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ノーベル平和賞受賞者ロートブラット博士と池田先生の対談集「地球平和への探究」

2020年12月29日 | 妙法

ノーベル平和賞受賞者ロートブラット博士と池田先生の対談集「地球平和への探究」韓国語版が発刊  2020年12月29日

  • 韓国・中央日報プラス社から6言語目の出版
  • 核兵器廃絶への情熱が一つに
発刊された『地球平和への探究』の韓国語版
発刊された『地球平和への探究』の韓国語版
 

 ノーベル平和賞受賞者のジョセフ・ロートブラット博士と池田大作先生の対談集『地球平和への探究』の韓国語版が、韓国の中央日報プラス社から発刊された。日本語、英語、イタリア語、中国語(繁体字)、ドイツ語に続き、6言語目の出版となる。
 
 物理学者のロートブラット博士は第2次世界大戦中、アメリカの原爆開発計画「マンハッタン計画」に参加するが、ナチス・ドイツが原爆を製造していないことを知り離脱。その後、日本への原爆投下に衝撃を受け、以後の半生を核兵器廃絶運動にささげた。
 
 1955年には著名な科学者ら11人による「ラッセル=アインシュタイン宣言」に加わり、57年には核兵器廃絶を目指す科学者の国際組織「パグウォッシュ会議」を創設。事務局長や会長を歴任し、95年には同会議と共にノーベル平和賞を受賞した。

 

立場は違えど、核兵器廃絶への情熱は一つ――池田先生とロートブラット博士が再会を喜び合う(2000年2月、沖縄で)
立場は違えど、核兵器廃絶への情熱は一つ――池田先生とロートブラット博士が再会を喜び合う(2000年2月、沖縄で)

 池田先生とは89年10月(大阪)、2000年2月(沖縄)に会見。その後も往復書簡で語らいを重ね、06年に『地球平和への探究』(日本語版)として結実した。博士が05年8月に逝去する直前まで推敲を続けた“遺言の書”ともいうべき対談集である。
 
 同書は10章からなる。博士の激動の人生を振り返りつつ、平和の基盤となる哲学と、実現への方途を議論する。さらに、核抑止論の欺瞞性や国連の役割、宗教と科学の関係、戸田城聖先生の原水爆禁止宣言の意義、青年への期待等について対話を繰り広げる。
 
 博士は、冷戦下においてもパグウォッシュ会議では、東西陣営の科学者が平和実現に向けて活発に議論を進めたことを述懐。その成功の理由として“互いの人格を尊敬していたこと”などを挙げる。
 
 池田先生は、世界に友情の連帯を広げるべく、教育交流に力を入れてきた自身の真情を述べる。
 
 明年1月には核兵器禁止条約が発効を迎える。核兵器廃絶運動の歩みを確認し、その誓いを深めるための、必読の一書である。

 

 

 

 

 

 

〈私がつくる平和の文化Ⅱ〉 2020年のインタビュー 総集編 〈私がつくる平和の文化Ⅱ〉 2020年のインタビュー 総集編 2020年12月29日

 2020年は、新型コロナウイルスの感染拡大などにより、物事の考え方や行動様式が大きく変わる一年となりました。連載「私がつくる平和の文化Ⅱ」では、各界の識者のインタビューを掲載し、家庭や地域、社会に「平和の文化」を築くために何ができるかを考察。ここでは、一年間の内容をテーマごとにまとめました。(※肩書き・役職は掲載時のまま)
 

 

■歌手・俳優 横山だいすけさん
 <子どもの心にゆたかさを>

 「歌のお兄さん」として、最初は戸惑いの連続でしたが、“今日は1人、笑顔にできた”“今日は2人、笑顔にできた”と積み重ねてきました。子どもとの関わりに正解はないことを学びました。

 子どもの歌は、短い行数にいろんな情景や人の心が詰まっています。小さい頃には意味が分からなくても必ず心に残ります。大きくなって口ずさんだ時、歌詞の意味に気付くのです。“やっぱり友達っていいな”“周りの人を大事にしなきゃ”と。

 幼い頃に胸に染み込んだ「人を大切にする心」。それは、大きくなった時に必ず形になります。そうすれば、自分の身近なところから平和が生まれます。それはいつか必ず大きな平和につながっていくのではないでしょうか。(1月23日付)
 

 

■国境なき医師団・日本会長
 加藤ひろゆきさん(小児科医) 
 <みんなとうとい命>

 人道支援のために派遣されたスタッフは口をそろえて言います。“助けるために行ったのに、自分がしたことの何倍もの「目に見えない大切なもの」をもらった”と。紛争の中にあっても人間は信じ合えるし、希望はあります。みんなで助け合い、強く生きています。だから「平和の文化」の灯は消えることはないと思いました。

 どんなきっかけでもいいから「知る」ことから始めてほしい。遠く離れた場所のことを「関係ない」と思わないでほしいのです。貧困や病気、紛争で苦しんでいるのは、僕たちと同じ「人間」です。

 自分のことを、「大勢の中の一人」と思わないでください。「自分の助けを必要としている人がいる」。そう考えてほしいのです。(2月13日付)
 

 

■ヒューマン・ライツ・ウォッチ日本代表
 土井香苗さん
 <子どもの今と未来のために> 

 今の子どもたちは100年先まで生きる世代です。人権や平和は空気みたいにあって当たり前と思いがちですが、努力しなければ、本当になくなってしまうこともあるのです。

 今、「キラーロボット(殺傷ロボット)」の開発が十数カ国で進み、大きな問題とされています。代償を払わされるのは子どもたちです。だから私たちの世代の責任として、キラーロボットの使用を阻止したい。

 人権や平和を難しく考える必要はありません。気付いたこと、胸を痛めるようなことがあったら、発信したり、人に話したりして「声に出すこと」です。幸せは自分の家庭から始まります。小さなことから気負い過ぎず、長く続ける。そうすれば変化は起きます。(3月9日付)
 

 

■SDGs市民社会ネットワーク理事、銭湯4代目店主
 大久保かつひとさん
 <人々をつなぐせいねんりょく

 私は今、SDGs市民社会ネットワークの理事、持続可能な社会に向けたジャパンユースプラットフォーム(JYPS)の事務局長、そして銭湯の店主を務めています。いずれも、「誰も置き去りにしない」というSDGsの理念を実践する点において“同じ”だと思っています。

