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小説「新・人間革命」に学ぶ 番外編⑧

2021年01月28日 | 妙法

小説「新・人間革命」に学ぶ 番外編⑧ 2021年1月28日

  • 連載〈世界広布の大道〉
絵・間瀬健治
 
絵・間瀬健治

 今回の「世界広布の大道 小説『新・人間革命』に学ぶ」は「番外編⑧」。小説につづられた珠玉の名言をテーマごとに紹介するとともに、山本伸一の青年部への励ましを掲載する。挿絵は内田健一郎。
 

 
勝利

 私たちは、なんのために戦うのか。
 自身の幸福のためである。何があっても挫けない、自分自身を築くためである。人間革命のためである。また、人びとの幸福のためである。社会の繁栄と平和のためである。(中略)

 私たちは、妙法をもって、末法の一切衆生を救うために出現した地涌の菩薩である。まさに広宣流布という「人間全体の幸福」の実現こそ、私たちの使命だ。

 戦う限り、勝たねばならない。絶対に勝つと決めて、戦い抜くのだ。
 勝利のためには、何よりも己自身を制覇せねばならぬ。牙をむく獰猛な敵も、所詮は自分の心の影にすぎない。

 自身に勝つのだ!
 臆病に勝つのだ!
 あきらめの心に勝つのだ!
 怠惰に勝つのだ!
 自身に打ち勝ってこそ、大いなる「前進」があり、燦然と「勝利」の陽光は輝くのだ。

 (第19巻「陽光」の章、199~200ページ)
 

  

誓願
せいがん

 「どこまでも御本尊を信じ抜き、無量無辺の功徳力を確信して、魂のこもった祈りを捧げることです。

 自身の宿命転換、人間革命、一生成仏のためには、“広宣流布に生き抜きます”という誓願の祈りが大事になります。
 そこに、わが生命を地涌の菩薩の大生命、大境涯へと転ずる回転軸があるからです。

 具体的にいえば、“あの人に、この人に、幸せになってほしい。仏法を教えたい”という必死な利他の祈りです。学会活動の目標達成を祈り、行動を起こしていくことです。
 それが、大功徳、大福運を積む直道です。

 したがって、自身の悩み、苦しみの克服や、種々の願いの成就を祈る時にも、“広宣流布のために、この問題を乗り越え、信心の見事な実証を示させてください。必ず、そうしていきます”と祈っていくんです。

 祈りの根本に、広宣流布への誓願があることが大事なんです」

 (第28巻「大道」の章、176~177ページ)

 

山本伸一は記念勤行会でピアノを弾き、参加者を励ました(1978年7月、岐阜・東濃文化会館で)
山本伸一は記念勤行会でピアノを弾き、参加者を励ました(1978年7月、岐阜・東濃文化会館で)
 
感謝

 「第二代会長の戸田先生は、よく、こう言われていました。
 『御本尊に常に感謝の念をもっている人は、いよいよ栄える。福運がいよいよまさる』『感謝を忘れた人は、福運が消えていく』

 “自分は信心で守られてきた。御本尊あればこそだ!”との感謝の心から、喜びも、希望も、勇気も生まれます。また、感謝は、心を豊かにします

 反対に不平や不満をいだいていれば、心を自ら貧しくしていきます。
 御本尊への感謝をもって、日々の学会活動に取り組んでいくなかに、自身の境涯革命があるんです」(中略)

 大事なことは、御本尊への、その御本尊を教えてくれた創価学会への感謝の念をもって、喜び勇んで広宣流布の“戦い”を起こしていこうという“心”である。

 “感謝”ある人には“歓喜”がある。
 そして、燃え立つ歓喜の生命こそ、挑戦、前進、勝利、幸福の活力源となるのだ。

 (第26巻「奮迅」の章、367~368ページ)
 

  

地域
地域

 広宣流布をいかに進めるかは、各地域によって異なってこよう。
 たとえば、人口過密な大都市と、過疎の山村や離島とでは、人びとの生活や人間関係等にも違いがある。その実情に即して、仏法理解の進め方、学会活動の在り方を、考えていかねばならない。(中略)

 そこに暮らす人びとが、わが地域の広宣流布の責任をもつのだ。

 地域に応じて、活動の進め方は異なっても、広布を推進する根本原理に変わりはない。

 第一に大切なことは、なんとしても、この地域を広宣流布していこうという「決意」である。(中略)
 第二に、学会員が地域で「信頼」を勝ち得ていくことだ。
 信頼という土壌が耕されてこそ対話も実る。信頼は人間関係の基である。
 第三には、各人が信仰の「実証」を示し切っていくことである。

 (第28巻「広宣譜」の章、88~89ページ)

 

鳥取・米子文化会館で「中国の歌」の制作を発表する山本伸一(1978年7月)
鳥取・米子文化会館で「中国の歌」の制作を発表する山本伸一(1978年7月)
 
