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〈忘れ得ぬ旅 太陽の心で――池田先生の連載エッセーから〉フィレンツェ  

2020年06月30日 | 妙法

〈忘れ得ぬ旅 太陽の心で――池田先生の連載エッセーから〉フィレンツェ  2020年6月30日

フィレンツェ最古の橋「ヴェッキオ橋」。14世紀に再建された(1992年6月、池田先生撮影)
フィレンツェ最古の橋「ヴェッキオ橋」。14世紀に再建された(1992年6月、池田先生撮影)
 

 月刊誌「パンプキン」誌上の池田先生の連載エッセー「忘れ得ぬ旅 太陽の心で」を紹介する本企画。今回は「フィレンツェ――人間を見つめる花の都」を掲載する(潮出版社刊の同名のエッセー集から抜粋)。イタリアのフィレンツェは、絢爛たる「人間復興」の文化が花開いたルネサンスの中心地。新しい生活様式が求められる今、この街に薫るルネサンスの精神に学び、人間の絆を強く結びながら、一人一人が絶えず再生し偉大な価値を創造しゆく「負けない生命」の力を湧き立たせていきたい。
  

 

 世界まで
  つつむ 旭日の
    イタリアは
   ルネッサンスの
      満開 香りぬ
  
 わが街は「花の都」なり――。
 同じ暮らすのであれば、人それぞれに、自らが生きる地域を「花の都」と誇りにして、「花の人生」を飾っていきたいものです。
 たとえ、少々地味な街並みで、一見平凡な生活であったとしても、誰もが心一つで、明るい対話の花も、楽しい友情の花も、豊かな文化の花も、生き生きと咲かせていけるはずです。その香り高い手本が、文字通り「花の都」という名を持ったイタリアのフィレンツェです。
  
 ルネサンスの哲学者ピコ・デラ・ミランドラが、共感を込めて記した一節に、こうあります。
 「世界というこの舞台において、最も感嘆すべきものと見られるものは何か」「人間ほど素晴しいと見られるものはない」
 私たち人間自身のなかにこそ、何よりも素晴らしい宝があります。その宝を発見し、磨いていくならば、人間は一人一人が、わが生命の花を、もっともっと自分らしく色とりどりに咲き薫らせていくことができます――。
 フィレンツェは、そう語りかけ、人生のルネサンス(再生)を促してくれる、人間の花すなわち「人華」の都でもあるのです。

 

人間の絆を強く
 

 〈池田先生は、フィレンツェを初訪問した折に青年たちと語り合った思い出を述懐し、人間の絆にこそ、創造の花を育む力があると訴える。また、忘れ得ぬイタリアの一婦人の姿を紹介。病に負けず医師として使命を果たし、青年を励ましてきた不屈の歩みをつづった〉
  
 「いかなる距離も我らの友情を引き離すことはなく、いかなる忘却の力も我らの記憶を消し去ることはない」
 これは、フィレンツェの指導者で、ルネサンスの思想家であったブルーニの言葉です。
 街自体が「屋根のない美術館」とも称されるフィレンツェを、私が初めて訪れたのは、一九八一年の五月のことです。
  
 時に友人宅におじゃまし、時に陽光降り注ぐ芝生の上に座って、時にアルノ川に架かるヴェッキオ橋を渡り、時にミケランジェロ広場からフィレンツェの街を一望しながら、私は、とりわけ青年たちと徹して語り合いました。当時のイタリアでは、麻薬が蔓延するなど、青少年を取り巻く状況は厳しいものがありました。そうした風潮のなかで奮闘する健気な青年たちを、何とか励まし、力づけたかったのです。
 ――現実から逃避してはならない。希望の哲学を持って正面を向こう! 親に心配をかけぬよう、青年らしく、大いに学び、大いに働こう! 友と仲良く信頼し合って、共に前進するのだ、と。
  
