毎日が、始めの一歩!

日々の積み重ねが、大事な歴史……

行学錬磨の賢者たれ

2022年09月29日 | 妙法

随筆「人間革命」光あれ〉池田大作 行学錬磨の賢者たれ2022年9月29日

  • 勝利の力は最高峰の哲学を学ぶ喜び
夏の名残の光のもと、緑の葉を日傘としながら、フヨウ(芙蓉)が優雅に花びらを広げる。ふくよかな笑顔が友の心を包み込むように(池田先生撮影。今月、都内で)
夏の名残の光のもと、緑の葉を日傘としながら、フヨウ(芙蓉)が優雅に花びらを広げる。ふくよかな笑顔が友の心を包み込むように(池田先生撮影。今月、都内で)

 それは、聖教新聞を創刊して間もない、戸田先生の会長就任へ邁進する、ある夜であった。仕事を終えて、男子部の友の家に集まり、「開目抄」を拝読し合った思い出がある。皆、真剣であった。皆、希望に燃えて、未来を見つめていた。
 その日の日記に、私は書き留めた。
 「難解なれど、大聖人の御確信、胸に響く。乱世に、この貧しき家で、貧しき青年等が、大聖人の哲学を学びし姿、実に尊き哉」(一九五一年四月二十四日)
 毀誉褒貶など眼中にも置かず、信ずる同志と「行学の二道」に励みゆく、この若き地涌の熱と力を、新出発の男子部が脈々と受け継いでくれている。「日蓮大聖人の民衆仏法」「人間のための宗教」の旗を高々と掲げ、意気軒昂に行進する若人が私の誇りであり、宝である。

歴史を創るもの

 「歴史の根底は人民の思想のうちにある」
 フランスの歴史家・ミシュレは、高らかに宣言した。
 民衆の一人ひとりが、いかなる思想を持ち、いかなる実践をするかで、私たちの住む世界は変わるのだ。
 民衆の、民衆による、民衆のための思想の興隆こそ、まさしく創価教学である。この秋、学会伝統の「教学部任用試験(仏法入門)」が行われる。コロナ禍のゆえ、実に四年ぶりとなる。全国各地で、草の根の尊き研さんが重ねられている。
 思えば、学会初の任用試験から、今年は七十年――。
 『日蓮大聖人御書全集』が戸田城聖先生の発願で発刊された一九五二年(昭和二十七年)四月より八カ月後の師走に、満を持して実施されたのだ。
 この年、私はまず、蒲田支部の同志と、朗らかに仏法の偉大さを学び語りながら、「二月闘争」で広布拡大の突破口を開いた。
 御書発刊の波動の中、年頭に五千七百余世帯だった学会は、一年で総世帯数二万二千を超えて飛躍し、迎えた教学試験であった。
 この試験の結果と意義を報ずる翌年の元日号の聖教新聞に、私は「世界最高の哲学を学ぶ喜び」と題して、一文を寄せた。
 ――生命を離れて宇宙はなく、生命を離れて社会も国家も世界もない。ゆえに生命哲学が個人並びに世界平和の本源である、と。
 この最高峰の生命哲学を学ぶ喜びこそ、教学試験の合否を超えた眼目といってよい。ここに、自他共の人生の勝利への推進力も、社会の安穏への源泉もある。
 七十星霜を経て、壮大な世界広布の広がりの中で、この喜びを、新たな求道の友と分かち合えるのは、何と嬉しいことだろうか! 人類が岐路に立つ今、「太陽の仏法」の生命哲学の大光を、さらに多くの世界市民の心に届けていきたい。

「法華経の兵法」

 「四十歳まで……教学の完成と実践の完成」
 三十歳を前に、私はこう心に期して、常に御書を繙いてきた。電車での移動の中でも、待ち合わせの合間にも。そして「法華経の兵法」を抱き締め、師弟不二の指揮を執った。今の青年部と同じ年代の時である。
 御書を学ぶことは、大聖人の不屈の闘魂を滾らせ、民衆を断じて救わんとの大慈悲の心音を、わが生命に響かせゆく作業である。
 御書を開けば、無限の勇気が湧き上がる。いかなる苦難に直面しても、絶対に活路を開いてみせるとの大情熱と智慧が漲る。
 「私は、かりに地獄に堕ちても平気だよ。なぜならば、地獄の衆生を折伏して、寂光土に変えてみせるからだ」とは、戸田先生の不動の確信であった。
 仏法は机上の空論ではない。現実に人びとの心を変え、生活を変え、社会を変えゆく実践の力である。
 一九五六年(昭和三十一年)の「大阪の戦い」も、御書根本に徹した。一切の戦いの将軍学を御書に学ぶ以外に勝利はないからだ。
 分厚い困難の壁にたじろぐ友と、「湿れる木より火を出だし、乾ける土より水を儲けんがごとく、強盛に申すなり」(新1539・全1132)を拝し、不可能を可能にする師子王の心を、共々に燃え上がらせた。
 「異体同心なれば万事を成じ、同体異心なれば諸事叶うことなし」(新2054・全1463)を通して、心を合わせれば、必ず大願を成就できると訴えた。
 あの「“まさか”が実現」の舞台裏にも、関西の同志と命に刻んだ御聖訓がたくさんあった。その日その日の戦いを、御書を通じて明確にし、一日を一週間にも十日にも、充実させるのだ――この御書根本の団結ありて、燦然と輝く金字塔は打ち立てられた。

