インタビュー〉 いつの間にかSDGsになっていた酪農家の“うっしっし”な話2022年2月2日
北の大地で、広大なオーガニック牧場を運営する酪農家の支倉博さん(49)=北海道・興部町、支部長。2010年から牛のふん尿を利用したバイオマス事業に参画し、14年からはオーガニックビーフも手掛けています。
道内屈指のエコな酪農家に、“うっしっし”な取り組みを聞きました。(取材=掛川俊明、菅野弘二)
支倉さん㊧と妻・小百合さん
取材時、興部町や紋別市には流氷が
■人の3倍もの牛であふれている町
――北海道・興部町の人口は約3700人。それに対して、乳牛は約1万2000頭。支倉牧場も東京ドーム36個分の牧草地で340頭の牛を飼育されています。
うちの牧場は、祖父が牛1頭から始めて、1971年(昭和46年)に興部町に移ってきたんです。その後、祖父とおやじで土地を開拓し、規模を拡大してきました。
おやじはとにかく牛が大好きで、狭いスペースで動けないのはかわいそうだと、86年に自由に動き回れるフリーストール(放し飼い牛舎)を導入したんです。当時、自分は中学生でしたが、一緒にコンクリートを練り上げて、牛舎造りを手伝いました。
広大な支倉牧場
――札幌の農業専門学校で学び、実家に戻った直後の92年、道内で2番目の早さで、パソコンを使った総合管理システムも導入されました。
酪農は家族経営が主流で、当時は過酷な労働環境。うちのおやじも過労で何度も倒れていたし、私も20歳でヘルニアになったしね。興部はもともと人口が少ない上に、すごい勢いで過疎化も進んでいた。酪農の担い手不足は、今に始まった話じゃないんですよ。
だから30年前にシステムを導入し、作業を効率化して。牛の脚にIDタグを着けて、毎朝晩の乳量や乳質、運動量を把握し、搾乳時に乳房炎になっていないか、チェックできるようにもなりました。
搾乳作業を進める
■「ダイジョーブ!」と「オッケー!」しか言わない
――餌やりの24時間オートメーション化も実現。これも道内初の試みだったとか。
うちのオカンは苦労もしたし、自分が仕事に追われて子育てをできなかった経験から、「嫁は、子どもが大きくなるまでは、牧場仕事はしなくていい!」って。それで妻〈小百合さん(47)=地区女性部長〉は子育てに専念してました。規模も大きいし、従業員を雇うために、労働環境を整えないといけなかったわけです。93年には「農事組合法人」にして、福利厚生も整えました。
その上で、さらに作業効率を上げるために、大型の牧草収穫機も2台買って。そしたら、町外の牧場からも「うちの牧草も刈ってくれ」って頼まれて。
「底に愛があります」
――課題を見つめ、先手を打つ。先進的な取り組みに頭が下がります。
そんなカッコいい話じゃなくて、当時は(創価学会の)男子部の活動も忙しくて。
ここら辺じゃ、1人に会うのにも車で1時間かかるんですよ。どうすれば仕事が早く終わるかって、題目あげる中で知恵が湧いて、助けてくれる良い縁にも恵まれたって感じですね。
今は、ベトナムからの技能実習生が2人、住み込みで働いてくれています。ニュースではいろんな問題も報道されてますけど、私は彼らに何を言われても「ダイジョーブ!」と「オッケー!」しか言わねえです(笑い)。
■知らないうちに温室効果ガス削減に
――牛のふん尿や生ごみをメタン発酵させて、発電・熱利用するバイオマス事業。これも道内の酪農業のモデルケースとして、2010年から始められています。
うちの牧場では、乳牛の排せつ物は年間5000トンほど出ます。町には至る所に牧場があるので、臭いが辺りに充満して、転勤してきた人とかはびっくりするんです。
今は廃校になったけれど、当時は牧場の目の前に小学校があったから、子どもたちのためにも、その臭いを何とかしたくてね。
それに、不要な廃棄物からエネルギーを生み出すなんて、まさに「価値創造」じゃないですか! これぞ“うっしっし”な酪農家ですよ!