 多様な年齢層の“裸の付き合い”がある銭湯は、どんな人も排除せず、社会の一員として支え合う「社会的包摂の場」。祖母から銭湯の経営を引き継ごうと思ったのも、地域の方々の「居場所」を守りたかったからです。

 「共に在る」ことを認め合える。そんな空間をつくることができれば、それは「平和の文化」だと思います。それが世界と銭湯での活動の中で抱いた実感です。(4月28日付)
 

 
■気象予報士・お天気キャスター
 森田正光さん
 <地球という一つの命>

 自然は本来、バランスを求め、常に“中間”“真ん中”へ向かおうとします。アンバランスを嫌いますから、変動・反動が起こるわけです。

 例えば、太陽が出ると地面が熱くなる。すると地面から水蒸気が立ち上り、雷雲が生まれ、その雨が地面を冷やす。そうして均衡が保たれます。季節もそうです。冬、冷たい空気がどっと入ってきても、だんだん太陽の位置が変わり、南風が吹き、大陸が暖まる。

 今、夏が極端に暑くなったり、反対に冷夏になったりする現象は、自然が崩れたバランスを元に戻そうとする働きといえます。近代以降、自然が嫌う極端なことをしてきたのは人間の側です。今こそ自然や環境に対し、「正しく恐れる」謙虚さを持つべきだと思います。(5月26日付)
 

 
■ジャーナリスト 国谷裕子さん
 <情報と正しく向き合う> 

 このコロナの時代は、心の内を聴き、琴線に触れる深い対話が求められています。報道のインタビューに限らず、一対一で直接会って語り合うことの意義や重みが、再認識されているでしょう。

 私たちは不安を覚えると、いろんな情報にアクセスします。ただ、自分の考えが正しいかを確認するには、あえて自分と異なる意見や見方に接し、立ち止まって考えることも大切です。そうした中で、「対話の文化」ひいては「平和の文化」が築かれます。

 今、世界最大のリスクが気候危機です。国際社会が協力し、脱炭素化を進めるべきです。今回のパンデミックは、社会のあり方を徹底的に考え直す契機。若い人たちの発想こそ、社会を変える力です。(6月23日付)
 

 
■評論家 おぎうえチキさん
 <子どもが安心できる社会に>

 いじめや不登校に悩む子たちには、好きなことや興味のあることをして過ごすストレスへの対処法(コーピング)の幅を広げてあげることが大切です。いじめはストレスが要因となり助長されますから、「ストレスの少ない空間をつくる」という発想が重要です。

 学校や家庭だけでなく、地域の共同体といった「居場所のレパートリー」を増やすことも、幅広いコーピングにつながります。

 親のすべきことは「子どもの味方であり続ける」こと。「あなたを愛しています」と伝え続けてあげることです。子どもに「好き」だと伝えてあげること。「無害」であり続けること。どんな人も「存在することに意味がある」。そう肯定し続けることが大事です。(7月14日付)
 


 

■日本原水爆被害者団体協議会事務局次長
 和田征子さん
 <核兵器のない世界へ> 
 

 人類が二度と過ちを繰り返さないよう、私たち被爆者が核兵器廃絶を訴え続けることは歴史から与えられた使命だと思っています。

 世界には1万3000発以上もの核兵器があります。操作ミスで発射されたり、テロリストの手に渡ったりと、使われない保証はありません。核兵器は必要悪ではなく絶対悪。開発や保有も禁止されるべきです。

 いま“目に見えない”新型コロナウイルスに対しては、世界中の人々が「自分事」として捉えています。核兵器も、目には見えなくても“目の前”に存在している脅威です。だから「自分事」と捉え、“核兵器をなくそう”という声を結集できるはずです。世界平和は核兵器廃絶なくしては絶対にできません。(8月4日付)
 

 
 

■ローマクラブ共同会長
 マンペラ・ランペレ博士
 <母なる地球に生きる> 
 

 ローマクラブは、半世紀にわたり環境破壊に警鐘を鳴らし、持続可能な発展を訴えてきました。ですが人々の破壊的な消費行動を変革できずにいました。

 クラブ創立者のA・ペッチェイ氏と池田SGI会長の対談集『21世紀への警鐘』を読み、両者が提唱する「人間革命」の思想に触れた時、今置かれている地球的な危機を乗り越えるには、「人間革命」を推進するしかないと確信しました。

 一人一人が、生命の調和を破壊する自らの行為と向き合い、行動を変えなければならない。ゆえに「新たな人類文明」を創出する鍵となる「人間革命」について語り合うべきだと考えました。「新たな人類文明」とは、「人間革命」を実践する人間が築く文明なのです。(9月17日付)
 

 

■国連事務次長、軍縮担当上級代表
 中満泉さん
 <国連と人類の未来>
 
©UN
©UN
 

 平和というのは単に戦争がない状態ではなく、平和のための条件が確保されて初めて実現するものです。

 その意味で私は、「核兵器のない世界」とは、世界共通の目標であると同時に、それを目指すこと自体が、「平和の文化」の構築といった包括的な平和をつくるための非常に重要なプロセスであり、手段であると考えています。

 また、これまで世界各地で成立した和平合意を調べてみると、女性が参加してつくられた合意の方が長く守られているということが証明されました。女性が平和問題に中心的に関わることが重要です。これは女性の権利、人権という意味だけでなく、さまざまな目的を遂行する上で、女性の参加が必要不可欠ということなのです。(10月15日付)
 

 

■お茶の水女子大学名誉教授IPU・環太平洋大学教授
 内田伸子さん

 <子どもをぼうりょくはぐくむ> 

 子どもは親だけでなく、仲間や近隣の人、また保育士や教師など、さまざまな人とのやり取りを通じて、「人間」として歩み続けます。

 初期の親子関係のみが人間を発達させる決定因ではなく、後からやり直しや修正がきくのです。そして、愛着のもとで自尊心が育まれ、精神的なレジリエンス(回復力)も高まるのです。

 生みの親から虐待され、無視され、生きる力を萎えさせ縮こまっていた子どもたちは、一人の人格を持つ存在として向き合ってくれる人との出会いによって、息を吹き返し、「生き直し」ができる。「生まれてきてくれてよかった」「あなたの人生の主人公はあなた」というメッセージが伝えられる時、子どもは力強く歩み始めます。(11月24日付)
 

 
 

 
■2018年ノーベル平和賞受賞者
 デニ・ムクウェゲ医師
 <女性への性暴力と戦う>
(TT News Agency/アフロ)
(TT News Agency/アフロ)
 

