毎日が、始めの一歩!

日々の積み重ねが、大事な歴史……

大阪のオバチャンと聖教新聞

2021年07月30日 | 妙法

一人から始めたラジオ体操が300人集まるようになった話――大阪のオバチャンと聖教新聞2021年7月17日

  • 〈創刊70周年記念企画〉Life with Seikyo
02:35

 
 鈴木廣子さん(77)=大阪府高槻市、支部副女性部長=は2006年(平成18年)、21年間務めた本紙の配達を後輩に交代した。しかし、その後も長年の習慣ゆえ、毎朝午前5時前には目が覚めてしまう。
 
 「配達が励みやった。きょうも池田先生と一緒に戦うって決意して、全部、乗り越えてきたんよ」
 じっとしてはいられなかった。“とにかく行動せなあかん!”――近くの公園で、1人でラジオ体操を始めた。以来15年、今では、多い時で300人近くが集まる。
 

■“きょうも先生と一緒に!”――毎朝5時前には目が覚めます

 
 正月の三が日以外は、休みなしのラジオ体操。「大雨じゃなければ決行。配達してた頃より大変やで」と鈴木さんは笑う。

 夫・留之助さん(80)=副支部長=と共に、毎朝6時前には公園に着く。「お父さんは、川の掃除しながら行くんよ。私は来る人を迎えて、おしゃべり」
 体操が終わっても、太極拳、井戸端会議。自宅に戻るのは午前8時前だ。

 15年前、公園にラジカセを置き、6時30分のNHKラジオ放送に合わせ、1人で体操を始めた。
 「配達を交代してから3カ月はゆっくりしてたけど……」
 朝起きて、犬の散歩、1時間以上唱題しても時間を持て余した。
 

 
 「池田先生は毎日、世界を相手に広布の戦いをされてるのに、私は何をしてんねやって思って」
 
 毎朝、すがすがしく体操していると、散歩途中の人から「一緒にさせて」と声を掛けられた。
 1年間続けると30人ほどが集まるように。3年を過ぎた頃には100人を超えていた。
 
 地域に顔が売れ、9年前からは町内会の老人会長に。留之助さんも地元自治協議会の議長を務めた。
 「目配り気配り心配りでやっています。そやけど、(信頼を築くには)一歩前に出なあかん。自分を投げ出していかなあかん」
 

夫・留之助さん㊨と
夫・留之助さん㊨と

 
 老人会の旅行では、“負けたらあかん”と晴天を祈りに祈り、大雨の予報を覆した。
 「鈴木さんは晴れ女やな。25号(台風)よりも強いで」と地域の友人に言われ、「当たり前や、どんだけ祈ったと思ってるん」と返した。
 
 けれども、なぜ、そこまで頑張れるのか――。
 「そらあ、先生やで。先生のことを思うと、じっとしてられへん」
 
 創価学会に入会して今年で47年。鈴木さんは一度も先生に会ったことはない。
 しかし、「毎日、毎日、聖教新聞読んでたら、ここ(胸の中)に先生がいはるようになったわ」
 

 
 入会と同時に、留之助さんが始めた小さな鉄工所は、今では立派な工場になり、息子たちが後を継ぐ。自宅も2棟購入し、一つは広布の会場に提供してきた。
 
 46年間、自身の唱題時間を一日も欠かさずノートに記す。長い人生、ゼロが続いた日もある。
 「とにかく素直に信心したら、みんな開けるわ。私、この年で分かってん。題目、題目しかないで」
 
 家が火事になり、顔に大やけどを負った時も「主治医に『前よりもきれいにしてな』って言って。ほら、今もツルツルや(笑い)」。
 

 
 とにかく、めげない。何があっても祈って動く。
 本紙の購読推進は41年間、毎月続けた。コロナ禍で少し休んだラジオ体操も「デスタンス!?(ディスタンス)を取れば、大丈夫やし」と、すぐに再開。
 
