF)」と共に、森林再生支援と女性のエンパワーメントのための共同プロジェクトを行っている。1月23日から25日まで創価学会の相島平和委員会議長、広報室の新井担当部長ら訪問団が、支援3年目に入って豊かな生態系が広がりつつある現地の状況を視察した。SDGs(持続可能な開発目標)に貢献する同プロジェクトの模様を紹介する。

学会代表がアグエガン村を訪問

 日本からパリ経由で約28時間。トーゴで日本からの友人を迎えるあいさつは、まず「暑いでしょう!」。
 
 「……いやあ、暑いです!」「暑いのがアフリカなんですよ!」。気候変動の影響を、じりじりと照りつける日差しで体感する。
 
 トーゴは、他の西アフリカ諸国と同じく、多くの環境問題に直面しており、気候変動に対して最も脆弱な国の一つとされる。
 
 世界銀行グループの気候変動に関する知識ポータルサイトによれば、2021年のトーゴの平均気温は、28・05度。1991年から1・28度も上昇している。月別にみると、2月、3月は最高気温が36度を超える。
 
 創価学会は、国連のSDGs達成推進と気候変動対策の一環として、2020年7月、熱帯林資源の保全と持続可能な森林経営を進めるITTOと、トーゴにおける森林再生支援プロジェクトへの協力協定を締結した。

貧困地域の女性の自立を支援

 トーゴで、創価学会、ITTO、REFACOFによる森林再生支援の共同プロジェクトが始まったのは、2021年1月である。
 
 ブリッタ県パガラガ村とラック県アグエガン村の2地域で実施されているが、今回は、アグエガン村を視察に訪れた。
 
 首都ロメから車で東へ向かう。右手は、きらめくギニア湾。やがて左手にトーゴ湖が広がる。最後は舗装されていない赤茶色の土の道を大きく揺れながら走り続けると、約1時間半で、ようやく村にたどり着いた。
 
 「見てください。こんなにも植生が回復しているのが、お分かりでしょう。このプロジェクトで回復した森林は、合わせて35ヘクタールにもなるんです。
 
 共にアフリカの森を回復させ、アフリカの女性たちの生活状態を全般的に向上させたい――それが私たちの願いです」
 
 REFACOFのセシル・ンジェベト代表が力を込める。国際会議のため訪れていたアメリカから、トーゴに駆けつけた。

森林再生の技術の習得を通して、地球環境の“変革の担い手”に
種をまき、苗を植え、井戸でくんだ水を注ぐ。新たに設置された井戸のプレートには、トーゴの国章、ITTO、REFACOFのロゴとともに「Soka Gakkai」と記されている。森林再生の現場には、子どもたちの姿もにぎやかに。未来のための労作業を見つめる
種をまき、苗を植え、井戸でくんだ水を注ぐ。新たに設置された井戸のプレートには、トーゴの国章、ITTO、REFACOFのロゴとともに「Soka Gakkai」と記されている。森林再生の現場には、子どもたちの姿もにぎやかに。未来のための労作業を見つめる

 農学者でもあるンジェベト代表は、森林再生およびジェンダー平等を推進するため、2009年にREFACOFを創設。現在、アフリカの20カ国で活動を展開している。
 
 昨年、「ワンガリ・マータイ森林チャンピオン」賞を受賞。また国連で最高の環境賞とされる「チャンピオン・オブ・ジ・アース」において「インスピレーションと行動」の分野での受賞者の一人となった。
 
 隣でほほ笑むリディア・アマ・アトゥトヌ博士は、REFACOFトーゴの中心者。プロジェクトの進展の様子を語る。
 
 「トーゴの女性たちが、森林再生と農作物の生産を行うアグロフォレストリー(併農林業)の技術について訓練を受けることができました。創価学会のおかげで井戸も完成しました。今は、人の手で桶を引き上げますが、今後は機械で水をくみ上げる装置も設置する計画です。
 