 私はノーベル平和賞のスピーチで訴えました。「行動を起こすことは、無関心に対して『ノー』と言うことです。もし戦争を起こすとするなら、それは私たちの社会を蝕む無関心との戦争なのです」と。

 コンゴで起きている女性への性暴力を、遠く離れた地の話だと思わないでください。スマートフォンなどの電子機器を手にした時、紛争地域の資源が使われていることに思いを巡らせてほしい。

 被害者の女性たちが力強く歩みだす崇高な姿は、いかなる性暴力も人間の尊厳を奪うことなど絶対にできないと教えてくれます。今こそ、連帯と相互尊重の精神をもって、平和な世界を築こうではありませんか。これは、私たち一人一人の手で必ず実現できる夢なのです。(12月22日付)
 


随筆「人間革命」光あれ〉池田大作 新しき朝へ勇み進め

2020年12月25日 | 妙法

随筆「人間革命」光あれ〉池田大作 新しき朝へ勇み進め  2020年12月25日

命を燃やして紅葉が輝く。赤い色素は、次の春に伸びる次世代の芽を有害な紫外線から守る働きがあるとも(池田先生撮影。11月26日、都内で)
命を燃やして紅葉が輝く。赤い色素は、次の春に伸びる次世代の芽を有害な紫外線から守る働きがあるとも(池田先生撮影。11月26日、都内で)
「創価」とは「希望」の光なり
我らの「価値創造」に限界はない!
 

 私は
  誰にも負けない
      紅葉かな
    
 かつて、人生と社会の戦野で奮闘する友に贈った句である。
 炎のように真っ赤な枝葉を広げる紅葉の姿は、あまりにもけなげで、凜々しく、まぶしい。
 何があろうが、誰が何と言おうが、断じて負けない――この不撓不屈の生命力が紅に染まったように見える。
 やがて大地に散り落ちた葉は土壌を豊かにし、次の春、仲間の木々が勢いよく新しい枝葉を伸ばし、生長するための力となっていく。鮮やかな紅葉は、命のバトンタッチを見事に成し遂げた勝ち鬨ともいえよう。
 まさしく、この試練の一年を耐え抜き、赤々と「負けじ魂」を燃え上がらせてきた、わが創価家族の英姿と重なり合う。
 友の身を案じ、無事を祈り、声をかけ、励ましを送る。自分ができることからと、賢く朗らかに足取り軽く行動する。
 いずこであっても、わが同志は「信心即生活」「仏法即社会」なりと一念を定めて実証を示し、世のため、人のため、家族のため、未来のために、粘り強く戦い続けている。
 真正の「地涌の菩薩」でなければ、決してなし得ぬ行動である。
 この「自他共の幸福」を願って動く、世界市民の連帯の壮大な広がりは、さながら御本仏が「地涌の義」と仰せの姿そのものであると、私は確信してやまない。
 なかんずく、尊い命を守らんと医療現場で戦い続けるドクター部、白樺の友をはじめ、社会・地域の最前線で、日夜、献身されている方々のご苦労をあらためて労いたい。
 また各界の識者からも“コロナ禍における希望と良識の言論”等と共鳴される聖教新聞を、日々配達してくださる「無冠の友」に感謝は尽きない。
 さらに、聡明に“新様式”で工夫しながら、会館での会合を運営し、同志を守ってくれた、男女青年部の創価班、牙城会、白蓮グループの皆さん、本当にありがとう!
 壮年部王城会、婦人部香城会、会館守る会、サテライトグループの方々をはじめ、広布の活動を支えてくださった全ての宝友の陰の戦いこそ、後世に語り継がれゆく創価の真実の姿なのである。

 

広布へ一人立つ
世界の平和と人々の幸福のために――共戦の同志と共に、久遠の師弟旅は未来へと続く(2001年11月、八王子市の創価大学で)
世界の平和と人々の幸福のために――共戦の同志と共に、久遠の師弟旅は未来へと続く(2001年11月、八王子市の創価大学で)

 栄光の学会創立百周年へ、“勝負の十年”を決する「希望・勝利の年」がいよいよ幕を開ける。
 「創価」とは、まさに無限の「希望」そのものだ。
 一九四五年(昭和二十年)七月、出獄した恩師・戸田先生は、戦禍の焼け野原に立たれた。
 先師・牧口先生は獄死。自らも衰弱し、事業は多額の負債を抱えていた。
 国中が絶望に覆われ、希望の欠片も見えない。その暗闇の世に、たった一人、「今こそ広宣流布の時なり!」と心を定め、学会再建の戦いを開始されたのだ。
 戸田先生は語られた。
 「南無妙法蓮華経は、永劫永遠の根本法則である。大宇宙の本源力であり、無上道である。
 ゆえに、この妙法を持ち、信じ、行動していく人に、断じて不幸はない。完璧なる幸福境涯になることは間違いない」と。
 この最極の希望の行進に、先生は地涌の若人を、一人また一人と呼び出していかれたのである。
 十九歳で先生の弟子となった私は、その後の学会存亡の危機にお供し、一九五一年(昭和二十六年)の五月三日、戸田先生の第二代会長就任の時を師弟して勝ち開いた。
 希望ある限り、道は必ず開ける。相次ぐ苦難をも飛躍の転機へと変えていける。その汲めども尽きぬ希望の源泉こそが、妙法の信仰なのだ。

 
楽聖がくせい逆境ぎゃっきょうから

 「自分に課せられていると感ぜられる創造を、全部やり遂げずにこの世を去ることはできない」
 今月、生誕二百五十周年を迎えた楽聖ベートーベンの言葉である。難聴を患い、音楽家の命である聴力が日ごとに失われる中で認められた。
 彼は聴覚を失っても、なお創造の使命を貫き、「第九」をはじめとする傑作を世に送り出した。いな、この逆境がなければ、「第九」も生まれなかったかもしれない。
 楽聖を楽聖たらしめたのは、“わが魂はこれに打ち勝たねばならぬ”との誓いの炎であった。
 人間の真価は、最大の逆境においてこそ鍛え顕すことができる。御聖訓にも「鉄は炎打てば剣となる」(御書九五八ページ)と仰せの通りだ。
 ベートーベンは生涯、「情愛深い母」を慕い、感謝していた。母亡き後にも、「ああ、お母さんという美しい言葉を、私がまだ口にしていたり、それが聞こえたりしていた頃の私にも増して幸福な者があったでしょうか」と綴っている。
 ベートーベンが人類に贈ってくれた「歓喜の歌」も、母の慈愛あればこそ誕生したのである。
 明年は、「希望の太陽」たる婦人部の結成から、晴れの七十周年となる。
 どんな大変な時にも、微笑みを忘れず、皆を温かく包んでくれる創価の母たちに、私は、あの「歓喜の歌」を捧げたい思いである。