 今月、NHKなどが主催する「ラジオ体操優良団体等表彰」の受賞が決まった。「ようやくNHKのお墨付きになった(笑い)」
 
 取材の途中で、鈴木さんは「もう十分しゃべったやろ。私、忙しいからそろそろ行くわ。じゃ、記者さんも頑張って!」。
 というわけで、あとは動画をご覧ください。


小説「新・人間革命」に学ぶ 第30巻〈下〉

2021年07月28日 | 妙法

小説「新・人間革命」に学ぶ 第30巻〈下〉 解説編 池田主任副会長の紙上講座2021年7月28日

  • 連載〈世界広布の大道〉
イラスト・間瀬健治
イラスト・間瀬健治

 今回の「世界広布の大道 小説『新・人間革命』に学ぶ」は第30巻<下>の「解説編」。池田博正主任副会長の紙上講座とともに、同巻につづられた珠玉の名言を紹介する。

紙上講座 池田主任副会長
5:19
ポイント
①青年を育てた20年
②世界広布の礎を築く
③第2の「七つの鐘」

 第30巻<下>は、1981年(昭和56年)から2001年(平成13年)の、20年にわたる“広布の軌跡”が描かれています。
  
 この20年間は次の2点に集約することができます。①青年を励まし、青年を育てる20年②世界広宣流布の礎を築く20年――であります。
  
 「勝ち鬨」の章は、61日間で北半球を一周する海外平和旅を終えた山本伸一が、結成30周年を記念する青年部総会に祝電を送る場面から始まります。そして、「誓願」の章は、青年部の結成50周年の意義を込めた本部幹部会で締めくくられています。
  
 青年への励ましで始まり、青年への励ましで終わる――まさに、青年を育てることに魂を注いだ20年間の象徴ではないでしょうか。
  
 1981年11月、第1次宗門事件で苦しんできた四国を訪問した伸一は、四国男子部の要請を受け、彼らが作成した愛唱歌の歌詞に筆を入れます。さらに、二十数回もの推敲を重ね、完成したのが「紅の歌」でした。
  
 さらに、同年12月、宗門事件の謀略の嵐が吹き荒れた大分では、県青年部幹部会に出席し、長編詩「青年よ 二十一世紀の広布の山を登れ」を発表。「『二〇〇一年五月三日』を目標に、広布第二幕の勝負は、この時で決せられることを銘記して、労苦の修行に励みゆくよう訴え」(116ページ)ました。
  
 81年は宗門の悪僧らの理不尽な学会攻撃に対して、本格的な反転攻勢が開始された年です。
  
 伸一は、「新しい時代の夜明けを告げようと、『時』を待ち、『時』を創って」(54ページ)いきます。その焦点こそが青年でした。「常に青年の育成に焦点を当て、一切の力を注いできた」(209ページ)のです。
  
 今月、男女青年部は結成70周年の佳節を刻みました。池田先生は、それぞれの記念の大会にメッセージを寄せ、男子部には「従藍而青のスクラム」、女子部には「旭日のスクラム」を広げゆくことを呼び掛けました。
  
 「青年たちよ! 学会を頼む。広布を頼む。世界を頼む。二十一世紀を頼む」(201ページ)――師の思いに応え、新章節を開きゆく青年を先頭に、各部一体で青年・未来部を育成し、青年のスクラムを拡大していきましょう。

雄大なアンデス山脈を、池田先生が、50カ国目の訪問国・チリへ向かう機中で撮影(1993年2月)。「誓願」の章では、チリ訪問に際し、「荘厳な 金色(ゆうひ)に包まれ 白雪の アンデス越えたり 我は勝ちたり」と詠む場面が描かれている
雄大なアンデス山脈を、池田先生が、50カ国目の訪問国・チリへ向かう機中で撮影(1993年2月)。「誓願」の章では、チリ訪問に際し、「荘厳な 金色(ゆうひ)に包まれ 白雪の アンデス越えたり 我は勝ちたり」と詠む場面が描かれている
金剛不壊の大創価城

 第30巻<下>で描かれる20年は、世界宗教へと飛翔を遂げた20年でもありました。SGI会長である伸一は世界各地を訪れ、海外の友と“師弟の絆”を結んでいきます。
  
 この間、伸一に対して「桂冠詩人」(81年)、「世界桂冠詩人賞」(95年)や、国家勲章、大学からの名誉学術称号などが贈られます。こうした栄誉は、「学会の平和・文化・教育運動への高い評価であり、各国同志の社会貢献への賞讃と信頼の証」(252ページ)でした。
  