 私たちは、政府と地域コミュニティーの首長の支援も得て、森林再生のための土地を確保しています。そして、地域の食料安全保障とともに、農村における女性の自立や家族の生活向上を実現しているのです」

4万8千本の苗木を生産 35ヘクタールの森が回復
アグエガン村の森林再生地に緑が広がる。「2年前と今と比べると、森林が広範囲にわたって回復し、非常によい植生になりました」(ンジェベト代表)。当初、隣接する小学校の井戸の近くに苗床が設けられたが、新たな井戸が森林再生地にできたおかげで、作業効率が一段とアップした
アグエガン村の森林再生地に緑が広がる。「2年前と今と比べると、森林が広範囲にわたって回復し、非常によい植生になりました」(ンジェベト代表)。当初、隣接する小学校の井戸の近くに苗床が設けられたが、新たな井戸が森林再生地にできたおかげで、作業効率が一段とアップした

 アグエガン村の森林再生地では、カヤ、タガヤサン、カマバアカシア(鎌葉アカシア)の木などの苗木を生産し、植林してきた。
 
 この森林によって温室効果ガスを吸収することで気候変動対策になると同時に、貧困地域の女性たちの社会的地位の向上も促す。 女性たちは研修を受け、苗床生産、森林再生の技術を身につけ、生態系を傷つけないよう留意して、苗木をアグロフォレストリーの手法で植えていく。
 
 従来のように、森を切り開いて畑をつくる手法ではなく、材木樹や果樹、農作物など多様な植物を混植することで、森林の保護・再生を支えながら商品作物を得られるようにするのが特色だ。
 
 食用作物としては、タピオカの原料ともなりアフリカの伝統的な食用作物であるキャッサバをはじめ、トウモロコシ、落花生などを栽培。家庭の食料として、また余剰分は販売用として貢献している。
 
 この共同プロジェクトは、気候変動による天候不順等に加え、新型コロナのパンデミック(世界的大流行)や、ウクライナ危機による食料不足など、さまざまな困難な状況を乗り越え、続けられてきた。

環境・森林資源省を表敬(1月23日)。相島平和委員会議長ら訪問団が同省総務・財務本部のコンムラン・アウニョ本部長(右から2人目)らと懇談した。同本部長は創価学会が進める森林再生の共同プロジェクトへの賛同と感謝を述べた
環境・森林資源省を表敬(1月23日)。相島平和委員会議長ら訪問団が同省総務・財務本部のコンムラン・アウニョ本部長(右から2人目)らと懇談した。同本部長は創価学会が進める森林再生の共同プロジェクトへの賛同と感謝を述べた

 1月23日午前、訪問団は環境・森林資源省を表敬。午後、プロジェクトを支援しているアグエガン村の首長を訪ね、感謝を伝えた。
 
 この日、村で市場が開かれていた。日頃は人が少ないであろう広場や村の辻々も、この日ばかりはにぎやかに露店が軒を連ね、鍋など日常の生活用品や色とりどりの野菜や燻製の魚などの食品、さらに伝統の工芸品などが所狭しと並ぶ。
 
 案内役のアマ・アトゥトヌ博士が、歩きながら、露天の快活な女性店員たちと言葉を交わす。
 
 「あの店の女性たちの中にも、森林再生プロジェクトの参加者がいるんです」
 
 地域コミュニティーとの協働で豊かな成果をもたらす。環境を保全すると同時に、村に生きる女性が力を得て、家族の暮らしも向上させていける――プロジェクトの意義が雄弁に示されていた。
 