 「秀でた人物が出現するとき、多くの場合たった一人だけでない」と語ったのは、ルネサンスの画家・建築家のヴァザーリです。
 どんなに才能に恵まれた人でも、一人で孤立していては、成長を続けられません。
 レオナルド・ダ・ヴィンチをはじめ、きら星の如く優れた芸術家を生み出したルネサンスに、師弟の薫陶があり、先輩・後輩の継承があり、友と友との切磋琢磨があったことは、よく知られるところです。
 人間の絆にこそ、創造の花を育て、開花させゆく光線があり、水分があり、滋養があるのではないでしょうか。

 

イタリア広布20周年を祝う友好文化総会の会場で、池田先生が未来っ子の小さな手を握り、励ましを送る(81年5月、フィレンツェ郊外で)
イタリア広布20周年を祝う友好文化総会の会場で、池田先生が未来っ子の小さな手を握り、励ましを送る(81年5月、フィレンツェ郊外で)
 

 妻が近しいイタリアの婦人も、常に友や青年の話に耳を傾けて、励ましを贈り、多くの人材を育ててこられました。忘れ得ぬ方です。
 彼女は十五歳の時に、突然、ポリオ(小児まひ)を患い、両足が不自由になりました。しかし断じて負けませんでした。悲嘆に打ちひしがれるより、学びに学び抜いて医師になったのです。自分が病気に苦しんできたからこそ、病気に苦しむ人を助けようという心からです。
 慈愛の医師としての使命を果たして退職したあとに、仏法の生命哲学と出あいました。そして、かつて残酷な戦火に覆われたヨーロッパに、生命尊厳の哲学を伝え、人々の連帯を広げて、平和に貢献していくことを、人生の総仕上げとしていきます。
 お子さんのいない彼女は、杖で体を支えながら歩きに歩いて、縁する青年を、息子のように、娘のように、激励してきたのです。
 さらに日本語にも精通していた彼女の名翻訳が東洋の英知を紹介し、大きく道を開いて、今、イタリアでは幾万もの青年が続いて、生命ルネサンスの道を学んでいます。
 この婦人が聡明な笑顔で語られていた言葉が、思い起こされます。
 「どんな困難な状況があろうとも、一人一人とじっくり心の対話を重ねていけば、前進は可能です」
 「異なる個性を持つ人がしっかりとスクラムを組んでいくことが大切です。それなくして世界平和の実現はありません」

 
負けない生命

 〈先生は、歴史に名を刻んだ芸術家のごとく、今いる場所でベストを尽くし、偉大な価値を創造しゆく中に、「花の人生」が広がり、「花の都」が輝くとエールを送る〉
  
 世界的なロベルト・ロンギ美術史研究財団のミーナ・グレゴリー会長は、若き美の探究者たちを育成されてきた芸術の母です。会長は私に語られました。「『芸術』は、生活を潤し、人生を豊かにする不可欠の宝です」と。
 そして、「モノ」や「計算」や「利害」が中心となった殺伐たる時代を打ち破るために、芸術がもっと多くの人生に深く入っていくべきだと言われるのです。

 アルノ川のほとりに広がる美しいフィレンツェの町並み(94年5月、池田先生撮影)

アルノ川のほとりに広がる美しいフィレンツェの町並み(94年5月、池田先生撮影)
 

 フィレンツェのシンボルの一つであるヴェッキオ宮殿は、天井や壁、柱まで絵画や彫刻が配される美の殿堂であり、しかも中世から政治の中枢となってきました。
 現在も市庁舎として使われています。
 その広間の一角にさりげなく飾られているのが、大芸術家ミケランジェロの「勝利」の像です。
 数々の迫害と苦難に勝って、不滅の名作を創り上げてきた彼は、毅然と断言しました。
 「わたしは自分の今あるもろもろの条件の下で最善をつくすだけだ」
 今いる場所で、いかなる苦難もはね返して偉大な価値の創造をしていく「負けない生命」こそ、最高の人間芸術でしょう。それは、フィレンツェの紋章の百合の花の如く、何にも汚されない清らかな花です。
 この「花の心」から、「花の人生」が広がり、「花の都」が輝いていくのではないでしょうか。
  
 花の人
  花の心の
    花の旅
  
 (『忘れ得ぬ旅 太陽の心で』第2巻所収)
  