みょうしょうらん

 伸一は、「冥の照覧」を心から確信できる、一人ひとりになってほしかった。
 
 仏法では、「因果応報」を説いている。悪因には必ず苦果が、善因には必ず楽果が生じることをいう。

 しかも、その因果律は、過去世、現在世、未来世の、三世にわたって貫かれている。
 過去における自身の、身(身体)、口(言葉)、意(心)の行為が因となって、現在の果があり、現在の行為が因となって、未来の果をつくるのである。(中略)

 すべては自分に還るのだ。悪果も善果も、一切は自身の行為のゆえである。(中略)

 この生命の因果の理法、言い換えれば、「冥の照覧」を確信して、仏道修行に励むことこそ、仏法者の生き方の基本なのだ。(中略)

 仏は、常に、じっと見ている。敢闘の歴史は、わが生命に刻まれ、栄光の朝を開く力となる。

 (第24巻「厳護」の章、144~146ページ)
 

 

使命

 伸一は、戸田城聖に、理路整然と自分の意見を述べていった。
 「人材として大成していくうえで、最も重要なことは、使命に目覚めることではないでしょうか。

 私たちには、地涌の菩薩として、すべての人を幸福にし、世界の平和を築く、広宣流布という大使命があります。
 何よりも、その根本的な使命感に立つことが、自分の力を伸ばしていく最大の道であると感じています。(中略)

 自分の使命を知るならば、何事に対しても、生命の奥深くから、意欲が、情熱が、力が湧いてきます」(中略)

 戸田の声が響いた。
 「そうだ! そうなんだよ、伸一! 
 第一に『使命の自覚』だ。これがないと、人生の根本目的がわからず、迷いが生じ、本当の力はでない。
 反対に、使命を自覚した時に、最大の力を発揮していけるものだ」

 (第27巻「求道」の章、372~373ページ)

 

宮城・仙台市の青葉城址で戸田城聖と山本伸一が語り合う(1954年4月)
宮城・仙台市の青葉城址で戸田城聖と山本伸一が語り合う(1954年4月)
 
山本伸一と青年部の友
 
男子部
1951年(昭和26年)7月11日、東京・西神田の旧学会本部で行われた男子部の結成式。伸一は班長として出席した
1951年(昭和26年)7月11日、東京・西神田の旧学会本部で行われた男子部の結成式。伸一は班長として出席した

〈若き日の山本伸一は、大阪や山口など、広布のあらゆる局面で、拡大の突破口を開いてきた〉

 戸田は、その伸一を讃えることは、ほとんどなかった。むしろ、厳しい叱責に終始し、未曾有の成果を残して当然という態度を取り続けた。

 伸一は、そこに、本物の師子に育て上げようとする師の厳愛と、全幅の信頼を感じていた。
 戸田の険しい目の奥に宿る、深い慈愛の光を、彼は知っていたのである。

 彼は、勇んで先駆の道をひた走った。それは、歓喜に包まれた誇り高き、青春の大道であった。

 先駆けの勇者によって突破口ができれば、流れは開かれる。

 (第2巻「先駆」の章、24~25ページ)
 

 

女子部
女子部の代表メンバーに、かつての華陽会のように、読書を中心に研修することを提案する伸一(1972年3月、山梨本部で)
女子部の代表メンバーに、かつての華陽会のように、読書を中心に研修することを提案する伸一(1972年3月、山梨本部で)
 

 〈1972年(昭和47年)3月、山本伸一は山梨県を訪れ、女子部の人材育成グループ結成を提案した〉

 伸一は、広宣流布の未来を盤石なものにするためには、女子部に力を注ぎ、育成していかなければならないと、強く感じていた。

 “二十一世紀は「女性の世紀」となり、あらゆる分野に女性が進出し、社会をリードしていくことは間違いない。
 また、一家の太陽となり、後継の子どもたちを育む、最大の力となるのも女性である。
 それゆえに、女子部員が、優れた人格と知性をもち、聡明な女性リーダーに成長していくならば、広宣流布は、一段と大きな広がりをもっていくことになろう”

 (第16巻「入魂」の章、109~110ページ)


~嵐慧子さんを偲ぶ

2021年01月22日 | 妙法

北国の華】 ~嵐慧子さんを偲ぶ~

投稿者:虹と創価家族 投稿日:2016年 4月 9日(土)08時55分14秒   通報
【北国の華】 ~嵐慧子さんを偲ぶ~

五月四日

明日を生き抜き
世紀を築く
北海の白蓮華と
咲きゆけ

嵐 慧子様
池田室長

■嵐桜よ 永遠(とこしえ)に
            池田大作

 北国の春は遅く、短かい。
 五月の初旬、花々は春を待ちかねていたかのように、一時に咲き競う。アカシアの白い房、すずらんの香り、ライラックのふじ色の輝き……。
 長い冬の桎梏から解き放たれて、萌えいずる緑。百花は新緑に映え、たまゆらの春に、美事な〝生〟の交響詩を奏でてくれる。

 私は北海道の春が好きだ。毎年、花の便りに、北国の春に想いを馳せる。そして、まっさきに、私は一本の桜を思い出すのだ。
 その桜は、名木や巨木ではない。どこにでもある平凡な桜かもしれぬ。しかし私にとっては、忘れ難い人の面影を、今にとどめる、大切な、尊い桜である。ゆく春も、くる春にも、その桜は北海道第二本部の庭に、清楚な薫り高き花びらをつけてくれる。
 その名――〝嵐桜〟。