 また、伸一は、各国の指導者との対話にも力を注ぎます。その行動は、「世界平和を実現する道になり、また、学会への理解を促し、その国の同志を守ることにもつながっていく」(同)との信念の発露でした。
 世界広布の潮流が広がる中で、第2次宗門事件が起こります。第1次宗門事件の後も、伸一は一貫して、「僧俗和合への最大の努力を払い、宗門の外護に全面的に取り組んで」(289ページ)いきました。
  
 しかし、宗門は「悪鬼入其身」と化し、信徒支配の体質を現しました。宗門は「自ら学会から離れていった」(335ページ)のです。
  
 創価の同志は、悪辣な謀略を冷静に見抜き、破邪顕正の情熱をたぎらせて、敢然と戦いました。それを可能にしたのは、ただ同志のためにと、生命を削る覚悟で励ましを送り続けてきた、伸一の戦いがあったからです。
  
 第1次宗門事件の折、伸一は「もう一度、広宣流布の使命に生き抜く師弟の絆で結ばれた、強靱な創価学会を創ろう」(314ページ)と行動します。
  
 「そのなかで後継の青年たちも見事に育ち、いかなる烈風にも微動だにしない、金剛不壊の師弟の絆で結ばれた、大創価城が築かれて」(同)いきました。その絆は、国内にとどまらず、世界にも広がっていきました。
  
 本年は、「魂の独立」から30周年。宗門の鉄鎖を断ち切り、“創価のネットワーク”は、世界192カ国・地域に広がっています。感染症や気候変動など、地球規模の危機に直面する今、「世界の同志が草の根のスクラムを組み、新しい平和の大潮流を起こす時」(433ページ)です。

一人の本物の弟子

 第30巻<下>の最後に描かれているのは、2001年11月の本部幹部会です。伸一は胸中で、青年たちに「共に出発しよう! 命ある限り戦おう! 第二の『七つの鐘』を高らかに打ち鳴らしながら、威風堂々と進むのだ」(436ページ)と語り掛けます。
  
 この場面で小説が終わっているのは、「広宣流布という大偉業は、一代で成し遂げることはできない。師から弟子へ、そのまた弟子へと続く継承があってこそ成就される」(434ページ)とある通り、第2の「七つの鐘」の構想実現を池田門下に託したということではないでしょうか。
  
 第1の「七つの鐘」は、1930年(昭和5年)、学会創立から始まりました。伸一は、先師・恩師の構想を、7年ごとの前進の中で次々に実現していきます。そして、第1の「七つの鐘」は、79年(同54年)に鳴り終えます。
  
 2001年、第2の「七つの鐘」が始まります。
  
 第2の「七つの鐘」の2番目の鐘が打ち鳴らされた08年からの7年間、広宣流布大誓堂が落成(13年)。全世界の池田門下が団結し、世界広布新時代が開幕します。
  
 さらに、3番目の鐘の始まりである15年からの7年間では、世界宗教としての体制を確立するとともに、小説『新・人間革命』の完結(18年)を刻みました。
  
 明22年から、いよいよ4番目の鐘が打ち鳴らされます。第2の「七つの鐘」が鳴り終える50年には、学会創立120周年を刻みます。第2の「七つの鐘」は、池田門下の団結と前進の指標でもあります。
  
 第30巻<下>の結びで、伸一は恩師・戸田先生の「中核の青年がいれば、いな、一人の本物の弟子がいれば、広宣流布は断じてできる」(434ページ)との言葉を紹介しています。
  
 全ては真剣な一人から始まります。創立100周年の2030年を目指して、自らが「一人の本物の弟子」として立ち上がり、わが人間革命の歴史をつづってまいろうではありませんか。

第1回「アルゼンチンSGI総会」に出演した未来部メンバーを励ます池田先生(1993年2月、ブエノスアイレス郊外で)
第1回「アルゼンチンSGI総会」に出演した未来部メンバーを励ます池田先生(1993年2月、ブエノスアイレス郊外で)
名言集
●毀誉褒貶の徒

 学会を担う主体者として生きるのではなく、傍観者や、評論家のようになるのは、臆病だからです。また、すぐに付和雷同し、学会を批判するのは、毀誉褒貶の徒です。(「勝ち鬨」の章、183ページ)