 今、気候変動対策において、大きな焦点の一つとなっているアフリカ。
 
 池田大作先生は1960年10月、ニューヨークの国連本部を視察し、独立間もないアフリカ諸国の若き代表たちの活力あふれる姿を目の当たりにした。
 
 トーゴの独立は、まさに、この年の4月27日であった。
 
 先生は「21世紀はアフリカの世紀」と、輝く未来を展望した。後に、こう述べている。
 
 「『アフリカの世紀』とは、一番苦しんだ人が、一番幸せになる世紀である」
 
 気候変動という人類的課題を前に、アフリカの女性たちと共に踏み出した一歩は、いまだ小さいかもしれない。しかし、その一歩一歩が積み重なって、希望の大道は開かれていく。それは、持続可能な地球の未来を照らす光源となるに違いない。

REFACOF創設者・代表 セシル・ンジェベト氏「創価学会の協働に深謝」

 私は、アフリカの森林経営のためのネットワーク「REFACOF」の創設者であり、代表を務めています。
 
 この分野で、アフリカにおける創価学会の最初の取り組みが行われているトーゴで、皆さんとご一緒できることを大変うれしく思います。創価学会の支援のおかげで、150人の女性が恩恵を受け、今では35ヘクタールの森林を回復させることができました。女性たちは4万8000本の植林木の苗木を生産し、2万5000本を植えました。この2年間だけで、非常によく植生が回復しつつあります。
 
 重要な点として、女性たちがアグロフォレストリー方式を選択したので、植林といくつかの農産物を組み合わせたということがあります。ここアグエガン村では、植林とともに、キャッサバやトウモロコシ、ピーナツなどを栽培しています。これは女性たちが家族の食料安全保障を向上させるのに役立ちました。キャッサバは、皆が食べますし、「ガリ」と呼ばれる粉末に加工し、余剰分を売ることで、ある程度の収入が得られるのです。
 
 私たちREFACOFの目的は、女性の生活環境を改善すること、そして環境を改善することです。つまり、アフリカの森を、生態系を回復させ、アフリカ大陸を復興させること、そしてアフリカの女性とその家族、全ての人の生活の質を向上させること。この二つの目標があります。
 
 これらは、全て能力開発とともに行われます。私たちは優秀な技術者を抱えており、女性たちを訓練しています。また、女性たち自身によるトレーニングも企画・実施しています。具体的には、プロジェクトが実施されている二つの村同士で、女性たちが交流し、互いの経験を交換できるように努めています。
 
 創価学会からの継続的な協働に御礼を申し上げたい。私たちはアフリカの稀有な女性協会、女性ネットワークの一つであり、女性と共に働き、100%女性で構成されております。
 
 重ねてご支援に感謝いたします。

幼子を抱き、頭上で荷物を運ぶ女性――「アフリカの母と子の像」。REFACOFのンジェベト代表から寄せられた。代表は「池田先生は、21世紀はアフリカの世紀、女性の世紀といわれました。その先見に感動します。女性のエンパワーメントこそが、アフリカを復興させる原動力なのです」と語った
幼子を抱き、頭上で荷物を運ぶ女性――「アフリカの母と子の像」。REFACOFのンジェベト代表から寄せられた。代表は「池田先生は、21世紀はアフリカの世紀、女性の世紀といわれました。その先見に感動します。女性のエンパワーメントこそが、アフリカを復興させる原動力なのです」と語った
 

世界広布の源流 青年に語る創価の魂】第14回 二月闘争〈上〉

2023年02月01日 | 妙法

【世界広布の源流 青年に語る創価の魂】第14回 二月闘争〈上〉2023年2月1日

  • 〈出席者〉谷川主任副会長、梁島男子部長、林池田華陽会委員長、田島学生部長、先﨑女子学生部長
師弟直結で「壁」を破れ
青空に浮かぶ飛行機を池田先生がカメラに収めた(2000年2月、東京・大田区の羽田空港で)。大田は「二月闘争」の舞台となった地。先生は「故郷・大田の繁栄を、私は、いつも祈り見つめている」と万感の思いを寄せている
青空に浮かぶ飛行機を池田先生がカメラに収めた(2000年2月、東京・大田区の羽田空港で)。大田は「二月闘争」の舞台となった地。先生は「故郷・大田の繁栄を、私は、いつも祈り見つめている」と万感の思いを寄せている