 嵐さんが逝いて幾星霜。桜はいくたびか咲き、散った。そして今年十二月には、嵐さんの十三回忌を迎える。時の経過は、多くの事象を静かに過去へと流していく。が、嵐さんの功績は、時の経過と共に、広布の進展のなかで、ますます光彩を放っていこう。
 今なお嵐さんは、北海道の同志(とも)の呼び合う心と心のなかに生き、桜花となって戦い人の魂に勇気と希望を与え続けているのである。

 彼女は、北海道の草創期を、欣然と担ってくれた一人である。
病身でありながら、妙法への帰命を決定(けつじょう)し、ひたむきに、いさぎよく戦ってくれた。私は彼女に、限りない感謝をささげ、冥の照覧あるを信じたい。
 静かに目をつむると、折伏の法旗を高く揚げ、北海の原野を思う存分駆け回る、彼女のけなげな姿が、鮮明な像となってあらわれる。
 花の香ただよう春も
 草いきれのする夏も
 かりがねの鳴く秋も
 凍てつく冬も
……彼女の行動はとどまるところがなかった。ひとたび選んだ使命の道を、迷わず、惑わず、ただひたすら走ってくれたのだ。

 よしや相見ること叶わなくとも、私はよもや忘れまい。彼女の広布にかけた短くも、美しい青春乱舞は、救国の乙女ジャンヌ・ダークのようであった。まさにその名のごとく慧眼と聡明さとをもって、人生の究極を見つめ、嵐のごとき、可憐な生涯を送ったのである。
生前、私は幾度となく、病身の嵐さんを気づかった。厳しく休むようにも叱責したし、回復も祈った。北海道の友だちの願いもそうであったろう。しかし、今思えば、彼女は自らの使命を立派に果し切って、人間王者の道を見事に走破して、悠々と公布の途上に逝いたように思えるのである。妙法に生命の活力を求め、更賜寿命の日々を、彼女は、精一杯、戦ってくれたのだ。

 北海道は、私にとって由縁の地である。恩師・戸田先生の故郷は、荒涼と北風の吹く厚田の村である。恩師と共に、私はよく北海道を訪れた。夏季折伏、指導等と、珠玉の思い出は尽きないが、忘れがたい出来事は、やはり小樽法論であり、炭労事件である。両者は未聞の開拓の道を歩む学会の前途に、厳しくたちはだかった障魔といってよい。
 その夜を日についでの激闘の最中に、私は嵐さんと出会った。たしか小樽法論の時であったと記憶している。彼女のすずやかな目には求道の輝きがあり、広布の行き末をしっかと見すえて、情熱が光っていた。小柄な容姿は、闘志でゴムマリのように弾んでいた。

 私はただただ、民衆勝利のために戦った。
 どんな労苦も、むしろ爽快であった。汗は必ずや未来を開く滋養となる、と確信していた。もとより、どんな作業もいといはしない。北海道の可愛い友のため、是非とも勝たねばならなかったのだ。

 その頃の共戦の同志が懐かしい。吹き荒れる嵐のなかを、よくぞ喜々として最前線に立ち大聖哲の旗を振り続けてくれたと思う。なかでも嵐さんは、その雪のような純な生命で広布の暁を信じ、学会の発展を心に描いて戦い、惜しまれながら、殉教の誉れをもって二十六歳の若き生命を散らした人だけに、私はいとおしくもあり、忘れてはならない人、と決心している。
 〝臨終只今にあり〟と月々、日々、嘆きの友のため、悩める隣人のため、病魔を越えて激励に歩み、学会のうず潮のなかですすんで訓練をうけた嵐さんは、広布を大願とする全ての同志の鏡といえるだろう。あなたの歩んだ栄光の道を、今はあなたの後輩たちが陸続と歩んでいることを、伝えたいのだ。
 三世諸仏総勘文教相廃立に云く「生と死は生死の夢の理なり、妄想なり、顛倒なり。本覚の寤を以て我が心性を糾せば、生ずべき始めも無きが故に死すべき終りも無し」

 刹那の一瞬に永劫の未来を込め、私は再び爽やかな告別の歌を、新生の、地湧の賛歌を送りたい。
 嵐さん、どうかおすこやかに。そしてまた悲しみのなかから毅然と立った慧子さんのおかあさん、妹さん、弟さん、お元気で――。
 あなたは再び〝生〟ある人として、広布第二章の戦列へ、欣然と加わっていることだろう。かたみを宿す嵐桜は、永遠(とこしえ)に、北海道の妙法回天の旅路を見続けることであろう。


「婦人部」編

2021年01月22日 | 妙法

マイ・ヒューマン・レボリューション――小説『新・人間革命』学習のために 「婦人部」編 2021年1月21日

  • かがやけ! 幸福の光送るぼうの太陽よ

 小説『新・人間革命』の山本伸一の激励・指導などを、巻ごとに紹介する「My Human Revolution(マイ・ヒューマン・レボリューション)」。今回は「婦人部」編を掲載する。次回の第25巻は2月5日付2面の予定。挿絵は内田健一郎。

 

母の思いを共通の平和思想に!