日蓮大聖人、日興上人にゆかり深き山梨の天地で、御書を拝しつつ、「富士のごとく、嵐に揺るがぬ人間王者に!」と友を励ます(2005年9月、山梨研修道場で)
日蓮大聖人、日興上人にゆかり深き山梨の天地で、御書を拝しつつ、「富士のごとく、嵐に揺るがぬ人間王者に!」と友を励ます(2005年9月、山梨研修道場で)
「御書」を心肝に

 今回、任用試験の出題範囲の御書三編は、私も若き日から同志と学んできた、思い出深い御文である。
 例えば、「一生成仏抄」の「深く信心を発して、日夜朝暮にまた懈らず磨くべし。いかようにしてか磨くべき。ただ南無妙法蓮華経と唱えたてまつるを、これをみが(磨)くとはいうなり」(新317・全384)との一節は六十五年前の九月、葛飾総ブロックの結成大会の折に友と拝読した。
 ――模範の組織をつくるには、どうしたらよいか。その一切の源泉は、この御文の通り、勤行・唱題にあると確認し、「全会員が、しっかり勤行できるようにしていこう」と挑戦した。三年後、葛飾は三総ブロックへと発展を遂げたのだ。
 「我ならびに我が弟子、諸難ありとも疑う心なくば、自然に仏界にいたるべし」(新117・全234) 
 この「開目抄」の御金言は、一九六九年(昭和四十四年)の年末、障魔の烈風が吹きすさぶ中、病を押して訪れた三重県の松阪会館で、中部の宝友と深い決意を込めて心肝に染めた。
 また、現在の勝利島部の同志をはじめ、各地の友と折々に拝してもきた。
 先日(八月二十日)、聖教新聞で紹介された、茨城県つくば市の百三歳の母も、この一節をこよなく大切にされていた。
 かつて座談会でお会いした時、御書を大事に抱えておられた。家計をやりくりして買われたようだ。私が「開目抄」の御文を引いて話す間、尊き母は、手元の御書へ、私の顔へと、目を行き来させながら、真剣に聞いてくださった。
 この御文の余白に鉛筆で「弟子の決意」と書き、悔しい時も苦しい時も読み返しながら、地域に仏縁を結び、味方を一人また一人とつくってこられた金の足跡に、私は妻と合掌した。
 日本中、世界中に光る、「自然に仏界」を勝ち開いた多宝の父母たちを、必ずや御本仏は「善き哉、善き哉」と御照覧くださっているに違いない。

研さんは世界で

 「創価学会の使命は、まさに教学の振興にある」
 この恩師の言葉の通り、人間主義の教学運動の奔流は、世界五大州を包む大河となった。
 本年も各国で教学試験が行われている。既に実施された英国やドイツ、マレーシアのほか、韓国の教学部上級試験(六月)では、実に一万六千人の友が受験されたと伺った。
 今月も、ニュージーランドやコロンビア、シンガポールで、“任用試験”が大成功裏に行われた。
 振り返れば、海外の同志にとって初めて“任用試験”が行われたのは、約六十年前のことである。当時は論文審査であり、多くの意欲的な論文が寄せられた。
 一九六三年から、米国やスイス、イタリア等の現地で教学試験が行われ、私も口頭試問などを担当した。
 当時、北欧スウェーデンでは、日本からの派遣団が立ち寄り、教学試験が行われたが、受験者は女子部員一人だけであった。
 しかし、その夜の座談会に出席した彼女の友人が、入会を決意している。彼女はやがてスカンディナビア半島の広布草創を奔走してくれたのである。
 「一は万が母」(新578・全498)である。一人の受験者への激励が明日へ福智の門を開くのだ。
 御書研さんの喜びは、アフリカにも大きく広がり、統一教学実力試験は三十カ国以上で開催されている。
 最初は、点数がつくことに不安を覚えたというメンバーも、仏法を学ぶ中で誰かに感動を話したくなり、自然と友人を座談会などに誘うのが常だという。
 こうした中、青年世代が仏法の法理に共鳴し、探究を深めて、社会へ展開する息吹に、世界の知性も大きな期待を寄せておられる。
 フランス語版「御書」の総合監修をしてくださった、デニス・ジラ博士は、「真に世界に開かれた宗教には、その根本をなす精神性や伝統を受け継ぎ、堅持しゆく若き後継者の存在がある」と指摘し、創価の青年たちこそ「人類の未来である」との希望を語られている。