 
困難な時にこそ

 日蓮大聖人の御聖誕の八百年を前にした、この師走、木星と土星が仲良く大接近して、夕空に輝きを放った。
 実は、目に見えて、これほど近づくのは約八百年ぶりということだ。前回は一二二六年(嘉禄二年)で、数え年五歳であられた大聖人も御覧になったかもしれないと、ロマンは広がる。

 

今月22日、木星㊧と土星㊨が最接近して見えた。望遠レンズは土星の輪も捉え、木星の側には衛星も。二つの星が次に同程度に接近するのは60年後の2080年――学会創立150周年に当たる(同日夕、信濃町の総本部周辺から。本社カメラマン撮影)
今月22日、木星㊧と土星㊨が最接近して見えた。望遠レンズは土星の輪も捉え、木星の側には衛星も。二つの星が次に同程度に接近するのは60年後の2080年――学会創立150周年に当たる(同日夕、信濃町の総本部周辺から。本社カメラマン撮影)
 

 二十七年前(一九九三年)、御本仏御聖誕の二月十六日を、日本から地理的に最も遠い南米アルゼンチンの友と祝賀したことが思い出される。
 共々に「日輪・東方の空に出でさせ給へば南浮の空・皆明かなり大光を備へ給へる故なり」(御書八八三ページ)の御聖訓を拝し、「心広々と太陽のように明るく、全国土、全民衆に希望の光彩を送ろう」と語り合った。
 その通り、アルゼンチンをはじめ中南米さらに全世界の同志は、「太陽の仏法」の大光でいよいよ社会を照らしている。
 同国の人権活動家エスキベル博士も学会の創立記念日にメッセージを寄せ、不安、絶望等の迷宮の中で大切なのは、異なる視点から“出口を見つける”力だと強調された。
 そして、「どうか、人生において笑顔を絶やさないでください。最も困難な時こそ、前進し続けなくてはなりません。私たちは常にその『希望の力』で、より良い世界を築くことができるのです」と語ってくださった。
 その希望の担い手として、博士が讃えられたのが創価の青年である。
 五大州を結んだ世界青年部総会を経て、男子部も、女子部も、学生部も、皆、新時代開拓へ先駆してくれた。未来部も立派に成長している。
 新たに始動した青年部の「新・人間革命」世代プロジェクトも、皆で最大に応援していきたい。

 
いざ「勝利」へ!

 この苦難の一年にあっても、後継の若人たちを先頭に、世界広布は確実に進んでいる。我らの価値の創造に限界はない。
 「大智度論」には、大乗菩薩の根本精神として、「大誓願あり、心動かす可からず、精進して退かず、是の三事を以て、名けて菩提薩埵と為す」と記されている。 
 第一に「広布の誓い」。
 第二に「不退の決意」。
 第三に「勇猛精進」。
 この三条件のもとで、我らの胸中に宿る偉大な力が脈動し始めるのだ。
 文豪ビクトル・ユゴーは、亡命の苦難の渦中、民衆へ呼び掛けた。
 「逆境にあっては、まさに、かく叫ばねばならぬ、『希望! 希望! また希望!』と」
 そして、「仏法は勝負」であるがゆえに、我らはいやまして誇り高く――「勝利! 勝利! また勝利!」と、勇んで出発しようではないか。新しき朝へ、元初の誓いの「希望・勝利の峰」へ!

(随時、掲載いたします)

 

 ベートーベンの言葉は『新編ベートーヴェンの手紙』小松雄一郎編訳(岩波書店)、青木やよひ『図説ベートーヴェン』(河出書房新社)。ユゴーは『ユーゴー全集9』神津道一訳(ユーゴー全集刊行会)=現代表記とした。


小説「新・人間革命」に学ぶ 番外編④2020年12月23日

2020年12月23日 | 妙法

小説「新・人間革命」に学ぶ 番外編④2020年12月23日

 

  • 連載〈世界広布の大道〉
絵・間瀬健治
絵・間瀬健治
 

 今回の「世界広布の大道 小説『新・人間革命』に学ぶ」は「番外編④」。小説につづられた珠玉の名言をテーマごとに紹介するとともに、山本伸一の各方面への励ましを掲載する。挿絵は内田健一郎。

 

祈り

 「試練に次ぐ試練、涙また涙というのが、現実の社会といえます。そのなかで人生に勝利していくには、唱題しかありません。信心強き人とは、何があっても“題目を唱えよう”と、御本尊に向かえる人です。その持続の一念が強ければ強いほど、磁石が鉄を吸い寄せるように福運がついていきます」(中略)
 
 「次に、御本尊の力を実感していくうえでも、祈念は具体的でなければならないということです。また、日々、唱題の目標を決めて、挑戦していくこともいいでしょう。
 
 祈りは必ず叶います。すると、それが歓喜となり、確信となり、さらに信心が強まっていきます。
 
 また、たとえ、すぐに願いは叶わなくとも、冥益となって、時とともに所願満足の境涯になることを確信していただきたい」
 
 (第26巻「法旗」の章、141ページ)
 

 
団結

 妙法の 広布の旅は 遠けれど 共に励まし 共どもに征かなむ(戸田先生の歌=編集部注)
 
 (中略)ここには、師弟の、そして、同志の絆の大切さが歌われている。
 
 広宣流布は一人立たねばできない。と同時に、互いに励まし合い、共に進もうという団結なくしては、広宣流布の広がりはない。戸田は、その大聖業を果たしゆく創価学会という教団は、「創価学会仏」であると宣言した。大聖人は仰せである。
 
 「総じて日蓮が弟子檀那等・自他彼此の心なく水魚の思を成して異体同心にして南無妙法蓮華経と唱え奉る処を生死一大事の血脈とは云うなり」(御書1337ページ)
 
 つまり、水魚の思いをもって、心を一つにして信心に励む時、生死一大事の血脈、すなわち、妙法の血脈が流れ通うのだ。ゆえに、「創価学会仏」たる根本条件は、広宣流布への異体同心の団結にある。
 