 <1976年(昭和51年)8月、山本伸一の詩に曲をつけた「母」の歌が完成した。そこには、全ての母に対する伸一の思いが込められていた>
 
 母が、確固たる人生の根本の思想と哲学をもつことが、どれほど人間教育の力となるか。人間完成へと向かう母の不断の努力が、どれほど社会に価値を創造するか。母が、境涯を高め、聡明さを身につけていった時、母性は、崇高なる人間性の宝石として永遠なる光を放つのだ。「母」の歌の三番には、まさに、その山本伸一の願いが託されていた。
 
  
 三、母よ あなたの
   思想と聡明さで 春を願う
   地球の上に
   平安の楽符を 奏でてほしい
   その時 あなたは
   人間世紀の母として 生きる
  
 
 ひまわりのごとき母の微笑は、平和の象徴といえよう。女性を、一家の、社会の、人類の太陽として輝かせるために、創価学会という人間教育、女性教育の学びの園があるのだ。
 
 わが子を、戦争で失うことなど、絶対にいやだ。戦争には、断固として反対だ――それは、すべての母の思いであろう。しかし、それが、平和思想となって、深く広く根を下ろしていくには、自分だけでなく、子どもを戦場に送り出す、すべての母や家族の、さらには、戦う相手国の母や、その家族たちの苦しみ、悲しみを汲み上げ、生命尊厳の叫びとして共有していかなければならない。
 
 (第24巻「母の詩」の章、74~75ページ)

 
女性の笑顔がみなかつりょくもたらす

 <77年(同52年)3月、福島県を訪れた伸一は、福島文化会館の屋上で、東北6県の婦人部代表と懇談のひと時をもった>
 
 彼は、婦人の笑顔の大切さを訴えた。
 
 「一家のなかで、最も大切な宝は、婦人の微笑です。夫も、子どもも、そこから勇気を得ます。希望を知ります。人生には、どんな苦難が待ち受けているか、わかりません。その時に、朗らかに微笑むことのできる人こそが、本当に強い人なんです。
 
 『母は一家の太陽である』と言われます。それは、どんなに大変な時でも、微笑の光で、家族を包み込むからだと私は思う」(中略)
 
 トルストイは、自伝小説『幼年時代』のなかで、母について、こう語っている。
 
 「お母さまの顔はただでも美しかったけれど、微笑によってそれはいっそうすばらしくなり、まるで周囲のもの全体が明るくなるようであった。生涯のつらく苦しいおりおりに、もしほんのちょっとでもあの笑顔を見ることができたら、私はおそらく悲しみとはどんなものであるかをすら知らなかったであろうと思う」
 
 伸一は、婦人たちに言った。
 
 「微笑みは、強い心という肥沃な大地に、開く花といえます。皆さんの快活な笑顔があれば、ご家族は、そこから勇気を得て、どんな窮地に立たされたとしても、堂々と乗り越えていけます。女性のこの微笑力こそ、人びとに活力をもたらす源泉となります」
 
 瞳を輝かせて頷く、“創価の母”たちの微笑がまばゆかった。
 
 (第25巻「福光」の章、93~94ページ)

 

人のきずなの中にさちと広布の実像が

 <78年(同53年)6月、北海道・厚田の戸田記念墓地公園を訪れた伸一のもとに、地元の各大ブロックから、婦人部総会の招待状が届いた。しかし、彼の都合がつかず、妻の峯子が代わりに友の激励に回り、総会に出席することになった>
 
 伸一と峯子は、“一心同体”であった。広宣流布の“盟友”であり、“戦友”でもあった。
 
 そして、翌十一日、峯子は、望来大ブロックの大ブロック担当員宅を、激励のために訪れたのである。訪問を事前に伝えておいたので、十人ほどの婦人が集っていた。
 
 峯子を囲んで懇談が始まった。
 
 「会長は『婦人部総会に出席したい』と申しておりましたが、日程の関係で、どうしても難しいために、本日、私が、ごあいさつにまいりました」
 
 彼女は、こう言うと、皆の名前を尋ねていった。婦人の一人が、自己紹介したあと、しみじみとした口調で語った。
 
 「私は、今日まで信心をしてくることができたのは、周囲の同志の方々が、励ましてくれたおかげだと、実感しております」
 
 峯子は、大きく頷きながら、話し始めた。
 
 「どなたも、自分だけでは信心を貫いていくことはできませんし、広宣流布も一人ではできません。会長も、『同志の皆さんのおかげで、ここまでやってこられたんだよ』と、よく言っております。
 
 親子を縦の線とするなら、同志は横の線といえます。この縦と横の絆を強く、大切にしてこそ、自分の幸せも、成長もあります。したがって、ご両親やお子さんなど、ご家族を大切にしてください。そして、同志を大事にしていってください。その、人と人とのつながりのなかに、幸福と広宣流布の実像があるのだと思います」
 
 (第27巻「求道」の章、390~392ページ)

 

信心で打開できぬなやみはない!