 
  

 ※ピコ・デラ・ミランドラの一節は『ルネサンスの人間論――原典翻訳集』佐藤三夫訳編(有信堂高文社)、ブルーニの言葉は『原典 イタリア・ルネサンス人文主義』池上俊一監修・髙田康成訳(名古屋大学出版会)、ヴァザーリは『ルネサンス画人伝《新装版》』小谷年司訳(白水社)、ミケランジェロは『ミケランジェロの手紙』杉浦明平訳(岩波書店)。


小説「新・人間革命」学習のために 「学生部

2020年06月26日 | 妙法

マイ・ヒューマン・レボリューション――小説「新・人間革命」学習のために 「学生部」編  2020年6月26日

  • 先駆の同志よ 広布に走れ

 小説『新・人間革命』の山本伸一の激励・指導などを、巻ごとに紹介する「My Human Revolution(マイ・ヒューマン・レボリューション)」。今回は「学生部」編を掲載する。次回の第14巻は7月3日付2面の予定。挿絵は内田健一郎。

 
情熱たぎらせ、学びに学べ!

 <第3代会長に就任した山本伸一は、1960年(昭和35年)6月、第3回学生部総会に出席し、学生部に期待を寄せた>
 
 彼(伸一)は、政治も、経済も、科学も、その根底には偉大なる哲学、偉大なる宗教が必要であることを述べ、色心不二の生命哲理である日蓮大聖人の仏法こそ、真実の人間文化を創造する源泉であると訴えた。そして、偉大なる文化を建設する担い手には、偉大なる信仰、偉大なる情熱がなければならないと語り、青年の生き方に言及していった。
 
 「今、皆さんが成すべきことは、大情熱をたぎらせ、人の何倍も勉強し、信仰の実践に取り組むことです。
 
 鍛えを忘れた青春の果てには、砂上の楼閣の人生しかない。
 
 決して、焦ることなく、未来の大成のために、黙々と学びに学び、自らを磨き抜いていっていただきたいのであります」(中略)
 
 真実の平和と民主主義の社会の建設は、急進的で、破壊的な革命によってなされるものではない。
 
 それは、人間一人ひとりの生命の大地を耕す人間革命を基調とし、どこまでも現実に根差した、広宣流布という漸進的な“希望の革命”によって実現されるのである。伸一は、最後に、祈るような思いで、こう話を結んだ。
 
 「私は、皆さん自身が幸福になるとともに、人びとを幸福にしていく社会のリーダーになっていただきたいんです。それが、最大の私の願いです。皆さんに、私の後を継いでいただく以外に、広宣流布の道はないからです。頼みますよ」
 
 彼は、学生部の未来に限りない期待を寄せていた。
 
 彼らこそ、新しき哲学の旗を掲げ、人間主義の文化を建設する使命をもった先駆者にほかならないからだ。
 
 (第2巻「先駆」の章、47~48ページ)
 

 

「友情」の広がりが世界を結ぶ

 <61年(同36年)6月、第4回学生部総会で伸一は、語学を磨き、世界にたくさんの友人を作ってほしいと述べる。そうして、築いた友情が、人間同士の信頼となり、世界平和の構築へとつながると語る>
 
 「平和といっても、人間と人間の心の結びつきを抜きにしては成り立ちません。皆さんが世界の人びとと、深い友情で結ばれ、そのなかで、友人の方が、皆さんの生き方に感心し、共感していくなら、自然と仏法への理解も深まっていくものです。
 
 この課題を担うのは、語学をしっかり学んでいる人でなければ難しいので、特に、学生部の皆さんにお願いしたいんです。世界の方は、一つよろしくお願いいたします」(中略)
 