創価教学を興隆

 不安や不信、恐怖や憎悪に引き裂かれる時代にあって、生命の善性への絶対的な信頼に立ち、人間革命の方途を示す哲学ほど、望まれるものはあるまい。
 私たちが朝な夕な読誦する「法華経」の自我偈には、「毎自作是念(つねに自らこの念を作す)」とある。
 「御義口伝」では、この「念」の意義について、「一切衆生の仏性を念じたまいしなり」(新1069・全767)と仰せである。
 我らの自行化他の題目は、地球民族の仏性を信じ抜き、一人また一人と、勇敢に誠実に忍耐強く呼び覚ましていく音律なのだ。
 わが教学部は、新たなるスローガンとして――
 「御書根本」「師弟不二」「異体同心」の教学部
 世界宗教の誉れ高く
  創価教学の興隆を!
     ――と掲げた。
 さあ、心も広々と、教学研さんの秋だ。
 行学錬磨の賢者たちよ、今日も生命尊厳の大哲学に触れよう!
 そして、学んだ喜びを、地域へ、社会へ、世界へ、勇んで語り広げよう!
 ここから「平和」と「人道」の世紀を開く、大いなる熱と力が生まれゆくのだ。
     
(随時、掲載いたします)

 ミシュレの言葉は「フランス革命史」『世界の名著37 ミシュレ』所収、桑原武夫・多田道太郎・樋口謹一共訳(中央公論社)。


任用試験に向けて㊤

2022年09月28日 | 妙法

希望の指針――池田先生の指導に学ぶ〉 任用試験に向けて㊤2022年9月28日

  • “御書と格闘する”そこに王道がある

 連載「希望の指針――池田先生の指導に学ぶ」では、テーマごとに珠玉の指導・激励を掲載します。今回は11月に行われる「教学部任用試験(仏法入門)」に挑戦する友へ、励ましの言葉を紹介します。

2018年、全国で開催された「教学部任用試験(仏法入門)」(愛知で)。御聖訓には、「この経を一文一句なりとも聴聞して神(たましい)にそめん人は、生死の大海を渡るべき船なるべし」(新1721・全1448)と。妙法という究極の生命哲学を心に刻んだ人は、いかなる人生の荒波をも乗り越える、賢者の大船となっていける
2018年、全国で開催された「教学部任用試験(仏法入門)」(愛知で)。御聖訓には、「この経を一文一句なりとも聴聞して神(たましい)にそめん人は、生死の大海を渡るべき船なるべし」(新1721・全1448)と。妙法という究極の生命哲学を心に刻んだ人は、いかなる人生の荒波をも乗り越える、賢者の大船となっていける
「信仰の勇者」として

 一九五六年(昭和三十一年)、常勝関西の源流となった「大阪の戦い」にあたり、私が真っ先に手を打ち、全力で取り組んだのが「任用試験」であった。
 
 一人でも多くの同志の方々が、「信心はすごい」「仏法は偉大だ」という確信をつかみ、信仰の勇者として成長していかなければ、広宣流布はできないからだ。
 
 今また、教学研鑽の喜びをもって、同志を励まそう! 皆で、新しき平和と哲学の闘士を育成しよう!
 
 (『池田大作全集』第134巻、162ページ)
 

教学は信心の“背骨”

 学会の伝統は、「信・行・学」の錬磨である。教学こそ信仰の“背骨”である。
 
 教学がおろそかになれば、どうしても、根本の信心が弱くなり、日々の実践も惰性に流されやすくなる。ゆえに、毎日、少しずつでも御書を拝してまいりたい。
 
 毎回、任用試験には、求道心あふれる数多くの老若男女が、勇んで挑戦している。まさに、哲学不在の時代をリードする精神革命の大運動といっていい。
 
 受験する皆さんのご健闘を祈るとともに、担当者の方々を中心に、全力で応援してまいりたい。
 
 (『池田大作全集』第99巻、227ページ)
 

福徳を広げる大善根

 世の中には多くの試験がある。しかし、皆が人類最高峰の生命哲学の門に入り、幸福と平和の博士となっていく試験はわが学会にしかない。
 
 そしてまた、学会の教学試験ほど、学歴や肩書や年齢など、あらゆる違いを超えて、万人に開かれた「学びのチャンス」はあるまい。
 
 大聖人は、仏法の質問をした女性に、「三千大千世界(大宇宙)を鞠のように蹴り上げる人よりも有り難く、尊い大善根である」(全1402・新2098、趣意)とまで讃えられた。
 
 どうか、受験それ自体が、誇り高く福徳を広げゆく大善根であることを、挑戦される方も、応援される方も、共々に確信していただきたい。
 
 (『随筆 永遠なれ創価の大城』、196ページ)
 