 <78年(同53年)10月、伸一は婦人部歌「母の曲」の作詞に取り掛かった。彼の口から紡ぎ出される言葉を、妻の峯子がメモ帳に書きとどめていった>
 
 伸一は、苦闘を重ねてきた偉大なる創価の母たちに、最大の敬意と賞讃を込めて、歌詞を作っていった。(中略)
 
 「ああ悲しみも いざ越えて……」
 
 ここでは、人生は過酷なる宿命との戦いであることを詠った。
 
 現実は、常に疾風怒濤である。順風満帆の人生などない。外から見ていてはわからなくとも、皆、何かしら深刻な悩みをかかえ、時に呻吟しながら生きているものだ。次から次へと、苦悩の怒濤は押し寄せて来る。
 
 だからこそ、唱題なのだ! だからこそ、折伏なのだ! 
 
 地涌の菩薩の、仏の大生命を呼び覚まし、強い心で、大きな心で、豊かな心で、悠々といっさいを乗り越え、勝利していくのだ。
 
 宿命が、悩みがあるからこそ、それを克服することによって、仏法の功力を、その真実を、偉大さを証明することができる。わが宿命は、わが使命となるのだ。ゆえに、信心で打開できない悩みなど、断じてない。叩きつける氷雨の激しさに、心が絶望の暗雲に覆われてしまうこともあるかもしれない。しかし、今日も、明日も、太陽は、燦々と輝き、昇っていることを忘れまい。大宇宙を貫く妙法に連なり、自らが太陽となるのだ。栄光と勝利の歓喜の輝きを放ち、幸の光彩をもって、一家を、さらに地域を、未来を照らし出していくのだ。
 
 伸一は、心の思いを、励ましの叫びを、婦人部の歌に込め、歌詞を口述していった。
 
 (第29巻「常楽」の章、44~46ページ)
 

 
婦人部へのはげまし

 創価学会が世界に誇る最高の宝は何か。婦人部です。これほど、清らかで強く、民衆の幸福のために働く、正義の集いはありません。
 
 (小説「新・人間革命」第16巻「入魂」の章)

 

池田先生・香峯子夫人が、ブラジルSGI婦人部の代表と記念撮影(2004年8月、長野で) 
池田先生・香峯子夫人が、ブラジルSGI婦人部の代表と記念撮影(2004年8月、長野で) 

※トルストイの小説は中村白葉訳。


核兵器禁止条約発効に寄せて

2021年01月20日 | 妙法

核兵器禁止条約発効に寄せて 核戦争防止国際医師会議 ラフ共同会長 2021年1月20日

 核兵器を法的に禁止する初の多国間条約である「核兵器禁止条約」が、今月22日に発効する。条約発効の歴史的意義や、学会・SGI(創価学会インタナショナル)の貢献などを巡り、各界の識者に話を聞いた。第2回は、IPPNW(核戦争防止国際医師会議)共同会長のティルマン・ラフ博士へのインタビューを掲載する。(聞き手=木﨑哲郎)

 

©Zebedee Parkes
©Zebedee Parkes
 
核兵器は明確に「違法」

 ――ラフ博士は長年、医師として核兵器廃絶に尽力してこられました。核兵器禁止条約発効の意義を、どうお考えでしょうか。
 
 この条約は、核兵器(の開発や使用などあらゆる活動)を禁ずる初の国際条約であり、大きな歴史的意義を持つものです。生物兵器、化学兵器、対人地雷、クラスター爆弾などの殺りく兵器も全て条約で禁止されています。ついに核兵器も、倫理に反するだけでなく、明確に「違法」となるのです。
 
 国際条約の発効は何を意味するのか。それは世界に新しい「規範」ができることであり、核保有国やその「核の傘」に依存する国、また核兵器を開発しようとする国々に対し、法的、倫理的、そして政治的、社会的な「圧力」を生み出すことを意味します。
 
 この条約は締約国に対し、条約への参加を他の国々に働き掛けるよう求めており、締約国は今後、核兵器廃絶を外交上の重要な課題として取り組んでいくことになります。
 
 またこの条約は、核軍縮への具体的な道筋を示した点でも画期的です。仮に今すぐ条約を批准できない国であっても、条約を生かして核兵器廃絶への歩みを進めることを可能にしています。

 

SGIとの協力関係はほこ

 ――2017年にノーベル平和賞を受賞したICAN(核兵器廃絶国際キャンペーン)ですが、SGIとの協力関係は、ICANが発足した2007年から始まっています。当時、ICAN議長として来日し、パートナーシップを要請したのがラフ博士です。
 
 東西冷戦下の1980年、米国とソ連の医師が、核戦争を防ぐためIPPNWを立ち上げ、その数年後に私はIPPNWの一員となり活動してきました。そして、このIPPNWを母体として始まったのがICANです。

 

IPPNW(核戦争防止国際医師会議)の世界大会。SGIの代表も協力団体として参加した(2017年9月、イギリスで)
IPPNW(核戦争防止国際医師会議)の世界大会。SGIの代表も協力団体として参加した(2017年9月、イギリスで)