 世界を友情で結べ――さりげない言葉ではあるが、そこには、仏法者の生き方の本義がある。
 
 仏法は、人間の善性を開発し、人への思いやりと同苦の心を育む。それゆえに仏法者の行くところには、友情の香しき花が咲くのである。
 
 そして、布教も、その友情の、自然な発露にほかならない。
 
 この総会に集った学生部員の多くは、口角泡を飛ばして宗教を論ずることのみが、仏法者の姿であると思っていた。
 
 もちろん、教えの正邪を決するうえでは、それも必要なことではあるが、一面にすぎない。
 
 伸一は、次代を担う若き俊英たちが、宗教のために人間があるかのように錯覚し、偏狭な考えに陥ることを心配していた。
 
 柔軟にして、大海のような広い心をもってこそ、まことの仏法者であるからだ。
 
 彼は、学生部という若木を、おおらかに、すくすくと育てたかった。
 
 (第4巻「青葉」の章、211~213ページ)
 


 

仏法と他思想の比較研究を
 

 <62年(同37年)7月、第5回学生部総会が行われた。伸一は講演の中で、世界の思想・哲学と仏法を比較する探究の心こそ大事であると述べる>
 
 「私は、学生部の皆さんには、日蓮大聖人の仏法と、実存主義やマルクス主義といった思想・哲学と、どちらが偉大であるのかを、徹底的に究明していってほしいのです。
 
 どちらが人間の生命の全体像を正しく把握しているのか、人間の苦悩を根本から解決し得るのか、現実生活のうえではどうなのか、現証の面からはどうなのかなど、大胆に、冷静に、独断に走ることなく、比較研究していってもらいたいのです。
 
 そして、“人類を救い得る世界最高の哲学は、確かにこれしかない”と確信したならば、その信念にしたがって、仏法の大哲理を胸に、民衆の味方となり、不幸な人びとを救うために、生涯、生き抜いていただきたい」
 
 伸一には、仏法への絶対の確信があった。学生部員が、本腰を入れて、日蓮仏法と他の思想・哲学との比較研究に取り組むならば、早晩、その高低浅深は明らかになることを、彼は十分に知悉していた。しかし、当時、学生部員のなかには、その確信をもてないメンバーが少なくなかったのである。(中略)
 
 学生部員の多くは、マルクス主義も、仏法も、徹底して掘り下げることをしなかったために、確信をもって語りきることができないでいた。
 
 伸一は、学生ならば、強い探究心をもってほしかった。
 
 探究なくしては、仏法の大哲理の真実の価値も、わからないからだ。さまざまな思想・哲学と比較相対すればするほど、その真価が明らかになるのが仏法である。
 
 (第6巻「若鷲」の章、327~329ページ)
 

 
 

苦難への挑戦に人生の醍醐味

 <78年(同53年)6月30日、学生部結成記念幹部会が行われ、学生部歌「広布に走れ」が発表。伸一は学生部に託す思いを訴えた>
 
 「諸君のなかには、さまざまな苦悩を抱えて悶々としている人もいると思う。そして、いつか、苦悩など何もない、今とは全く異なる、きらびやかな人生が開けることを、欲している人もいるかもしれない。
 
 しかし、人生は、永遠に苦悩との戦いなんです。悩みは常にあります。要は、それに勝つか、負けるかなんです。何があっても負けない自分自身になる以外に、幸福はない。どんなに激しい苦難が襲い続けたとしても、唱題しながら突き進み、乗り越えていく――そこに、真実の人生の充実と醍醐味があり、幸福もあるんです。それが、本当の信仰の力なんです。
 
 その試練に立ち向かう、堅固な生命の骨格をつくり上げるのが、青年時代の今です。学会の世界にあって、進んで訓練を受け、自らの生命を磨き鍛えていく以外にないんです。二十一世紀の大指導者となる使命を担った諸君は、苦悩する友人一人ひとりと相対し、徹して励まし、仏法対話し、友を触発する指導力、人間力を、仏法への大確信を培っていってください。
 
 戸田先生は、青年たちに、常々、『次の学会を頼む』と、最大の期待を込めて言われていた。私は、そのお言葉通りに歩んできたつもりであります。
 
 同様に、今度は、諸君の番です。私は、万感の思いを込めて、『二十一世紀を頼む!』と申し上げておきたい。妙法の世界一の学徒集団として、人間味あふれる創価家族の、期待の後継者として、どこまでも仲良く、民衆のため、庶民の幸福のために生き抜き、新しき世紀を築いていっていただきたい」
 