町としては、ふん尿と同じく漁業のごみや汚泥も課題になっていて、農機具メーカーから話を持ち掛けられた時は、もうけになる話じゃなかったんだけど、こりゃ地域のためにも、学会員として、やんなきゃいけねえだろって熱くなったんですよ。
――バイオマス事業を通して、ふん尿を発酵処理し、良質な肥料(消化液)も製造。その肥料で牧草をオーガニック(農薬や化学肥料に頼らない有機農法)で育てるようにもなったと。
ある企業から「消化液があるなら、良質なオーガニック飼料を作れるんじゃないか」と頼まれて。それで、バイオマスでできる肥料(消化液)を使った委託栽培を引き受けて、そのうちに自分の牧場でもオーガニック牧草に切り替えたんです。
今では170ヘクタール全てが有機牧草地になって、有機JAS認証の事業者にもなりました。
実際、バイオマス事業は採算の上では、やらないほうが良かった面もあるんですけど、そこに挑戦したおかげで、今は有機栽培に国から補助金も出るようになったし、不思議とつながってきたなと感じています。
それに、16年には、町のバイオマスガスプラントが稼働を始めて。酪農だけではなく漁業の生ごみや汚泥の再利用も含め、町全体の取り組みになったんで良かったなと思ってます。
バイオマスのガスプラント
――牛のふん尿などが、温室効果ガスを増加させるとの指摘もあります。それに対し、有機農法は化学合成の肥料や農薬による水質汚染を防止し、適切な土壌管理とともに、気候変動の抑制につながるともいわれています。
別に“地球温暖化対策のために”とか、そんな崇高な目的で始めたわけじゃなくて。ただ、くせえからなんとかしないとって感じですよ(笑い)。
「SDGs」っていわれても、本気でやってる人からしたら申し訳ない限りだし、自分としては人との縁を大切に、地域のために行動してきただけなんです。
ただ、誰に認められなくても、学会員として、地域に恥ずかしい生き方だけはしてこなかった。男子部の先輩にたたき込まれてきたんで、そこだけは曲げたことはないです。
■私の人生、まるで「使用前」「使用後」みたいな感じ
――祖父母は、興部町の創価学会の一粒種。旧習深い地域で無理解と立ち向かいながら、親子二代で信心を貫き、今の規模まで牧場を拡大されてきました。
私も信心する前に比べたら、まるで「使用前」「使用後」みたいな感じですよ。自分にも他人にも甘い、いい加減な人間でした。それを先輩が励ましてくれ、叱咤、叱咤、叱咤で育ててくれたんです(笑い)。
圏や県の男子部長時代は、ホントよく怒られました。後輩と接する姿勢や、会合を運営する心構え、広布の戦いへの執念とか、人生にも通じる人間としての基礎をたたき込まれました。
当時は「この先輩、いなくなってくれないかな」って何度も思いましたけど(笑い)。今は本当に感謝してます。
――8年前からはオーガニックビーフの畜産にも挑戦されているそうですね。オーガニックビーフは、国産牛では0・002%しかないといわれています。
オーガニックの牧草や有機の餌だけを食べて育った肉牛を「オーガニックビーフ」と呼ぶんです。正直、乳牛も有機の飼料だけで育てたいんですが、乳量も減るし、コストがかさみすぎて今はまだ無理です。それでも何か始めたくて、14年から有機の牧草で肉牛を飼育し、6年かけて、ようやく完成・出荷することができました。
今は稲作、畑作、酪農、加工品生産など、道内各地のいろんな仲間たちと一緒に「グリーン・ホライズン」というグループも立ち上げて、オーガニックのモデルケースに挑戦しています。
100%オーガニック素材だけで作った支倉牧場のカレー
――常に新しいことへ挑戦し続ける支倉さんの生き方に感動します。その原動力は?
きっと、周りの農家からは“あいつ、また何かやっているなあ”ってあきれられていると思いますよ(笑い)。
自分たちが食べていくためには、エコとかSDGsとか言ってられない場合もあるし、経営を成り立たせるために、スケールメリット(規模拡大による利益)を追求することが悪いわけでもない。
でも、未来まで持続可能な酪農を考えた時、規模拡大だけではなく、牛にも人にも地球にも優しい、小さなモデルケースになれたらって思ってます。
まあ、迷った時はいつも「弟子として、師匠に恥ずかしくない生き方ができているのか!」っていう先輩の言葉を思い出すようにしています。それだけは生命に、たたき込まれてきたんで。
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興部町の夜空に広がる満天の星