 かねてより私は、池田大作SGI会長がIPPNW共同創設者のバーナード・ラウン博士、ミハイル・クジン博士と相次いで会見されたこと、また長年、SGIとIPPNWが協力関係にあることを存じ上げていました。
 
 ゆえにICANの発展のためにも、いち早くSGIとパートナーシップを結びたいと切望していたのです。
 
 創価学会は1950年代から、核兵器が「悪」であると指摘し、その廃絶に向け先駆的な運動を続けてきました。また長年にわたるSGIの力強い、一貫した姿勢や、世界的な組織であること、さらに青年世代との協働、教育活動への取り組みなどは、まさにICANが目指すものと一致していました。
 
 核兵器禁止条約制定への戦略を話し合う大事な会議でも、SGIの皆さんは、世界の人たちのネットワークをつくり、準備を進める上で不可欠の協力をしてくださいました。
 
 SGIとの長きにわたる緊密な関係を、とても誇りに思います。
 
 ――これまでSGIは、IPPNWと共同で主催した「戦争と平和」展(1989年)をはじめ、数々の展示を制作し、市民社会の意識啓発に取り組んできました。
 
 私が感銘を受けるのは、見る人の心を動かす展示内容もさることながら、SGIの皆さんが展示を通し、「地域のつながり」を築かれている点です。
 
 特にSGIの現地組織の尽力によって、社会のリーダーや政治家、さまざまな団体の関係者にも展示のメッセージが届いています。
 
 人と関わりを結び、教育の機会を提供し、希望を送る。こうしたSGIの取り組みは単なる展示活動ではなく、大きな広がりをもつ平和運動です。
 
 SGIとICANが共に制作した「核兵器なき世界への連帯」展では、私も医師の立場で準備に関わりました。
 
 こうした展示が、ヨーロッパやアメリカ、東南アジア、オセアニア、中東、南米など世界各国で、また数々の国際行事の場で開催されたことは特筆に値します。核兵器廃絶への機運を高めることができたと自負しています。

 

昨年9、10月にマレーシア外務省で開催された「核兵器なき世界への連帯」展。会期中、同国の核兵器禁止条約の批准式が行われた
昨年9、10月にマレーシア外務省で開催された「核兵器なき世界への連帯」展。会期中、同国の核兵器禁止条約の批准式が行われた
 
はいぜつかぎは「価値観の変革」に

 ――創価学会・SGIの平和運動の原点は、戸田城聖第2代会長の「原水爆禁止宣言」(1957年)です。この宣言の精神を受け継ぎ、SGIは「核兵器は絶対悪」との思想のもと、民衆による草の根の対話を機軸として平和の理念を広げてきました。また、核兵器廃絶へ向けた宗教間の連帯や、共同声明の発表にも尽力してきました。
 
 とても重要で効果的なアプローチです。
 私たちは誰もが、他者に対して怒りを覚え、暴力的になりうるという潜在的な可能性をもっています。そうした「個人の性質」と、戦争や核兵器開発といった「組織的な暴力」は無関係ではありません。そして、人間の暴力性の最たるものこそが核兵器です。
 
 核兵器の議論でよく使われる「国家防衛」「核抑止力」などの専門用語は、どれも核兵器の「現実」を覆い隠す作り話にすぎません。一人の人間を殺すことが悪であれば、何億人もの人々を殺す兵器が悪でなくて何でしょう。
 
 核兵器が真に意味するものを、倫理的に追及しなくてはなりません。その意味で核兵器廃絶の鍵は、価値観の変革にあります。
 
 私たちは今こそ、特定の部族意識を乗り越えなければなりません。人類の課題を解決するには、国家、民族を超えたアイデンティティーが必要だからです。
 
 宗教組織は、私たち一人一人が、どう他者と関わり合うか、どう世界を認識し、何を自分の責務として生きるかということに多大な影響を及ぼします。
 
 SGIが近年、宗教間の連帯を強め、大きなコミュニティーをつくろうとしていることは称賛に値します。
 
 宗教を持つ人々の声を、普遍の真理と共有の価値観のもとに結集できれば、世界を変える大きな力になると思います。
   
 ――今回の条約で、締約国は、自国の核兵器の使用や実験によって被害を受けた人々に対し、支援を行う責任を負うことが明記されました。
 
 条約を批准したか否か、また批准する予定があるか否かにかかわらず、国際社会が一丸となって取り組むべき課題です。
 
 ヒバクシャの体験に耳を傾けることは、核兵器の真実を知る最良の道です。これまでの国際会議でも、各国の外交官の心を動かしてきたのは、何よりもヒバクシャの言葉でした。
 
 ICANの活動を通し、多くのヒバクシャの声を国際社会に届けることができたのは、最大の誇りでもあります。
 
 創価学会の皆さんが長年続けている被爆体験の継承も、とても重要な取り組みです。 

 