●若き逸材

 新しき時代の扉は青年によって開かれる。若き逸材が陸続と育ち、いかんなく力を発揮してこそ、国も、社会も、団体も、永続的な発展がある。(「誓願」の章、209ページ)

●核兵器への認識

 核兵器の脅威は、実際に被爆し、苦しみのなかで生きてきた人たちの生の声に耳を傾け、映像や物品などを通し、破壊の現実を直視してこそ、初めて、実感として深く認識することができる。(「誓願」の章、236ページ)

●統合の哲学

 分断は分断を促進させる。ゆえに、人間という普遍的な共通項に立ち返ろうとする、統合の哲学の確立が求められるのである。(「誓願」の章、273ページ)

●本物の信心

 広宣流布の途上に、さまざまなことがあるのは当然の理である。しかし、何があっても恐れず、惑わず、信心の眼で一切の事態を深く見つめ、乗り越えていくのが本物の信心である。(「誓願」の章、285ページ)


〈池田先生と共に 希望・勝利の師弟旅〉

2021年07月27日 | 妙法

〈池田先生と共に 希望・勝利の師弟旅〉 未来を開く! 生命錬磨の夏2021年7月27日

 暑い夏にこそ、生命を磨き、人材を育て、希望の未来を開く。これが学会の伝統だ。
 
 コロナ禍の今年も、各地で工夫し、真心を尽くして、創価ファミリー大会、また英語で寸劇を行う「E―1」や絵画展、作文・読書感想文のコンクールに取り組んでくださっている。
 宝の未来部を励まし育んでおられる全ての方々に、最大に感謝申し上げたい。
 
 御書に「物だねと申すもの一なれども植えぬれば多くとなり」(971ページ)と仰せだ。若き心の大地に良き種を蒔きゆく夏としたい。
 
 ◇ ◆ ◇ 
 
 戸田先生は青年の「学ぶ心」を引き出し、そして「価値創造の力」を伸ばしてくださる人間教育者であった。
 
 先生に師事し始めた19歳の時、私が雑記帳に書き留めたアメリカの哲人エマソンの言葉がある。
 「何者も諸君を守護することは出来ない、独り誠実あるのみ、永遠に亙って誠実のみ」(※)
 
 船が難破の危機に瀕しても、熟練の水先案内人が揺るぎなく「われと共に航する者こそ、陸地に達するなれ」と指揮を執るように、正義の信念に誠実に生き抜けと、エマソンは呼び掛けているのだ。
 
 戦後の荒れ狂う社会の海原で、私は戸田先生という至高の精神の水先案内人に巡り合え、誠実を貫く正しき人生の道を教えていただいた。これほどの幸福はない。
 
 そして今、大誠実の創価家族と共に切り開いてきた、平和・文化・教育の大航路を、21世紀の若き世界市民たちに託せることが、何よりの喜びである。
 
 ◇ ◆ ◇ 
 
 未来部育成の先進のモデル地域が、堅塁・中部である。「E―1グランプリ」も中部から誕生した。
 
 きょう7月27日は「中部の日」である。淵源となる45年前の記念幹部会では、御書を拝して、永遠に善知識の団結で広宣流布の大願に進みゆくことを皆で誓った。
 「総じて日蓮が弟子檀那等・自他彼此の心なく水魚の思を成して異体同心にして南無妙法蓮華経と唱え奉る処を生死一大事の血脈とは云うなり」(御書1337ページ)
 
 この時、6項目の指針を再確認し合った。
 ①勤行は朗々として正確
 ②指導、弘教は慈悲
 ③教学は日々の努力
 ④座談会は体験中心
 ⑤会合は8時半厳守
 ⑥組織は人間の和
 ――である。
 
 ◇ ◆ ◇ 
 
 創価の「人間の和」は、法華経に説かれる「清涼の池」の如く地域社会に希望と安穏と活力をもたらすオアシスそのものだ。
 
 皆、聡明に健康第一で、未来部の友と一緒に、一歩また一歩、成長し前進して、誓願の天地に地涌の生命力を満々と漲らせていこう!