御書研さんに励む友(2018年、福岡で)
御書研さんに励む友(2018年、福岡で)
永遠不滅の法と共に

 受験者には、伸びゆく未来部もいる。ご高齢の多宝の方々もおられる。“生涯勉強”と、最高の幸福学たる仏法を研鑽し、人生の錦繡を一段と鮮やかに深められている。
 
 御書には、「法華経の功力を思ひやり候へば不老不死・目前にあり」(全1125・新1633)という甚深の一節がある。
 
 永遠不滅の妙法と共に生きゆくならば、自らの仏の生命も永遠不滅の当体となる。若々しく自他共に「常楽我浄」の軌道を進むことができる。創価の師弟は、この正道を歩み抜いてきた。
 
 仏法を学べば、勇気が湧く。信念が深まる。皆が生まれ変わった息吹で、「生命尊厳の哲理の眼目」となり、社会に蘇生の光を放ちゆくのだ。
 
 (『随筆 永遠なれ創価の大城』、211ページ)
 

「限界を破る」挑戦を

 受験者の皆様は、とくに青年部の諸君は、「もうこれ以上勉強できない」というくらい学んでほしい。その「限界を破る」挑戦が、一生涯の宝となって光っていく。
 
 先輩方も、「『広布の次の五十年』を切り開くのだ」という思いで、全力で応援し、力ある広布の人材を育成していただきたい。
 
 研鑽にあたっては、ぜひ、「直接、御書を繙く」ことを心掛けてほしい。講義録や解説などは、あくまで補助にすぎない。御書の本文も読まずに、「わかったつもり」になることが一番怖い。
 
 少々苦労しても、王道を行くことだ。直接、御書と格闘する刻苦奮闘こそが、信心の合格者への大道である。
 
 (『池田大作全集』第137巻、160ページ)
 

語る功徳と聞く功徳

 法華経の随喜功徳品には、法華経を聞いて随喜する功徳の大きさが説かれている。有名な「五十展転」である。
 
 歓喜の信心に立ち上がった一人が、その喜びを友に伝え、その友がまた歓喜して別の友に教え、また次の人へと伝わり、やがて喜びの波動は五十人目に至る。
 
 この最後の人の功徳でさえ、無量無辺であると示されている。
 
 妙法を「語る功徳」「聞く功徳」が、いかに偉大であることか。その意味からも、教学試験の研鑽を通して、仏法を語り、教える人の功徳も、それを聞き、学ぶ人の功徳も、どれほど大きいか計り知れない。
 
 仕事や家庭など、多忙な生活の中で時間を工面しての学び合いである。どうか、その一分一秒に、大いなる随喜あれ、絶大なる福徳あれと願わずにはいられない。
 
 (『随筆 輝く民衆の大城』、50ページ)
 

御書研さんに励む友(2018年、香川で)
御書研さんに励む友(2018年、香川で)
合否を超えた勝利者

 合否を問わず、真剣に御書を学びぬいた人が「勝利者」です。また「広宣流布の宝」です。
 
 夏休みを返上して、受験する後輩の面倒をみてくれた先輩たちがいたことも、よく知っています。その労苦の汗は、どれほど尊いか。試験に合格しようがしまいが、これからが、青年の勝負です。縦横無尽に、一人でも多くの人に、大仏法を語りぬいてもらいたい。
 
 (『池田大作全集』第30巻、398ページ)


勇気の舞 凱歌の行進Ⅱ〉第12回〈完

2022年09月26日 | 妙法

〈桂冠詩人は詠う 勇気の舞 凱歌の行進Ⅱ〉第12回〈完〉 世界平和2022年9月26日

 連載「勇気の舞 凱歌の行進Ⅱ」では、池田先生がつづった長編詩を紹介してきました。最終回となる第12回は、「平和よ! 幸福よ! 永遠なる世界平和を祈り詩う」(2003年4月)です。

海の向こうにハワイの名勝「ダイヤモンドヘッド」が見える(1995年1月、池田先生撮影)。「地球上から悲惨の二字をなくしたい」――恩師の悲願を胸に、先生は60年10月2日、ここハワイの地から、世界平和への闘争を開始した
海の向こうにハワイの名勝「ダイヤモンドヘッド」が見える(1995年1月、池田先生撮影)。「地球上から悲惨の二字をなくしたい」――恩師の悲願を胸に、先生は60年10月2日、ここハワイの地から、世界平和への闘争を開始した
全ての民衆に勝利の鐘を!

 私は
 長い間
 世界の道を歩いてきた。
 多くの思い出を
 残しながら!
 多くの歴史を
 創りながら!
  