 (第28巻「広宣譜」の章、29~30ページ)
 

学生部の使命
学生部の使命
第5回学生部総会で学生部旗を託す(1962年7月、東京・日比谷公会堂で)
第5回学生部総会で学生部旗を託す(1962年7月、東京・日比谷公会堂で)

 1973年(昭和48年)、学生部との記念撮影で伸一は、学生部の使命を示す。
 
 大学という最高学府に学ぶ意義は、庶民の上に君臨するためではない。
 
 民衆に仕え、民衆を守り、民衆を幸福にしていくためです。


「勇気と理想」に生き抜け!

2020年06月23日 | 妙法

〈池田先生と共に 新時代を築く〉 「勇気と理想」に生き抜け! 2020年6月23日

 6月23日は、愛する沖縄の「慰霊の日」である。今年は戦後75年。全ての戦争犠牲者に追善の題目を捧げ、世界不戦の誓いを新たにしたい。
 
 筆舌に尽くせぬ戦禍に苦しめられた沖縄で、私は憤悱を込め、小説『人間革命』を書き始めた。この一念を汲み、人類の宿命転換へ平和の起点となって、たゆみなく「立正安国」の金波を起こしてくれているのが、沖縄家族である。
 
 「命どぅ宝(命こそ宝)」という深き心が光る沖縄で、自行化他の妙法を唱え弘めてきた父母たちこそ、最極の生命の「宝塔」にほかならない。
 
 「世界で最初の広宣流布の地帯」へと進みゆく沖縄を、御本仏は「ここさながら宝塔の住処なり」(御書1304ページ)と、ご照覧であろう。
 
 『人間革命』起稿の日、私は瞳凜々しき沖縄学生部の友と固い握手を交わした。何があっても、朗らかに舞い戦う沖縄健児たちは、二陣三陣と不退の人材群を築いてくれた。
 
 そして今も、私は沖縄青年部・未来部の一人一人と心の握手を交わす思いで、成長を祈りゆく日々である。
 
 * * * 
 
 1957年の6月30日、恩師・戸田城聖先生のもと、学生部は、夕張炭労事件、大阪事件という正義の人権闘争の渦中に結成された。
 
 私は、師弟の故郷たる北海道から祝電を送った。権力の魔性に立ち向かう共戦の同志たちが、「我らの学会に学生部が誕生した!」と誇り高く喝采した笑顔も蘇る。
 
 恩師は「多彩な学生が集えば校舎なき総合大学だ」と喜ばれ、「地球民族主義」の連帯の核となることを望まれた。
 
 今、日本はもとより世界中で、男女学生部がオンラインなどを活用して励まし合い、平等大慧の仏法を研鑽し、地涌のスクラムを広げている。
 
 さまざまな制約の中での学業、アルバイト、就職活動等、辛労は絶えないことだろう。
 
 しかし、大変な時に、歯を食いしばって学び鍛えたことが、偉大な底力となる。真心を尽くして結んだつながりが、一生涯の陣列となる。
 
 草創の学生部と学んだ御義口伝に、「今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉るは生死の闇を照し晴して涅槃の智火明了なり」「煩悩の薪を焼いて菩提の慧火現前するなり」(同710ページ)と仰せである。
 
 妙法は、人生と社会のいかなる苦悩も幸福前進の力に変えながら、人類を覆う「生死の闇」を照らし晴らしゆく「絶対勝利」の智慧の炎なのだ。
 
 * * * 
 
 学生部結成の翌年の6月30日、私は新設の総務に就任した。恩師逝去後の全学会の指揮を不二の心で執り始めたのである。その日の日記に、「勇気と理想に生きる、純真なる信仰者で生涯を、ただただ貫きたい」と記した。

 わが創価の学徒たちよ!
 わが普賢の若人たちよ!
 