 (第24巻「母の詩」の章、95~96ページ)
 


 

戸田城聖と歌碑
戸田城聖と歌碑
 
こうけい

 「牧口先生が、戸田先生に広宣流布のバトンタッチをされたように、戸田先生は、未来のために、広宣流布の一切を、私をはじめとする青年たちに託された。それが、あの六千人の青年が集った『3・16』の儀式なんです。
 
 次の広宣流布の流れは、青年につくってもらう以外にない。そして、さらに若い世代が、次のもっと大きな拡大の流れをつくる。その永続的な戦いが広宣流布なんです。
 
 したがって、後継者が臆病であったり、力がなく、自分たちの世代に、仏法流布の流れを開いていくことができなければ、広宣流布の未来も、学会の未来もなくなってしまう。ゆえに私は、青年部の、また、高等部をはじめ、未来に生きる各部の皆さんの育成に、真剣勝負で臨んでいるんです。広宣流布は諸君に託すしかない。私は、君たちのために、すべてを注ぎ尽くします。命をも捧げる思いでおります」
 
 (第25巻「福光」の章、101~102ページ)
 

 

人間外交

 「戸田先生が、外交、渉外というものを、どのように考えられていたかから、お話ししましょう。
 
 先生は、外交を最重要視され、常々、『広宣流布は渉外戦、外交戦である』と言明されていた。また、『外交のできぬ人間を重用してはならない』とも言われていた。そして、私を、本部に新設した渉外部の初代部長に任命された。
 
 その時、先生は私に、こうおっしゃった。
 
 『伸一、大事なのは人間としての外交である。どんどん人と会って、友情を結んでいきなさい。すべて勉強だ。また、それが広宣流布につながるのだ』
 
 つまり、人間として、いかに信頼と尊敬を勝ち得ていくかが勝負である――というのが、戸田先生の渉外に対するお考えであり、それが私たちの外交なんです」
 
 (第18巻「飛躍」の章、340~341ページ)
 

 
 

香港メンバーの「歓迎の夕べ」で懇談する山本伸一と峯子(1974年1月)
香港メンバーの「歓迎の夕べ」で懇談する山本伸一と峯子(1974年1月)
 
とのとうそう

 「もし、行き詰まりを感じたならば、自分の弱い心に挑み、それを乗り越えて大信力を奮い起こしていく。(中略)
 
 長い人生には、信心なんかやめて、遊んでいたいと思うこともあるでしょう。病気にかかってしまうこともあれば、家族の死に直面し、悲しみに沈むこともあるかもしれません。それは、煩悩魔という行き詰まりとの“闘争”であり、病魔という行き詰まりとの“闘争”であり、死魔という行き詰まりとの“闘争”といえます。
 
 それを唱題で乗り越え、絶対的な幸福境涯を開き、最高に意義ある人生を創造していくところに、仏法の最大の意味があります。
 
 ゆえに、何か困難にぶつかったならば、行き詰まりとの“闘争”だ、障魔との“闘争”だ、今が勝負であると決めて、自己の宿命と戦い、勇敢に人生行路を開いていっていただきたいのであります」
 
 (第2巻「錬磨」の章、98~99ページ)
 

 

かん

 人間には、「慣れ」という感覚がある。今いる状況に慣れると、危険が進行していても、“これまで何もなかったから、これから先も大丈夫であろう”と、安易に思い込んでしまいがちである。いや、危険かどうかを考えることさえしなくなってしまうのだ。いわば、感覚の麻痺であり、まさに油断である。
 
 危機管理とは、まず、自身の、その感覚を打ち破るところから始まるといえよう。
 
 御書には、「賢人は安きに居て危きを歎き」(969ページ)と記されている。安全なところにいても、常に危険に備えているのが、賢い人間の生き方であるとの御指導だ。
 
 ゆえに伸一は、火災をはじめ、さまざまな事故、事件が多発しがちな師走を前に、自分から率先して、本部周辺の建物の点検をしようと決めていたのである。
 
 (第24巻「厳護」の章、102ページ)
 

 
 会本部周辺の建物を見回り、花壇の木の根元まで照らして点検する山本伸一(1976年)

山本伸一と各方面の友
 
九州
北九州文化会館にある句碑の前で(1977年5月22日)。石に刻まれた「九州が/ありて二章の/船出かな」の文字が輝く
北九州文化会館にある句碑の前で(1977年5月22日)。石に刻まれた「九州が/ありて二章の/船出かな」の文字が輝く

 <1977年(昭和52年)5月22日、山本伸一は、北九州文化会館(現・北九州平和会館)を訪れ、同志に語った>
 
 「いよいよ九州の時代が来たよ。(中略)今度は、九州の出番だ。九州が立つ時が来たよ。これからは、永遠に『九州ありての学会』『九州ありての広布』でなければならない。
 
 九州の使命である“先駆”ということは、最後まで、常に“先駆”であり続けるということです。(中略)持続が大事です。そのためには、緻密な計画性に基づいた地道な努力が必要なんです。したがって、“先駆”とは、“堅実さ”に裏打ちされていなければならないことを知ってください」
 
 (第25巻「薫風」の章、208ページ)
 

 

北陸
1974年4月28日、金沢市の石川県産業展示館で行われた、北陸広布20周年記念総会で指導する山本伸一
1974年4月28日、金沢市の石川県産業展示館で行われた、北陸広布20周年記念総会で指導する山本伸一

 〈1978年(昭和53年)8月、山本伸一は「北陸の歌」を発表。3行目の歌詞に込めた思いを語った〉
 
 「『常楽の北陸』とは、満々たる生命力をたたえ、どんな苦難に遭遇しようが、常に人生を楽しみきっていける境涯です。『遊楽の北陸』も、自由自在の満足しきった境地です。(中略)
 
 三番は『同心の北陸』としました。団結こそが、信心の要諦であり、広宣流布推進の大原則だからです」(中略)
 
 「四番の三行目は、『誓願の北陸』としました。(中略)北陸は、“広布の誓願”に生き抜かれた戸田先生の、ご生誕の地です。どうか、恩師の、その精神を受け継ぐ闘将の皆さんであってください」
 
 (第28巻「大道」の章、218~221ページ)