 ◆梁島 「伝統の2月」がスタートしました。今回から「二月闘争」の精神について、お聞きします。1952年(昭和27年)2月、池田先生が支部幹事として指揮を執った蒲田支部は、「201世帯」の弘教を達成しました。当時、一つの支部で月100世帯前後の拡大が限界でした。
  
 ◇谷川 「二月闘争」は、戸田先生の生涯の願業である75万世帯の達成へ、愛弟子である池田先生が突破口を開いた戦いです。そこには、現状を打破し、「壁」を破るための要諦が幾つも刻まれています。
 その一つは、広布拡大において、どこまでも“師弟直結”が根本であるということです。
 51年(同26年)5月3日、戸田先生は第2代会長に就任します。就任式の席上、戸田先生は「私が生きている間に、75万世帯の折伏は、私の手でいたします」と宣言しました。
 当時、会員数は実質3000余に過ぎませんでした。恩師の願業を耳にしたある青年部員は、「戸田先生は、相当長生きされるのだと思った」と述懐しています。聖教新聞でも、「75万世帯」の文字は報道されませんでした。
 その中で、池田先生は師匠の心をわが心とし、“戸田先生の願業を断じて実現してみせる”との誓いを定められたのです。
 ところが、52年1月の学会の入会世帯数は635世帯。75万世帯へは、はるか遠い道のりでした。同月、戸田先生は支部長会で、「『雁行進』は、今月をもって、一切、打ち切りとする」と訴えます。
 さらに、「いよいよ大を出すか」と、池田先生を蒲田支部の支部幹事に任命します。戸田先生が池田先生に期待したのは、「突破口を開け」ということでした。
 1月29日、池田先生は東京・大田で行われた蒲田支部の緊急組長会で力説します。「2月は日蓮大聖人の御聖誕の月であり、また、2月11日は、戸田先生の誕生の日であります」
 「報恩感謝の思いで、この2月を戦いきり、見事な勝利の結果をもって、戸田先生にお応えし、先生の誕生の月をお祝いしようではありませんか」
 師匠の恩に広布拡大の証しをもって応える――池田先生の強い思いが蒲田支部の全同志に伝播し、拡大の火ぶたが切られたのです。

谷川主任副会長に話を聞く梁島男子部長、林池田華陽会委員長、田島学生部長、先﨑女子学生部長(学会本部別館で)
谷川主任副会長に話を聞く梁島男子部長、林池田華陽会委員長、田島学生部長、先﨑女子学生部長(学会本部別館で)
「新しい人」に「新しい力」が

 ◆林 池田先生は緊急組長会で、「組」(現在のブロック)で2世帯の弘教という目標を掲げました。
  
 ◇谷川 当時の最前線の組織である組には、新入会の友が多く、組単位の活動には反対もありました。しかし、池田先生は、「新しい力」に絶対の信頼を寄せていました。
 当時の心境について、こう述べています。「“新しい人”だからこそ、“新しい力”をもっている。それを引き出そう。新鮮な若芽のような“新しい息吹”もある。それを伸ばそう――そこに私の着眼点があった。いわば新思考である。“新しい発展”は、この“新しい発想”から生まれた」
 先生は、組単位の活動に光を当て、折伏の仕方が分からない友がいれば、一緒に仏法対話に歩きます。「新しい力」と共に動き、組織に眠っていた“新しいエネルギー”を引き出しながら、拡大の突破口を開いたのです。
 さらに、新たな人材への真心の励ましにも徹しました。
 励ましについて、先生はこう述べています。「人間は、励ましによって育っていく。そして、人を励ます作業とは、生命を、知恵を、力を振り絞って、相手の心の扉を開き、深く分け入り、発心のための養分を注ぎ込む真剣勝負の対話といえよう」
 広布のリーダーにとっては、“地域のどれだけのメンバーに激励できたか”という点も大切でしょう。とともに、“励ましによって、同志がどんな体験をつかむことができたか”は、それ以上に重要です。
 「二月闘争」では、先生の真心の激励によって、信心の歓喜のドラマが次々と生まれ、「壁」が破られていったのです。