学会が主催した「被爆体験を聞く会」(2019年8月、広島池田平和記念会館で)。被爆体験の継承運動は、コロナ禍の中でも続いている
学会が主催した「被爆体験を聞く会」(2019年8月、広島池田平和記念会館で)。被爆体験の継承運動は、コロナ禍の中でも続いている

 私が暮らすオーストラリアでは、12回の大規模な核実験と600回を超える小規模な核実験が行われてきました。私自身、ヒバクシャの一人です。2歳の時、南オーストラリアの砂漠で行われた核実験の「死の灰」にさらされました。
 
 その後、30代という若さで深刻ながんを患ったのも、被爆の影響によるものであることは間違いないでしょう。
 
 核兵器は人類の「自殺爆弾」です。人類の未来、全ての生命の未来を、自らの手で消し去ってしまうことなどあってはなりません。
 
 新型コロナウイルスをはじめ、今後も起こり得るパンデミックを完全に防ぐことは困難です。
 
 しかし、核兵器の使用は「完全回避」できる。世界の人々が結束すれば、核兵器の廃絶は可能なのです。


小説「新・人間革命」に学ぶ 番外編⑦ 

2021年01月20日 | 妙法

小説「新・人間革命」に学ぶ 番外編⑦ 2021年1月20日

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  • 連載〈世界広布の大道〉
絵・間瀬健治
 
絵・間瀬健治

 今回の「世界広布の大道 小説『新・人間革命』に学ぶ」は「番外編⑦」。小説につづられた珠玉の名言をテーマごとに紹介するとともに、山本伸一の各方面への励ましを掲載する。挿絵は内田健一郎。

 
師弟不二

 師弟不二とは、師の心をわが心として生きることであり、いつ、いかなる時も、己心に厳として師匠がいることから始まる。いくら“師弟の道”を叫んでいても、自分の心に師匠がいなければ、もはや、仏法ではない。
 
 師匠を、“自分の心の外にいる存在”ととらえれば、師の振る舞いも、指導も、自身の内面的な規範とはならない。そして、師匠が自分をどう見ているかという、師の“目”や“評価”が行動の基準となってしまう。そうなると、“師匠が厳しく言うから頑張るが、折あらば手を抜こう”という要領主義に堕していくことになりかねない。そこには、自己の信心の深化もなければ、人間革命もない。
 
 もしも、幹部がそうなってしまえば、仏法の精神は消え失せ、清浄なる信仰の世界も、利害や打算の世法の世界になってしまう。己心に、師弟不二の大道を確立するなかにこそ、令法久住がある。
 
 (第25巻「人材城」の章、332ページ)
 

 
勇気

 「大聖人は、『軍には大将軍を魂とす大将軍をくしぬれば歩兵臆病なり』(御書1219ページ)と仰せであります。この七百万世帯は、皆さんが大将軍となって、勇気をもって戦い抜いた証であります。
 
 大聖人も、また、牧口先生、戸田先生も、この壮挙を喜ばれ、諸手をあげて、ご賞讃くださることは間違いありません。
 
 勇気は、希望を呼び、力を湧かせます。勇気こそ、自分の殻を破り、わが境涯を高めゆく原動力であります。
 
 大将軍の皆さん! 遂に、新しき建設の幕は開かれ、創価の勇者の陣列は整いました。新時代が到来しました。わが胸中に、いや増して勇気の太陽を輝かせながら、いよいよ、歴史の大舞台に躍り出ようではありませんか!」
 
 大勝利の師子吼がこだました。
 
 (第13巻「楽土」の章、391~392ページ)
 

 
 

日本武道館で行われた2月度本部幹部会で指導する山本伸一
日本武道館で行われた2月度本部幹部会で指導する山本伸一
 
油断

 「千日の功名一時に亡ぶ」との格言がある。千日もの間、努力に努力を重ね、手柄を立て、名をあげたとしても、わずかな失敗から、あっけなく身を滅ぼしてしまうことをいう。
 
 それまで、いかに頑張り抜いてきても、ちょっとした油断から、すべてが水の泡となった例は、枚挙にいとまがない。何事においても、最後の最後まで気を緩めることなく、日々、自らを厳しく戒め、挑戦し続けていく人こそが、真の勝利者となるのだ。
 
 伸一は、厳しい口調で語り始めた。
 
 「失敗の原因は、いろいろあるだろうが、その本質は、慢心なんだ。(中略)
 
 “これまで失敗がないから、大丈夫なんだ”と高を括り、手抜きをするようになる。つまり、そこには、慢心が潜んでいるんだ」
 
 (第12巻「愛郷」の章、154ページ)
 

 

りっしょうあんこく

 「日蓮大聖人の仰せは“安国”を実現するためには、根底に“立正”がなくてはならないということであります。
 
 “立正”とは正法を立てることであり、生命の尊厳を説く仏法の生命哲学をもってする、未曾有の宗教革命のことです。この宗教革命によってこそ、各人の人間革命が可能になる。これは、個人の内面を対象としており、信仰の次元の問題です。
 