小説「新・人間革命」学習のために 第23巻

2020年12月18日 | 妙法

マイ・ヒューマン・レボリューション――小説「新・人間革命」学習のために 第23巻 2020年12月18日

 小説『新・人間革命』の山本伸一の激励・指導などを紹介する「My Human Revolution(マイ・ヒューマン・レボリューション)」。今回は第23巻を掲載する。次回の第24巻は明年1月8日付2面の予定。挿絵は内田健一郎。

 
教育はちからを引き出す労作業

 <1976年(昭和51年)4月、北海道に札幌創価幼稚園が開園した。山本伸一は折にふれ、園児たちを激励。また、教員たちも、創価の幼児教育の新しい道を開くため、奮闘していく>
 
 基本を教え込むには、忍耐強さが求められる。地味で目立たぬ労作業である。しかし、そこから、すべては開花していくのだ。
 
 子どもは、自分のことは、自分でできるようになりたいと思っている。
 
 入園当初、多くの園児が歓声をあげている時に、泣きだす子どもがいた。教員たちは、それは、集団生活の第一歩を踏み出そうとする子どもの、自己主張の声であると、とらえた。
 
 「なんで泣いているの?」教員が聞いても、すぐに答えは返ってこない。なだめながら、根気強く、笑顔で尋ねる。「泣かずに言ってごらん」ようやく、訳を話し始める。
 
 ――「靴が脱げないよう」「ボタンがとめられないよ」など、理由はさまざまだ。
 
 「大丈夫だよ。ゆっくりやってごらん」
 
 時間はかかっても、やり方を教えるだけで、代わりにやることはしない。「頑張ろうね。もう少しだよ」
 
 問われるのは、教員の粘り強さである。教育は、根比べでもある。“だめだ!”と、投げ出すことは、教員自身の敗北を意味する。
 
 人を育てることは、自分を磨き、自分を育てていくことでもある。
 
 できた時の、園児の顔は誇らかだ。自分のもっている可能性に気づき、その力を引き出した、喜びの表情だ。この達成感が、強さにつながっていくのである。
 
 (「未来」の章、68~69ページ)

 

人間的成長こそ学問の真価

 <85年(同60年)8月、創価大学通信教育部の夏期スクーリングでは、第10回学光祭が盛大に行われた>
 
 いよいよ山本伸一のあいさつとなった。彼は、ある著名な大学教授の、創価大学通信教育部への讃嘆の言葉を紹介しながら、今や、創大通教は、全国の大学の模範の存在になったことを語った。それから、学問に取り組む姿勢について、力を込めて訴えていった。
 
 「学問は、宇宙の真理の探究であり、そこには、王道はない。それゆえに、学問の道には、覚悟と努力、そして、強靱な探究心が必要とされます。“なんとかなるだろう”といった安易な気持ちでは、決して達成されるものではないことを知っていただきたい。
 
 大学を卒業したといっても、ただ大卒の資格を得ただけで、学問的にも、人間的にも、なんの成長もなければ、大学に学んだ意味はありません。それは虚像にすぎない。
 
 それに対して、真剣に学問に励んでいる人は、知性が輝き、人格も磨かれる。人間完成に向かって成長を遂げていきます。
 
 懸命に働きながら、通信教育での卒業をめざして、全力で精進する皆さんは、着実に学問を身につけ、また、深い人生を生き抜いておられる。そこには、人間の実像があります。その精進の日々は、すべて自身の財産となって、永遠に輝きゆくことは間違いありません。
 
 その意味で、諸君の姿は、まことに尊いし、私は、心から賞讃を惜しみません」
 
 伸一は、創立者として、真の人間の生き方を教えたかった。本当の人間の輝きとは何かを、通教生の魂に、深く刻んでおきたかったのである。それが人生哲学として確立されてこそ、学問を生かすこともできるし、人間の幸福もあるからだ。人間の道を教えることにこそ、人間教育のテーマがある。
 
 (「学光」の章、190~192ページ)

 

師と心を合わせ勝利へ前進

 <56年(同31年)、伸一は戸田城聖から、関西に広宣流布の盤石な城を築くことを託され、年頭から大阪に派遣された。以来、何度も関西指導を重ねていく。彼は自ら率先して、大阪中をくまなく回り、同志を励まし、一人一人の心に、勇気の炎をともしていった>
 
 伸一は、戸田城聖こそ、広宣流布に、ただ一人立ち上がった、われらの師であり、この大阪、関西から、いや、日本、世界から、不幸に泣く人をなくしたいというのが、戸田の誓いであることを語り抜いた。そして、こう訴えたのである。
 
 「その戸田先生の心を、わが心として、先生に代わって戦おうではないですか!
 
 そうすることによって、私たちは、広宣流布の闘将である先生に直結していくことができる。そこに力が湧くんです。先生を思えば、勇気が湧きます。自分が鼓舞されます。どうか、常に戸田先生を心に思い描いて、“先生は、じっと見ていてくださる”“先生なら、どうされるか”と、日々、己心の師匠と対話しながら、戦っていこうではありませんか!」
 
 広宣流布の戦いを進めるうえで、仏法の師と心を合わせていくことこそが、団結の根本である。そこに勝利への前進がある。
 
 自転車も、車軸にスポークがしっかりと繋がってこそ、車輪の回転がある。この車軸の存在が師匠にあたるといってよい。
 
 伸一の指揮のもと、関西は、怒濤の大前進を開始した。三月には、大阪支部が五千五世帯、堺支部が七百五十九世帯の弘教を達成。さらに四月、大阪支部は九千二世帯、堺支部は千百十一世帯の成果を収めた。
 
 戸田城聖の会長就任五周年となる五月には、遂に関西は、大阪支部一万一千百十一世帯、堺支部千五百十五世帯という弘教を成し遂げた。
 
 「戸田先生は折伏の師匠である。なれば、弟子として弘教をもって、会長就任五周年をお祝いしよう」との伸一の思いを、関西の同志は、皆が共有していたのだ。
 
 (「勇気」の章、244~245ページ)

 

広布せいがんの祈りがきょうがい開く

 <76年8月、鹿児島の九州総合研修所を訪れた伸一は、清水・国分総ブロック合同の代表者勤行会に出席する>
 
 「祈るにあたって大切なことは、願いは、すべて叶うのだという強い信を込め、力強く祈ることです。広宣流布のために戦っている地涌の菩薩である師弟が、心を合わせて祈るんですから、願いが叶わぬわけがありません。
 