 この「勇気と理想」を、しかと受け継いでくれ給え。


きょう「父の日」――信頼広げる人間王者に

2020年06月21日 | 妙法

きょう「父の日」――信頼広げる人間王者に 池田大作先生の写真と言葉「四季の励まし」  2020年6月21日

 【写真の説明】北海道の大沼湖畔。白波が次々と打ち寄せる。そのかなたには、駒ケ岳の英姿があった。1982年(昭和57年)6月、池田大作先生がカメラに収めた。
 駒ケ岳の別名は「渡島富士」。その悠然とした姿は、毀誉褒貶の風にも揺るがず、わが信念に生き抜く創価の父たちと重なる。
 かつて池田先生は述べた。「大変なときに、変わらずに頑張れば、あとで尊敬される。状況が厳しかろうが、人が変わろうが、自分は自分の決めた道を貫く。その人が『人間として』の王者です」と。
 きょうは「父の日」。社会や地域で一歩一歩、信頼を広げる“人間王者”に、皆で心からの感謝の拍手を送ろう。
 

 

池田先生の言葉

 家庭や地域にあっても、
 厳しい経済闘争に
 あっても、
 宿命転換の激戦に
 あっても、
 一家の柱、
 広布の要として、
 辛抱強く
 頑張ってくれている
 創価の父に、
 感謝と労いの笑顔を
 贈っていただきたい。
  
 波瀾万丈の苦労をしてこそ
 「人間」はできる。
 苦労もせず、
 思い通りにいけば、
 よいように思える
 かもしれないが、
 結局は、
 傲慢で小さな人間に
 なってしまうものだ。
 やりづらくとも、
 耐えて、努力し、
 乗り越えていく。
 その積み重ねのなかで
 「人格」はできる。
  
 偉い人の仕事は、
 「自分のため」の
 次元ではない。
 「人のため」
 「社会のため」である。 
 後輩のため、そして
 後継の友のために戦い、
 道を残していく――
 ここに偉大な
 「父」の心がある。
  
 人生は長い。
 勝つ時もあれば、
 負ける時もある。
 行き詰まり、
 七転八倒する時も
 あるだろう。
 だが、人生の勝敗は
 途中で決まらない。
 栄光は、粘り抜いた
 逆転劇によって
 勝ち取るものだ。
 だからこそ
 心は負けてはならない。
 あきらめてはならない。
  
 父が厳然としていれば、
 どれほど
 安心と喜びが広がるか。
 一騎当千である。
 その「一人」を
 大切にする。
 粘り強く通い、
 信頼を育み、
 励まし続ける。
 熱い男の友情と連帯を、
 私は最大に讃えたい。


―小説『人間革命』学習のために 第13巻

2020年06月19日 | 妙法

マイ・ヒューマン・レボリューション――小説『人間革命』学習のために 第13巻  2020年6月19日

 小説『新・人間革命』の山本伸一の激励・指導などを、巻ごとに紹介する「My Human Revolution(マイ・ヒューマン・レボリューション)」。今回は第13巻を掲載する。次回は「学生部編」を26日付2面に予定。※第14巻の掲載は、7月3日付の予定です。挿絵は内田健一郎。

 

相手を知ることが渉外の基本
 

 <日中関係に暗雲が垂れこめる中、1966年(昭和41年)7月、青年部の幹部が中国の関係者と会談する。終了後、報告を受けた伸一は語る>
 
 「やはり最初は硬い雰囲気だったんだね。初対面の時は、互いに緊張するだけに、その硬さを解きほぐしていくことが大事なんだ。
 
 それは笑顔だよ。
 
 そして、最初に何を言うかだ。
 
 包み込むような温かさがあり、相手をほっとさせるようなユーモアや、ウイットに富んだ言葉をかけることだよ」(中略)
 
 「それから、人と会う時には、相手がどういう経歴をもち、どういう家族構成かなども、知っておく努力をしなければならない。それは礼儀でもあるし、渉外の基本といってよいだろう。
 
 たとえば、君たちだって、自己紹介した時に、『あなたのことは、よく存じております。こういう実績もおもちですね』と言って、自分の業績を先方が語ってくれたら、どう感じるかい。この人は、自分のことを“ここまで知ってくれているのか”と感心もするだろうし、心もとけ合うだろう。
 