 私には悔いはない。
 戦争と不安を
 世界からなくすために
 慈愛の火が
 正義の心に
 燃えていたからだ。
  
 無名の私には
 無数の歓喜の戦いがあった。
 そして
 無数の友の
 多彩な どよめきがあった。
  
 新たに大きい
 平和の道を築いたのだ。
 青春を燃やしながら
 燃える目で
 理想の夢の世界を
 創りたかったのだ。
  
 いつも
 妙法という
 幸福の光の中に
 立っていた。
 歩いていた。
 そして
 戦っていた。
  
 疲れた目を閉じれば――
 ほとんど
 息をする暇もないほど
 正義の声を
 張り上げてきた。
  
 「世界の広布」とは
 「世界の平和」という
 意味だ。
 その夢の実現のほかに
 私には
 何も残っていない。
  
 現実の生活が
 いくら厳しくても
 私の心を動かすものは
 世界の平和であった。
  
 ◆◇◆
  
 平然と人の命を奪う。
 何たる残虐なことか。
 すべての幸福を
 奪い去ってゆく
 愚かな権力の
 狂気の沙汰よ!
  
 春のささやかな幸福を
 胸に秘めながら
 いつも生き抜いてきた
 善良な庶民から
 一切をもぎ取っていく
 魔性の権力よ!
  
 人間を人間と思わぬ
 侮辱の態度に
 もはや人間の心はない。
 畜生の心である。
  
 戦争は
 勝っても負けても
 無限の虚しさのみが残る。
 その責任は誰か。
 明確な解答が
 あるようで ない。
  
 わが幸福
 わが平和を
 断じて
 侵されてはならない。
 わが幸福の権利と
 平和の権利を
 冷酷無惨の輩に
 奪い取られてはならない。
  
 すべてが暗闇になり
 すべてが滅びゆく
 その夜の闇の中にあっても
 断じて
 平和の光は
 消し去られてはならない。
  
 騒々しい論議が
 中傷非難が
 右往左往しても
 勝ち誇り
 疲れを知らずに
 わが魂の中に
 厳然と
 平和の太陽を
 光らせていくのだ。
  
 ◆◇◆
  
 平和の合図の鐘を
 打つのだ!
 断じて
 すべての民衆に告げゆく
 あの平和の鐘を
 勝利の鐘を
 打ち鳴らしてゆくのだ!
 あの黒い太陽から
 明々とした
 平和の太陽を仰ぐのだ!


②核兵器の廃絶〈上

2022年09月25日 | 妙法

〈ストーリーズ 師弟が紡ぐ広布史〉第24回 平和の旗を高く掲げて ②核兵器の廃絶〈上〉2022年9月25日

  • 「魂の力」は原子爆弾よりも強い
1957年に刻まれた足跡

 65年前の1957年は、核兵器の廃絶へ向けて、大きな足跡が刻まれた年である。
 この年の7月、カナダのパグウォッシュに、世界10カ国から22人の科学者が集まった。戦争と平和に関する諸問題を討議するためである。
 「科学者の社会的責任」「核兵器の管理」「原子力の利用と危険」をテーマとした会議では連日、白熱した議論が交わされた。
 22人の科学者には、アメリカやイギリスなど“西側”だけではなく、“東側”の人間もいた。冷戦による緊張関係から、会議は喧嘩別れに終わる懸念もあった。だが、見解の相違が感情的な対立に転化することはなかった。
 最終日、科学者たちは「原水爆実験を中止すべきである」などの声明を発表し、会議は幕を閉じた。
 会議は当初、1回限りの予定だったが、予想以上の成功を収めたこともあり、「パグウォッシュ会議」の名で、継続して行われることになった。
  
 第1回の「パグウォッシュ会議」が開かれた57年の7月12日、戸田城聖先生は、ある雑誌の依頼に応じ、対談を行っている。その中で、こう述べた。
 「原子爆弾だけは許せんぞ、おれは決めているのだよ。アメリカでも、ロシアでも、どっちであってもそういうことは断じて許さん」
 同月3日、池田大作先生が無実の容疑で不当に逮捕・勾留された。新たな民衆勢力の台頭を恐れた、権力による弾圧――その迫害の嵐の中でさえ、恩師の胸中から核兵器のことが離れることはなかった。
 対談から2カ月後の9月8日、戸田先生は青年への「遺訓の第一」として「原水爆禁止宣言」を発表した。
 池田先生は、恩師の遺訓を実現するため、“東西の壁”を超えて、世界の識者と核兵器廃絶の具体的方途などについて語り合った。その一人が、「パグウォッシュ会議」の会長を務めたジョセフ・ロートブラット博士である。
 「人間の道徳意識は、ひとたび戦争が始まってしまうと、かなぐり捨てられてしまうものです。そういう現実を、私は何度もこの目で見てきました」
 こう語る博士に、池田先生は応じた。
 「戦争の歯車がいったん動き始めると、それは暴走を始め、多くの尊い生命を飲み込んでいきます。
 その凶暴さの前にあっては、冷静な判断や合理的な思考など、ひとたまりもない。だから私たちも、戦争そのものに絶対に反対するのです」