 ※エマソンの言葉は柳田泉訳「代表偉人論」、『世界大思想全集21』所収、春秋社、現代表記に改めた。


託された「命のバトン」

2021年07月26日 | 妙法

〈危機の時代を生きる――創価学会ドクター部編〉第4回 託された「命のバトン」2021年7月21日

  • 訪問診療医 松﨑泰憲さん

 お盆を迎える7月、8月は、多くの友が故人を思い、追善の祈りを捧げる時期であろう。「危機の時代を生きる――創価学会ドクター部編」の第4回のテーマは「託された『命のバトン』」。約40年にわたって1000人以上の臨終に立ち会ってきた、訪問診療医の松﨑泰憲さんの寄稿を紹介する。

故人に追善の祈りを捧げる時期 人生を考えるきっかけに

 「“生まれた者は必ず死ぬ”という道理を、王から民まで、だれ一人知らない者はない。しかし実際に、このことを重大事と受け止め、このことを嘆く人間は、千万人に一人もいない」(御書474ページ、通解)――この日蓮大聖人の御教示は、「死を忘れた文明」といわれる現代において、ますます重みを増していると思います。
 
 新型コロナウイルス感染症の拡大によって、誰もがいや応なく「死」を身近な問題として直視せざるを得なくなりました。ワクチン接種が始まり、先の見えなかったパンデミック(世界的大流行)の収束に光が差してきたのは喜ばしいことですが、それで今回の経験を忘れてしまっては、元も子もありません。
 
 そもそも、死は誰人も逃れられないものであり、いつかは全員が向き合わなければならない人生の根本問題です。
 
 だからこそ、故人の冥福を祈るこの時期をきっかけとして、一人一人が「死」とどう向き合い、どのような人生を歩むべきかを考えていただきたいと思うのです。

故人をしのび、自身の成長と広布の前進を誓う墓参者(2020年8月、富士桜自然墓地公園で)
故人をしのび、自身の成長と広布の前進を誓う墓参者(2020年8月、富士桜自然墓地公園で)

 私はこれまで、「命を守る」外科医、また「命を見送る」在宅医として、「死」の現場に立ち会ってきました。
 
 その中で感じることは、多くの人が、死を忌むべきものとして扱い、考えないようにしているという現実です。
 
 いざ死と向き合わなければならなくなった時に、死を直視できない方、あるいは、うろたえたり、人任せにしてしまったりする方など、さまざまな最期を見てきました。中には、臨終の場で“祖父母の死の姿を見せると子どものトラウマになってしまうから”と、両親が子どもたちを立ち会わせない判断をした場面さえ目にしたこともあります。
 
 昔は、自宅で看取ることが当たり前でした。
 
 旅立つ人にとっては、次第に体の自由がきかなくなり、食べ物が喉を通らなくなり、体もやせ細っていきます。その中で、共に暮らしてきた家族に、自らが生きてきた証しを残すように言葉を掛け、最期は自宅で死を迎えます。
 
 一方、残される家族にとっては、日々衰えゆく姿と向き合いながら、徐々に気持ちを整理していきます。そして最期は手を握り、声を掛け、やがて別れの時を迎えるのです。
 
 その過程は、とてもつらいものですが、死と向き合うための大切なプロセスです。

コロナ対策に当たる医療の最前線。感染を広げないために面会や付き添いには制限がある ©BNBB Studio/Moment/Getty Images
コロナ対策に当たる医療の最前線。感染を広げないために面会や付き添いには制限がある ©BNBB Studio/Moment/Getty Images

 ところが現代は、死の多くが病院内における出来事となり、人々が死を身近なものとして捉えることが少なくなってしまいました。
 
 現代は、そうしたことを踏まえ、在宅医療が進んでいるものの、自宅で亡くなる方は、まだ13・6%にすぎません。
 
 加えて、コロナ禍が、死の実感を失わせている現実もあります。病院や介護施設では、感染対策のため、家族が思うように面会や付き添いがかなわずに亡くなる場面も少なくないからです。
 
 別れの時を共に過ごせないことは、旅立つ側と残された側の両方に大きな悲しみと喪失感をもたらします。面会の方針も施設によって異なるので、最期が近づいてきた時は「立ち会いは、どこまでできるのか」「どうしても会わせておきたい人がいる場合は、どうしたらよいか」など、積極的に相談やお願いをすることが必要だと思います。

なぜ人は死ぬのか

 人間の死は、臨床的に、呼吸停止、心臓停止、脳機能停止(瞳孔散大と対光反射の消失)の三徴候を判定基準としていますが、そもそも私たちは、なぜ死ななければならないのでしょうか。
 