 それが、胸襟を開いた対話をするための第一歩となるんだ。だから私も、常にそうするように、懸命に努力している。お会いする方の著書があれば、できる限り目を通すようにしているし、その方について書かれた本なども読んで、頭に入れているんだよ」
 
 (「金の橋」の章、36~37ページ)
 

  

「異体同心」は個性開花の団結
 

 <68年(同43年)秋、各方面で芸術部員による芸術祭が開催。一人一人の個性を尊重しつつ、団結するにはどうすればよいかと尋ねる芸術部の幹部に伸一は、指針を示す>
 
 「実は、その原理が『異体同心』ということなんです。
 
 世間では、団結というと、よく『一心同体』と言われる。これは、心も体も一体ということであり、心を同じくするだけでなく、行動や形式も同じことを求める。
 
 つまり、全体主義となり、どうしても、個性は抑圧されることになる。
 
 それに対して、大聖人は『一心同体』ではなく、『異体同心』と言われた。
 
 これは“異体”である個人、また、それぞれの個性や特性の尊重が大前提になっています。
 
 その一人ひとりが“同心”すなわち、広宣流布という同じ目的、同じ決意に立つことから生まれる、協力、団結の姿が異体同心です。
 
 つまり、それは、外側からの強制によるものではなく、個人の内発的な意志による団結です。だから強いんです。
 
 また、自主性が基本にあるから、各人が個性、特質をいかんなく発揮できるし、それによって、さらに全体が強くなる。たとえば、城の石垣というのは、同じ形の石ではなく、さまざまな形の石を組み合わせ、積み上げていくから、堅固であるといわれている。
 
 野球をするにも、優秀なピッチャーばかり集めたからといって、勝てるものではない。『異体』すなわち、いろいろな人材が必要なんです。芸術部員は、一人ひとりが力もあり、強い個性をもっているだけに、皆が心を一つにして団結すれば、すごいパワーが発揮できます。
 
 学会の強さは、この『異体同心』の団結にありました。その力によって、常に不可能の壁を破り、新しい歴史を開いてきた」
 
 (「光城」の章、272~273ページ)
 

 

青年時代の苦闘は生涯の財産
 

 <69年(同44年)2月、沖縄で大学会の結成式に出席した伸一は、夜間に学ぶ二部学生に励ましを送る>
 
 「全部やると決めて、挑戦していくことです。
 
 逃げたり、卑屈になったりしてはいけない。また、焦ってはならない。今は将来に向かって、着実に人生の土台をつくる時です。
 
 人生はある意味で死闘といえる。血を吐くような思いで、無我夢中で戦っていくしかありません。悩んで悩んで、悩み抜いていくところに成長がある。人間形成がある。それこそが、生涯の財産になります。
 
 私も夜学に通っていたから、皆さんの苦しさ、辛さはよくわかります。
 
 私は、三十歳まで生きられないといわれていた病弱な体でした。また、長兄は戦争で死に、家も焼かれ、暮らしは貧しく、いつも、腹を空かせていました。本を買うには、食費を削るしかなかったからです。
 
 しかし、それでも私は、知恵を絞って時間を捻出し、徹底して学んできました。電車のなかも、勉強部屋でした。
 
 そして、働きに働きました。朝も三十分前には出勤し、清掃をしてみんなを待ちました。
 
 職場での信頼も厚く、戸田先生の会社に移る時には、上司も、同僚も、本当に惜しんでくれました。
 
 さらに、猛然と学会活動に取り組み、信心ですべてを切り開いてきたんです。
 
 家族が用意してくれた整った環境での勉学よりも、大変ななかで、泣く思いをして学んだことの方が、何倍も自分の血肉となり、身につくものなんです。
 
 鍛えのない青年は、軟弱になり、人生を滅ぼしかねない。ゆえに、二部学生は、最高の修行の場を得ているということなんです。頑張りなさい」
 
 (「楽土」の章、347~348ページ)
 

  