「パグウォッシュ会議」のロートブラット博士(左端)に、池田先生が第1号の「戸田記念平和学賞」を授与。戸田記念国際平和研究所の初代所長を務めた平和学者のテヘラニアン博士(左から2人目)も共に(2000年2月、沖縄研修道場で)
「パグウォッシュ会議」のロートブラット博士(左端)に、池田先生が第1号の「戸田記念平和学賞」を授与。戸田記念国際平和研究所の初代所長を務めた平和学者のテヘラニアン博士(左から2人目)も共に(2000年2月、沖縄研修道場で)
ヒバクシャの声

 核兵器の廃絶を難しくしている理由の一つに、議論が「抽象的」になりがちなことが指摘される。核兵器の実態を知る機会がないことから、その脅威を想像できないのである。
 昨年1月に発効された「核兵器禁止条約」は、被爆者の声が条約成立を後押しした。同条約の前文には、「ヒバクシャの受け入れ難い苦しみと被害に留意する」と明記されている。被爆者の声に学ぶことは、核兵器の恐ろしさを伝える大きな力である。
 2018年3月、アメリカ創価大学(SUA)で、一人のヒバクシャの女性が講演した。
 シゲコ・ササモリさん。13歳の時、広島で被爆。戦後、クリスチャンとなる。被爆から10年後、後遺症のケロイド治療のためアメリカに渡り、著名なジャーナリストであるノーマン・カズンズ氏の養女となった。
 シゲコさんは世界各地で、自らの被爆体験を語り、核兵器の脅威を訴えてきた。彼女はSUAの学生に語った。
 「戦争が始まってしまえば、みんな被害者。アメリカの兵士にも戦争の犠牲者がいる。だから、私はアメリカのことを恨んでいません」
 一生の苦しみを背負わされた“敵国”を憎みはしない――。彼女の講演は、学生たちに大きな感動を与えた。

「人間は新しい時代を迎えた」

 シゲコさんの養父であるカズンズ氏は、評論誌「サタデー・レビュー」の編集長だった。池田先生と3度にわたって語らい、対談集『世界市民の対話』を編んでいる。
 広島に原爆が投下された12日後、氏は「サタデー・レビュー」に「現代人は時代遅れだ」との一文を掲載する。
 「一九四五年八月六日をもって人間は新しい時代を迎えた」
 氏が論じた「新しい時代」とは、核兵器の出現によって、国家が行う戦争が全人類を破滅させるものになった、ということ。こうした時代になったからこそ、「世界人としての人間」へ変わらなければならないと強調した。
 誰よりも、氏自身が「世界人」として行動した。1949年、氏は広島を訪れる。原爆の傷痕が残る街を歩き、被爆者を取材した。帰国後、氏は核兵器廃絶の行動を開始する。
 「サタデー・レビュー」で、原爆孤児を援助する“里親”を募り、400人を超す孤児を支援した。さらに、原爆でやけどを負った日本の女性25人の渡米治療も実現させる。
 この行動に対して、“支援を受けられない人もいる。不公平ではないか”との批判もあった。氏は反論した。
 「ただ一つの人生を有意義にする手伝いは、必ずしも万人の更生をもたらさないかも知れないが、しかしそれで十分に、社会のエネルギーの根本的な形を示している」
 一人を救うことができずして、社会の変革も、核兵器廃絶もない――。それは、池田先生とも強く響き合う、氏の信念だった。

「アメリカの良心」といわれたノーマン・カズンズ氏と池田先生が初めての出会いを結ぶ。氏は語った。「人生の最大の悲劇は死ではありません。生きながらの死です」「大事なことは、生あるうちに何をなすかです」(1987年2月4日、アメリカ・ロサンゼルスで)
「アメリカの良心」といわれたノーマン・カズンズ氏と池田先生が初めての出会いを結ぶ。氏は語った。「人生の最大の悲劇は死ではありません。生きながらの死です」「大事なことは、生あるうちに何をなすかです」(1987年2月4日、アメリカ・ロサンゼルスで)
すべての人の幸福のため

 「ワンダフル!」――インド・ガンジー研究評議会議長のニーラカンタ・ラダクリシュナン博士が思わず感嘆の声を上げた。
 1993年の夏、広島を訪問した博士は、被爆者の金光悦子さんと語らう時間を持った。博士は率直に尋ねた。
 「原爆を投下したアメリカをどう思いますか?」
 金光さんは答えた。
 「憎んだ時期もありました。でも、人を、国を恨むことに心を費やすことが、どれほど惨めか。人生、何に生命を懸けるかが大切です。私は、すべての人の幸福のため、すべての国の平和のために生命を捧げます」
 この言葉に、博士は感動したのである。懇談の後、博士は述べた。
 「あのご婦人の心のなかに、不滅の力がある。あのご婦人の心の行く手に、世界の希望がある」
  