 広宣流布を誓願して、題目を唱えていくならば、それは、地涌の菩薩の祈りです。その時、わが生命は、地涌の菩薩の境涯へと開かれていくんです。ゆえに、その祈りには、諸天諸仏を、大宇宙を動かす力があり、自分も、ご家族も守られ、個人の願いもまた、成就していくんです。したがって、広宣流布を祈り抜いていくことが、自分の境涯を開き、願いを成就していく直道なんです。
 
 そして、決意、祈りは、具体的であることが大事です。“今日は、あの人に信心を教えたい”“この人を座談会に参加させよう”、あるいは、“信心の実証を示すために、就職を勝ち取らせてください”“元気に学会活動に走り回れるように、この病を治してください”といった明確な祈りです。
 
 祈りが叶えば、歓喜が湧きます。それがまた、新たな活力になっていきます」
 
 伸一の導師で、勤行が始まった。
 
 白馬が天空を駆け上がるような、生命の躍動感にあふれた勤行であった。
 
 (「敢闘」の章、364ページ)

 

戸田先生が発刊した月刊学習雑誌「小学生日本」
戸田先生が発刊した月刊学習雑誌「小学生日本」
 
戸田先生の通信教育

 <1976年(昭和51年)5月16日、創価大学の通信教育部の開学式が行われた。山本伸一は、大学の設立構想の時から、通信教育の開設を考えていた。それは、歴代会長の悲願の結実ともいうべきものであった。「学光」の章には、恩師・戸田城聖の通信教育事業について、つづられている>
 
 戸田は、一九四〇年(昭和十五年)一月に、月刊学習雑誌『小学生日本』の五年生向けを、四月に、六年生向けを創刊する。そのなかに、切り取って送ることのできる「誌上考査問題」を掲載している。届いた答案は、採点し、間違いを正し、考え方を指導し、批評して送り返すのである。
 
 戸田城聖は、『小学生日本』の「誌上考査問題」で、成績優秀者を誌上で発表し、メダルや記念品を贈った。そこには、次代を担う「宝」である子らの学習意欲を、少しでも高めたいとの、強い思いがあった。当初、考査問題に挑戦した児童は、五年生向けが約二千人、六年生向けが約三千人であった。
 
 発刊翌年の一九四一年(昭和十六年)春、国民学校令によって小学校が国民学校に変わったことから、『小学生日本』も『小国民日本』へと改題する。この年の十月号によれば、考査問題への応募者は、五、六年生合わせて、一万二千人を超えている。
 
 その後、戸田は、軍部政府の弾圧によって逮捕される。四五年(同二十年)七月三日に出獄し、事業の再建に取りかかった彼が、真っ先に着手したのが、戦争で学びたくても学べなかった青少年のための、通信教育事業であった。
 
 中学生(旧制)を対象にした半年間のコースで、月に二回、数学、物象(物理、化学、鉱物学などを包括した教科)の教材を送り、月に一度、試験問題の添削を行った。後に英語も加えられ、高等学校、専門学校(旧制)受験のための添削も始めている。
 
 申し込みと同時に、前金を納めるというシステムで、一日に八百通以上の申し込みが届いた日もあった。しかし、戦後の混乱期にあってインフレの影響を受け、紙代や印刷費が高騰し続け、通信教育事業から撤退せざるを得なくなったのである。
 
 “万人に教育の機会を与えたい。民衆が賢明にならずしては、本当の民主主義はない。それには教育しかない!”(中略)
 
 戸田は、山本伸一への個人教授の折にも、よくこう語っていた。「日本中、世界中の人たちが、学べるような教育の場をつくらなければならんな」
 
 その言葉を伸一は、遺言の思いで聞いた。
 
 (116~118ページ)

 

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 聖教電子版の「世界広布の大道 小説『新・人間革命』に学ぶ」第23巻「解説編」の池田博正主任副会長の紙上講座と動画を閲覧できます。

 第23巻「解説編」はこちら


番外編③ 小説「新・人間革命」に学ぶ

2020年12月16日 | 妙法

小説「新・人間革命」に学ぶ 番外編③  2020年12月16日

  • 連載〈世界広布の大道〉

 今回の「世界広布の大道 小説『新・人間革命』に学ぶ」は「番外編③」。小説につづられた珠玉の名言をテーマごとに紹介するとともに、山本伸一の各方面への励ましを掲載する。挿絵は内田健一郎。

 
自発能動

 「何事も受け身で、人に言われて動いていれば、つまらないし、勢いも出ない。その精神は奴隷のようなものだ。しかし、自ら勇んで挑戦していくならば、王者の活動だ。生命は燃え上がり、歓喜もみなぎる。
  
 同じ動きをしているように見えても、能動か、受動かによって、心の燃焼度、充実度は、全く異なる。それは、当然、結果となって表れてくる。どうせ活動するなら、君も、常に自分らしく、勇んで行動する主体者になることだよ」(中略)
  
 「何があっても逃げずに、すべてをやり切っていくんだ。それによって自分を磨き、力をつけ、福運をつけ、大成長していくことができる。
  
 だから、広宣流布のために、うんと苦労をしようよ。うんと悩もうよ。うんと汗を流そうよ。自分の苦労なんて、誰もわからなくてもいいじゃないか。御本尊様は、すべてご存じだもの」
  
 (第12巻「愛郷」の章、135~136ページ)
  

 

一人ひとり立つ

 真の繁栄と平和を勝ち取ることができるかどうかは、最終的には、そこに住む人びとの、一念にこそかかっている。人間が、絶望や諦めの心をいだき、無気力になったり、現実逃避に走れば、社会は退廃する。楽土の建設は、主体である人間自身の建設にこそかかっているのだ。
  
 楽土を築こうとするならば、他の力を頼むのではなく、平和のため、人びとの幸福のために、自分が一人立つことだ。
  
 何があっても、絶対に屈することのない、強き信念と希望の哲学をもつことだ。複雑な現実の迷路を切り開く、聡明な知恵を働かせることだ。
  
 そして、その源泉こそが、日蓮大聖人の仏法なのである。御聖訓には、「心の一法より国土世間も出来する事なり」(御書563ページ)と仰せである。ゆえに伸一は、会員一人ひとりの胸中深く、確固不動なる信心の杭を打ち込もうと、心に誓っていた。
  
 (第13巻「楽土」の章、302~303ページ)
  

 
  

沖縄問題に胸を痛めてきた山本伸一にとって、永遠の「平和建設」「楽土建設」は大きな誓いであった
沖縄問題に胸を痛めてきた山本伸一にとって、永遠の「平和建設」「楽土建設」は大きな誓いであった
 