広布の使命自覚した人が人材
 

 <沖縄の高等部の集いで伸一は、人材の要件を示す>
 
 「人材の要件とは何か――。
 
 広宣流布の使命を自覚することです。
 
 人は、なんのための人生なのかという、根本目的が定まっていなければ、本当の力は発揮できないものです。
 
 また、力をつけ、立派な地位や立場を手にしたとしても、自分の立身出世のみが目的になっていれば、社会への真の貢献はできません。
 
 才能の開花も、知恵の発揮も、忍耐も、すべて広宣流布の使命を自覚するところから生まれるものであることを、知ってください。さらに、人材とは、人格の人であるということです。人への思いやり、包容力、自分を律する精神の力、正義への信念と意志等々、人格の輝きこそ、人間として最も大事です。
 
 それには、精神闘争が必要です。
 
 自分の弱さに挑み、苦労に苦労を重ねて、自己の精神を磨き上げていくことです。
 
 そして、人材には、力がなくてはならない。
 
 心根は、清く、美しくとも、力がないというのでは、民衆の幸福、平和を築くことはできない。だから、何か一つでよい。これだけは誰にも負けないというものをもつことが必要です。
 
 わが弟子ならば、全員が大人材であると、私は確信しております。皆さんこそ、私の宝です。沖縄の誇りです」
 
 高等部員は、頷きながら、伸一の指導を聞いていた。
 
 その目には、誓いの涙が光っていた。
 
 人材を育むには、先輩幹部が一人でも多くの人と会うことである。
 
 草木も、豊富な養分を吸収し、燦々たる太陽の光を浴びてこそ生長する。人材もまた、さまざまな励ましがあり、触発があってこそ、育ちゆくものである。
 
 (「楽土」の章、349~350ページ)
 

 
 

折伏精神とその要諦

 <1968年(昭和43年)10月、伸一は、静岡・富士宮市内の地区座談会に出席。そこで参加者の悩みに答え、折伏の精神と、弘教の要諦を語る様子が、「北斗」の章で描かれている>
 
 「私は、仕事が忙しくて休日も取れません。でも、なんとか折伏をしたいと思っています。ところが、なかなかできないもので悩んでおります」
 
 「人を救おうとして悩むなんて、すごいことではないですか。尊く誇り高い、最高の悩みです。本当の慈悲の姿です。それ自体、地涌の菩薩の悩みであり、仏の悩みです」
 
 集った同志は、弘教を実らせようと、日々、懸命に戦っていた。
 
 それだけに、折伏についての話に、皆、目を輝かせ、真剣な顔で聴き入っていた。
 
 「折伏を成し遂げる要諦は何か。
 
 それは決意です。一念が定まれば、必ず状況を開くことができる。
 
 折伏は、どこでもできるんです。
 
 戸田先生は、牢獄のなかでも法華経の極理を悟り、看守を折伏しています。
 
 まず、折伏をさせてくださいと、御本尊に懸命に祈り抜くことです。すると、そういう人が出てきます。
 
 また、ともかく、あらゆる人と仏法の対話をしていくんです。
 
 もちろん、信心の話をしても、すぐに入会するとは限りません。それでも、粘り強く、交流を深めながら、相手の幸福を日々祈り、対話を重ねていくことです。
 
 種を蒔き、それを大切に育て続けていけば、いつか、必ず花が咲き、果実が実ります。
 
 焦る必要はない。
 
 さらに、入会しなくとも、ともに会合に参加して教学を勉強したり、一緒に勤行したりすることもよいでしょう。自然な広がりが大事です。
 
 ともあれ、苦労して弘教に励んだ分は、全部、自分の福運になります。
 
 相手が信心しようが、しまいが、成仏の因を積んでいるんです」
 
 皆が笑顔で頷いていた。伸一の話を聞くうちに、安心感と勇気が湧いてくるのである。
 
 彼は、言葉をついだ。
 
 「また、対話してきた人を入会させることができれば、何ものにもかえがたい、最高最大の喜びではないですか。折伏は、一人ひとりの人間を根本から救い、未来永遠の幸福を約束する、極善の実践です」
 
 (「北斗」の章、183~184ページ)

 

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