 金光さんは14歳の時、爆心地から1・5キロの場所にあった女学校の校庭で被爆した。50人のクラスメートの中で、生き残ったのは4人。金光さんは上半身に大やけどを負った。
 ある日、銭湯に行くと、「ほかの客が気味悪がるから来ないで」と平然と言われた。泣きながら家に帰り、母に怒りをぶつけた。母は優しく語った。
 「だれが何と言おうと、お母さんは、おまえが一番素敵だと思ってるよ」。母の温かさに、また涙が流れた。
 その後、金光さんは和裁を学び、着物を仕立てるように。59年、被爆者の秋次さんと結婚。2年後の61年に正恵さんが誕生した。
 正恵さんが3歳になった頃から、金光さんは娘の異変に気付いた。正恵さんは、よくころんだ。医師に診てもらうと、重度の視力障害だった。
 “原爆はどこまで私たちを苦しめるのか!”。自分の運命を恨んでいた時、地域の知人から信心の話を聞いた。
 懸命に学会活動に励んだ。正恵さんの視力は治療が功を奏し、入会1年後には、主治医が驚くほど回復した。
 金光さんは「動員学徒等犠牲者の会」の一員として、戦争で苦しんだ人の支援に奔走してきた。その母の心を継ぐ正恵さんも今、同会の一人である。
  
 93年8月6日、小説『新・人間革命』の執筆が開始されたその日、ラダクリシュナン博士は池田先生と会談。それに先立ち、博士は周囲に語った。
 「ガンジーは、いかなる暴力も否定しました。そして主張していました。『魂の力』は原子爆弾よりも強い、と。この、だれもがもつ『魂の力』を引き出し、平和を生み出していく――これこそ池田先生が進めておられる運動です」

1993年8月6日、池田先生はインドのラダクリシュナン博士と会見(長野研修道場で)。先生は起稿した小説『新・人間革命』の原稿を披露した。博士は後に、“池田先生は師匠の夢の実現のために生きている指導者だと感じた”と振り返っている
1993年8月6日、池田先生はインドのラダクリシュナン博士と会見(長野研修道場で)。先生は起稿した小説『新・人間革命』の原稿を披露した。博士は後に、“池田先生は師匠の夢の実現のために生きている指導者だと感じた”と振り返っている

【引用文献】ノーマン・カズンズ著『人間の選択』(松田銑訳、角川書店)、『ある編集者のオデッセイ』(松田銑訳、早川書房)

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101歳 たとえ目が見えぬとも

2022年09月24日 | 人権

ブラボーわが人生 信仰体験〉第102回 101歳 たとえ目が見えぬとも2022年9月17日

  • 「多少のことは笑い飛ばしましょう」
窓辺から空を見上げる江刺家キミさん
窓辺から空を見上げる江刺家キミさん

  
 【青森県八戸市】両目が見えない。左目は物心のつく頃に、右目は8年前に視力を失った。けれども、江刺家キミさん(101)=地区副女性部長=は、笑顔になれる一日を「ありがたいもんだなあ」と感謝している。
  

撮影前に髪を整える
撮影前に髪を整える
  
●本文

  
 あらー、よくいらっしゃいましたなー。このばあさんが(取材を)承知した後に、困ったことしたなーって、ちょっと後悔しましたった。だけどまあ、当たって砕けろで、冒険もいいことだと。人間やっぱり、何かに挑戦する気持ちが、いいと思いますよー。
 はい、ちっちゃい時、病気したらしいですね。それで左目が見えなくなりました。大変でしたな。家のことを、ぜーんぶしないとなんねえの。
 宿命的な家系でのお、知ってるだけでも上3代、主婦が40代で亡くなるのです。私の母もそうでした。
 私は一番下の妹をおぶって、高等小学校に行ってたんだけど、先生に「うちのことが山盛りにあるから、学校やめます」って。そしたら「お母さんの代わりにしっかり働いてちょうだい」と激励されました。友達は楽しそうだから、だんだん会うのがつらくなって、外に出ないようにした記憶があります。
  

部屋の移動は、長女の佐々木ウタ子さんの腰につかまって
部屋の移動は、長女の佐々木ウタ子さんの腰につかまって
枕元のラジオから演歌が流れるとうれしい
枕元のラジオから演歌が流れるとうれしい

  
 戦争中に結婚しました。4人の子を産んだけど、兄の嫁さんも早くに死んだわけ。私も死んじゃうのかなあ。子どもがつらい思いをするなあ。おびえておったんですね。
 昭和38年(1963年)の暮れでした。東京の学校に行ってるせがれが帰省してな。
 「母さん、これ読んどいておくれ」
 黒革の分厚い御書を渡すわけです。私は読書が好きだから、一生懸命に読みました。
 意味は分からないのに、日蓮大聖人の言わんとすることが分かるんですねー。この信心は、宿命を転換する力があるんだなと。それで、せがれに「母さんはやるよー!」って電話したの。
 初めて折伏できた時の喜びは、味わったことのない気持ちでしたな。勢いついちゃって、40代を越えて、気付けば50歳。池田先生と初めてお会いできました。
 昭和46年の6月14日でしたな。池田先生が八戸会館(当時)においでになったと聞きつけての、夢中で会館まで走りましたな。会場がぎっしりで、一番後ろで膝立ちしました。
  