仏法は勝負

 「御書には『仏法と申すは勝負をさきとし』(1165ページ)と仰せです。それは、広宣流布とは、第六天の魔王という生命破壊の魔性との戦いであり、さらには人間が生きるということ自体が、人生そのものが戦いであるからです。
  
 人間の幸福といっても、自分の臆病や怠惰などの弱さと戦い、勝つことから始まります。人間革命とは、自己自身に勝利していくことであり、そのための、いわば道場が、学会活動の場であるともいえます。
  
 私は、その時々の折伏の成果など、問題にしておりません。大事なことは、皆さんが強盛な信心に励み、大功徳を受け、生活も豊かになり、幸福に満ち満ちた悠々たる大境涯になっていくことです。そのための布教であり、学会の活動であることを、銘記していただきたいのであります」
  
 (第8巻「布陣」の章、48~49ページ)
  

 

宿しゅくめいてんかん

 「人間は、誰しも幸せになりたいと願っている。しかし、人生にあっては、予期せぬ病気や交通事故、自然災害など、自分の意志や努力だけではどうしようもない事態に遭遇することがある。そこに、宿命という問題があるんです。
  
 その不条理とも思える現実に直面した時、どう克服していけばよいのか――題目です。
  
 御本尊への唱題によって、自身の胸中に具わっている、南無妙法蓮華経という仏の大生命を涌現していく以外にない。強い心をもち、生命力にあふれた自分であれば、どんな試練にさらされても、負けることはない。(中略)
  
 日蓮大聖人は佐渡に流された時、(中略)『流人なれども喜悦はかりなし』(御書1360ページ)と感涙された。私たちも、この大聖人の御境涯に連なっていくならば、『宿命に泣く人生』から『使命に生きる歓喜の人生』へと転じていくことができる。大聖人の仏法は、宿命打開、宿命転換の仏法である」
  
 (第29巻「源流」の章、352~353ページ)
  

 

1979年2月4日、山本伸一は香港・九竜会館で「宿命転換」について指導。翌日、インドへの出発前まで、メンバーを励まし続けた
1979年2月4日、山本伸一は香港・九竜会館で「宿命転換」について指導。翌日、インドへの出発前まで、メンバーを励まし続けた
 
なっとく

 人は“なんのため”かが明らかにならなければ、本気になって力を注ぎ込むことはできない。それは、広宣流布の活動においても同じである。
  
 皆が、なんのための運動か、なぜ、今、それを行うのかを、よく納得、理解するならば、自主的に行動を開始していくものだ。そして、そこから、さまざまな創意工夫も生まれていく。それが、“現場の知恵”である。知恵は知識を動かす力でもある。(中略)
  
 また、皆が、意義、目的を心の底から納得していないにもかかわらず、目標の数や方法ばかりが強調されれば、押しつけられているような思いをいだくにちがいない。
  
 すると、皆の活動に取り組む姿勢は受け身になる。受け身の行動には歓喜も躍動もなくなる。それでは、いかに高邁な運動も、やがては行き詰まってしまうにちがいない。
  
 意義、目的の理解と合意ができたならば、目標の設定である。
  
 (第2巻「先駆」の章、22ページ)
  

 

おうばいとう

 「よく戸田先生は、こんな譬えを引かれていました。
  
 ――川がある。川幅や流れの形は、基本的には変わらない。これが性格である。しかし、泥水が流れ、飲むこともできなかった川の水を、清浄極まりない水に変えることができる。これが信心の力であり、人間革命ということである。
  
 自分の性格というのは、いわば個性です。そこに自分らしさもある。その自分のまま、桜は桜、梅は梅、桃は桃、李は李として、それぞれが自分の個性を最大に生かしながら、最高の人生を歩んでいけるのが、日蓮大聖人の仏法なんです」(中略)
  
 「梅は桜になることはできないし、桜も梅になることはできません。大切なことは、自分は自分らしく、光り輝いていくことです。信心を貫き通していくならば、人が真似ることのできない、自分らしい最高の魅力を発揮していくことができるんです」
  
 (第27巻「激闘」の章、313~314ページ)
  

 
  

桜と梅
桜と梅
 
山本伸一と各方面の友
 
総東京
1978年7月、山本伸一は広宣流布の本陣・東京の飛躍を願い、「東京の歌」の作詞に取り組んだ
1978年7月、山本伸一は広宣流布の本陣・東京の飛躍を願い、「東京の歌」の作詞に取り組んだ

〈1978年(昭和53年)7月、山本伸一は、「東京の歌」の作詞に取り組む。彼は東京のさらなる飛躍のために思索を深め、「感激」というキーワードを定める〉
  
 “仏法の眼を開けば、すべては感激に満ちている。自分が地涌の菩薩として、広宣流布の大使命をもって、この時に、広布の本陣たる大東京に出現したこと。この地に大宇宙より雲集した同志と奇しくも巡り合い、久遠の誓いを果たそうと、大法戦を起こしたこと。日蓮大聖人の御遺命たる世界広宣流布の時代の幕を、今、自分たちの手で開こうとしていること……。
  
 一つ一つが不思議な、大感動の事実であり、感激以外の何ものでもない”
  
 (第28巻「大道」の章、129ページ)
  

 

東北
宮城県仙台市の青葉城址に立つ伸一。街の夜景を見ながら、民衆を守る創価城を築こうと誓う(1978年5月28日)
宮城県仙台市の青葉城址に立つ伸一。街の夜景を見ながら、民衆を守る創価城を築こうと誓う(1978年5月28日)

〈1977年(昭和52年)3月13日、山本伸一は東北の代表幹部会で、同志の健闘をたたえた〉
  
 「私は、東北の皆さんを尊敬しております。それは、どんな困難にも負けない粘り強さ、不屈の“負けじ魂”があるからです。
  
 皆さんには、大難、大苦に、打ちひしがれることなく、広宣流布のために、敢然と立ち上がる真性の強さがある。その力が、自身を三世にわたって永遠に輝かせ、愛する郷土を寂光土へと転じていく“福光”となります。
  
 私は、かつて広宣流布の総仕上げを東北の皆さんに託しました。いよいよ“負けじ魂”を燃やし、総仕上げの旗頭として、威風堂々と立ち上がってください」
  
 (第25巻「福光」の章、96ページ)