 私たちの身体は、37兆2000億個ともいわれる細胞で構成されていますが、その一つ一つの細胞に「死」の仕組みが備わっているからです。
 
 実は、このプログラムがないと、私たちは生き永らえることができません。
 
 細胞は、さまざまなストレスにさらされ、傷つくことがあります。それを放置してしまえば、ウイルスや細菌などの外敵がそこから侵入し、身体全体に悪影響を及ぼしてしまうので、傷ついた細胞は死んで、新たに生まれた細胞と入れ替わっています。
 
 事実、こうした働きによって、胃腸の内壁細胞は数日、白血球は約3日、皮膚は約28日、赤血球は約120日というサイクルで、細胞が生死を繰り返しながら、私たちの身体は維持されています。
 
 ただ、それにも限界があります。細胞は分裂を繰り返すほど、遺伝子のコピーミスが起こり、がん細胞が生まれてしまうリスクが高まるからです。がん細胞も結果として私たちの身体の調和を壊してしまうことから、そうした細胞になってしまう前に、一つ一つの細胞には、アポトーシスといって、周囲を守るために自ら死を選ぶプログラムがあることが知られています。
 
 細胞レベルで死を免れることができない以上、その細胞で構成される私たちも、死から逃れることはできません。しかし、そうした細胞の“利他的な働き”があるからこそ、私たちの身体の「生」は守られているのです。

命懸けで種を残す

 それは細胞レベルだけでなく、自然界にも見られます。
 
 ほとんどの生物にとっては、生きている以上、死は定められたものです。しかし、その限られた「生」の中で、生物たちは、自分たちの種を残していくために、それこそ命懸けで子孫を守ろうと戦っています。
 
 例えば、サケは産卵後に死に、その体をプランクトンに食べさせて、結果として稚魚の餌にさせます。また卵を産んだら自らの内臓を出し、子どもに食べさせるクモがいることも知られています。これらは過酷な生存競争に勝ち残っていくためですが、このように自らの命をも捧げるという利他的な行動で新しい生を残していく種も存在します。

命懸けで産卵に挑むサケ ©Thomas Kline/Design Pics/Getty Images
命懸けで産卵に挑むサケ ©Thomas Kline/Design Pics/Getty Images

 一方、人間はこのような死を選択しませんが、種を守る、子孫を守るという利他的な行動があったから、ここまで生き残ることができました。
 
 そもそも人間は、子どもを未熟な状態で産み、社会の中で育てますが、そこに利他の心がなければ、新しい命を守っていくことはできません。
 
 また、狩猟生活を中心としていた縄文時代以前の日本人の平均寿命は、13~15歳だったと考えられています。その後、稲作などによる共同作業によって栄養バランスが向上したことなどが寿命を延ばす力となりましたが、そこに互いを守り、支え合う心がなければ、今日のような結果にはなりませんでした。
 
 やはり、人間においても、祖先たちの心の根底に、利他の精神が脈打っていたからこそ、私たち人類の「生」は支えられてきたのです。

利他の心を次の世代へ!

 私はこれまで約40年にわたり、私の両親を含めて1000人以上の臨終に立ち会ってきましたが、その中で、ある意味での法則のようなものを感じています。それは、ベッドの上で亡くなられる方のほとんどが、「生きたように死ぬ」ということです。
 
 最期まで「生」を全うされた方は、本当に晴れやかなお顔で旅立たれます。
 
 いつも笑顔を絶やさない方は、ほぼそのままのお顔で亡くなられます。
 
 そして、亡くなられたのに、まるで生きているように感じさせる方々には、共通点があります。それは生前、自分のことより他人の幸せを優先して考え、常に周囲に対して感謝の心で接しておられた方々であるという点です。
 
 まさに、生命が本然的に持つ利他の生き方を貫いてきた結果であると、私には思えてなりません。
 
 もちろん、人によって状況も違うので、大切な人、身近な人の臨終に立ち会えないこともあるでしょう。しかし、私たちは、こうした亡くなられた方々の生きてきた姿、そして死んでいく姿を通し、自らの生きるべき道を確かめ、死と向き合う力を得ていくのだと思います。
 