 “安国”とは社会の繁栄であり、民衆の幸福、世界の平和であります。“立正”が宗教の次元であるのに対して、“安国”は社会の次元であります。
 
 そして、“安国”の直接的に拠って立つ理念とは、『生命の尊厳』であり、『人間性の尊重』『平和主義』の原理であるといえます。これらは人間の生存の本質から発するものであり、宗教、人種、民族、イデオロギーを超えて、人類が渇望する普遍の理念であります。その実現をめざすものが“人間主義”であり、ここが、すべての出発点であります」
 
 (第14巻「大河」の章、303ページ)
 


 

東京・両国の日大講堂で行われた第33回本部総会で、講演する山本伸一とテレビ・新聞の報道陣
東京・両国の日大講堂で行われた第33回本部総会で、講演する山本伸一とテレビ・新聞の報道陣
 
へんどくやく

 「全生命を注ぐ思いで、皆さんを励ましてほしい。信心をしていたご家族を亡くされた人もいるでしょう。そうした方々には、こう伝えてください。
 
 ――すべては壊れても、生命に積んだ福徳は、永遠に壊されることはありません。一遍でも題目を唱えたならば、成仏できるのが大聖人の仏法です。亡くなられた同志は、今世で宿命を転換し、来世も御本尊のもとに生まれ、幸せになれることは間違いありません。
 
 また、『変毒為薬』とあるように、信心によって、毒を変じて薬にすることができる。大聖人は『大悪をこれば大善きたる』(御書1300ページ)と仰せです。
 
 今は、どんなに苦しくとも、必ず幸せになれることを確信してください。いや、必ずなってください。強い心で、強い生命で、見事に再起されるよう祈り待っています」
 
 (第30巻<下>「誓願」の章、393~394ページ)
 

 
女性のちから

 「明二〇〇一年(平成十三年)から、二〇五〇年へ、いよいよ、第二の『七つの鐘』がスタートします!」
 
 伸一は、新しい「七つの鐘」の構想に言及し、民衆のスクラムで、二十一世紀を断じて「人道と平和の世紀」にと呼びかけた。
 
 また、世界で、女性リーダーの活躍が目覚ましいことを紹介した。
 
 「今、時代は、音をたてて変わっている。社会でも、団体でも、これからは女性を尊重し、女性を大切にしたところが栄えていく。
 
 大聖人は『女子は門をひらく』(御書1566ページ)と仰せです。広宣流布の永遠の前進にあって、『福徳の門』を開き、『希望の門』を開き、『常勝の門』を開くのは、女性です。なかんずく女子部です」
 
 麗しき婦女一体の対話の拡大、励ましの拡大は、二十一世紀の新たな力となった。
 
 (第30巻<下>「誓願」の章、430~431ページ)
 

 
 

関西代表幹部会、関西女性総会の意義を込めて開催された本部幹部会(大阪・豊中市の関西戸田記念講堂で)
関西代表幹部会、関西女性総会の意義を込めて開催された本部幹部会(大阪・豊中市の関西戸田記念講堂で)
山本伸一と各方面の友
 
第2総東京
創価大学の体育館で第2東京本部の幹部会が開催された(1973年3月31日)。席上、伸一は「自身の心を折伏せよ」と訴えた
創価大学の体育館で第2東京本部の幹部会が開催された(1973年3月31日)。席上、伸一は「自身の心を折伏せよ」と訴えた

 <1973年(昭和48年)、山本伸一は第2東京本部(現在の第2総東京)の組織強化に力を注ぐ>
 
 壁を破るには、腹を決めることだ。断じて成し遂げてみせると、一念を定め、御本尊に誓願の題目を唱え抜くのだ。そして、勇猛果敢に行動せよ。走りだせば加速度がつく。勢いを増す。
 
 伸一の第二東京本部への期待は、あまりにも大きかった。
 
 人口の流動状況などからみても、将来、第二東京本部は、八王子や立川などを中心に、東京の新拠点となっていかなければならない。いや、都区内とともに、日本の中心、世界の教育と文化の中心となっていく地域であると伸一は考えていた。
 
 (第17巻「本陣」の章、92ページ)
 

 
沖縄
1974年2月、伸一は沖縄指導へ。名護では大きな虹が懸かり、「和やかに/天に虹舞い/友も舞う」と句を詠んだ
1974年2月、伸一は沖縄指導へ。名護では大きな虹が懸かり、「和やかに/天に虹舞い/友も舞う」と句を詠んだ

〈1974年(昭和49年)2月、山本伸一は、本土復帰後初となる沖縄指導に赴いた〉
 
 「沖縄が、広宣流布の大空に、本格的に飛翔する条件は、すべて整った。その操縦桿を握るのは皆さんです。
 
 したがって、人を頼るのではなく、皆さんが会長の私と同じ決意、同じ自覚に立ち、全責任をもって活動を推進していかなければならない。
 
 つまり、新しき時代とは『弟子が立つ時』であり、弟子が勝利の実証を示す時代なんです。(中略)
 
 どんなに闇が深かろうが、嵐が吹き荒れようが、心に虹をいだいて、晴れやかに、威風堂々と前進していっていただきたい」
 
 (第19巻「虹の舞」の章、102~103ページ)