蒲田支部の支部幹事として同志に励ましを送る山本伸一(小説『新・人間革命』第24巻「人間教育」の章から、内田健一郎画)
蒲田支部の支部幹事として同志に励ましを送る山本伸一(小説『新・人間革命』第24巻「人間教育」の章から、内田健一郎画)
自分がまず動く 自分の目標に挑む

 ◆田島 当時、先生は24歳でした。周囲は年上の先輩たちばかりでした。
  
 ◇谷川 信心に役職や年齢は関係ありません。大切なことは、広布をわが使命と定め、真剣に戦うことです。
 池田先生は自ら対話に率先しました。アパートの隣人など、身近に縁する方々とも対話の輪を広げています。
 先生は、「私は、まず自分が動いた。自分が挑戦した」「リーダーは、まず自分が動くことである。自分が自分の目標に挑戦することである」と振り返っています。
 若き先生の率先の行動は、蒲田支部の同志に勇気を送り、一人また一人と、地涌の使命に立ち上がっていきました。
 緊急組長会の後、先生は徹底して組織の第一線を駆け回りました。
 大きな会合に人を集め、号令や指示をしていたのではありません。最前線に飛び込み、同志とスクラムを組みながら、拡大に挑みます。
 その後の“文京支部での戦い”や「大阪の戦い」でも、先生は「リーダー率先」に徹し、最前線の友を鼓舞しながら、拡大の金字塔を打ち立てていきます。それらの戦いの原型は、「二月闘争」にあります。
 52年2月の1カ月で、201世帯の弘教を達成した蒲田支部は、3月、4月も200世帯を突破しました。5月には300世帯を超え、11月には400世帯を上回る拡大を成し遂げます。この年、会員数は2万2000世帯を超えました。
 先生はつづっています。
 「青年の私は、『二月闘争』を起点として、全学会の前進・勝利の方程式を作った。表面的な方法論ではない。学会は『一人立つ信心』そして『師弟共戦の信心』で勝つ、という永遠の軌道を固めた」
 先生がとどめられた勝利の方程式とは、策や方法ではなく、どこまでも、「師弟」と「信心」に立ち返ることにありました。それが、創価の青年が歩むべき“永遠の軌道”なのです。
  
 ◆先﨑 池田先生は「御義口伝」要文講義(「大白蓮華」2022年12月号)で、「師弟」と「信順」についても教えてくださっています。
  
 ◇谷川 要文講義では、次の一節が引かれています。
 〈文句の一に云わく「『如是』とは信順の辞なり。信ずれば則ち所聞の理会し、順ずれば則ち師資の道成ず」。詮ずるところ、日蓮等の類いをもって「如是我聞」の者と云うべきなり云々〉(新986・全709)
 この御金言を通して先生は、「信順とは、信じて順じる――教えに基づき生きる。つまり師弟の道です」と述べています。
 さらに、「師の言われたことの本質に肉薄し、それを過たずに実践する」「師弟こそ『如是我聞』の本質です。ここに『不信』を打ち破る要諦もある」と強調しています。
 まさに、「二月闘争」とは、戸田先生の言われることの本質に肉薄し、過たずに実践する戦いでした。
 「伝統の2月」の先陣を切るのは青年です。「伝統」とは、変わらないために、変わり続けることでもあります。師匠が示した広布の方程式は不変です。変わり続けるのは、自分自身です。
 自身の「壁」を破りながら、池田先生の指導を実践していく――その連続闘争で、勝利を飾る「凱歌の2月」にしていこうではありませんか。

 【参照】
 ◆小説『人間革命』=第5巻「烈日」「驀進」
 ◆小説『新・人間革命』=第3巻「平和の光」、第29巻「力走」