 とは言っても、悲哀や切なさといった感情を持つ私たちには、周囲の死を容易に受け入れられるものではありません。しかし、私たちが決して忘れてはならないのは、そうした方々が命懸けで受け継いできた「命のバトン」があったから、今の自分たちがいるという事実です。
 
 そしてまた、その「命のバトン」とは「利他のバトン」であるということです。
 
 だからこそ、残された人たちが、亡くなった方々の分まで、周囲のために尽くし、そのバトンを、さらに次の世代に託していこうとする心が重要だと考えます。

各地で進む在宅医療。住み慣れた環境で治療を受けることができ、その人らしい普段の生活を送ることができる ©Kayoko Hayashi/E+/Getty Images
各地で進む在宅医療。住み慣れた環境で治療を受けることができ、その人らしい普段の生活を送ることができる ©Kayoko Hayashi/E+/Getty Images
永遠に生死を繰り返す生命

 そうした生き方を貫いていくためにも、哲学や宗教が不可欠です。
 
 一般的に、多くの人は、「死」に対して、次の二つの考えを持っています。
 
 一つ目は、死ねば心身ともに一切が滅びるという考え。つまり、生命を「現在世だけのもの」とする考えです。
 
 二つ目は、死んでも肉体とは別の霊魂のようなもので、それが続くという考えです。
 
 しかし、一つ目の考えでは死への恐れを助長するだけで、「今さえよければいい」という刹那的な生き方や「どうなってもいい」という自暴自棄の生き方につながっていく可能性があります。
 
 そして二つ目も、死を受け入れることはできず、かえって今の自分への執着を増し、迷いを深めるだけに終わってしまう恐れがあります。
 
 一方、仏法では、「三世の生命」「三世の因果」を説いています。
 
 生命の因果は現在世だけのものではなく、過去世・現在世・未来世の三世にわたるもので、過去世の行為が因となって現在世の結果として現れ、現在世の行為が因となって未来世の結果をもたらすという思想です。すなわち、生と死は断絶したものではなく、永遠に生と死を繰り返していくという生命観です。
 
 この思想は、旅立つ側、見送る側の双方に力を与えるものだと痛感します。
 
 旅立つ側にとってみれば、現在世の終わり方が未来世の始まりを決めるという意味で、最期まで「生」を全うすることができます。
 
 見送る側にとってみれば、亡くなられた人の「死」は敗北でも悲劇でもなく、次なる「生」への瑞々しい出発であると思うことができます。
 
 まさに仏法は、「生」を最も価値的にする道を指し示すと同時に、「死」の苦しみを乗り越えるためのよりどころとなる希望の哲理ではないでしょうか。
 
 もちろん、この世に生きている人にとって、死は誰も経験したことがありません。しかし、信心を貫いた結果として、ほほ笑んでいるような安祥とした学会員の相を見るたびに、この哲理が単なる観念でなく、現実の上で証明されていることを深く確信せずにはいられないのです。

「臨終只今にあり」

 人は「死」と向き合うことで、自らの命の有限性に気付かされます。しかし、その限りある人生を意識するからこそ、「今」を大切にすることができます。
 
 大聖人は「臨終只今にあり」(御書1337ページ)と仰せです。「今、臨終を迎えても悔いがない」との覚悟で、現実の一日一日、一瞬一瞬に生命を燃焼させていくことが重要だと教えられています。
 
 大聖人は、この仰せの通り、最期まで立正安国の実現のために生き抜かれました。
 
 そして今、全国・全世界の学会員も、多くの方々の死を真正面から受け止め、あの人の分まで、この友の分までと、そうした方々が抱いてきた平和の夢をわが夢とし、力の限りに自他共の幸福のために尽くし抜いています。
 
 こうした学会員の生き方こそ、脈々と受け継がれてきた「命のバトン」「利他のバトン」を永遠ならしめる力となり、ひいては社会に「死」を正しく位置付け、一人一人の「生」をさらに輝かせる力になっていくと確信します。

〈プロフィル〉

 まつざき・やすのり 1955年生まれ。医学博士。胸部外科医。在宅医。宮崎大学医学部外科学の准教授等を歴任。ケアマネジャーの資格を取得し、現在、宮崎市内のクリニックで在宅医療にも取り組む。創価学会宮崎総県ドクター部書記長。本部長。

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