ウタ子さんが作るご飯は「おいしいです。何でも食べます」
ウタ子さんが作るご飯は「おいしいです。何でも食べます」

  
 池田先生は、ユーモアを交えるのですねー。みなさんニコニコ聞いて、気持ちがほぐれる感じです。
 「みなさんの功徳を倍にしてください」って話されましたな。さてさて、どういうふうに倍にしたらいいのかな。はたと考えました時、「俺は信心しない」と宣言した主人が浮かんだわけです。
 よし!と。主人のそばに聖教新聞を毎日置いたんです。こっそり読んだんだべなあ。10年して、「俺もやってみるかなあ」。したり!と思いました。
  
 だけどやっぱり、人にはうれしいことより、困ったことの方が、次から次へとありますな。1日のうちに右目が見えなくなっての。ある時の衝撃からです。
 8年前でした。ほれ、小学校に通う時におんぶした一番下の妹が、病気で亡くなったんですね。東京で元気にしてると思ったのに。私が主人に先立たれて寂しそうにしてたら、「姉さん、一緒に暮らそう」って優しかったのに……。
 妹の骨を玄関で頂いて、後のことは分かりません。どのくらい泣いたもんだか。泣いて泣いて泣いて泣いて。気が付いたら、目が見えなくなってたの。
 こうなった時に、死にたいと思う人の気持ちが、分かったようだったな。
  

「目が見えなくても、心がちゃんとしてれば、大丈夫」
「目が見えなくても、心がちゃんとしてれば、大丈夫」

  
 でも、新聞に載ってる池田先生のお話を、娘(長女の佐々木ウタ子さん、76歳、総県女性部主事)がいつも読んでくれます。
 池田先生はすごいなー。世界一の創価学会はすごいなー。信心の世界中の集まりの中に、自分も一人入ってるんだと思うと、うれしいんですね。
 やっぱり、長生きが私の役目でないかな。
 たとえ目が見えなくなったって、心の眼には、八戸会館に来られた時の池田先生が、しっかりと映っていますからね。
 あれは……池田先生が私を応援するために、わざわざ八戸に足を運んでくれたんだと思うようになりました。無学なばあさんの早合点と笑ってください。
 “長生きするんだよ。うんと長生きして、世界のともしびになるんだよ”
 そんなふうに、心の眼の先生は、希望を持たせてくれるんですなあ。真剣勝負で題目あげると、それがしみじみと分かります。涙が出てきます。
  

5年前の写真。ひ孫に囲まれて
5年前の写真。ひ孫に囲まれて

 
 よし、くじけない心を倍にしよう! そういう出発ができた時、池田先生とつながれた感じがしたんですねえ。
 だからもう、多少のことは笑い飛ばしましょう。そしたら次に、喜びの春の陽光がまいります。「冬は必ず春となる」(新1696・全1253)で、春風が吹いてきますよ。あっはっは。
 じいさん、ばあさんの代からの宿命を転換できたと確信しております。子どもたちが「母さん、よくぞ!」と褒めてくれます。
 もう何にも苦がありませーん。目が悪くなっても、耳が聞こえますから、そんなに悲観しないで、平常な気持ちで暮らしております。
 まずまずこの調子だから、何にも取材にならなかったと思いますよ。いやいや、お恥ずかしい。
  

キミさんはウタ子さんに本紙の切り抜きを読んでもらって、うんうんとうなづく
キミさんはウタ子さんに本紙の切り抜きを読んでもらって、うんうんとうなづく
 
●後記

  
 キミさんは窓辺に腰掛け、光が差す方を見上げた。「きょうは青空だなあ」。明るいか暗いかは分かる。101歳の澄んだ黒い眼に、雲ひとつない空が映っていた。笑顔が印象的で、この人の心が大空に溶け込んでいるようだった。
 楽な人生ではなかったはずだ。不信を抱いたことは? 「いやー、絶対に一度もなかったです」と語気を強めた。じょっぱり魂(強情という意味の方言)を感じさせる声だった。
 キミさんはユーモアの人で、「写真撮るなら整形しとけばよかった」とか、「その辺がごちゃごちゃしてても、目が見えないからいいわあ」とか楽しい。
 なるほどと思ったのは、人と接する時の心構えだ。「やっぱり愛情です。まず、相手を好きになることから……」。真剣なお顔がひときわまぶしい。
 で、次の日。インターホンを押すと、長女のウタ子さんが出迎えてくれた。どうぞどうぞの後、くるりと奥を向き、大きな声で「お母さーん、お見合い相手が見えましたよー」。この過激な愛情表現に、クラッときた。タキシードでも着ていけば良かったなあ。(天)
  

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